「じゃ、遠慮なく使わせてもらおーか」
クナイをバックパックから三本引き抜く。
「……それだけか? 忍術でもなんでも使ってかまわんぞ」
意外そうなカカシの声。
「へへ、さて、それはどうしようかな……」
不敵に笑う。正直、今の一連の組み手で鈴が取れなかった以上、もうこの場でそれを実行できるとは思えなかった。カカシという忍者はナルトにとっての理想にもっとも近い存在。憧れと言っても過言ではない。
想像の上でも、もう鈴を奪える絵は浮かんでこなかった。
つま先で何度か地面を蹴って、サンダルの位置を整える。
その瞬間、間髪入れずクナイを三本同時に投げつける。
僅かに遅れて足を踏み出す。地面が軋み、体は弾かれた球のように前へ。
クナイがカカシに届くよりも速く、再び接近戦。体重を乗せた裏拳。視線が合う。冷静に捉えられている。クナイと共に身を低くして回避される。
その上を飛び越えたナルトは、そのまま振り返ることなく木々が乱立する木立を目指して走った。反発を用いた瞬身の術ではなく、『吸着』の方を使う。『反発』を使うかどうか一瞬の選択だったが不特定の障害物の多い場所では、爆発力はあるもののまだ不安感が残る。
「おい」
「へへーん、じゃーなカカシ先生! 忍者は裏の裏を見ろだってばよ!」
とりあえず試したいことは試した。この試験の目的は一人で勝つことではない。言ってしまえば勝たなくてすらいいのだ。目的と手段を取り違えない。忍者の大原則。そのくらいの心得はナルトにもある。
「ま、それが正解なんだが……」
――ぞく。
静かな声だが、ナルトの背筋に嫌な感覚が走る。迫りくる圧力に大体予感しながらも、走りながら背中を窺う。近い。十歩ほども離れていない距離だ。
カカシが自分以上のスピードで追いすがってきていた。目が合うと、カカシは目を細めた。どうやら笑顔を浮かべたようだ。
「ちょっとお前は目を離すと一番めんどくさそうだ。ここでもう仕留めておく」
「うおお!?」
――なんかカカシ先生前よりガチだってばよ!?
すぐに前を向いたが、直感する。駄目だ。森に入るよりも早く、追いつかれてしまう。ナルトは咄嗟の判断で、瞬身の術を用いた。ただし直線上にではなく、斜め上。
風を切る感覚と共に浮遊感。眼下には生い茂る広葉樹の緑一色。森の中を突っ切らずに樹上からの侵入。
すぐに加速は落ち着き、体は重力に引かれて下へ。とはいえ十分にまだ速度は出ている。
空を飛んだ僅かな高揚感も消し去る未来予想。顔を引きつらせながらもナルトは覚悟を決めた。腕を体の前に交差して掲げ、体を丸める。
体は森の中へ。視界は暗転し、枝やら幹やら枝葉やらが体に容赦なく叩きつけられる。
「いてえええええ!?」
一瞬開ける視界に捉えた地面。何とか足で着地し、転がりながら体を減速させる。停止。息が上がる。心臓が高鳴っている。疲れというよりは怖かったからだが。
距離は少し空き、視線も一瞬途切れた。とはいえ追跡は振り切れていない。僅かな間の隙に少し細工をしつつ、ナルトは全力で逃げ出した。
――絶対逃げ切ってやるってばよ!!
数分間の壮絶な鬼ごっこが繰り広げられた。
ナルトは藪を突っ切り、木を飛び回り、時に反転して突進するなどして抵抗したが、結局は捕まった。
狩りで捕まえられた獲物のように片足を捕まれ逆さになったナルト。体中擦り傷だらけで土埃で薄汚れた姿。対照的にカカシは身綺麗なままだったが、汗をかき、若干疲れた顔をしていた。
「お前、ほとんど野生の獣と変わらんなあ……。女の子がそんなに髪に木の葉やら枝やらくっ付けてまで逃げるかね…………」
「はあはあ…………うるせえ。――カカシ先生こそなんか、大人げなくないか?」
あっという間もなくす巻き状に縄で巻かれたナルトは肩で担がれる。
「いやいやこれが実戦ていうもんでしょ。忍には大人も子供もないからね」
「くそー……」
こんなにも執拗に捕まえに来るのは想定外だった。恨めし気にカカシの後頭部を睨んだ。
「逆に、お前こそ手を抜いて戦っていただろう」
「…………?」
「しらばっくれるな。ある程度の実力の忍なら分かる。お前は奥の手を隠し持っている。そういう余裕が感じられる。ただの下忍の態度ではないな。ま! ただの馬鹿って場合もあるんだが、少なくともお前から必死さは感じない」
ぶっちゃけナルトは螺旋丸を使わなかったことを除いてほぼ全力を出した。逃げる時も形振り構わずに打てる手を全て打って逃げた。それでも捕まった。螺旋丸は演習で使うような忍術ではないというだけだ。余裕があるのは、単に未来を知っているからというだけ。カカシの買被りだ。
「あー………」
何と答えるか、咄嗟に浮かばずに言葉を濁す。
「ここまで派手に戦ってしまっては残りの二人もそう不用意には動かんだろうな。思ったよりずっと面倒な状況にされた。これも狙ってやったのか?」
「?」
「口で伝えようにもあの様子じゃ聞き入れたかはわからないだろうしな。これが一番確実だったというわけだ」
「はあ……」
――何言ってるかよくわかんねぇ。
横目でカカシの後頭部を眺めつつ、ナルトはそう思った。
どうも何やら勘違いをされている予感がしたが、何をどう掛違ったのかいまいち理解できない。
「威力偵察ってところか。全くしてやられたな……」
頭を掻いたカカシが首だけで振り返り、ちらりと視線を向けてくる。覗き込むような、探っているような視線。
何か怪しまれている。それだけは理解した。
「あのさあのさ、多分だけどカカシ先生なんか勘違いしてるってばよ本気で」
「……ま、今はそれでもいい」
そう言ってあっさりと前を向く。
「ちょっとこの演習が楽しくなってきたってだけだ」
――つまりどういうことだってばよ?
前とは異なる対話の感触にナルトは困惑した。
その様子を『ナルト』は木立に隠れながら観察していた。
会話は聞こえないが、捕まった方のナルトの出した合図によれば、とりあえずカカシに気づかれてはいない。気配を絶ったまま静かに移動する。
途中、うまくカカシの視界から隠れた時ナルトは影分身を使い、二手に分かれていた。今まで一切この術を使わなかったのはこの為。昨日の夜、いかにしてカカシに勝つか考えた作戦の一つだ。せっかく未来の記憶という有利があるのだから、ただ前回同様に振る舞うのではなく、できれば鈴を取りたいと思った。
――まあ、簡単に行くとは思ってなかったしな。
カカシは一旦、丸太の方に向かっている。少し余裕ができた。ナルトは途中で見つけていたサクラの下に向かう。サクラはしっかり気配を絶ってカカシとナルト本体を見張っていたが、影分身で移動するナルトに関してノーマークだったらしく、こっちは割とあっさり見つけていた。
さっきのナルトと同じように木々や藪に隠れているサクラの前に、小石を一つ落とした。それにサクラが反応して上を見上げるのを確認して、音もなく地面へ降り立つ。
「へ!?」
遠巻きにカカシを窺っていたサクラは突然現れたナルトに驚いたようだった。
「よ、サクラちゃん」
若干胸を高鳴らせながら、それを悟られぬように平常顔を保つ。内心はかなりの得意顔だったが。
期待感が不安を消していた。今ならうまく会話できると踏んでいた。
ナルトは嫌われた理由についてはさっぱりわからなかったが、女の子、というよりもサクラと仲良くなる方法を以前の経験から既に思いついていた。
何か凄い能力を見せればいい。カッコいい所を見せれば、大概の相手は何かしら好意を持つものだ。以前もそうだった。
カカシとタイマンを張った理由の一つも、これだった。捕まったとはいえあのカカシ相手にこの戦いっぷりは、決して悪い評価ではないはずだ。
「あ、アンタ、今カカシ先生に捕まって……」
「いやー、カカシ先生はやっぱ強いってばよ! ギリギリ影分身できたけど本体はあっち。いやーまいったハハハ」
「……か、影分身って、アンタそんな術いつの間に覚えたのよ」
「へへ、まあ、ちょっとね。実はオレってば結構強いみたいな」
ナルトがそう言うと、サクラは驚いたようだった。
その反応は、少し新鮮な気分だった。影分身の術はもうずいぶん慣れ親しんだ忍術。それを使ってこんな風に驚かれるのは、随分珍しくなった。
過去に戻った今、サクラからすればナルトの得意忍術を見るのはこれが初めて。そうだったからこそ、与えた衝撃は想定よりも大きかったようだった。
悪いことではない。むしろ良いことだ。ガッツポーズをこっそり決める。
かつて、どんなにこの反応を引き出したかったことか。悲しいことに実力が足りず、せいぜいサスケの引き立て役に終わるのが常だった。たまに活躍してみせても、そこにはサクラはいないか、気絶していて見ていないという状況ばかり。何故か女に変わった今になって、いまさら願いが叶ってしまった。できれば男の時にやりたかった。
まあそれでも嬉しいものは嬉しい。
ごちゃごちゃしたものをとりあえずうっちゃりつつ、素直に喜んでおくことにする。
まだ、サクラは驚いたままのようだった。
顔を見るのは少し恥ずかしくなり、ごまかすようにカカシがいる方向に視線をやる。いかにも監視してますよという態度をする。
「見てたと思うけど、カカシ先生はかなり強い。オレ一人じゃ無理だし、勝つためには連携して鈴を狙うべきだと思うんだ。だからさ、オレと手を組もうぜサクラちゃん」
言いながら手を差し出す。
「オレに作戦があるってばよ。まず、サスケと合流して、――」
「………なにそれ」
ぽつりと、呟くような声だった。遮られたナルトは調子がでてきた声を途切れさせる。大きい声ではなかったが、それが逆に違和感があった。
顔を上げると、サクラと目が合った。
怒りにも、嫌悪にも見える表情。その顔に浮かぶのは、決して想像したような明るい感情ではなかった。
「じゃあ、今まで手を抜いてたってこと?」
「え……」
「アンタは今まで手を抜いてやってたってことなの?」
「えーっと、サクラちゃん?」
「気安く名前を呼ばないでよ。―――ふざけないで。なにそれ」
眉尻がキリキリと吊り上がっていくのをナルトはただ眺めた。呆然としていたといってもいい。
「私があれだけ言っても、……ううんそれはもういい。アンタ、そうやって今まで内心で馬鹿にしてたんだ。実力を隠して、嘘ついて、見下してたんだ」
「いや、あの」
差し出したまま宙ぶらりんだった手が、弾かれる。
「ふざけないでよ」
「あ……」
思わず手を押さえる。ヤバい。ナルトは短くそう思った。こんな会話はしたことがない。
サクラは、何か言いたげに、もどかし気に口を何度か動かした。
「アンタなんかいなくたって……、私にだって」
しかし言葉が続くことはなく、さっとサクラはナルトから距離を取りそのまま歩いていく。
「あ、あのサクラちゃん」
「―――私、アンタのことやっぱり嫌いだわ」
振り返ったサクラはそう言い放つと、ナルトを置いて消えた。
何か言おうと思ったが、最後の一言で頭が真っ白になってしまった。
かつてやりたかった、カッコいいと思う自分。それをほぼ全部実行したはずだ。
何一つミスはしていない、はずだ。それは前の経験から間違いない、と思う。
その結果がこれ。
残されたナルトは一人首を傾げた。
………あるぇ?