ウィルキア王国でクーデターが発生したのは、今から半年前のことだった。
本来国を守る立場にいたはずだったヴァイセンベルガ―がクーデターを起こし、ウィルキア帝国を樹立。帝国元首となり、世界に喧嘩を売った。
日本が飲み込まれたのはクーデターからたった2週間後だった。
君塚章成が帝国軍と内通して、ウィルキア国王派の捕縛と日本の占領を支援した。
横須賀海軍基地でウィルキア国王派を抑留したこと、その君塚横須賀司令に異を唱えたのが筑波貴繁特務大尉と天城仁志大佐だった。
天城大佐が自身の艦隊を率いて帝国軍の封鎖に穴を開け、筑波大尉の駆逐艦がウィルキア国王派の艦隊の避難を支援していた。
その頃、帝国軍の傘下に日本が下ることを良く思わない者達はこぞって日本から逃亡したり、他の国に亡命したりしていた。
そして、呉海軍港から戦艦1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦6隻、航空母艦1隻が密かに出港していた。
進路はウィルキア国王派艦隊。
この艦隊が後にウィルキア解放軍の独立機動艦隊となるわけだが、結果だけ話すと、この艦隊は、
戦艦1隻、航空母艦1隻、巡洋艦2隻を残して壊滅する。
如何に超兵器と渡り合ってきた艦隊とはいえども、光学兵器を有する超兵器には勝てなかった。
そして、小笠原諸島南東の近海で解放軍のライナルト・シュルツ少佐の艦が到着するまでの露払いのため、君塚直轄艦隊と激戦を繰り広げたが、この4隻は君塚直轄艦隊と距離を置いた後に発生した霧に包まれ、レーダーから姿を消した。
この時、解放軍司令部は撃沈したと判断したが、丁度その時、解放軍の旗艦が当海域に到着したので、確認に向かったが、何も無かったらしい。
呉軍港から出た12隻の艦隊司令は若き司令本田隆介少将は、再び日本を見る事なく、海中に消えた。
筑波や天城の同級生である本田介六助の息子は親の力ではなく、自力で伸し上がった叩き上げの実力者でもあったため、日本海軍内でも注目されていた。
日本が帝国に下ると、敵として立ちはだかるのだが、天城大佐の艦隊以外の艦隊は本田少将の艦隊とあまり戦う事はなかった。
とはいうものの、帝国軍艦隊はかの艦隊とぶつかると鎧袖一触され、なすすべもなく轟沈していく事態が発生したからだ。
天城大佐曰く
「味方としては頼もしい存在だが、敵になればこの上なく厄介な奴だ」
と言っている。
その艦隊は消えたのだ。
クーデター発生から約半年と3カ月後に
彼等がいなくなって勢力が小さくなるわけではない。
ウィルキア解放軍艦隊はかの艦隊から受けた恩恵を大切にし、日本を1カ月もかからずに解放。
君塚が死んだことによって日本国内で反君塚派があちこちで蜂起し、次々に降伏したからだ。
そして、呉も出撃間近にあった超兵器の始動を強行突入した日本陸軍によって抑えられ、
佐世保軍港も完全降伏した。
ウィルキア解放軍が祖国を取り返す日は、そう遠くなかった。
小笠原諸島南東沖の海域で姿を消した4隻はこの地球上からは居なくなっている。
では、彼らはどこに消えたか、それは彼らにしか知らない。