サスケの言葉を聞いたとき、やっぱり胸が酷く傷んだ。それと同時に安堵していた。もう一度始められるんだと。やり直すことができるのだと。それはあんまり楽しい感情ではなかったけれど。
火影を超える。以前は随分と軽くその言葉を口にしたものだ。別にその道が簡単だとは思っていなかった。けれど、火影がどのくらいの存在なのかを、まったく理解していなかったのは事実だ。
木の葉において火影とは一番偉い奴。その程度の認識しかもっていなかった。
一度未来を生きて、過去に戻ってきた現在となってはそう単純ではないことも分かっていた。そう易々と言える言葉ではなくなっている。
だからその言葉を口にする時、ナルトは並々ならぬ決意を込めねばならなかった。
超えるではなく、『なる』と言ったのは別に目指す場所を変えたのではなく、目指す場所がしっかりと見えたからこその変化。
もちろん、そんなことはナルトの中だけの話で、他の七班の人間には関係がないことなのだけれど。
ナルトとしては以前の七班とさほど変わっていないように感じていた。振り出しに戻ったような感覚。お互いの顔見せも多少の変化はあったが、記憶とはほとんど違っていない。とりあえずは前と同じように進んでいるようだった。
たった一つ、大きな例外を除いて。
「男に戻りたいってばよ!」
「なんだ藪から棒に」
火影の執務室にて騒ぐナルトに、三代目は胡乱げな目をした。
「なんでか知らないけどサクラちゃんにめちゃくちゃ嫌われてるんだってばよ! それによく考えたら今オレってば女の子だからサクラちゃんと何にも出来ないし!」
「今更だろうそれは………」
「今まで修行とか勉強とかしてたし、それに結構そういう諸々から目を逸らしてたってばよ! だけどオレってば目が覚めた!」
「そうか、まあ、男として気持ちがわかるが……」
「……わかるが?」
「今は諦めるんだな」
「じっちゃんそればっかだってばよ!」
「そうは言ってもどうしようもないこともある」
三代目の声は突き放す響きしかなかった。
「………うがー」
ナルトは電池が切れかのように崩れ落ちて、机に突っ伏した。
「………何をしておる」
「休憩する……。今日はもう色々あって疲れた」
「ここで休むな。お前、用件はこれだけなのか?」
「…………これ読んだってばよぉ」
突っ伏したまま、本を差し出す。三代目に渡されていた『うちは』についての歴史書だ。
「――もう読んだのか。大した項数は無いとはいえ随分早かったな」
意外そうな声。
「難しい文字ばっかで頭が痛い」
「そうか」
「………オレってば全然知らないことばっかりだ」
「…………」
「サスケのことどころか、里のことも自分の中にいる化け物についても今まで大して知らずにいて、気にもしてこなかった」
三代目は言葉を返さない。ナルトも返事を期待した言葉というよりは、自分の胸に溜まった感情を吐き出すように言葉を連ねる。
「ちょっと調べれば分かることだったんだ。サスケが力を求める理由。最初の最初。
班が決まった時に、サスケの言葉の意味をしっかり考えていれさえすれば。オレってば何にも知らなくて。……前の時はずっと、自分のことばかり考えてた」
うちは一族虐殺。それは里どころか国を揺るがす大事件だったはずだ。全く知らなかったわけではない。今よりもずっと幼かったこともある。それでも今更であったとしても、後悔が消えてしまうわけではない。
息を吐く。感情を吐き出すように。
「ま、そんなわけでちょっと頭使って疲れたんだってばよ」
「お前があまり知らんのも無理はない。九尾もうちはについても、多くのことが箝口令が敷かれておる」
「かんこうれいってなんだよ」
「口にすることを禁じておったのよ。その本、随分と薄いとは思わなんだか? 忍に関しては多くの物事が語られんのだ」
「…………」
本の内容は確かに詳細な記述はほとんどなかった。うちは一族の虐殺についての記述にもうちはイタチの名は本の中には存在しない。それどころか、原因すらはっきりとは書かれていなかった。
「――なあナルトよ。そんなに急いで知識をつける必要はないのではないか?」
顔を上げたナルトに三代目は気づかうような表情をした。
「は? どういう意味だってばよ」
「それがお前の目的ではあるまい? 知識を付けるのはあくまで手段だ。しかし、それが全て正しいというわけではない」
「よく分かんねえってばよ。もうちょっと分かりやすく言ってくれ」
「何かを知ることが全て良い方向に向かうというわけではないのだ。未来の知識を得たお前は確かに慎重に、そして賢くなった。だが、その変化が正しいこととは限らん。そう思い悩むのが苦しいのなら、未来のことは忘れ、ワシに全てを任せてしまってもかまわんのだぞ」
ナルトはただじっと三代目を見上げた。
「賢さが正しく、馬鹿が間違ってるとは決まっておらんのだ。結果だけがその答えとなる」
「………三代目のじっちゃんがオレの心配してくれてんのはなんとなく分かった。でも悪い、そりゃできない相談だ。――だってオレってば知っちまったんだからよ」
サクラ、サスケ、カカシ、第七班の仲間達。そして未来で失われてしまった命達。それを守れる可能性があるなら、ナルトは立ち止まるわけにはいかなかった。
「結果はもう一度見てる。同じ間違いはもうできないってばよ」
「……忍の世界とは綺麗ごとばかりではない。耳や目を塞いでしまいたくなるようなことが溢れておる。知識を付けるとはそういったものも己が身に取り込んでいかねばならぬこともある」
「………正直それはよく分かんねえけど、でもオレは間違えたくないんだってばよ。今度は絶対に」
「………ふん」
どこか諦める表情で三代目はパイプに火を付けた。
「お前のその頑固さはクシナにそっくりだ。だが目は父親に似ておる。純粋で真っ直ぐな決意を秘めた瞳だ」
懐かしむような声と瞳。煙を燻らせながら三代目は少しだけ昔を思い出すように遠くを見る表情をした。
「……なんか珍しいってばよ。あんまりそういった話してくれねえのに………、それもかんこうれいってやつだったのか?」
この手の話はよくはぐらかされてきた。今回も何となくそうなるだろうとナルトは考えていた。しかし、予想に反して三代目は少し考える素振りをした後、こう尋ねた。
「……聞きたいか? お前の両親の話を」
「ん……?」
意外な言葉に少し虚を突かれる。
聞きたいかと聞かれれば、間違いなく聞きたい。
しかし、とナルトは考える。
「――今はいいや。じいちゃんが話すべきだと思ったらそん時に話してくれればいい」
「ほう、いいのか?」
「ああ。今は考えなくちゃいけないことが多すぎて、あんまり手が回らないし」
「ふん、ま、だろうな」
「まあオレってば成長期だからよ!」
「………そうか」
得意そうに笑うナルトを眩しそうに見ていた三代目は少しだけ笑みを浮かべた。