「お兄様、お兄様?」
その言葉に向かいに座っている達也はハッとしビクッと体を震わせた。
「お兄様、聞いていましたか?」少し怒って言う美輪。
エレメンタルサイトで深雪を見る事をやめてから達也はほとんど寝ていなかった。
元々眠りが浅く時間も短かった達也だが、流石に不安の中何日もの徹夜はこたえる様だった。
美輪は達也の後ろに回り込んで首に抱きついて耳元でささやいた。
「お兄様、私とお話ししているのにその態度。
お仕置きです。」
そして離れると美輪は肩や背中を可愛らしくたたいた。
この時達也の心に通常ならあり得ない事が起きたのだった。
美輪の『お兄様』、そっくりではあるが達也が決して間違えないはずのそれを混同したのだ。
深雪本人からはもう呼ばれない、妹より結婚相手そんな状況になった。
深雪よりもある意味妹っぽい美輪のそっくりな声。
狂おしく『妹の』深雪を求める心、それと達也の睡眠不足など様々な要因が重なった事だ。
達也の心の中の何かが変わった、それは苦しい坂道でギアを一段変更したかのようだ。
それ自体は小さな変化、だがこの時確実に達也の心が変化したのだった。
代償行為、禁煙者が口寂しさに飴を舐めるような行為だ。
「美輪様、そろそろ」とキョウコが仲裁に入った。
「未だダメです、お兄様はまた反省していませんから。」と言いながら手を止め何かを考えている美輪。
「ではこうしましょう。」そう言って美輪は達也の太ももに座った、いわゆる人間椅子だ。
キョウコはその様子に困ったような顔をして達也を見た、だが達也は平然としている。
「どうですかお兄様、これなら私を無視できないでしょう?」
美輪の声を聴き少し余裕の出た達也はやや苦笑しながら言った。
「仕方ないな、後一時間位で睡眠の時間だ、そこまでは我慢しようか。」
美輪は筋力トレーニングと早寝を体力回復の手段として行っているため早く寝る。
流石にこの状況では意識を飛ばすことは無かった。
「美輪、そろそろ寝る時間だ。」遂に達也が言った。
美輪は不満そうにしていたが達也の態度に変化がないためあきらめたように言った。
「ではお兄様、寝室まで運んでくれますか?」
「良いとも。」達也は美輪を運ぼうとしたが美輪がそれをさえぎって言った。
「お兄様、少々お待ちください。」そして部屋へ駆けて行った。
暫くして美輪が寝間着に着替えて戻って来た。
美輪の寝間着は脛までの丈の薄い緑のネグリジェだった、透けるように薄そうだが実際に透けている訳では無い。
美輪が着ると少し大人な感じになる一品だ。
美輪は治療でやっている様に達也に抱きつき首に手を回してきた。
達也はいつも通りお姫様抱っこで美輪を抱え上げる。
そして達也は後ろに控えているキョウコに一声かけようと振り返ろうとした。
「キョウコ・」名前を呼んだ中途半端な所で達也は止まった。
何故か、それは美輪が達也の頬にキスをしてきたからだ。
そして「私を見て、今は私だけを。」美輪は達也の耳元でささやいたのだ。
お蔭で達也は響子をろくに見ることはなかったが何も言われなかったので、そのままお姫様抱っこで寝室へ。
ただ達也は10分もしないうちに達也は寝室から出てきた。
キョウコさんはトイレにいるようなのでそのまま家から出て行った。
藤林響子はこの状況に未だに困惑していた、事態の急展開についていけていなかったのだ。
部隊から追い出される、自身の結婚問題で。
お爺様が失脚されて藤林家が後ろ盾を失った。
そこで父は一人娘を他の十師族と結婚させて新たな後ろ盾を得ようとしているらしい。
そうなれば十師族への対抗として創設された部隊に居られる訳がない。
それといつの間にか部隊は最前線に立つ事になっている。
一人娘をそんな危険な所においておけないと言うのも理解はできる。
そして与えられたのが少女の警護プラスαだ。
病気がちの大物の娘、ありがちな話。
病気で死ぬところを助けられ恋に落ちる、物語では定番だ。
このまでの流れは仕方が無い、だが問題は彼女の相手、達也君だ。
達也君の事は話せない事が多数ある、幸いなことに美輪さんはそのあたりの事はあまり聞いてこない。
その代わり達也君の好きな事とか男女のお付き合いの具体的な内容の相談をされるので返事に困るのだが。
そう響子にしては珍しい事に任務に対して積極的ではないのだった。
その原因はあの日盗み聞いた真田の言葉、『達也君が私の理想の結婚相手』だ。
今までは深雪さんをからかう意味でそう言う事を匂わせる事は有ったが、もちろん本気ではなかった。
出会った頃は彼はまだ中学生、大人びてはいたが私の意識ではまだ子供だった。
その後彼の境遇や能力を知った、その内容は結婚相手として考える範囲を超えていた。
だが月日が経ちいつの間にか彼は大人になっていた、私が気付かぬうちに。
今彼に会うと妙に気恥しい、部隊を離れ内勤に回されると決まった時にもう会うことは無いだろうと思っていたから余計だ。
衝撃の再会から三日に一度ぐらいのペースで達也君と美輪さんは夕食を共にしている。
私の勤務は昼過ぎから夜までなので彼が帰り、そして美輪さんが寝た後にマンションを出て帰宅するのが日課だ。
彼と一緒に玄関を出ても良いのだが、妙に気恥しいのでわざと時間をずらしているのだ。
今日もそんな気恥しさの中で達也君に背を向けて作業をしていたのだが、珍しく美輪さんが怒っている。
話を聞くと達也君には珍しく美輪さんの話を聞いていなかったらしい。
美輪さんが可愛らしく達也君の背中を叩いているが流石にたたき過ぎだろう。
やんわりと注意すると今度は達也君を椅子代わりに座ってしまった。
このやり取りに少しイラっとする。
このあと二人で仲良くおしゃべりをしていたがそろそろ美輪が寝る時間らしい。
そろそろ今日の仕事も終わりだと気を抜いた時にそれは来た。
薄い緑のネグリジェ、お姫様抱っこで寝室へ。
衝撃の光景に響子はフリーズする。
……
…
なぜこの光景に響子は衝撃を受けたのだろうか。
それは美輪が着ていたネグリジェに秘密があるのだ。
このネグリジェは響子が五年前に新婚旅行用にチョイスした品だった。
美輪との雑談で勝負服の話になった時に思わず口にした物だった。
美輪は律義にそれを注文し入手したのだろう。
お姫様抱っこしそして達也は『響子』と呼んだ、響子には確かにそう聞こえた。
そして響子の中では美輪の姿と自分を入れ替えてしまう。
透けるような薄いそして膝が見える深窓の令嬢たる響子には大胆な衣装だ。
(身長の関係で美輪だと普通の長さです。)
五年前の事件が無ければあったかもしれない光景、そして相手は今理想の達也君。
フリーズから解けた響子はトイレに駆け込んだ、そこはこの家の中で唯一一人になれる所だったから。
達也が帰ってからどのぐらいたったのだろうか、キョウコはそっと美和の寝室をのぞいた。
美輪はまだ起きている様だった、実際はそんなに時間が経っていなかったのだろう。
「キョウコさん、失敗しちゃいました。」と美輪は可愛く言った。
「えっ。」
「今日はお兄様のガードが緩そうだったので仕掛けましたがダメでした。
キョウコさん、もっと大胆に行った方が良かったでしょうか?
また相談にのってくださいね、おやすみなさい。」美輪はそう言って部屋の電気を消した。
その後キョウコは無言で帰宅する事になった、ただ雰囲気は非常に重かったが。
キョウコと響子の使い分けは美輪の家政婦の場合はキョウコ(源氏名)、それ以外は響子としています。
これは違うと言う場合は脳内変換でよろしくお願いします。