闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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86話 疑惑確信

 カルバドの別集落に到着しますと、集落の狩人らしき人間二人に羽交い絞めにされたナムジンさんがいらっしゃりました。相当に嫌がっているようで、自分よりも年上の男二人を振り払おうともがいています。

 

 嫌がっているのなら止めた方が良いでしょうね。ですが事情も分からないのに部外者が口を出していいのかどうか。判断付きかねて。私は思わずアーミアスさんを見ました。かぶとを被ったアーミアスさんの表情はうかがえませんでしたが。

 

「あの人、確かナムジンさんというカルバド族長の息子ですね。ご自分から魔物と戦う前線近くに来るような性格には見えませんでしたが……」

「族長の差し金かもしれませんよメルティー。……やはりそのようです。あの後、無理やり連れてこられたようですね。おや振り払った。なかなか活きの良いお方だ」

「精霊がいうならそうでしょう。お話を改めて聞けたら良いのですが……あら、出て行ってしまいました。魔物がたくさんいる外に行くとは。アーミアスさん、追いかけますか?」

 

 あれだけ魔物に怯えていたのです、戦いの経験も少なそうでしたし危険でしょう。優しいアーミアスさんならきっと彼を助けるよう言うはずだと思って振り返ると、やはり彼を目で追っているらしいアーミアスさんは走り始めていました。

 

「えぇ。メルティー、目視できる間だけでも彼に害を及ぼしそうな魔物を遠距離から牽制してください。行きましょう」

「分かりました!」

「ガトゥーザは彼を害しそうな魔物との戦闘になった場合、初めに狙撃をお願いしますね」

「承りました!」

 

 呼び止めても初対面も同然です。そうアーミアスさんも思われたのでしょうか。声をかけることなく、しかし特別気配を消すこともなく追いかけていきます。幸か不幸か私たちに行動は気付かれていないようでした。

 

 彼はさらに北へ進んでいき、そのまま橋を渡っていきました。魔物は幸いにも彼を襲おうとはせず、そのまま橋を渡って左の方へ駆けていくところで視界から消えてしまいました。視界を遮るものはあまりないのですが、そう派手な色の服を着ていらっしゃる訳でもありませんし、その足さばきは巧みなものでした。

 

 ……実は実力者なのでは?

 

「足が早い……精霊によるとこの先に洞窟があるようですね。彼はそこに向かっているようです。ただ、目で追えている訳ではありませんが……」

「ナムジンさんは精霊を撒いたのですか?」

「はい。とんでもない人間ですね……」

 

 アーミアスさんがガトゥーザの方を見、そしておもむろに、高らかに拍手しました。

 

「これだから! 同じ人の理の外にいる者なら分かりませんか? 人間というのはこれだから最高なんですよサンディ!」

 

 そのかんばせが見えなくても、声色は心底楽しそうでいらっしゃいました。

 

「特定の精霊以外はどうやら見えないのですが、精霊の皆様方も同意していただけるのではないでしょうか? あぁ人間ってこんなにも素晴らしい、と! あぁ、サンディはどう思います?」

 

 そのまま機嫌良さげに彼はずんずんとナムジンさんの消えた方向へ歩いていかれたので、ぽかんと口を開けて呆気に取られていた私たちは、慌てて走って追いかけたのでした。

 

 この麗しの天使さまはいつでも慈悲深く私たちを導いてくださるし、私たち人間のことをこうして心底好きでいらっしゃる。私たち人間はいつだって愚かしく、いつだって神の御心に背くことを平気でするような罪深き生き物でありますが。

 

 しかし、もしも神に背き裏切ることがあったとしても、他の数多の天使さまを裏切ることがあっても、アーミアスさんだけは裏切りたくないものですね。だって。あらゆるアーミアスさんへの敬愛を無視しても、人情として好いてくださる相手のことは大事にしたいものでしょう?

 

 その小柄な、しかし誰よりも広い背を追いながら。私はそう誓いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 青く、淡く、空気に透けて輝く姿は生身じゃねえ。魂だけになったいわゆる幽霊という存在だ。この世に未練を残した生きとし生けるものの影。そこにいたのは女だった。この時代の死者にしてはまだ若かったが、……いや。過ぎたことを嘆いても目の前の魂を慰めることなんてできやしない。死というものは誰にでも平等に訪れる。それが早いか遅いかは俺たち天使にとっては大した違いじゃない。

 

 とはいえ、まだ年若い……つっても彼女の見た目ではなく俺との年齢比的な意味で……姿の霊魂を見かけるとやるせない気持ちになるもんだ。

 

 俺たち天使は彼ら彼女らに向き合い、その未練に寄り添い、そっと背中を押さなくてはならない。ある時はただ己の死に気づいてもらうだけでいいし、ある時は少し力を貸して未練を解消するときもある。またある時はただ静かに話を聞く。そして、この大地から旅立っていく姿を、霊魂を見ることを神より赦された天使だけが見守る。

 

 それは俺たちに課せられた使命であり、人間を護ることと同じくらい重要なことだ。

 

 ……そういや、前にカラコタ橋ですれ違った少女の幽霊は、あの後天に召されたのかどうか少し気になった。

 

「アーミアスさん?」

 

 訝しげに、そして心配そうにメルティーが俺に声をかけてきた。

 

 はた目にはいきなり俺が固まったようにしか見えねえよな。心配かけて悪いが、この女の幽霊と会話できるのは天使だけ。いや、幽霊と同じく人の目には映らない存在である妖精や精霊にも見えるんだろうが、彼らがわざわざその気まぐれな風みたいな気遣いを見せて人間の幽霊をどうにかしてやろうと思うことはあんまねえだろ。

 

 事実、いかにも清純そうな天使どもだって、幽霊の対処に関しては基本的には「上からの命令だから」動くわけで、そして「より多くの星のオーラが貰えるから」って理由でやっているだけにすぎない。……俺だって。人間たちのことは心底好きだし、何より護ってやりたい可愛い存在だが、やっぱり俺はただの天使で、命令に従っているだけなんだよな。

 

 利害の一致ってやつで俺は幸運だ。まあでも、幽霊は多少ほっといても死なないが、生きてる人間は死ぬから幽霊を相手にするのが消極的になるのは分からんでもない。俺だって死にそうな人間がいたら幽霊放置するわ。

 

 さて、逃げられたり怯えられたりすることはなさそうだが、繊細な人間の魂を下手に刺激しても仕方がない。どうにかしないとな。「未練」はやっぱり、残しちまった者に対してか?

 

「自分が死んでいるという自覚はなさっているようですね、かつて愛しき人間だった貴女。迷える貴女は……ナムジンさんのお母さまでしょうか」

 

 顔立ちが似ているのは間違いない。その雰囲気も。ナムジンがさっき言っていたようにマンドリルのポギーは亡き母と助けたみたいだし、ふたりの友情を眺めに来た幽霊なんて他にいないだろ。

 

 実はナムジンが有能な少年で、周囲を騙し通してヘタレを演じつつ父に取り入った得体のしれない女の正体を暴き、カルバドの将来を案じていたという素晴らしい行動について改めて賛辞を贈りたいところではあるが。

 

 生きている人間と同じように、すでに死んでいる人間だって俺は導きたい。その短くもまばゆい人生を終えてなお、行くべきところへ行けない者を正しく神のおわす場所へ導かなくてはならない。

 

 だからちょっとだけ、ナムジンの方の手伝いをしたいという感情はそこにおいておいて。

 

 彼女はしばらく困ったような、悲痛な顔をしていたが。

 

「私はパル。勇敢なるカルバドの族長であるラボルジュの妻にして、あなたの言うようにナムジンの母です。このままではあの子がシャルマナに殺されてしまう。どうか……どうか、ご助力頂けませんか、天使さま」

 

 ……死んでたら顔見えなくてもバレんのな、天使って。まぁいい、この場合は話が早いってことで。

 

「もちろんですよ。守護天使の名においてあなたの未練を晴らしましょう」

「あぁありがとう……ここから東の岩山のふもとに、魔物に滅ぼされたカズチャ村という場所があります。そこにはアバキ草という特別な力を持った薬草が生えているのです。それをナムジンに渡してください。あの子なら正しく使えるはず」

「滅んだ村……」

「えぇ、そこは。私の故郷でしたの……」

 

 それだけ言い終えて、彼女の姿は消えていた。召されたってわけじゃないだろう。心配でたまらなくてナムジンを追ったのかもしれねえ。

 

 とりあえず指針は決まったな。幽霊まで警戒しているってことはシャルマナは黒なんだろう……人目につかないところで何かやらかしたのか、それを見ていたのかまではわからないが。

 

 情報共有したら早速向かうか。シャルマナにナムジンが殺されてしまう、なんて物騒な話だ。日が傾き始めた事だし本当なら明日にしたいところだがそうも言っていられねえな。みんなには悪いが闘志はバッチリあるらしい。目をキラキラさせた三人が俺の言葉をいまかいまかと待っている。

 

 そんなに素直でよくここまで無事に育ったな! 可愛い奴らめ。


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