ランスロット・タルタロスは、鬱屈した感情を持て余しながら溜息を吐いた。
「ご気分が優れませんか?」
「いや……そうではない」
船の甲板の上、潮風がタルタロスのゆるやかな長髪を揺らす。タルタロスは目を開くと、背後から声を掛けてきた人物に心情を吐露する。
「これまでも上手くいかぬ任務などいくらでもあった。しかし、今回の失敗についてはどうもきな臭いものを感じてな」
「……やはり、内通によるものでしょうか?」
「……わからぬ。だが、それだけではないようにも思える。事実、内通者は見つかってはおらん。我々の与り知らぬところで、何かが起きている。何かが……」
タルタロスの言葉に、背後の人物、バールゼフォン・V・ラームズは眉をひそめる。暗黒騎士団のナンバー2であり、タルタロスの片腕として全幅の信頼を寄せられる彼にとっても、タルタロスの弱音ともとれる言葉は耳慣れないものだ。
暗黒騎士団のトップである二人は、あらかじめ決めていた通りハイムの沖合にて合流していた。バールゼフォンも襲撃に同行したいところだったが、我の強い暗黒騎士達をまとめる役はどうしても必要だ。タルタロス自らが出向いたのは、それだけ今回の任務の重要度が高かった証拠でもある。
だからこそ、神父確保の思わぬ失敗はタルタロス達に焦りを生んでいた。
「やはりブランタの仕業なのでは? 奴が襲撃の情報を漏らしたとしか思えません」
「私もそう考えている。我らローディスと表向きは手をつなぎ、裏では抜け駆けを考えている可能性もある。ブランタめ、小物だと思っていたがそれは擬態だったか……?」
「我ら暗黒騎士団もなめられたものです。この借りはきっちりと返さなければ」
バールゼフォンは憤懣やる方ないという様子で復讐を誓う。タルタロスはそれを冷めた表情で黙って聞いていた。ブランタの仕業と考えつつ、まだどこか引っかかりを感じている。
「……ブランタが弟を逃したとすれば、己のためか、それとも実弟であるからか……」
「己のためでしょう。あやつは見るからに権力の亡者。家族さえ売ることを厭わないように見えます」
「私にもそう見える。だが、あれが擬態だとすれば……。いや、考えればキリがないな」
タルタロスは首を振って推論を打ち切った。そして背後へと振り返る。
「そういえば貴公にも弟がいたな、バールゼフォン」
「……ハッ。不出来な愚弟でしたが」
「フッ。出来の良すぎる弟よりはマシというものではないか?」
「これは……一本取られましたな」
そう言ってバールゼフォンは低い笑い声をあげる。彼の弟は暗黒騎士団の元テンプルコマンド。当然ながらタルタロスにとっても既知の相手だ。かつてロスローリアン随一の剣の腕と評されたほどの実力の持ち主で、兄にしてみれば『出来の良すぎる弟』と言って差し支えないだろう。
「……馬鹿な弟です……」
バールゼフォンはうってかわって噛みしめるようにつぶやく。
そのつぶやきはオベロ海の波間へと吸い込まれ、消えていった。
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翌日、アルモリカ城の謁見の間に再び関係者一同が集められていた。プランシー達三人、ロンウェー公爵に加えて、今回はレオナールとラヴィニスの姿もある。ラヴィニスの姿を目にしたデニムはやはり動揺したものの、今度は心構えができていたので不審には思われなかった。
「お返事をお聞かせ願えますか?」
「うむ……」
プランシーの問いに、ロンウェー公爵は煮え切らない返事をする。その様子を見れば、まだ結論が出ていないのは明らかだった。一晩経ってもなお、彼の心には娘と孫の姿が焼き付いて離れない。
「――閣下、よろしいでしょうか?」
その様子を見て声を掛けたのは、プランシーではなくその背後にいた青年、デニムだった。ロンウェーは億劫そうな様子で、デニムの言葉に無言で投げやりな頷きを返す。
「ひとつ、予言をさせて頂きたいと思います。もし、何もしないままガルガスタンとの争いに突入したらどうなるのか。どのような事が起こるのか……」
「ほう……?」
「まず、ウォルスタとガルガスタンは古都ライムにて最初の本格的な激突を迎える事でしょう。ウェオブリ火山を越えて急襲してきたガルガスタン軍に、常駐していた部隊が応戦する事で戦いが始まります――」
そして、デニムの口からは次々と『予言』が語られていく。説明される戦いの行く末はどれもが不思議な臨場感と説得力にあふれ、聞く者すべてに戦場の血の臭いを感じさせるほどのものだった。
寡兵であるウォルスタ軍が、ガルガスタン軍の大戦力によって徐々に押し込められていく様子が克明に語られていき、それを聞いていたレオナールやラヴィニス、兵士達は顔を青ざめさせる。進めば進むほど徐々に戦況はウォルスタ軍の劣勢に傾いていき、ついには。
「――そして、ここアルモリカ城は陥落。公爵閣下は囚われの身へと堕ちます」
「馬鹿なッ!」
デニムの言葉を否定するように叫んだのは、顔を蒼白にしたレオナールだった。アルモリカ城の陥落、それはつまりウォルスタ陣営の敗北を意味するに等しい。
しかし、レオナールの叫びなど聞こえないかのように、デニムは言葉を続ける。
「ガルガスタンの指導者であるバルバトス枢機卿は各地にウォルスタ人の自治区を作り、多くのウォルスタ人がそこへ強制的に収容されます。自治区とは名ばかりの、強制収容所。そこでウォルスタ人は家畜のように扱われ、徐々に反抗心を削ぎ落とされていきます」
「…………」
「その過程で多くのウォルスタ人は命を失うでしょう……そして、これからも。その全ての責任は――公爵。あなたのものだ」
いつの間にか、デニムはロンウェーの顔をじっと見つめていた。その目には侮蔑や憎悪といった悪感情は一切なく、ただただ澄んだ瞳がロンウェーを射すくめていた。
さらに、デニムの全身から覇気とも呼べる威圧が発されていた。無条件で膝をつきたくなるような、年齢に見合わぬ恐ろしいまでの風格。覇王と呼ばれたドルガルアにも匹敵するほどの威厳。
ロンウェーはその迫力に言葉を失う。いや、ロンウェーだけでなく、謁見の間にいた全ての人間がデニムの魔性に飲み込まれていた。
「……あなたには、為政者としての責任がある。ウォルスタ人の未来に対しての責任が、民衆に対しての責任がある。あなたの決断には、多くの人の命が懸かっている。大義のために己を投げうつ事、それは為政者にとって義務ともいえるものだ……!」
まだ成年すらしていないはずの青年の言葉に、あるはずがない為政者としての重みが込められている。まるで一国の王のような言葉だが、もはや聴衆は違和感を覚える事すらなくなっていた。
「そうでなければ、これまであなたの為に尽くしてきた者達、命を尽くした者達への裏切りなのだから。あなたは、彼らの死を無駄にしないためにも前に進む義務がある。彼らの死を嘆いてもいい。でも、後ろを振り返って前に進む事をやめてはいけないんだ……!!」
デニムの雷鳴のような叱責が、謁見の間を切り裂いた。
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「ひとつッ!」
『人の嫌がる事はしませんッ!』
「ふたつッ!」
『世のため人のため、率先して働きますッ!』
野太い声の合唱がオミシュの街に轟いている。その内容は荒くれ者の集う町には似つかわしくないものだった。俺はその様子を眺めながら、笑みを浮かべて頷く。良い景色だなぁ。
「……あの、ベル殿。あれは一体……?」
「ああ、ラヴィニスか。いやな、せっかくだから海賊達をちょっと『教育』してみようかと思ってな」
「教育ですか……」
ボロ雑巾の山になっていた海賊たちは、俺が号令を掛けると素直に従ってくれたのだ。最初は嫌がる者もいたが、何回か説得したら快く参加してくれた。
ラヴィニスは複雑な表情でランニングを始めた男たちを見ている。まずは徹底的にシゴいて、その後はアメをあげるように褒めてやらなくては。やっぱり褒めて伸ばすのが一番だよな。
ランニングの列から早速脱落しそうな男がいたので、俺は足元の石を拾い上げてギリギリ当たらないように投げる。いきなり足元の地面が弾け飛んだため、男は飛び上がって全速力で列へと追いついた。
「…………」
今度は哀れみの視線を向けているラヴィニス。だが、男たちの中に見知った顔を見つけたのか、驚きの表情になった。その男は顔を蒼くさせながら、荒くれ者たちに混じってランニングしている。
「あ、あの。あれはヴァイスでは?」
「ああ。ついでにヴァイスも鍛えられて一石二鳥だろう」
「そ……そうですね……」
我ながらナイスアイデアだったわ。これからきっと戦う事も増えるし、身体を鍛えてやらないとな。あとは、ドラゴンやグリフォンがその辺にいればよいのだが。
「まあ、船が直るまでの暇つぶしみたいなものだ。他にやる事もないしな」
「暇つぶしで……。かわいそうに……」
「ん? ラヴィニスも混じってみるか?」
「い、いえ。私は結構です。鍛錬なら間に合っています!」
ブンブンと首を振るラヴィニス。かわいい。
「――相変わらず、無茶苦茶だな……」
呆れた声色で話しかけてきたのは、あの爺さんだった。昨日と同じように酒瓶を片手に顔を赤くしている。その傍らには、見覚えのある女の子もついてきていた。
「なに、せっかくだから偽善を突き通してみようかと思ってな」
「はっ。ご立派な事だ」
「ところでご老体。この辺りに魔物の出る場所はないか?」
俺の問いに老人は眉をひそめる。
「……魔物退治でもしようってか?」
「いや、食糧確保だ。できればドラゴンかグリフォンが良いが、食べられるのなら何でも良い。なにせ俺は偽善を貫くと決めた。腹をすかせた子どもたちが居るからな」
あちらこちらから、俺たちの様子を伺っている視線を感じる。燻製肉の味が忘れられなかった子どもたちだ。だが、残念ながら手元の肉は使い切ってしまった。
俺の言葉を聞いた爺さんは呆けた表情になり、やがて大口を開けて笑い始めた。
「カッハッハ! 魔物をガキどもに食わせるつもりか!」
「む、昨日食わせたのもドラゴンの燻製肉だぞ?」
「……お前、やっぱり馬鹿だな。そんな高級品をガキにやってどうすんだ」
大笑いから一転、やはり呆れ顔になった爺さんは溜息をつく。足元にいた女の子はニコニコと笑っていた。喋れなくても気持ちは伝わるもんだ。
「……まあいい。この辺なら海辺にいけばオクトパスがいくらでもいるだろ。南西の離れ島の方が数は多いだろうが、あっちには『海賊の墓場』とか呼ばれてるダンジョンがあるからな。アンデッドどもがうじゃうじゃ湧いてて厄介だ」
「そうか、オクトパスか……」
かつてハイム城へと向かう途中に遭った三匹のタコを思い出す。そういえば、あの時は材料不足でタコヤキを食べ損ねていたんだった。大好物だというのに、俺としたことが……。
爺さんが何やら言っていたのは耳に入らず、俺の意識の中心にはふんわりと焼きあがった丸いタコヤキが鎮座していた。南西の島に行けば、オクトパスがたくさんいるわけだな。
「助言、感謝する」
「お、おう……」
爺さんに感謝を告げ、ラヴィニスに後を任せて、俺はダッシュしながらオミシュを飛び出す。途中でランニングしている男たちを一睨みしていくと、男たちは震え上がってスピードを上げていた。
タコヤキタコヤキタコヤキ……。
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「ねぇ、タルちゃん? ちょっとお姉さんとお話しましょう?」
「……話す事は無い」
本来ならば昼間から荒くれ者がひしめいているオミシュの酒場は、今日に限っては人気が疎らだった。その原因である男たちの息の合った掛け声が、外から聞こえてくる。
そんな喧騒など気にする事もなく一人で酒をあおっていたタルタロスは、横から聞こえてきた女性の声に目を閉じたまま応じる。
「もう、つれないわねぇ。そんな事じゃ、女の子にモテないわよ?」
「…………」
ついに返事すらしなくなったタルタロス。にも関わらず、魔女デネブはその隣に腰を下ろす。無言でグラスを磨いていたマスターに「パンプキンジュースってあるかしら?」と尋ね、首を横に振られて頬を膨らませている。仕方なさそうに赤ワインを頼むと、テーブルに肘をついた。
「ずっと気になってたんだけど。タルちゃんって前にアタシと会った事なぁい?」
「……無いな」
「う〜ん、そうかしら。ま、いいわ。誰にだって忘れたい過去の一つや二つ、あるものよね♥」
「…………」
デネブの思わせぶりなセリフに、タルタロスは沈黙したままグラスをあおる。同じく寡黙なマスターは、グラスに注いだ赤ワインをデネブの手元に差し出した。「ありがと♥」と受け取ったデネブは、それを一口飲むとグラスを揺らす。赤い液体が、ゆらゆらと波を立てた。
「過去かぁ……。過去に囚われるのと、未来に囚われるの、どっちの方が不幸なのかしら?」
「…………」
「アタシには、どっちも大して変わらないように思えるわね。後ろの方ばかり気にしていても、先の方ばかり気にしていても、足元の石につまずいちゃうもの」
「……だが、過去を知らなければ、石という危険に気づく事もできまい。未来を知っていれば、これから先にやってくる石を避ける事もできるだろう」
「あら、やっと相手にしてくれるのね♥」
「…………」
デネブが明るい笑顔をタルタロスに向ける。タルタロスは再びムスリと沈黙し、グラスに口を付けた。デネブはそれを見てクスリと笑い、テーブルに置かれたグラスの縁を指でなぞる。
「そうねぇ。確かにタルちゃんの言う通りなんだけど。でも、足元を疎かにするのは危ないわ。だってほら、未来の石ばかりに気を取られていると、誰かの掘った落とし穴に落ちちゃうかもしれないし」
「…………」
「ま、あの子たちは落とし穴に落ちても、簡単に這い上がっちゃいそうだけどね。……でもアタシは、先の事を知ってるよりも、知らない方が楽しいと思うんだけどな〜」
「……ふん」
「あら? タルちゃんもそう思う?」
「知らん」
「もう、いけずねぇ。タルちゃんって、肝心なところで女の子に逃げられそうよね」
「…………」
デネブの指摘にタルタロスはピクリと眉を動かす。だが、デネブはそれに気付かず、または気付かぬフリをしたまま、ワインを一口飲んだ。
二人の酒宴は、外から男たちの声が聞こえなくなるまで続いた。
デニムくんはロンウェーさんにお説教。長台詞は主人公の特権です。
ヴァイスくんはベルさんのブートキャンプに強制参加。彼は泣いてもいい。