「神官様!!」
洞窟の奥が轟音を立てて崩壊するのを見て村長は発狂しかかった。自分の村に潜伏した旧スレイン法国の者が魔導国の調査員を殺害する。もはや自分の首が物理的に飛ぶのは確定したと信じ、村長に選任した人々を心から恨んだ。
母親たちは息子の名を叫びながら必死に崩れた岩を退けようとしているが、どう考えても生存していると思えない。妻や息子にどんな言葉を言い残そうか彼が考えていると後ろから声が聞こえた。
「いやー、こういう手もあるんだね」
「びっくりしたね」
あの神官と魔術師だった。
「し、神官様!ご、ご本人でいらっしゃいますか……?」
村長は幽霊を見たような顔をした。
「いらっしゃいますよ」
ルルーがおどける。
スヴェークの表情からなんとなく危険を感じたので彼の言葉が言い終わる瞬間に再び時間を止め、装備を鑑定すると指輪に土や岩石を柔らかくする魔法がかかっているとムツノカミは気づいた。この部屋を崩落させるつもりだと理解し、二人ともさっさと転移した。それだけだった。
転移する直前、彼女はスヴェークの顔をもう一度見た。死を前にして今までその目に宿っていた憎悪と狂気は抜け落ち、どこか哀しげなものに変わっていた。同情はしない。罪のない子供たちを殺そうとしたのだから。隔離空間に保護することもしない。歯に仕込んだ毒で自殺するだろうから。この洞窟で彼は一人ぼっちで死ぬ。こんな風になりたくないなと思った。
半狂乱の母親たちを外に連れ出し、隔離空間から子供たちを出すと感動の再会となった。親子の嗚咽混じりの感謝を聞きながらも彼女は考えねばならないことがあった。自分たちの正体を見破ったのは誰でどんな方法か。ヨッシュとスヴェークのどちらか。他にまだ仲間がいるのか。
彼女が悩んでいるとルルーがとんでもないことを言った。
「ムーちゃん。私さ、犯人がどうやって私たちの正体に気づいたかわかっちゃった」
「え!?本当に?」
彼女は驚愕するが、経験上ルルーはこういうことで嘘をつかないと知っている。ところどころ抜けた部分があるものの極めて有能な親友である。
「確定したわけじゃないけどね」
えへんと胸を張るルルー。
「まあ、村に戻れば簡単にわかるよ。私が思うに……」
彼女はルルーの推理を聞いた。
それは推測も混ざっているが筋は通っており、事実である可能性が高かった。容疑者に一つの魔法を使えば確定するだろう。しかし、もしそうならこれからとても嫌なものを村で見ることになる。今までで一番嫌な仕事になると彼女は予感した。
村に帰ると村中の人々が出迎えた。
「みんな無事で良かった」
「スヴェークはどうなった?死んだのか?」
「よせよ。あんなやつ死んで当然だ」
「どこも怪我してないか?」
「馬鹿を言うな。神官様がいらっしゃるんだ」
口々に語り合う村人たち。
ビストとヒュリが彼女達の前に来た。
「二人ともありがとう。子供たちが無事で本当に良かった」
「こんな若いのに大したもんだね。さすがは魔導王陛下に仕える子だ。おっと、こんな口の利き方をしちゃまずいかね?」
二人は微笑んで言った。
「ねえ、昼にパイを焼いたんだけど、良かったら食べないかい?お礼にそれくらいしかできなくて申し訳ないけど」
「いえ、それは……」
ムツノカミは断ろうとするが、ヒュリは続ける。
「実を言うと、作りすぎちゃったって理由もあるんだよ。残して腐っちまったら神様に叱られちゃうだろう?」
ムツノカミが考えた言い訳だ。これでは断りにくい。
「言っとくけど、麻痺や睡眠毒は効かないよ」
ルルーがぽつりと言った。
その言葉に周囲の村人たちが会話をやめ、その沈黙が波紋のように広がった。
「……え?なんだって?」
ヒュリが聞き返す。
「ルーちゃんが考えたんです」
ムツノカミが哀しげな顔で語り出した。
「誘拐犯の男は最後に魔法の指輪を使って洞窟を崩落させました。岩石や土を軟化させるドルイド系の魔法です。でも、指輪を使うということは本人はその魔法を使えないという事で、魔法を指輪に帯呪させた仲間がいるはずです。ビストさんはドルイドの魔法が使えるんですね……?」
彼女の言葉に周囲がざわめく。
「おいおい、よしてくれ!俺は確かにそういう魔法を使えるが、スヴェークの仲間なんかじゃない!」
ビストは血相を変えて言った。
「それはヨッシュじゃないのか!?あいつの家から魔術の道具が見つかっただろう!」
「あの人は魔力系魔法詠唱者です」
「じゃあ他に仲間がいるんだろう!とにかく俺じゃない!」
「うちの旦那は犯人じゃないよ!冗談はよしとくれ!」
二人は必死に否定した。村人たちはその剣幕に「濡れ衣じゃないか」と言い始める。
しかし、ムツノカミは続ける。
「これだけなら断定はできません。もう一つ不思議だったことがあります。私たちが来た初日に正体を見抜いた人間がいることです。魔法による透視・透聴は私が気づきますから、会話を物理的に聞いたと思うんです」
彼女はヒュリを見た。
「あの雨の中で私たちの話を聞けたのは貴女か息子さんしかいません。生まれつきの才能か魔法による聴力強化かはわかりませんが」
犯人にドルイドの仲間がいるとわかった時、ルルーはすぐにビストを疑った。もしも彼が犯人の一人なら妻が無関係とは考えにくい。妻も協力者なら自分のように高い聴力を持っているかアイテムか魔法によってそれを強化したのでは。それならあの日、自分が彼らの会話を盗聴したように向こうも自分達の会話を盗聴できる。彼女はそう考えた。
「女房にそんな力はない!全てお前たちの勘違いだ!」
「ほっほー、しぶといねー。じゃあさ……」
ルルーが陰険な狼のような笑みを浮かべた。
「なんであんたたちは歯に毒を仕込んでるの?」
その質問をした途端、二人から表情が抜け落ちた。
「さっき、こっそり毒感知の魔法をかけたけど、二人とも反応が出てるんだよね」
「…………」
夫婦は無表情のまま何も言わなくなった。
村人たちは背筋が凍りついた。悪い噂など立ったことのない夫婦だった。ビストは魔法で作物を病気に罹り難くしてくれたし、ヒュリの作るパイは美味しいと評判だ。子供を誘拐する集団の仲間であるなどといえば誰もが怒るか一笑に付すだろう。
「鼠殺しの毒を持ってて、それが反応したとか?それなら謝ろうかなー」
そんなオチはないと知りながらルルーは聞いた。
「……はあ」
ビストがため息をついた。
「自分がドルイドなどと明かすべきじゃなかったな」
「麻痺毒入りのパイなんて食べやしないと思ってたさ」
ヒュリが続いた。
「それでも一応、毒感知の魔法を使われたら『お酒を入れたせいだよ』と言うつもりだったんだけどね」
「ねー、聞かせてよ。パイで痺れさせた後は私たちをどうする気だったの?」
ルルーが興味を覚えて聞いた。
「地下へ運んで拷問する気だった」
ビストが無表情なまま言った。
「痛めつけるところをお互いに見せればどちらかの心が折れると思ったんだ」
人形のような目がムツノカミを見る。彼女は不気味な視線を受けて一歩下がった。
「うわー、18禁な展開だ」
ルルーは怯えることなどなく、むしろ少し興奮する。
「どんな風に拷問されちゃうの?ムチでビシビシ叩かれたり?」
「そういう体力が要るのは素人のやり方だ。焼いた鉄棒を体に当てたり、爪の間に針を差し込んだりする方が楽なんだ。それに、目の前で仲間を焼いたり嬲ったりするとすごく効く」
「わーお」
ルルーが目をキラキラさせる。
「ビスト、ヒュリ、どうしてお前たちがそんなことを……?」
村長が驚愕と恐怖に包まれながら聞いた。
「貴方達もスレイン法国の出身者なのですよね?」
ムツノカミが悲痛な声で聞いた。
「そうだ。国が崩壊して民兵と魔導国の治安部隊の戦いに巻き込まれた」
「あれ?治安部隊は攻撃してくる者以外には手を出さない仕様じゃなかったっけ?」
ルルーが不思議そうに言った。
「うん。治安部隊のアンデッドはそう命令されていたはず」
ムツノカミもルルーもそう聞かされていた。
「そんなの関係ないのよ!」
ヒュリが叫んだ。
「息子たちはあんたたちの王のせいで死んだ!ライアンもジータも!全部あんたたちのせいだ!」
その目にはスヴェークと同じ狂気と憎悪が輝いていた。
「なんか気になるなー。教えてよ」
そう言うなりルルーの体が霞み、ヒュリの目の前に来ると鳩尾にメイスを叩き付けた。
「貴様!」
ビストは蛮刀を抜くとルルーに斬りかかる。魔法は防がれると判断したのだろう。だが、ルルーがメイスを一振りして蛮刀は弾かれ、もう一振りでビストの巨体が吹き飛んだ。
彼女は呼吸困難になったヒュリの顎を掴み、砕けない程度の力加減を維持する。毒物による自殺を阻止するためだ。そして支配の魔法をかける。
「くそおおおお!」
ビストは口から血を流しながら再びルルーに斬りかかった。彼女はメイスを片手でひょいひょい動かして攻撃を捌く。
「さあ、答えて。あんたの息子たちってなんで死んだの?」
「あの子たちは私たちが密告の容疑で民兵に捕まってる間に病気になりました……」
ヒュリはすらすらと喋った。しかし、その目には憎悪の火が燃えている。魅了と違い、この魔法は相手の意識を奪わないからだ。
「私たちは焼けた棒や針で拷問されて、釈放された時にはもう手遅れでした……」
「えー、それってそいつらのせいじゃん。魔導国のせいにするのはおかしくない?」
ルルーが怒って言った。
「うおおおおお!」
ビストは無意味な攻撃を続けている。
「民兵はみんな死んだので……他に恨む相手がいませんでした……」
「八つ当たりじゃん……。あっ、そうそう。あんたらの家にある空き部屋って何?最初に来た時に聞きそびれちゃって」
ルルーがほんのついでとばかりに聞く。
「表向きは次に生む子供のためですが、実際は村に来た人間を招いて盗聴するためです……。ただ、死んだ息子たちのための部屋でもあります……。あの子達が死んだ時の恨みを忘れないため……」
ヒュリの目から涙が流れた。
「ああ、そっか」
ルルーは納得した。
「ルーちゃん、支配の魔法でそういう秘密を暴くのは良くないよ」
ムツノカミが咎める。
「まあまあ。今回は犯行動機を探るってことで。ところで、あのガキンチョは一人だけ助かったの?よく病気で死ななかったね?」
ルルーはなんとなく浮かんだ疑問を口にした。
「やめろ!もう何も聞くな!」
ビストが叫ぶ。
「あの子は……民兵に孕まされて出来た子です……夫の子じゃありません……」
「くそおおおお!」
ビストは渾身の力で蛮刀を振った。無駄だった。
「あ……」
ルルーが気まずい顔をした。
「な、なんか聞いちゃいけない事を聞いちゃったような……あーごめん!今のなかったことにして。私も聞かなかったことにするから。ね?」
ルルーが茶目っ気たっぷりに謝る。いずれ殺す予定の人間たちに。
「ルーちゃん、もうやめようよ」
ムツノカミは何かに耐えきれず言った。
「あっ、もちろんやめるよ!真面目に仕事しないとね。さて、あんたらに他の仲間はいる?この村とか。他の村にもいるの?」
「仲間は……」
そう言ったヒュリの首に短剣が突き刺さった。赤い噴水が上がる。
「えっ!?」
「あっ!」
ルルーとムツノカミはそちらを見た。酒場の店主が別の短剣を構えている。
二人は自分達の迂闊さを罵った。ビストの家に泊まれと言ったのは誰だったか。
「ビスト、俺たちは終わりだ!最後に意地を見せてやるぞ!」
店主は口内で何かをガチリと噛むとムツノカミに突進する。口と鼻から白い煙を漏らし、数秒後に死ぬ身体で行う突撃だ。この男もまた壮絶な過去を背負っているのだろう。
「ムーちゃん!」
ルルーはそちらに意識が向き、ビストは最初で最後の好機が生まれたと思った。
彼女の首めがけて蛮刀を振り下ろす。だが、それはあっさり避けられ、ひゅっと霞んだメイスが彼のあばら骨を数本へし折った。
ビストをあしらったルルーは俊足で親友の下へ走り、怒りに任せて店主の頭へ武器を振る。スイカが破裂したような光景が生まれた。
「うあああああ!」
村人たちが悲鳴を上げる。
「全員そこを動かないで!!」
ルルーは悲鳴を上回る声で怒鳴った。
「他に仲間がいるか調べるから!動いたやつは殺す!」
彼女は一括すると周囲に気を配りながら親友を見た。
「ムーちゃん、大丈夫?怪我してない?」
「うん……ありがとう。でも、この子がついてるから心配しなくてよかったのに」
影に潜むシャドウデーモンのことだ。
「あー、そうだった……。あっ!生け捕りにするはずだったのに!」
ルルーはビストを見ながらそう言った。彼もまた口から煙を吐き、絶命していた。首を刺された妻と向かい合わせになり、奇妙なことにどちらの顔も穏やかだった。ビストの手が妻の手と重なっている。
ルルーは今度は周囲全体に毒感知の魔法をかけ、誰が口内に毒を持っているか調べた。反応はない。もう彼らの仲間はいないと断定はできないが、彼女は少しだけ警戒を緩める。
「さて、あのガキンチョはどこ行ったんだろ?」
「あの子は本当に仲間なのかな?両親のことを何も知らないのかも」
ムツノカミはそう言ったが、自分でも信じていなかった。
「あいつら、地下室で私らを拷問する気だったんだよ?子供に気づかれないわけないじゃん」
「そう……だよね」
彼女は悲痛な顔をした。寄り添う夫婦の死体を見ながら彼らと始めて会った時の事を思い出す。
その時、ムツノカミは背中がぞわりとした。真後ろから来る殺気。ルルーが接近に気づかないはずがない。そう思いながらもコキュートスによる接近戦の訓練が無意識に彼女の体を動かした。
振り向きざまに異空間から抜刀した武器を振ると金属同士の衝突音が生まれる。
「ムーちゃん!?」
「あなたは……」
二人は見た。闘志と殺意に身を包むトラの姿を。体にはいくつかのマジックアイテムを装備し、憤怒と憎悪に染まった目からは涙が流れ、彼が息を吐く度に頬から落ちた。
「よくも父さんと母さんを……」
誰も知らない。彼が両親から財産とマジックアイテムを託され、村から去れと伝えられたことを。その言いつけを破って両親の元へ戻ったことを。村人が気づかなかったのはマジックアイテムで体を不可視化したためであり、ルルーが音を聞き取れなかったのは足音を消すサイレンスの魔法がかかったブーツのためだった。二人とも不可視化を看破する手段を持っているが、両親の死体と村人に意識が向き、不意打ちを許した自分たちを叱った。
「アンデッドの下僕たちめ!俺が滅ぼしてやる!」
両親の仇を取るため、少年は再び剣を振るった。
「逆恨みしないでよ」
ルルーがメイスを軽く振るってあしらう。ビストが手も足も出ない相手に彼の剣技が通じるはずがなかった。
「よせ、トラ!」
村人たちは止めようとしたが、彼が子供ならざる闘気と膂力を持つため近づけない。
「ねえ、トラ。落ち着いて。あなたは両親に命令されて従ってただけなんでしょう?それなら魔導王陛下もお慈悲を下さるわ。投降して」
ムツノカミは純粋な哀れみと優しさからそう言った。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は誰かに悪事を強制された者の罪までは問わない(例外もあるが)。トラがそう言えば罪を免れるかもしれないと期待した。しかし、逆効果だった。
「俺は誇り高いビスト・ハウル・ワイルダーの息子だ!亡者の慈悲なんているもんか!名誉のない娼婦の子供め!女乞食の子供め!」
村人たちが静かな悲鳴を上げた。
「いや、あんたは実の子じゃ……え?」
ルルーはトラの発言の後半を理解するのに時間がかかった。それはこの地方独特の罵倒であったことと彼女たちにそんな事を言った者が今までいなかったことが理由だった。
「今……何て言った……?」
ルルーの顔から先程までの呆れや苛立ちが消え、虚無の表情になった。
「くたばれ!淫売の子供め!お前らは墓場で死体にまたがる恥知らずの子だ!」
トラは自分の攻撃が一切届かない絶望と憤怒を罵倒に転化したに過ぎない。しかし、それはルルーの危険な箇所に火をつけるのに十分だった。
「てめえええええええええええええ!!」
ルルーの怒気が周囲に満ち、トラも村人も気死しかけた。
「私のお母様を!なんつったあああああ!」
「ルーちゃん、落ち着いて!」
ムツノカミは彼女を止めようとするが無駄だとわかっていた。母をこんな風に侮辱されたことは一度もない。ムツノカミ自身も少年の状況を理解しているが、怒りの感情がないといえば嘘になる。
ルルーはメイスを振り上げる。誰もが酒場の店主のように一瞬で頭を吹き飛ばされる光景を思い浮かべた。しかし、その手は数秒立つとゆっくり下りた。
はあ、はあ、とルルーの荒れた息遣いが響く。
「……さっき、調べたけど、あんたは自殺用の毒持ってないよね?」
「それが……それがなんだ!?」
トラは剣を震わせながら答える。
ルルーから憤怒が消え、代わりに残忍な笑みが現れた。
「そっかー。あんたは仲間の情報を持ってないってことね。でも、そんな事はどうでもいいの。あんたが自殺しないでくれるのが嬉しいの」
「ルーちゃん……」
ムツノカミはルルーが何を始める気なのか理解する。
「どんな風にしよっかなー」
新しい玩具を前にした子供のように笑うルルー。
「母親の死体を食べさせて……その後は母親のゾンビにこいつを齧らせて……」
いひひひひ、と彼女は笑う。
この後の光景は凄惨なものにしかならない。それがわかってるムツノカミは必死に考える。ルルーを止めることは不可能。ならばどうすればいいか。
「ルーちゃん!」
「ん?なーに?」
ルルーは笑顔だが、脳内には残虐非道な拷問手段があれこれと浮かんでるに違いない。
「私が……私が戦う」
「え?」
ルルーは聞き返した。
「私のお母様も侮辱されたんだから。私にも殺す権利があるでしょう?」
「それはそうだけど……でも、ムーちゃんはこういうの苦手でしょ?」
ルルーは困惑する。今まで血を見るような仕事は彼女がやってきた。ムツノカミの持つ巫女という職業は「死体に触れない」というペナルティがあり、これを破ってしまうと能力が一時的に低下するという理由もあるが、それ以上に彼女は殺人が嫌いだった。
「いつまでもルーちゃんに甘えてたら駄目だと思うの。それに、私のお母様を侮辱する人は許さない」
ムツノカミはそう言って前に出た。
彼女はトラの攻撃を防いだ武器、名刀・
この方法しかないと彼女は思う。魔導王陛下と自分たちの母を公然と侮辱した者は生かしておけない。ただ、ルルーにゆっくり嬲られて殺されるよりも一瞬で斬られるほうが楽に死ねるはずだ。だから自分が戦うと言った。それに、ルルーにも言ったが、彼女に甘えすぎていたと思っていたのも事実だ。このまま戦えないならナザリックのお荷物になってしまう。
「う……うああああ!」
トラは再び憎悪と闘志を燃やして切りかかってくる。彼女は一振りで捌いた。
「ううう……」
自分がルルーにもムツノカミにも及ばないと理解し、トラは絶望を味わう。
早く斬るべきだと彼女は思う。戦いを引き伸ばしても彼が苦しむだけ。早く……殺してあげないと。
「ごめんね」
「……え?」
彼女はトラが意味を理解する前に間合いを詰めた。
「はあっ!」
一瞬だった。トラは振り下ろす瞬間さえ見えなかっただろう。
憤怒。悲痛。恐怖。様々な感情が宿る顔に刃が降りてゆく。
ごめんね。彼女はもう一度心の中で言った。
彼は死ぬしかない。魔導国に刃を向けたから。仕方がない。
その時、トラの言葉が頭の中に響いた。
俺は戦士になりたいんだ。
その夢が今消える。明日が。未来が。自分の手によって。
別の男の声が聞こえた。やめなさい、と。
彼女は腕に限界まで力を込め、自分が今まで注いだ負荷を打ち消す。
両腕が悲鳴を上げ、筋繊維がぶちぶちと千切れた。
刃はトラの頭皮に噛み付き、頭蓋骨に触れて止まった。
「あ……うああああ!」
それは奇跡だったにもかかわらず、トラは一瞬で額に刃を当てられた恐怖で取り乱した。
彼は一歩後ろに下がり、自分の剣を振り下ろす。
「ムーちゃん!」
ルルーの声が響くが、彼女は自分がしたことに戸惑い、反応が遅れた。
刃が彼女の首に迫る。
ギンッと硬いものが受け止めた。
「え?」
ムツノカミは後ろを振り返る。
「貴方は優しいわね、ムー」
その女性はそう言って微笑んだ。
「ユリ伯母様……」
ユリ・アルファは剣を受け止めたガントレットを一振りするとムツノカミを押し退け、トラの胸に手の平を当てた。その優しげな微笑と仕草のためにトラは防御や後退を一瞬忘れる。
ドンッと胸を叩くと少年の体が震え、ユリがムツノカミの方に向き直った瞬間、膝から崩れ落ちた。
「ユリ伯母様ー!お久しぶりですー!」
ルルーが満面の笑みで駆け寄った。
「ひさしぶりね、ルルー」
「いつからいらしたんですか?」
「貴方達が馬をやられたと報告した後からよ。二人の働きぶりを見せてもらったわ」
「ひえー、全然気づきませんでした……。え?あの後から?」
ルルーの顔に暗いものが差した。
「あ……えーと、その、ということはアレも見てたりします?」
ルルーは森の中で好奇心に負けた時のことを思い出す。
「ええ、アレも見てたわ。そのことは帰ってからゆっくり話しましょう」
ユリはそう言って目を細めた。
「ひいいいい」
ルルーは頭を抱えたが、ちらりと倒れた少年を見る。
「そういえば……あれって?」
「死んでるわ。激震掌という即死スキルよ」
ユリは微笑のまま言った。ナザリックの戦闘メイド、ユリ・アルファは心優しいが公私混同はしない。自分の職務を果たしただけだった。
「ユリ伯母様……私……」
ムツノカミは後悔に満ちた声を出す。
「いいのよ。小さい命は消えたら戻らないと貴方は知っているものね。それは大切なこと。ただ、時と場合を選ばないといけないだけよ。これからゆっくり学んでいけばいいわ」
ユリは優しく言った。
彼女は思った。
ユリ伯母様、どうしてそんなに嬉しそうなお顔をされるの。私は敵を斬れなかったのに。
「あ……あの……」
遠巻きに見ていた村人たちが近づき、村長が声をかけた。
「あら、皆様。申し遅れました。私はユリ・アルファと申します」
ユリが自己紹介をした。上品な仕草と美貌に村人たちは恍惚となる。先程まで殺戮があってなお見惚れる。それほどの美貌なのだ。
ユリは今後の措置について説明し始める(隠密に優れた者を多数送り込んで村中を監視する予定であることは伏せて)。ユリとルルーが村人たちと話している最中、ムツノカミはトラの死体の前に来た。
「……ごめんね」
彼女はまた言った。
そして死体に触れないようハンカチを使って彼の目を閉じた。
彼女は立ち上がり、ユリの方へ数歩進む。その時、「う」という声を聞いた。
気のせいかと思ったが彼女は念のため振り向く。
トラの憎悪の目がこちらを見ていた。
誰も知らなかった。トラが持つマジックアイテムの中に死者をゾンビにして蘇らせるアニメイト・デッドの効果を持つものがあったことを。今、所有者が死んだことで魔法が発動したことを。
予想もしない出来事にユリもルルーも反応が遅れた。シャドウデーモンもだ。
「ギイイイイイイ!」
光のない瞳がムツノカミの顔を映し、ゾンビは彼女に飛び掛かった。本来なら動作の鈍いゾンビが素早かったのは生前の鍛錬の成果だろうか。
彼女は思う。
噛まれる。嫌だ。失望される。みんなに。お母様に。
その瞬間、世界に光が一筋生まれた。名刀・
トラだったものは縦に両断され、衝撃で左右に吹き飛ぶ。
それどころか刃が生んだ斬撃はそのまま先の家屋も両断した。
「ムー!」
「ムーちゃん!大丈夫!?」
ルルーは両断されてなおもがくゾンビをおらおらとメイスで粉砕する。
ユリが彼女に駆け寄る。
「ムー、大丈夫?」
「私は……」
彼女は血に濡れた刀を見る。
「ちゃんとできたよね?」
「え?」
「私もちゃんと戦えたよね?よかった!」
ムツノカミは花のように笑った。
これで失望されなくて済む。みんなと一緒に戦える。魔導王陛下のために。お母様のために。
「うん、ばっちりだね!死体だったけどすぐに生きてる奴も斬れるって」
死体を粉砕し終えたルルーがそう言い、両断された家を見て「すっげー」とつぶやく。
「……ええ、そうね。素晴らしいわ。本当に素晴らしい」
ユリは優しい声で言った。
彼女は思う。
ユリ伯母様、どうしてそんなに悲しそうなお顔をされるの。私は敵を斬れたのに。
世界にはまだまだわからない事があるのだなと彼女は思った。
「ルルーに関しては問題ないと思います」
ユリ・アルファは言った。場所はナザリック地下第9階層である。
「しかし、ムツノカミは人間にかなり友好的で、非情に徹しきれないところがあります。今回のようにその性格を利用される危険があるかと」
「なるほど。それは問題ですね」
穏やかな声の主は炎獄の造物主、デミウルゴスである。
「強さはルルー以上であるにも関わらず、情に振り回されるとは困ったものだ」
その言葉は決してユリに向けられたものではないが、彼女は幻想の棘がちくりと刺さるのを感じた。
「彼女は父親の性格が濃く出たのでしょうかね……。戦力強化に良いかと思って"あれ"を使いましたが、これ以上個体を増やすのは危険と考えるべきでしょう。ああ、そこの君」
デミウルゴスは隊列を組んで巡回する種族混成部隊の一体、デスナイトに呼びかけた。
「第5階層の氷結牢獄へ行き、44番の囚人を処分してくれ。死体はあとで有効活用するから私の部屋へ運ぶように」
デスナイトは一礼すると歩き出した。
「おや?どうかしましたか?」
「いいえ、何も……」
デミウルゴスの行動にユリは何も言えなかった。何もかもナザリックのためにやっているのだから。
しかし、思うところもある。魔導国内の不穏分子を狩る。それはいい。スレイン法国の残党を狩る。それもいい。だが、よりにもよってルルーとムツノカミがスレイン法国の残党を狩るのはとても残酷なことでは。そんなことを何度か言おうとしたができなかった。当人たちが何も知らない限り問題はない。これは個人的な感傷。単なるわがままだ。
「あ、デミウルゴス様だ!」
話題にした少女らがやってきた。
すれ違うデスナイトを一瞬見たが、すぐに二人のところへ駆け寄る。といっても走ることが相応しい場所ではないので早歩きするだけだ。
「お久しぶりです、デミウルゴス様」
少女らは同時にそう言い、一礼する。
「二人とも、任務ご苦労様でした。ん?」
デミウルゴスはルルーの横の何もない空間を見る。
「どうかなさいましたか、デミウルゴス様?」
ルルーが不思議そうに言う。
「いいえ、何でもありません」
デミウルゴスはやれやれという顔をし、ユリは申し訳ありませんと呟いた。二人は意味がわからなかった。
「久しぶりのナザリックはどうですか?」
「最高です!外は汚いし、貧乏っちいし、人間ばかりだし」
「私は外がそこまで汚いと思いませんが、改めて帰ってくるとやっぱりここは凄い所だと実感します」
ルルーは元気よく、ムツノカミは丁寧に言った。
「全くその通りです。ここより素晴らしい場所など世界のどこにもありません」
デミウルゴスは嬉しそうに言った。
「十分に疲れをとってください。入浴施設にでも入ってきてはどうですか?」
「あっ、今からアインズ様にご報告をしに行くので……でも、それいいですね!ムーちゃん、あとで背中流しっこしよー」
「うん!」
二人はそう言って微笑んだ。
「それでは、私はこれで」
デミウルゴスはそう言って立ち去った。
「くー、かっこいいよね、デミウルゴス様って」
デミウルゴスの姿勢のよい歩き方を見ながらルルーが言った。
「うん、すごく大人の雰囲気があると思う」
ムツノカミも認める。
「そうね」
ユリは無機質に言った。
「そうだ、ユリ伯母様、お母様見ませんでした?部屋にいなかったんですけど」
「ああ、あの子ね。どこにいるかというと……はあ!」
「げふっ!」
ユリは突然ルルーの横の空間にボディブローを食らわせると、お腹を抱えてうずくまる一人の姿が浮かび上がった。
「ユリ姉……酷い……」
「お母様、そこにいたの!?」
「いつからそこにいらしたのですか?」
ルルーとムツノカミが驚く。
「二人にずっとついてきてたのよ。いい加減そういうのはやめてほしいわね。子供じゃないんだから」
ユリが呆れて言った。
「お母様の不可視化ってすごいなあ。私にも見えないんだもん。あっ、お母様!あとで一緒にお風呂入ろう!」
「痛つつつ……え?別にいいけど」
お腹を擦りながらルルーの母は言った。
「お母様に聞きたいことがあるの。恋人同士ってさ、その、普通と違うやり方もあるの?」
「へ?何それ?」
「えっと、つまり、普通と違う場所っていうか……ああもう!詳しくはお風呂で話すね!」
ルルーが楽しそうに話す所を見てムツノカミは羨ましいと思った。自分の母は領域守護者のため自由に動き回れる立場ではできない。ああやって一緒にお風呂に行けたらいいのに。
彼女の想いを察したのか、ユリはこう言った。
「ムーもお母さんと一緒に入浴できるようアインズ様に頼んでみれば?」
「え?そ、そんな畏れ多いことはできません!」
魔導王陛下にそんな願いをするなど許されないことだと彼女は思った。
「任務を果たしたのだからどんな褒美が欲しいかアインズ様はお聞きになるはずよ。あの子も第8階層から絶対に出られないわけではないし、貴方が思うほど難しい願いではないわ」
「そ……そうですか?」
彼女に希望が湧いてきた。ユリ・アルファが保証するなら願いを口にしてもよいかもしれない。
「それじゃ、皆でアインズ様の下まで行きましょう」
「はい」
「はーい。お母様も行こ」
「え?私も行くんすか?まいっか」
ムツノカミは仲間と共に赤い絨毯の上を歩き出す。
ライトメイト村では色々とあったが、任務はひとまず完了したし、もしかしたら母とお風呂に入れるかもしれない。これはとても素敵なことだと彼女は思う。任務を果たすたびにこんな素敵なことが起きるなら外の世界で何が起きようと頑張れると思った。
ムツノカミが少年を斬ろうとした時に聞こえた声はあれから二度と聞こえなくなった。その後、少女らは一つの村の哀れな復讐者たちのことをしばらく覚えていたが、やがて記憶は薄れ、ついには忘れてしまった。
ライトメイト村の村人たちもしばらく復讐に身を捧げた者たちのことを話題にしたが、すぐに日々の労働と収穫祭に関心は移った。
少女らにとっても村人にとっても大切なことは過去ではなく今と未来のことだったからだ。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
ユリの激震掌はD&Dのモンクのスキルを使いました。巫女が死体に触れないってのはD&Dの巫女にそういう禁忌があったので使ってみました(お風呂に入れないという禁忌もあったのですが、可哀想なので無視!まあ、本拠地ならお風呂に入ってもいいんじゃない?)
"彼女"の完全不可視化は普通の看破方法で見破れないってのは勝手な想像です。でないとドッキリ作戦できないんだもの……。
話のつじつまやキャラの論理性合理性に頭を悩ませて「ふええええん」となりましたが、今の私にはこれが精一杯です!
ちなみにカクヨムでも同じハンドル名で小説をいくつかあげてます。むこうの二次小説は「オーバーロード」の設定を壊さない範囲の話をあげてるつもりですが(一つだけ例外)、こっちはガン無視で書きました。スレイン法国どうなるんでしょうね?
原作は1ヵ月後に11巻が発売される予定で今から楽しみです!では!