ヴァイス・ボゼッグは、気がつけば海賊達に混じって海賊船に乗せられていた。いや、乗せられたのではなく、自分の意思で乗船したのだ。甲板で潮風を浴びながら、ヴァイスは物思いにふける。
一緒に汗を流した男たちは気がいい奴らばかりで、ヴァイスはいつの間にか違和感なく海賊たちに混じってトレーニングに励んでいる。腹が減ったあとの飯はうまいし、訓練は厳しいが達成感がある。オミシュの町での日々は楽しい。このまま、ずっとこうしていれば……。
「って、そうじゃねーだろッ! デニムとカチュアに会いに行くんだよ! 俺はッ!」
すっかり染まりつつあった自分に気づき、我に返ったヴァイス。危うく本来の目的を忘れるところだった。自分に何も言わずに消えた馬鹿野郎と、そのブラコンの姉を問い詰めにいかなくてはならないのだ。
どうしてこうなったんだ、とヴァイスは頭を抱える。思えば、アイツについていこうと決めたのが最大の誤りだったのだ。あの無茶苦茶で常識外れな男は、常にヴァイスを振り回し続けている。だいたい、乗った船がいきなり遭難とはどういう事なのか。全てはアイツのせいに違いない。
「どうしたんだ、ヴァイス。そんな大声出して」
「い、いや。なんでもねぇよ……」
海賊の仲間がヴァイスに声を掛けてくる。この数日間ですっかり打ち解けてしまった一人だ。見た目は荒っぽい海の男だが、根は人情深い良い奴なんだこいつは。
「まあ、いいけどよ。海に落っこちたりしないように気をつけろよ?」
「あ、ああ。わりぃ」
「さっきからぼーっとした顔してるから、『海の魔女』に魂でも食われちまったのかと思ったぜ」
「海の魔女?」
聞けば、船乗りの間では有名なおとぎ話らしい。海の魔女は死者の魂を食らう妖魔だと言われており、その
今までに多くの船乗りや海賊が彼女の美声によって命を落とし、多くの死者が鎮魂歌を聞いて魂を慰められた。大きな戦乱が起きると、彼女はどこからともなく現れると言われている。
不気味な話を聞いて、ヴァイスはブルリと身を震わせる。
その時。
――――♪
どこからともなく聞こえてきた歌声に、今度こそヴァイスは全身の毛を逆立たせた。
それは確かに美しい声ではあるが、どこかで聞いた覚えのあるような不思議な声だった。調子外れとも思える不思議なメロディーで、聞くものを魅了するような魔性を感じさせる。周囲を見回してみても、歌声の持ち主は見当たらない。
ヴァイスは恐ろしさのあまり、耳を塞ごうとした。
「る〜♪ ら〜♪ デネブちゃ〜んは今日もごきげ〜ん♪」
思わず膝から崩れ落ちるヴァイス。恐る恐る上を見ると、そこには足をパタパタと動かしながらホウキで空を飛ぶ魔女の姿があった。どうやら先ほどから歌っていたのはデネブだったようだ。確かに、海の魔女といえば海の魔女なのだが。
「紛らわしすぎるだろッ!」
「る〜♪ ……あら? どうしたの、ヴァ〜ちゃん」
「だから、ヴァ〜ちゃんはやめろって言ってるだろッ! 俺は婆ちゃんじゃねぇッ!」
前々からデネブに『ヴァ〜ちゃん』という不名誉なあだ名で呼ばれているヴァイスは、勘違いした恥ずかしさもあって大声で怒鳴る。デネブはそんなヴァイスの様子を見てクスクスと笑う。
「あらあら、そんなに怒ってると、おデコが広くなっちゃうわよ〜?」
「な、な、何言ってやがる! クソッ! この年増――――」
最近ストレスからか、少し後退の気配を見せている額の事を指摘され、カッとなったヴァイスは言ってはいけない一言を口にしようとした。
その瞬間、先ほどとは比べ物にならないほどの悪寒がヴァイスを襲う。
「……なにか、言ったかしら?」
「…………い、いや。なんでも……ありません」
頭上で荒ぶっている魔力を感じて冷や汗を流しながら、ヴァイスはかろうじて答えた。この恐怖に比べれば、本物の海の魔女など比べ物にもならないだろう。
「い〜い? 女の子には秘密がたくさんあるんだから、ね?」
「はひ……」
力無いヴァイスの返事に、デネブは満足そうに頷いた。
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オミシュから南西の島には、確かにたくさんのオクトパスが生息していた。右を見ても左を見てもオクトパスがいるような状態だ。絶滅させるなよ、という爺ちゃんの言葉はきっと皮肉かなにかだろう。
「いいか。オクトパスは陸上におびき寄せて戦え。水中にいるオクトパスを倒そうと思うな」
『ハイッ!』
俺の教えに対して素直に返事を返す男たち。まずは俺がデモンストレーションしてみせる事にした。槍を持って、陸上にいるオクトパスに近づいていく。
相手もこちらに気がついたのか、足をニョロニョロと動かして威嚇してくる。構わずに距離を詰めていくと、向こうから足をムチのようにしならせて攻撃してきた。
「このように、最初は近距離攻撃を仕掛けてくる事が多い。だが……」
槍で足をいなしながら軽く一撃をいれると、オクトパスは体制を崩して砂浜を転がる。手加減したので、まだ気絶も絶命もしていない。
転がったオクトパスはすぐに起き上がり、ブモォォという唸り声と共にこちらへと顔を向ける。
「時折こうして、水を飛ばしてくる事があるので注意しろ」
オクトパスの口から水鉄砲のように勢い良く水が吐き出される。紙一重でかわして再び距離を詰めると、今度は本気の一撃をお見舞いする。タコはグニャリと身体を折り曲げて地面に倒れ込んだ。男たちが「おー」と歓声をあげる。
「よし。では、各班に分かれてやってみろ」
『ハイッ!』
元々は海賊だった男たちは、規律正しく班に分かれて散らばっていく。うむ、素晴らしい統率だ。これならきっと、正規軍の一つや二つにも引けを取らないだろう。
各班がタコを相手に奮闘する様子を眺めながら、俺は倒したタコの足を切り取って口にくわえる。鮮度抜群で、塩味のきいた珍味が口の中いっぱいに広がる。おいしいです。
するとそこで、上空からホウキに乗ったデネブさんが降りてきた。ニコニコとした笑みを浮かべて機嫌がよさそうだ。相変わらず神出鬼没というか、フリーダムというか。
「ねぇ、ベルちゃん。アタシ、海賊の墓場ってところに興味があるんだけどぉ。一緒にいかない?」
「む、しかしアンデッドだらけだと聞いたぞ」
年寄りの言う事は聞いておいた方が良いと思うのだが、デネブさんは口をとがらせている。
「え〜。別にいいじゃない。死者の宮殿にいたんだから、アンデッドなんて怖くないでしょ?」
「まぁそれはそうだが。しかし俺には奴らを監督する仕事がだな……」
「大丈夫よぉ。ほら、なんならカボちゃんを置いていってあげる♥ ね、カボちゃん?」
デネブの背中から、カボチャ頭がひょっこり顔をだす。
「見てるだけなら別にいいカボ。でも助けるなら対価を要求するカボ」
「あんた、見かけによらずガメついわね……ま、まあ、大丈夫よね。うん」
「……本当に大丈夫か?」
俺の問いに、デネブさんは誤魔化すように微笑んだ。
まあ、男たちもきちんと連携しながら善戦しているし、この分なら問題ないだろう。アドバイス通りちゃんと陸上で戦ってるし、遠距離攻撃にも気をつけているようだ。
カボちゃんもこうは言っているが、死者の宮殿でショップを営んでいたカボさんも良い人……良いカボチャだったし、ま、大丈夫だろ。多分。
「仕方ない。そんなに時間は取れないが、それで良いのなら同行しよう」
「やった〜♪」
両手を上げてクルクルと回るデネブさん。それに合わせるように、カボちゃんも頭をクルクルと回している。うーん、ペットは飼い主に似るというが、カボちゃんがガメついのって……。
なぜか背筋に悪寒が走ったので、それ以上は考えるのをやめた。
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アルモリカ城を後にしたデニム達は、バクラム・ヴァレリア国の首都である王都ハイムに向けて北上を続けていた。暗黒騎士団に発見される危険を冒してでも、ブランタに接触する必要があったためだ。
城の北部に広がるゴルボルザ平原を通り抜けて、まずは古都ライムを目指す。広大な草原地帯を横断しながら、デニム達は今後の予定について話し合っている。
「――ブランタに接触する必要はわかるわ。ウォルスタとの和議を成立させるなら、避けては通れないもの。だけど、わざわざ私達がそれをやらなくてもいいんじゃない?」
「でも、他の人には多分ブランタを説得できないと思うよ。内心ではウォルスタ人を見下している相手だからね。交渉のテーブルにさえついてもらえないかもしれない」
「私達なら父さんがいるから話ができるというのね。でも、暗黒騎士団は私達を血眼で捜しているはずよ。ブランタに接触しようとすれば、間違いなく見つかってしまうわ」
「うん。それには考えがあって――」
歩きながら議論を交わす姉弟と、それを黙って見守る父プランシー。ロンウェー公爵との交渉はプランシーが矢面に立って行なったが、実際の提案内容については姉弟の話し合いで決められていた。
プランシーは時々助言をする程度で、議論に積極的には参加しないと決めていた。これから先の事は、老い先短い自分ではなく子ども達に決めさせるべき。二人が決断した事を全力で支援する事こそ親としての役目だと、プランシーはそう考えていた。
「だから、それは――――姉さん、ちょっと待って」
「え?」
不意に立ち止まるデニム。カチュアも首を傾げながら立ち止まった。なだらかな平原ではあるが、多少の起伏は存在している。デニムは丘の向こうから現れた複数の人影に気がついたのだ。
「……? 誰かしら?」
相手もこちらに気づいたのだろう。警戒した様子で立ち止まった。複数人いる内の先頭に立っているのは、遠目にも女性だという事がわかる。目立つ赤い服を身に着けた、黒髪の女性だった。
彼女たちは顔を見合わせて何やら話していたが、やがて再び歩きだしてこちらへと近づいてくる。
「どうするの、デニム?」
「話してみよう。多分、敵ではないと思う」
無表情で近づいてきた女性だったが、お互いの顔がはっきりと視認できる距離まで近づくと、ふいにその表情を驚きに染める。
「プランシー神父! プランシー神父ではないか!」
そのまま走り出した女性。まさか、プランシー達を追いかける暗黒騎士団の追手だったのだろうか。緊張しながら剣の柄を握ったデニムを見て、女性は慌てて立ち止まった。
「私は大神官モルーバの娘、長女のセリエ・フォリナーだ!」
「なんと、モルーバ様の? ……言われてみれば、確かに面影がある」
セリエと名乗った女性の口上に驚くプランシー。王都ハイムに居住していた頃、大神官モルーバとプランシーは家族ぐるみで親しくしていた。当然モルーバの娘である四姉妹とも面識がある。しかし当時はまだ幼い子ども達だったため、女性らしく成長したセリエに気づかなかったのだ。
「プランシー殿がいるという事は……そちらは、デニムか! ああ、なんということだ。随分と成長したのだな……見違えたぞ」
「あら、デニムの事を知っているの?」
「ああ。デニムがまだハイムにいた頃、よく私達と遊んでいたのだ。……まだ幼い頃だったから、覚えていないだろうがな」
寂しそうな笑みを浮かべて微笑むセリエ。確かに子ども達は一緒になってよく遊んでいたと、プランシーは当時を懐かしく思い出した。ハイムを離れる時、涙を流しながら別れを交わす子ども達を見て申し訳なく思ったものだ。
「その、セリエさんの事を覚えていなくてすみません。ですが、一緒に遊んだ事は何となく覚えています」
「そうか……。しかし驚いたな、まさかこんな所で再会するとは。ハイムからどこへ向かったのかは聞かされていなかったが、アルモリカに来ていたのだな」
「それを言うなら、セリエさんの方はどうしてこんな所に?」
デニムの何気ない質問に、顔を引き締めるセリエ。後ろには、仲間だと思われる男たちも追いついている。
「私は今、ヴァレリア解放戦線という組織を率いている。民族、思想に関わらず、平等で平和な世界を実現するため、我々は活動しているのだ」
「ヴァレリア解放戦線……そうか、確かシスティーナさんも……」
「そうだ。システィーナも我々の一員だ。面識があったのか?」
「いえ、風の噂で……」
システィーナも同じくモルーバの娘で三女にあたる。デニムが言葉を濁したのは、恐らく『前』の経験の中で出会ったのだろうとプランシーは推測した。
息子の中にまだ訪れていないはずの未来の知識や経験があると聞いた時、これもフィラーハ神のご意思なのだろうかと考えたプランシー。息子が為した恐るべき行為、そして誇るべき偉業を聞いて、父親としてのプランシーは何よりも息子の境遇を嘆いた。
自分の手を汚し、大義のための礎となったデニム。未来の己が遺したという言葉に従い、民のために玉座に就いたという。確かに多くの人を救うためならば、その言葉は正しいものだっただろう。しかし、親が愛する子に向けるべき言葉ではない。
目の前のセリエもまた、大義のために己を犠牲にしようとしているのだろう。バクラム人にも関わらず、理想を実現するために活動を続けているのだ。彼女の父親はどのように考えているのだろうか。
「……モルーバ様は、壮健かな?」
プランシーの問いに、セリエは顔を暗くする。
「内乱で……母が亡くなったのです。父はそれ以来、俗世を離れて隠遁してしまい……」
「なんと……」
言葉を失うプランシー。モルーバの妻である女性とは何度も顔を合わせた事がある。まさか自分の知らぬ間に命を落としていたとは。プランシーは心の中で冥福を祈った。
そしてモルーバの現状に心を痛める。二人は仲睦まじい夫婦だった。きっとその悲しみは大きなものだっただろう。自分の妻を亡くした時を思い出し、プランシーは同情を深めた。
しばらく沈黙が落ちる。やがて顔を伏せていたセリエは、おもむろに顔を上げた。
「プランシー殿。どうか、我々にご同行して頂きたい」
「それは……どういう事かな?」
「……我々が手に入れた情報によれば、あなたはバクラムによって狙われているのだ。奴らは『マナフロア』というものを手に入れるために、あなたの身柄を狙っている」
「…………」
マナフロア。それはカチュアの生みの親である侍女の名前だった。
「ここであなたに会えたのは僥倖だった。どうか……」
頭を下げるセリエを前に、プランシーは何も応えずに立ち尽くした。
やっとフォリナー四姉妹の一人が登場です。話のわかるオズ様に注意。
ベルさんはデネブさんに引っ張られて海賊の墓場へ。放置された海賊たちの運命は……?