100話 裏切
アユルダーマ島の青い木に近寄ると、どこからともなく見慣れたピンクの光が飛んできてサンディが姿を現した。エルシオンでは「探し人」が見つからなかったのか、最初の方以降すっかり見かけることはなかったが。
正直、攫われた子どもたちを気にしすぎてサンディの存在をすっかり忘れていた。そのまま探しもせずにセントシュタインに帰っちまったし、うっかり撒いちまったかと思ったが、別行動をしていたらしく俺のひでぇ行動を気にしている様子はない……ように見える。
心が広くて助かる。
「アーミアス、なんか遅かったジャン。やっと女神の果実集まったんでしょ? ならすぐにくると思ってたんだケド!」
「すみません、仲間やリッカと別れがたくて」
「まー、女神の果実を届けたら任務はお役御免ってカンジ? だもんね。でもメチャクチャ嫌そうなカオしてるケド」
「だって俺は地上が好きなんです。わざわざ俺が届けるんじゃなくて取りに来て欲しいくらいなだけですよ。集めるのはやったんですから。天使界なんて滞在しても楽しいことなんてありません」
「ふぅん……面白そうなものがないのはわかるケド。まぁ、アタシは送り届けるだけだし。結局結構回ったのにテンチョー見つからなかったからバイト代どうしよ。アーミアスから運賃取っても……ちょっと、バレたら後がめんどいから財布取り出すなし」
サンディには散々世話になったんだから運賃くらい払うのは当然だろ。最初の一回は天使のパワー? で箱舟を起動したお礼に送ってくれたにしても、そのあとアユルダーマに送ってくれたのも、今回当たり前のように連れていってくれるのも善意じゃねぇか。
サンディと俺の貸し借りはもうないはずなんだから、金くらい払わせてくれてもいいのによ。
「何度も運んでもらっているのですから、お支払いしようと思ったのですが」
「あのね、そもそもアタシ責任者じゃないの。テンチョーの知らないところで勝手に商売してたってバレたらクビになっちゃうかもしれないジャン!」
「俺はわざわざ言いませんけどね……」
「テンチョー、変なところで鋭いから! はいはい、乗った乗った!」
降りてきた箱舟の扉が開き、俺は押し込まれた。
「さ、とっとと届けて身軽になっちゃお! そのまま帰るの待ってるし」
「地上まで送り届けてくださるんですか?」
「いやさっきの話。天使界にいてもつまんないんでしょ? うるさい天使振り切ってとっととセントシュタインに帰ればいいジャン」
「ぜひ! お願いします!」
「アハハ! 前のめりでウケる」
さりげなーく「今日は失礼します」とか言って自分の部屋に帰るフリしてそのまま箱舟に逃げてやる!
「アーミアスってさ……」
「はい」
「スキンケアとか何やってるカンジ?」
「はい?」
言葉の意味が理解できねぇで、二回ほど頭の中で反復してようやく意味がわかった。
サンディは俺を見て「スキンケア」なんて言葉の対極にいるとは思わねぇのか? 別に肌荒れはしてないが、生っ白いナヨナヨで、男らしい骨ばった顔つきでもない俺が特別な何かをしていると思うか? この薄い印象の顔で何をしてもなぁ。
当然、このコンプレックスの塊である埃色の髪の毛なんてもっと適当だ。癖毛がこれ以上悪化しない程度には気をつけているだけ偉いだろ。
つまり、頭の先から足先まで雑貨屋で買ったいちばん安い石鹸で洗っている訳だが。多分人間用じゃなくて服洗う用なんじゃないか。
数少ない天使の利点は「恒常性」にある。俺を肌荒れされるためには魔物の毒やら腐った汁やらを直接塗りたくるでもしないとならねぇだろうな。
天使界だとこの考えは普通だ。だって天使は生まれつきの形質が変わっちまうことなんてほとんどねえ。成長はするが凄まじく遅い。髪型を変えるのも一苦労。変形しにくいタチなわけだ。
変えようとしても凄まじい努力をしないと変わらないものにほとんど無駄な努力をするやつは滅多にいない。
せめて俺も師匠みたいに男前な顔ならな……。
当然、人間の仲間たちには肌に優しい石鹸を支給してた訳だが、何故か変な顔をされた。十代二十代なんてまだまだ生まれたてなんだから生まれたて用の石鹸だろうが。人間たちは自立心が高すぎねぇか。
「特に……そのようなことには興味がありません。変化の少ない天使はだいたいそういうものです」
「ハァ? じゃあそれ全部テキトーなケアでそれなワケ?」
「てきとう……えっと、まぁ、清潔にはしているつもりですが……」
ペロリストたる者、例えそれがありえなくても自分もペロられてもいいようにしておかなくちゃいけないからな! 脳内ペロリズムを発散する時、俺もまたペロられている……わけはないが、そう思って行動する必要がある。
なぜならペロる覚悟がなければペロリストになってはならないからだ。だから足の裏から耳の裏まで綺麗にしている。
「そうじゃなくって。あー、これ無自覚なんっしょ? 人間に生まれてたらとんでもなかったヤツ。なんか国が傾く系」
「そうですね、俺は人間に生まれていたら良かったのですが」
「ちがうちがう、なんか意味が重くね?」
「これは冗談ですが女神の果実を食べたら俺も人間になれるのでしょうか? ここに七個ありますから」
「ホント人間好きだし、意味不明なくらい」
「そんなことをしたら大変なことになってしまうでしょうからやりませんよ。それより俺より人間が好きな天使がいたらざっと三年くらい語り明かしたいです。俺の守護天使業務に同行させながら」
「はいはい、ある意味アタシがそうだったんじゃね? 同行はしてたし。あ、長い話は勘弁ね」
サンディは人間じゃないから気安く話せていいよな。なんて取り留めもない話をしていたわけだが。
突然、後ろに気配を感じてバッと振り返った。
誰、とか何故、とかではなく。懐かしく慕わしいあたたかい気配。
「師匠!」
頭が師匠を認識する前に俺は飛び込んでいた! すまねぇ師匠、天使界はどうでもいいんだがホームシックならぬハゲ師匠シックっていうか何でこれまでいなかったんだよ!
「久しいな、ウォルロ村の守護天使アーミアスよ」
勢いよく飛びついてきた俺を冷静に受け止め、ちょっと「高い高い」をするように持ち上げてからそっと降ろす師匠。あれだ、多分翼と光輪がなくなったって話は聞いてたんだが実際見たら観察したくなったとかだろ。
翼の分俺は軽くなったが、背中に変なもん付いてねぇ分空気抵抗が減って走りやすくなったぜ師匠! しかも仰向けでも眠れる。アドしかねぇよ師匠!
「お久しぶりです師匠! お迎えに来てくださったんですね!」
「そういう訳ではなかったのだが、結果的にはそうかもしれん。オムイ様より課せられた使命については聞き及んでいる。さぁ、女神の果実を渡しなさい」
「女神の果実を……師匠、気をつけてください。これを食べた者、なんなら手に持って願った者、幽霊でさえも化け物のような姿に変身してしまったのです」
師匠が受け取りに来てくれたなら帰らなくていいよな! オムイ様への報告はすべきか? すべきだろうが、したくねぇってかそのために帰るのが嫌ってか。
「アーミアス! こいつがアーミアスの師匠なの? いきなり挨拶もなく入ってきて女神の果実を渡せって怪しいジャン! せめて本物か疑えし」
「疑うべくもありませんよ。イザヤール師匠は上級天使です。天使同士ならその雰囲気で分かります」
「天使同士ならなんか威圧感があるカンジ? アタシにはただの翼のあるハゲにしか見えないケド……」
「し、失礼を仰る!」
ただの翼のあるハゲ?!?!?!
噴き出しちまうからやめてくれよ! 不敬だって! 俺も頭の中では散々ハゲ呼ばわりしてるから人のことは言えねぇけど!
まぁ迎えに来てくれたとはいえほとんど無意味。あとは天使界に届けるだけ、それも空の上で受け取りってもうそれはほとんど意味ねぇだろ! ちょっとばかり当てつけの気持ちがあるが……。
「しかし師匠、このまま箱舟に乗っていれば天使界まですぐですよ。わざわざお手を煩わせずとも……」
「守護天使アーミアスよ。師の命令に逆らうことなどできんぞ」
「ええそれは、仰る通りなのです、が……」
口答えは不味かったか? と思って振り返ると師匠は何故か剣を抜いていた。切っ先は、こちらに向いている。
ちょっと待て、そんなに不味いこと言ったか?!?!?!
「な……師匠……?」
「大人しく女神の果実を渡しなさい」
「ま、マズイって……アーミアス! 渡したらマズイって!」
サンディに同意!! 師匠は本物で間違いないがなんかヤバいのに操られてたり……なんてするわけないかだって師匠だぞ?!?! オムイ様の信頼も篤い上級天使で、俺には勿体ないくらい、いい師匠で……。
「……逆らいませんよ、逆らえませんよ、師匠。さぁ、どうぞ」
俺は頭が混乱した。もう何言ってんだか分かんねぇけど、サンディが言ってることが正しいのはわかる。だから女神の果実を差し出さなかったし、師匠に逆らえねぇから当然剣も抜けねぇ。
無抵抗の素手のまま俺は両手を広げた。怖いから顔も見ずに目を背けて。
剣で斬られたって大して痛くねぇ。遠慮もなしにボッコボコにされたが、ギリギリ急所を避けてくれたみたいだった。死なねぇ程度。
だがなにより痛かったのは……俺がコテンパンにされて女神の果実を奪われたあと。
あからさまに魔物の仲間として会話をして、俺に目もくれずに飛び去っていく師匠が、もう俺を導いてくれた厳しくも優しい師匠ではないと突きつけられて……。
師匠はきっと、俺が地上に落ちても探しちゃくれなかったんだろうってな。
俺が、ぼくが、人間たちと地上を駆けずり回って女神の果実を集めていた時も、欠片も心配しちゃくれなかったんだろうって。
目の前が真っ暗になったのは怪我をしたから? 痛くて痛くてたまらないのは空から落ちたから?
師匠、どうして……。