………あるぇ?
何かを誤っただろうと理解はしたが、具体的にどうしてそうなったのかまるでわからない。ナルトはただ呆然とする他なかった。
ショックなのは確かだ。しかしそれだけではない。
嫌われているのは知っていたが、どうにも以前と比べて勝手が違う。イメージと対応が大きく異なっていて、そしてそれらをすり合わせるとっかかりすらよく見えていない。
サクラとの付き合いは、時間こそ短いが決して浅い関係ではない。第七班を通じて、少しづつではあるが、友情と信頼を培ってきた。恋愛でこそなかったが、ナルトはサクラに対してすごく深い絆のようなものを感じていた。
それこそ、班ができてから今までずっとだ。
軽い付き合いなどではない。だからこそナルトは首を傾げたのだった。
ナルトにとってサクラとはさっぱりした人物だ。それでいて好悪が分かりやすく、好きな相手にはとことん好意を示し、嫌いな相手にははっきりと嫌悪を示す。
今までだってナルトは幾度となく怒鳴られたり、嫌悪されたりした。しかし、それらはあくまで単純な感情に基づいた、ナルトでも理解できる内容でのことだった。
こんなに理解不能な、複雑極まる怒りは、ナルトにとって初めて見るサクラの顔。
ナルトは喧嘩をコミュニケーションの一つと捉えている。怒鳴り合いも罵り合いも、怒ったり落ち込んだりはするが、別に嫌いなことではない。
相手に無視されるよりはぶつかり合って、向かっていく方がいい。そう思う。
今回も、ぶつかり合いには違いない。でも、やはり何かが変だった。
――前とはなんか違う。
首を振って、考えるのを中止する。なんだか泥沼に足を突っ込んだ気分だった。
すぐに前のようになれる。今は少し微妙に遠回りをしてしまっただけだ。
そう信じるべきだ。だから、気にする必要もない。
頷く。意識を切り替える。
サクラとの接触は失敗した。なら、次にすべきことは。
わかっている。
――しゃーねえ、サスケだ。
そう考えながらも、気が進まない。
正直、サスケを避けている。最初にサクラを見つけたとき、実は同時にサスケも見つけていた。
合流すべき相手は二人いた。
なのになぜ一切を考慮せずにサクラに向かったのか。
避けているからだ。会いたくないからだ。
あの『終末の谷』で殺し合った時。そのとき感じた焦燥、もどかしさ、そういうすべてが未だにナルトの中でうねり続けている。
しかしそれをぶつける相手はもういない。少なくとも今は。
それに今、ナルトは女になってしまっている。それも余計にややこしい。サスケに馬鹿にされたくないという思いが、ナルトには常にあった。今でもそうだ。もちろんサスケはナルトの性別を最初から女の子と認識しているはずだから、馬鹿にされるわけがない。サスケがどうこうよりもナルト自身の問題だった。
競い合ったライバルだからこそなのかもしれないが、普段は無視している劣等感というか羞恥みたいなものをサスケの前では強く意識してしまう。女の子になってしまった現状は未だナルトの中ではまったく消化しておらず、日常的に女装し続けているような違和感が付きまとっている。無理やり考えないようにして忘れているだけだ。それが、サスケの前では目を背けられない。
舐められたくない。低く見られたくない。そういう意地と、現在の状態がどうしてもかみ合わない。
だからこそ、気まずい。
――つっても避け続けるわけにはいかねーもんな。
理屈ではわかっているのだ。
もたもたしている時間はない。今の段階では、三人一組(スリーマンセル)だというのにナルト、サスケ、サクラの三人の間に合図や連携など全くない。
見つけていたサスケがいつ移動するかもわからない。そうなれば、合流するのは難しい。
今直前にサクラに思い切り拒否されて多少弱気になっているのもあるのだろう。
数秒の逡巡。
ナルトは覚悟を固めた。
「おいサスケ、ちょっと顔かせや」
「……………」
とりあえず接近。サクラとは違い、近づくとすぐに気づかれた。
林の茂みに身を低くして隠れていたサスケは困惑を露わにした。視線が合う。首にかかるほど伸びた髪の感触がやけにうっとおしく感じる。
「お前、どうしてここに」
「影分身の術」
短く答える。
「………そういうことか」
「つっても本体は向こうだけどな」
さっきもこんな会話をしたなと思いながら近づく。
「お前、アカデミーでは手を抜いていたのか?」
「…………最近修行して強くなったんだってばよ。どうでもいいだろそんなこと」
「………………」
疑わしそうな視線がこちらに向いているが無視する。サスケの性格上、こうしておけば深入りはしてこないだろう。
会話を少ししただけで、すぐに思い出した。そうだった。こういう奴だった。
自分と他人の境界線を無数に引いて、自分はその奥に閉じこもって出てこない。他人に一切踏み込まない代わりに、自分にも踏み込ませない。そういう奴だ。
内向的というわけではない。自分の内側に入れる他人を強烈に選り分けているだけ。
今はまだ、見えない境界線の外側に立っているのがはっきりとわかった。
目を見ればわかる。
ただし、どうでもいい相手という様子でもない。そうだったなら、まともに会話しようともしなかっただろう。カカシとの組み手はサスケの興味は引く効果はあったらしい。
ようやく見知った相手を見つけたようで、ナルトは心底ホッとしていた。
「?」
「まずは、なによりやるべきことがあるだろ」
「……カカシか」
「そう。このままじゃ鈴は取れねーぞ」
視線の先、やや距離が空いた場所に丸太に縛られたナルト本体と、その近くで腕を組んだカカシがいた。今のところ動く様子はない。
「……………」
「ま、お前ならわかるだろ。それとも、自分一人でなんとかなるとでも思ってるのか?」
だからこそ大きく踏み込む。サスケ相手に尻込みしていてはまともに会話はできない。
「んだと……」
憤った声。
「万年ドベのお前と一緒にするんじゃねえ」
「へえ」
――おっ。
かちり、と何かがはまった感じがした。
「オレならやれる。確かに一対一でまともにやったら難しいかもな。だが、他に手はいくらでもある。……こんな演習程度に手間取っていられるか」
「いや、お前じゃ無理だよサスケ」
間髪入れず返す。何せ未来を知っているのだから、自信を持ってそう言える。
「今のお前じゃどうやったってカカシ先生から鈴は奪えないってばよ」
「テメエに何がわかる……」
反論が飛んできたが、その声はナルトの態度に気圧されたのか、やや小さかった。
「自分でわかってるからまだ仕掛けてないんだろ?」
「………っち」
舌打ちが一つ。
「ツンケンすんなよ。だからオレがきたんじゃねーか」
「………どういう意味だ」
「お前バカなのか? 手を組もうって言ってんだってばよ」
直截なナルトの言い方にややひるんだ様子ながら、サスケは思案するように視線を上げる。
「………なるほどな」
「おう、それしかねーだろ?」
一瞬、サスケの眉に力が入り、そして解けた。
「わかった。その提案に乗ろう」
――よし。
「あとはサクラちゃんだな」
正直、業腹ながらナルトはしょうがなく考えていた通り言った。
「サクラちゃんにはお前から頼んでくれってばよ。オレじゃあ駄目だ」
「必要ないだろう。アイツがいてもいなくても変わりない」
一瞬、ぶわっと視界の色が変わった。
「―――おらあッ!」
ギリギリ最後の理性で、拳ではなく手刀をサスケの頭に振り落した。油断していたのか見事に頭頂に直撃。
「何しやがる!!」
声を落としながら、怒声を上げたサスケを睨みつける。
「バカヤロー、三人で第七班なんだろうが」
と言いつつもナルトはそこまで激しく怒りを露わにはできなかった。以前の記憶がなければ自分だって勝手に一人でやっていたのだ。説教をできる立場ではない。
座り心地が悪い思いをしながらも、言わなくてはいけないことだと、自身に言い聞かせる。
「いてもいなくても変わりない? そんなこと言うんじゃねえ」
「………どのみちこの演習で一人は蹴落とされる。鈴を全て奪えたとしても取れなかった奴は下に行く、そういう試験だろうが……!」
――なるほどな。
怒りで視界を赤くしながら、妙に冷静な部分がそう思った。サスケにとってしてみればこの試験とは競争なのだ。カカシが言ったように、二つしかない下忍の席を三人が我先にと取り合う。そういう認識なのだろう。
だからこその発言。
ナルトのように未来を知らなければ、すでに試験の答案を得ているナルトでなければわからないことだった。
わずかに脱力。怒りの矛先はズレてしまった。怒鳴り声は上がらず、静かに諭すように言った。
「サスケ、忍者は裏の裏を見ろだってばよ」
「なに……?」
「どうして三人一組(スリーマンセル)の試験で一人を蹴落とすような演習なのか、どうしてカカシ先生が三人を分断するような言い方だったのか」
サスケはかすかに目を見開いた。
「本当にカカシ先生は、三人がバラバラに鈴を奪うべきだと考えているのか……、お前はどう思うサスケ?」
「―――」
サスケは驚いたようにナルトを見た。今、初めてはっきりとサスケの視界に入ったような気がした。
そう思いつつ、どうにもしっくりこない。
――こういう役回りってオレのじゃない気がする。
などと思いながら、ぶん殴るためだった拳で軽く額を小突く。
「ま、お前も必死なのは見ればわかる。だからこれで、今の言葉は聞かなかったことにしてやるよ」
「…………」
小突かれた額を押さえるサスケから目を外しつつ、ふと思った。
これもナルトが、自分自身がしたかったシチュエーションだった。
サスケが間違った行動をして、それを正しい判断をしたナルトが諫める。そういうことがカッコいいことだと、そう思っていたはずだ。
でも、何かがやっぱり変だった。
未来で経験して知ったことで相手の間違いを説教するのは、どうにも座りが悪い。ナルトにとって、厚顔無恥な振る舞いに思えた。
もし、かつて未来の記憶がない自分が、サスケの言葉を聞いていたら果たして同じように怒っただろうか。ナルトは自問した。怒っただろう。そう思った。サスケの発言を訂正するように言ったはずだ。しかしそう想像することもまた、なんだか卑怯な気がした。
――やっぱり、なんか違うってばよ。
前と変わらないと思ったサスケとの会話も、やはりどこか形を変えてしまっているような気がした。