翌日、木の葉の第三演習場にてサバイバル演習が実施された。
空はよく晴れている。場所は木の葉の壁外にある伝統的な演習場の一つで前の記憶以前にも、遠足やら実習やらでアカデミー時代から何度も足を運んだことがある場所だ。
森に覆われた巨大な演習場には、演習場中央を流れる人一人を隠すには十分な深度がある川と、いくつかの広場がある。
この川が深いのには理由がある。
この演習場は森林においての訓練を行う場所の一つだが、その役割はもっぱら、戦闘訓練に用いられることが多い。
演習場随所に身を隠す場所や罠を仕掛けるためのポイントがいくつもあり、森に親しんでいる木の葉の忍としても覚えた技術を実践できる効率の良い地形なのだ。
ここで多くの木の葉の忍達が野外における実践的な技能の基礎を学ぶ。当然、地形などは頭に入っており里の忍達にとってこの場所は広大な庭のようなものである。
太陽は真上に近く時間は昼頃。
第三演習場入口でナルトはカカシを待っていた。
当然、同じ班であるサスケとサクラも同様。サバイバル演習用の道具一式を詰めたバックパックを用意してすでに待機している。
会話は当然のようにない。気まずい雰囲気をナルトは味わっていた。元々、空気やらなんやらを読むのは苦手な性格である。基本的にあらゆる意味でボッチであったからそういったモノを育めるような生活をしていなかったという悲惨な理由が原因なのだが、今までは大した問題になってはいなかった。他の知り合いもかなりの割合で空気読めない奴が多かったからだ。
それならば今まで通り空気を読まずに好き勝手すればいいはずなのだったが、それもできない。
サスケには今となってはどう接すればいいか決めかねているし、サクラにはかつての記憶以上に嫌われている。原因は未だによくわかっていない。
どちらにも会話に持っていく踏ん切りがついていなかった。
サスケを横目で窺う。
目をつむって腕を組んでいる。いつも通りの姿。予定時間になっても現れないカカシに苛立ち眉間には皺が寄っている。サクラもサスケの態度を察してあまり声はかけていない。そしてそもそもサクラはナルトとはコミュニケーションを取る気がなさそうである。
故に沈黙。にぎやかしの役割を担う人間がいない以上はしょうがない帰結であった。
ようやくカカシがやってきた時は、遅刻を怒るよりもほっとした気持ちが大きかった。
昼前だというのに「おはよう」などとふざけた挨拶をしているカカシに怒鳴るサクラのやり取りを聞きつつ、こっそりと息を吐いた。
「じゃ、サバイバル演習を始める。今は十一時と少し。時間制限は十二時までとする」
そう言ってカカシは小さな目覚まし時計を、地面に直角に突き刺さった丸太の断面の上に置いた。三つの丸太が等間隔に地面に差し込まれているこの場所は丁度演習場の中央に位置している。
「今回のお前らの『目的』はオレの持つ鈴の奪取だ。つまり戦闘を含む総括的な任務遂行能力を図る演習だな。鈴は一人一つでいい。―――ただし、鈴は二つしかない」
カカシはそう言いつつ、小さな鈴に細い糸がくくられたものを二つ、目の前にかざした。
「……つまり、任務を達成できるのは先着の二人ってことですか?」
「お、流石だなサクラ。その通り。最低一人は任務失敗ということになるな」
「――鈴を取れなければどうなる?」
サスケが訪ねた。
「アカデミーからやり直してもらう。ついでに丸太に縛られ昼飯も抜きだ。あ、言っておくが鈴を奪えなければ全員失格だぞ。最低一人っていうのはそういうことだ」
「ていうか朝ごはん食べるなってそういう意味だったのぉ……」
お腹を押さえながらサクラが騙されたと言わんばかりの表情で愚痴った。
「ははは。よし、説明は以上だが質問はあるか? ………ナルトはどうだ? 今まで随分と静かだが」
「んー、特に無いってばよ」
空きっ腹を押さえながらナルトは返事をする。下忍合格試験の演習の内容は一律で決まっているし、ナルトはそれを知っているのだから馬鹿正直に朝食を抜いてくる必要はなかったのだが敢えて前と同じようにしていた。
未来を見たからというのはなんだかズルい気がしていた。かなりの誘惑はあったが。
「………そ。じゃあ合図をするぞ」
少しの間ナルトを見ていたカカシは、そう言いつつも気の抜けた態度で腰に鈴を見えるように括るとおもむろに腕を上げた。
その場にいる忍は無言で身を沈め、それに備えた。
――ナルトを除いて。
「始め!!」
腕が振り下ろされると同時、二人は跳躍する。近場の森林に走っていき、そのまま木々に紛れるようにして消える。僅かな草木の揺れる音が響き、それもあっという間に周囲の音にかき消された。模範的な忍の戦らしい、静かな立ち上がりであった。
「……忍びたるもの、気配を消して隠れるべし、なんだが………」
正直に言えば、ナルトはこの瞬間を待っていた。以前と同じ瞬間。以前と同じ相手。そして、前とは異なる自分。
かつての記憶を経て自分がどれほど強くなれているのか、それを知れる絶好の機会。
――あの時はまったく勝負にならなかった。でも今だったらどうだ?
「―――、一応聞いておこうか。ナルト、お前それはどういうつもりだ?」
前と同じように腕を組んで、仁王立ちをする。
「いざ尋常に勝負だってばよ!!」
そう叫んだ。
カカシはあっけにとられたような表情を浮かべた。それも一瞬、いつも通りの平静な顔に戻ると、今度は呆れを含んだ表情に変化。ただし演習で下忍相手だという油断や驕りは、僅かに感じられる程度。
戦闘者らしい隙の無い精神力にそれに見合っただけの実力がある。見つめ合っていると、髪がざわつくような、肌がひりつくような、そういった感覚がナルトを襲う。
「お前ちょっとずれてるなあ……」
「ははは」
「?」
ナルトは笑った。別に何かがおかしかったわけではない。ただ内側から湧き上がる物に堪えきれなかったからだ。以前と同じようなセリフだったのもあるだろう。心臓の音が静かに高鳴っていく。それに合わせるように体のチャクラが強くめぐっていくのを感じる。
そう言えば、以前と違っていることが『もう一つ』あった。
ナルトは他人事のようにそう思った。思考はすでに目の前に集中していた。
「忍戦術心得その一。体術だったけな」
向かい合う両者の距離はまだ遠い。とはいえ、上忍ならばそれこそ瞬きの間すら必要ない程度だ。
「おいおい、オレに組み手を挑むつもりなのか? それも声に出して」
「お手合わせ願うってばよカカシ先生」
「……良いだろう。丁度、オレもお前の実力を把握しておこうと考えていた所だ」
ナルトは静かに拳を握って、足に力を入れた。基本的なチャクラ操術の一つ。チャクラの吸着と反発を利用した移動術。
瞬間、地面が爆ぜ、ナルトの姿が掻き消えた。
カカシが目を見開く。それを確認できるほどナルトはすでにカカシの懐付近まで近づいていた。その勢いを乗せた拳をかろうじてカカシは両腕でガードした。生の肉体がぶつかり合う低音が響いて、カカシの体が宙を浮いた。
着地。僅かに離れた距離。
即座に距離を詰める。今度は制動の利く吸着を利用した加速。真っ直ぐに突っ込むと見せかけて急制動。真横に回り込む動き。
以前と変わったこと。チャクラコントロールが格段に上手くなったこと。
拳を叩き込むが、素早く片腕で受けられる。
女に変わったせいか、それとも一度死んだせいなのか、他の理由があるのか知らないがとにかく前と比べれば随分と扱いやすい。そのおかげで以前は特定の限定的にしか使えなかったチャクラコントロールをこのように応用して扱うことができるようになっていた。そしてナルトの有り余るチャクラを肉体に利用すれば、こうなる。ある意味普遍的ともいえる、『瞬身の術』と体術。それがナルトの選んだ強くなるための答えだった。
「おらあ!!」
チャクラの反発を利用した凄まじい蹴りをカカシは流石に受け流せずに数メートル足を引きずりつつ、地面を抉りながらの後退。
足を振り上げたナルトはすぐさま接近とはいかず、戦いに僅かに間が空いた。
ガードを上げたまま、つー、とカカシの頬を汗が伝った。
「…………」
ぼそりと、相手には届かない程度の独白。カカシはまるで幽霊でも見たかのような表情でじっとナルトを見ていた。
それから、少しだけ表情を緩めた。
「………その歳でその動き。やはり大した奴だ」
「まだまだ、これからだってばよ」
実際、ナルトはまだ体力をほとんど消費していない。三代目との修業が、ナルトの継続して戦う力を上げていた。この程度ならば制限時間内まで動き続けられるだろう。
「体術を教えて欲しいって話だったな……」
カカシは左目を覆い隠す額当てに触れた。が、すぐに手を放して、もう一度構えを取った。
「ま! お前の動きは大体分かった。ナルト、どうして最初に鈴を狙わなかった?」
「…………う」
「まだ細かい制動ができないからと見た。悪くはないがそれではオレには勝てない。武器も使え」
「やっぱりカカシ先生は凄いってばよ………」
ナルトは嬉しくなって笑った。ほとんど一回拳を交えただけでこちらの弱点を悟られてしまった。まだ届いていない悔しさはもちろんあったが、どういうわけか同時にそれが嬉しかったのである。その理由まではナルトは自分では分からなかったが。