壁に手を付け、反対の手で顔を拭う。視界は既に、元に戻っている。
消えている、というよりは薄まっているとでも言うべきか。わずかな先も見えなかった先ほどに比べ、今は数軒先の家ぐらいまでは見渡すことができる。勘違いというわけでもなさそうだ。
イナリが駆け寄ってくるのが見えた。何人かの町人も一緒に付いてきているようで、路地裏の道が俄かに騒がしくなる。
「―――姉ちゃん!」
「イナリ…」
「敵の忍者は!?」
信頼しきった目でそう訊ねてくるので、ナルトはややきまりが悪かった。
「倒した。今見てくるから、イナリはここで待っててくれ」
「うんっ」
イナリの周囲の町民が驚いたようにざわつく。「まさか………」「…こんな子供が」という言葉が交わされている。すぐに化け物を見るような畏怖の視線が混じり始めた。まあ、慣れたものだ。イナリだけが、当然と言った様子で頷く。ナルトも頷き返してから、屋根が崩壊して半ば瓦礫となった家を見上げた。
今落ちたばかりの屋根によじ登る。
無遠慮な忍者二人が飛び回ったせいで、ただでさえ年季ものだった家の屋根は崩れ、ほぼ倒壊寸前といったところ。下手に衝撃を与えると、もう一つ大穴を開けて下に落ちていく羽目になるだろう。
慎重に屋根に上がると、ナルトはまず敵の忍びが激突して崩れた家の中を覗き込んだ。未だ意識を取り戻すことなく倒れている姿が見えた。家の住民の姿は見えない。出払っているのか、そもそも空き家なのか。おそらく後者だろう。
気絶したフリ、ということはないはずだ。そんな手間暇かける時間があれば、動けなくなっていたナルトの首を取るか、逃走した方がマシだ。
ナルトは一旦、敵の忍びから視線を切る。
―――しっかし、これは一体どういうことだってばよ。
眼前に広がる光景を見ながら、ナルトは唸った。
両目の上に手を掲げ、目を細めて水平線を見る。
高い場所に登って視界が変わると、先ほどよりも霧の動きがよくわかった。
ナルトのいる場所辺りを中心に、霧が解けるように薄まっていく。それは止まることなく、広がり続けているようだ。
状況から考えて、そこで倒れている敵の忍びが、なんらかの関係があるのは間違いなさそうだ。
だが、この敵一人で霧の術の全てを担っていたとは思えない。
術の一部に、――どういう形でかはわからないが――、携わっていたはずだ。
理由をつらつらと、考えている内に閃くものがあった。
―――あ、そうか。チャクラだ。
そもそもこんな莫大な霧の結界を一人の忍びが維持できるはずがないのではないか。それこそ、人柱力でもなければ、不可能のはずだ。己の肉体すら壊しかねないほどの有り余るチャクラを持っていたナルトにとっては、ちょっとした盲点だった。
白のほかに、この霧の結界を維持している奴がいるということか。
どうやらナルトは敵の結界の一部を破壊することに成功したらしい。問題は、それをまったく意図していなかったということと、それによって起こり得る状況の変化を理解しかねているということだ。
結界のバランスが崩れたのは間違いない。しかしそれはどれほどのものなのか?
霧がすべて消えるほどの大きな影響があるのか、それともこの周囲一帯が術の範囲から切り離されるだけなのか。
判らない。とにかく、事態は大きく動いてしまった。
頭の中を整理しながら、ナルトは次第に焦燥を感じ始めていた。状況が動くのはなにもいいことばかりではない。思考を切り上げて敵の忍者のそばに降り立つと、縄でグルグルに縛り上げる。
入ったときは吹き抜けになってしまった天井から侵入したが、出るときは家の出入り口を使う。瓦礫を踏み砕きながら這い出ると、ナルトは眩しさに目を細めた。
真上に上がった太陽が再び地面を照らしていた。
霧が消え、遮るものがなくなったせいだろう。
目が明るさに慣れたとき、ナルトの周囲には大勢の町民が集まっていることに気が付いた。ぎょっ、と体が一瞬固まる。騒がしいとは思っていたが、まさかこれほどの人数だったとは思わなかった。
数十人、下手したら百人以上の人間が集結している。
霧の結界が無くなったのと、ナルトが派手にやらかしたせいで周辺の住民がこの場所に集まってきているようだった。
知らない人間から一斉に注目されて、体を固くしていたのを隠しつつ、一旦、縛った忍者を地面に放った。
周囲からどよめきが響く。
困惑したが、よくよく考えれば、これはチャンスだ。
これだけの住民を説得出来れば、随分手間が省ける。状況がどのように変化しようと今やるべきことをやっていくしかない。
―――やられた!
白は、白い部屋の中で、身に走った衝撃を感じずにはいられなかった。小さくない動揺が、鼓動を早めていく。わずかに浮かんだ冷や汗が頬を伝う。
無力なはずの民衆をこんな方法で利用できるとは思ったこともなかった。
白にとって、忍びではない者とは、それすなわち一切の戦力にならないことと同義だった。
ましてやそれを利用するなどととは、考えた事すらない。
民衆を扇動して、結界の起点を探索させるなどというまったくの予想外の発想。しかし、いざやられてみると確かに妙手であった。結界の起点の大まかな位置はナルトもわかっていたのだろう。結界の応用的な知識さえあれば、それくらいの絞り込みは可能だ。ならば、探す人間の数さえそろえば、虱潰しに探す方法はむしろ有効な手の一つだ。しかし、それを今の今まで無関係だった素人を多数従えて実行に移すのは並大抵のことではない。
おそらく民衆たちも、自分たちが戦術上の駒にされているなどとは露ほどにも思わなかっただろう。白ですら、結界の『楔』を一つをへし折られるその瞬間までまったく気付くことができなかった。
今だからわかることだが、ナルトは気取られないようにあえてなにも民衆に教えなかったのだろう。だからこそ、そこにあるハズの策の匂いを白は察知しそこねた。
結界の位置を予測し、気付かれぬように近づき、気付かれぬように見つけ出して破壊する。言葉にしても、出来過ぎだ。
影分身で白を足止めしたのも、すべてはこのため。仮初の安心を与えられて、ナルトの不可解な動きを、いぶかしみながら許容させられていた。
ナルトの行動は、白の思考をすべて読んでいなければできるはずがない。今や、疑惑は確信に変わっていた。いや、これですら、また何かの布石なのかもしれない。
―――………恐ろしい子だ………。
単純な戦いでは分が悪いのは知っている。だが、戦術上の戦いでは経験値で勝る自分が有利なはずだ。それですら、慢心だったのか。
………………っ。
気が付かない内に、拳を握っていることに気が付いた。
「………………」
熱くなる必要はない。自分自身の勝ち負け自体に価値はない。
ただ、再不斬の願いを叶えるために動き続けるだけでいい。
力を抜き、術式を組み直す。
まだ負けたわけではない。
ただ楔が一つ砕かれた以上、結界の維持は長くはできそうにない。
それに、時間を作ってしまうと、またナルト側に手番が回ってしまう。そのとき、白はそれに対応することができるとは、もう思わなかった。
タズナの家の付近。ナルトの影分身たちは未だ、白と一進一退の攻防を演じてきた。
互いに攻め手を欠ける戦い故、どちらも消耗もなく、手の内も見えてこない。それは両者の目的が一致していた故の結果だったので、ナルトにとってもなにも問題はなかったが。
ナルトの影分身たちは、余計な事を考えず、白の意識を少しでもこの場に釘付けることだけに集中して、動き続けている。
本体の方がどうにかするだろ。と、丸投げしている、とも表現できるが。ナルト自身そっちの、なにも考えたりしない方が得意だったりするので、是非もない。むしろ今までずいぶんと慣れない作業をしていたようだったと感じるくらいだ。
そうして、膠着してしばらくが過ぎたころ。
「おらよっと!」
ナルトは前蹴りをぶちかまし、何度目なのか数えるのも億劫なぐらい目の氷像を破壊する。破壊してもすぐに新しい分身が送り込まれるため、特に感動はない。氷像は普通の分身よりも硬いので壊すのに拳は使えない。基本的に、足技に限定され、普通の分身を相手するよりもやや難度が高い。しかし、それももう慣れた。
また新たな分身が現れるだろう。それに備えて警戒するが、氷の残骸が動き出すことはなかった。
それどころか、他の氷分身もまた、上を見上げる動作をした後、動きを止めた。
『………………………………』
「へっ、どうしたってばよ? もう打ち止めか?」
『………………………………』
ナルトは挑発してみるが、反応は返ってこない。ナルトたちは慎重に近づくと、それぞれが氷像を攻撃する。こうすれば反撃がくるはずだ。
だが、予想に反し、すべての氷像は回避も防御も行わなかった。
すべての氷像が砕け、力なく巻き散らかっていく。
再生する様子は、ない。
―――どういうことだ?
ナルトはわずかなあいだ、動揺する。
白になにかあったのか? まさか本当に力尽きたわけではないはずだ。
氷像の操作をなんらかの理由で手放した。つまりナルトの分身に構っている暇が無くなったということ。それが指し示す理由。
―――カカシ先生の方か、オレの本体の方。どちらかでなにかがあったのか……?
そしてその情報を一切渡すつもりがなかった白はなにも告げることなく移動した。要するに、要するに……………。ナルトは淀みなくとは言えない速度で思考を回転させる。
―――急いだ方がいいってことじゃねえのか?
だが、どちらに行けばいいのか。いやまずは分身を一体消して情報を共有する。それからだ。いや、どちらかなどと考える必要はなかった。分身を半分に分け、半分はカカシの方に行き、残りはチャクラに戻って、ナルト本体の方に帰る。それが一番早いはずだ。
ナルトは決断すると、すぐさまカカシの方に向かう。
思考に使った時間の経過は、長くもなかったが決して短くもない。急がなくてはいけない。
霧の中を森を通って進む以上、どうしても時間は掛かる。敵の警戒は、この際もうやらない。どうせ分身だ。
先ほどまでは一歩も踏み入れなかった領域に踏み入っても、白が襲撃してくる様子はない。やはり、もう白はここにはいない。
ナルトは、あの白の氷像の操作の手放し方に違和感を覚えていた。まるで慌てて移動したかのようだった。余裕の無い動きに思えたのだ。
―――なんか、マズイ気がするな…。
ナルトが造り掛けの橋が見える位置に移動したのは、それからもう少し時間が経ってからだった。最大限全速力で動いたが、即座にとまではいかない。
まず感じたのは、凄まじい殺気。それから破壊の跡。霧が薄いのは、霧払いの結界の効果だろう。お陰で視線は良く通る。
殺気は再不斬のモノだ。その姿もすぐに見つける。
そしてカカシの姿も。ナルトは少し安堵しながら、邪魔にならないようにわざと大きく音を鳴らしながら近づき、叫んだ。
「カカシ先生!」
「! ………ナルト!」
カカシもこちらに気が付いていたようだ。わずかに視線をこちらに向ける。再不斬とは今は少し距離を離して対峙しているようだ。一時間も経っていないはずが、ずっと会っていなかったような気分だ。込み上げてくる感情を押さえつつ、ナルトはまずは知っていることを話そうとして頭の中の情報を整理する。
「先生、オレってば……」
「ナルトすまない。オレのミスだ」
カカシはナルトの言葉を遮ると、酷く、わざとらしいほど落ち着いた声でこう告げた。
「サクラが、………………攫われた」
ナルトが到着する少し前。
「…………ふぅ」
サスケは小さく息は吐きながら、気は抜かずに周囲を見渡す。
視界は狭い。だが、不思議と不便だとは思わなかった。むしろ、今までよりも良く見えている気さえする。
これが『写輪眼』というものか。
文字通り、かつての自分とは見ている世界が違う。視界を遮る霧のその流れ、それのわずかな乱れが、むしろ敵を際立たせている。
敵は、霧に紛れているつもりだろう。だからこそ、その事実の差は大きい。相手は理由もわからずにサスケに位置を見破られ、奇襲を迎撃されていく。
何体か倒したところで、相手は近寄って来なくなった。
流石に距離を取られると、位置取りを把握するのは難しくなる。だが、負ける気はしなかった。
問題はチャクラ切れぐらいか。
サスケは自分が高揚していることを認めた。明らかに今までの自分とは違う。
ナルトは、この状況になることを察していたのだろうか。ふと、頭の片隅で考える。
あの少女は、明らかに写輪眼の開眼方法を知っていた。そこに関しては、サスケはまったく納得をしているつもりはなかった。うちは一族ではない者が、如何にしてそんな情報を知ったのか、それはいずれ必ず、聞き出さなくてはならないだろう。
だがそれは戦うに当たっては余計な疑問だ。今は目の前に集中する。なんにせよ、この力を使いこなす絶好の機会だ。
「ふっ………ふっ………」
隙を減らすために短く息を吐き、そして吸うのを繰り返す。まだ長時間の写輪眼の維持は難しい。すでに少し疲れを感じてきている。だがチャクラさえ激しく消耗しなければ、まだ使い続けられるとも感じる。
護衛対象からは絶対に離れるつもりはない。もう敵は近づいてこないかもしれない、が、それでいい。時間を稼げば有利なのはこちらだ。相手もそう思っているかもしれない。
―――悪いが、お前らの方は錯覚だがな。
ナルトは今、白という忍びと戦っているはず。その結果次第で、サスケの対応も変わってくるが、まずは己の役目を全うし、ナルトの足を引っ張らないことが重要。そうすれば、そのあいだにナルトが戦況を有利に変えていくだろう。………他人を頼りにするなど、屈辱もいい所だが、それほど不快感はなかった。それが今の自分の実力だからだ。
その事実を前よりは少しだけ素直に受け止められることも、サスケは認めた。
もちろんそれは、それを許容し続けるという意味ではない。
あくまで、今は、だ。
その内心の意味をサスケ自身、深くは考察しない。ただ、あの夜にナルトと見上げた月が、なにかしらの言葉になることすらなく、サスケの胸の中で存在しているだけ。
「…………」
霧のわずかな乱れを目の端に捉える。
橋の根元からやや遠くに離れた水上に、霧で霞みながらも、薄っすらと人影が見えた。
顔はこちらからは窺えない。水面に立ち、体を陸地側に向けている。今倒したばかりの敵たちと変わらない黒を基調とした忍び衣装で、その他の人影は見えない。
先ほどまでと大差ないように見える敵。
だが、サスケの本能が微かな警戒を発している。ただの勘などでは決してない。
サクラたちに警告しつつ、敵を観察する。
波打つ水面。それが、あの忍びを中心に、ゆっくりとうねりを増していくのがはっきりと見えた。
大量のチャクラが、あそこで渦まいているのだ。
丑 申 卯 子 亥 酉 丑………。
状況や印から推察して、間違いなく水遁の大技だろう。その術の詳細までは看破できないが、やろうとしていることは理解できる。
なるほど、思ったよりもしぶとかったサスケたちを前に業を煮やした敵は、霧払いの結界ごと依頼人たちをふっ飛ばしてやることに決めたらしい。
印の速度は酷く遅い。だが、サスケ側からの攻撃は、あまりに距離が離れていて、難しい。相手もそれはわかっているようで、ゆっくりと時間をかけて大技を組み上げている。
手裏剣の扱いにはそれなり以上の自信があるサスケでも、流石に遠すぎる。そして、近づこうにも水面歩行の術はまだ未習得だ。
だが、今の自分なら、水面歩行の術も可能かもしれない。サスケはそう思った。チャクラコントロールの精度は今までにないほど高まっている。ぶっつけ本番だが、確信に近い自信すらある。依頼人から離れることにはなるが、それは一瞬のこと。一撃で敵を倒し、すぐに引き返せばいい。
――抑えていたはずの欲が、顔をもたげた。
確かに敵の足止めをするだけのつもりだった。しかし、これはチャンスではないか? こんな強引な手に出るということは相手も追い詰められているということ。あの水上の敵を倒してしまえさえすれば、後はサスケ単独で敵の全滅すら可能だ。その後にカカシと合流して再不斬を叩く。
できないことではない。
そうすれば、そうすれば。
ナルトも自分のことを見直すのではないか……?
「………ふー」
息を吐く。いつの間にか、つま先に乗っていた力を抜いた。
想像の中のナルトは怒った顔をしていた。仲間を危険に晒すことを、ナルトが喜ぶはずもない。
悲しそうな顔じゃないあたりが、ナルトらしい気がした。こんな状況なのに、サスケはなぜか少し可笑しさを覚えた。
それに、あの敵には、どうにも違和感がある。霧のせいでハッキリとは見えないが、なにかがおかしいと、写輪眼が警告している。
近付く必要はない、か。
「結界を放棄することになるが、一旦、海岸から離れ――」
サスケが言いかけたとき、その真横から誰かが飛び出していた。
「――サクラ!?」
サスケは思わず叫び、遅れて手を伸ばした。しかし遅かった。サクラはよろけながら水面に乗ると、敵に向かっていく。敵に集中していたせいで、反応が間に合わなかった。
「任せてサスケ君ッ! 私がアイツを止める!」
いつの間に水面歩行の術を習得していたのだろう。サスケも流石に意表を突かれ、対応を遅らせてしまった。
「よせ! サクラ、そいつは倒さなくていい!」
焦りながら叫ぶが、サクラは止まらない。
思わず追いかけそうになるが、それはできないと思いとどまる。
と、同時に写輪眼が再び警告を発する。突如として周囲から、仮面の忍び達が湧き出した。
「きゃああ!?」
「な、なんじゃ!?」
―――ちッ!!
混乱の中、サスケの判断は早かった。四体の敵の分身を、蹴りの連続ですべて弾き飛ばす。壊す必要はない。依頼人から距離を引き剥がすための攻撃。
実体の感触はなく、すべて氷。―――ただの分身だ。
細かい氷の破片が宙を舞う。交錯はほとんど瞬く間だったが、サスケが振り返ったときにはすでにサクラは、追いつけない距離まで進んでいた。
敵は移動していない。
やはり、なにかが変だ。
「戻れ! サクラ!」
これはチャンスだ。
待ちに待った絶好の機会だ。サスケですら手の出しようがない陸上から攻撃の届かない水上の敵。
敵の意図は明白だ。大規模な術でこちらを吹き飛ばして陣形を破壊するつもりなのだ。
止めなくてはいけない。しかしこちら側の主力であるサスケは、依頼人達から遠くへは移動できない。
つまり、自分の出番だ。
サクラはそう確信した。
この数週間、水上歩行の訓練だけに注力した。敵と交戦しても戻るだけの体力は十分にある。もし倒せなかったとしても、少し邪魔してやるだけで術は途切れるだろう。あの規模の術を連発することはできないはずだ。
やらない手はない。
だが、動けない。
以前散々思い知らされた実戦への恐怖が、再びサクラを襲っていた。
足が震える。視線が足元に落ちる。
「………………………………」
それに躊躇う理由はまだある。
サスケはサクラが水面歩行の術を会得したことを知らない。
だが、たとえもし伝えたとしても、サスケがサクラの実力を信じて任せるとは思えなかった。今まで足を引っ張ってしかいなかった現状、任せるに足る説得力はないに等しい。信頼を得ることができるとは到底思えない。
ナルトが同じ班にいなかったら、サクラはこうまで必死になることはなかったかもしれない。だがサクラにできない多くのことも、ナルトならできてしまう。その事実はあまりにも無慈悲に、サクラを強く打ちのめす。
今だって、ナルトがいれば、なんの問題もない。あっさり水上の敵を叩きのめして、もうすでに帰ってきている頃だ。
そう思うと、怯えている自分が、酷く情けなく思えてくる。
「………っ」
サスケの撤退を促す言葉を聞きながらサクラは敵を見据えて、覚悟を決めた。
サスケの横を通り抜けると、真っすぐに敵に向かって走る。波に乗る瞬間、少し体が傾いだ。だが、慌てることなくバランスを取ると、そのまま水面を走る。
「サクラ!?」
サスケの驚愕する声が背後から聞こえた。
怖気づく内心を無理やり無視して応える。
敵の意表を突いたのか、まだ印を組んだまま動いていない。油断はせずに視線を相手に向けたまま、サクラはクナイを投擲する。安定しない波の上でも、過たずに相手に向かってクナイが飛んだ。これも練習の成果だ。
「ぐっ………!」
肩口にクナイが突き刺さり、相手が呻いた。
―――あ、当たった!?
命中したことに、サクラは自分でも驚いた。だが、蹲る的の肩の周りの服が赤く滲んでいる。間違いない。
もはや術の妨害どころではない。倒せる。倒せてしまえる。
そこに至って高揚が恐怖を消した。
敵がひるんで動けない今が好機だ。逃げ出す前に近づいて完全に倒し切って無力化する。
敵を逃してしまうかもしれないという焦りから、サクラは急いで敵に近づく。
「―――!っ!」
サスケの声が聞こえたが、もはやそれも、音の連なりにしか聞こえてこなかった。
もはやクナイを再び取り出せる体勢ではないが、拳で十分だ。このまま勢いに乗って一撃で倒す。
―――ナルトみたいに。
拳を振り抜く。
氷が砕ける音が響いた。周りの景色が、罅割れて砕けていく。
「――そう、キミならそうすると思っていた」
その声には聞き覚えがあった。あのとき、船の上で聞いた、透き通るような声の少年。
氷の欠片が降り注ぐ中に追い忍の仮面の少年がサクラの腕を押さえるようにして佇んでいた。
氷の鏡に映っていた敵の姿が、バラバラになって次々と水面に沈んでいく。
脅威を認識するだけの暇もなかった。
「あっ」
「………ね」
聞き取れないほど小さい声で少年がなにか呟くと同時、視界が黒く染まり、首筋に鋭い衝撃が走る。意識が激しく酩酊し、立っているのもままならなくなる。
水に沈む寸前に、抱きとめられる。
混濁する意識で仮面の少年が喋る言葉が、微かに聞こえた。
『………交渉するつもりはありません。ボクが出す条件は二つ。今からすべての影分身を解除し、これから指定する場所に来るということ。これをナルトさんに伝えて下さい』
――――! ―――!!
『……受け入れるかどうかはボクには関係ありません。この子の命と引き換えにその条件なら、そう悪くない取引だと思いますけどね。あの森で待つ、ナルトさんにそう伝えて下さい』
そこで完全にサクラの意識は途絶えた。
ナルト「なんかもうよくわかねえってばよ」
白 「こういう手を打ってくるとはやはり天才か………」
カカシ「やはり、やはりか………」
ナルト「」