「では、我々はこれにて失礼させて頂きます」
「うむ。兄君によろしく伝えてほしい」
「はい。承りました」
父さんの別れの挨拶に、ロンウェー公爵は鷹揚に頷いた。その表情はどこか晴れ晴れとしたものを感じさせる。
余計なお節介かと思いつつ行なった説得が功を奏したらしく、ロンウェー公爵はバクラムと和議を結ぶ事に同意してくれた。公爵自身が、ウォルスタの未来を考えて決断した事だ。僕の言葉が少しでも役立ったのなら嬉しい。
「……そこの、デニム、といったかな?」
「はい?」
父さんの後ろにいた僕に、わざわざ公爵が声を掛けてきた。公爵はいつもとは違う穏やかな表情を浮かべている。好々爺とでも呼ばれそうな雰囲気だ。
「どうかね。もし君にその気があるなら、私に仕えんか? これから我々ウォルスタはバクラムと手を結ぶのだ。バクラム人の君であれば、その架け橋となる事も可能だろう」
「……お言葉はありがたいのですが、僕にはやるべき事があるのです」
今の公爵なら、以前よりも気持ちよく仕える事ができるだろう。しかし、まだまだやるべき事がたくさんあり、行くべき場所はいくらでもある。残念ながら今ここで公爵の誘いに乗るわけにはいかなかった。
公爵は僕に断られる事は承知で、しかし半ば本気で誘いを掛けたのだろう。僕の答えを聞いても残念そうに眉を下げるだけで、それ以上は食い下がらなかった。
「……うむ、そうか。しかし実に惜しい。その若さにしてあれほどまでの覇気を見せてくれたのだ。君が兵を率いれば、名将となるのは間違いないだろう」
「ありがとうございます」
「もしその気になったのなら、いつでもここへ来るがいい。歓迎しよう」
公爵の言葉に感謝しつつ頭を下げる。もちろんウォルスタの戦いは手助けするつもりだ。だけど、僕一人が加わったところで、戦況はそう大きく変化しないだろう。これから僕達は、もっと多くの人達を味方につけなくてはいけない。
レオナールさんとラヴィニスさんは、公爵の後ろに控えている。結局、余人を挟まずに話す機会は得られなかったが、あの様子だと『前』の事は知らないようだ。やはり、この世界で『前』の記憶を持っているのは僕だけなのだと確信した。
なぜ僕だけがやり直す機会をもらえたのかはわからない。
また失敗してしまうかもしれない。
でも僕にできる事は、信じた道を前に進む事だけだ。それは恐らく、『前』よりも険しい道になるだろう。だから今度はもっと多くの人と一緒に進む。石につまずいてしまっても、落とし穴に落ちてしまっても、仲間がいれば助け合う事ができるから。
まず一歩目。アルモリカ城を発ち、僕達は再び歩きだした。
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王都ハイムの中心に、王の威容をもって周囲を睥睨するようにそびえる荘厳な城があった。かつての戦いで最後の決戦の地となった場所、ハイム城である。
その中枢である大広間には、常のように玉座に腰掛ける摂政ブランタの姿があった。相変わらず不機嫌を隠さず眉間にしわを寄せながら、配下からの報告を受けている。
「――というわけでして、ガルガスタンに大きな動きは未だ見られません。今はまだ、国内の治安維持に力を注いでいるものと思われます」
「……そうか。しかし、あのバルバトスのことだ。いずれは我らバクラムにも歯向かってくるであろう。開戦に向けた準備は怠るではないぞ」
「ハッ」
配下の返事に頷きつつ、ブランタは横に視線を滑らせる。そこにはブランタの動向を監視するように、二人の暗黒騎士が控えている。カイゼル髭を生やした暗黒騎士ヴォラック、そして元ニルダム王家の末子である黒人の暗黒騎士アンドラス。
「貴公らも戦備はよろしいか?」
「はい、問題ございませんな。フィダック城にもコマンドを配しており、警備は万全です」
ブランタの問いにヴォラックは胸を張って答える。フィダック城は、バクラム・ヴァレリア国の支配圏であるバーニシア地方へと進軍するためには絶対に通らなければならない要衝。逆に言えば、ここさえ陥落しなければバクラム陣営は安泰と言える。
他に考えられる進軍ルートは海路による迂回だが、もちろんその監視も怠ってはいない。さらに王都ハイムの厳しい立地に阻まれ、そう簡単に軍隊を展開する事もできないのだ。
「うむ……。ところで、先日から貴公らの首領殿の姿が見えぬようだが、一体どちらへお出かけかな? いかにもこの非常の時に、随分と余裕がお有りのようだ。頼もしいことですな」
ブランタの当てこすりに、ヴォラックは鼻白んだ表情になる。任務についての説明は受けていたが、それを目の前の男に告げる事は禁じられている。なにせ、実の弟を拉致しようという計画なのだから。
どう答えるべきかとヴォラックが思案しているところへ、大広間の扉が開いた。
「――それは、猊下がよくご存知なのでは?」
現れたのは隻眼の男。話題の
ブランタは突然のタルタロスの登場に、そして彼の放った言葉に眉をひそめる。
「これはこれは。噂をすれば、という事ですかな。しかしながら、貴公の崇高なお考えともなると拙僧にはとんと見当もつきません。どうか無知な私の蒙を啓いては頂けませんか? 一体どちらへご遊行なされていたのでしょうか」
「……私は南の小島にある港町、ゴリアテへと赴いていたのですよ」
タルタロスの簡潔な答えに、それまで皮肉げな笑みを浮かべていたブランタの表情が固まる。だが、それを取り繕うように再びぎこちない笑みを浮かべながら応える。
「なるほどなるほど。ゴリアテといえば、ちょうど一年に一度の祭りの時期でしたな。外国から参られた貴公には興味をそそられる行事でしょうからな」
「いえ、私の目的は祭りなどではなく、とある人物を連れ出す事でした」
「……ほう。それはそれは。わざわざ貴公が赴かれるとなると、想い人でも見つかりましたかな? いやはや、首領殿も隅には置けぬものです」
「――大概にせよッ!」
ブランタの白々しささえ感じさせる返答に、ついにバールゼフォンが一喝。その迫力ある大声に、さすがのブランタもビクリと身をすくませる。
タルタロスがバールゼフォンに目配せをすると、頭を下げて「出過ぎた真似を」と謝った。
「……猊下。我々は既に猊下の弟君、プランシー殿について掴んでいるのです。彼が『覇王の落胤』へとつながる人物であるという事もです」
「な……何だと……?」
「我々はゴリアテの襲撃計画を立て、プランシー殿の身柄を確保するつもりでした。正当なる血統の持ち主がいるとなれば、我々にとって大きな追い風となるでしょう。違いますかな?」
「な、何を勝手な事をッ!」
ブランタはタルタロスの言葉に激昂して立ち上がる。己の与り知らぬところで動いていた計画、そして隠していたはずの情報がローディスへと漏れていた事を知り、顔を蒼白にしている。
「おや、猊下は賛同してくださらないのですかな? ヴァレリア王国にとって、かの覇王の血は何にも代えがたいものと理解しておりましたが、私の勘違いだったでしょうか?」
「……くっ……」
今度はタルタロスが白々しいセリフを吐く番だった。ドルガルア王の血統が尊いものとされるのは事実である。王の遺児が見つかったとなれば、本来であれば諸手を挙げて歓迎されるべきだろう。
だが、それはブランタ当人に限っては己の権力を失う事と同義。せめてそれが幼児であれば、後見人なり摂政なりの座につくことで権勢を維持できたのだが、遺児であるカチュア、いや、王女ベルサリアはすでに成人に近い。ブランタの思い通りに動く保証はない。
「まあ良いでしょう。ですが襲撃は失敗して、弟君には逃げられてしまいましてね。不思議な事に、我々の襲撃計画は当人に漏れていたようなのですよ」
「……ふん。貴公らの中に内通者でもおるのでしょう。情報管理を見直すべきですな」
プランシーの確保に失敗したと聞いて余裕を取り戻すブランタ。それはつまり、カチュアを取り逃した事を意味する。タルタロスの話しぶりでは、カチュアこそが王女本人である事に気づいていないように見えるのもブランタに余裕を持たせていた。
しかし、そんなブランタに対して厳しい視線を向けるタルタロス。
「確かに内通者を疑うべきでしょう。ですが、それは我々暗黒騎士団に限った話ではないはず。なにせ弟君の存在については、ほとんどのコマンドにすら秘匿していましたからな」
「…………」
「我々以外にプランシー殿の存在を知る者。我々の動きを知る事ができる者。襲撃を予想して警告できる者。ああそうそう、赤の他人に警告されたからといって素直に信じるかどうか。どうやら下手人は、プランシー殿に親しい人物のようですな――おや、どうされましたかな、猊下。顔色が優れぬようですが」
タルタロスの挙げた条件にことごとく当てはまるブランタは、蒼白にした顔をぶるぶると震わせる。
「……ち、違うぞ。私ではない。襲撃など知らぬ。警告などしておらん」
「ほう。では、なぜプランシー殿は襲撃を予期していたのでしょうな?」
「知らぬッ! 私ではないッ!」
ブランタはそう訴えるが、誰がどう見てもブランタの仕業である事は明らかに見えた。
バールゼフォンはブランタに対して蔑みの視線を送り、ヴォラックは顔を赤くさせてブランタを睨みつける。アンドラスだけはプランシーの存在を知らされていなかったため、事の成り行きを静かに見守っている。
「……どうやら猊下は、我々の力は必要とされておらぬご様子。我々としても非常に残念な事ですが、ローディスへ戻る事も考えねばなりませんな」
「ま、待てッ!」
「ほう……。それではお尋ねしましょう。プランシー殿の行方をご存知ですかな? もちろん、覇王の遺児の居場所でも構いませんが」
「そ、それは……」
言葉に詰まるブランタ。当然、プランシーの居場所など知るはずもない。そして一緒にいるであろうカチュアの居場所も。カチュアについて説明すれば少しは疑いも晴らせるだろうが、万が一、王の遺児を秘匿した事が世間に漏れてしまえば、ブランタが糾弾を受ける事は想像に難くない。
「……ふん。仕方がありませんな。居場所について思い出したらお知らせください。それまで、暗黒騎士団は下げさせて頂きましょう。……フィダック城が落ちる前に、思い出されるとよろしいが」
「ぐ……」
うめき声をあげるブランタを顧みる事もなく、タルタロスは踵を返して大広間を後にする。
後に残されたブランタは、頭を抱えたまま力無く玉座に腰を落とした。
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タコヤキを求めて南下し、泳いで離れ島に向かう事にした。もしかしたらいけるか、と思ったけど流石に水面を走ったりはできない。デネブさんのようにホウキで空を飛べればいいのになぁ。
話に聞いていた通り、泳いでいる途中に数匹のオクトパスと遭遇したので槍を使って狩り始める。しかし奴らは水中だと思いのほか素早く、一匹狩るのも結構苦戦した。そういえば以前戦った時は陸上だったな。
馬鹿な事に狩ったオクトパスをどうするか考えていなかったので、担いだままオミシュへと一旦引き返す事にした。タコヤキで頭が一杯になっていたようだ。要反省だな。
「な……なんだありゃ……」
「オクトパス……? しかも三匹も……?」
「なんつー馬鹿力だよ……」
オミシュに入った途端、周囲の視線が俺に注がれヒソヒソ話も聞こえてくる。流石に三匹ともなると、ちょっと重いんだぞ。サイズも大きいから上手くバランスを取らないといけないし。
広場にたどり着くと、ランニングをしていた野郎たちはみんな地面に這いつくばっていた。しかし俺の姿を目にした途端、起き上がってピシリと整列する。うん、少しずつ成果が出てきたな。
「貴様ら、今日の訓練ご苦労だった。褒美として、このオクトパスで飯を振る舞ってやろう」
俺の言葉を聞いた男たちは、信じられないというような表情を浮かべてお互いに顔を見合わせている。
「ああ、ただし三匹では足りんだろうから、まだ追加で狩りに行く。狩るのは俺がやるから、お前達には運ぶのを手伝ってもらうぞ」
ああやっぱり、と言わんばかりの顔で男たちが頷いた。なんでや。
「い、いえ、ベル殿。三匹で十分だと思うのですが……」
近づいてきたラヴィニスが声を掛けてくる。えっ、そうなの? 俺だけでも一匹丸々ぐらいは余裕でいけるんだけど。こんな男たちが食べまくったら、全然足りないんじゃね。
「一匹だけでも成人男性三十人が楽に満腹になりますよ。一体、何人分を狩ってくるつもりなのですか……」
「む、そうか。言われてみれば、以前に兵士達に振る舞った時もほとんどは俺が食べたのだったな」
「……ベル殿の胃は、家計に優しくなさそうですね」
ラヴィニスのジト目。俺はクリティカルダメージを受けた。つまり俺は、無職な上に家計を食費で圧迫するダメ男ではないか。いつになったらラヴィニスにプロポーズができるのか……。
「はぁ……。炊き出しをするんですよね? 私も手伝いますから、早くやってしまいましょう。ほら、待っている子がいっぱい居ますよ」
ラヴィニスの言う通り、周囲の物陰からは期待に目を輝かせた子どもたちが見え隠れしている。俺の鋭い聴覚には、ぐぅぐぅという腹の音がさっきからうるさいほど聞こえている。
男たちに命じて調理器具をあちこちから調達させると、広場があっという間に埋め尽くされる。俺がオクトパスを槍でさばき、ラヴィニス率いる男たちによって調理が始まると、オミシュの町はオクトパスの焼けるジューシーな音と香ばしい匂いに包まれていく。
その音と匂いに、フラフラと子どもたちが集まり始めた。続けて、あちこちの建物から大人たちも顔を覗かせる。次第に集まる人数が増え始めていく。
完全に宴会場と化した広場で、大人も子供も笑いながらタコの足をくわえている。シュールな光景だが、みんなが笑顔になっているから問題ないな。
男たちに混ざって、ヴァイスも涙を浮かべながらタコ足を食べていた。「なんでオクトパスなんか食ってるんだ俺……」というつぶやきが聞こえたが、聞かなかった事にしておこう。
「やはり、足りなくなりそうだな」
「そうですね……」
町中の人が集まったのではないかと思える広場の盛況を眺めながら、俺とラヴィニスは肩を並べる。言葉とは裏腹に、俺たちの顔にも笑みが浮かんでいた。
疑心暗鬼になったベツタロスさん。あらぬ疑いをかけられたブランタさんは涙目です。
海賊の町はなぜかタコパーティに突入。みんながタコを食べている光景を見たら、SAN値直葬しそう。いあいあ!