闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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グビアナ編
69話 傷


 波の音を堪能しつつ、出航前に部屋の探索を行っていると、乗船してからずっと黙っていたアーミアスさんがぽそりとこぼしました。

 

「ところで、船の舵取りができる方は、この中にいるのでしょうか?」

「……」

「……」

「アーミアスさんっ! おれ、海初めてなんだ! すっごいね! 広くてさあ、きれいでさあ! ワクワクしちゃうね! どんな魔物がいるのかな! どんな景色がこれから見れるのかなって!」

「おや、奇遇ですね。俺も海、それも船の上からの眺めは初めてですよ。海を見たこと自体はありますが、それはもう天使界から『見た』というだけのこと。目標地点まで飛んで降りていたので、かなり高所であれば海の青を見ることもできましたね……こんなに近くで見ると、きらきらしていて、俺もなんだかワクワクしてきますよ」

 

 ね、ね、姉さん。船の舵取り、できますか?

 

 に、に、兄さん。兄さんならできますよね、ほら、精霊パワーで! なんとかなりますよね?

 

 互いに目だけで会話。折れたのはそりゃあもちろん、兄の私です。互いに兄も姉も「その方が都合がいい時」に名乗る私たちですが、メルティーはやっぱり妹なので。誕生日の話ですよ。同い年ですけどね。

 

 あぁ、私が姉だと睨まれるのが心地いい。今は! 私が兄なんですよ!

 

「アーミアスさん、不肖ガトゥーザ、操舵をどんな手段を使ってでも……」

「……サンディ、本当ですか? 良かった、天の方舟の運転ができる貴女のレクチャーなら安心ですね」

「……」

「兄さん下がって、兄さんは何も言わなかったし、何も考えてなくて、アーミアスさんとサンディさんに感謝しているのみです」

「えぇもちろんですとも不肖ガトゥーザ、情けなくも船の操舵を理解しておりません。アーミアスさんの顔の広さに感服しているだけです」

 

 幸いにも、アーミアスさんは妖精との会話に気を取られて私に気づかなかったので! 特に問題はありません。えぇ、精霊たちが私の無様な姿を笑っています。間違ってもアーミアスさんに不都合なことがないように、私は静かに祈りました。

 

 精霊と天使様の関係はよくわかりませんが、今まで一応、それがかわいらしいいたずらの範疇であっても彼に害したことはないので今日もそのようで安心いたしました。

 

 錨があがり、船はやがて前に進みます。

 

 心なしか緊張の面持ちのアーミアスさんの丁寧な操舵は、砂漠の国グビアナへ向け。船は大海原へ。

 

 海に近いサンマロウで潮風を浴びて育ってきたとはいえ、こんなに胸を躍らせて船の上で全身いっぱいに浴びる潮風はなんて特別なんでしょう。

 

 砂漠の国グビアナでは今までよりももっと、お役に立てるでしょうか。えぇもちろん、一層の努力を致しますとも。はっきり見える世界で、この手で武器を取って。精霊も妖精も、私のどんな力も、なんだって利用してやりますとも、我らが麗しき、守護天使アーミアスさんのためならば。

 

 えぇ、もちろん彼の為さんとすることはすべて天命。彼の意志こそが正しく、それを手伝うことに喜びを感じるのですから。道をご一緒にすることこそ、お導きですから!

 

 私は甲板から、操舵のアーミアスさんを見上げました。操舵中、遠くを見透すために兜を外し、その素顔をさらしていらっしゃる姿を。眩い太陽に透かされた灰髪を潮風に踊らせて、あぁ美貌の君。太陽よりも眩しいですとも!

 

 甲板に膝をついてそうして祈っていますと、海からの魔物の襲来だ、なにをさぼっているのかとメルティーに杖で小突かれたのでした。

 

 

 

 

 

 

 熱砂に突入する前に船室にあった余ったベッドのシーツを裂いて作りあげた、急ごしらえのフードをめいめい被り、兜を被り直そうとするアーミアスさんが蒸し焼きになる前に兜を奪取しました。サンマロウでは非常に役に立ちましたし、防御力も申し分なさそうですが、グビアナのような砂漠では不適当だと思いまして。ええ、多少……いえ、過分に、出来すぎたことを申し上げたかもしれませんが、寛大なるアーミアスさんは聞き入れてくださいました。

 

 もちろん、忠言は本心からのものでして、事実、金属製の刃物なぞは見事に立ち塞がった魔物の傷を焼き、陽光を好む精霊たちが楽しげに歌いながら……つまるところ、既に熱々であるというのに、私の放った矢の矢じりを灼熱の地獄に変えておりましたとも。さながらメルティーの火炎の魔法ごとき様相です。そんな金属のものをアーミアスさんの頭を覆えばどうなるでしょう! 石造りのかまどごとき惨事になるのではありませんか?!

 

 その、サンマロウでは私やメルティーの親類の妨害のため、致し方なかったところはありましたが、この慈悲深くお美しい天使様の美貌を兜なんぞで覆い隠してしまうのはいささか勿体ない、いえ、世界の損失であると考えているゆえに! それすらも建前でして、私が見たい! それだけなのですが! 

 

 えぇ、何か? なにもないでしょう、私たちにとって重要なことです。メルティーも深く同意してくださるはずですし、幼いマティカだって欠片くらいはまともな美醜感覚を持ち合わせているはずです。

 

 ということでアーミアスさんの顔はフードで隠されているだけなので、風でも吹けばいつでも見れることでしょう。私はたいへん幸せです。

 

 体感したことの無い眩さの太陽、乾燥した空気、とてつもない熱風、足を取られる熱い砂の海。環境は最悪ですが私たちを導いてくださる天使様が同行しているので全く問題ありません。

 

 幸い、グビアナ城は迷うことすら不可能なほど大きく、蜃気楼ですらないほどはっきりと海からも遠く視認できていましたので一直線にたどり着くことが出来ました。これも我らが愛しき守護天使様の加護ですね。

 

 これまで訪れた中にも未知なる土地はありましたが……ここまで気候が違うというのは初めてですね。ゆくゆくは雪に埋もれたエルマニオンにも行くのでしょうか? わかりませんが、年甲斐もなくワクワクしますね。

 

 砂漠特有の魔物が時折、私たちの行く手を遮ります。すると、アーミアスさんは必ず私たちを庇います。どんなにお願い申し上げてもそれだけは譲ってくださりません。人間を守護することが、アーミアスさんが天より遣わされた使命なのだとおっしゃって。

 

 たしかに、守護天使様でいらっしゃいます。使命……そうなのでしょう。でも、納得はできません。アーミアスさんは勇敢かつ、外見の儚さよりずっとずっと頑丈なのは一緒に旅をしてきたのですから存じ上げております。私が起き上がることができなくなるくらいの手痛い一撃を浴びても、膝をつくまでもなく受け切ってしまわれ、反撃すらなさるでしょう。

 

 だからなんだというのです。敬愛する美しく高潔なる天使様が負傷される……それも自分たちをかばってのもの……我慢なりませんよ!

 

 ですが、私たち、気づいたんです。アーミアスさんに届く前に魔物を全部殺してしまえばいいんだって。アーミアスさんの手にかかって死ぬ魔物は、この上なく幸運です。アーミアスさんに殺される、ああ、それだけで魔物に生まれたという事実は祝福に変わるでしょう。次の命の安寧を約束されたようなものですから。祈っていただける、祈りの剣で斬っていただける。私たちのような、ただの人間に殺された魔物よりずっと赦されたような気がするでしょう?

 

 ですが、私は、私たちはその点、慈悲がありません。アーミアスさんが魔物に狙われるより前に、敵意をあらわにした魔物は殺してしまいます。そうすれば怪我をなさいませんから。

 

 私たちの意図に気づかれたかはわかりません。でも、アーミアスさんは私たちの行動に腕を上げましたね、と褒めてくださることがあったくらいですから、これでいいんです。

 

 えぇ、私なら、私がまかり間違って魔物であるならアーミアスさんの手にかかって赦されたい。でもね、私はアーミアスさんのお傍に立つことが出来る人間ですから、容赦はしないのです。殺します。この弓で。どんな手段を使っても。私が取り逃がしてもメルティーが、メルティーが焼きそこなってもマティカが、アーミアスさんに攻撃が届く前に葬るでしょう。

 

 もし……もし、それでもなおアーミアスさんに攻撃がいくなら。私どもの力不足ですから、鍛錬をしなければなりません。つまり、鍛錬の日々は続くということです。残念ながら、丸一日、アーミアスさんに攻撃が一切向かない日はないのです。

 

 アーミアスさんの透き通る白い肌に堪えない生傷を、私は自分のふがいなさを心に刻みつけながら、癒します。傷はすっかりと消えてしまいますが、それでも、私たちは悔しいのです。

 

 魔物は旅に呼応するかのように強くなっていきます。私は、流血しながらも私たちの無事を喜ぶアーミアスさんの美しい微笑みを見ない日が来ることを願っています。

 

 城下町について、人里ゆえに丁寧に魔物から守護された空間に人心地つきながら、私はアーミアスさんに迫ります。これくらい無視してもいいのだとおっしゃるアーミアスさんに食って掛かって不敬ですが、譲ってはなりません。

 

 アーミアスさんの手を取って、擦り傷残らず癒します。

 

 透き通る白い肌は美しく、アーミアスさんの容姿はどんな細部においても神が丹精込めてつくりあげたに違いないのです。でも、私が癒す傷の下に刻まれた傷跡は消すことができないのです。

 

 いつか、尋ねたことがあります。私はアーミアスさんの傷を癒す役割ですから、誰よりも彼のその「古傷」に早く気づきましたから。それでも基本的には戦闘中のこと、つまり厚く重ね着した防具越しですから、詳しくは見たことがないのですけれど。

 

 彼の腕や足に残る傷はなんなのか、と。

 

 彼は困ったように、(そら)から落ちてきた時の傷だ、とおっしゃりました。

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