「達也さん、…何で?」少女が小さく呟く。
余裕がなさそうな牛山はそれには気づかず名刺を差し出して言った。
「トーラスシルバー社のCEOを務めさせていただいている牛山です。
そしてこちらが経理責任者の司波達也です。」
少女は名刺を見て少し考えてから言った。
「そうだった、達也さんは関係者だった。」
それを聞いた牛山が慌てて言った。
「えっ、お二人は知り合いだったんですか?」
「ああ深雪の同級生だ、九校戦にも一緒に出ていたんだが。」
「すみません、最近の九校戦だと飛行魔法の所しか見てませんでした。」
「牛山さんらしいですね、雫こちらトーラスシルバー社のCEOの牛山、元エンジニアだ。
CEO、こちら北山雫嬢だ、北方潮の娘と言った方が分かり易いと思う。」
「あ、あの大財閥の娘さんでしたか、失礼しやした!!」角度90度でお辞儀しながら牛山は言った。
「ん、気にしなくて良い、達也さんこの後の予定は?」
「ここで軽く食事をしてからお互いに紹介、それから会社の事、お願いする仕事内容なんかを軽く話す。
それからお茶会、客の立場だからお茶をたてる必要はないよ、懐紙や袱紗なんかは用意してある。
その後舞踏会、これもドレスなんかはレンタルできるし時間があるから自前の物でも良い。」
その時突然牛山がポケットを抑えて言った。
「すみません、電話がありました。」
そうしてレストランを出て行き少しして慌てた様子で戻った来て言った。
「御曹司、ちょっと外せない用事が出来ができやした。
申し訳ありやせんがここはお任せしても?」訛りが復活している牛山。
「牛山さん、こっちは良いですから用事を優先させてください。」真面目な表情で達也が言った。
申し訳なさそうに牛山はレストランから出て行った。
「すまん雫、牛山さんはこういう事に慣れていないんだ。」頭を下げる達也。
「良いよ、それより御曹司って?」くすくす笑いながら雫が言った。
「四葉との関係がバレた時にな。」やや憮然とした達也、思いついたように続ける。
「雫ならお茶会も舞踏会も必要ないか、実力は良く知っているからな。」
「どっちの意味かは分からないけど確かに要らないと思う。」
「そうか、では替わりに牛山さんに行ってもらおうか。」そう言って達也は牛山にメールをした。
二人で席について食事を楽しむ。
食事が終わりデザートが出てきた時点で歓談となる。
「所で雫はどこまで聞いているんだ?」
「母からは人に頼まれたって聞いてるよ。
営業をやってくれって、私もそろそろ会社経営を体験しろって。
でもそれだけ、会社名も今初めて知った。
達也さんはやっぱり・」
「そうだ、会社が独立する時に要請された、トーラスシルバーには元々エンジニアしかいなかったからな。」
「やっぱり、達也さんはシルバー社の重要なモニターだったから。」
この後簡単に会社の現状などを達也は雫に説明した。
最低限と思われる話をした後少しの沈黙があった。
「…雫、母上から話は聞いている、どういう積りなのか聞いても良いか?」達也は切り出した。
そう言われて雫はこの仕事を引き受けさせられた時の母との会話を思い出していた。
雫は紅音から自身の結婚について小言を言われ続けていた。
この時(もと言うべきか)雫は紅音の小言を聞き流していた。
実はこの話には重大な事が隠れていたのだが、その事に雫が気が付くのはもう少し先の事になる。
聞き流されている事に気が付いた紅音はタメ息を一つつくとやや語気を強めて言った。
「雫、聞いてる?」
「…え、うん聞いてるよ。」と少し慌てて返事を返した。
「…はぁー、全くこの子は…
まあ良いわ雫、貴女に仕事をお願いしたいのよ。」
「???」
「知り合いに頼まれたのよ、小さい所だけど営業責任者の代行をしてくれる人はいないか?って。
航がエンジニアになりたいらしいから、貴女には会社経営を勉強して欲しいのよ。」
「しなきゃダメ?」
「どこかの大学でMBA(経営学修士)を取るのでも良いわよ。」
「…他には?」
「他人と一緒に経営を学べる所が他にあれば良いけど。
魔法大学は就職までの中休みではなくなってしまったから、今の所はその二択ね。
もし雫が大学で別の事がしたいなら仕事を受けてもらうわよ。」
「…何のこと?」雫は不思議そうに聞いた。
「俺との婚約の件だ、協会経由で連絡があったと母上から話が有った。
いくら何でもいきなりすぎる、雫の母上が素直に賛成するとは思えないんだが。」
「…いきなりなのは達也さんの方だよ、婚約者候補を秘かに募集するなんて。
それに達也さんのCAD小通連は凄い売れ行きで、父は将来有望な事業だって大変乗り気だよ。
家の魔工技師も達也さんの省エネチューニングにはかなわないって言ってた。」微妙に目をそらして雫は言った。
そう言えば母と達也さんは仲が悪かった、と今更ながら雫は思っていた。
「…雫、ほのかの為ではないんだな?
雫も判っているだろうが今のほのかでは全く足りていない、このままでは文字通り死ぬだけだ。
ほのかの親友を名乗っているのなら諦めさせるのが正しい道なんじゃないのか。」
やっぱり達也さんもそう思っていた、と雫は感じたがきっぱりとした口調で言い切った。
「違うよ、今度の事はほのかとは別。
達也さんは婚約者候補の一人、母もそれで納得している。」
咄嗟に雫は嘘をついた、
この時達也は深雪との事があり雫のウソを見抜くことが出来なかった。
「分かったよ雫、今から俺も雫の事を婚約者の一人として扱おう。
母上からもそうお願いされているしな。」
この後家に帰るまで雫は文字通り夢のような時間を過ごした。
雫は深雪の思いを知っているつもりだった、だがつもりでしかなかったと思い知らされた。
とにかく心地いい、痒い所に手が届くと言う表現があるがそんな生易しいレベルではない心地よさだ。
雫は言うまでもなく大財閥の娘だ、今まで超一流の接待など数え切れないほど受けてきた。
それをしてもなお、いやそれを知っているからこそかもしれないが破格であり雫の心をつかんで離さなかった。
雫は真由美の様な感性を持ち合わせていない。
自分のすべてをのぞかれているような不気味さは感じていない。
ただただひたすら心地いいだけだった。
そんな夢の時間もいつまでも続かない、終わりの時は訪れてしまうのだ。
達也はその言葉通り雫を婚約者として扱った。
それは結局深雪と同列に扱うという事であり、そしてそれは結果的に達也の心の隙間をほんの少し埋めたのだった。
北山邸の門をくぐり玄関前のエントランスで雫と二人で降り立つ。
運転手兼ボディガードの黒沢嬢から駅まで送りましょうかと誘われたが断った。
この後会社に戻って牛山さんに報告する必要があるからだ。
このあたりなら車はすぐに拾えるらしいから黒沢嬢にはガレージに行ってもらった。
雫の様子がおかしい、まるで夢の中にでもいる様だ。
「雫、どうした?」達也は思わず声をかけた。
まるで夢から覚めるようにゆっくりと達也を見る。
「…達也さん?」そう言ってゆっくりとあたりを見回す。
そして雫は肩を落としゆっくりと達也を見つめてくる。
それを見た達也は思わず雫の頭をなでていた。
雫の切なそうな表情が深雪と重なったからだが、今回は歯止めがきかなかった。
この時実際の時間はそう長くはなかったが確かに達也は雫の頭を撫でていた。
「すまん、嫌じゃ無かったか?」達也は雫の頭からゆっくり手を放して言った。
雫はふるふると首を振って言った。
「嫌じゃなかったよ。」
そして雫は頬を淡く染めて達也を見つめて言葉を足した。
「もし達也さんが嫌じゃなかったらもっとしても良いよ。」
その言葉に達也は再び雫の頭を撫でた、今度は少し強く。
この状況は達也に妹を強く起想させた。
雫は深雪と髪の毛の質が似ていて感触も近い。
(ちなみに両者はシャンプーなども同じものを使っている。
友達になった時に雫の使っていた物に深雪が合わせた形だ。)
理由はあえて書かないが深雪より撫でやすい事も影響しているかもしれない。
雫は頬を染めて達也を見上げている、暫くそうしていたが門の所へ車が来たようだ。
ゆっくりと達也は雫の頭から手を放して言った。
「雫、また今度。」そう言って達也は出て行った。
そしてこの日の夜遅く、達也はエレメンタルサイトで深雪を見る事をやめたのだった。