「まいったなー、予想してたけどまさかこれほどとは。」
文弥は横浜駅近くのビルの陰で人を避けながらため息とともに呟いた。
駅を出てからここに逃げ込むまで人々の視線に息つく暇もなかった。
こんな事態になった真夜の思いつきを恨めしくまたそれに乗っかった配下に文句を言いたいと思った。
「貢さんには話を通しておきます。この件はあなたが専属でお願いしますね。」
真夜は女装した文弥をじっと見つめてから言った。
「今まで気づかなかったけど、本当に少し深雪さんに似てるのね。
親戚なんだから当たり前なのかもしれないけれど。
…文弥さん、次から達也さんに会う時は深雪さんに化けなさい。」
「はい???」文弥は不思議そうに首を傾げた。
「文弥さん、深雪さんのコスプレをして達也さんに接触しなさい。
それで深雪さんが我慢できずに達也さんに会ってしまった時のカモフラージュになるでしょう。
深雪さんの熱心なファンとして達也さんに接触すれば、それ程違和感はない筈よ。」
「で、ですがとても深雪姉さんに化ける事は出来ませんが。」うろたえながら文弥が言った。
「出来るだけで構いません、むしろそのほうが良いんですよ。
あくまでカモフラージュですから。
その替わり頻繁に達也さんと接触するように。
達也さんの近くに深雪さんに似た存在がいるとしっかり印象付けてくださいね。」
がっくりとうなだれて文弥は了承した。
通信が終了して真夜がつぶやく。
「これでもしまた二人が会っていても誤魔化せるでしょう。」
「ですが奥様、達也様がそれで満足されてしまうのではありませんか?」と葉山。
「それは無いわ、達也さんにはあの目があります。
何物にも誤魔化されないあの目が。
メイク程度では誤魔化されはしないわ。
むしろ似た人に会う事でより喪失感が増すでしょうね。
しばらく達也さんの監視は文弥さんに任せます。
問題が無ければこちらに連絡させない様に、今は四葉が表立って達也さんに干渉するのは避けるべきですから。」
葉山は黙ってお辞儀をした。
その後がさらに大変だった、黒羽邸へ帰った文弥を待っていたのは『鬼』だった。
「お待ちしておりました文弥様、ご当主様から話は伺っております。
我々にお任せ下されは必ずや『ヤミ』様を深雪様にしてご覧にいれます。」と言い放った。
それから文弥はメイク練習用のマネキンになった、ソフトウエアーのアシストも受けてさんざん弄り回されたのだった。
優に一週間以上の時間をかけて遂に黒羽の技術の結晶が誕生したのだった。
文弥はキャビネット内でメイクの最終調整をして横浜駅に着いた。
駅を出るなりすさまじい視線の嵐を受けた、そしてお約束であるナンパ野郎の来襲を受けた。
もちろんヤミとしての活動でナンパなど当たり前なのだが今回来たのは質が違う。
ヤミの時は付き合ってくださいのいわば普通のナンパだが、今回はプロデューサーなどの勧誘だ。
しつこさは通常の比ではなくヤミでも対処が難しかった。
とりあえず安全な場所に逃げ込んで安心したのだろう、真夜との会話を思いだしてしまった。
それが油断に繋がったのだろう、突然後ろから抱きしめられて口をふさがれた。
文弥は体を強張らせてしまったと思った。
達也は真夜からある場所に行くように指示された。
ただ指示はそれだけだった、誰が来るのか何の目的なのかはその指示には無かった。
キャビネットの運行の関係で少し遅れた達也は相手を探すことにした。
恐らく相手は知っている人物だろう、相手が知っている可能性があるが、こっちが知らない相手の話が信用できるはずがないからだ。
見つけた恐らくこれだろう、また東雲さんだろうか、と当初は考えていたがどうやら違うらしい。
エレメンタルサイトで見ているのだが様子が少しおかしい、あっちへフラフラこっちへフラフラしている。
おまけに情緒が不安定になっている様だ、何かされたのかも知れない。
幸い人目に付かなそうな所に移動した、捕まえて事情を確認すればいい。
相手の状態が不明だからとりあえず拘束してから声をかける。
相手が体の力を抜くのを確認して拘束を解く。
相手が振り返った時、達也は驚きを隠せなかった。
「文弥、俺だ、達也だ。」耳元でささやかれた言葉に文弥は安堵で体の力を抜きた。
「脅かさないでくださいよ、達也兄さん。」文弥は達也から目をそらしながら言った。
文弥は慌てた様子が恥ずかしかったのだが、そのしぐさは恥じらう乙女そのものだった。
達也は文弥の声としぐさで我に返った、それは深雪と異なっていたから。
「文弥、いや今はヤミか。
その恰好はどうした、何故ここにいる?」
「ヤミでお願いします。
詳しい話はここではちょっと。」とヤミは言い外れの雑居ビルの名前を出した。
それを聞いた達也が表通りへ歩き出そうとする。
「達也兄さん、人通りが多い所はちょっと…」ヤミは達也の腕を掴んでいった。
「大丈夫だ。」と達也は言いそのまま表通りへ。
腕を掴んだままのヤミもつられて表通りへ出てしまう。
「あれっ?」ヤミは表通りに出て声を上げた。
視線の圧力が随分小さい、ナンパと言うかスカウトもほとんどない。
理由は明白だ、達也兄さんが盾となって守ってくれているのだ。
やがて目的の雑居ビルに着いた、ヤミは階段を上がり3階の奥の喫茶店に向かった。
店に入った達也はいつも通り入り口が見える場所に座った、ヤミはその向かいだ。
「ここならお話しできます。」と言ってヤミは経緯を語りだした。
どうやらここは黒羽の息が掛かっているらしい。
姿は深雪だが深雪ではない、目から入る情報との齟齬に達也は違和感をぬぐえないでいた。
真由美は実家からの緊急メールに驚いた。
慌てて実家に電話を掛ける。
「真由美お嬢様、緊急事態でございます。司波深雪が横浜に出現いたしました。」七草家執事が告げた。
「出現って、そんな怪獣じゃないんだから。…、深雪さんは今は金沢にいるんじゃないの?」
「かの者の能力はそれに匹敵しますぞ。」
そう言えば深雪さんは二年前の今頃、一校を氷河期にするところだった、と思いだした。
「…で、その情報は確かなのね?」
「街頭の監視カメラの情報です、行動認証でも一致しています。
今は達也様とご一緒されているようでございます。」
「達也君には様付けなのね。でもいとこ同士なんだから一緒にいても良いんじゃないの?」
「達也様は真由美様の婚約者で有られますから、当然でございます。
師族会議の協定により達也様とかの者は不必要な接触を規制されています。
もしそれを破ったとすれば真由美お嬢様に大きなアドバンテージが得られます。
司波深雪はかなりの強敵でございます、出来る事は何でも利用しませんと。」
「そ、そうね。」真由美は父が本気なのだと改めて思い知った。
迎えに来たハイヤーに乗り込み現場に向かう。
現場はビルの中の喫茶店のようだった。
マルチスコープで少しだけ中を覗く。
立地は悪いらしくあまりお客は入っていない様なので直ぐに達也を見つけた。
だが真由美は乗り込む前に躊躇する羽目に。
どんな態度で会えば良いのか分からなかったためだ。
七草家としては浮気現場に乗り込む妻の態度を期待されているんだろう。
達也君の前には確かに深雪さんらしい人がいるのは確認できているが詳しい事は分からない。
マルチスコープでの詳しい確認はマナー違反だと思うし、乗り込んで会えばはっきりするはずだから。
真由美にとっては珍しい事だがさんざん躊躇した後、結局七草家の立場をとることにした。
「女は度胸」と愛嬌を度外視してつぶやき現場に乗り込んだ。
こうして真由美は氷河期にしてしまう相手に対し史上最大の作戦を決行する事になった。
「では改めて聞こう、その恰好は何だ。」
再び達也は文弥を凝視する、その視線に文弥は心臓の鼓動が早くなる。
「ご当主の真夜様からの直接の命令です。
ですからうちの皆がはりきっちゃって。」声をやや上ずらせて文弥は言った。
それを聞いて達也は考え込んだ。
文弥は心臓の動機を抑えるかのように話をつづけた。
文弥の変装が真夜のいたずらだけではなくちゃんとした理由があった事を知った。
佐渡で深雪と会ったことはやはり問題だった、と達也は改めて知ったのだった。
待っている間に乱入者が現れる、真夜の懸念が実現した格好だ。
店員の『おひとりさまですか』の声を無視して真由美は達也の横に強引に座り言った。
「あら達也君、こんな所で奇遇ね。」真由美はなぜか達也だけを見ていた。
「それはこちらのセリフですよ、真由美さん。」
真由美と呼ばれて機嫌が良くなったのか初めて達也の相手を見る。
そして疑問に思い言った。
「深雪さん?」
「シバミユキです。七草真由美さん。」やや低めの声で答えが返ってきた。
顔はそっくりなのに声は明らかに違う。真由美は混乱して聞き返した。
「えーと、どちら様ですか?」
「ですからシバミユキです。一校の元生徒会長の七草真由美さん。」同じ答えが返ってきた。
真由美は隣の達也に腕を絡めて言い放った。
「そう私は七草真由美、達也君の婚約者よ。」
「そんな話は聞いていません、達也兄さんの婚約者は司波深雪のはずです。」
いきなり着て達也になれなれしく腕を絡めた真由美に少々頭に来た文弥が言い返した。
この時点では真由美が婚約者の一人だと言う情報は殆ど広まっていません。
このやり取りは達也にはおなじみの物だった、真由美が達也にちょっかいをかけ深雪が怒る。
二年前の日常だった、妹と引き離される前のある意味幸せの記憶だ。
真由美は達也を振り返り『何事?』とプレッシャ-ををかける。
「俺も今事情を聴いていたところです。
どうやら深雪の大ファンで、深雪になりきっているみたいですね。」簡潔に達也が言った。
「え、でも行動認証でも一致してるって…」
「ああ、それはこれですね。」と言って腕をまくった。
そこには見慣れた物が貼ってあった、EMSシートだ。
「でも特定個人を真似るのはかなりの負担が有るんじゃ」
「訓練して慣れました、半日ぐらいなら何とか。」
ここで少し解説を
この時代は幼児期に効率的な運動を訓練しています。
歯科矯正を考えれば良いかも、ただあれほど長時間ではありません、節目ごとに一週間程度で小脳は覚えます。
ですから立って歩くなどの基本行動は個人のディープラーニングに任せてはいません。
具体的には幼少期に運動補助ロボットを付ける、または筋肉を直接刺激して小脳に記憶させる方法が一般的です。
これは歩行などの動きが肩こり腰痛をはじめいろいろな病気の原因である事が広く認知された事と、
軍事教練(行軍、射撃など)での有効性が認知され活用されて、戦後機材が非常に安価で提供されたことが影響しています。
このためこの時代の人は100年前に比べて驚くほど行動に個性が無いのが普通です。
なので少し無理をすれば他人の行動を真似する事が可能になっています。
これが発覚してからは行動認証は使用が限定的になっています。
真由美は深雪のファンと言う事で途端に歯切れが悪くなった、もちろん妹の泉美の件が有るからだ。
「そう…」真由美はそう言って落ち込んだ。
その様子を見て達也は珍しく少し慌てて言った。
「詳しい事情は俺が聞いておきますよ。気になるなら帰ったら話をしても良い。」
達也と相手の少女を交互に見比べながらさらに落ち込んだ様子で言った。
「そうね、あとで聞かせてね。」ぽつりと言い残して真由美は去って行った。
残された二人は顔を見合わせていた、この時達也の心にある変化が起こった。
本来なら文弥の変装に誤魔化されることは無いのだが今は事情が違う。
姉とも妹とも認識し始めている真由美の落ち込んだ様子は達也の感情を激しく揺さぶることになった。
そして今達也は『妹としての深雪』に飢えている。
メイクした文弥を深雪と少しだけ誤認し始めていた。
「達也兄さん、真夜様の考え通りやはり監視されていましたね。これからどうします?」
達也は文弥を見つめたまま何も言わない。
「達也兄さん?」見つめられることに耐えきれず文弥がささやいた。
その言葉に我に返ったように達也が言った。
「そうだな、叔母上の仰る通り頻繁に会う必要がありそうだな。」
「では僕も頑張ります。」顔をやや紅潮させて文弥が言った。
「大変だろうと思うがよろしく頼む。」
「いえ達也さんにはいろいろお世話になってますから。」満面の笑みで文弥は言った。
この後しばらく文弥を深雪としてエスコートしてから別れた。
文弥はその間終始浮かれっぱなしだったが。
真由美は事の顛末を執事に報告して戻って来た。
受付に達也への伝言を頼んで部屋に入った。
「深雪さん…」そう呟いてベットに倒れこむ。
あそこにいたのは深雪さんの偽物だった。
だけど非常に似ていた。深雪さん……
私より背が高く、美人で成績も良い、達也君の傍に居てとても似合っている。
深雪さんの替わりにあそこに立てるんだろうか?
そんな事を延々と考えていた。
「真由美さんお待たせしました、報告です。」達也が言った。
「そう。」落ち込んだままの真由美。
「やはり深雪のファンの様です。
好きが極まってなりきっているみたいですね。」
その言葉に真由美は泉美を思い浮かべ少し顔をゆがめた。
「そう、で、達也君はこの彼女とどう付き合う積りなのかしら?」少し凄みを聞かせて言った。
「個人情報の代わりに時々付き合えと要求されましたよ。
ですが『深雪と同じ』扱いにしろという事なんで、『妹』として扱う積りです。」深雪と同じと言う所と妹を強調して答えた。
「そう、ならもう良いわ。」真由美は気だるげに答えた。
ついに四人目の娘が登場しました。
深雪とそっくりな外形の文弥(視覚)
深雪を思わせる声の美輪、(聴覚)
深雪の雰囲気(香り?)を漂わせる真由美、(嗅覚)
撫でる感触がそっくりの雫、(触覚)
達也の姉妹っぽい四人の娘が、妹を求める達也を癒してくれる。
四感全てがそろった事で真夜の呪縛から逃れることが出来たのだった。
(達也は未だ深雪を食べてはいません、食人じゃないよ。)
最後の一押しが真夜自身の策だったのは皮肉な事だ。
本来なら深雪と離れる事になれば達也は自壊する、はずだった。
四葉美夜は達也の制御装置の深雪と離れる事が無いようにそう設定した。
だがこの四人がその達也の呪縛を解く鍵になったのだ。
旧作ではこのあたリが分かりずらい言われました、特に真由美。
あんなにあとがきで匂いの事を書いたのにこれも反則だと…
念の為に書いておきましたが皆さん分かってくれていましたよね!