91話 身長差
セントシュタインへルーラして、意気揚々と宿屋へ。
他の場所に用事なんてねぇ。俺はこの宿屋の床になりてぇんだ。たくさんの人間たちにぺちぺち踏まれるとかもうここが神の国だぜ。
床?! 流石にハレンチすぎるか。俺はこの宿屋の壁になりてぇんだ。たくさんの人間たちの営みを朝から晩までジロジロぺろぺろしてぇんだ。
「あら、おかえりアーミアス」
「ただいま戻りました」
リッカたん! 今日も笑顔が眩しくってぺろい、ぺろすぎる、しかも俺をちゃんと視認してくれている! ちゃんと目線があって会話ができるなんて……奇跡すぎていつまで経っても「特別」な感じがするな!
かわいいバンダナをキュッと結び直す動作をしているのもぺろぺろ。俺たちの名前を帳簿に書いてくれる指先もぺろりたい。勤勉なおてて! 世界一のおてて! この小さくて頑張り屋のおててをサスサスしたい! サスサスして、ぺろぺろしたい!!
もう国をあげて表彰しろ! むしろ俺がする! リッカたん頑張っているで賞! リッカたん真面目で賞! リッカたん! リッカたん! リッカたん!
そして顔を上げたリッカたんと目が合う。ぱっちりした目にニヤケを必死に我慢した無表情の俺が映り込んで今日も可愛すぎて最高にぺろぺ……。
あれ? なんかちょっとおかしくね? リッカたんを前にした時の目線の角度ってこうだったか? たしかもう少し、いやこれ……。
「リッカ……あの」
「どうしたの?」
「身長……伸びました……?」
「え? そうかな? ちょっと自分じゃ分からないけど。あ、でもアーミアスの仲間の人……マティカくんだっけ。アーミアスの仲間になった時より大きくなったよね!」
「おれ? そう? あ! ほんとだ! 前はアーミアスさんの肩くらいだったのに今は肩越えてる!」
「それはいいことですね。飴をあげましょう。もっと大きくなってアーミアスさんをお守りできるくらい強くなるんですよ。兄さんはもうこれ以上大きくなりませんので」
「わ、わかりません! 大きくなるかもしれないので牛乳を飲みます! 精霊にもお願いします!」
「精霊様にお願いなんてしたら寝ている間に引っ張られすぎて手足を引きちぎられますよ」
「そんなこと私がいちばん知っていますよ! 子どもの頃髪の毛を早く伸ばしたいとお願いしたら翌朝頭皮が痛くなったこともありました! ホイミで治ったからいいものの! でもそれしかもう、大人の私には背を伸ばす方法なんか……」
「なんだか怖いよ……」
賑やかな会話は聞こえているのに、俺は何も聞こえていないような、ただそこに立ち尽くしている無機物の像になっちまったかのような、そんな寂しい、あぁ寂しい、ひたすら寂しくて、俺の心は、寂しいばっかりになっちまった。
人間たちの成長は嬉しいのに。健やかに成長して、背が伸びて、幸せいっぱいの丸い頬がだんだんほっそりとして、今度は笑顔でえくぼを刻む。
それが俺の幸せなのによ。
愛しい人間たちはすぐに大きくなって、立派になって、瞬く間に老いて俺を置いていっちまうんだって……知っていたじゃないか、この世に遣わされて百三十と五年、人間なら大抵は寿命で死んでいる年齢なんだから、その間に何世代も生まれて老いて、見送るのを何度も繰り返してきたじゃないかって……。
時の流れは平等じゃない。
じきにリッカも俺を置いていく。
嬉しい。悲しい。良い事じゃないか、真面目なリッカはどんどん認められる。ここで成功を収めるに違いない。父リベルトの夢を叶えて、リッカはきっと死後も名を残す。
居なくなってもその名前を聞けるんだ、あんまりそういう子はいないから、素晴らしいことじゃねぇか。
寂しい。
さびしい。
さびしいな……。
「リッカはもうすぐおとなになるね……」
「アーミアス?」
「きっとすぐに、ぼくよりおおきくなる」
「泣いて、いるの?」
「……おいていかないで」
視界がぐにゃりと歪んで、いつの間にか目から大粒の涙がボロボロとこぼれていることに気づいた。いけねぇ、幼い子らを心配させちまう。
ただの天使のセンチメンタルに付き合わせるなんて罪深いことさせられるか! だいたいおかしいのは極端に老いが遅い天使の方であって生き物として人間は老いが遅い方の生き物! 魔物の中には人間よりずっと長生きなのもいるが、大体の生き物は人間より短命! よっておかしいのは天使! 羽生えただけで人間に似てる容姿をしているのが紛らわしくっていけねぇな!
俺の目玉が五つくらいあれば最初からこんな、こんな、「勘違い」しなくてもよかったのに!
神はどうして天使を人間に似せて創りたもうたのですか。
詳しい事情は知らんが、人間の方が愛おしい形をしているから絶対人間のが先に誕生している! 天使なんてあからさまに人間の見た目に鳥っぽい羽根を後付けでくっつけて作ったに違いねぇ!
なんせ構造が雑! どうやって飛んでんだよ身体の重さは普通に人間並だぜ? なんであんな小さい飛べてるんだよ、羽根むしっても飛べてたんだよ、もしかしてあれ無意識の魔法なのかよ?!
心配かけて悪いが、ちょっと落ち着きたくて俺は外に逃げようとした。
その瞬間、「何か」に包み込まれて身動きが取れなくなる。視界は黒に染まり、涙でべちゃべちゃに濡れた顔は「手」が優しく抑えている。
だぁれ?
「アーミアスさんが消えた?!」
「そんな! どうしよう、私、なにかダメなこと言っちゃったんだよね?!」
後ろで聞こえてくる声はくぐもっている。これはなんだ、なんなんだ。
「アーミアス」
優しい声が降ってきて、目を開けないなりに俺は察した。
このひと、いや。同胞だ。
「私と来なさい。落ち着くまで」
ラヴィエルさま。
人目のつかない場所、つまり私の寝床に連れてきた兄の弟子アーミアスは、大人しく私の羽根に包まれている。遣わされたての小さな子にやってやるように。
ボロボロと流れていた涙は止まったものの、未だにくすんくすんとしゃくりあげていて可哀想に。
本人は分かっているつもりだったろう、でも、まだまだ幼い天使。本来アーミアスの年齢なら見習い天使をやっているのが通例なのに、真面目で優秀なこの子は段階を飛び越えて人間と関わってきた。
そして丁度人間の寿命を越えた年の頃……そんな多感な時期に若い人間に混ざって使命を果たすなどと。
またたきの一年も過ごさぬうちに気づいてしまった。
天使一倍、人間が好きなアーミアスにオムイ様も残酷なことをなさる。
「リッカが、リッカの背が伸びているって、マティカが大きくなっているって、やっと気づいたんです、そんなの当たり前のことなのに、嬉しいことなのに……」
「うん」
「俺はまた置いていかれる。また、また、愛しい子らは光のように生きて、そしてあっという間に去っていくんです。ラヴィエルさま、俺はそれに耐えられなくて……俺は……」
「うん、そうだな」
「
「アーミアス」
「はい」
「辛かったな。その痛みを知るには二百年は早かったろうに」
天使としてはまだまだ一人前ではないが、三百年ほど生きれば人間の世代交代のサイクルに慣れ、知っている出来事は人間たちにとっては曖昧な歴史になり、そうであればそこまで感情移入してしまうこともなかったのに。
これでは心を砕いたアーミアスはエルギオス様の再来になってしまう。
……いや、それは真剣に使命に取り組むアーミアスへの侮辱に等しいか。
今は悲しみに打ちひしがれているが、それでもアーミアスが文字通り人間たちと肩を並べて戦ったのは長い天使の歴史の中でも初めてのことのはず。
幼き天使に掛けられるべき言葉は、優しいものだけでいいはずだ。
それに叱責するのは本来師である兄の役目。私は天使界に戻らなくなって久しい。きっと多くの天使が私のことを忘れ去っているはずだ。ならば。
精一杯に生き、老いて、そして死んでいったたくさんの人間のことを、ひとりずつ覚えている天使など……原則、いない。
例外である幼い天使になら、所在不明の
また目元に涙をいっぱいにためたアーミアスが、こちらを見上げている。
優しく翼でその肩を撫でてやって、はてさて。
この幼い天使は幼いながらも守護天使としてオムイ様に認められるほどの天使なのだから、泣き止むまでただ見守るだけでもいいはず。
そうすればきっと寂しさを飲み込んで少し強くなった心で前を向いてくれるはず。
でも、やわらかな心の幼い天使には酷なこと。
文字通り「天使のような」顔にそっと両手を添える。
長いまつ毛が瞬いて、涙が星屑のようにこぼれていく。美しい瞳までもがこのままではこぼれ落ちてしまう。
「天使ラヴィエルが命じる」
優しい一時の許しを、この幼い子に与えるくらい、いいはずだ。
その頬に祝福の口づけを。
「今日気づいたことは
そうして涙を拭いてやり、仲間たちの所へ送り届けてやったのはいいものの。
「アーミアス! 帰ってきたのね、一体どうしたの? 大丈夫……?」
「あ……」
天使ラヴィエルの誤算。それは目の前の天使が人間を愛しすぎているということ。
毎日共に過ごしているマティカの成長は見逃しても、日をあけて会った最愛の変化はいくら忘れてしまっても見逃すはずはなく。
アーミアスは確かにその瞬間まで忘れていた。だけど、新しく気づいてしまうならそれは命令違反でもなんでもない。
ゆらめく星の瞳は少女を見つめて、また寂しい色を浮かべる。
「リッカ。その……身長、伸びました?」
頭を抱えたラヴィエルはその日、結局泣いたまま寝落ちしていった幼い天使に眠りの呪文をかけてやることくらいしか出来なかった。
恐怖!
ちょっと身長伸びただけで置いていかないで!
と泣きわめく人外
アーミアスは天使にしてみたら小学生くらいの扱いなので表層意識(ペロリスト)と本当の精神年齢がかけ離れている
本来なら上級天使の強い師匠がようやく自分の守護してた村の周辺くらいなら目を離しても大丈夫か? 守護天使に任命したとは言っても頻繁に見に行くし迎えに行くけれども……みたいな扱いのお年頃
人間好き好き大好き←本当にその意味でしかない
置いてかないで人間になりたい←自分の翼を滅多刺し
恐怖! 人間への愛が重い人外