闊歩するは天使   作:四ヶ谷波浪

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83話 奇

 これで聞き込みが済んでいないのは小高いところにある、おおよそ最も大きなテントだけになりました。その集落の族長のものらしきテントの警備は特に厳重ではありませんでしたし、入って話を聞くのはそう難しいものではないはずです。集落の人間は明らかによそ者の格好をしている私たちをやや珍しそうには見ましたが、それまで。

 

 武装も解いていませんが、旅の人間と分かっていればそれを見咎められることもありませんでした。周囲はすべて魔物の住処ですしね。

 

 そういえば、他の大陸からは基本的には海路しかないとはいえ、ここはかの有名なエルシオン学園と陸続きですし、まったく隔絶された土地というわけでもないので当然とは言えますが。思えばこれまではわりと「都会」と言って差し支えない地域に訪れることが多かったように思います。エラフィタ村などは田舎でしたが大都会のセントシュタインまでものすごく遠いわけではありませんでしたし。

 

 ですが、またグビアナのように目的の人物に会うだけでアーミアスさんの手を煩わせることがなさそうで良かったです。それに気候もあちらよりいいですし。天使さまの世界は空の遥か彼方にあるので、きっとこの大草原のように風通しが良いのでしょう。

 

 アーミアスさんはテントに入る前に少し裏手に回って身だしなみを確認してから向かわれるようでした。皆まねして慣れない草原を走り回って草まみれになった足をめいめい丁寧にはたきます。

 

「さて、ここでは流石にかぶとは取りますか……」

「アーミアスさん、そのプラチナヘッドを気に入ってくださっていて大変私どもとしても嬉しいのですが、そこまで無理に被って下さらなくてもいいのですよ……?」

 

 私は名残惜しそうにかぶとに手をかけた姿を見てつい、差し出がましいことを言ってしまいました。アーミアスさんは大変に優しいので私どもの贈り物を義理堅く身につけようとなさっているのかと思ったからです。

 

 しかし。

 

「あー……」

 

 がぽっとひとおもいにかぶとを脱いだアーミアスさんは珍しく、少し目を泳がせました。

 

 そのふわふわの髪が陽の光に透けて、あたかも星屑のようにきらきら輝くのに目を奪われます。夜のとばりのように黒々とした瞳にはきらめく無数の星が宿り、昼間だというのにアーミアスさんの周囲だけ、美しい満天の星を抱く夜空を彷彿とさせるのです。

 

 この美貌は、この世界の中で恐らく最も星に近しいところからいらっしゃったからでしょうか。神々しい美貌は相変わらずで……しかし祈っても救ってはくれず、腐敗した聖職者にさえ天罰を与えることのない神をアーミアスさんに対する誉め言葉に使うのは相当無礼でしょうから別の語彙を探さなければなりませんね。ともあれ、アーミアスさんは今日も儚くも美しいのでありました。ああ、私たちを導いてくださる天使さま!

 

「もちろん、もちろん、このかぶとのことは装備品の中で最も気に入っています。これからもそうそうその事実が覆ることはないでしょう。防御力にも優れていますしね。見た目も綺麗ですし。しかしながら……俺がこれを好んで身につけるのは必ずしもそれが理由ではないのです……」

「そうなのですか?」

 

 ガトゥーザ兄さんが君主に付き従う騎士さながらに恭しく、アーミアスさんのかぶとを有無を言わせず受け取って装備袋にしまい込み、首を傾げます。お手を煩わせることのないように行動するのは大変によろしいことですね。私も何かできるかアーミアスさんの姿を凝視しましたが最早特にないようで残念です。

 

 もちろん、アーミアスさんはご自分でなんだってやれる方なのでしっかりと見ていなかった私の怠慢です。反省しなくては。

 

「えー……うぅん、なんと言ったら誤解がないのか分かりませんが。その、このかぶとは頭を隠すのにちょうどいいではありませんか」

「はぁ……フルフェイスですし、かぶれば頭は隠れますが……」

「えぇ。その点が最も気に入っています」

「頭を隠すのが? なんで?」

「それはもうもちろん、……俺のくだらない自己満足のためですよ」

 

 マティカ少年が押し黙りました。なんとなく聞いてはいけないような雰囲気を感じ取ったのでしょう。最も慈悲深き天使であるアーミアスさんの自己満足とは……詳しく聞いてみたいような気もしますが、わざわざ「自己満足」だなんて悪いように取れる言葉を使ってお話してくださったのです、暗に詮索するなと仰っているのでしょう。

 

 私どもは少々踏み込みすぎてしまったのかもしれませんが、アーミアスさんの機嫌を損ねた様子はありませんでした。いつだって愚かな人間の言動を赦すことに慣れていらっしゃるからかもしれません。むしろいつも通りの優しげな口調はことさら穏やかでした。もちろん皮肉めいた風もなく。

 

 誰よりも眩い美しさをお持ちなのに、アーミアスさんは私たちの方を眩しげに眺めておいででした。心の底から私たちを愛してくださっている。それを実感しながら、歓喜の中に後ろめたさを感じます。

 

 だって、私はまだ、ぜんぜんアーミアスさんのお役に立っていません。賢者になることも叶わず、アーミアスさんを完全に守りきることもできず、アーミアスさんの尊いお役目をお助けすることだってこんなに拙いのです。もっと私に力があれば良かったのですが、つけるほかないのです。

 

「かつては……翼を持っていた頃は、こうしてみなさん(人間)と会話することさえ出来ませんでしたから、今は十分恵まれています。こちらの姿が見えないというのはとても歯がゆいことでしたよ。そして俺は『それ以上』を望んでいるだけなんです。だからこのかぶとはとてもとても気に入っているのですよ。

 ……さぁ、いつまでも油を売っていても仕方ありませんね。そろそろ行きましょうか」

 

 この草原はグビアナより空は広く。遮るものが何もない日の光を浴びて、この世のものではない、神のつくりあげた美しいかんばせがわずかばかり微笑んで、優しく促しました。

 

 私たちは迂闊にも、私たちをこんなにも愛してくださる天使様の永きの孤独に触れたようで、その罪深さに身震いするしかありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺たちはしがない旅の者です。族長殿と是非お話がしたいのですが、構いませんか?」

 

 三人の仲間……いや態度からすれば従者と言うべきか……を引き連れた少年がパオの入口付近で集落の人間に話しかけている声が聞こえたので奥に来てもらった。どこぞの格式張った大国でもあるまいし、緊急事態でもない時に礼儀正しい旅の人間と話すことが出来ないほどカルバドは狭量な民族ではない。

 

 しかしながら、いざ近くに呼んでみれば何が「しがない旅の者」だ。明らかにただの旅人ではない様子だった。

 

 先頭にいる灰色の髪をした少年をパーティリーダーと考えた時、リーダーの背後に付き従っている男女は大変な手練に見えた。

 

 大きな杖を持った魔法使いらしき短髪の女は一瞬たりとも周囲への警戒を怠らず、もし何者かが一行に危害を加えたならば何かしらの攻撃的な魔法を放ってみせるだろう。それくらいのことは魔法について門外漢でもすぐに分かるほどだった。そのうえ彼女の目つきは酷く冷たく、仲間以外をなんとも思っていない様子ははっきりと分かる。なお、ちらちらとリーダーを見る目は心酔気味。杖を持っていない方の手は常に手遊びのようにくるくると目まぐるしく何か魔術めいた記号を空中に描き、現れ消えていく光る文字は無為に消えていっているのか、はたまたなにか魔法が静かに進行しているのか。単独でも近寄りがたい女だった。

 

 女と対になるようにリーダーの背後に付き従う男は対照的に不気味だった。彼は大弓を背負い、四人の中では一番軽装である。見た目だけならばレンジャーだと考えられるが、あのようなレンジャーがいるものか。自然と調和し、動物たちと心を通わせ、大いなる妖精に語り掛ける……そんなレンジャーが真っ当なレンジャーだとしたらこの男は自然の摂理をねじまげ、動物を意のままに操り、妖精すら道具として使役する邪法使いにさえ見える。醸し出す雰囲気だけでも相当なものだったが、男はずっと笑顔を浮かべていた。リーダーを見て心底楽しげに笑い、仲間の女ともう一人の少年をどこか満足気に眺め、時折虚空を見て笑みを深める。狂気すら感じるが……その瞳はどうにも、不釣り合いに理性的だった。

 

 幸いにも、リーダーの少年にぴったりくっついた一番年若い少年はまともそうだった。リーダーと同じように剣を装備し、盾すら持たない左手でリーダーの鎧のインナーを掴みながら怖々と周囲を見回している。しかしながら、明らかに異様な男女の様子は慣れきっているのか何のリアクションもなかった。怯える姿にリーダーは気づいているのかぽんぽんと頭を撫でた。人見知りなのだろうか。少年はこわごわと、しかし興味深そうにそこらを眺めていたが、こちらを見るとすっと表情をなくした。

 

「アーミアスさん、あの女の人がシャルマナさんかなあ?」

「マティカ、直接聞かなければ無礼ですよ。憶測で物を語るべきではありません」

「うん。こんにちは、不思議な人! おれはマティカって言うの!」

 

 マティカというらしい少年はにこやかにシャルマナに話しかけたが、すぐにはっと我に返ったようにリーダーに譲った。

 

「ごめんなさいアーミアスさん、アーミアスさんがお話を聞いてからだよね」

「いいえ。謝る必要はありませんとも。マティカが話すことを遮る権利など俺にありませんからね。

 しかし族長殿にお時間を取らせてしまうのは申し訳ないというもの。手短に。俺はアーミアスという旅人です。これまで世界中を旅してきました。あなたがカルバドの族長ですか?」

 

 アーミアスと名乗ったリーダーの少年は美しかった。シャルマナが人が丹精込めて育て上げられた美しい花束ならば、少年はカルバドの空を彩る満天の星空だった。人ならざる者による最高傑作の造形と言わざるを得ない、その不思議な少年はこちらを優しげに見やり、優美に微笑んだ。

 

「探し物をしているのです。そしてこれは掛け値なしの警告でもあります……」

 

 身じろぎひとつせずにシャルマナが、よろけるように一歩後ろに後ずさったのをその時はただ不思議に思うのみだった。


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