鈴仙・優曇華院・イナバ
竹林の奥深くにある永遠亭で暮らす月の兎でとある藥師の弟子。
元々は月に住む「月の兎」だったのだが、現在は月から逃げ出して幻想郷にある永遠亭で暮らしている。
永遠亭では師匠に学びつつ、日々様々な雑用を担当。
その仕事内容は”永遠亭の主”のお守から師匠の補佐、永遠亭の家事全般や迷いの竹林に住む妖怪ウサギたちの監視統率、薬の訪問販売、幻想郷の他勢力との交渉・折衝、門番、異変の調査に至るまで恐ろしく多岐にわたる。
同居人にして迷いの竹林の主には手を焼かされており、彼女と師匠達の板挟みで中間管理職のような苦労をしいられている。
戦闘のセンスは高いらしく、永琳から永遠亭の荒事全般を任せられており、月にいた頃からも上司に高く評価されていたらしい。
そしてそんな彼女が現在何をしているのかというと、師匠に言われて嫌々ながらも薬を売る為に人里へと赴いて来た所だった……
そして
「すんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
人里へやって来て早々、彼女は目の前でとんでもない光景を見て唖然とする。
師匠曰く、「幻想郷で最も必要な存在」と称する程高く評価している男、八雲銀時が
師匠曰く、「幻想郷で最も大切な存在」と謎の評価をしている女、八雲紫に
喉の奥から思いきり声を出しながら頭に地面を擦り付けて、道の真ん中で白昼堂々と土下座する光景を目の当たりにしてしまったのだ。
「ホントにすんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ダメ、全然反省してる感じがしないわ、もう一回」
「ホントにマジですんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「本当に謝ってるつもりなの? もう一回」
「ホントに反省してます!! マジですんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「声が枯れて来てるわよ、喉から血が出てもいいから叫びなさい」
「お願いだから許してハニィィィィィィィィィ!!!」
必死に土下座しながら叫ぶ銀時を
紫は腕を組んで冷たい視線で見下ろしながら何度も彼を謝らせる。
ここまで夫に怒っている彼女を見るのは初めてだなと思いつつ、鈴仙は恐る恐るその現場に歩み寄っていく。
「あ、あのー……一体何があったんですか?」
「あらあなた永遠亭の兎ね。師匠の言いつけで人里で訪問販売でもしてるのかしら?」
「ええまあそんな所なんですけど……それよりそちらの旦那様がさっきから物凄い形相で謝ってますけど……」
「コレのどこが謝ってる様に見えるのかしら?」
「いやだって土下座しながらずっとすみませんって……」
「形だけよ、本気で謝ってる気配が全く見えない」
幻想郷の管理人夫婦の仲は師匠から極めて良好だと聞いていたのだが……
何度も頭を下げている銀時を飢えた野良犬を見ているかの様に蔑んだ目をしながら言葉を吐き捨てる紫を見て
彼女が並々ならぬ怒りを抱いていると感じ鈴仙はごくりと生唾を飲み込む。
しかしここでいそいそと逃げる訳にはいかない、師匠からは幻想郷で起こってる事についてはこまめに報告しろと言われているのだ。
それも何故だかわからないが、「八雲銀時の事は特に詳細に教えなさい」とかなり念を押して言われている。
ここはキチンとどういう経緯でこうなったのか聞いておくべきだろうと思い、鈴仙は腹をくくって紫に詳しく聞こうとした。
「その、旦那様は一体どのような事をしでかしたんですかね」
「……浮気」
「浮気!?」
浮気と聞いて驚く鈴仙、紫は更に眉間にしわを寄せて銀時を睨み付け
「あの白髪女と会うなと忠告した私を無視して、この人は昨日の夜に彼女と飲み歩いていたのよ」
「いやだから違うんだって! 別に忠告を無視したとかじゃなくて無理矢理付き合わされただけなんだよ!!」
ずっと頭を下げていた銀時が目を血走らせながら必死の形相で顔を上げて弁明する。
「強引に腕掴まれてそのまま飲み屋に連れてかれたの! そんで酒が回ったせいでのらりくらりと店を転々として気が付いたら朝に……」
「断る事も出来た筈よね? なんならあなたの能力があれば簡単に逃げれたでしょ? それをどうして日が昇った頃にあなたはコソコソと家に戻って来たのかしら?」
「いやそれはまあ懐かしい話も一つや二つあった訳だからつい弾んじゃっただけで……それと朝帰りはしたけど別に何も無かったからね! ホント何も無かったから!」
「……」
決して間違いは犯してはいないとはっきりと宣言する銀時ではあるが、朝帰りしたご身分ではとても信じきれない。
鈴仙が内心そう思ってる中、紫は無言でそんな彼を見下ろしながら
「実の所何も無かった事は私も本当はちゃんとわかってるのよ、あなた達の一部始終は全部スキマから覗いていたから」
「え、そうなんですか!? じゃあどうして旦那様にそんなに怒って……!」
「問題なのはこの人が私が嫌ってるあの女とワイワイ盛り上がりながら飲み回った事よ、ずっと見てたわよ、ずっとね。私が付き合うなと散々言っていたのにそれも忘れてずっとずっとずっと……」
声が小さくなりブツブツと同じ言葉を繰り返し始める紫に鈴仙はゾクリと背筋に冷たいものを感じた。
コレは単純な嫉妬や焼きもちではない……ずっと自分を想ってくれている人に裏切られた事への憎悪だ。
「しばらく反省しなさい、それまで家に帰らくなくていいから。その間ちゃんとスキマで監視してるから変な事考えない方が身の為よ」
「いやそれは酷くね!? アイツと一緒に呑んだのは確かに俺が悪かったよ! けど家に帰るなは流石にあんまりだろ! じゃあ俺は一体何処で寝泊まりすりゃあいいんだよ!」
「知らない、その辺の道端で寝てればいいじゃない」
「おい待てって! ああ行っちまった……」
目の前にスキマを開いてその中に迷うことなく入って何処へ消えてしまう紫。
伸ばした手をげんなりと下ろして、銀時は「ったくなんなんだよ今更他の女に妬いてんじゃねぇよ年考えろ……」とぼやきながら膝に着いた砂をパンパンと払いながら立ち上がると……
「じゃあしばらくそっちでお世話になるわ」
「は!?」
偶然現場にやってきた鈴仙を見つけてあっけらかんとした感じでお願いしてくる銀時
先程まで怒られていたというのにこの代わり映え、鈴仙も思わず口を開けて固まってしまうのであった。
それから数十分後、鈴仙は仕事場兼自宅の永遠亭へと戻って来た。
後ろで小指で鼻をほじりつつフラフラしながらついて来た銀時と共に
「もう一度言いますけど、師匠がダメだって言ったらダメですからね」
「へいへい」
「……というか旦那様は他に泊まる所ぐらいいくらでもありますよね? 博麗神社とか」
「ここが一番良いんだよここが」
本心としてはあまり上がらせたくない鈴仙、そんな彼女に銀時はもう目の前に現れている永遠亭を鼻をほじった指でスッと指しながら
「紫の奴は何故かここだけ監視に来ねぇんだよ、よくわからねぇけどここの医者が苦手なんだとよ」
「お師匠様の事ですか? そう言えば旦那様の奥方はここに来た事は一度もありませんね」
「なんか今更顔を合わせに行ける訳ないとか言ってたな……まあ昔なんかあったんだろ」
紫の事については間違いなく誰よりもよく知っている銀時ではあるが、彼であっても彼女の知らない部分はまだまだ多い。
そんな事よりも銀時はふと鈴仙の言葉の使い方が引っかかった。
「ところでお前ってどうして俺の事をわざわざ旦那様って呼ぶの? もうちっとフランクな呼び方にしても構わないよ俺は、銀さんとか銀ちゃんとか、流石に天パとかヒモ野郎とか呼んだら顔面グーパンだけど」
「はぁ、まあお師匠様が何かと旦那様の事を丁寧に扱えと言っていましたので……」
「あの医者か、昔からな~んか俺の事を目に掛けてるんだよなぁ……どうしてだかお前わかる?」
「私だってわからないですよ、まあ姫様か本人に直接聞いてみたらどうですか?」
鈴仙もまた師匠の事はかなり知っている方ではあるが、やはり彼女も知らない点が多くある。
他に師匠をよく知る者と言ったら、永遠亭の主ぐらいのものであろう
そしてそんな風に銀時と会話している内に、鈴仙は永遠亭の入り口の戸をガララッと開けた。
「お師匠様、ただ今帰りました」
「どもーしばらく世話になりやーす」
「いやまだ世話になるって決まってないでしょ……」
玄関に入って早々後頭部を掻きながら居座ろうとする銀時に鈴仙がジト目でツッコミを入れていると
すぐに奥から一人の女性がフラッと現れる。
「あら鈴仙、随分と早く戻って来たわね。また人間と接触したくないからって適当にやってたんでしょ」
「違います! ちょっと人里でトラブルに遭って仕方なく戻って来たんです!」
「嘘おっしゃい、罰として今日一日中私の実験を手伝いなさい」
「それってつまり実験体にされるって事ですよね! 勘弁して下さい本当なんです!」
長い銀髪を一つに結った女性がけだるそうにやって来て、鈴仙の言い訳も聞かずに問答無用で罰を与えようとしていると
ふと彼女の背後に突っ立っている銀時と目が合った。
「あらアナタ来てたのね、今日診察の予定あったかしら?」
「生憎診察してもらう為に来たんじゃねぇよ、ちぃっと嫁さんとトラブちまってよ。家に戻れねぇから少しばかりここで寝泊まりさせて欲しいんだわ」
「彼女と喧嘩したの? 喧嘩自体は珍しい事ではないけど、家から追い出されるなんて相当やらかしたみたいね」
「いやいやただアイツが誤解してるだけだって、俺と妹紅の奴がまだ付き合ってるんじゃないかって疑ってんだよアイツ」
「ふーん……」
互いに死んだ魚の様な目を合わせながら銀時がここに来た経緯を聞き終えると、彼女はしばらく目を逸らしながら間を置いて
「いいわよ、普通は許可しないけどアナタなら別だし、空いてる部屋があるからそこで好きなだけ寝泊まりすればいいわ」
「え!? 本気ですかお師匠様!? いくら旦那様とはいえ、この永遠亭にそんな簡単に住まわせる許可を与えるなんて!」
「ギャーギャーギャーギャーやかましいわよ鈴仙、発情期? ああ、兎は年中発情してるから仕方ないわね」
「してません! 兎を変に誤解しないで下さい!」
自分が許可を与えるとすぐに反論してくる鈴仙に対し
首筋を掻きながらシレッと酷い事を言って来る彼女
鈴仙が顔を赤らめながらすぐに否定していると、その隣で銀時がスタスタと永遠亭の中へと入っていく。
「それじゃあお言葉に甘えて厄介になるわ、いやー悪いね急に来ちゃって、なんの手土産もないけどよろしく」
「何か足りない物があったら言いなさい、鈴仙に取りに行かせるから。そうそう、鈴仙、あなた彼を部屋まで案内してあげなさい」
「わかりました……」
ヘラヘラと笑いながら全然悪いと思ってない態度をする銀時に顔色一つ変えずにご親切に使いの者まで彼に用意する彼女。
そして鈴仙に向かって銀時を部屋に案内させろと指示し、鈴仙もまた嫌ではあるものの大人しく従うしかなかった。
「こちらです、ついて来て下さい旦那様」
「へーい、そんじゃあまた」
「夕食の時間になったら呼ぶからそれまでご自由にどうぞ」
「おいおい飯まで用意してくれるの? 至れり尽くせりだねホント」
流石に食事まで出してくれるとは思ってなかったので、銀時は機嫌良さそうにしながら先導してくれる鈴仙の頭をパンと叩く。
「よう、随分前から思ってたんだけどよ、お前のお師匠様って滅茶苦茶親切だよな、流石は医者になるだけあるわホント」
「いた! 正確には医者ではなく薬師なんですけど……旦那様には特別甘いだけです」
いきなり頭を叩かれた事にビックリしながら、鈴仙は頭をさすりながら彼の方へ振り返る。
「私にはホント厳しいんですからあの人、全く毎度毎度コキ使われているんだから少しぐらい優しくしてくれても……」
「案内が終わったらすぐ戻って来なさい、薬の調合手伝ってもらうから」
「は、はーい……まああの方に頼りにされてるんだからありがたいとは思ってるんですけどね……」
こちらに背を向けたまま振り返りもせずに命令してくる彼女にぎこちなく返事をしつつ、鈴仙は彼女の背中を遠い目で見つめる。
「今では幻想郷永随一の医学を持ち、この永遠亭を実質的に仕切っている凄腕薬師、そしてかつては月の都の創設者の一人として名を馳せ、「月の頭脳」とも称された偉大な功績者……」
「”八意永琳”は私にとっては勿体ない自慢の師匠です」
「……」
鈴仙がそう呟くと銀時はジッと彼女の、永琳の背中を見つめる。
『○○、ちょっと私の実験に付き合いなさい、あなたはそこに縛り付けられるだけでいいから』
『ちょっと何そのデカいカプセル!? そんなの効果が効く以前に飲み込める訳ないんでしょうが!!」
『飲むんじゃないのよ、尻に入れるのよ』
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 私のキューティクルなケツになんちゅうモン突っ込もうとしてんだコラァ! 誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
それは遠い昔に見たような光景、と一瞬思ったがすぐに踵を返して
「行くぞ、さっさと部屋案内してくれ」
「あ、はい」
すぐに前に向き直って先頭を歩く鈴仙を促した。
これ以上彼女を見ていると何か思い出しちゃいけないモンまで思い出すかもしれないと感じたからだ。
かくして銀時は永琳の営む永遠亭にお世話になるのであった。