私、春野サクラはうずまきナルトが気に食わなかった。
はっきり言ってしまえば、嫌いである。
勉強は出来ず、運動もさほどでもなく、忍術はからっきし。見た目は小汚いし、お洒落もロクにしていない。
本来ならば、自分が気に掛けるような人間ではない。
見下している、と言ってもよかった。
努力もせず、そのくせ周りには不平不満ばかり。自分を磨くこともせず、女らしさなどまるでない。
少なくとも、私にはそう見えた。
まあ、別にそんな人間がいたって構わない。どうだっていい。
でも、そんな奴がサスケくんに近づいていくのが、物凄く許せない。
別にサスケくんとナルトが仲がいいってわけじゃない。優秀なサスケくんにあんなドベが釣り合うわけがない。ナルトが一方的に喧嘩を吹っかけてるだけだ。それも、相手の興味を引こうとしてやっている。分かっていないのか分かってやっているのか。どちらにせよムカつく。もちろん、そんなのサスケくんが相手にするわけがない。
それを差っ引いても、ありえない。
どうしてあんな取り柄もない女がサスケくんにズケズケ近づいていけるのか、その性根が理解出来ない。
他の普通の女子ならば、牽制のし合いや、遠慮がある。何か理由がなかったらサスケくんに話しかけるのもままならないというのに。そういう周囲に一切気を払わない無神経さも腹が立つ。
そういう鬱憤があったからだろう。
班員の説明の時、ナルトの名前が上がった瞬間、思わず立ち上がってしまっていた。
「………、どうしてとはどういう意味だ?」
イルカ先生は、あちゃーと言わんばかりの様子で尋ねた。
「一応聞いておくが、『忍』として言ってるのだろうな」
半ば勢い任せで立ち上がった私は、言葉に詰まる。
「……確か、三人一組(スリーマンセル)の基本は男二、女一の組み合わせのはずです」
「それは忍者が男社会だった頃の話で、過去の慣習だ。班の実力の平均化のために数が少ない上に実力的に劣っているとされた女性を均等に配分するのが合理的とされていたからだ。――もちろんそれは随分前の常識だ。今はくノ一が男に見劣りすることはないし、数も男に比べてさほど少ないわけではなくなった。アカデミーの合格者の男女比率がきっかり二対一にならない限りはこういう班も出てくる」
「うっ……」
「ついでに言うと、実力も考慮されている。下忍の班構成と言えど組織の判断で、これは決定事項だ。秀才のサクラなら分かるな?」
正論である。ぐうの音も出ない。
「はい……」
私は気まずい思いをしながら再び席に座る。
でも、こんな風にも思う。イルカ先生はナルトを庇っているんじゃないか、って。これは邪推のしすぎかもしれないけれど。でもイルカ先生が親のいないナルトを何かと気にかけているのは事実だ。
先生と特別に仲良くなりたいわけではないが、真面目に優等生的な振る舞いをしている人間より、悪戯や問題ばかりするナルトが優遇されているようで面白くない。
私はもやもやを溜め込んだまま黙る他なかった。
――何かやりにくい。
私はふと、その原因に思い当たった。いつもならここら辺りでナルトが文句を言ってくるはずなのだ。私はそれに言い返して、そこで言い合いになる。でも、今日はやけに静かだ。
気味が悪い思いを抱きながら私は振り返った。こっそり視線を後ろにやってみた。
――いた。
いつものように後ろの方に座っている。ぼさっとした野暮ったい髪型に派手な金髪はよく目立つ。居眠りをしているわけじゃないようだ。しっかりと座って前を見ている。視線が合う。ナルトも、こちらを見ていた。聞こえていなかったわけではないのだろう。
ナルトは微笑んでいた。そこにはいつものような短気を起こした様子は見当たらない。どこか余裕すら感じられる態度だ。
なんで。
私は視線を外せない。釘づけられたかのように硬直する。
いつものナルトなら、大声を上げて何かしらがなり立てるなりしているはずなのに。あの反応はどうだ? 元の容姿は悪くないから、そういう顔をされると急に大人びて見えた。
気味が悪い。体調でも悪いのだろうか。ナルトに限ってそれはあり得ないとは思うが。
視線を外したら負けた気がして、とにかくいつも通りに睨むような視線を送った。内なる自分が負けん気を発揮する。こうすれば、流石に笑顔のままではいられないだろう。私は少しムキになっている。
ナルトは、少し眉尻が下がって困ったような表情の笑顔。ひらり、と軽く手を振られた。
なによそれ。
今度こそ私は視線を外さざるを得なかった。意味の分からない羞恥心が沸いてきたからだ。
なんなの一体。
信じられない。
あれ、本当にナルトなの?
そうとは思えない。つい最近まで馬鹿みたいな悪戯ばかりしていたガキだったのに。まるで急激に成長したかのようだ。
――恥ずかしい理由が分かった。相手にされていないのだ。空回りしている。まるで自分の独り相撲ではないか。
周囲を見渡してみれば、周りも、どこか静かなナルトの態度に違和感を覚えているようだった。
絶対に、何かがおかしい。挙句の果てに、一連の流れで勝手に区切りをつけたらしく、机に突っ伏して居眠りを始めたようだ。
絶対おかしい。
その態度を横目に眺めながら、私はそう思った。
サクラとイルカのやり取りを聞きながら、ナルトはその意味を正確に理解していた。
――わー、なんかサクラちゃんにめちゃくちゃ嫌われてるってばよ………。
何事もなく終わるかと思った説明会での突然の出来事であった。
好きな女の子に知らない間に嫌われている。しかも、以前よりもずっとだ。いくら鈍感だろうと流石に察しがつく。
笑うほかない。
ナルトは穏やかな顔で、絶望していた。
会話が終わり、サクラが項垂れた様子で座り込む。ぼうっと、サクラの後頭部を見つめていたナルトだったが、サクラと目が合った。僅かな間だったが確かにはっきりと視線で威嚇された。
ナルトは訳が分からず、肩をビクつかせた後、硬直するほか無かった。愛想笑いを浮かべつつ、手を振ってみる。
嫌そうな顔をされた後、「ふん!」と言わんばかりにそっぽを向かれた。
すごく胸が傷ついた。
――なーにが、『以前とさほど変わらない』だ。全然違う。一番、大事なとこ変わってるってばよォ!!
ナルトは静かに机に突っ伏した。
涙を見せないためである。
その様子を窺っていたであろうイルカが大きく溜息を吐く。
「まったく、前途多難だなお前ら……」
まさしくその通りであった。
光明の見えていた道筋にさっそく暗雲が立ち込めてきたかのようだ。少しだけ、何か上手く出来そうな予感がしていただけに、その落差が大きく感じられる。
そして思い出す。自分は今、性別が女になってしまっていることを。
――ああ……、何もかも最悪だってばよ。
早く元の姿に戻ろう。ナルトは心に誓った。好きな女の子に嫌われている上に、恋愛の土俵にすら立てないのは精神衛生上悪すぎる。そう体感で理解した。
はたけカカシは、三代目の指示を疑ったことは一度としてない。
だが、下忍の班員構成の資料と共に三代目から伝えられた言葉にはわずかな違和感を感じずにはいられなかった。
『サスケと、そしてナルトに注意を払え』
担当上忍になるのに異議はないし、あっても出来うる限りどうにか処理しただろう。この二人に関しては、確かに自分が一番適任であるという自負もあった。
しかし、だからこそ、三代目の言い様には僅かな引っ掛かりを覚えた。
普通の、問題児に対する注意喚起のように聞こえなくもない。
だが、カカシはそこに警戒を喚起するニュアンスを感じ取っていた。迂遠な物言いである。次の言葉を待ったがそれ以上何かが続くことはないことも、すぐに察した。
だからこその困惑。
うちはサスケは、うちは一族の生き残りの一人だ。一族の仇である兄に憎悪を燃やし、復讐の機会を待っている。やや危うい状態の精神状態も相まって、注意するに越したことはない。
うずまきナルトは、九尾の人柱力だ。その価値は確かに一介の下忍とするには重すぎる面もある。
だが。だが、であった。
それでも、三代目の口からそのような言が出るような事態はカカシにとっては驚きなのである。
三代目はあの『うちは』の生き残りだろうが、『人柱力』だろうが、木の葉の住人である以上、他の忍と区別して発言するようなことはこれまで一切なかったからだ。
はたけカカシはうずまきナルトに対して負い目があった。
尊敬していた師の忘れ形見であり、木の葉を救った英雄でもあるうずまきナルトが今日に至るまで与えられていた環境は決して素晴らしいものではなかった。だがカカシがそれに対して何かを行うことはほとんどしなかった。
恩も親愛もある師の子供の窮状であったにも関わらずにだ。
侮蔑、嫌悪、差別。それらを見る度に、自らの父親の最期を思い出して、見ていられない気分になった。
全てはナルトを特別な『英雄』に仕立て上げないためだった。
一時期、ナルトを意図的に祭り上げようとする木の葉の勢力があったことがある。
ダンゾウを含む、一部の者達だ。四代目火影が就任して間もなく死亡したという事件を切っ掛けに木の葉が大きく動揺した時期だった。
木の葉の安定のためにナルトを利用すべきだと、そういう声があった。
三代目はそれらの声を全て跳ね除けた。ナルトに普通の木の葉の住人という位置を与えたのである。忍になるかどうかすら、本人に決めさせた。
だからこそ、その暗黙の了解を破って忍であるカカシが関わるわけにはいかなかった。
そうまでして、普通に扱うようにしてきたというのに。今更なぜそのようなことを言うというのだろうか。
カカシの疑問はそこに尽きた。うちはサスケにしても同様。殊更他の忍と分けるような真似はしてこなかった。
疑う、ということはありえない。しかし疑問は残った。
第一、まだ班が結成するかどうかも本決まりではない。場合によっては三人をアカデミーに突っ返す場合もありうるのだ。しかし、その可能性は低いとそう思っているようですらある。
そういう経緯もあって、初めて班で顔合わせをするに当たってカカシの意識はやや真面目な面持ちであった。
だったのだが。
「まあ、お前たちの仲がよかろうと悪かろうと、どうでもいいんだけどね……」
妙に距離が開いた三人を眺めつつ、カカシは頭を掻きながらそうぼやいた。
左にうちはサスケ。やや距離を開けてその隣に座る春野サクラ。そして離れた場所にぽつん、と膝を抱えて安座しているうずまきナルト。どことなく元気がないように見受けられる。らしくない姿だ。
そのナルトを、サクラは完全に無視してふるまっている。露骨すぎて、強烈に意識しているのが逆に透けて見える仕草。
どうにも確執を感じさせられる。
そしてサスケはその二人に全く興味がない様子だ。どちらかといえば値踏みするような視線をこちらに向けている。その眼には強い自尊心とそれに見合うだけの驕りを感じる。若く才能に満ち溢れた人間にはありがちな態度。
なるほど、めんどくさそうな奴らである。
「じゃ、まず、そうだな。自己紹介してもらおうか」
気が付かれないように三人を分析しつつ、気だるげに振る舞う。
「どんなことを言えばいいの?」
「そりゃあ、好きなこと、嫌いなこと、……あとはそうだな、将来の夢とか、ま! そんなのだ」
「…………」
「………………」
沈黙が流れる。カカシはまた頭を掻いた。
――積極性のない奴らだなあ…。
「じゃあまずオレからだ。オレははたけカカシ。好き嫌いは、まあお前らに教えるつもりはなかったが、今のこの空気が嫌いだ。将来の夢と趣味は色々」
とりあえず場を仕切るために適当に自己紹介を述べる。
ふと、小さく笑い声が上がった。
「相変わらず全然答えてないってばよ……」
沈んだ顔をしていたナルトが、吹き出しながらそう呟いていた。
「?」
カカシは首を傾げた。と同時にサクラのもの言いたげな視線がこちらに飛んでくる。
「あーと、前に会ったことあったか?」
「え!? あー……、――そういうわけじゃなくって、そう! 初対面の印象から変わらず適当だなあっという感じで……」
――ふむ?
「まあいいがオレは一応上司だからな。少しは敬意を払うように」
「押忍!」
「じゃあ次はお前らだ。そうだな、まずは左から」
最初から最後まで我関せずとばかりにカカシを推し量っていたサスケに水を向ける。
「……名はうちはサスケ。好き嫌いは特にない。将来の夢などと軽々しい言葉にするつもりはないが、野望はある。一つは一族の復興。もう一つは、」
そこでわずかに言葉を切る。
「ある男を殺すことだ」
淡々と、言葉に重みをもたせることなくそう告げた。その様子は自分の感情を理解してもらおうとは思っていなさそうに見受けられる。共感を求めるにしてはあまりに静かな口調。
――やはりな。
想定内の言葉だった。復讐。それはサスケの境遇を考えれば至極当然ではあった。今はただ、何も言わずに僅かに眉をしかめるに留めた。
「じゃ、次は隣だ」
今のサスケの言葉と態度を横目で見ていたサクラははっとした風に前を向いた。
何故か頬も赤い。
「えっと私は春野サクラっていいます。えっとぉ私の好きなものっていうか、好きな人は……」
――なるほどねえ。
チラチラとサスケに視線を向ける態度を見れば察しない方が難しい。そのあからさまな視線を受けても全く無関心を装えるサスケを見て、こいつモテなれてるな、と把握。
「嫌いな奴は、――ナルトです」
――だとは思ったが。
あまりサクラに関心を持てなかったカカシだったがその直接的な物言いにようやくやや興味を抱いた。ナルトの様子を窺うと眉を八の字にして何とも言えない困り顔だ。その表情にふと、違和感を覚えないでもない。ナルトの性格を考えればもっと大きなリアクションがあってもおかしくはなさそうだが。
先ほどからあまり表情を変えずに、静かに何かを考えている。
それをサクラが威嚇するように睨んでいた。サクラが上でナルトが下という判りやすい構図でもなさそうだ。小馬鹿にしているのではなく牽制している言動からもそう透けて見える。
まあ、その程度ならじゃれ合いみたいなもので可愛いもの。カカシはこの件に関して特に何をするでもなく傍観に徹した。
「ま! 最後だ」
少し間が開く。
「オレはうずまきナルト。好きなものは一楽のラーメン。嫌いなものは、お湯を入れてからの三分間。将来の夢は……」
どことなくたどたどしい口調。それとも穿って見すぎているのか、三代目の言葉を意識しているせいか。原稿でも読み上げているような印象がある。息を吐く。自分の難癖に近い疑念を追い払うように。
ナルトの目が伏せられた。僅かに躊躇う様子を見せた後、顔が上がる。
カカシの目を真っすぐに見返しながら、言葉を紡ぐ。
「――火影になることだってばよ」
そう告げられた時、カカシは大きく瞠目した。
「…………」
驚いた。その言葉の内容そのものにはさほど想像を飛躍したものはなかった。だが、言葉に籠ったただならぬ重さの覚悟はどうだ。一瞬、目の前の子供が大人にでも変貌したかのような錯覚すらあった。
その青い瞳は、強い覚悟の光を放っている。
――お前は誰だ?
長年、陰からではあるがナルトを見守っていたカカシはついそう思わずにはいられなかった。
うずまきナルトとは果たしてこのような人物だったか。
『サスケと、そしてナルトに注意を払え』
何かが変わったのだ。それを確信せざるを得なかった。