「神官は嘘の手がかりに引っかかっている」
これは口に出した言葉ではない。テーブルの下で互いの掌に指で字を書き、その間にごく普通の会話をする監視魔法対策のやり取りである。場所は酒場。昨日は雨を言い訳にして皆が酒を飲んだが、今日は死者が出た時に不吉が去るまで仕事を止めるという村の習慣だ。
それはよかったと男は思った。ヨッシュの死が無駄でなかったということだからだ。
嘘の手がかりとはヨッシュが家に残した暗号文のことだ。彼の家が捜索されたとき、発見されるように仕掛けられていた。そこにはやや難しい暗号で一つの村名と複数の人名が記されている。調査員の関心がそちらへ向いてくれれば、という期待があった。
しかし、同志は先を続けた。
「だが、魔術師の方は偽りの情報だと思ってる。時間稼ぎにしかならない」
男に再び絶望が襲う。
最初から何もせず潜んでいれば、という後悔が頭に浮かび、男は自分を叱る。何もしなくても見つかる可能性はあった。あの調査員たちへの襲撃が成功する可能性もあった。何を後悔しても結果論だ。
「俺たちはじきに見つかる。その前に次の一手を打つしかない」
同志はそう伝えた。
「どんな手を使う?」
男は聞いた。
作戦の内容は少しも気分の良いものではなかったが、男は了承した。無関係の人間を犯人に仕立て上げることもそうだが、卑劣な作戦でも使わない限り勝ち目はない。
「後のことは同志たちに託そう」
「そうだな」
男たちは席を立つ。だいぶ通い慣れた酒場だ。座る席も決まっている。
彼らがここへ来ることはもうなかった。
「うーん、この字はどれに入れ替えるんだろ?」
ルルーは紙を見ながら頭を掻いた。
自分たちの部屋でベッドに横になりながら暗号と格闘している最中だ。二人ともナザリックの共通語とは別に周辺国の文字も教えられている。
ヨッシュという男の家では魔力系魔法詠唱者であることを示す道具と複数の暗号化された文章が引き出しの二重底から見つかった。
村人の証言によれば、ヨッシュは10年ほど前にやってきた浮浪者であり、何でもするからと村長に頼み込んで村に置いてもらったそうだ。無論、魔術師であるなどとは言わなかった。とても熱心に働き、人付き合いもよく、魔導国への恨みや不満を言ったことは一切なかったと村長は断言した。「どうしてそんな真面目な男が浮浪者になったのか疑問に思うべきじゃね?」というルルーの問いに彼は何も言えなかった。
ムツノカミは暗号が囮ではないかと疑っているが、暗号を自分で見つけて喜んだルルーは「いや、意味があるかもしれないじゃん」とやる気だった。暗号は文字や順番を組み替えたもので、時間さえかければ解けそうであり、自力で解読して母親たちに褒められたいのだろうと彼女は思う。
「おっ、ここをこの文字に組み替えたら……そうか!」
暗号に夢中になっているルルーの横でムツノカミは考える。
なぜ自分たちが魔導国の調査員だとわかったのだろうか。来たその日に何らかの手がかりを与えてしまったのか。酒場のやり取りを振り返るが、そうは思えない。となればビストの家か。しかし、魔法による監視はなかったと断言できる。ならばどんな方法で。
彼女が悩んでいるとルルーが急に顔を上げた。
「おっ、誰かこの家に来るよ」
足音を聞き取ったらしい。
「6人くらいかな。かなり慌ててる。ムーちゃん、用心して」
「うん」
ドアを強く叩く音がムツノカミにも聞こえた。
ヒュリがドアを開けたのだろう。多くの足音が自分たちの部屋まで近づいてくる。
「神官様!非常事態です!」
村長の声だ。不安になるムツノカミと対照的にルルーはわくわくしている。
「ドアは開いています。どうぞ」
彼女がそう言うと村長とビスト、そして4人の女たちの恐怖に染まった顔が見えた。
「スヴェークという男をご存知ですか?」
「えーと、酒場にいた男だっけ?私が指を治した」
「そうだ」
ビストが答えた。続いて村長が話を続ける。
「少し前にそのスヴェークが子供たちを連れて森へ入りました。以前から猟について彼らに教えていたので今回もそうだろうと思ったのですが、さっき私にだけ彼の声が聞こえたのです。周囲にいる者は誰にも聞こえないのに」
「伝言の魔法ですね」
彼女は指摘する。
「おそらくそうです。スヴェークは自分の家に行って書き置きを見ろと言いました。それがこれです……」
ルルーがそれを受け取り、ムツノカミも一緒に読む。
「へー」
ルルーが面白そうな顔をした。
紙にはこう書いてあった。
村長は俺が連れて行った子供4人の母親をつれて魔導国の調査員のところへすぐに行け。そして2人を連れてすぐ北の洞窟に向かえ。小細工や時間稼ぎをすれば子供を殺す。調査員たちが魔法を一つでも使うか、仲間に連絡した時も殺す。常に見張っているぞ。
「森で襲われたと思ったら次は誘拐事件かー。この村、物騒過ぎでしょ」
ルルーが笑った。
「んで、母親ってのはその人たち?」
ルルーは4人の女を見た。
「神官様、どうか息子をお助けください!」
「お願いします!」
「私の子はまだ4つなのです!」
「どうかお助けください!」
母親たちが年端も行かない少女らに懇願した。
「見張ってるってどういう意味だろ?ムーちゃん、何か感じる?」
「ううん」
ムツノカミは否定する。監視魔法は使われていないはずだ。
その時、一人の母親が「えっ」と言った。
全員の視線が発言の主に集中する。
「……いいえ、まだ何も……していません」
母親が誰と会話しているのか二人は理解する。
「はい、すぐに向かいます……」
母親が恐怖をさらに濃くしながら告げた。
「あの……」
「ああ、わかってるわかってる」
ルルーは楽しげに言った。
「メッセージで状況確認か。やるじゃん」
「母親たちを監視役として使ってるのね。一般人である母親たちに上手く嘘をつかせるのは困難。全員を支配の魔法で操っても犯人との会話に不自然さがでて見抜かれる。そんなところかしら」
ムツノカミは推測した。
「神官様、如何いたしましょう?」
村長はすがるように二人の少女に聞いた。
「どうする、ルーちゃん?」
彼女はどうするにいくつも意味をこめる。実際には周囲の人間にばれないよう魔法を使う方法はある。傍にいるシャドウデーモンに指示を出すことも可能だ。しかし、もしも相手に嘘を見抜く異能や才能があり、自分たちに何らかの質問をしてきた場合、人質が死ぬ。それは避けたい。
「うーん、今は指示に従っておこうか。魔導国の民を見殺しにするわけにいかないし」
今は。つまり相手の要求次第では見捨てるという意味だ。彼女は同意するしかなかった。
「ありがとうございます!そして申し訳ありません!」
村長が深々と頭を下げる。
「いえいえ、誘拐犯が一番悪いんですよー。一体どうして子供の誘拐なんて思いついたのやらー」
ルルーはムツノカミにジト目を送り、彼女は閉口する。自分が子供たちと楽しげに話したせいで人質の価値があると思われた。ルルーはそう言いたいのだろう。たぶんそれは正しい。
「ごめん、ルーちゃん」
彼女は素直に謝る。
「俺たちにできる事はないか?」
ビストが憤怒と不安をこらえた様子で聞いた。ヒュリとトラも部屋の外から不安そうに彼らを見ている。
「別にないよ。あとから追ってきたりしないでね。小細工したら人質死ぬらしいし」
ルルーは面倒くさそうに言った。
「へえ、ここか」
村長と4人の母親たちに案内されて20分ほど森を歩くとルルーとムツノカミは岩山に形成された洞窟に着いた。自然に形成されたもので危険な生物などはいないと道中で聞かされている。
「……今、全員で着きました」
母親の一人が言った。ここに来るまでに何度もあった犯人による状況確認だ。
「二人は何もしていません。誓います……」
消え入りそうな声が響く。
「中に全員で入れと言っています」
「へいへい。じゃあ、行きますか」
ルルーは少しもあせっていない。
洞窟は一定の間隔で魔法光の照明があり、さらに奥に進むと突然声がかかった。
「そこで止まれ!」
男の声が聞こえた。
「魔導国の調査員だけそのまま前に進め。それ以外が来たら人質は殺す」
「へーい」
ムツノカミは魔法の罠を発見するために無詠唱で感知魔法を発動させる。反応はない。彼女の耳に子供たちの啜り泣きが聞こえてきた。ルルーはもっと前から聞こえていただろう。20歩ほど歩くと開けた空間に出て、スヴェークと子供たちを視認できた。彼女は周囲を観察する。子供たちは犯人の後ろでロープに拘束され、部屋全体に鱗粉のようなものが漂っている。不可視化や幻術への対策だろう。
「約束どおり来たよ。早く人質を解放したら?」
ルルーのぶっきらぼうな声。
「黙れ!」
スヴェークは憎悪の目を向けた。酒場で会った時の朗らかな顔はどこにもない。
「俺がある呪文を言えば人質は死ぬ。お前たちが麻痺や支配の魔法を使ってもそれを言う時間くらいはある。ハッタリだと思うなら試してみろ」
「あー信じますよー」
ルルーが言った。実際にそういう魔法は存在する。
「で?身代金がほしいわけじゃないんでしょ、反体制派さん?ナザリックの何を聞き出したいの?玉座への隠し通路?そんなものないけど」
「近いな。ナザリック内部を自由に転移できるアイテムについて話せ」
「……あんた、それをどこで聞いたの?」
ルルーの表情が変わった。ムツノカミも驚く。
アインズ・ウール・ゴウンの指輪。ナザリック地下大墳墓内外を自由に転移でき、一部の側近しか所持を許されていないマジックアイテム。ムツノカミの母が階層間ゲートの管理を任されており、あの指輪以外では彼女の許可なく転移する方法はないと聞かされている。外部の者が指輪の存在を知るはずがないし、知ってはならない。最優先で奪おうとするからだ。
「お前たちはそれを知っているのだな?」
スヴェークの顔に光明が差した。
「かつてフールーダの側近だった魔術師が残した情報だ。そいつはナザリック地下大墳墓に皇帝たちと共に入ったことがあった。玉座の部屋まで行った時、そいつはあまりの恐ろしさに皇帝さえ見捨てて逃げようとしたが、転移は失敗した。阻害装置があるのだろう。だが、どんな城でも誰も転移できない機構など不便どころか危険だ。回避手段も用意しているはずだ」
そう言い終わると彼の顔には汗が浮かんでいた。ナザリック地下大墳墓の秘密に触れたことによる興奮と恐怖だ。
「あっ、なんだ、そういうことか」
ルルーはほっとした表情をとる。
「裏切り者でも出たのかと思ったじゃん。びびらせないでよ」
「さあ、話せ!それはどんな形状で誰が持っている?お前たちも持っているのか?」
「言うわけないじゃん」
ルルーの馬鹿じゃないのという表情。
「人質を一人殺す!いいな、そこの魔術師!」
スヴェークは短剣を抜き、悲しげな顔をするムツノカミに向かって言った。
「一人の喉を裂く。言いたくないならそこで黙って見ていろ」
子供たちの泣き声が大きくなる。
彼はこの神官に要求が通らないとわかっていた。だが、魔術師の方は可能性がある。村で子供たちと仲良く話すところを見て利用できると彼と仲間たちは判断した。それを卑劣と思うには彼らの過去は貧苦と憎悪に濡れすぎていた。
「はい、救出かんりょー」
ルルーがパンッと手を鳴らした。
「……は?」
神官が突然発した言葉の意味がわからず、彼はきょとんとなった。
「人質、もういないよ」
彼女は指で示す。
嘘だ。視線を誘導している間に何か仕掛ける気だ。彼はまずそう思った。
しかし、子供たちの泣き声が止んでいると耳が告げた。
彼は恐る恐るそちらを向く。
人質は……いない。4人とも消えていた。
「……何をした?いや、いつ動いた?」
スヴェークは不可視化や幻術を使われないよう鬼火の粉末を撒いた。魔法や物理的に警報装置もかけ、転移して急襲してくる場合にも備えていた。その全てを無効化する手段などあるわけがない。そう思いたかった。しかし、現実は目の前にあった。
「理由は教えられません」
さきほどから黙ったままだったムツノカミが口を開いた。
「魔法で仲間に報告されては困りますから」
悲しそうに彼女は言った。
彼は知らない。時間停止魔法が存在することを。ムツノカミが時間停止中に警報装置を解除し、子供たちに条件付きの即死魔法などが使用されていないか確認したことを。魔法はかけられてなかった。あとは時間が動き出す瞬間に魔法を発動させ、子供たちを隔離空間に飲み込んで保護するだけだった。
母親たちに知られず魔法を使うことさえ容易だったのだ。誰も時間攻撃対策をしていないから。
「子供たちに魔法がかかっていないことはわかってます。最後に聞かせてください。魔導国の政策に不満があるのですか?それなら伺います」
彼は作戦が一瞬で崩壊したことを理解するのに数秒かかった。
「……政策に不満?ははは。じゃあ、言おうか。お前たちに国と家族を奪われた。皆を返してくれ」
彼は奇妙な笑い顔で笑った。
「スレイン法国ですか……」
彼女はいくらか予想していたことだった。かつて魔導国と戦って滅んだ国。そこの出身者は決して良い暮らしをしていないと聞く。
「俺の妻も子供も……みんな……死んでしまった」
スヴェークの目が遠い過去を見ていた。
彼女はスレイン法国の滅亡について教えられたことを思い出す。
普通の戦争なら停戦協定や降伏で終わるが、法国との戦争では相手の最大戦力が不明だったため、複数の階層守護者による超位魔法の同時攻撃を首都に行ったのだ。彼らはそれくらいの攻撃に耐えると考え、相手の出方を見るつもりだった。そして……あっさり滅んでしまった。「あんなに脆いと思わなかった」と守護者各員が後に言ったらしい。
首都が消滅したためスレイン法国は統制が取れなくなり、終戦と戦後処理は困難を極めた。各地で民兵によるゲリラ活動が発生し、魔導国もそれらを放置するわけにいかず、悲劇が多く生まれた。
「どこへ行っても迫害された。種族平等を唱える魔導国に槍を向けた悪の組織とな。浮浪者や犯罪者以下の暮らしだった」
彼の家族は戦争で直接死んだわけではない。病気だった。スレイン法国の出身者という理由で神殿に治療を拒否されたのだ。魔導国からお触れが出たわけではなかったが、神殿は報復を恐れて自発的にそうした。三男、次男、長男、そして妻の順番に命の糸が切れてゆく所を見ながら彼の中で真っ黒な何かが生まれた。それから10年以上、彼は自分に近い境遇の者たちと魔導国殲滅を近い、出身を隠して今日まで生きてきた。
昨晩の酒場であまりにも若い神官と魔術師に出会った時、彼は嫌な予感がした。自分の指を治してくれた美しい少女の目に一瞬の嘲笑が見えたから。
「どうやったのかはわからないが……俺はここで終わりらしいな」
彼はすぐに頭を切り替えた。
恐怖はない。家族の下へ行く時が来ただけだ。
「何の情報も得られなかったが、仕方ない。だが、ただでは死なないぞ」
スヴェークの顔が好戦的なものに変わった。
「ここでお前たちも死ねば魔導国にいくらか痛打を浴びせられる」
「はあ?」
ルルーは嘲笑で応じる。
「魔法か飛び道具か知らないけど、勝てると思ってんの?」
「投降しませんか?」
ムツノカミは無駄だと思いつつも聞いた。
「はは、支配の魔法を使われるのはご免だ。ところで、ある呪文を言えば人質は死ぬと言っただろ?あれは全くのハッタリというわけじゃない」
彼の自信ある表情にルルーとムツノカミは嫌なものを感じた。ファイアボール等の魔法やスリングによる投石ではこんな顔にはならない。
「強力な防御魔法をかけているだろうが、これは耐えられるか?起動!」
彼の言葉に魔法の指輪が反応する。
次の瞬間、彼らの部屋に上から数十万トンの岩石が降り注いだ。
合言葉で即死する魔法はD&Dのパワー・ワード・キルを参考にしてます。
隔離空間に飲み込む魔法はトラップ・ザ・ソウルとメイズの魔法を参考に。アウラのワールドアイテムではないです(最初は人質を転移させる展開だったけど通常の転移魔法は相手の同意がないと使えないと知って考えた苦肉の策です……)