「確か、この辺りに……」
ベルゼビュートが足元を確認しながら足踏みを何度かすると、微かな音と共に床が沈み込み、壁面の一部が音を立てながら開いていく。
「なるほど……。これでは、わからなくても仕方ないですね」
「うむ、そうだろう」
「だが、それで三年も閉じ込められるとは、間抜けな話だな」
「…………」
タルタロスの嫌味な言葉に黙りこむベルゼビュート。事実であるため、言い返そうにも言い返せない。ラヴィニスがキッとタルタロスをにらみつけて、慌てたようにフォローする。
「そ、それでも、三年もこのような場所を生き延びるなんて、スゴイですね」
「……ああ。ありがとう、ラヴィニス。では、先へ急ごう」
隠し扉の通路を歩き始めるベルゼビュート、その背中を追いかけるラヴィニス。タルタロスは、そんな二人の様子をじっと眺めながら、二人の後を追って歩き始めた。
相変わらず湿ったカビ臭い空気が蔓延する暗い通路を、ベルゼビュートは迷う素振りもみせずに歩いていく。しばらく無言で歩く一行だったが、ラヴィニスが不意に口を開いた。
「……これから先、どうしましょうか」
「そうだな……。まずは地上に出て、本当に過去に戻ったのか、戻ったのなら今はいつ頃なのか、確認しなければなるまい」
「な、なんだかベル殿は、こういった状況に慣れているようなのですね」
「……そうか? ラヴィニスは、そういった時を逆行するような物語を見聞きした事はないのか?」
「時を……ですか? そうですね、時を操るのは暗黒神の仕業とされていますし、あまりそのような邪法……すみません。魔法を全面に出す物語は、あいにく……」
ラヴィニスが考えこんでいると、後ろを歩いているタルタロスも会話に入ってきた。
「まるで貴様はそういった物語を知っている口ぶりだな。記憶喪失ではなかったのか?」
「む……そうだな。確かにそのはずだが、そういった物語の記憶があるようだ」
「ほう……。興味深いな。それで、その物語ではどのような事が起こる? 参考程度にはなるだろう」
「……時をさかのぼるといっても、色々なパターンがある。一つは――――」
そう言って、地球において見聞きした時間逆行の小説や漫画の知識を元に説明をするベルゼビュート。それらは、ラヴィニスやタルタロスにとっては新鮮な内容だった。
問題として、時間をさかのぼった彼らの立ち位置がどのようなものになるのか。もし、『過去の自分』というべき他人が存在していたら、同じ時間軸に同一人物が二人存在する事になる。物語によっては、この二人が出会う事をタブーとしているものもある。
さらに、タイムパラドックスの問題。彼らにとっての過去である現在で、起こる事象に干渉すること。それによって歴史に大きな変化が起き、彼らの知る未来と異なるものとなった場合。また、結果として、この時間軸の同一人物である『過去の自分』が死んでしまったら、一体どうなるのか。
「なるほど……。過去を変える事によって起こる矛盾か……」
「ああ。だが、それについては深く考えぬ事だ。ここに俺達がいる時点で、大なり小なり未来は変わってしまう。それに――――」
ベルゼビュートは語りながら、視線を隣にいるラヴィニスへと向ける。ラヴィニスは、彼の説明をまだ咀嚼しているのか、顎に手を当てて真剣な表情で考え込んでいる。
「――――俺の知る未来では、多くの死者が出る。俺の大切な者達が、その仲間達が。俺はできる限り、そいつらを救うつもりだ」
その言葉にハッとしながら顔をあげるラヴィニス。彼女の脳裏にもまた、この戦争で亡くなっていった、いや、亡くなっていくはずの者達の顔が浮かんでいた。特に、彼女の胸の中で逝ってしまった一人の青年の姿が蘇る。
「……だがその行為は、我らにとっては不利益になるだろうな」
「む……止めるつもりか?」
タルタロスの言葉に、ベルゼビュートは殺気混じりの言葉を返す。ベルゼビュートが救おうとしているのは、解放軍のメンバー。それはそのまま、敵陣営への不利益となるのは間違いない。
「……ふん。別に止めはせん。仮に貴様の言う通りに別人の私がいるとするなら、貴様を止めるのはそいつの仕事だろう。もしいないとしても、我々の『任務』はすでに達成している。すぐにこの島から手を引くだけだろうな」
「……『究極の力』か」
「貴様……ッ!」
ベルゼビュートに『任務』の内容を言い当てられ、動揺するタルタロス。
「図星か? どうやら教国にとって『究極の力』というのはよほど魅力的らしいな。バクラムに与したのも、空中庭園の地下にあるカオスゲートを調べるためだろう?」
「……チッ……私としたことが……」
「やめておけ。魔界にあるという力、人に制御できるような代物ではないぞ」
「……貴様は何を知っている?」
ベルゼビュートの思わせぶりな言葉に、訝しげな表情になるタルタロス。二人の間に緊迫した空気が流れるが、そこへ間の抜けた声が聞こえてきた。
「あらあら? こんなトコロで生きたヒトに会うなんて、ビックリだわぁ♪」
その言葉にハッと我に返り振り向く二人。二人の板挟みとなっていたラヴィニスもまた、新たな声の登場に驚いて声の主の姿を探す。三人はいつの間にか隠し通路を抜け、出口に近いフロアへと出ていた。
そこには、ヒラヒラと手を振る女性が立っていた。いわゆる魔女の三角帽子をかぶり、胸元を大きく露出した過激な黒のワンピースドレスを着ている。そのスカートの丈は短く、ロングブーツとの間にある絶対領域には肉感あふれる肌色が覗いていた。
「ん〜。まだ奥があったのねぇ。下り階段が見当たらないから、ここで終わりかと思っちゃったわ。アナタたちのお・か・げ・よ♥」
女性はくねくねと身体を揺らしながら、パチリとウィンクする。タルタロスは全く動じていないが、ベルゼビュートはピクリと肩を揺らす。隣にいるラヴィニスが敏感に反応し、ベルゼビュートの腕をギュッと抱き寄せる。その姿はまるで、オモチャを取られないようにする子供のようだ。
それを目にした女性は、微笑ましいモノを見たといった様子でクスリと笑う。ベルゼビュートは、ラヴィニスをチラリと一瞥してから、女性に話しかけた。
「俺の名はベルゼビュート。こっちはラヴィニス。この無愛想なのがタルタロスだ。失礼だが、貴殿の名を伺ってもよいだろうか」
「あら、見かけによらず紳士的なのね♥ よく見れば超イケメンだし……ふふふ、大丈夫よ、取ったりしないから」
ラヴィニスの威嚇するような目つきに、微笑みかけるデネブ。その言葉にはからかうような響きが含まれていた。
「え〜っと、アタシの名前だったわね。よくぞ聞いてくれたわ。アタシは、魔女デネブ・ローブ。デネブちゃんって呼んでね♪」
デネブの決めポーズと再びのウィンクに、三人は何の反応も見せなかった。
--------------------
「ふ〜ん。下には何もないの……」
「ああ。まあ、行くなら止めはせんがな。モンスターが多いから注意する事だ。若い女性一人では危険だと思うが……」
「あら、心配してくれるの? ありがとネ♥」
俺の忠告に対して、デネブと名乗った女性はニコリと微笑む。うむ、見事なお姉さんキャラだ。だが、俺にはラヴィニスちゃんがいるからな。脇見は一切しないのだ。だから、その蠱惑的な胸の谷間と太ももを隠してもらえませんかねぇ……。
さきほどから俺の腕にひっついて離れようとしないラヴィニスは、デネブさんにあからさまな敵意を向けている。唇を尖らせながら、文句とも質問とも取れる言葉をデネブさんに投げかける。
「あ、あ、貴女はこんな所に何の用があるというのですッ!」
「う〜ん、そうねぇ。用ってわけじゃないんだけどぉ。ちょっと『魔』の気配が……」
「何?」
デネブさんが現れてから空気に徹していたタルタロスが口を開いた。
「貴様、魔界について何か知っているのか?」
「あら? という事は、アナタ達もなのかしら?」
質問に質問を返すマイペースなデネブさん。どうやら彼女は、このダンジョンに漂う怪しい気配に誘われたようだ。空中庭園の地下でカオスゲートが開いた時も感じた気配だ。そういえばウォーレン氏も暗黒道の説明で『魔』がどうとか言ってたな。
「俺の知る限りでは、この下にカオスゲートはないぞ。この場所は暗黒神アスモデの神殿として作られたらしくてな。『魔』とやらが存在するなら、恐らくその影響だろう」
「まぁ……。博識なのね♥」
「友人からの受け売りだがな」
ここが神殿だということは、ニバス殿に教えてもらった事だったな。さすがニバス殿だわ。さすニバ。
そういえば、ニバス殿はどうしているのだろう。過去に戻ったのだとしたら、まだ死者の宮殿に来る前ってことだよな。確かその前は、ガルガスタン軍の魔術師として働いてたって言ってたな。ニバス殿と敵対するのも嫌だし、さっさとガルガスタン軍は片付けないとな。
おっと、そういえば。
「そうだった。デネブ殿。今は一体、何年の何月何日か知らないか?」
「あら? え〜っと、ゼテギネア歴でぇ251年だったかしら? 神竜の月の……16日ね」
「251年……」
「まさか本当に……」
やはり、俺達が過去へとさかのぼったのは間違いないようだ。
確か、ハイム城を攻略してバグラム陣営を倒したのが253年。そこから戴冠式、ローディス教国との開戦もギリギリ年内だったから、俺達は二年、実質的には三年ほどさかのぼった事になる。俺は死者の宮殿で目覚めてから三年ぐらい閉じ込められてたから、計算は合うな。
神竜の月は確か一年で一番最初の月だったはず。まだ251年になって間もない。
「ラヴィニス……例の虐殺がいつ頃だったか、覚えているか」
「…………252年に入ってからだったかと」
「そうか。では十分に間に合うな」
デニムにとって、大きな転換となるであろうバルマムッサの虐殺。俺は何としてでもそれを止めるつもりだった。あれによって確かにウォルスタ陣営は戦力を手に入れたが、後々に禍根を残しすぎる。デニムの暗殺の原因となった一つであるのは間違いない。
「ベル殿……ですが……」
「なんだ?」
「その……彼の、デニムの故郷である港町ゴリアテが――」
「――暗黒騎士団によって襲撃されるのは251年、地竜の月1日だな」
「なに……?」
タルタロスの言葉に思わず目を見開く。地竜の月といえば、神竜の月の次の月だったはずだ。一ヶ月は約24日だから、あと一週間ほどしかない。
迂闊だった。デニムから聞いていたはずなのに。アイツが戦いに身を投じる事となったきっかけ。平和な港町が暗黒騎士団によって襲撃され、アイツの父親は連れ去られてしまうのだ。
「……急がねばならんな」
「ちょっとちょっとぉ。なぁに? 面白そうな話をしてるわねぇ♪」
俺達の会話を黙って聞いていたデネブが、横から口を挟んでくる。確かにいきなり今日の日付を聞いて、思わせぶりな内容を喋っていたのだ。デネブからしてみれば気になる事この上ないだろう。
記憶を掘り返すのに夢中で、彼女の存在をすっかり忘れていた。
「詳しく聞かせてちょ〜だい♥ ネッ!」
--------------------
「ふぅむ、やはりダメですか……」
薄暗い部屋の中に、一人の男性の声が響く。
卓上にはぼんやりと明かりを放つランプが置かれ、広げられた巻物には几帳面な性格を思わせる字が並んでいる。その内容はどれも、高度な魔法知識がなければ読み解く事は不可能なものである。
「肉体というものは、どうしてこう脆いンでしょうねぇ」
ぼやくようなトーンでぶつぶつとつぶやき続けるその声の主は、白髪と白髭が特徴的な初老の男性だった。頭には赤いターバンを巻き、細い目が作業台の上に横たわるモノを見つめている。
彼の名は、屍術師ニバス・オブデロード。人は、死せる魂をもてあそぶ彼を邪悪な魔術師と呼ぶ。だが一方で、死の克服を目指すその研究こそ人にとって最も有益な研究だというものもいる。
かつての彼はベルゼビュートに半ば強引に誘われて解放軍に参加したが、それは単なる不確定の
そこへ、扉をノックする控えめな音が響く。
「父上、そろそろ休憩なされてはいかがですか?」
扉から現れたのは、一人の女性。大人になりかけの、まだあどけなさを残す少女だった。彼女はニバスを父と呼び、ニバスもまた彼女の登場に顔をほころばせる。
「おや、そうですねぇ。そろそろ休憩にしましょうか」
「はい。母上と姉上もいらっしゃいますよ」
「フフフ……やはり家族揃っての団欒が一番です。そうは思いませンか、クレシダ?」
「はい……!」
ニバスの問いかけに、クレシダと呼ばれた少女もニコリと微笑む。そんな二人の姿は、誰が見ても仲の良い親子そのものである。
卓上の書類を片付け、作業台の上にあるモノに布をかぶせると、ニバスはランプの明かりを落とす。その様子を、クレシダは黙って顔色を変えずに眺めていた。
「では、行きましょうか」
「はい、父上……」
二人は扉を開き、その中へと消えていく。
あとに残されたのは、ほのかに残るランプの焦げ臭い匂い。そして、作業台の上に横たわり布をかぶせられたモノ――――成人男性の遺体であった。
前回はベルさん達に絡まなかったデネブさんの登場です。なお年齢不詳。
そして、待望のニバス先生も再び。おや……ニバス先生の家族の様子が……?
【ゼテギネア歴】
ヴァレリアなどを含むゼテギネア全土で用いられる一般的な暦法。
地球の太陽暦と対応していて、1年が15ヶ月で表現される。(1年の長さは365日で同じ)
作中ではその都度わかるように説明を書くつもりなので、特に覚えておく必要はありません。