「これ、そこのもの。はらがへった。何か馳走を用意せよ」
「は、はぁ……」
馬車の上でふんぞり返り偉そうな口調で命令するのは、まだ十にも満たない小太りの男の子だった。命令された兵士は困惑の表情を見せながら生返事をする。
彼らが進んでいるのは、古代に設置された地下水道の名残りであるリィ・ブム水道と呼ばれる場所で、目立つ街道を避けて西進するにはうってつけの道でもある。水位は低くなっているため敷設された石畳が露出しており、かろうじて馬車でも進む事ができる。
「余はコリタニ公であるぞ! 余の言うことが聞けんのか!」
兵士に唾を飛ばしながら激昂する男の子。だが、その姿はどう見ても母親に駄々をこねる子どもそのものだった。とてもではないが、本人が言うような身分には見えない。
しかし、確かにこの子どもは旧コリタニ領主であるオルランドゥ伯の末裔であり、ガルガスタン王国の国王の座に就いているコリタニ公その人だった。とはいえ実際の所は幼さを理由に摂政バルバトスが国を動かしているため、単なる飾りの王に過ぎない。
「陛下、ご辛抱ください。このような場所で、馳走など用意できません」
そんな彼を窘めたのは、このガルガスタン竜騎兵団の隊長ジュヌーン。彼は見事な手際で部隊ごとコリタニ城を抜け出し、ついでに国主であるコリタニ公を連れ出した。ベッドでいびきをかいていた彼を、有無を言わさず馬車に乗せてきたのだ。
「ええい、ならば城に戻れば良いであろう!」
「何度もご説明申し上げた通り、城へは戻りません。バルバトス枢機卿は陛下を利用して権勢を振るっています。このままではかの者の思惑通り異民族との衝突は避けられず、多くの民草の血が流れる事でしょう」
「な、何を言っているのだ! バルバトスがそのような事をするはずがない!」
子どもが相手であるにも関わらず、真摯な態度を崩さないジュヌーン。だがコリタニ公は、余計な事をしないようバルバトスにわがまま放題で甘やかされながら生活していた。そのせいで彼はバルバトスの見せる甘い顔を信じ切っている。
「陛下……。バルバトス枢機卿はそのような甘い人物ではありません。逆らう者には血の粛清も躊躇わぬ男です。陛下も我々についてきたのですから、きっと粛清の対象になるでしょう」
「そなたらが勝手に連れ出したのではないか!」
「そのような事は、あの男には関係ありません。陛下が不審な動きを見せれば、たちまち牢獄に監禁してでも押さえつけようとするでしょう」
「ろ、牢獄……」
ジュヌーンの言葉にゴクリと唾を飲むコリタニ公。脅すような台詞ではあったが、もしコリタニ公が邪魔になればバルバトスは手荒い手段も躊躇わないだろう。
これまでコリタニ公が無事だったのは、野心を全く見せずに子どもとして振る舞っていたからにすぎない。反乱分子であるジュヌーン達とつながりが出来たと見られれば危険だとみなされるかもしれず、ジュヌーンの説明は全くの詭弁だとは言い切れなかった。
「陛下は外の世界の事をもっとお知りになるべきです。他の国、他の民族、そしてもちろん、ご自身が君主を務めておられる国や民の事も」
「だ、だが……危なくはないのか? 外は危険だとバルバトスは言っておったぞ」
「それは陛下を外に出さないようにするための方便です。陛下が外の事を知るのは、バルバトス枢機卿にとって不都合な事なのでしょう」
不安そうな顔を覗かせるコリタニ公だったが、ジュヌーンは真剣な眼差しを向けたまま言上する。彼の態度に何か感じるものがあったのか、コリタニ公は黙り込んで考え込む。やがておずおずと口を開いた。
「……余は、奴に騙されていたのか?」
「……それは陛下ご自身が己が目と耳で確かめた上で、お決めになる事です」
「…………」
ジュヌーンのにべもない答えに、コリタニ公はひるんだ表情を見せる。だが、最後にはコクリと一つ頷いて再び黙り込んで考えはじめた。
そんな彼にジュヌーンは一言も掛ける事はなく、竜騎兵団は粛々と地下水道を進んでいった。
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クリザローの町の一角に、変わった風体の男女がいた。一人は三角帽子をかぶった露出の多い美女、もう一人は片目に眼帯をした壮年の美男。辺境の田舎町の風景にそぐわない美男美女であるデネブとタルタロスは周囲から見事に浮いていたが、二人は一切気にする様子も見せず堂々と振る舞っている。
「う〜ん、なんにもないわねぇ。おいしいスイーツのお店でもないかしら」
「…………」
彼女の言うような洒落た店などあるはずもないが、しかめっ面とも不機嫌とも取れる表情を崩さないタルタロスは一切の言葉を発さずに黙って聞き流している。
「タルちゃんはどこか行きたいところはなぁい?」
「……ないな」
「もう、つまんないわねぇ……。あっ、そうだ!」
張り合いのない事を言うタルタロスに唇を尖らせるデネブ。だが、何かを思いついたのか声をあげて手を叩いてみせる。大げさなジェスチャーであるが、彼女にとっては平常運転だった。
「タルちゃんって剣を失くしたんじゃなかった? 私が見立ててあげるから、ショップに行きましょうよ」
「……いいだろう」
タルタロスはデネブの提案を珍しく素直に肯定してみせた。彼の持っていた聖剣ブリュンヒルドもアンビシオンも失われており、今は完全な丸腰である。
ここまでの道中で何度か戦闘もあったが、タルタロス自身は積極的に参加せずに物陰に隠れるなどしてやり過ごしていた。彼が何かをする前に、同行している
「なぁ、店主よぉ。頼むぜ、あと43ゴートだけだからよぉ!」
「そう言われましてもねぇ。こっちも生活が掛かってるんですよ」
目についたショップに入ると、そこでは先客と思われる男が店主と会話していた。見るからに荒々しい格好をした男で、戦いを生業としているのが容易に想像できる。どうやら値切りをしているようだが、店主はにべもなく首を横に振るばかりのようだった。
「そんじゃあ、42ゴートならどうだ!?」
「いや、1ゴート減らそうがダメなもんはダメですよ。というかお客さん、さっきからなんで1ゴート単位なんですか……」
店主は疲れた表情をして冷静なツッコミを入れる。そのやりとりに、デネブは思わず吹き出してクスクスと笑ってみせた。
値切り交渉をしていた男はデネブに胡乱げな視線を向けるが、その声の正体がグラマーな美女だと知るや奇声をあげて驚いてみせる。
「うひょおッ! 良い女だな!」
「あら、ありがと♥」
デネブがパチリとウィンクをして自身の大きな胸を強調するポーズをとると、ますます鼻息を荒くする男。しかしその直後、背後に立っているタルタロスを見つけて眉をひそめる。
「なんだぁ、男連れかよ……。それにしても、どっかで見たような……」
「うふふ。タルちゃんったら有名人なのねぇ」
「…………」
否定も肯定もしないタルタロス。彼の所属するロスローリアンは色々な意味で有名な存在ではある。どちらかといえば悪名に近いものであったが、その首領である彼自身もまた有名人である事に変わりはない。とはいえ、主に教国の裏仕事を担当する彼の顔を知る者はそう多くないのも事実である。
しばらくタルタロスの仏頂面をジロジロと不躾に眺めていた男だったが、思い出す事をあきらめたのか鼻を鳴らして店主へと向き直る。その際、チラリとデネブの胸元に視線を送った。
「ま、どっかの戦場で会ったんだろ……。おい、店主。仕方ねぇから、満額支払ってやるよ。良いもんも見れたしな」
「はぁ、毎度どうも……」
懐から財布を取り出しジャラジャラと銅貨を支払うと、店主から商品のキュアシードを受け取る。店を出て行く際にデネブの胸元へと再び視線を送り、男は大きな溜息をついた。
「はぁ……。後で娼館にでも行くか……? いや、金がもったいねぇしなぁ……」
ブツブツと独り言を漏らしながら、トボトボと店外へ歩いていく男。哀愁の漂う男の背中に、デネブはヒラヒラと手を振ってみせるが、男に気がつく様子はなかった。
「う〜ん、アタシも人の事は言えないけど、あそこまでケチな人っているのねぇ。……その点、タルちゃんはケチケチしないから素敵よ♥」
「…………」
そう言うデネブの視線は、店内に並べられた暗黒魔法の呪文書へと向けられている。当初の目的であるはずの剣も置かれているが、そちらには一瞥もくれない。
オミシュの酒場で相席した際にもしっかりとデネブの分まで奢らされたタルタロスは何も言わず、軽くなりつつある財布の中身を確かめた。
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興奮する姉さんをなんとかなだめ、一晩明けて僕達は再びセリエさんと対面した。今回はハボリムさんにも同席してもらっている。姉さんとは距離を離して座っているが。
ヴァレリア解放戦線の協力が得られたので、一気に計画実現の可能性が高まった。だが、まだまだ安心できる状況ではない。ガルガスタンが本格的に動き始める前に同盟勢力をまとめあげなければ、数の暴力の前にウォルスタが潰されてしまう。
そのためには、一刻も早くブランタに接触しなければならない。暗黒騎士団も僕達の事を捜しているだろうが、その目を潜り抜けて接触するのはかなりの難題だ。
「なに? ハイムへと潜入したい?」
「ええ。僕達が直接行かなければ、ブランタの説得は難しいと思っています。ヴァレリア解放戦線はハイム出身の方も多いですし、その伝手で何とかならないでしょうか?」
当初は自力での潜入を考えていた。ハイムで玉座に座った経験から、防衛網の穴になりやすい箇所も把握している。だが、それでも確実に上手くいくとは言い難い。もしヴァレリア解放戦線の力を借りられるなら、成功の可能性も高くなるだろう。
「……ハイム行きの商船にでも潜り込めばできなくもないが、やはり相応の危険が伴うぞ。お前たちは追われる立場なのだろう?」
「そうとも限りません。追っている相手が、まさか自分たちの足元にわざわざ飛び込んでくるとは思っていないはずです。巨人は小石につまずくと言うでしょう?」
「随分と大胆なのだな……」
僕の言葉にセリエさんは呆れ顔を見せる。確かにギャンブルではあるが、十分に勝算があると思っている。それに仮に捕まったとしても、こちらは暗黒騎士団の目的を知っているのだ。姉さんの協力を天秤にかければ、十分に交渉する余地はあるだろう。姉さんもそれは了承している。
懸念点としては、奴らの目的である『ドルガルア王の遺産』の正体がわからない事だ。遺産を得るために王族が必要である事はわかっているが、その場所や中身はわからない。それを知っていたはずのブランタは何も語らずに獄中で自死してしまった。
単純な財宝であれば、わざわざ筆頭騎士団を派遣したりしないだろう。恐らくローディス教国は、遺産の内容に見当がついていたに違いない。
「仮にハイムに潜入できたとして、それからどうするつもりだ? 城の警備は堅い。お前たちがノコノコと姿を現せば、簡単に捕まってしまうだろう」
「……それについては考えがあります」
あえてその考えの中身については説明しなかった。セリエさんは訝しげな視線を送ってくるが、僕はじっと目をそらさずに受け止める。
やがて、セリエさんは根負けしたように溜息をついた。
「……わかった。船については手配しておこう」
「ありがとうございます!」
お礼を告げると、セリエさんは呆れ顔で笑みを浮かべる。
「フッ……。笑顔だけは、あの小さかったデニムそのままなのだがな」
「あら、デニムはいつだって小さい頃のままよ。最近はちょっと大人っぽくなったけど、危なっかしいったらないんだから」
「ね、姉さん……」
すかさず反応してみせる姉さんに頭を抱える。姉さんにかかれば、僕はいつまで経っても子どものままのようだ。これでも少しは成長したつもりなんだけど……。
「なるほど、姉弟とはやはり姉が強くなるものなのだな。私の妹達はみな負けん気が強い者ばかりだったが、弟というのも良いものだ」
「ダメよ。デニムはあげないわよ」
そう言って姉さんは僕を両手で胸元に抱き寄せる。弟を取られまいとするポーズなのだろうが、柔らかい感触を頬に感じて僕の脳内はグルグルと混乱してしまった。姉弟といえその頭には義理がつくのだから、あまり過激なスキンシップは控えてほしい。
その後なんとか離してもらったが、きっと僕の顔は真っ赤になっているだろう。
「……なるほど。デニム君も苦労しているようだね」
ハボリムさんのボソリとしたつぶやきに、僕は心から頷くしかなかった。
おや、コリタニ公の様子が……?
デネブさんもカチュア姉さんも平常運転。TOって女性陣が強すぎませんかねぇ……