松下村塾にて派手な音が鳴り響く。
稽古中の宇佐見蓮子がまたいつもの様にぶっ飛ばされて地面に転がっていた。
先生として静かに微笑みながらその光景を静かに見守るのは八意松陽
倒れた蓮子に対して何も言わずにただジッと見つめていると、程無くして彼女は木刀を杖代わりにしてヨロリと立ち上がる。
彼女の親友であるメリーは今はここにはいない、松陽の妻であり大学の教授である八意永琳に残されて話があるとかで来ていないのだ。
「まだよ、まだ私の剣は折れてないわよ……!」
以前は倒れたらすぐに気絶して起き上がるのにしばらく時間がかかったのだが
今では倒れてもなお歯を食いしばりながらすぐに立ち上がれるようにまでなった、負けっ放しなのは相変わらずだが
眼前の敵を睨み付けながら蓮子はフラリと体を揺らしながら歩み寄っていく、そして一歩前に強く足を踏み込むと
「その仏頂面! 今日こそぶっ飛ばしてやらぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
少女でありながら少々乱暴な言葉遣いで叫びつつ、蓮子が木刀を持って飛び掛かる相手は
クセッ毛の強い銀髪の、右手に短い得物を持つ蓮子とさほど年の変わらない少女であった。
数時間後、日が沈みすっかり夜になり、月が空にくっきりと現れ始めた頃。
よくよく見れば可愛い部類に入るであろう蓮子が顔に腫れを作りながらすっかりボロボロになった状態で
松下村塾の庭が見える腰掛にガックリと肩を落としながら座っていた
そんな彼女の隣に座っているのは、ずっと彼女の戦いを見守っていた松陽だ。
「先生、さっきの戦いどこが悪かったんですか……?」
「そうですね、やはりあの辺ですかね?」
「あの辺ってどの辺?」
「やっぱりその辺とこの辺でしたか」
「いや先生、もう意味わかんないんだけど」
意味不明なアドバイスを送る松陽にツッコミを入れながら蓮子ははぁ~とため息を吐くと、俯きながらボソリと小さく声を漏らす。
「先生、アンタの娘は強過ぎるわ……どうやっても勝てないんだと思えるぐらい強い、正に化け物よ」
「人の娘を化け物と呼ばれるのは父親としてショックですね、まあ彼女は仕方ないですよ、普通の人とはちょっと違うんです」
普通の人、それは自分も含まれているのだろうかと思うと、蓮子はムスッとした顔を浮かべて松陽の横顔へ目を向ける。
「大学で一緒にいた時からどこかいつも浮世離れしているのはわかってたけど、一体どんな風に育てたらあんなに強くなれるのよ」
「育て方ですか、何分彼女の事は妻や弟子に任せっぱなしだった所もありますので、父親としてやった事と言えば……精々悪い事したら拳骨してた事ぐらいしか思い出せません」
「だったら今からあの娘に拳骨して来たら先生? いたいけで可愛いあなたの弟子がこんなにボロボロになるまで痛めつけられたのよ?」
「なら妻に診てもらいなさい、丁度体の傷を癒す薬を作っていた所ですよ、副作用として体中に無数の腫れ物が出来るみたいですが」
「マッドサイエンティストの怪しい薬とか絶対にいらないわよ、てか副作用ヤバ過ぎでしょそれ……」
娘もそうだが父親もまたどこか掴み所の無い性格をしている。
きっとあの女は見た目は母親似でも性格は父親に似たんだろうなと思いながら、蓮子は目を細めてジッと彼を見つめた。
「ねぇ先生、あの女って昔からあんなに強かったの?」
「蓮子、誰であろうと昔から強い者だなんていやしませんよ。彼女もまた小さき頃から努力を積み、私の弟子の一人に鍛えられて強さを得たんです」
「その弟子って誰よ? 出来れば会わせて欲しいんだけど」
「おや、もしかして彼女に指導して貰いたいと思ったんですか? 残念ながら彼女はここにはいません、”少し遠く離れた場所”で、もう一人の弟子と共に一生懸命仕事に励んでいる頃でしょう」
そう言うと松陽は空に浮かぶ月を眺めながら一層微笑む。
「もしかすれば、いずれあなたも会う事があるかもしれませんね。稽古をつけてもらいたいならその時に聞いてみなさい、ですが彼女の指導は厳しいですよ、ウチの娘でも最初はかなりヘバッていたぐらいですから」
「ふーんあの女がね、そりゃ一度拝見してみたかったわ」
仏頂面でたまに生気のない目をしながら誰であろうと容赦のない彼女がヘバッている姿を想像して蓮子はニヤリと笑っていると
突然気配もなく忽然と、コトンと音を立てて自分の隣に何かが置かれていた。
それは紅茶の葉が入ったティーカップだった。
「おや、娘があなたの為に紅茶を淹れてくれていたみたいですよ。飲んであげなさい」
「え? でもどこにもいないわよアイツ?」
「友人の前で父親といるのが恥ずかしくてすぐ隠れちゃったみたいですね」
「誰が友人よ、アイツは敵よ敵」
周りを見渡しても自分とこちらに愉快そうに笑う松陽しかいない。
不思議に思いながら蓮子は彼女が淹れたと思われる紅茶の入ったティーカップを手に取り、恐る恐る口に付けてみる。
するとすぐに目をパチクリと開かせ
「あれ? 結構美味しい……てか美味過ぎじゃない?」
「ハハハ、何処で覚えたのやらわかりませんが、お茶を淹れるのが結構得意なんですよね彼女」
そう言って松陽も自分用に用意された湯飲み茶碗に手を伸ばして一口飲む。
蓮子と違って彼が飲んでいるのは紅茶ではなく普通のお茶の様だ。
「家事も私や妻よりも得意ですし、将来的にはその辺を生かせる仕事に就いてもらいたいものです」
「お茶淹れるのが得意で家事も万能? ならメイドにでもさせてあげたら? アイツがメイドとかマジでイメージ出来ないけど」
「ほう、良いですねそれ。彼女ならきっと可愛らしいメイドさんになってくれますし、今度彼女に言っておいてあげましょう、蓮子があなたを是非メイドにしたいと」
「誤解を招く言い方止めてくんない? てか冗談だからね? アイツがメイドとか絶対あり得ないから」
やれやれと首を横に振りながら蓮子は本日二度目のため息を突くと、紅茶を飲みながらふと松陽に尋ねる。
「ねぇ先生、私ってばあの女に負けてばっかりだけどさ、少しは強くなったのかな?」
「私が見る限りじゃ、確かに初めてここへ来た時に比べれば少しは強くなってると思いますよ」
「そうか、そこん所自分じゃよくわからないのよね……色々と自分なりに工夫して剣を振ってんだけど、やっぱり基礎をもっと踏まえた方が腕の上達も早くなるのかしら? でも基礎の鍛錬って地味だし退屈だから嫌いなのよね……」
「……一つ質問してよろしいですか?」
「え、なに?」
随分と汚れてしまった自分の手の平を見つめながら蓮子がブツブツと呟きつつ反省点を踏まえて今後の課題を探していると
そんな姿を見て松陽は一つ彼女に尋ねてみた。
「どうしてあなたは、そこまでして剣の道で強くなろうとしたのですか?」
「別に小難しい事情は無いわよ……まあ強いて言うなら、窮屈な世界に反抗したかったから?」
「反抗、ですか?」
「そう、月の民に地球を支配されてからこの星で生き抜くには、ひたすら良い成績とったり優秀な論文を発表したりと、とにかくひたすら周りと競争し続ける社会になっちゃったじゃない?」
空から月の民が侵攻してきた事によってこの星は大きく変わってしまった。
彼等に好き放題されすっかりこの国はかつて築き上げた歴史さえも過去に捨て去り
ただの傀儡と化してしまった事に蓮子はどうも気に食わないらしい
「そりゃあそのおかげでこの星の文明も飛躍的進化することが出来たけどさ、人類の進歩に貢献したとかなんとかで、連中のご機嫌伺いながらヘラヘラ笑っている大人達みたいになるなんて絶対にごめんだわ」
「……月の民は嫌いですか?」
「嫌いというよりいけ好かないって言った方が正しいわね、直接会った事も無いし。ていうかアイツ等を本心から好きな奴がいたらむしろ一度見てみたいわよ」
「そうですね、地球の人にとっては彼等はただの侵略者みたいなものですから」
松陽はどこか寂しげにそう言った後、コトリと手に持っていた湯飲み茶わんを床に置いた。
「蓮子、もしや君が剣を取った理由が、そんな月の民を相手に戦争でもおっ始めるつもりとかではないですよね」
「当たり前でしょ、未だ人類の最新科学でさえ到達できない未知のオーバーテクノロジーを持つ相手に刀一本でどうしろって言うのよ」
「フフ、今時の子らしい現実的かつ冷めた意見ですね」
「事実だからね、私はただ連中からの言われるがままの教育を受け続ける中で、ほんの少しでもいいから奴等の教えにはない事をやりたいだけなの、要するにただの暇潰し」
剣だけで月の民相手に勝てるわけがないなど誰でも知っている。
あっけらかんにそう言いながら蓮子もまた飲み干したカップを床に置き、両足を地面に着けて庭の方へと歩き出す。
「でも最近では、ここでの時間を過ごすのは悪くないと思ってるのよ先生。自分でもびっくりだけど、ここのガキ共やゴリラが率いている芋侍軍団とワイワイ騒ぐのって、不思議と嫌いじゃないのよね」
「それは私の娘と戯れている時もですか?」
「さて、どうかしらね……ただアイツがメリーと話し込んでいるのを見ると無性に腹が立つのは事実だけど」
「嫉妬ですか、青春ですね」
「違うわよ、アイツがメリーに変な事教えてないかと心配になってるだけ、だってメリーに私がどれだけ自分に負け越しているのか淡々と説明していたんだもの、ありゃ絶対に私の事嫌ってるわねあの女」
茶化すような言い方にカチンと来ながら、蓮子がムッとした様子で答えると、松陽は微笑みながらスクリと立ち上がる。
「私の娘はあなたの事は嫌ってなんかいないですよ、彼女は興味のない相手から勝負を吹っ掛けられてもまず受けようともしない、ですが彼女は君からの挑戦はいつも受けて立ってくれる。案外嬉しいのかもしれません、あんな性格ですから今まで同年代の友人などいませんでしたから」
「友達が欲しかったらまずはあの捻れくれた性格と、たまに死んだ魚の様な目になるのを控える様にって父親として警告したらどうなのよ、最近じゃ髪まで捻くれまくって凄い事になってたわよ」
「ハハ、その辺は母親に似たんですから仕方ありません、まあ捻くれた髪の方は妻の様に美容院でストパーにでも矯正させておくべきですかね……寝起きの朝とか特に酷いですし」
こちらに振り返りながら忠告してきた蓮子に松陽は冗談交じりに答えると、踵を返して居間へと続く襖を開ける。
「さてと、娘がそろそろ晩御飯の支度を済ませているかもしれません。今日は妻もまだ帰ってきてないので父と娘だけ、年頃の娘とどうコミュニケーション取るのかよくわからない父親の為に、あなたも是非ご一緒にどうですか?」
「どんだけ情けない父親なのよ……あの女と一緒に晩飯共にするのはかなり嫌だけど、一応先生は私の師匠でもあるんだし、その誘いを無下に断る訳にもいかないからご馳走になってあげるわ」
「素直じゃありませんね君も、ではお上がりなさい」
「お邪魔しまーす、あ、当然デザートはあるんでしょうね? 私定期的に甘いモン食べないとイライラ……ガハッ! ガハッ!」
松陽に誘われて嫌な顔しつつも、本音は稽古疲れで腹が空いているし彼の娘も作る料理が絶品だというのは知っていたので
仕方ないと言いつつもノリノリで彼の方へと歩み寄ろうとする蓮子
だが突如、彼女の身体に異変は生じる。
「ぐえッ! また例の奴か、今回は随分とキツイわね……」
蓮子はここ最近、めまいや吐き気がしたり咳が止まらなくなるなどといった病院に行ってもわからない原因不明の症状に見舞われている。
メリーが常々心配している事なのだが、当人の彼女はさほど気にしている素振りは見せなかった。
「ったくめまいまでして来た……やっぱ日が経つにつれて悪化して来てるみたい……」
口を押さえて咳き込みながら、蓮子はふと焦点が定まらずはっきりと見えなくなっているのを感じた。
この症状は刻々と時が経つに連れてどんどん酷くなっている。メリーには心配かけたくないと内緒にしているのだが、ここ最近ではめまいどころか短時間ではあるものの目の前が真っ白になった時もあった。おまけに視力だけでなく聴力にも難が現れ始めている。
メリーに秘密でこの国でも有名な病院にいる腕利きの医者に頼ってみてもやはり原因はわからなかった。
その事に対して蓮子自身は表面上は平気だと見繕っていても、内心では徐々に不安感を募らせていた。
もしかしたら、自分の身体はこのままどんどん悪くなっていくんじゃないかと
(落ち着け、どうせしばらくすれば症状も収まる……先生の屋敷の居間で少し休めばすぐに元通りよ……これ以上メリーを心配させる訳には……)
前にいる松陽に気付かれぬ様必死に口を手で押さえつけながら咳込んだ後、心の中で自分自身に言いながら呼吸を整えようとする。
だがその時
ゆっくりと口から離した手の平を見て
蓮子は未だはっきりしない視界の状態でただその部分を一点集中して凝視した。
自分の小さな手の平が、今まで見た事のないぐらい真っ赤な血で染まっている事を
「おいおい、勘弁してよもう……」
口の端からたらりと血の雫が落ちるのを感じながら、蓮子はふと足元の方へと目をやると
地面には手の平におさまらなかった自分の吐いた血が、おびただしく飛び散っている。
そんな衝撃的な光景を前に、蓮子は自虐的な意味で思わずフッと笑って頬を引きつらせる。
「メリーに謝らないといけないわね……」
額から突如流れ落ちる大量の汗を拭いもせずにそう呟いた蓮子は荒い息を吐きながら
彼女の視界は完全に真っ暗となり、そのままフッと意識がなくなった。
別れのカウントダウンが始まった瞬間であった。
この話は一旦ここまで、次回はまたいずれ書こうと思います。
41話目からは久しぶりに幻想郷でのお話
地獄巡りを終えて土産をアリスに渡しながら世間話を始める銀時
そんな二人の前に、遂に散々その存在を匂わせていた彼女が姿を現す……
次週、修羅場編・開幕