ヴァレリア生まれ死者宮育ちのオウガさん   作:話がわかる男

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間があいてしまい申し訳ありません!


058 - Tightrope Walking

「いらっしゃいませ」

 

 先ほど僕達にしたのと同じようにマスターが声を掛ける。現れた客は僕にとって因縁浅からぬ相手、暗黒騎士団の首領ランスロット・タルタロス。黒い眼帯も、青みがかった銀髪も、僕の記憶の中にある通りの容姿だった。

 その顔を見て危うく声を漏らす所だったが、なんとか堪えた。なぜ奴がこの場所に、もしかして僕達の入国を知られていたのか、と脳内で思考がめまぐるしく入り乱れるが、それを表に出さないよう心がけながらティーカップに口をつける。

 

「……マスター、テーブルを借りるぞ」

「はい、かしこまりました」

 

 横目で確認していたが、タルタロスは僕達の姿を一瞥しただけで特に言及することもなかった。どうやら気付かれていたわけではないらしい。相手は僕達の人相を詳しく知らないようだし、今の僕達がローブ姿なのも幸いしたのだろう。ハイムに多くいる宗教関係者だとでも思ってくれていれば良いのだが。

 驚いたことに、奴は一人ではなかった。後に続くように扉から現れたのは白髭の男性、確かバールゼフォンだったか。タルタロスの代理を務めるほどの側近だったはずだ。そしてもう一人は跳ね上がったもみあげが特徴的な男、ヴォラック。こちらとは直接剣を交えた事もある。

 

「む、この時間に先客とは珍しいですな」

 

 店内に入ってきたヴォラックがカウンターに座る僕達に注目する。やはり正体が気付かれている様子はないが、何かの拍子で露見しないとも限らない。何の反応を返さないのも不自然なので、ティーカップを置いて目礼だけ返した。

 

「ヴォラック、余計な事を口にせぬよう気をつける事だ」

「ハッ。気をつけます」

 

 バールゼフォンの忠告に対して、ヴォラックは律儀に頭を下げる。そのまま三人は背後のテーブル席へと腰掛けたのがわかった。カウンターに座る僕達はちょうど奴らに対して背中を向ける形になっている。狭い店内なので手を伸ばせば届く距離だ。

 マスターがカウンターを出て注文を取りに行くのを見届けて、僕達は密かに目を合わせた。

 

 恐らく姉さん達は、マスターの言葉から奴らが暗黒騎士団の一員である事は察しているはずだ。顔を知らないはずなので団長やテンプルコマンド級である事はわからないだろうが、僕達の正体がバレるような事を口にする心配はないだろう。

 一つ気がかりなのは、父さんがマスターに対してプランシー・モウンという本名を名乗っている事だ。仕方なかったとはいえ、まかり間違ってマスターに「プランシー様」などと呼び掛けられたら、僕達は一気に窮地へと追いやられる事になる。

 すぐに店を出ようかとも思ったが、まだ出されたものを飲み終わっていないうえ、暗黒騎士たちが来た途端に席を立つというのも不自然な気がしてならない。結局、僕は視線をカップに落として、次に出口へと動かし、姉さん達に「飲み終わったら店を出よう」と目線だけで伝えた。

 

「いやはや、この店とも随分と顔なじみになってしまいましたなぁ」

「いつもありがとうございます」

 

 奴らはこの店の常連になっているらしい。ゴリアテの襲撃が空振りに終わって暗黒騎士団の動きがどうなるか警戒していたが、トップが酒場にいるところを見れば活発に動いているというわけではないようだ。

 

「他の酒場は騒がしすぎるからな。それに、この店の料理はどれも絶品だ。まさかこのヴァレリアで、故郷の味を味わえるとは思えなかったが」

「ありがとうございます。……と言いましても、父が世界各地の料理を熱心に研究しておりましたので、私はそれを継いだだけなのです」

「ふっ。例え父親から継いだものだとしても、それを料理するのはマスターの腕前あってのものだろう。……それに、父親とはいつかは超えるべき相手に過ぎん」

 

 バールゼフォンは随分とこの店の料理が気に入っているらしい。確かに、壁に提げられているメニューには見慣れない名前も多い。

 注文を取り終わったマスターがカウンター内に戻ってくる。父さんの持つワイングラスはまだ空になっていない。逸る気持ちを抑えながら僕もティーカップを傾けていると、マスターは気を利かせて僕達に声を掛けてくる。

 

「お客様、もしよろしければ料理の方も何かお作りしましょうか? ……父の味をご存知のお客様にご満足いただけるか、いささか緊張いたしますね」

「む……そう、だな……」

 

 マスターの提案に父さんは目を泳がせて返答に困っている。本音を言えば長居は避けたいのに、ここで一皿頼んだら店を出るのが更に遅れてしまうだろう。

 

「――ほう。見かけぬ顔だが、この店の常連か」

 

 ぎくり、と心が波立った。その低い声は、今まで黙り込んでいたタルタロスの口から発されたものだ。僕達の事情など何も知らないマスターは、僕達の肩越しに嬉しそうな顔で頷いて説明する。

 

「ええ。私の父の代だった頃、この店に通っていただいていた恩人の方なのです」

「ほう……。ところで、父君が亡くなったのはいつ頃の話だったかな?」

「もうかれこれ三年前になりますねぇ」

「…………」

 

 のん気なマスターの声とは裏腹に、僕の緊張感は高まる一方だった。もしかして気付かれたのだろうか。背中を向けたまま緊張する僕達だったが、そこへマスターと同じく能天気な声が割って入る。

 

「残念ですなぁ。私もマスターの父君にお会いしたかったものです。私の故郷料理もぜひ作って頂きたかったですなぁ。こちらの料理は味が薄すぎていけません」

「ははは、確かに他の国の料理に比べると薄味かもしれませんね。ヴァレリアは海洋国家で、香辛料や調味料の類は輸入に頼って高額だったのが原因と言われています。慣れれば、素材の味を活かす調理法というのも悪くないものですよ」

「ほほう。なるほどなるほど。国が変われば文化も変わる。道理ですなぁ」

 

 ヴォラックは感心したような声を出している。空気がやや弛緩したところで、父さんはワイングラスを飲み干すと席から立ち上がった。財布から銀貨を数枚、カウンターテーブルの上に置く。

 

「マスター、すまないが我々はこれから諸用があるため、今日のところは遠慮しておこう。また時間ができた時にでも、ゆっくりと味わわせて頂きたい。父君の料理も絶品であったからな」

「おや、そうでしたか。無理にお引き止めしたようで申し訳ありません。本日は、父のためにわざわざ足をお運び頂きありがとうございました」

「いやいや。こちらこそ不義理をして重ね重ね申し訳なかった。だが、このように立派な後継ぎがいて、父君も安心しながら逝っただろうな」

 

 父さんの言葉に、マスターの男性は少しはにかみながら頭を下げる。

 

 僕達が店外にでると、わざわざマスターが見送りに出てきてくれた。今なら店内の暗黒騎士達の耳を避ける事ができる。僕はすかさずマスターに小声で話しかけた。

 

「マスター、あのロスローリアンの方々に僕達の事を話すのは避けて頂けますか? できれば名前を出すのも控えて頂きたいのです」

「はぁ、構いませんが……」

「無理はしなくても良いのですが、僕達がブランタ枢機卿の身内だと知られれば厄介な事になるかも知れませんので……」

「……なるほど、モウンという姓には聞き覚えがありましたが……。かしこまりました、お客様達のお話はいたしません。気が付かずにご迷惑をお掛けするところでしたね」

 

 そう言って謝るマスターをなだめながら、そっと安堵する。これで僕達の事が伝わるのはかろうじて避けられるはずだ。ここまで接近したのに滞在を続けるのは危険な綱渡りだが、ブランタと会う前にハイムを出る訳にはいかないのだから。

 

 酒場を出た僕達は一目散にその場を後にし、追手もついていない事を確認してようやく一息つくことができた。味もわからないままお茶を飲むのは、これで最後にしたいものだ。

 

--------------------

 

「……どう思った?」

「……斥候の類にしては、いささか素人臭すぎますな」

 

 デニム達が立ち去った酒場、そのテーブル席の一つに座る男たちは小声で密談を交わす。その話題となっているのは、先ほど出ていったばかりの三人組の事だった。

 タルタロスの問いかけに対して、バールゼフォンは難しい表情で答える。裏仕事に精通する彼らからしてみれば、デニム達の拙い演技など完全にお見通しだった。タルタロス達の来店に過敏に反応し、さらに背中からは緊張感がにじみ出ていた。明らかにタルタロス達の事を見知っている反応だ。

 

「考えすぎではないでしょうか? マスターとも顔見知りのようでしたし」

 

 そう楽観的な意見を述べるのはヴォラック。ヴァレリア料理が口に合わない彼にしてみれば、この店は非常にありがたい存在なのだ。ついついマスターを庇いたくなる気持ちがでてしまう。

 そのマスターはカウンター内で注文された料理を作っている。テーブルの上にはすでに注文した酒類が並べられ、タルタロスの手元にも琥珀色の液体が注がれたグラスが置かれていた。しかし彼らはまだ一口も口をつけていない。

 

「今でもこの店に通っているなら、ああいった言い方はせん。三年前に他界したというマスターの父親のみと顔見知りだったと考えるべきであろう。それが何らかの理由で、しばらく店に通う事ができなくなったと見るべきだな」

「……ハイムを出ていた、という事でしょうか。その場合、戦争の近い今頃になって戻ってきたというのが気になりますが」

「バクラム人であれば怪しまれずに済むと考えて、他国が送り出した可能性もあるが……。やはり素人臭さが鼻につく。あれでは疑ってくれと言っているようなものだ。いや、それが狙いか……?」

 

 考察を続けるタルタロスとバールゼフォンの応酬を、ヴォラックは目を白黒させながら聞いていた。裏表のない実直な気質をもつヴォラックは、その分だけやや察しが悪いところがある。定型的な事務作業は得意だが、こういった謀議のようなものは不得意な分野だ。

 

「……我々の出入りする店に現れたのは出来すぎている。間違いなく我々を待ち受けていたのであろうが……」

「やはり目的がわかりませんな。接触してくる事もなく、情報収集にしては大して成果も無い内に席を立っています。何か事を起こす前の偵察でしょうか?」

 

 実際のところ、デニム達との邂逅は単なる偶然にしか過ぎないが、用心深いタルタロス達はそう考える事ができなかった。隠された思惑を読み取ろうと考察を続ける。

 

「お待たせいたしました」

 

 そこへ香ばしい匂いと共にマスターが現れ、テーブルの上に皿を並べていく。香辛料がふんだんに用いられたそれらは、いずれもローディス教国ではよく食べられている料理だが、この国ではなかなか見かける事ができない品々だ。ヴォラックは「おぉ、待ちかねたぞ」と言って、早速フォークを手に取った。

 

 ふと思いついたバールゼフォンが、何気ない調子でマスターに尋ねた。

 

「マスター。つかぬ事を聞くが、先ほどの三人組は何者か知っているか?」

「いえ、父の頃の常連だったお客様だとしか……あの方達がどうかいたしましたか?」

「いや……。見知った顔の気がしただけだ。忘れてくれ」

 

 マスターは歳に見合わぬポーカーフェイスで、急所を突くような質問にしれっと答えてみせた。さすがのタルタロス達もそれを見破る事はできない。

 

「……まあよい。念の為、人を遣わせて正体を洗わせる程度で良いだろう」

「始末しなくてもよろしいのですか?」

「ふん……我々の仕事はネズミ駆除ではない。そうであろう?」

 

 タルタロスの皮肉めいた言葉に、バールゼフォンは黙って頷いた。

 話が一段落したのを見計らって、先ほどから料理に手を付けていたヴォラックが口を開く。

 

「それにしても、このまま動かずにいて本当によろしいのですかな? 我々の標的も――」

「ヴォラック。余計な事を言うなと忠告したはずだぞ」

「は、はっ。失礼いたしました」

 

 慌ててフォークを置いて平謝りするヴォラックを横目に、タルタロスとバールゼフォンは溜息を一つついてグラスを傾けた。

 

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 人目を避けながらリィ・ブム水道を抜けた竜騎兵団は、途中で部隊を二手に分けていた。一つは西方の港町アシュトンへと進路を取り、もう一つは南方へと向かっている。

 港町の方は間違いなく監視の目が多いため、ごく少数による編成となっている。そこまでしてアシュトンへ向かう目的は、海路をたどるための船を確保するためだ。南方に向かう本隊と後々合流する予定となっている。

 コリタニ公やジュヌーンは当然ながら本隊と共に行動している。水道を抜けて南下すると、そこにはゾード湿原と呼ばれる湿地帯が広がっていた。人目につく通商路など通れるはずもない彼らは、やむを得ず人の手の入っていない道なき道を進む事になる。

 

 ジュヌーンによる説教を受けてから、コリタニ公は幼いながらも己の立場について深く考え込むようになった。まともな道を通る事ができない厳しい行軍だったため、さすがに弱音の一つ二つは出てくるが、コリタニ城に帰せとは口にしなくなっている。

 そんなコリタニ公に対して、部隊の者たちの目は優しい。例え単なる名目上だったとしても自分たちの君主にあたる相手なのだが、残念ながら年齢的にも日頃の言動からいってもそうとは思えない。もちろん不敬にならない程度の敬意は払っているが、一人の子どもとして見てしまうのは仕方のない事だった。

 

「なぁ、ジュヌーンよ。バルバトスは皆のために国を興すと言っていたのに、あれは嘘だったのか? 皆は国ができても嬉しくなかったのか?」

 

 コリタニ公は、自分がよくない事に加担していたのではないかと不安な表情を見せる。バルバトスに言葉巧みに乗せられていたとはいえ、彼が飾りの王となったのは皆のためになると聞かされていたからだった。

 ジュヌーンはそんな彼の気持ちを察しつつ、穏やかな声で染み込ませるように言い聞かせる。

 

「そんな事はございません。多くのガルガスタン人にとって、自分達の国を持つというのは悲願にも等しい事だったのです」

「で、では、どうしてバルバトスは異民族を虐げるのだ? どうして異民族と戦う必要がある? 自分達の国が持てたのだから、それで十分ではないのか?」

「……ガルガスタン人はこれまで力ある立場に立つ事はできませんでした。その事に反発を覚える人々がいる事は否定しません。ですが、バルバトス枢機卿はそういった人々の気持ちすら利用し、異民族の排斥を目論んでいます。奴にとってはガルガスタン人が至上であり、他の民族は全て劣等という事なのでしょう」

「むぅ……。だが、余の叔母上はバクラム人だったぞ? 見た目もガルガスタン人と変わらないし、余に優しくしてくれたのだ。バルバトスは、あの叔母上も劣等だというのか?」

 

 単に異民族と一括りする前に、身近な人物に置き換えて考えてみるコリタニ公。これまで彼は甘やかされて育ってきたが、その性質は決して愚鈍ではなかった。そんな彼に、ジュヌーンの口元は自然と緩む。

 

 こうした会話を繰り返して、徐々にコリタニ公はこれまでの偏見をなくしていった。バルバトスの行いは客観的に見てみれば残虐極まりなく、根は善良なコリタニ公にとって受け入れられるものではない。

 ジュヌーンはあくまで臣下としての立場を崩さず、コリタニ公の質問に答える形でしか意見を述べる事はなかった。バルバトスを批判しているが、あくまでも批判の対象は民族浄化という政策においてのみ。

 これまで周りに流されるばかりだったコリタニ公にとって、そんなジュヌーンの態度は信頼に足るべきものに見えた。

 

 悪路極まりない湿原を黙々と進む彼らだったが、さすがに日が落ちた中を進むのは危険が大きすぎる。日が完全に暮れる前に何とかスペースを見つけ、野営の準備を進めていた竜騎兵団。

 だがそんな中、その部隊に所属するドラゴンの一匹が不意に唸り声を上げた。それは間違いなく敵襲を知らせるもので、部隊の面々に緊張が走る。

 

「オオオオォォォ……」

 

 聞く者を身震いさせるような悍ましい声が、夜闇に包まれた辺り一帯に響く。さすがにその程度で怖気づく兵はいないが、唯一の例外であるコリタニ公はすっかり顔を青ざめさせていた。

 

「陛下。我々がお守りいたしますので、ご心配召されず」

「う、うむ……」

 

 すぐにコリタニ公を中心として防衛陣が整えられる。そのまま警戒を解かずにいると、やがて闇の中から声の主が姿を現した。湿地をグチャリグチャリと音を立てながら歩くその姿は、一見すれば単なる人間のように見える。だがよく見ればその顔には生気がなく、全身からは不浄の気配を放っているのがわかった。

 

「ゾンビか……厄介な……」

「だ、大丈夫なのか?」

「ええ。手強い相手ではありません。ただ、あいにく我々の中に浄霊の魔法を扱う者がいないのです」

 

 アンデッドと呼ばれる魔物が厄介なのは、ただ倒すだけでは対処が終わらないという一点に尽きる。例え倒したとしても、時間と共に再び動き始めるのだ。それを防ぐためには、修行を積んだクレリックが使える浄霊の魔法『イクソシズム』が必要だった。

 気がつけば、一体だけではなく二体、三体と周囲にぽつぽつと現れて数を増やしていくゾンビ達。さらにはスケルトンやゴーストといった、人の形すらも保っていない不浄の存在までもが姿を現した。コリタニ公を護りながらこの数を相手にするのは、さすがの竜騎兵団でも荷が勝ちすぎる。

 

「やむを得んな……。ここでの野営はあきらめ、一点突破で包囲を抜けよう」

「この闇の中での行軍ですか……。厳しいですが、仕方ありませんね」

 

 苦渋の決断をするジュヌーンに、側近の一人も同意する。これまでの悪路で兵士達の体力も限界に近いのだが、敵に囲まれている以上は泣き言も言ってられない。

 

「……包囲を抜けた後は予定通り、南西のバルマムッサに向かう。皆には苦労を掛けるな」

「ハッ、苦労人の隊長についていくって決めた時から覚悟の上ですよ」

「そうそう。さっさと切り抜けて、バルマムッサで一杯やりましょうや」

 

 軽口を叩きながら、それぞれの得物でアンデッドたちを牽制する兵士達。彼らの信奉厚いジュヌーンは小声で感謝を述べ、剣の柄を握りながらコリタニ公を護るように立つ。

 

 そんな彼らの様子を、幼いコリタニ公は黙って見つめていた。

 

--------------------

 

 ボルドュー湖畔で一夜を過ごした俺達は、太陽が地平から顔を出した明け方には動き始めていた。

 

 湿地を抜ければ少しは歩くのも楽になるかと思ったのだが、この先の大森林もお世辞にも足場が良いとはいえない地形だろう。こことは別のルートだとゾード湿原と呼ばれる広大な湿地地帯を通り抜ける必要があるらしく、どっちもどっちなのだが。

 

「ところで、『前』のラヴィニスはどのようにコリタニ公を城から連れ出したんだ?」

「私の母方の伝手を頼って、反体制派の貴族の協力を得たのです。そこからコリタニ公の側仕えと密かに連絡をとり、解放軍の攻撃によって生じた隙をついて救出に成功しました」

「ふむ……。だが今回はその手は使えそうにないな。反体制派の貴族と協力するのは可能かもしれんが、そもそも解放軍がまだ結成されていない以上、隙をつくとなると難しいか」

 

 俺達の話題は、コリタニ公救出にあたっての作戦だった。最悪、ハイム城でやったように俺が一人でコリタニ城に突っ込むつもりだが、コリタニ公が人質に取られたりしたら面倒だ。

 

「そういえば、コリタニ公はどのような人物だ? 救出には素直に応じてくれたのか?」

「それは……」

 

 俺の問いかけに顔を曇らせて言葉を濁すラヴィニス。

 

「……正直に申し上げれば、名目上の国主とはいえ、バルバトスの甘言に乗せられた子どもにしか過ぎません。十にも満たない年齢なので仕方がないのですが、ご自身の立場を理解しているとは到底言えませんでした。私達が城から連れ出した時も、周囲に当たり散らして城に戻せと……」

 

 彼女にしては、なかなかに辛辣な評価だ。恐らくワガママ放題に育てられた子どものような状況なのだろう。周囲に流されるしかない子どもとはいえ、責任ある立場にいる以上、無知は罪としか言いようがない。

 

「そうか。自覚がないのは厄介な事だな。いざとなれば俺がしつけを――」

「い、いえ、それには及びません」

 

 ラヴィニスが慌てて俺の発言をさえぎる。あれぇ? こう見えても俺は子どもの扱いが得意なのに。オミシュの時だって、不良幼女をしっかりと叱ってやったら更生したしな。それに今時は、夫だって子育てに参加すべきだろう。将来のためにも、今のうちから協力していかなくてはな。うんうん。

 

「あの、ベル殿……?」

「心配するな、ラヴィニス。俺は決してお前に家事や育児を任せきりにしたりはしない」

「は、はぁ……? そ、その……ありがとうございます」

 

 なぜか怪訝な表情を浮かべるラヴィニスだったが、徐々にその意味を理解したのか顔を赤らめていく。しまった、先走りすぎたか。まあ、結果オーライだろう。

 

 そのまましばらく黙って歩いていた俺達だったが、遠目に大森林の木々が見えてきた頃、その入口となっている道に複数の人影が立っている事に気づく。

 

「む……?」

 

 まだ距離があるため俺の視力でもぼんやりとしか確認できないが、人影は鎧を身に着けた兵士か何かのように見える。さらによく見れば、その近くには野営用のテントらしきものも設置されていた。

 

「どうかされましたか、ベル殿」

「森の入口に兵士達がいるようでな。恐らくガルガスタン軍の兵だと思うが……」

「このようなところに……?」

 

 スウォンジーの森はコリタニとアルモリカを隔てているため、アルモリカ軍を警戒しているとすれば理解できなくもない。だが、こちらはアルモリカ側の入り口なのだから、このままでは要らぬ刺激を与えてしまうだろう。いくら開戦が近いとはいえ、余計な警戒を招く可能性もある。

 その場に立ち止まって確認していた俺達。だが、どうやら向こうも俺達の存在に気づいたらしく急にバタバタと慌ただしくなり始めた。まだ距離があるのになぜ気付かれたのか疑問だったが、上空をふわふわと飛んでいるデネブさんを見て思わず遠い目をしてしまった。

 

 見つかってしまったものは仕方ないので、おとなしく兵士達に近づく事にした。どちらにせよ、ここを通らなければコリタニ城へとたどり着けないのだ。恐らく別ルートも似たような状況だろう。

 

「止まれッ!」

 

 テントから出てきた、他の兵士とは身なりの異なる男性が制止を掛けてくる。羽根飾りのついた兜や軽鎧などが特徴的なその格好は、確かルーンフェンサーと呼ばれる職業が好むものだったはずだ。

 言われた通り素直に立ち止まると、そのルーンフェンサーの男が部下の兵士数名を引き連れて近づいてくる。思っていたよりも若く、三十代前半ぐらいだろうか。

 さすがに空気を読んだのか、上空を飛んでいたデネブさんも何食わぬ顔で地面に降り立った。ここからでも、男が目を白黒させているのがわかる。

 

「なんだこいつら、怪しいやつらだな……」

「アニキ、あの飛んでた女、よく見ればすげぇ上玉ですよ!」

「何度も言ってるだろ! アニキって呼ぶんじゃねぇ! 隊長って呼べ!」

「へぇ! すみません、隊長!」

 

 近づきながらコソコソとしている彼らの会話はまる聞こえだったが、聞こえないフリをしておく。なんだか思っていたよりも随分と軽いノリだな。

 すぐ側までやってきた彼らは、しげしげと俺達を眺めていく。といっても、部下の兵士達の視線はデネブさんに釘付けだった。一様に鼻の下を伸ばしている部下達を尻目に、隊長と呼ばれた男は胡散臭そうな表情で問いかけてきた。

 

「お前ら、一体何もんだ? 大道芸人か何かか?」

「我々は傭兵です。傭兵募集の噂を耳にし、コリタニへと向かう途中でした」

 

 俺達の中で一番人当たりの良いラヴィニスが代表で答える。傭兵という身分については、あらかじめ打ち合わせておいたものだ。さすがに何の目的もなく旅をしているというのは通らない。

 

「ふ〜ん。傭兵にしちゃあ随分と礼儀正しいな。まあ例外もいるみたいだけどよ」

 

 長年騎士として勤めていたラヴィニスの物腰に、隊長の男は少し表情を緩めた。ちなみに、『例外』という発言と共に目線が向けられたのは、先ほどから兵士を誘惑するようにポーズをとるデネブさんだ。というか、ちょっとフリーダムすぎるんですけど。

 

「確かに傭兵は募集しているけどよ、それはあくまでガルガスタン人に限った話だぜ。南から来たって事は、お前らはウォルスタ人じゃね〜の?」

「私はガルガスタン人の娘です。私の母は先代のディーン子爵の庶子だと聞いております」

「ふ〜ん……」

 

 正確にはウォルスタ人とガルガスタン人の混血だが、ラヴィニスがガルガスタン人の娘である事に間違いはない。だが堂々とハッタリを告げるあたり、柔軟になったと褒めるべきか、不良になったと嘆くべきか。

 恐らく子爵の名に心当たりがあったのであろう男は、目を瞬かせたのちにラヴィニスの顔をしげしげと眺めて何度か頷いた。

 

「なるほどな。確かにその髪の色はディーン子爵と同じもんだ。先代は知らねえけど、今代の子爵は何回か見かけた事があるしな」

「お貴族様と顔見知りなんて、さすがアニキッスね!」

「だから隊長って呼べって言ってるだろうが! それに俺は十人長ヴァンス様だぞ! 貴族の知り合いぐらいいるわ!」

 

 まるで漫才のようなやり取りに、緊張していたラヴィニスも気の抜けた表情になっている。どうやら隊長の男はヴァンスというらしい。十人長って大した事ない地位な気がするんだが……。

 

「チッ。それにしても、庶子とはいえ貴族の孫娘を邪険にするわけにはいかねえか……」

「それでは……」

「まあ待てよ。傭兵の募集はまだ当分続いているはずだぜ。先を急ぐわけでもないだろうし、今日はここで休んでいけよ。スウォンジーの森は広いから、今から森に入ると森の中で日が暮れちまうぞ」

 

 明け方に出発した俺達だったが、すでに太陽は天頂を通り過ぎている。湿地に足を取られて、ここに来るまでに結構な時間を取られてしまったのだ。

 思いがけないヴァンスからの提案に、ラヴィニスは困惑しながら俺に視線を向ける。断るべきだが、目的を告げてしまった以上は急ぐ理由を作る事もできない。下手に断れば怪しまれるだけだろう。仕方がないので頷いてみせた。

 

「では……お言葉に甘えさせて頂きます」

「おっ、そうか。まあ心配しなくても、飯ぐらいは出してやるよ」

 

 ラヴィニスの返答に相好を崩す十人長ヴァンス。何気に面倒見の良さそうな奴である。部下達に慕われているのもわかるというものだ。

 そんな部下達は、一晩を共に過ごせると聞いてデネブさんの方を見ながら喜んでいた。

 

 厄介な事になってしまったが、一晩ぐらいならどうとでもなるだろう。

 もちろん、そんな俺の考えは完全にフラグとなってしまうのだった。

 




デニムくん、なんとか危機を回避したと思ったらバレバレだった模様。
十人長ヴァンス兄貴は1ステージで退場するのがもったいないほどの良キャラなので、ねっとり登用させて頂きました。ヴァイスくんと名前が似ているのが困りもの。

更新が遅れており、ご迷惑ご心配をお掛けしております。申し訳ございません。
もう少しで忙しさも落ち着きそうなので、長い目で見て頂けましたら幸いです。
あぁ〜もっと小説書きたいんじゃぁ〜。

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