闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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75話 遠水近火

 果物ナイフがきらきらと輝く黄金の果実を薄く切り取る。優雅な手つきの従順な侍女は女王様によく見えるようにそれをひとつ、ひとつと水面に浮かべていく。

 

 あんなに美味しそうな果物をただ食べるのではなくて、肌の潤いの為にたった一回の沐浴に使うだなんて、相変わらず女王様は贅沢三昧なお方。

 

 でもそれだから今回、彼女にかしずく私たちにも多少は恩恵があるってもの。ワガママ放題の女王様に仕えているんだからそれくらいの恩恵がなくちゃ。

 

 せっせと動き回る侍女なんてまるで目に入らないで、アノンちゃんが気持ちよさそうに泳いでいるのを目を細めて眺めている女王様。普段から人間に対してもそういう態度を見せるなら少しは可愛げもあるのに、口を開けばワガママばっかり。贅沢三昧。

 

 若くして先王を亡くして家族を失い、ひとりになった女王様を同情していた人間も愛想が尽きるってものよ。……ジーラは全然変わらないけれど。

 

 だけど、馬鹿なくらい真っすぐなあの子と違って、従順に気に入られるようにしていれば、グビアナで食うに困ることもないでしょうし、あの子みたいにどんくさくなければうまくやれるはず。

 

 ただ少しの忍耐と、贅沢を見せつけられながらワガママな理不尽にさえ耐えられるなら。それだけのこと。先王の時代はそんなことを考える必要はなかったのだけど。

 

「アノンちゃん、黄金の果実はとても綺麗でいい香りね」

 

 そっと愛しげに小さなアノンちゃんに話しかける様子は年相応なのに。

 

 ワガママな女王様について考えていても仕方がない。それよりも手を動かさなくっちゃ。果実が沐浴場にきれいに散らばるようにそっと水をかきまぜないと。決して目立ってはいけない。気難しい女王様には私の名前だって知られないほうがいい。私は女王の侍女の一人。それだけでいい。

 

 そういえばそのアノンちゃん、黄金の果実を持って城の外に行っていたけど、そんなにこれを食べたかったのかしら。確かにとってもキラキラしていて綺麗だし、美味しそうといえば美味しそうだけど……見ている分には綺麗だけど、なんだかキラキラしすぎて怖いようにも思う。この世のものじゃないみたい。トカゲの目には私よりご馳走に見えるのかしら。

 

 そんなことを考えていると、どこからか、この優雅な沐浴場にふさわしくない騒がしい声が聞こえてきた。叫び声とも言い争いともつかない声。

 

 いったいどこから聞こえるっていうの? 石を積まれた壁は分厚く、入口の扉は部外者の立ち入れぬように閉ざされ、外には不届き者が出ないように複数の兵士が見張りについているはず。だからいままでこんなことなかったのに。女王様も不審に思われたのか苛立たしそうに周りを見渡す。

 

「……なにか騒がしいようね?」

 

 イライラと女王様が言ったその瞬間。

 

 影がさす。

 

 ザパン、と派手な水しぶきを立てて上から降ってきた何か。落下してからも派手に水が吹き上がるほどの大きな衝撃。……上から? まさか、上からなんて! 確かに城の屋上の水場と沐浴場はつながっているけれど、あんな高さからなにかが落下したっていうことに? なんて危険な……!

 

 着地した「それ」はおもむろにゆらり、と立ち上がる。見れば、「それ」は人間。私は沐浴場を侵入者の血で汚してしまえば女王様の機嫌を損ねる! ということに思い当って、慌てて「それ」を見たものの、奇跡的に血を流してはいない様子だった。

 

 沐浴場が汚れなくてよかった、といったん安堵したものの、その性別不詳の侵入者はびしょぬれになりながらもよどみない足どりで女王様につかつかと歩み寄ったものだからたまらない。あんな高さから落下したのにまったく怯んだ様子もないのも、つまり相応に鍛えているということか、前々からあの高さから落ちる準備をしていたということ。

 

 あぁ、これ以上女王様の機嫌を損ねたら何人かの首が飛んでしまう。だけど、止めようと思ったのに、侵入者の顔を見た瞬間に固まってしまった。彼、彼女、顔を見ただけでは性別のわからないその綺麗なひとは、それはもう、大変な気迫で話すものだから。

 

 落ちるときに怪我をしないようにか、侵入者は随分な布の軽装で、布や髪が張り付いているのを邪魔そうにぐいと払って。

 

「大変なご無礼を働いていることは承知の上です、ユリシス女王。沐浴中に俺のような者が乱入してくるのは悪夢ごときことでしょう。俺も女性の沐浴中、このような強硬手段に出ることは恥ずべきことだと考えます。

 しかしながら、緊急を要する事態であることも事実。端的に申し上げますと、『黄金の果実』を使用するのを防ぎに来ました。食すること、何かを願うこと、力を得ようとすること。全て危険です」

「あなた……随分大胆な手段をとったものね。そこまでして黄金の果実が欲しかったんなんて。でも残念、もう果実はスライスして浮かべちゃったもの」

「……嗚呼」

 

 スライスされた果実を見た彼……のはず……の目が大きく見開かれる。まだ少年と言っても過言でもない彼は慌てて目の前の果実に手を伸ばそうとして……。

 

 ぴたりと手を止めた。彼の視線を辿るとアノンちゃんがスライスされた果実をぱくんと飲み込んだらしい。

 

「待っ……!」

「きゃあああああ! アノンちゃんが!」

 

 視界を埋め尽くす白い閃光。女王様の悲鳴。何かの衝撃で水がざぱんと吹き上がり、何かに吹き飛ばされ、大きな影が女王様へ向かう。どおん、と重重しい地響き。

 

 光が晴れたところにはそこには金色の大きなトカゲ、いいえもはや巨大なドラゴンがいて、首にあの、アノンちゃんのピンクのリボンを巻いた姿で女王様を巨大な手で引っ掴んだ。

 

「黄金の果実は使用した存在を変化させます!」

 

 降ってきた少年は叫ぶ。その瞬間、入口の扉が破られ、二本の剣を背負った金髪の少年が弓矢のように素早い身のこなしで飛び込んできた。続いて女の声が呪文を唱えているのが聞こえる。

 

「メルティー! 呪文は女王に当たります! 待って!」

「アーミアスさん、剣を!」

「アノンちゃんは女王に危害を与えようと……? すみません、まだ判断できませんが!」

 

 金髪の少年が剣を差し出す。応えて剣は抜かれ、そして侵入者はアノンちゃんに斬りかかろうとして……。

 

 ドラゴンは大きく跳んだ。井戸へ巨体を器用に曲げて、素早く。女王様を攫って。

 

 剣を抜いた少年は勢いそのまま井戸へ駆け寄り、追いかけようと飛び込もうとするのを遅れてやってきた男に必死に止められていた。

 

 黄金の果実は、食べた者を化け物に変える悪魔の果実だった……? 一番近くでアノンちゃんを見ていた私は震えるばかりで、攫われた女王をいい気味だ、もう帰ってこなければいいのにとと噂する他の侍女の声がどこか遠くに聞こえているみたいだった。

 

 

 

 

 

 

「女王様の悲鳴が聞こえたのですが、これは、なにがあったのですか……?」

「ジーラさん」

 

 俺は突入のために外していた防具をガトゥーザに預けていたので急いで着込んでいた。着ていた服はぐしょ濡れでものすごく動きにくかったので人目はあって申し訳ないが脱ぎ捨て、適当な予備の服を鎧の下に着込む。脱いだ時に傷跡まみれの背中を見られた瞬間ガトゥーザやメルティーの瞳孔がくわっと開いたが今は緊急事態。だから何も言ってこないようだ。

 

 背中。背中といえば翼を失ってズタズタのところにやべー天使による追い打ちをくらった場所だ。ものすごく見た目は見苦しいが、だからってただそれだけなんだが、天使信仰に篤く熱狂的な信者的には見過ごせないのかもしれなかった。あとでなんと言われても俺が翼を失った時についたとしか答えられないのが情けないところだが、別にもうなんともないし……。追撃の話は恥ずかしいからやめておこう。醜聞すぎる。

 

 なお、相変わらずマティカはいい子なので無表情だ。俺はなんにも見ていない。口がどうしてどうしてと動いているような気がするがどうしてもこうしてもない。

 

 ま、天使の始末を天使の間でつけられなかった情けなさはあるけどな。俺はまだまだ見習い天使の範疇だから逆らえなかってところもなかなか情けない。師匠くらい強ければ追撃は受けずに済んだからな。

 

「黄金の果実は、使用した存在を変貌させてきました。アノンちゃんも同じように。金色のドラゴンに姿を変えたアノンちゃんは女王様を連れて地下水路へ姿をくらませたのです」

「なんてこと……女王様は、父君を亡くし、ひとりぼっちで、誰も信じられなくなって、それでも唯一心を開いていたアノンちゃんにも……」

「追いかけます。黄金の果実を取り戻さなくてはなりませんし、地下水路では女王様も危険でしょう。それに黄金の果実を使用した者は……正直なところ、半数以上が好戦的でした。今のアノンちゃんは危険です」

「お願いします! 女王様が立ち直れなくなってしまう!」

 

 ジーラはいい子だ。ワガママなユリシス女王を心底思って言っている。美しい主従というべきだ。なんだ、女王はひとりぼっちなんかじゃない。あのアノンちゃんが何を思って女王を連れ去ったのかはわからないが……。

 

「えぇ、必ずや」

 

 メルティーが差し出してくれたプラチナの兜を被る。地下ならば恐らく外のように暑さでどうこうなることは無いだろう。アノンちゃんはみるからにパワータイプだから防具はきちんとしておきたい。戦いにならなきゃいいんだが、悲鳴をあげた女王を迷うことなく連れ去ったところといい、あまり期待はできないか。

 

 ともかく、これ以上何かが起こる前に。女王が無事であるよう祈りながら井戸のへりへ足をかけた。

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  • 幼少期、天使(異変前)時代
  • 旅の途中(仲間中心)
  • 旅の途中(主リツ)
  • if(「素直になる呪い」系統の与太話)
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