絢辻詞 ~footage~   作:北海銀
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「いやあああああああ」

 金切り声をあげながら詞は立ち上がった。可愛いくて大きな瞳をまん丸にひらいて、ハアハアと激しい息遣いをしていた。

「な、なに」

 教壇に立っていた高橋教諭は、詞の悲鳴に蹴飛ばされたまま硬直している。びっくりした表情で黒板に貼りついていた。三年A組の教室はシンと静まり返っている。

「え」

 詞は高橋教諭の驚愕した顔をまじまじと見つめて、それから周囲を見渡した。クラスの全員が自分を見ていることに大いに戸惑った。いったい、なにが起こっているのかわからず、頭の中にぽっかりと空白ができていた。山奥の廃屋に連れてこられ、暗闇の中で隼人と手を繋ぎ、小さな箱の中に入ろうとしている少女を見ていたのではなかったか。   

 隣の席の女子が、「絢辻さん寝ていたよ寝ていたよ」と必死になって言っていた。彼女は小声で話しているつもりだったが、まったくの静寂に包まれている教室では、意外と声が響いてしまい全員に聞こえてしまった。

 どっと笑いが起こった。

 生真面目な学級委員の絢辻詞が、こともあろうに授業中に寝てしまい、さらに夢をみて叫んでしまったのだ。こんな珍事は二度とない。ここは笑うところであるとばかりに爆笑の連鎖が止まらなかった。

「絢辻さん疲れていたんじゃないかな、はは。保健室で少し休んだ方がいいかもな」

 自分の授業に居眠りされたのにもかかわらず、担任は詞を気遣っていた。彼女を傷つけないように、できるだけ穏便にことを済まそうとしていた。

「はい、あのう、そのう、すみません。保健室に行ってきます」

 いまだクラス中の笑いは絶えなかった。とてもリアリティーのある夢であったので、その残響を引きずったままの詞は、恥ずかしいという感情があまりなかった。ただ、あの少女は箱に入りきったのかなとぼんやり考えながら歩いていた。

 夏休み明けで九月が始まったばかりだ。夏の余韻が十分に残っており、まだじりじりと暑い。保健室へと向かう詞も妙な汗をかいていた。

 

「さっきはどうしたんだよ、詞。すごい悲鳴だったぞ」

 放課後の化学準備室。隼人と詞は二人っきりの時を過ごしていた。もちろん、ドアにはカギがしっかりとかけられている。

「ほんと、どうしちゃったのかな。すごく現実感がある怖い夢を見ちゃった」

 詞は、自分がみた夢の一部始終を隼人に話した。あれが自分の無意識が創りだした虚構であるとは信じられず、いまだに釈然としない気分だった。

「昼めし食ってすぐだったから、眠気がさしたんだろうよ。でもその夢さあ、ホラーなんだけど、なんだかオチがないなあ。せめてその女の子が箱の中でどうなったか知りたかった」

「映画じゃないんだから、夢なんてそんなものでしょ」

 隼人がヘラヘラと軽い気持ちで話しているのが、詞には気に入らなかった。夢の中ではけっこう頼り甲斐があったのにと思っていた。

「あ、そうだ。いまここに高橋先生がきたら、それこそ夢のぶり返しだな」

「ヘンなこと言わないでよ。デジャブじゃないの」

 そう言った途端、廊下側のドアノブがガチャガチャと回った。

 夢の続きが始まるのではないかと詞は瞬時に凍りいた。だが、その部屋に入ろうとしているのは麻耶担任ではなかった。

「おい十文字、ここにいるんだろう」

 その遠慮のない声主は、輝日東高校の生徒なら誰でも知っている。

「高嶋先生」

「やばい、高嶋だ」

 二人が密会しているところを高嶋教諭に見つかるのは、非常に好ましくない事態だ。二人はお互いの顔を見て頷いた。

「十文字、ここを開けろ」

「え、あ、はい」

 詞は化学室との連絡ドアから、音もなくそうっと出ていった。彼女の姿が完全になくなってから、隼人がドアノブのカギを解除した。すると体格のよい高嶋教諭が蹴破るように入ってきた。入れ替わりに詞が化学室から廊下へと出て、何食わぬ顔してウロウロするのだった。

「高橋先生にきいたら、おまえがここの掃除をしてるって。それにしても、なんでカギなんてかけてたんだ。一人でヘンなことでもしてたのか」

「ち、違いますよ。ちょっと眠かったのでウトウトしていたんです。できればそのう、人に邪魔されたくなかったんで。ところで何か用ですか」

「そうそう、じつはおまえに頼みたいことがあるんだよ」

 高嶋教諭が、さも親し気に隼人の肩に腕を回した。これは何らかの凶事の前フリだと、たいていの生徒なら警戒する。

「十文字、おまえドラムをやってるよな」

「ま、まあ」

「かなりの腕前だったな」

 高嶋教諭は隼人がドラムをやっているのを前から知っていた。

「いや、それほどでも」

 廊下では、詞が化学準備室ドアの前で、いかにも不審者であるかのようにウロついていた。

「ほら、うちの学校、もうすぐ音楽祭だろう」

 この時期、輝日東高校には音楽祭という行事がある。創設祭ほど大規模ではないが、秋の名物行事として定着しているのだ。クラス対抗の合唱大会や吹奏楽部、軽音部などが日頃の成果を全校生徒に披露するほかに、アマチュアバンドの参加も認められていて、いやむしろ、そちらの方が生徒たちの間ではメインとなっており、この行事が人気の理由となっていた。

「今年は先生たちもな、バンドを組むつもりなんだよ。プログレをやるんだ」

「そういえば、先生はプログレにくわしいんですよね」

「プログレはいいぞ十文字、プログレは」

 プログレとは、プログレッシブ・ロックのことである。1960年代後半より、英国で人気となったロックのジャンルの一つであり、前衛的、先進的な試みを取り入れた音楽スタイルが特徴だ。隼人もよく知っているジャンルだが、なにぶん古いのでオヤジなロックであると定義している。ちなみに高嶋教諭はことあるごとにプログレを熱く語るので、生徒のみならず教師たちからもプログレ馬鹿として有名なのだ。

「そうですか」

「それでな、困ったことにドラムがいないんだよ。教師の中にドラムの経験者がいないんだ。そういう話をしていたら、高橋先生がおまえのドラムが上手いって推薦するんだよ。だったら、セッションしようと思ったわけだよ」

「いや、俺はそのう、なにかといそがしかったりするので、だれか他の生徒にしたほうがいいっす」

 教師たちのバンドに加わるのは是非とも避けたいと、隼人は思った。息がつまるし、練習は休日や放課後となるので、それでは詞と会う時間が制限されてしまうからだ。

「もう頼んださ。でも古臭いって断られたんだよ。プログレのどこが古臭いってな。失礼な話だぜ」

 はたしてプログレが原因なのか、高嶋教諭自身が断られたのかは判然としなかった。

「まあ、そういうわけだ、十文字。週末からさっそく練習に入るからな」

「ちょ、ちょっと待てくださいよ。俺、OKしたわけじゃないですよ」

「なあ十文字、おまえはあと半年ほどで卒業だ。なにかと俺にニラまれて高校最後の青春を過ごすのは、つらいだろう。たぶん、すごくつらいことになると思うなあ。よっぽどつらいことになるだろうなあ、うんうん」

 もはや恫喝である。

「わ、わかりました」

 隼人はしぶしぶ了承した。もし断ると、高嶋教諭というよりも、この話を彼にふった麻耶担任の顔を潰すことになる。おそらく、彼女は良かれと思って隼人を推薦したはずだからだ。

「ねえ、そこでなにやってんの。のぞき」

 ドアに耳をくっ付けて盗み聞きしていた詞は、いきなり後ろから声をかけられたので、反射的に直立不動の姿勢となった。ギーギーと錆びついた首を回すと、そこには冷めた目をした一年生女子がいた。十文字來未である。

「男の着替えでものぞいてんの。ヘンタイ男の彼女だから、やっぱヘンタイなんだ」

「べ、べつに怪しいことをしているわけじゃないよ、來未ちゃん」

「いや、存分に怪しいじゃん」

「ははは」

 愛想笑いで誤魔化す詞は、マズい相手に会ってしまったと思った。

 隼人がヘンタイ男として名を馳せた一時期、その妹である來未もそれなりの風評被害を受けた。兄妹そろってヘンタイなんだろうとの誹謗中傷を、來未の美少女っぷりに嫉妬する女子から言われたのだ。

 その美少女さと同じく気の強さも突きぬけていたので、すぐさま容赦のない反撃に撃って出て敵方を殲滅し、自身の名誉を守りぬいた來未であったが、争いの原因となった詞には恨みを抱いていた。

 もちろん、何ごとにもけじめをつけたがる詞は來未に謝ったのだが、一度刻み込まれた負の感情は、そう簡単には消し去れない。來未は詞に対し不信感を抱き続けているのだ。

「じゃあ頼むぞ、十文字」

 突然ドアが開いた。その前にいた詞が強く押し出されるまま來未に抱きつてしまった。

「お、なんだよ、美少女同士の恋愛か。先生、そういうのは嫌いじゃないが、学校のなかではマズいぞ。はっはっはっは」

 高嶋教諭は、いかにも気分がよさそうに行ってしまった。

 抱き合っていた詞と來未は、しばし見つめ合った後、弾かれたように離れた。

 



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