防衛大学校の劣等生   作:諸々

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00-82 忘年会

北山雫は鏡の前で一人つぶやいている。

最近達也に会う前には必ず行っている物だ。

 

北山雫は嘘をついている、ほのかに。

ほのかに達也との事を話していない。

話すタイミングが無かった事もあるし、父から止められたのだ。

猶予が有ると分かるとほのかのヤル気がそがれかねないと言ったのだ。

死にものぐるいでやってもギリギリの時間しかない、たとえわずかでも緩めることは出来ないのだ。

 

北山雫は嘘をついている、紅音に。

両親に達也がトーラスシルバー社の重役だという事を。

特に母の紅音は達也の事を良く思っていない。

雫は今トーラスシルバー社から手を引く訳にはいかなかった。

 

雫は自分の口下手、いったん考えてから話すのを逆手に取られた相手にその後会いに行った。

商談を終えて懇親会の様な状態になっている、ソフトアルコール片手に相手はリラックスしている様だ。

「……」

「北山雫嬢、先ほどは譲歩いただきありがとうございます。」

これは達也が間に入って少しの譲歩に止めてくれたのだったが。

「どうして?」

「これは異なことを、大財閥の北山潮のご令嬢とは思えないお言葉。

私が何か法律に違反した行いをしてしまったのでしょうか?」

「いいえ」

「交渉とは戦いです、ビジネスとはそういう物でしょう。

それとも北山家では違うのですかね。」

この相手の言葉に雫は怒りを覚えた。

「ではその様に両親に伝えましょうか?」雫には珍しく棘のある口調で言い放った。

雫は親に告げ口すると言う禁じ手に出ると言ったのだ。

「ええ、紅音様に宜しくお伝えください。」だが相手はそれに動じずに答えた。

この時雫はこの相手が苦手で嫌いになった。

 

この後苛立ちを抱えたまま帰宅した雫は母の紅音に会った。

腹立ちを抑えきれずに紅音に事の顛末を語った。

紅音は愚痴の様な雫の話を意外な事に真面目に聞いていた。

その様子に雫は調子に乗り紅音に聞かれるまま相手の所属と名前を話してしまう。

ぶちまけてすっきりした雫に紅音は聞いた。

「最後にもう一度確認ね、相手は法律に違反した行為はしていないわよね。」

「うん。」相手と同じ事を聞いてきた事に雫は首を傾げる。

「じゃあ雫の婚約者が一人決まったわね。」

「…えっ?」紅音の思わぬ言葉に雫は聞き返した。

「この仕事をお願いする時に言ったじゃないの、雫の婚約者を決めるって。

北山家から雫の婚約者への条件はビジネスで貴女に勝つ人よ。

航はエンジニアになりたいようだし、雫とパートナーが北山家を継いでほしいの。

その為にはパートナーは雫よりビジネスに長けた人が望ましいのよ。

こんなに早く決まったのは少々計算外だったけどね。」

「えっ!」雫は紅音のその言葉に頭が真っ白になった。

「一人決まったから仕事は大変ならもう良いわよ。

あの会社の営業は別の人を当てるから。」

「でもあの人は卑怯な手を使ったんだよ。」雫は抵抗を試みた。

「法律に違反した訳では無いんでしょ?

ならビジネスとしては有り、むしろこの短期間で雫の事を調べて弱点を突いたのは大いに評価できるわ。

で、どうするの雫、大変なら仕事をやめる?」

「辞めたらどうするの?」

「今は婚約者の一人としてお披露目、ほのかちゃんの準備が整い次第その彼と貴女の結婚を考えているわ。」

「そんな、急すぎる!」

「ほのかちゃんの準備にはまだ2~3年かかるわ、それだけあれば十分でしょう?」

「達也さんは?」

「彼はダミーでしょ、前にも言ったけど彼だけ婚約者候補という訳にはいかないのよ。

候補が一人なら普通はそのまま結婚でしょう、それは北山家としては認めるわけにはいかないわよ。

で、どうするの?」

「じゃあ相手が妙に突っかかってくるのってお母さんの仕業?」

「ええ、有力な家にはこの情報を流しているわ、貴女に勝てば婚約者候補だって。」

雫は苦虫をかみつぶした表情で何かを考えていた。

「まだやる、負けたままでは終われないよ。」

自分の弱点を躊躇い無く突いてきた彼と結婚は雫は嫌だったのだ。、

「そう、じゃあ通達はそのままね。」

雫は母が達也を嫌っていると改めて思い知らされた。

トーラスシルバー社に達也さんがいる事は秘密にしないといけない、雫はこの時そう思った。

少なくとも他に良い人が見つかるまで仕事を続けないとあの嫌な人と結婚させられる。

「達也さん。」雫はこの時唯一庇ってくれた達也の名前をつぶやいた。

 

北山雫は嘘をついている、達也に。

 

達也は雫に負い目を持っていた。

楽勝だと思っていた会社の仕事、ふたを開けたらとんでもなく困難だった。

日本屈指の大財閥令嬢の雫でもこの困難さ。

替わりの人材の目途は全く立っていなかった。

達也は雫に辞めると言われない様に仕事をフォロー、そしてアフターは精一杯もてなそうと決めていた。

 

そして少し早いトーラスシルバー社の忘年会、牛山は忙しいとの事で欠席だ。

「お疲れ様雫、質素だが感謝を込めてこの会を開いた、来年もよろしく。」

「達也さんもお疲れさま。」と雫ははにかみながら言った。

雫は知っている、仕事が大変なのは自分の所為だと、だがそれを達也に言うことは出来ない。

今それを言うとほのかの事は潰えてしまう、そして自分はあの嫌な男と結婚させられてしまう。

あれから婚約者になりたい相手は手を変え品を変え雫の弱点を突いてきた。

その都度達也が間に入りことごとく押し返してくれた、頼りになる兄の様に。

いつしか雫は達也に依存するようになっていた。

「達也さんこれ。」雫は話題を変えるため小さな装置を取り出した。

「完成したのか、それで売上はどうだ?」

「クリスマスプレゼント用の第一弾は完売、今第二弾の予約が殺到してる。

達也さんへの報酬はいつも通り、期待して良い。」

「他社の動向は?」

「タイミングが達也さんの言う通り最適、他社はまだ準備中。

個人用の暖房CAD、効率や使いやすさは小通連の様に他社の追従を許さない。」

小通連に次ぐ一般用CAD第二弾、個人用エアコンと言うべき物だ。

前に喫茶店で雫が見せた魔法が元になっている。

布や服で随分改善されているが、寒いものは寒いし暑いものは暑い。

それにファッションの関係で気候を考慮できない場合は必ずあるから。

「雫に期待に応えられたかな。」

「完璧、それと夏に向けて紫外線対策を盛り込めないかと父が言ってた。」

雫は父親の真似をして言いぺこりと頭を下げた。

「それじゃあ会社の来年の発展を祈って、乾杯。」

「乾杯」ソフトアルコールで二人は乾杯する。

この時代、アルコール摂取は段階的に解禁になっています。

二十歳までは1%でも駄目だが、一日でも過ぎれば100%でもOKは乱暴すぎるという意見があったためだ。

パッチテストの後18歳からは10%未満程度の物はOKになっている。

古都内乱編で大学一年(18~9才)の真由美がアルコール入りのカクテルを飲んでいるはこのため。

この後達也の全力のおもてなしに雫は何時もの様に夢見心地を味わう。

達也との付き合い以外では得られない極上の心地よさ。

雫は己のついた嘘の重み、北山家長子の重圧をこの時だけは忘れることが出来たのだった。

 

日付が変わる前、雫の家の玄関前で達也は雫の頭をやさしく撫でている。

あれ以来別れの時には恒例行事になっているのだ。

やがて12時5分前、いつものように達也は去って行った。

シンデレラの様に12時を過ぎれはこの夢は覚めるよ、と言っている様に。

 

 

雫は嘘をついている。

達也と別れた後、玄関をくぐるのは何時も12時を過ぎてからだ。

 

そして今日も雫は鏡の前でひとりつぶやいている。

「達也さんに会うのはほのかの為。

達也さんに会うのはほのかの為。

達也さん…」

まるで言い聞かせるように繰り返し呟いている。

 

 

 

 

 

そしてこの頃、藤林響子の下に一通の手紙が届いた。

響子の身に更なる激動を告げる、その手紙が。

 


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