ナルトくノ一忍法伝   作:五月ビー

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 今回の文字数は?

 答え 約一万三千文字や

 
 ※覚悟して読んでください


35『氷細工の仮面』

「白は、死んだぜ」

 

 冷え冷えとした、低い声。軽やかな動作で下に降り立つと、その血に染まった仮面を再不斬に向けた。ゆっくりとした動作で歩き始める。

 カカシの横に並ぶ。カカシは感情の映らない仮面を見上げた。立ち止まることなく、ナルトは歩き過ぎていく。

 その背に、カカシは呼び掛けた。

 

「ナルト! 二人は……」

「大丈夫」

 

 ほんの一瞬だけ、その表情の読めない仮面が振り返った。

 カカシの懸念に、ナルトは短い返事で返した。

 

「二人とも、無事だってばよ」

 

 その言葉に、ひとまず、安堵する。

 と、同時にもう一つの疑問が喉をせり上がっていく。

 

「──白が死んだ、だと?」

 

 カカシが尋ねるよりも早く、再不斬が地獄から響くような声で問い質した。

 カカシと再不斬の間で、ナルトはぴたりと足を止めた。

 頷きもせずに答えた。

 

「ああ」

「それは………………クク、どうだかな。テメェらのような戦争も知らねえ木の葉のガキが、本当に白を殺せたのか……?」

「…………………………」

 

 敵の言葉ではあったが、カカシもそれには同意せざるを得なかった。サクラもサスケも、敵を殺す覚悟はない。ナルトも、確かに底知れない所はある。しかしそれでも、敵を何の躊躇いもなく殺せはしないと、そう信じている。

 再不斬を追い詰めるためのただの狂言であったほうがずっと現実的だ。

 だが今のナルトは、今までのナルトとは纏う雰囲気がまったく異なっている。

 まるで何かが決定的に変わってしまったかのように、あるいは隠していた何かが露わになったかのように。

 先ほど滲んだ感情の波も消え、冷え切った水面のように、まるで感情が読め取れない。

『何か』は、確かに起こったのだ。

 故にカカシは、有り得ないと思いながらも、まさか、という思いを捨てきれなかった。

 少し、思案するようにナルトは首を巡らせた。

 

「まぁ…………どちらでもいい」

「『再不斬さんに弱い忍びは必要ない……』」

「……ああ?」

「『君はボクの存在理由を奪ってしまった』」

「──」

「『君の手を汚させることになってすみません』」

「『ボクを殺して下さい』」

 

 ナルトがそう、諳んじた瞬間、再不斬が雷に打たれたかのように動きを止めた。瞬きも、呼吸も、殺気もなにもかも。

 カカシにはその言葉が真実かどうか分かるはずもなかった。しかし、再不斬だけにはその言葉そのものの意味以上の何かが伝わったようだった。

 目を閉じると、静かに、絞り出すように声を出した。

 

「ああ………………そうか。そりゃあ、間違いなく、『アイツの言葉』だ」

 

 ナルトは白という少年を本当に殺したのか。それとも白が自ら死を選んだのか。それはわからない。ただ、白という少年が死んだのは間違いない真実だと、ナルトは少ない言葉だけで再不斬に突き付けてみせたのだ。

 再不斬がそれは疑いようのない真実だと断じ、カカシもまた、それを信じた。

 ナルトは、これを伝えるためにここまで来たのだろうか。

 殺意が萎んだまま、再不斬は動かない。

 これで、もしや、終わりなのか。カカシは僅かにそう思いかけた。

 

「────で、それがどうした?」

 

 目を見開いた再不斬は、変わらずにその瞳に戦意を宿していた。涙などまるで浮かんでなどいない、掠れて乾いた、獣の眼だ。

 

「オレのやることは何一つ変わらねえ。テメェらを皆殺しにした後、標的も殺す、ただそれだけだ」

 

 再不斬の大刀を握った左手に、メキメキと軋ませながら力が籠められていくのがわかる。

 

「…………ナルト、もう下がれ」

「死にたくなきゃどいてろ。まずはカカシ、テメェは次だ」

 

 ナルトはただ、拳を握りしめた。

 今更、再不斬は止まらない。業腹ながら、同じ時代を過ごした忍びとして、その気持ちは理解出来てしまう。己の理想のためにすでに全てを捨てているのだ。

 再不斬の野望のことはカカシもある程度、知っていた。その動機は、私欲なのかあるいは義憤だったのかはもはや知るよしもないが、かつて再不斬は水影の暗殺を目論んだ。結果は失敗に終わり、里から逃亡して抜け忍になった。

 ガトーに与したのは、金と身を隠すためのコネが必要だったからだろう。

 止まれるような位置はとっくに過ぎている。もはや殺さない限り、再不斬を止める方法など存在しない。

 忍び、とはそういうものなのだ。

 少なくともカカシは、それ以外の方法を知らない。

 

「ナルトっ」

 

 カカシの呼びかけにも、振り返らない。

 カカシの中で不安が沸き立つ。今のナルトがどういう感情を抱いているのか、どのような表情をしているのか、その背からは読み取れない。

 何を考えているのか、何を想っているのか、何もわからない。

 カカシはもう一度、今度はやや強く呼びかけた。

 カカシの呼びかけに応えたのかどうか、ナルトは再び、止めていた足を動かした。

 ただし、その向かう先はカカシの方、ではなかった。

 

「なっ」

 

 カカシは呻いた。

 

「おい、何のつもりだ」

「…………」

 

 再不斬が訝し気にナルトを見た。

 ナルトは応えない。

 一歩。

 

「テメェ……、まさかオレに挑もうってのか」

「…………」

「白に勝った程度で図に乗っているのか。それとも片腕のオレなら勝てる、とでも思っているのか」

 

 ナルトは応えない。ただ、前に進んでいく。

 再不斬が、威嚇するように鋭い殺気を放つ。遠い位置にいるカカシですら肌がヒリつく混じり気のない純粋な殺気だ。しかし、ナルトはそれを真正面で受けながら、何事もないかのようにゆっくり進んでいく。

 あと少しで再不斬の刃圏に、足を踏み入れてしまう。

 いくら片腕しか使えない状態だろうと、ナルトでは再不斬の相手はできない。

 止めなければいけない。

 だが、カカシは迷ってしまった。

 何故? 明確なものなどなにもない。

 ただ、薄っすらとした期待が、カカシの胸を過ったのだ。この状況を打破する何かが、ナルトにはあるのではないかという、何一つ根拠のない期待が。

 何事にも全力を出さないナルトという少女の、本当の真価が、今ここで見れるのではないか。

 今更になって三代目の『サスケと、そしてナルトに注意を払え』という言葉を思い出していた。

 それを愚考だと断ずる間に、ナルトは再不斬の刃圏の一歩外に届いていた。

 再不斬はナルトを見下ろした。

 

「あと一歩でも進んでみろ。まずはテメェから──」

 

 ナルトは、一歩踏み入れた。躊躇うことなく。まるでただ大通りを歩くように気負いすらなく。

 

「馬鹿が」

 

 再不斬は躊躇わずに、左腕だけで大刀を閃かせた。

 カカシの右目では、距離と微かな霧の影響ではっきりとは見えなかった。

 見えたのは結果だけ。

 再不斬の大刀の一撃をギリギリの距離で躱しているナルトの姿だった。

 

「くっ!?」

 

 まさか、避けられるとは思っていなかったのか、再不斬の乱れた二撃目を、ナルトは余裕をもって躱し、拳の一撃を顔面に叩きこんだ。

 体重の乗った、しかしチャクラは伴っていない一撃は、虚を突かれた再不斬を後方へよろめかせるに留めた。

 しかし、正面からまともにいともたやすく再不斬を殴ってのけたのだ。以前のように流れの中ではなく完全な一対一の状況で。

 

 ──やはり、まだ力を隠していたのか。

 

 疑惑を確信に変えながら、カカシは目を見開いた。

 再不斬は数歩分よろめきながら、体勢を立て直し、顔を上げる。怒りではなく今起こった出来事が信じられないといった呆然とした表情。

 ナルトは歩き続けている。もうすでに間合いに入っている。

 再不斬が、再び大刀を振るう。

 ナルトはわずかに身を傾けるだけで、あっさりと躱す。再不斬は再び驚愕し、そしてカカシはここでようやく違和感を覚えた。

 目の前で繰り広げられる攻防を、よく観察する。もはや、ナルトを止めることも頭から抜け落ちていた。

 

「何故だ! 何故当たらねえ!」

「………………」

 

 ……確かにナルトの回避は巧みだ。しかし、それ以上に再不斬の動きが鈍い。

 片腕ということを差し引いても、先ほどまでの精彩さが突如として抜け落ちてしまったかのように全ての動作に覇気がない。首切り包丁は、特殊な武器だ。怪力だけでは扱えない。技の伴わない大刀は途端にその大きさと重さがそのまま枷になる。無論、技だけでは振るう事すら敵わない。

 力と技の完全な統制。それができなければ大刀はまさに無用の長物そのものだ。

 再不斬の中で何かが乱れてしまっているのだ。技か力、あるいは両方が。

 疲労か? 

 いや、それだけではない。

 動揺している? 

 一体何に? 

 ナルトに? 

 それともまさか、まさか白という少年の死に──? 

 わからない。

 ただ、再不斬はそれに気が付いていない。そしておそらくナルトの方はその原因をすでに理解している。

 ナルトはふらふらと捉えどころのない動きで、再不斬の攻勢を躱す。

 一見、もう今にも倒れてしまいそうだと勘違いしそうなぐらいに力が抜けている。

 再不斬に対する攻撃も、体重こそ籠められているもののチャクラは使っていない。

 まるで、これで十分だと言わんばかりにナルトは、格闘だけで再不斬を嬲っている。

 あの鬼人を相手にして、何の感情も見せることなく。

 

「テメェ如きが! オレに纏わりつくんじゃねえ!」

 

 呻いた再不斬の首筋にナルトの上段の回し蹴りが叩き付けられた。

 またしてチャクラは使われなかったが、積み重なった打撃はついに再不斬の膝を折り、強制的に跪かせた。

 有り得ないものを見るように再不斬はナルトを見上げた。ナルトは感情の読めない仮面で冷徹に見下ろした。

 

「何故、テメェ如きにッ、このオレが翻弄されなくちゃならねぇ…………!」

「……逆だってばよ。今のお前じゃオレにすら勝てないんだ」

「こんなことはあり得ねぇ! オレは、オレの、オレの理想がこんな場所で終わるハズがねぇ!」

「────理想?」

 

 そう再不斬が喚いた瞬間、ナルトの表情が初めて変化を見せた。

 頬の辺りが砕けた仮面の下からわずかに見える口元が、歪んだ。

 獣が牙を剥くような、寒気のする嘲笑が仮面越しに、微かに覗いている。

 

「はは、嘘つけよ再不斬」

「……?」

「ホントはよぉ、──────お前、諦めてんだろ?」

「なんだと…………」

 

 再不斬を弄する言葉を、ナルトは愉し気に続ける。

 涼し気な笑みを浮かべたナルトの仮面がカカシの方を向いた。反射的に、カカシは身構えた。身構えてしまった。

 

「カカシ先生との戦いを見て、違和感があったんだってばよ。お前、ただ愉しんでただろ。命を懸けるに値する敵と出会えて。子供みてぇに。……でもよ、それってなんかおかしくねえか?」

「…………………………」

「本当に叶えたい理想があるんだったらよ、愉しむ余裕なんてないはずだって。そうじゃないとしたら……、ってな。なのにお前は忍びとして、カカシ先生に勝ちたがった」

「黙れ…………」

「ハッキリとわかったのは、部下を全員失ってなお、まだこの仕事にしがみ付いていたからだってばよ。果たしたいなにかがあるなら、こんな場所で死ぬような真似できっこない」

「黙れっ」

「お前、本当は…………とっくに諦めてたんだろ」

 

 撃発するように立ち上がった再不斬が首切り包丁を薙いだ。ナルトは当然、あのゆったりとした動作で躱している。

 

「なんだ、当たりか」

「黙れ!」

「理想のために名のある強敵と戦って敗れる。……まあ、言い訳は立つよな。オレは一生懸命やったんだ、しょうがなかった、って」

「黙れッ、黙れ!」

 

 もはや、あの細緻な斬撃など見る影もない。息を乱し、隙だらけな大振りで大刀を振り回す再不斬はまるで子供のようだった。

 カカシはただ素直に恐ろしかった。

 ナルトはもはや、あしらうだけで反撃すらしていない。

 すでに互いの立場は完全に逆転してしまっている。

 

「あるいは、そういう自覚もなかったのかもな。目の前のことに没頭していれば、先に待つ現実を見て見ぬフリができる。…………ま、わかるけどよ」

「だ、まれっ」 

「だけど、それがいちばん卑劣だってばよ」

「何も知らねぇ小娘が知った風な口を叩くな…………! オレの命をどう使おうがテメェに説教される謂れはない!」

「オレはお前に付き合う気がないってだけだってばよ。……オレはカカシ先生ほど優しくない」 

 

 力任せに振るわれた大刀はナルトには届かず、足を引っかけられた再不斬は、受け身など取れるはずもなく地面に派手に叩き付けられた。

 呻く再不斬をナルトは静かに見下ろした。

 

「立てよ再不斬。白は、最期まで立って戦い抜いた」

 

 もう勝負は付いた。カカシはそう言って割って入るべきだっただろう。もう再不斬に抗う力は残っていない。ナルトもわかっているはずだ。

 だがナルトは容赦しない。再不斬の心を覆う鎧を、ナルトは一枚一枚、執拗なまでに丁寧に剥ぎ取り続ける。

 鬼を甚振るのを愉しんでいるのか、あるいは他に理由があるのか。

 仮面はなにも語らない。

 そしてカカシにはうずまきナルトの全てを、何一つ見極められなかった。

 

 

 

 

 

 色々な意味で限界が近すぎて逆にナルトは笑えてきた。

 走っている体がさっきから休息だけしか訴えてこなくてひどく煩い。

 この際、地べたでもいいからこのまま倒れてしまいたい。次の瞬間には夢の中だろう。

 魅力的な想像だったが、それをするのはもう少しだけ先だ。

 森の中を海岸沿いに木々を蹴って走る。霧がどんどん引いていくから、もう道を迷う心配もない。

 カカシ先生の位置は、一度あの不思議な超感覚が伸びたときに感知している。まさかまったく別の場所に移動しているなんてことは、多分ないはず。

 確証はない。戦いは、曖昧さをどんどんと積み上げていく作業なのだと、なんだか真理めいたことを考え、そしてすぐに疲労で忘れる。

 あの不思議な感覚は、もうほとんど残っていない。残ったのは微かな縁だけだ。

 結局あれは一体どういうものだったのか。九尾は「センドー」と呼んでいたが。

 木々を高速で飛び回る猿飛の術のための技にしては、随分と大仰すぎる力の気がする。

 突然、感覚が一個増えて、広がり続け、そして急に縮んだ。あのまま広がり続けていたらどうなっていたのだろうか、あまりよいことは起こりそうにない気がした。

 とするならば、これが今、ほとんど引っ込んでいる現状はありがたい状態なのかもしれない。

 かわりにこれから、不思議な力ほぼナシ、体力ゼロ、チャクラ限界、というとんでもない状態で再不斬に会いに行かなくてはいけない。

 あの鬼人を相手に、なんともまあ、頼りないことだ。

 

【そいつ、もう死んどるのではないか?】

 ──死んでねぇ、……ことを祈るだけだってばよ。

【死んでいた方が面倒がないと思うがな】

 ──それは困る。白と約束したんだ。

【敵のために、敵が生きていることを祈る。これ以上馬鹿馬鹿しいことも珍しい。貴様は物事をややこしくする天才だな小娘】

 ──うるせぇ。

【その仮面も一体なんの意味がある】

 ──顔見られたら、演技だってばれる。

 ──それに、多分。再不斬と話すときにこの仮面が必要なんだってばよ。多分。

【まったく一寸もこれっぽっちも理解出来ん】

 ──うるせぇ。

 

 先ほど感知したときは再不斬もカカシも生きていた。霧もまだ完全には引いていない。霧が引き、結界が崩壊したことをカカシが知るまでは、再不斬は生きているはずだ。

 だからこそ、出来る限り急がなくてはいけない。

 それに、確かにほとんどスッカラカンな状態のナルトだったが、かわりにといってはなんだが、減っていく色々に反して、テンションが異常に上がってきた。

 不思議なことに、死にたいほど疲れているが、死にそうなほどテンションが高い。

 

【ワシが見てきた死ぬ前の生き物は大概、そうだったなぁ】

 

 九尾がなんか不吉なことを言っていたが無視する。

 もうこの勢いのまま突っ走ることしか考えていないし、多分それしか出来ない。

 その結果として、ナルトは戦いの決着がつくよりも早く、二人の下に辿り着いた。

 

「……ま、間に合った…………」

 

 ナルトは聞こえないように小さく呟いた。カカシも再不斬も、それぞれがそれぞれの傷を負い負傷しているが、致命傷には至っていない。

 とりあえず、まだ約束は破っていないようだ。

 二人とも動きを止め、ナルトの動向を観察している。

 このまま、流れを掴まなくてはいけない。

 ナルトは膝に手を当てて呼吸を整えたい欲求を必死に抑えて、虚勢を張ることにした。

 

「──よぉ、再不斬」

 

 精一杯の元気というか威嚇を篭めて声を出す。疲労特有の耳鳴りがしているので自分の声がどのように響いているのか、イマイチ判断が付かないが、とにかく押し通す。

 

「白は死んだぜ」

 

 嘘だと悟られないように、こっちは感情をなるべく殺して言う。

 相手の反応が遠すぎてよくわからないので、とりあえず屋根から降りて近づいていくことにする。

 再不斬は何の反応もせずに、ただ視線だけがナルトを追っている。

 大型の猫科の肉食獣に見つめられている気分だった。少しでも目を逸らすと喰らいついてきそうな、そういう雰囲気がある。

 じっとりとした汗が出た。

 まるで本当に獣を相手にしているように目を逸らさずにゆっくりと歩く。

 カカシが声をかけてきたことで初めてカカシの居る位置を追い越したことに気が付く。

 一瞬だけ視線を送って答える。

 

「──白が死んだ、だと?」 

 

 再不斬がここでようやく、声を出した。獣の唸りにも似た低い声だ。

 表情が見える距離に達した。ナルトは足を止めて、声を返す。

 

「ああ」

「それは………………クク、どうだかな。テメェらのような戦争も知らねえ木の葉のガキが、本当に白を殺せたのか……?」 

 

 悲報・再不斬、めちゃくちゃ鋭かった。

 普段のナルトなら動揺を露わにしていただろうが、そこは、高いテンションと体の疲労が相成って奇跡的に無反応でいられた。

 棒立ちのまま、しばし呆然とする。

 まさか、速攻で疑われるとは思っていなかったせいで、想定が全部吹っ飛んだ。

 

【馬鹿すぎんか小娘】

 

 九尾の罵倒にも返事を返す余裕すらない。というよりさっきから九尾が地味にうるさい。

 白を殺した証拠など、どこにもない。なにせ殺していないのだから。

 本当に白が死んだのは、前回のときだ。

 適当な嘘では即座に見破られる未来しか見えない。

 再不斬はナルトの仮面を被った顔をしばらくは見ていたが、諦めたように視線を外した。

 

「まぁ…………どちらでもいい」

「『再不斬さんに弱い忍びは必要ない……』」

「……ああ?」 

 

 訝し気な声。咄嗟に言ってしまった言葉は、前回の白が、ナルトに告げた言葉だ。

 勢いのまま続ける。

 これはナルトにとって紛れもない真実の言葉だ。故に、躊躇いなく続けることができる。

 

「『君はボクの存在理由を奪ってしまった』」

「『君の手を汚させることになってすみません』」

「『ボクを殺して下さい』」

 

 言っている内に、ナルト自身もそのときの気持ちを思い出していた。世界の残酷さに対する怒り、やるせなさ、無力感──。

 かつての白をみすみす死なせてしまった自分への苦々しい思い。

 ナルトはすべて含めて、再不斬を真っすぐに見る。

 

「ああ………………そうか。そりゃあ、間違いなく、『アイツの言葉』だ」

 

 再不斬はそう小さな声で言った。

 今ではないけれど、でもこれは確かに白の口から告げられたものだ。

 それを話したのは咄嗟の出来事だったけれど、ナルトは自分が上手く騙したとは思わなかった。

 異なる世界での白の最期の言葉でさえ、再不斬は次元を飛び越えて掴み取り、そして受け止めてみせたのだと、そう信じたかった。そこにナルトは、二人の間に確かに存在する、切り離せない絆というものが見えた気がしたから。

 

「────で、それがどうした?」

 

 だから再不斬が口ではそう言っていても、態度でもそうだったとしても、ナルトはそれを信じなかった。

 あのとき再不斬が白のために流した涙こそが、本心だったと信じる。

 故に、拳を握って前に進める。

 カカシが警告し、再不斬が威嚇する。

 だが、歩みはもう止めない。

 再不斬の刃圏に入った瞬間、再不斬は首切り包丁を振るった。再不斬が、本心から白の死をどうでもいいと考えていたのなら、躱せるはずもない即死の一撃だ。

 だが、ナルトは簡単に避けることができた。

 再不斬自身は、気が付いていない。

 だけど、それだけでナルトにはハッキリとわかった。

 そして、それで十分だった。

 殴り返す。チャクラなどもう込める体力など残っていないので、ただの拳の一撃。体重差が激しいせいで殴ったこっちも地味に痛い。

 超感覚はまだ少し残っている。白ほどではないが、再不斬とも少しだけなにかが『結ばれた』のが解かる。

 再不斬本人の乱れも相まって、今は大刀が当たる気がまったくしない。

 躱し、反撃する。

 段々、殴ったり蹴ったりする体力も無くなってくる。チャクラを使わずにこの体格差の相手に攻撃を効かすには思いっきり体重を込めなくてはいけないのだが、それは疲れた身体には随分としんどい。人を殴るのにも体力は要る。

 再不斬が倒れるのが先か、ナルトが殴る体力が無くなるのが先か。多分、普通にやっていたら後者が先になるだろう。

 だが、再不斬が大きく隙を見せたときに、上段の蹴りを決めることができた。

 地面に両手両足を付けて、再不斬はナルトを見上げた。身長の差がありすぎるので、再不斬が屈んでも、ナルトとの頭の位置が結構近い。これを見下ろす、と表現すべきかどうか。とにかくなんとも締まらない光景だ。

 

「こんなことはあり得ねぇ! オレは、オレの、オレの理想がこんな場所で終わるハズがねぇ!」

「──理想?」

 

 再不斬のやってきたことは、ナルトももう知っていた。前のときにはカカシから軽く聞き、今になってからは三代目にある程度詳しく教えて貰った。

 だけどそれを聞いてからナルトの中で、ある疑問が残っていた。だけどそれは、本来なら解消されるはずのなかったものだ。前のときは再不斬もそれに付き従う部下たちも死んでしまったから。故にナルトは、かつて、それが微かに引っかかりながらも、そのまま形にすることはなかった。

 そして今ここに至って、ナルトはハッキリと再不斬の気持ちが分かった気がした。

 

 ──再不斬はきっと、『今のオレ』と同じなんだってばよ。 

 

 自嘲から苦々しい笑みが浮かぶ。ついでに笑っただけで痛みで顔が引きつり変な顔になった。幸い、仮面を被っていたお陰で誰も見てはいない。白に助けられた。

 ズキズキと、また胸が痛む。……きっとこれからも痛む。

 理想を追って追って、ただそれのために生きてきた。なのに、あるとき、取り返しようのない失敗をしてしまった。もう一生、どう足掻いてもどう泣き叫んでも取り返しようのない失敗だ。 

 けれど、それを認められなかった。

 まだ取り返せる。また戻ってくる。

 そんな風に自分に言い聞かせて。

 前を見据えているようで、過去しか見ていない。

 どうしようもないことだと、考えもしない。

 考えたくないから考えない。

 それが一番、楽だからだ。

 

「はは、嘘つけよ再不斬」

 

 自分で、少し前の自分を笑う。

 

「ホントはよぉ、──────お前、諦めてんだろ?」

 

 どう言えば、上手く響くのか、より伝わるのか。それはナルト自身がよく理解していた。少しズレていることを言ってもいい。核心さえ突いていれば、再不斬には伝わる。

 だからナルトは深く考えることなく、より自分の胸に突き刺さる言葉を続ける。

 

「黙れッ!」

 

 再不斬は激高し、むやみやたらに大刀を振り回した。

 避ける。しかし、もう殴る体力がない。腕が上がらない。足も伸びたまま固まってしまっている。避けることしかできない。

 よろけた再不斬の足元に、自分の足先を差し出した。上手いことつんのめり、再不斬が転んだ。

 息を整える。ナルトの意識は浮かんでは消え、消えては浮かぶ。

 蹲る再不斬は全ての力を吐き出し尽くしたのか、萎んでしまったように見えた。

 ゆっくりと身を起こし、辛うじて大刀を地面に突き立て、そして地べたに力なく倒れるように座った。

 ぽつり、と再不斬が呟いた。

 

「……ああ、そうかもな。確かにオレは、もう諦めていたのかもしれない」

「…………………………」

「だが…………なんだってんだ。オレが理想を諦めていたからそれがどうした……。それを暴いてお前に一体なんの意味がある」

 

 再不斬の声が遠くに聞こえた。

 疲れ切った覇気のない声だった。

 今にも死にそうな声だった。

 その声を聞いて、僅かに力が戻って来た。

 それは、怒りだ。

 何が言いたいのか。

 これだけは確かにある。

 

「逃げんじゃねーってばよ」

「…………なに?」

「自分の理想が叶わなかったから、それで死んで逃げようなんて都合が良すぎるんだってばよ。自分が楽になることばかり考えて、お前が巻き込んだ者はどうなる? 諦めを愉悦で誤魔化して、殺すだけ殺してそして勝手に野垂れ死ぬつもりだったのか」

「…………」

「ふざけるなってばよ。……自分が失ったことだけを嘆いて、これから白が失っていくものを考えもしなかったのか」

「…………」

「巻き込んだお前にしか、できなかったんだってばよ」

「…………」

「──、自分の夢が叶わなくて、生きる意味も失くしたんだったら、お前は白のために生きてやるべきだったんだ。それが白を自分の願いに巻き込んだお前の責任だろうが」

 

 再不斬はただ、ナルトを見上げた。

 そして不思議そうに訊ねた。

 

「お前は、お前は…………白の一体、なんなんだ」

「オレは白の友達だってばよ」

 

 ナルトは心の底から胸を張って答えた。

 その言葉を聞いてもなお、再不斬は不思議そうな顔をしていた。

 だがナルトは撤回はしなかった。

 

「アイツが……トモダチだと?」

「ああ」

「お前、…………………………白は生きているな?」

 

 バレた。やはり再不斬は鋭い。

 頷く。

 

「…………下らねぇ。こんな青臭い嘘に騙されるとは……オレも焼きが回ったな」

 

 再不斬はしばらく俯いていたが、すっと立ち上がった。疲れを感じさせない自然な動きだった。

 光が走った。

 両断された仮面が地面に落ちた。

 視界が広がり、視線の真下、喉元に大刀の切っ先が突き付けられた。

 

「……………………」

 

 反応出来なかった。──意識よりも速く繰り出された斬撃。超感覚の感知ですら間に合わない神速の一撃だった。

 如何なる鍛錬を積めばこの領域に至れるのか想像すら出来ないような神業だ。それもこうも無造作に。

 

「だが、……………………もしオレがそれでも、一度受けた任務だけは遂行すると、そう言ったならどうする?」

 

 再不斬は試すようにそう訊ねた。

 そんなことを言われたら、どうしようもないというのが答えだ。ナルトはぼんやりと完全に霧が去った青い空を眺めた。死が目の前にあるのかもしれないのに緊張感すらもう続かない。

 そうして力を抜くと、ふと、周囲が騒がしくなってきていることに気が付く。

 

「──、おーおー派手にやられちまって、がっかりだよ再不斬」

 

 橋の向こうから小柄な中年の男が杖を突いて歩いてきた。

 その背後には無数の人間の群れ。

 そういえば、霧が晴れてからもう随分と時間が経った。

 ナルトは理解した。

 もう前と同じようにコイツが来ていてもおかしくはない時間なのだ。

 

「ガトー……」

 

 再不斬が呆然とその名を呼んだ。それを受けて、どうやら勝手に自分に取って好意的な状況だと判断したらしい小柄な中年の男はニヤニヤとイヤらしく口元を歪めた。

 

「ククク、少々作戦が変わってねぇ。というよりも初めからこうするつもりだったんだが」

「──何だと?」

「再不斬、お前にはここで死んでもらうことにする。お前に金を払うつもりなど毛頭なかったんでね」

 

 そう言ってまた口を歪めて嗤う。再不斬の呆れた視線の意味などまったく理解していないある意味幸せな愚か者の姿。後ろに控えるならず者どもも、一緒になってニタニタと嗤っている。

 

「抜け忍なんてどう裏切ろうが、面倒がなくていい。道が見えねぇくらい霧が出たときはどうしようと思ったが、結果的に最高のタイミングだったみたいだな。なぁ再不斬」

「今のお前ならぶっ殺せるぜぇ!」

 

 そう嘲笑しているが、もう再不斬はガトーの方を見ていてすらいなかった。ナルトの方、でもなく丁度ガトーとは反対方向だ。ナルトも釣られてそちらを見た。どうでもいいが、大刀が未だに喉の近くにあるせいでどうにも顔を動かし辛い。

 そこには波の国の面々が集まりつつあった。いや集まりつつあるなんている段階ではない。地響きすら上げて国中の人間がこの一点に集中して走ってくる。

 以前よりももっともっと多い、とんでもない人数だ。

 そしてその先頭には、やはりあの少年が居てくれていた。

 

「ね──────────ちゃ──────────────────ん!!!」

 

 近づくにつれその顔がハッキリと見えてくる。

 イナリだ。元気そうだ。

 嬉しそうにぶんぶんと手を振っている。ナルトも首に大刀を突き付けられたまま、笑顔で手を振り返す。

 ふと、イナリの周りに他の少年が群がっているのが見えた。

 

「お、おいイナリ、忍者だ! 忍者が居るぞ!!」

「あぶねぇよ! あんまり前行くなよ!」

「忍びコワイ!」

「もううるさいなぁ! ねーちゃん大丈夫!? ボクが今行くからぁ!」

 

 群がる少年達をイナリが面倒くさそうに蹴散らすとこちらに向かって走ってくる。むしろ周りの少年の反応の方が正しいとナルトも思うのだが、イナリは意に介していない。

 あれはもしかしてイナリをイジメていた奴らだろうか。あれから一体どういう経緯でああなったのか、それを想像するに愉快だった。

 

「あはははははははっ」

 

 ナルトは笑った。力が抜けたせいか随分と女の子みたいな声だった。でもまあ今はどうでもいい。

 

「これもテメェの小細工か、小娘」

 

 再不斬が波の国の面々が集まってくる様子を見ながらそう聞いてきた。

 そんなわけあるわけがない。全部偶然だ。そう答えたかったけど、あまりに愉快過ぎてナルトは笑うのを止められなかった。

 そのナルトを胡乱な目で見ていた再不斬だったがやがて諦めたように溜息をついた。

 大刀をナルトの喉元から外し、天を仰いだ。

 

「………………オレの負けだ」

 

 その声はどこか清々しさすら孕んでいる気がした。ナルトの思い違いかもしれない。でもそう聞こえたのだ。

 そして今更になって狼狽えるガトーが見えた。

 

「再不斬ぁ! やはり金は払う! オレを守れぇ!」

「さて。あの馬鹿にだけは落とし前を付けさせてもらうとするか」

 

 再不斬はひどく面倒そうに呟くと大刀を肩に担いだ。

 そして歩み去っていく。その手をナルトは掴んだ。

 

「痛ぇな……、そっちは穴が開いてんだよ」

「再不斬」

「なんだよ」

「もう殺すなよ」

「………………」

「あと、死ぬなよ」

 

 ガトーは死んでもらっては困るし再不斬に死んでもらっては困る。そういうつもりで言ったのだが、それに対する再不斬の反応は劇的だった。

 目を見開くと、一度だけ指先が激しく震えた。

 懐かしむような、あるいは寂しそうな、そういう不思議な目で再不斬はナルトを見つめた。

 意味が分からずに見つめ返す。

 再不斬は震える声で呟いた。

 

「……オレにそれを言うかよ」

「?」

「もし、もしお前が霧に居たならオレは……」

 

 再不斬がその不思議な目をしていたのはほんの一瞬だけだった。次の瞬間には元の乾いた獣の目に戻っていた。

 動かすだけで痛そうな右腕を上げると強引にナルトの頭をごしごしと撫でた。

 痛い! ナルトは抗議の声を上げた。

 

「じゃあな、小娘」

 

 そう言って再不斬は歩み去っていく。

 ナルトはその背を見送った。

 同時に、意識が飛ぶ。

 誰かが受け止めてくれたのだけが、辛うじて認識しながらもナルトの意識は沈んだ。

 


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