ナルトくノ一忍法伝   作:五月ビー

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幕間『幼狐の一日』③

 下校する生徒達に返事を返しながら、うみのイルカは深々と溜息をついた。

 アカデミーの職員室の窓の先に既に薄暗くなりつつある運動場が面している。そこからは部活動で最後まで学校に残っていた生徒たちが校門からそれぞれ帰っていく姿が見える。 

 今日の業務も何事もなく終わりそうだと感じて、ふと気が緩んでしまったようだ。ハッとなって口元を押さえるが、もう大分遅かった。

 幸い、生徒には見られていない。

 ただ近くに立って同じように下校する生徒達に挨拶を返していた年嵩の同僚とはバッチリ目が合ってしまった。

 イルカは気まずい思いを味わいながら、苦笑いを浮かべた。

 

「スミマセン、仕事中に…………」

「ああ、いえいえ生徒も全員下校したようなものですし、お気になさらず。ただ、いつも明るいイルカ先生があのように溜息をつく姿が少し珍しかったもので」

「あ、あはは……」

「なにか悩み事でも?」

「…………いえ、昨日少し友人と飲み過ぎてしまって」

 

 その言葉は嘘ではないが、完全な真実でもない。

 

「ははぁ、なら今日は飲みには誘え無さそうですねぇ」

「あははスミマセン……」

 

 イルカは自分のデスクに戻ると、今日何度目かすら思い出せないぐらい繰り返した数日前の記憶を再び思い起こした。

 今日から遡ること三日前の、早朝の事。イルカの住むマンションに一人の忍が訪れた。黒装束で顔に白い面を被った痩身のその忍は、日常の景色には明らかに異質で、しかし反してその存在感は酷く希薄で、それゆえ見慣れた朝の景色に奇妙な不協和音を起こしていたのを覚えている。

 忍は己を『暗部』だと告げた。

 突然のことにイルカは驚いたが、しかしかといって暗部に探られて困るような後ろめたい事情などは存在しない。すぐに平静を取り戻すと、暗部の使者に用件を尋ねた。

 何かの事件の目撃情報か、あるいは不審な人物の心当たりか、大方、そんな所だろう。イルカは返事が返ってくるよりも早く内心でそう当たりを付けた。自分でこそこのような場面に遭遇したのはこれが初めてだったが、知り合いや同僚からは似たような話は一つ二つ聞いたことはある。

 しかし暗部の忍がイルカに尋ねてきた内容はイルカの想像したような類のものではなかった。

 彼はこう言った。

 

 ────『九尾の人柱力』について、幾つか訊ねたいことがある。

 

 その物言いに反射的に不快感を感じ、その質問も意図を掴みかねた。

 彼はナルトのアカデミー時代の印象や言動、そして最近のナルトに対して感じた違和感などをイルカに続けて問い質した。それらに意味も解からないまま答えながら、イルカは疑問を呈した。うずまきナルトは確かに九尾の人柱力ではあるが、それ以外の点に置いては今更暗部が特筆しておくべきことなどない、と。

 彼はイルカの疑問には答えなかった。

 まさかナルトが木の葉に反逆するとでも勘ぐっているのだろうか。イルカは危惧した。ナルトは木の葉に対して常に従順な忍であるわけではない。しかしあのような境遇に追いやられて迫害されていながら、木の葉の里に対して愛情を持ってくれていることをイルカは知っている。

 そうだとしたら勘違いも甚だしい誤解だ。

 イルカはそれを告げたが、彼に響いた様子はなかった。

 

『お前が知っている人柱力の姿がどうしてあのバケモノの本性であると言い切れる』

 

 イルカは憤慨した。

 自分がナルトを一番理解している人間だという自負がイルカにはあった。

 ただ、最近のナルトの態度が変わったと何となくではあるが感じていたのは事実だ。それは単純に下忍になって様々な経験をしたゆえの成長なのだと、そう解釈していたのだが。

 暗部が去ってから、イルカは不安が僅かに沸き上がった。

 ナルトが自分を騙しているなどとはまったく思わない。

 ただ自分の知らない所でしかし自分の身近で、見えない何かが動いているような、そんな不快な予感があった。

 それが錯覚であれば別にいい。

 だがそうでないのだとしたら………………。

 三代目がこれに関与しているとは思えないが、流石にまだこの段階で三代目に直談判などは出来ない。

 それとなくカカシに話を聞いてみようと、軽く考えた。

 時間を作ってカカシに会いに行き少し聞きたいことがあると告げると、カカシも、丁度イルカに聞きたいことがあったと、そう返された。

 そのときもまた、嫌な予感が沸き上がったのを覚えている。

 機密性の信頼できる忍御用達の居酒屋のつけ台で、横に並んで座る。暗部が家まで来てナルトの事を探っていたことを話すと、カカシは少し驚いた様子だったが、それと同時にどこか納得したような表情でもあった。

 おそらく、全てを話せるわけではないのだろう。お猪口の中の酒を眺めて逡巡しながらカカシは言葉を選ぶようにゆっくりと語り始めた。

 先日、波の国から受けた依頼で起こったことを。

 初日に霧の中での忍び刀七人衆の一人と血継限界を持つ忍の少年の奇襲を撃退し、修行中にサスケの写輪眼を覚醒させてみせ、再度戦った二人の強力な忍を完膚なきまでに叩きのめした後、波の国での問題を一掃してみせた一人の少女の話。

 螺旋丸、瞬身の術、猿飛の術、仙術────、その少女が披露した底知れぬ秘術の数々。そしてそれ以上に恐ろしいのは、すべてを見通して敵味方を動かして見せた慧眼と知性。

 何の話だ。と戸惑っていたイルカは、カカシの話を最後まで聞いてもそれがナルトの事を話しているとは到底信じられなかった。

 冗談、でしょう? 

 イルカがそう言うと、カカシはオレもそう思いたいですよ、と静かに返した。

 有り得ない。

 ナルトは、忍術が苦手だ。チャクラを練ることも下手くそだ。体術だって大したことはない。チャクラ量も九尾のチャクラを除けばそれほど多いわけでもない。

 頭だって余りよくはない。イタズラが好きで短気で我慢が出来ない性格でもある。

 忍としての才能はあまりない方だった。

 けれど、一生懸命な奴だった。真っすぐに前を見据えて諦めずに歯を食いしばって泥まみれになりながらも頑張れる、すごい奴なのだ。

 自分にとっては手の掛かる可愛い教え子でそしてなによりも、誇りだ。

 決してカカシが語るような忍とは重なるような子ではない。

 しかし、カカシがこんな嘘をつくはずがないとも思った。確認しようとすれば簡単にわかることだ。嘘をつく理由もないしカカシはこのようなことをふざけて言ったりするような男ではない。

 

『イルカ先生。貴方でさえ、知らなかったのですね』

 

 そう言われて、ショックを受けている自分がいることにどこか他人事のように気が付いた。ナルトと過ごしてきた日々そのものを薄っぺらいものだったと言われたにも等しいというのに。

 螺旋丸に猿飛の術を習得しているのだとしたら、少なくとも三代目と自来也が関係していることはもう半ば確定している。伝説の三忍に加えて現役の火影が秘密裏にナルトを鍛えているならば、それはもはやイルカが首をつっ込める次元にはない領域の話だ。

 カカシも戸惑っているのだろう。その話し方がどこかたどたどしいのはカカシ自身が自分の語っている内容をどのように評価していいのかわかっていないからではないのか。衝撃の中でもどこかで冷静な部分がそうやって答えを補間して、カカシの言葉を疑う理由を、自分自身で消していってしまう。

 呆然とするイルカを横目に見ながら、カカシは言葉を続けた。

 

『オレは、ナルトがボロボロになりながら敵の忍を救ったことを怒ってやらなくてはいけなかったんですよ。そんな生き方を続けられるはずがない。すぐに犬死するだけだと。けれど、言えなかった』

 

 カカシは恥じ入るように目を伏せた。

 

『殺さなくてはいけない敵だったし、オレはそう判断した自分に後悔はない。でも、そんな敵をアイツは救ってみせた。オレが絶対に出来ない、やろうとも思わなかったことをナルトは実行し、そしてやってのけた。正直、胸が震えました。恐ろしさと、多分、……憧憬で。三代目や四代目、そしてオビトに感じた大きな何かを、あんな小さな女の子から見出してしまったような気になってしまった。だから、言えなかった』

 

 カカシの喋っている内容は理解できる。しかし頭に浸み込んでこない。それが事実だったとしても幾ら想像してもイルカの知るナルトと重なり合うことがない。

 カカシはお猪口の酒を飲み干すと、一息ついた。

 

『初の里外任務の下忍にこれですよ。案外、数年後にはアイツは火影になっていて、そしてオレ達は心の底からナルトを崇拝しながら、『うずまきナルト万歳!』と叫んでいるかもしれませんよ』

 

 カカシは苦笑を浮かべつつ冗談めかした口調でそう言った。場の空気を変えようとしたのだろう。間が開いて返事がないことを不審に思ったのか、顔を上げてイルカの表情を見たカカシは目を丸くした。おそらくあまりに酷い表情だったからだろう。慌てるように訂正をした。

 

『……いや、これは冗談ですよ』

 

 まったく笑えやしなかった。

 そこからの記憶はあまりない。

 いつもは適量の範囲で抑える酒の量を大幅に超えてからも飲み続けた記憶が辛うじてある。

 一晩経って二日酔いと共に少しだけ冷静にはなった気がするが、思考はあまり纏まっていなかった。

 幸い今日の当直はイルカではない。急ぎの業務もない。少し早めに帰って休もうと思った。

 夜の帳が落ちた校門の前に、一つ影が伸びている。まだ帰っていない生徒がいたのだろうか。

 

「あれ、イルカ先生」

 

 その声にイルカは身を固くした。今イルカがもっとも顔を合わせづらい少女が、そこに立っていた。見慣れない少し大人びた格好で、しかしいつも通りの狐顔で機嫌良さそうに目を細めている。

 

「ちょうどよかった、イルカ先生に会いに来たんだ」

 

 ナルトは普段と変わらない様子でそう言った。

 動揺を隠しながらイルカはぎこちなく笑った。

 

「な、なんだナルトか。どうした何かオレに用でもあったのか?」

 

 ナルトは頬を染めて頷いた。そのあまりに珍しい表情にイルカは固まった。

 そしてその次にナルトから飛び出した爆弾発言に耳を疑った。

 

「あのさあのさ、イルカ先生さぁ、────オレと手ぇ繋いでくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 等間隔に並ぶ街灯の光が頼りなく照らす住宅街を歩く。

 人影は少なく、静けさが広がる道を大通りへの方に向かって歩いていく。

 横を歩くナルトを横目に見ながら、イルカは何時になく落ち着かなかった。

 一緒に帰ろう、とナルトは校門の前でイルカに言った。断られるとは微塵も思っていない表情で。イルカは反射的に動揺を隠すと、頷いた。

 この遭遇自体は別に不思議な事ではない。ナルトがアカデミーまでイルカを訪ねて来ることは時々あることだ。

 ただ、このタイミングの悪さは居心地が悪かった。何となく作為的ななにかがそこにはあるのではないか。普通の態度のナルトの裏に、何か得体の知れないものが隠れているのではないか、などという益体の無い想像だ。

 ましてやどういう経緯で『手を繋いで欲しい』などというお願いが飛び出したのか、まだナルトからは聞いていない。

 そうやってナルトを疑ってかかってしまう自分に自己嫌悪を感じた。

 

「イルカ先生、どうかしたか?」

「な、なにがだ?」

「うーん……、なんか元気がないよーな」

「大人は色々あるんだよ」

「ふーん」

 

 誤魔化しつつ、ナルトの慣れない見た目に少し戸惑う。ついこないだまではただの悪ガキで男に間違われることもしばしばあったのに。女の子の成長の早さには驚かされるばかりだ。

 

「…………お前こそ、最近は何か変なこととかなかったか?」

「変なこと?」

「あ、ああ」

 

 ナルトは少し考えるように右上を見上げて腕を組んだ。

 

「最近、たまーに、知らない奴から声かけられることかな」

「なんだって…………どんな人だ?」

「里の外の奴だってばよ。なんかご飯奢るとかなんとか」

「んっ? …………それってまさか男、か」

 

 ナルトは頷いた。

 そのどこか幼さを感じる仕草に、イルカは今までとは別の意味の危機感を覚えた。まさか意味を分かっていないわけではないだろうが。

 背が伸びて見た目は確かに多少大人びたが、イルカからすればまだまだ子供にしか見えない。しかし世の中には色んな人間がいるものだ。イルカは新しい頭痛の種が増えるような予感がして思わず頭に手をやった。

 

「まあ、忍ってわかるとどっかいくけど」

「額当てはどうした。あれを付けていればそんなことは起こらないだろう」

「サクラがさー、任務後に汗かいたまま付けてると怒るんだってばよ。だから任務帰りの時は外してる」

 

 その言葉に少し驚く。サクラとナルトが一緒の班になった時はどうなるかと思ったが、どうやら上手くやっているようだった。

 

「サクラとは、仲良くやっているようだな」

「うーん、まぁ………」

 

 微妙に歯切れが悪い表情でナルトは頷いた。

 

「…………それはそうと、次同じようなことがあったら、すぐに額当てを出すか、忍であることを言いなさい」

「あー、ハイハイ」

 

 ナルトののんきな返事にイルカは溜息をついた。忍だと知ってまで手を出してくる愚か者はそうはいないだろうが、しかしそれと自己防衛するしないは別の話だ。

 と、伝えたがナルトは面倒くさそうに両手で耳を塞いだ。

 見た目が変わろうと、中身は悪ガキの頃と変わらないではないか。イルカは呆れた。 

 どのように言い諭せばよいか、何時ものように頭を悩ませる。

 その途中で、イルカは先ほどまで感じていた焦燥感のようなものが薄れていることに気が付いた。

 ナルトをじっと見つめる。けれど、そこに居るのはやはりイルカの知っているナルトだ。

 少し話しただけなのに、それがわかる。

 やはりイルカにはこのナルトの姿が嘘だとはどうしても思えない。

 しかしカカシが言っていることもまた、嘘ではないはずなのだ。

 どういう事なんだろうな、とイルカは途方に暮れた。

 おそらく、アカデミーを卒業した後に、ナルトの中になにか大きな断絶があったのだ。そこにイルカの知っているナルトと、カカシから聞いたナルトを繋ぐ答えがある気がした。

 

「…………………………」

 

 この子の抱えている物は一体何なのだろうか? そしてそれをどうして自分に話してくれないのだろうか。

 ナルトにとって自分とはいかなる存在なのだろうか。

 頼りないだろう。九尾の事も、里の人間から受ける酷い扱いに関しても、イルカはナルトを助けてやれたとは到底思えない。そしてこれからも大した力にはなれないだろう。カカシにも、ましてや三代目や自来也には及ぶべくもない。

 ならば、ナルトが自分を頼ってくれないのは必然ではないか。

 三代目に口止めはされているのだろう。けれど、そうでなくともイルカに話した所で解決できる問題などたかが知れている。

 

「…………ナルト、さっき言ってた手を繋いで欲しい、ってあれどういうことなんだ?」

「ん? あぁ……」

 

 ナルトは恥ずかしそうに頬を染めて視線を前に逃がした。

 

「今日、木ノ葉丸と一緒に帰る途中に手を繋いで歩いてる親子を見てさ、思い出したんだってばよ。昔、ああいうのを、羨ましいって思ってたなって。今よりもっと小さいときの話だけど。だから今更だけど一度ぐらいやっておこうかなって」

「……………………」

 

 ──変わったな、とイルカは衝撃と共に改めて思った。以前のナルトならこんな風に自分の弱さを人に曝け出したりできなかった。意地を張って、自分の弱さなど認めてやれない弱さがあった。自分が子供であることを、ナルト自身が認めていなかった。

 

「イルカ先生はオレの、親父みたいなもんだろ?」

「……せめて兄貴にしてくれ」

 

 茶化すように、そう返しながらイルカは内心で自分の気持ちが分からなくなっていた。今のナルトの話を聞いたときの衝撃と嬉しさと寂しさ、それに影を差すカカシに聞いた知らないナルトの姿、今までのナルトとの関係、暗部が吐き捨てた言葉、そのすべてがイルカの中に渦まいていた。

 なにか行動しなくてはいけないのは分かっているのに、イルカはそれ以上動けなかった。

 ナルトは頬を染めたまま困ったように眉を寄せた。

 

「……そりゃ急にこんなこと言ってオレだってすげー恥ずかしいってばよ。けどよ、きっと、やりたいことはやらないよりもやった方がいいんだ」

「…………?」

 

 ナルトはいつになく静かな声で呟いた。

 

「だって、いつか出来なくなってから後悔しても遅いから」

 

 その声にはどこか、不吉な予感を孕ませた響きがあった。

 イルカは反射的にナルトの手を取っていた。

 ナルトは驚いたように目を見開いた。

 

「手ぐらい、…………手ぐらい、いつだって繋げるだろ」

「……………………そうかな」

「そうだろ」

 

 照れたようにナルトは「へへ」とはにかんで、首を傾げた。さらり、と明るい色の髪が柔らかに流れた。

 

「いやー…………さすがに、これ以上成長したら恥ずかしすぎてムリだってばよ」

「──―ん?」

 

 思っていたよりものんきな返事の内容にイルカは固まった。

 そんなイルカの様子に気が付かなかったのか、ナルトはふと、何かを思いついたようにように「あっ」、と声を上げた。

 

「ああ、でもそうだな。イルカ先生がこのままずっと独身のままだったら、────オレが手を引いて介護してやらなくちゃいけないのかも」

「………………おい」

 

 あまりに失礼な発言に、思わず声が低くなる。

 生憎そんな予定はない。これから間違いなく可愛い奥さんを迎えるのだからそんな悲しい未来は永劫に来ないのだ。今のところ残念ながらその相手はいないのだが。

 イルカが突っ込むと、ナルトは「にしし」と楽しそうに笑った。ボケとツッコミが綺麗に嵌ったからだろう。ネタにされたイルカ自身は表向きには業腹な振りをしたが、心の底では同じ感覚を覚えていた。

 

「……………………はー」

 

 イルカは肩に入った力を抜いた。

 ナルトの抱えているものがなんなのか全然わからないままだ。けれど、ナルトが敢えて言わないのであれば自分はそれを知らなくてもいい、と今は思えた。

 いつか、握ったこの手が離れるときがくるのかもしれない。

 いずれその日がくると思っていた。けれどそれは、イルカが想像していたよりもずっと早いのかもしれない。

 でも、それだけのことだ。

『この子の中にあるもの』が何であれ、ナルトがナルトである限りイルカはナルトの味方であり続ける。 

 ただその決意さえあれば、それでいいはずだ。そしてそれはもうずっと前に自分自身に誓っていたではないか。

 ならば何も迷うことはない、とまで言い切れる強さは自分にはないけれど。

 この子を信じよう。 

 かつての誓いを思い出しながらイルカはぎゅっと、ナルトの手を強く握ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………任務に行きたくない」

 

 ナルトが呻いた。

 

「どうした、藪から棒に」

 

 三代目火影こと猿飛ヒルゼンは朝の修行の時間が終了するや否や地面にだらしなく横たわったナルトを胡乱げに見やった。

 ナルトは地の底から響くような唸り声を上げながら、再び、「任務に行きたくない」と呻いた。

 口寄せしていた大猿のミザルの方に問いかけるように視線を向けると、ミザルはヤレヤレと言った様子で首を振った

 

「最近、いっつもこうなのよ」

 

 手足をばたばたさせつつ、ナルトは任務に行きたくないと呪文のように喚いた。

 

 ──なんじゃこいつは。

 

 しばらく見ていたが起き上がる様子がないので、しょうがなくヒルゼンは一喝することにした。

 

「いい加減にせい。意味もなく仕事を休むことは許可せんぞ」

「だってぇ!」

 

 ナルトは素早く身を起こすと、怒涛の勢いで語り始めた。

 最近、任務中に妙にカカシやサクラ、果てはサスケにまで意見を求められる機会が格段に増えたと。そしてそれに対して少しでも変な提案をしてしまうと、大真面目に訂正されたり、疑問を返されたりするらしい。しかも真顔で。

 どうもナルトが切れ者であるという誤解が班内で広がっているようで、そのせいで酷く辛い思いをしているらしい。

 

「…………………………はぁ」

 

 心底下らない内容に、ヒルゼンは思わず怒鳴りかけて、抑えて溜息をついた。最近、妙に色々な本を精力的に読んだりしていたので驚きつつも感心していたというのに。

 自分の感心を返して欲しかった。

 

「自分が馬鹿であると正直に言ってしまえばいいだろうが」

「ジジイは若者の気持ちを忘れちまってるんだってばよ…………」

「なにぃ?」

「男が、男がっ、好きな女の子を前にしてそんな情けないこと言えるわけねぇだろぉ!」

 

 わからなくもないが、知った事ではない。ヒルゼンの感想は至極シンプルであった。

 

「見栄っ張りは血反吐を吐きながら続ける地獄のマラソンなのよねぇ」

 

 ミザルは憐憫を籠めた声音で呟いた。嫌だぁ、とナルトは再び地面を転がる。と思ったら、ハッとした表情になると、今度は急に立ち上がって慌てたように服に付いた土埃を払い始めた。

 サクラに口酸っぱく指摘され続けて、あんまりにも汚い姿は流石にマズイという意識が芽生えつつあるらしい。

 新調したオレンジと黒の忍装束を叩いたり、指で摘まんで広げて汚れを確認したりしつつ「サクラに怒られるから…………」と呟く背中はどことなく哀愁が漂っている。

 

「最近、オレ少し変なんだってばよ…………、夜にさ、風呂に入った後、乾かした髪を梳かしていると妙に落ち着くっていうか。でも同時に怖くもなるんだってばよ。──大丈夫だよね? オレってばいつか男に戻れるんだよね?」

「うむ。大丈夫だろう」

 

 ──もう駄目かもしれんな。

 

 忍の里の長として長い間政治の世界で君臨し続けた男の持つ冷徹な観察眼はそう結論付けたのだった。

 しかしナルトがこのまま男に戻れなくてもヒルゼンにはなんの不都合もないのでまるで問題はなかった。同じ男としては多少同情はするが。

 一応、色々な術を調べてはいるものの性転換に関わりそうな術は軒並み禁術指定されている。喫緊の事情がなくば、あえて掟を破ってまで禁忌に手を出すのは避けたかった。

 要するに、ナルトが男に戻る目途がまったく立っていないということだった。

 

「サクラとの関係もそうだし、他にもなんかちょっと皆変な気がするというか。このまま女の子のままだとなんかマズイ予感がするんだってばよ。引き返せなくなりつつある気がするというか、戻れる内に男に戻っておきたいっていうか。上手く言えねーけど…………」

 

 喋っている内に、ナルトは頭をガシガシと掻き始めた。

 

「あぁあもう! ムキ──ッ!」

 

 そして、爆発するように両腕を空に高く上げて、ナルトは悲痛な声で叫んだ。

 

「────だれでもいいから早くオレを男に戻してくれぇ!」

 

 

 

 




 はい。生きてました。

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