GURPSなのとら   作:春の七草

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第十話『損壊』

序、

 兎にも角にも、死にたくなければ行動する必要があろう。

 

 取るべき戦術、成すべき行動、その成功率、或いは失敗した場合のフォローの方策などについて明確に策定する。更には現状までの敵手の動きから、ある程度相手の行動についても予測を立てる。

 半秒にも満たぬうちに、常人であれば1時間近くはかかるであろう思考を済ませてみせ―――――

 

 

 

 ―――――動いた。

 総重量12.5kgの矮躯(なに、軽すぎる? 当然だ。エロゲヒロインの妹が現実的な体重であるわけがないのである)が、訓練された軍人並み。いや、或いはそれ以上の素早さと精密さで間髪入れずに後ろへと跳ぶ。

 同時に、小人さんも動いた。僕を半包囲しつつ近づいていた小人さんの群れが、わっとばかりに襲いかかってきたのだ。

 

 先に攻撃が飛んでくるのは、“想定通り”左側の相手からだ。彼らの手には、どこから取り出したのやら。彼らの体格に見合った棍棒が握られている。大きさは精々キングバトルえんぴつ程度のものに過ぎないが、金属製のようだ。大人ならともかく、僕がアレで殴られればただでは済むまい。

 が、少なくとも今回ばかりはその威力を気にする必要はない。幼子を撲殺せんと振るわれた小人さんたちの棍棒は、対応して更に跳ね飛んだ僕が“運よく”姿勢を崩したことで空振りする。

 

 正面の集団。即ち貴人の小人さんが率いる集団については、そもそもこの時点では接近して来ることさえなかった。後ろに跳んで壁際、襖の前までたどり着いた僕が。目を向けることなく、どこにあるのかと位置確認さえせずに引っぺがした掛け軸を、彼らに向かって正確無比の投擲術でもって投げつけたからである。不安定な形であるにも拘らず狙い通りに飛翔したそれは、貴人率いる小人さん群へと覆いかぶさるように落着する。当然のこととして、貴人率いる小人さんたちの移動は大いに疎外され、狙い通りの場所に行くまでに時間をかける羽目となった。掛け軸は即席のネット……では言い過ぎであるが、簡易的な障害物替わりとでも言うべきものとして機能したのである。

 小人さんたちの移動速度はひどくゆっくりとしている。彼らが小柄であることを勘案してもちょっと不可思議なレベルで、だ。現状、彼らが落ちてきた掛け軸を払いのけ、或いは迂回して僕に接近するためには、件の小怪異達が実は現在の倍の速度で動けたとしても2秒はかかる。

 

 現状における僕の目標はこの1秒間、生き残ることだ。

 とにかくこの1秒を凌げれば、次の1秒で僕は襖を開けて部屋の外へと逃げだせるのだ。詰まる所今この場では、彼ら正面の小人さん群は無力化されたも同然ということだ。

 

 最後の一群。右側から僕に迫る小人さんの一群については、そもそも攻撃が来ることは無かった。当然である。

 何故なら僕は最初に跳び、更に左翼の小人さん群の攻撃を避けるためにもう一度跳んだことによって、彼ら右翼の小人さん群の斜め後ろに着地しているからである。彼らが旋回し、こちらを攻撃可能な位置まで接近するのに必要な時間は、僕が襖を開けて出ていくまでの時間よりも長い。彼らもまた、この瞬間は無力化されているのだ。

 

 

 

 総括するなれば。

 僕は戦うと決めたその次の、1秒未満の間に。

 常人であればそもそも視界が無に近い暗闇の中、この身長103cm(五歳児としてはちょっと小柄だ)の身体で。

 1メートル後方に撥ね飛びつつ後方の掛け軸を見もしないまま手に取り、更には空気抵抗の大きなそれを正確無比に相手に投げつけ。それと同時にもう一度1メートル、今度は別方向に飛びずさりつつ怪異の攻撃を回避し。挙句の果てに位置取りによって敵勢力の3分の1がこの瞬間攻撃不能な位置であり、1秒後には部屋を離脱できる位置でもある場所にたどり着いたということである。

 通常人間には不可能であるか、著しく困難な行動である。

 

 ちょっと待て、お前はのろ臭く不器用で非力な小娘ではなかったのか。何故そんな超人的ともいえる行動をとれるのか、と思うかもしれない。無論、それは正当な感覚から導き出される感想だ。何も間違ってはいない。

 が、僕はただの貧弱な小娘ではない。魔法が使えるとか、退魔師の眷属であるとか、そういった“この世界でのプロフィール”以前の問題として、僕は“GURPSのキャラクターとしてデザインされて”おり。

 

 

 

 

 

 そうであるがゆえに、物理法則ではなく“GURPSのルール”に則って活動することができるのだ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第十話『損壊』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 TRPGのルールはたいていの場合、ある程度現実的な理屈を再現できるようにデザインされている。

 例えば力持ちで一撃で人間を殴り殺せるほどの腕力を持った大男であれば、通常よりも重いものを持ち上げることができる。足の速いキャラクターは、そうでないキャラクターよりも高く飛び上がることができる。湿った軟泥を掘るのと、硬い岩盤を掘るのではその掘削速度には大きな違いが出る。現実では勿論、TRPGのルールにおいてもその辺りは変わらない。

 当然のことだろう。TRPGは人間同士が話し合い、互いに想像の光景を共有して進めていく遊びなのだ。発生する事態があまりに現実と乖離していては、遊び手がゲーム上の光景を共有することが困難になり、ひいては遊ぶことそのものが難しくなってしまう。

 狙ってやっているならばともかく、普通に作った金剛力の持ち主たるキャラクターが。相手を一撃で撲殺することはできてもフライパンひとつ持ち上げられないというルールでは、遊び手全員の共感を得ることは難しかろう。GURPSのみならず、どんなTRPGのルールであっても。ある程度物理法則に即したルールが存在するのは当然である。無論、物理法則のみならず、社会的な行動や、人々の精神活動についても同様である。

 ……まあ、TRPGのルールにも色々あるので一概にそうだとは言えないのだけれど。現実的な諸々の法則に即したルールの存在するTRPGが多数あるのは本当のことだ。

 

 とはいえ、TRPGがゲームである以上、現実の物理法則そのままをルールとして持ち込むことは不可能である。キャラクターが高所から落下するたびに等加速直線運動の公式どころか、空気抵抗や重力定数まで持ち出さねばならぬゲームを誰がやりたいというのか。ゲームとして遊ぶならば、現実的な物理法則はプレイ可能な状態まで簡略化され、デフォルメされる必要がある。

 が、デフォルメするということは現実に起こる現象の幾つかを無視するということであり。つまるところTRPG世界においては現実世界では起こりえないシュールな事態が物理的にも、社会的にも往々にして起こりうるということになる。

 

 例えばあるファンタジー世界において同郷の幼馴染同士が会話をする場合、5割近い確率で話が通じないとか。有名な剣と魔法の世界でも、長さ15cmの槍(……槍?)で30cm突撃(……突撃?)すると通常の倍の筋力をでもってダメージを与えられるとか。或いは某スペースオペラ世界においては、人類の限界の筋力があれば、216回に1回くらいはパンチの一撃で宇宙駆逐艦を小破させられるとか。

 とにかく、TRPGのルールにおいては現実的にはあり得ない、ゲームであるが故の奇妙な事態というのが存在するものなのだ。

 

 先ほどの僕の動きについても理屈は同じだ。

 後方へステップを踏むとか、或いは回避に際して僅かに後ろに下がるとか。そういったさしたる距離の移動ではない、しかし戦闘中に頻発する行動について、一々細かい距離を算出していてはゲームが進まない。ためにGURPSのルールは幾つかの移動を伴う戦闘中のオプションについて、最低値を定めている。僕が利用したのはそれである。

 ゲームにおけるヘクス上での話ならば、詰まる所1マス動く程度の動きであるのだが。小柄な幼女が現実に同じ動きをする場合、とんでもない反射神経と運動能力を発揮して飛び跳ねていることになるのだ。

 

 無論、僕が運用したルールはそれだけではない。

 ステップを行う場合、自身の向き変更が無制限であること。行動判定値が低く成功が見込めない場合でも、ファンブル値を減らすために行動値にボーナスを得るという手法。以前折り鶴を折るときにも吟味した、疲労点を消費しての行動成功率の上昇。CPを消費して強引に確率を弄るやり口。選択ルールである戦闘時の小細工が基本的に知力判定であるということ。etc. etc. . . . . .

 

 使えるルール、費やせるリソースをすべて注ぎ込み。実際のTRPGのセッションでやるには聊かどころではなくお行儀の悪いルールの悪用をしてみせ。ゲームであればマップ上の僕と敵の駒を俯瞰してのものになるであろう、ゲームマスターがうんざりするほどの長考を行い。その果てに完成したのが前述の1秒未満における行動なのだ。

 

 支払った代償も大きい。僕はこの一連の行動を成立させるために、CPを1点失っている。大雑把にいってしまえば、MPでもHPでもゴールドでもなく、EXPを永久的に消費したのだ。無論、EXPはケアルやエルフの飲み薬で回復したりはしない。

 この1点は十六夜さんとの記憶術の学習で得た……そして必要な額に足りないため未使用CP欄にプールされていた……ものであり、即ち盲目の刀精さんの授業を200時間ばかり受けたがゆえに得られたものである。勿論のこと、そんな値を消費した以上、僕の頭の中から記憶術に関する記憶は半分ばかり消え去っている。絶賛工事中であった記憶の宮殿は木端微塵に爆砕されてしまい、煙を上げる基礎が残るばかりと相成ったのである。記憶術の習得については大いに後退してしまったということだ。生死を分ける行動を成功させるためとはいえ、たった一瞬のために地道に毎日一日一時間、7ヶ月近い月日続けていた努力が消滅するというのは随分な話である。

 更に言うなれば、CPを消費して強引に“成功を購入する“この方策。1度使うとそのセッション中では二度と使用できないものである。現実の人間の一生の中で、どのあたりからどのあたりが1つのセッションとなるのかは分からないが。少なくとも小人さんとの戦いがひと段落するまでは使えないとみておくべきだろう。

 つまるところ。先ほどやって見せた回避行動はこの危地にあってはただ一度きりの物であり。もう一度同じ事態に遭遇すれば今度はやられるしかない、とっておきの切り札にすぎないのである。

 

 

 

 しかしまあ、ともかく。

 当面の難関は乗り切ったと言っていいだろう。三つの勢力に分かれた小人さんはそれぞれ攻撃済み、障害物に引っ掛かる、位置の都合上攻撃不能となっており、今この1秒の間に攻撃可能な者はいない。次の1秒後には僕は部屋の外に出るので、彼らは僕を追いかけつつ攻撃しなければいけない。当然、激しく移動しながらの攻撃は、狭い部屋での乱闘よりも著しく命中率が下がる。更には子供程度の大きさでも問題にならない襖の敷居は、彼らの体長では随分な障害物となる。それらを勘案すれば、彼らが現実的な命中率で僕を殴れるようになるまでには数秒の時間が必要となるだろう。先ほど動き始める瞬間に、大声で姉さんに助けを求めておいたし、うまくすれば無傷で姉さんと合流することだってできるかもしれない。

 無論姉さんと合流できたところで現状が危地であることに変わりはないのだが。それでも一応戦闘能力を持った味方と一緒にいられるというのは重要なことだ。

 

 はははっ、やれるじゃないか! やれる、やれるぞ―――――

 

 実にTRPGの高知力プレイヤーキャラクターらしい、インチキじみた超高速思考の中、内心そう笑って見せる。

 が、どこぞの縦長テロリストの真似なぞしてみたのがいけなかったのか。想定外の事態が発生する。

 

 

 

 「がんばれー、がんばれー。びょうきがんばれー」

 

 

 

 貴人の小人さんの指揮で唱和しつつ。すでにこの一秒の間では方向転換が間に合わず、攻撃できないはずの“右側の小人さん群”が突如加速し、驚くべきスピードでこちらに突っ込んできたのだ。決して目に捕えられないような所謂“超スピード”ではない。が、明らかに先ほどまでとは段違いの、今までの動きからは想像もできない素早い動きである。無論、今までの“倍の速度”で動く可能性程度を想定していたところで対応できるわけもない。

 

 ちょっと待て、おかしいだろう―――――

 

 内心そう毒づく。

 そんなスピードで動けるのなら、何故今までゆっくり近づいていたのだ。素直にそのスピードで三方から襲いかかっていればとっくに僕を殺せているではないか。或いはそれが何らかの理由でできなかったにせよ、そのスピードの半分でも出していれば、僕を半包囲ではなく完全に包囲できていただろう。それをやられても、やっぱり僕は詰んでいた。

 そも、僕が動き始めた時点でそのスピードを出していれば、僕の“この瞬間攻撃されない位置に移動する”という絢爛舞踏モドキの戦法そのものが成立しなかったはずだ。

 スペックを誤魔化したい何らかの事情があったのか?

 いや、それもおかしい。だったらなぜ今になってスペックを誤魔化すのをやめたというのか。

 僕の行動が何らかのトリガーとなり、彼らの素早く動くという能力が解禁された? 例えば僕が素早く動いて攻撃を回避したから、連中も素早く動けるようになった、とか。

 ……それもないだろう。だったら僕が動いた最初の瞬間から、彼らは素早く動けたはずだ。何故このタイミングで? 何故今までゆっくり動いていた?

 そしてなによりも。

 

 

 

 何故、残りの二つの小人さん群は今まで通りのスピードでしか動いていないのだ?

 

 

 

 三つある集団のうちの一つだけ。それもリーダーらしき輩のいない一集団だけが、いったいどうしてスピードを上げて見せたのか。理由がさっぱり見えてこない。

 

 何故、どうして、状況から推測を、周囲を、敵手を観察して、情報を。思考して、試行して、技能と能力を吟味して―――――

 

 今まで以上のスピードで伍長閣下の五歩先を誇る知性が全力で回転し、想定外の事態に理由づけをしようと火花を散らす。が、そうしている間にも金属棒で武装した小人さんの群れは迫ってくる。

 もはやどうしようもない。僕の回避率が低すぎ、確率を捻じ曲げる方策を使い切っている以上。避けようと試みることさえ無駄な危険を増やす公算が大きいのだ。どうしろと。

 いかん、詰んだか。

 

 回避、よけ、無理。止め、できない。受け、成功率ゼロ。ダメージ軽減、方策がない。嫌だ、死ぬ、怖い、痛そう、姉さん、助けて、姉さん。ああ、手が、金属棒が。小人さんが、小さな手が―――――

 

 振りぬかれる小人さんの達の金属棒がひどくゆっくりと見える。高速思考の弊害である。どこぞの黄金体験 に殴られたが如く、不可避の死の恐怖がゆっくりと、回避不能なまま襲い掛かってくるのを只々見ているしかないのだ。今の僕は手塚治虫の描いた、眼帯についた薬を舐めるナチ将校の気持ちだって理解できるだろう。何十、何百、何千倍にも引き延ばされた時間の中、只々避けえぬ破局の迫るさまを傍観するしかないのだ。

 

 そう、もはや僕に出来ることは何もない。

 既に切り札は切ってしまっているのだ。無論素の能力で対応することは可能であるが。この低スペックの体でいったいどうしろというのか。できることなど精々、小人さんの放った攻撃のダメージ決定ダイスが振るわないことを、さっぱり僕の味方をしてくれないダイスの女神様に祈る程度である。

 超スピードではあっても何の役に立たない、思考の羅列が濁流のように脳内を流れるのを感じつつ。その思考速度ゆえに、ゆっくりと、しかし確実に迫りくるる小人さんたちの棍棒を視界に入れ。

 

 

 

 

 

 凄まじい衝撃を右腕に感じて、僕の意識はぶつりと切れた。

 

 

 

 

 

二、

 「……な、ま……、…………っ!」

 

 胸の中央、心臓のあたりに暖かい光を感じ、僕の意識はまるでフィルムの逆回しを髣髴とさせる奇妙な過程を持って、真っ暗闇から引き揚げられた。宵闇色の霧が立ち込めた思考の中、ぼんやりと耳朶を打つ波に意識を向ける。

 

 波とは声であるようだ。耳朶を、鼓膜を打つ、弱く悲痛な漣である。

 甲高く、柔らかい。未だ使い慣れていない、未成熟な声。

 幼子が、悲嘆と焦燥をありありとこめた声音と調子でもって、何かを叫んでいる。

 ひどく切迫した様子だ。なにか差し迫った事情があって叫んでいるのだろう。

 

 「ま…………、……いな、……い……っ!」

 

 何度も叫ぶその声色は悲鳴のようなありさまだ。余程のっぴきならぬ、差し迫った事情があって、その細く頼りない喉を震わせることとなっているのだろう。ご同情申し上げる。しかし、僕に関係のあることなのか。

 

 「……いな、ま……な、まい……っ!」

 

 何か、何か……抑揚からして人名か。幼女は誰かの名を呼んでいるらしい。片手には木刀。武装した幼女とは、いやはや。マッポー的アトモスフィアとはまさにこのことか。

 しかし件の名前は一体誰のものであろうか。その名には聞き覚えがある。かなり近しい人物であったと記憶しているが。

 いや、いや、待て。

 そもそも。この声に聴き覚えがある。はて、誰であったか。姉さんの声にそっくりなのはわかるが、三十路まで幾ばくも無いこの僕に姉などいなかったような……。

 ん? 姉? ねえさん!? 姉さん!!

 

 ―――――薫姉さん!?

 

 「まい……わひゃっ!」

 

 跳ね起きた途端、視界に星が散る。額に、頭部に、脳に感じる衝撃。神経パルスの明滅の中、ひどく暗い屋内を背景に、目じりに涙をためた姉さんの顔が視界に映る。どうも慌てて起き上がったせいで、顔を近づけていた姉さんにヘッドバッドをかます羽目となったようである。額に作った擦り傷らしき場所にぶつかったのも、彼女のダメージをより大きくしているのだろう。

 

 怪異に襲われ孤立無援の中、気絶する幼い少女と、それに必死に呼びかける、さして年の変わらぬ幼子。

 ひどくシリアスな場面と言えようが、事態の一部が解決した結果が双方額を抑えて蹲る様であっては、聊か喜劇的に過ぎるオチとなったと言わざるを得ないだろう。

 もっとも額を赤くした二人のうち一方の事態を鑑みれば、いるのかどうかわからない(どこぞのヒーリング・ファクター持ちでもあるまいし、僕は第四の壁を突破しているわけではない)観測者の皆様方も、笑ってばかりはいられないのだろうけど。

 

 ごちんと額をぶつけ、反射的に両手を額へと上げようとしたところで愕然とする。

 右腕が、先ほど小人さんの一撃を受けた右のかいなが動かない。

 視界を向ければ、息をのむ事態がそこに展開されていた。……実際には、人類最高2歩手前の意志力が発揮されて、息をのむどころか表情筋の一本も動かさずにその光景を見ることになったのだけれど。まあ、それはともかく。

 

 

 

 血まみれの僕の右腕の内側から皮膚を突き破り。朱色の液体に濡れてら光る、白い棒が突き出ている。

 

 

 

 白い棒とは言うまでもない、僕の腕の骨だ。

 小人さんの一撃を受けた僕の右腕はあっさりと骨折し、脆弱極まりない筋肉と皮膚は内側でへし折れた固形物をそのまま内部に押し込めておくことができなかったということだ。結果として僕は現在、内側から突き破って出てきた腕の骨が、引き裂いた皮膚の中から盛大に顔を出している様をまざまざと見せつけられることとなっているわけである。所謂開放骨折というやつか。ここまで派手なものは珍しいと思うけれど。

 小人さんの打撃力が貧弱な僕を一撃死させることさえできないほど貧弱だったのか。それとも“GURPSのルール的に”攻撃が腕に命中したがゆえに、僕が受けるダメージにキャップが被せられたのか。その何れであるかは定かでないが。ともかく小人さんの攻撃は僕の腕を“使用不能”にすることはできても僕自身を殺すことはできなかったらしい。直撃したところが腕であったのが僥倖ということだ。胴体に当たっていたら、恐らく多分僕は今頃死んでいただろう。

 

 当然のこととして、右手は動かない。

 現実的な話をするなれば。小人さんの打撃か、その後の骨が内側から突き出る衝撃がためかは定かでないが。その何れかが重要な筋の幾本かを引きちぎったということであろう。

 幸運なことに、神経は綺麗に避けて行ったらしく、感覚はそのものは生きている。肘のあたりから指の先まで感覚はしっかり残っており、気絶して目が覚めたばかりというのでもない限り、己が腕の損傷の具合について、一々視認しなくても確認できるということだ。実に結構なことである。

 が、禍福は糾える縄のごとし。この“感覚が残っている”という事実は別の厄介ごとを誘発させている。当たり前といえば当たり前だが、骨が内部から外へと突き出るレベルの怪我をしているにも拘らず感覚が残っているということは、即ちとてつもなく“痛い”のだ。

 

 当然である。骨が折れている、皮膚が裂かれているのは勿論。へし折れた骨が内部から外部につき出るまでに前腕部内部を無茶苦茶に引きちぎっているのだ。破壊された組織の各部からはこれでもかというほどの発痛物質が放たれ、神経から視床下部、脳へと進む強烈な痛みの神経信号となって僕の精神を稲妻のように焼き尽くしている。奔流のように放たれた“痛い”という信号の嵐は尋常一様のものではない。四六時中病に倒れ死にかける僕としても、このあまりにも直截的な痛苦は鮮烈であった。“生前の”僕ならば口から泡を吹いてのた打ち回り、(そんな元気があるならば)泣きわめき、浅ましくあちこちから体液を垂れ流し、みっともなく悲鳴を上げていたことだろう。

 無論、馬鹿げたレベルの意志力が賦与されている“今生の”僕としては、意識すれば眉をしかめる必要さえ無いのだけれど。“痛みに強い”の特徴がなくとも、この程度のやせ我慢は当然のようにできるらしい。

 

 ともかく、このままでは血液の流出でまた意識を失ってしまう。治療する必要があろう。

 慣れた手順で、《小治癒》の呪文をもって傷を塞ぐ。光も音もなく、ただ瞬時に肉が、皮膚がずるりと伸び、引き裂かれた肉を、失われた血液を、破れた皮膚を修復する。

 一秒と経たぬうちに、血まみれで複数個所から肉どころか骨さえ見えていた僕の腕は、きれいな肌と白い骨を見せるおかしなオブジェへと変化する。腕がへし折れたまま、骨が外に顔を出したまま、ただ“怪我だけが”修復されたのだ。傷は癒えたが、相変わらず腕はおかしな方向を向いているし、骨は皮膚を突き破って露出したままだ。突き出た骨の“根本”にうっすらと健康な皮膚が張り付いているのが不気味である。

 GURPSのルールにおいて、HPを回復させることと使用不能となった四肢を再び使えるようにすることが別であることがこの現象の理由であろう。少なくとも今回の場合は、傷を癒すことと、へし折れた骨を修復することは別の問題なのだ。四肢の骨折を瞬時に治すには《瞬間接合》の呪文が必要だが、生憎習得していない。まあ、習得していたところで必要なエネルギーを賄えない(所謂”MPが足りない”状態)のでどのみち使えなかっただろうけれど。

 

 更に言うなれば、ここまでおかしな治し方をしてしまうと《瞬間接合》でも、そして勿論通常の医学でも、修復は不可能だ。

 何せこの状況、骨の折れた状態もまた“治っては”いるのだ。即ち折れた骨が間違った状態で繋ぎ直され、その状態で安定化してしまっているのである。“やぶ医者におかしな骨接ぎをされた結果、永続的に骨格が歪んでしまった“という状況の、更に酷いもと思えば間違いない。即ち僕の右腕は現実的な手法を見ても、僕の”手持ちの“呪文を鑑みても、治療手段の存在しない永続的な使用不能状態となったということだ。腕の内側から骨が突き出るような明白な解放骨折を、骨接ぎもせずに自然治癒させたのと同じ状況であるのだから当然である。

 無論GURPSの呪文すべてを総括してみるなれば、やりようがないわけではない。が、ここまで面倒なことになると。その治療には僕の魔術的素養をもってしても複数の、そして高度な呪文の運用が必要となってくる。

 

 そんな面倒な事態になるなら治癒呪文などかけるなと思うかもしれないが、そういうわけにもいかない。解放骨折状態の傷を放っておくなどといった真似をしてしまえば、この貧弱な体はあっさりと出血多量で死んでしまうのだ。細かいルールが多いことに定評のあるGURPSの細目には勿論、出血多量がゲーム的にどの程度の損害を与えるものなのかということもきちんと定められているのである。

 後々大いに困ると分かっていても、現時点で治癒呪文を行使しないという選択肢はあり得ないのだ。

 

 

 

 いやはや、しかしまあ。

 たった一撃、それもさして強力ともいえない怪異の一撃を受けただけでこのありさまなのか。自身の肉体的な性能の低さを痛感させられる事態である。

 

 更に言うなれば、己の右腕が現代技術によっては絶対に完治不能。魔法によっても治療が著しく困難か、或いは不可能である有様となっているにも拘らず、僕の精神のこの凪いだ様は一体なんなのか。

 ああ、いや。勿論馬鹿げた意志力が賦与されているのがその理由だとは分かっているのだけれど。我がことながら不気味である。

 大体、そんな御大層な意志力がある割には、さっき小人さんに殺されかけた時には随分と僕は取り乱していたように思われる。恐らくは以前も考察したように、この意志力というやつがあまりにも人格(中の人)に影響を与えてしまうので、必要な時以外は発動しないようになっているからなのだろうけれど。どんな場合に意志力の補助が失われるのかが今一わからない。

 先ほどは既にどうしようもなかったので構わないのだが。未だ継続している戦闘のさ中に突如として強烈な意志力の補助が消えたりしたらことである。一体どんな場合に意志力のサポートを失うのかも把握しておく必要があろう。目じりに涙をためてはいるものの、孤立無援の中悲惨な怪我を負った妹を引きずってきた割りには冷静な姉さんを見ながらそう考える。

 

 

 

 そうそう。腕から骨の飛び出た妹を引きずってきた姉さんが泣き叫んでいないのはそこまで驚く話ではない。

 如何せん原作でも姉さんは。死体が二つ転がり、目の前で大叔母が消し炭にされ、祖母が瀕死の重傷を負った孤立無援の中。事実上の初陣で、(封印が解けたばかりで弱っていたらしいとはいえ)とらハ世界日本史上五指に入る強壮無比の大妖怪を一対一で下しているのだ。その肝の太さは余人の及ぶところではないのだろう。……まあ、現状では未だ六歳児にすぎないので、どこまで大丈夫なのかは怪しいところであるが。

 

 

 

 

 

三、

 数瞬の内に自身の損壊の様を認識、対処したところで、更に二つの疑問が浮かぶ。

 奥歯のスイッチを入れたのか、或いはベルトについたカブトムシのおもちゃでも弄ったのか。思考速度はいまだ加速したままだ。それはそれで結構なことだが、同時に現状がいまだのっぴきならぬ危地にあることも意味している。危地が過ぎ去っているのならば、僕の思考速度は普段通りのそれに戻っているはずなのだから当然である。

 

 さて、疑問だ。

 まず一つ、僕はなぜ意識を覚醒させることができたのか?

 そしてもう一つ、どうしてあの状況で姉さんの救援が間に合ったのか?

 

 一つ目の疑問はいつものことながら、僕が恐ろしく弱弱しい生き物であることが原因の疑問だ。端的に言って、僕がダメージを受けて気絶した場合、その意識が回復する可能性は非常に低い。病院で手当てを受けて、ならばともかく。周囲の光景を見る限り、現状はいまだ小人さんから絶賛逃亡中の神咲邸の内部。時刻も小人さん襲撃からさして経っていないように見受けられる。そんな状況で意識不明の重体であったこの虚弱幼児が自然に目が覚めるとは考えにくい。

 まかり間違って6歳児たる姉さんの<応急処置>技能が成功したとしても、状況はさして変わらない。無論ダイスの女神様が全力で微笑んでくれれば話は別だが、現在までの有様を鑑みるに、僕は彼の神格に好かれているとは言い難い。ならば何故、小人さんの一撃で気絶した僕は、今意識があるのか。

 

 一瞬にして意識に上がったその疑問については、しかし即座に解決された。

 なんのことはない。意識が回復されるまでのプロセスと、今なお蹲る(……別段姉さんが僕のヘッドバッドで大ダメージを受けたわけではない。僕の思考が加速されているので、彼女が蹲ってから起き上がるまでの時間が、ひどく引き伸ばされているだけの話である)姉さんの手に残る青い光の残滓がその答えである。

 

 つまるところ、姉さんが“癒しの霊術” モドキを使用したのだ。

 

 勿論、神咲薫は“癒しの霊術”を使用できない。原作でもたぶん、使って見せたことは無い。が、“癒しの霊術”とは対象の魂を活性化させ、当人を“本来の姿”に引き戻すことで結果的に怪我を癒す、という効果の術である。……原作中でそんな説明がされていたか? と思うかもしれないが。小説版とらハ3那美編でしっかりその旨説明されていたので間違いはない。

 ならば姉さんが怪我を治すほどの効力は発揮できずとも、対象の本来の姿、即ち“意識のある状態”に引き戻す程度の芸当ができたとしても別段おかしな話ではない。怪我を治すほどではないので“癒しの霊術”ではないが、それよりもより低位の、気絶した人間を起こす程度の術が使えた、ということである。

 原作中でそんな術を使っていなかったのは。恐らく気絶した人間を迅速に起さねばならない事態が無かったからであろう。瞬間的に対象を治癒できる術のある世界ならともかく、通常の超常バトルものの世界でそんな術を使う機会もそうそうなかろうし。

 

 

 

 さて、一つ目の疑問に回答が見いだせたところで、もう一つの疑問について考えるべきだろう。

 即ち、“何故僕は生きているのか”という疑問についてである。

 

 薫姉さんが助けてくれたから、というのは間違った回答ではない。が、同時にあまりにも言葉足らずな回答である。

 何故なら、僕は小人さんの目の前で意識を失ったのだ。それも相手に殴られて、である。

 畢竟次の一秒で僕は更なる追撃を受け、ミンチにされているはずだ。相手の間合いの中で気絶したのだから当然である。

 大ダメージを受けたので僕が吹き飛ばされ、相手が攻撃不能な位置まですっ飛んで行った。という可能性も絶無ではない。が、それにしたところで吹き飛ばされる距離は精々1~2メートルのはずだ。それ以上吹き飛ばされた場合、僕は襖どころか壁に叩きつけられることとなり、そのダメージで死んでいるはずだからである。そして1~2メートル吹き飛ばされた程度ならば、あの小人さんの出して見せた驚くべきスピードがあれば即座に詰められるはずである。やっぱり僕は死んでいるはずだ。

 僕の助けを求める叫びを聞いてから、姉さんが間髪入れずやってきてくれたとしても、彼ら小人さんには数秒の時間があったはずだ。その、死にぞこないの小娘を彼岸へと叩き込むに十分な時間の間、彼らは何をしていたというのか。

 

 これについては涙目で額をさする姉さんに僕を助けた時の状況を聞いてみたことで……さらに謎が深まった。

 姉さんが駆け付けた時、小人さんたちは襖ごとひっくり返った僕に接近しようと“ゆっくり動いていた”というのだ。ために僕の叫びを聞いて即座に駆け付けた姉さんの救援は間に合ったのだと。

 更には、姉さんが僕を引きずって逃げようと悪戦苦闘していれば、最初のうちはゆっくりとした移動速度で僕たちの追跡を行っていたらしいが。暫くすると突然姉さんとは逆側、即ち今来た方向へと速度を上げて……僕の腕をへし折った時と同様の“驚くべき速度で”……駆け去って行ったというのだ。

 小人さんが意味不明の撤退(?)を行ったおかげで、こうして僕たちは額を抑えたり右腕をグロテスクなオブジェに変えたりと色々できているようであった。

 

 ……本格的にわけが分からなくなってきた。

 

 小人さん達は何故普段、大きさを勘案してなお“ゆっくり”移動しているのか。

 そして何のつもりで、明らかにおかしなタイミングで加速能力(?)を使用するのか。

 更にはいったいいかなる腹積もりがあって、気絶した小娘を引きずる幼女などという絶好の獲物を前に、加速能力(?)まで使用して撤退したのか。

 

 耳を澄ませば神咲邸の丁度こことは反対側の廊下から、小さな複数の足音が聞こえる。撤退した小人さん達であろう。僕たちの位置が正確にわかっているのかどうかは分からないが。ともかくその音はだんだんとこちらに近付いている。

 が、その近づきようもどうにも奇妙なものだ。足音から彼らの行動を推察するに。彼らは加速したり、ゆっくりと動いてみたり。はたまた廊下の真ん中を素早く駆けたかと思えば突如として斜め後ろに進んだ挙句、今度は廊下の端をゆっくりと進んで見せたりと、実に奇怪千万な動きでもって移動しているらしい。あの連中は、いったい何がしたいのか。

 

 

 

 

 

四、

 更に言うなれば、彼ら小人さんの動向以外にも気になることがある。

 

 気絶から醒めてからこの方、神咲邸内が奇妙に“静か”なのだ。

 本来ならば、強力な退魔師が軒並み出払ったこの神咲邸内には、怪異がひしめいているはずだ。そしてそうであるがゆえに、天井の目の這いずる音、隙間女の戸棚を引っ掻く音、座敷童のくすくす笑い、或いは便所の白い手が水面を揺らす音など、様々な音が聞こえているはずである。

 にも拘らず今現在、それら多種多様の音がまったく聞こえてこないのだ。神咲邸の外、塀の近くで羽を休めているはずの大木葉木菟の心音さえ聞こえない。小人さんの位置やその動静。或いは姉さんから発せられる多種多様な音はしっかり聞こえているので、僕の耳がどうにかなったというわけでもなさそうだ。いったいどういうことなのか。

 

 一体どういうつもりで、小人さんは意味不明の加速と減速を繰り返しているのか。

 何故彼らは、まっすぐ進まず右往左往しながら移動しているのか。

 更には何故、この家を闊歩していたはずの魑魅魍魎その他の存在が感知できなくなっているのか。

 

 神話生物並みのおつむを全力回転させてなお、諸々の疑問に回答を得ることはできない。恐らくは答えを得るための、真実にたどり着くまでの材料が足りないということなのだろう。その材料とやらが、僕が感知できないものなのか、現在神咲邸にいては入手しようのないものなのか、或いはそもそも現時点の時間軸には存在しないものなのか、は分からないけれど。

 

 現状は全く改善されておらず、むしろ悪化している。

 

 敵対するは、小なりとはいえまともにやっては勝ち目が絶無の怪異の集団。

 ほぼ孤立無援で、救援は期待できない。

 唯一の味方はヒヨコどころかそもそも殻に罅すら入れていない退魔師の卵であり、おまけに6歳児だ。

 僕本人はといえば腕から骨が付きだした状態であり。更にはその右腕は、現状では恒久的に完治を期待できない、極めて異常な修復を施す羽目となっている。……失血死を防ぐ方法がほかになかったのだから仕方がないのだけれど。

 かてて加えて、周囲の状況も奇妙なものである。神咲邸にいたはずの怪異たちは、いったいどこに行ったのやら。

 更に言うなれば、そもそも敵の正体がまったくわからない。意味不明の加速と減速を繰り返しながら迷走する、病に関係があるらしい小人さんの集団。……そんな妖怪、いるんだろうか? 前世でも妖怪やら民俗学は最高学府でも学ぶ程度には興味を持っていたし、今生ではその手の英才教育を受けて育っているわけだが。そうであるにも拘らず、知力18のおつむの中身を検索してもさっぱり彼らの正体が見えてこないのだけれど。

 

 

 

 疑問は多く、それらの答えに至る光明はなく、状況は絶望的だ。

 ここにいるのがただの五歳児なら既にパニックに陥っているだろうし、大人であったとしてもまともな思考能力など期待できまい。

 が特段努力して手に入れたわけでもない僕の常人離れした意志力は、この状況下においても冷静な思考が可能な状態を僕に供与し続けている。

 延々と怪異妖怪の興味を惹き続けるとか、まともに折り紙が折れないレベルで不器用だとか、死ぬほど病弱だとか。あっちこっちで悲惨な状態を突きつけられている今生のこの身であるが、強大な意志力については素直に有り難い。これが無ければ、とっくに僕は死んでいただろう。

 

 ああ、そうだ。

 状況は聊かどころでなく劣悪であるが、僕にはまだまともに動く頭が残っている。思考するだけの理性があり、戦うだけの意志がある。五体だって……まあ、9割がたは機能する。

 まだ僕は負けたわけではない。ちょっと概ね孤立無援で、敵の攻撃を受けると一発で四肢が破壊され、対手の正体がつかめないうえに片腕が恒久的に使えなくなっただけだ。大丈夫、まだやれる。

 

 「姉さん、行きましょう」

 

 ほぼ真っ暗闇の部屋の中。微妙に僕とは違う場所に視線を返す姉さんを促し、僕は立ち上がる。

 再び高速で回転する高性能おつむが瞬時に幾つかのプランを打ち立て、そのうちの一つを試してみようと結論したのだ。上手くいくかどうかはわからないが、試すに足るやり口を見いだせないわけではなかったということである。

 

 このまま死んでなるものか。

 僕はまだ、この病弱者を助けてくれたこの神咲家の人々に何一つ返していないのだ。

 善意には善意を、献身には献身を、情愛には情愛を。

 与えられたものに応えずして、何が転生者か。二度目の生を受けるというご都合主義があってなお、不義を働くなど、許されることではない。……いや、人道とか、倫理とかの殆どは割とどうでもいいので、あらゆる不義を働くまいとは思っていないけれど。個人的に示されたものについては、やはり気にするべきものであるように思われる。

 

 この状況で、やはり不安なのであろうか。ぎゅっと僕の左手を握りしめてきた姉さんの小さな手を握り返し、僕はそう考え、行動を開始するのであった。

 

 

 

 

 

 ……ところで姉さん。

 今更慌てて顔を拭ったところで、泣きべそをかいていたのは誤魔化せませんよ。

 いや。この期に及んで先導しようと僕の手を引き、“お姉ちゃん”をやろうとするあなたの心意気は素晴らしく、たまらなく愛おしいものなのですけれど。

<つづく>




 小人さんとの戦いは次回で決着の予定です。
 一応このエピソードは、複数の伏線を張ったうえでの舞奈就学前の山場ですので。長いのは諦めていただければなと思います。
 それでは。

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