一晩明けて、俺達はクリザローの町を発つ事にした。ちなみにデネブさんの目撃証言によれば、ヴァイスは一日中ひとりで河を眺めながら悶々としていたらしい。お前……。
見送りに、わざわざプレザンス神父やアロセールたち兄妹がやってきてくれた。兄のシドニーがデネブさんの露出の多い服装に目を奪われ、アロセールに足を思い切り踏まれている。あれは痛い。
「ベルゼビュート殿、ラヴィニス殿、今回はありがとうございました」
「ああ。避難するならば急いだ方が良い。ガルガスタン軍の襲撃は近いはずだ」
「ええ、昨日から町長にも掛け合っておりますからな」
神父は柔和な笑みを浮かべて答える。どうやらすでに動き始めていたらしい。昨日も息を切らしながらも現場までダッシュしていたし、見かけによらず俊敏なオッサンである。
「あら、ベルちゃんったらまた人助け? 行く先々で人助けなんて、まるで物語の勇者様みたいねぇ」
デネブさんが妙な例えを出してからかってくる。ところで、その手に持っている呪文書はどこで手に入れたんですかねぇ。昨晩からやけにホクホク顔で読んでいたから、あえて尋ねなかったけど。
「……勇者と呼ぶのならデニムの方だろう。ゴリアテの英雄とまで呼ばれる事になるのだからな。俺は勝手気ままにやっているだけだ」
「いえ、私もベル殿は勇者のようだと……」
消え入りそうな声でラヴィニスがボソボソとつぶやく。視線を向けると、赤い顔をして俯いていた。思わずギュッと抱きしめたくなったが、人目があるので我慢する。
「ゴリアテのデニム? あら、それってもしかして、あの子の事かしら」
「ふぅ、イテテ……。ああ、アロセールが殴り飛ばそうとした彼の事か」
「に、兄さん!」
足を踏まれて悶絶していたシドニーは、アロセールに怒鳴られて再び身をすくませる。なんというか、学習しない奴だな。いや、よく見ればシドニーは口元に笑みを浮かべているし、これがこの兄妹のコミュニケーションなのかもしれない。
「デニムを知っているのか?」
「ええ。といっても、先日のゴリアテのお祭りでたまたま知り合っただけですけどね。アロセールを無理にナンパしようとした男たちから守ろうとしてくれて」
「あいつらしいな……」
俺の知っているデニムと変わらない行動に、思わず笑みがこぼれる。時間が戻っても、デニムはデニムだという安心感が少しだけ得られた。
「まあ、結局はアロセールが自分でボコボコにしてたっていう笑い話なんですけどね」
「もうッ! その話はもういいでしょ!」
顔を赤くしたアロセールが慌ててシドニーの話を遮る。男複数人を返り討ちとは恐ろしい武勇伝である。ラヴィニスだって怒ったら突剣でプスプスしそうだし、この世界の女性ってみんな強すぎませんか……?
「祭りの時って事は、消えちまう前日じゃねぇか! デニムは、あいつはどこかへ行くって言ってなかったか!?」
そこへ今まで悶々としていたヴァイスが急に割り込んでくる。デニムの事になると、まるで水を得た魚のようだ。
その剣幕に、アロセールとシドニーは顔を合わせて二人同時に首を横に振る。性格が正反対な兄妹だが、こんな時の仕草は息があっていた。
「消えたって……デニムは居なくなってしまったのかい?」
「ああ、そうだ……。あの野郎、俺に何も言わずに家族ごと消えちまったんだ……」
「そうなのか……。残念だけど、僕達は少し話しただけだから……」
申し訳なさそうに話すシドニー。しかし、不意に何かを思い出したのか、ポンと手を叩く。
「あ、でも、滞在の予定を聞かれたかな。僕達は祭りの翌日にすぐにトンボ返りだったんだけど、その予定を話したらデニムは何だか安心した様子だったよ」
「安心……?」
それが本当なら、デニムは前日から襲撃の事を知っていたという事になる。やはり何らかの理由で襲撃を予期していて、当日の日中に暗黒騎士団の間者に呼びかける真似をしたのだろう。しかし、デニムは一体どうやって襲撃の事実を掴んだのだろうか。
「それと、アロセールの恋人の事も知っていたみたいで驚いてたな」
「に、兄さん? それを話す必要はあるの?」
「こういう事は何がきっかけになるかわからないんだよ。デニムの行方を考える協力をしようよ」
「も、もう……」
シドニーはしかつめらしい真面目な顔をしてアロセールを諭した。しかし、俺の視力ではピクピクと痙攣するシドニーの口元を見逃していない。
「それで、恋人とは?」
「アルモリカ騎士団団長のレオナール・レシ・リモンさんです」
「えっ!? レオナールが恋人!?」
大声を出したのはラヴィニスだ。彼女にしてみればレオナールは元同僚だったわけで、その驚きはひとしおなのだろう。かくいう、レオナールと直接の面識はない俺でさえ驚いている。
レオナールといえば、ウォルスタ解放軍における指導者であったロンウェー公爵を見限り、クーデターを起こした首謀者だと聞いている。公爵を暗殺して汚名を被り、最後はデニムに意思を託して討たれたとも。
そんな男に恋人がいたとは初耳だ。というか、目の前のアロセールはどう見てもまだ未成年。対してレオナールはアラサーのオッサンだったはずだ。まだ会った事もないのに、一気にレオナールのイメージが上書きされてしまった。公爵もロリコンに暗殺されるなんて浮かばれまい……。
「そんな……レオナールに恋人がいたなんて……」
「あの……? ラヴィニス様は、彼とどのような関係なんでしょうか?」
ふと気がつけば、笑顔のアロセールから妙なプレッシャーが放たれている。背後にスタンドが立っていそうな雰囲気だ。側にいたシドニーは冷や汗を流しながらスススと退避していく。ラヴィニスは彼女の勘違いに気づいたのか、慌てて否定する。
「ち、違うわ! 別にレオナールとはそんな関係じゃ――」
「その割には、彼の事を名前で呼んで随分と親しそうですね……?」
「そ、それは……」
ラヴィニスがレオナールを名前で呼ぶのは同僚時代からの癖なのだろう。しかし、それを話してしまえばラヴィニスがアルモリカ騎士団の騎士である事が露見してしまう。別に話してしまっても構わない気もするが、これからアルモリカに避難しようとしている人々に話せばロンウェー公爵にまで伝わる恐れもある。
この時間軸のラヴィニスが存在しているのか確かめてはいないが、存在していてもいなくても、ろくな事にならないのは間違いないだろう。騎士の名や身分を騙る偽物として追われる可能性もある。
進退窮まったラヴィニスは、目を回しながら思いがけない行動にでる。
「わ、私の恋人はベル殿だけですッ!」
俺の腕を抱き寄せながら大声で放った宣言は、クリザローの町中に響き渡った。
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「ええい、まだ見つからんのか!」
「ハッ、申し訳ございません」
血管を浮かび上がらせ苛立ちを隠さないその姿は、普段の冷徹な指導者のイメージからかけ離れている。だが彼が焦るのも無理はない。彼の権力の根拠としていた存在が消えてしまったのだから。
レーウンダ・バルバトス枢機卿はコリタニ公の失踪を受けて、手すきの全戦力をその捜索に当たらせていた。そのため準備を進めていた対ウォルスタの開戦はどんどんと遅延しており、国内の治安維持という名目で行なっていた異民族弾圧も滞っている。
それどころか本当の治安維持に掛ける戦力すらも最低限にまで削っているため、反バルバトス派によるゲリラ活動や賊の類が跳梁をはじめ、国内の治安は急速に悪化していた。
しかし、そんなバルバトスの
先ほどからバルバトスの叱責を甘んじて受けている将軍ザエボスは、あまりにも堂々と脱走してみせたジュヌーンの鮮やかな手際に拍手の一つも送りたい気分だった。だがそれを追う立場になれば、そうも言っていられない。
「このままでは……」
すでにコリタニ公の不在を受けて、一部はバルバトスへの対立姿勢を顕わにしはじめている。その中心となっているのは、かのドルガルア王に追従を見せた貴族達。
ウォルスタ人達と違い、降伏が遅れたために外様扱いされたガルガスタン人達だったが、それでも王国への忠誠心が高い名家の者達は領土を安堵され、貴族として家を保つ事ができた。それに感謝して亡き王に忠誠を誓った貴族は多く、彼らは民族融和を唱えた王の遺志を継ごうと考えている。
これまでのバルバトスは表立って対立しようとした相手は武力をもって威嚇し、場合によっては犯罪者として摘発してきた。それらは政治犯として北方のブリガンテス城の監獄に収められている。
だがここに来て、そういった強権の発動は難しくなりつつあった。コリタニ公の失踪はすでに
「大体、あの実験部隊にはドラゴンがいるはずではないか! そのような目立つ部隊が見つからないはずがあるまい!」
「ハッ……恐らく人目に触れない場所を選んで移動しているものかと……。あの部隊は普段からそのように移動していたようです。なにぶん、ドラゴンが民の目に触れれば大騒ぎになりますから……」
「くっ……」
竜騎兵団はあくまで実験部隊なので知名度は高くない。そのため、ドラゴンが街道や町の近くで目撃されれば大混乱が起きるのは必至だった。団長のジュヌーンはそのような事態を避けるため、普段から周囲の地形を調べ上げていたのだろう。あのマメな男らしいとザエボスは考えた。
「あのような部隊など作らなければ……!」
「猊下……」
バルバトスの嘆きに、ザエボスはどのような声を掛けるべきかわからなかった。せめて自分がコリタニ城に居れば早期に手を打つことができたのだが、バクラムの一部部隊に動きが見られるという間者からの報告を受けて急遽前線に赴いていた。結局それは少数の動きに留まったのだが、紛らわしい事この上ない。
コリタニ公の不在によって、元々まとまりに欠けていたガルガスタン軍は急速に結束が失われつつある。建国したばかりにも関わらず訪れた苦境に、ザエボスは王国の未来を憂うばかりだった。
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先ほどから「穴があったら埋まりたい」とうわ言を繰り返しているラヴィニスをなだめつつ、俺達はクリザローを後にした。恥ずかしがるラヴィニスは非常に可愛かったのだが、デネブさんがそれを見てケラケラと笑っているのが心臓に悪い。
恋人をバラされたアロセールには悪いが、結局デニム達の行方はわからないままだった。だが、彼女達の話から一つだけ気になった点がある。
それは、デニムがレオナールの事を知っていたという事実。
その後なんとか復調したラヴィニスから聞き出したのだが、『前』のデニムとラヴィニスが初めて出会ったのは『ゴリアテの英雄』と呼ばれる事になったロンウェー公爵救出の後だった。その同僚であるレオナールも同様だろう。
それまで田舎町のゴリアテからほとんど出た事のないデニムが、騎士団長であるレオナールと知り合うきっかけなどほぼ無いだろうから当然と言えば当然である。逆に言えば自領の騎士団長の名前ぐらいは知っていてもおかしくはないのだが、それにしてはデニムの反応が不自然だ。
偶然かもしれない。俺達の存在によるバタフライエフェクトかもしれない。
だが、俺は一つの可能性を考えずにはいられなかった。それは、デニム自身もまた『未来』からやってきたのではないか、という可能性だ。
暗黒騎士団による襲撃の事といい、重要人物であるカチュアを含む家族ごと失踪してしまった事といい、明らかにデニムの動きには『先』を知る者の作為を感じさせる。それがデニム自身であるとは限らないが、直感的にデニムの仕業だと感じたのは確かだった。
「ベル殿、やはりデニムは……」
「まだわからん。だが、そう考えれば辻褄が合うのも確かだ」
ラヴィニスには先ほど話を聞いた流れで考えを説明してある。俺の言葉にラヴィニスは暗い表情で頷いてみせた。その表情の理由は明らかだ。
「ですが、デニムはあの戴冠式の後に……」
彼女は最後まで言葉を紡ぐ事ができなかった。そう、ラヴィニスは確かにあの時、デニムの最期を目の前で目撃したのだから。俺もまた、彼女の腕の中で眠るデニムを目撃している。
「……それは君にも言える事だろう」
「……そう、でしたね……」
彼女もまた、俺の目の前で凶刃に倒れ伏したはずだった。だが、今もこうして息をして、俺の前に立ってくれている。それがデニムに起きないという道理はない。
「思えば、俺にとって本当に大切だと思える存在は、君とデニムしかいなかった」
死者の宮殿で目覚め、前世の記憶があってもこの世界での記憶はない。話し相手といえば、人としての常識が通用しない人外の存在ばかり。俺は自分でも知らない間に、随分と人に餓えていたのだろう。デニムの辛い境遇を聞いて、すっかり共感してしまったのだ。
ニバス氏やカノープスなど多くの人々と知り合ったが、後にも先にも俺の琴線に触れたのはデニムとラヴィニスの二人だけだった。
「もしデニムも戻っているのだとしたら、それは俺のせいかもしれないな……」
「…………」
「偉業を達成し、安らかに眠るべきあいつを喚び起こしてしまった。そして、この戦乱の時代の苦しみを再び味わわせようとしている。俺にあいつの友人を名乗る資格など――」
「ベル殿」
俺の自嘲めいたセリフを遮ったラヴィニス。困惑する俺を、潤んだ瞳が見上げる。
「……私は、感謝しております。こうしてまた、貴方とお話できる事を……」
「ラヴィニス……」
「デニムはわかりませんが、私はあのような最期など到底納得できません。最後に見たのが、愛する人の泣き顔だったなんて……」
「…………」
ラヴィニスはそっと目を伏せてそう言った。あの時の事は頭が一杯でよく覚えていないが、ラヴィニスがそういうのなら俺は泣いていたのだろう。
「きっとデニムだって、家族や親友を亡くしていなければ同じ気持ちになったと思います。だからこそ再びチャンスを得て、家族を救おうと必死に行動しているのでしょう」
デニムと同じ立場である彼女の言葉には説得力があった。その言葉に少し救われた気がして、その後に彼女の事が急激に愛おしくなって、彼女の鍛えていても華奢な身体を強く抱きしめる。
腕の中に確かに存在する温もりを感じ、俺はそっと息を吐いた。
もし、この『やり直し』が俺の身勝手によって引き起こされた事だとすれば、俺は何度でもデニムに謝るだろう。でもその後で、デニムの無事を素直に喜びたいと思う。きっとデニムなら、笑って許してくれるのだろうな。
ちなみに、抱き合った場面をしっかりとデネブさんに目撃されており、しばらくネタにされた。
さすがのメインヒロインは格が違った。このオッサンばかりの物語に一粒の清涼!
バルバトスさんはもうダメみたいですね……。