GURPSなのとら   作:春の七草

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第十一話『看破』

序、

 余人には見通せぬ暗闇の屋内。氷の様に冷え込んだ板張りの床の上で、小柄な影と、それよりも更に小柄な複数の影が交錯する。

 奇怪千万なことに数多の怪異の姿さえ消えたこの夜半の神咲邸の中で、薫姉さんと、小人さんたちが戦っているのだ。

 部屋から出た僕たちはさして時間のかからぬうちに小人さんの集団に捕捉され、ちゃんちゃんばらばらの戦闘へと雪崩れ込むことと相成ったのである。

 幾ら小人さんの集団がおかしな動き方をしているとはいえ。総合的には幼女二人が逃げる速度よりも素早く移動できたということなのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第十一話『看破』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 「せぇぇぇっ! やあぁぁぁぁっ!!」

 

 未だ成熟していない、柔らかい喉を震わせ。裂帛と称するには聊か舌足らずな叫びと共に、姉さんが木刀を振るう。

 振るわれる太刀筋は、今世において主流となる日本の“剣の扱い方”、即ち剣道のそれとは聊か趣を異にしたものである。複数の、必ずしも近接武器のみで武装しているとは限らぬ相手への対応を想定した、現代においては一種異様のものだ。彼女の用いるその構えも、その動きも。一般に習得できる剣道では見受けられないものである。……いや、構えのみを見るなら剣道型で見られるものも含まれているのだけれど。

 ともかく、本来発生させられるはずの金色のオーラを纏う余裕さえ無く戦う彼女は、複数の、そして“己よりも遥に小柄な”相手への対処を目的とした“きちんと教育された”動きでもって怪異と相対しているのである。

 

 姉さんの動きが剣道のそれと異なるのは特段驚くにあたらない事態だ。

 剣道は概ね大体一対一で、自身と同じ一本の日本刀……普通は竹刀を使うが……で武装し、自分と同じような教育を受けた剣士と、いっせーのせで真正面から戦うことを主眼に置いている。……まあ、実際は薙刀とだって試合をするし、複数との戦いを教えている道場も存在する。かてて加えて、年齢次第では二刀流をやったって構わないのであるが、ともかく。

 少なくとも剣道は、雷が上から降ってきた場合の対処法とか、相手が空中に浮いている場合とか。はたまた敵対者が火を吐いたり矢を射ってきたり、挙句の果てには機関銃で攻撃してきたりする場合について対応していない。非実体が複数でまとわりついてくる状況に対しても、恐らく多分想定していない。

 

 が、退魔剣術であるところの神咲一灯流は前述のそれらすべてに対して想定し、門弟に必要な対策を教え、型を組み上げている。

 当然の帰結であろう。神咲の退魔師たちは奇襲することもされることもあるし、相手が一人とは限らない。更には稲妻を放つ鵺とも、上空から襲い来る白溶裔とも、はたまた口から火を噴く悪魔とも戦う必要があるのである。無論、場合によっては重装弓騎兵であるところ平家の落ち武者や、うっかり日本で死ぬ羽目となった禁酒法時代のシチリアン・マフィアの亡霊と戦う羽目となるやもしれないのだ。彼らと日本刀一本で互角に戦うためには。霊力によるエネルギー波以外にも、撃剣の技術によってそれら通常剣術が想定しえない戦力に対抗できなければならない。

 

 と、いうわけで。

 “通常剣術が想定しえない奇妙な戦いをも想定した流派“である神咲一灯流の剣士たる姉さんは、“きちんと教育を受けた動き”でもって、“複数の武装した小人さん”と戦うことができるのである。

 

 ……上記のごとき表現を用いると、姉さんが抜群の技巧を持って小人さんたちと戦っているように思えるかもしれないが、残念ながら彼女の動きは端的に言って稚拙だ。

 足さばきは常に完璧の物とはお世辞にも言えない。時折どたばたと走り回るかのように足を上げ、構えは乱れ、上体の場当たり的な動きのせいで無駄に体力を消耗している。姉さんの息が荒いのは敵が素早いからではなく、緊張と動きの無駄で本来不必要なレベルで体力を消耗しているからであろう。

 当然小人さん達にあちらで殴り飛ばされ、こちらで噛み付かれ、あっちこっちに傷を作り、そのたびに僕の《小治癒》で傷を癒されている状態だ。

 

 これもまた、必然である。

 数多くの種類の敵手との戦いを想定して型を学んでいれば、畢竟一つ一つの型に掛けられる時間は限られてしまう。無論ある程度諸々の型を効率的に統合するとか、そもそも “敗北と死がほぼ同義(或いは死ぬよりひどい目に遭う)”の退魔剣術と“心と体を鍛える”剣道では練習密度が桁違いであるとかそういった考えもあるにはあろう。が、それら反論を鑑みたところで、やはり限界というものがある。人生は有限であり、人間が一日に学べる時間には明快な限界が存在するのだ。

 原作で半ば日常生活を振り捨ててまで“命がけで戦うための”訓練を受けていた姉さんが“剣道のルール”では同年代の少女の中に自身より強い剣士が複数存在したように(原作の姉さんは剣道では“全国レベル”。つまるところ剣道という枠組みの中では、自分より強い剣士が複数いた可能性が高い)。無数の状況に対応するよう訓練を受けているがために、神咲一灯流退魔師の卵は一つ一つの状況に対する対応能力はそこまで高いわけではないのである。……勿論、年齢を考えれば充分に熟達しているのだけれど。

 

 

 

 

 

二、

 邪魔にならぬよう、狙われぬよう。少し下がった場所にいる僕を尻目に、姉さんと小人さんの戦いは続いていく。

 

 横合いから襲ってきた小人さんを柄頭で迎撃し、跳びかかってきた対手を身を沈めてやり過ごし。そのまま“何度も練習した”手慣れた動きでもって。幼女は倒れこみながらの地面すれすれの横薙ぎを撃ち放つ。恐らくは姉さんの思惑通りなのであろう。イスノキの材木より削りだされた鈍器は未熟な、しかし剣士の年齢と状況を考えれば過分なまでの練度をもって複数の小人さんを吹き飛ばす。

 

 「がんばれー、がんばれー」

 「びょうきがんばれー」

 

 僕が《小治癒》の呪文で姉さんを援護していることを理解しているのか、していないのか。僕の中の病を言祝ぎつつ小人さんたちは起き上がり、相も変わらず理不尽な速度変化と方向転換を繰り返しながら、また姉さんへと襲い掛かる。能天気な声を上げ迫りくる連中の中には今さっき姉さんに弾き飛ばされ、手や足がへし折れた者もいたはずなのだが。特段損傷は見受けられない、五体満足の有様である。

 

 そんな“いつの間にやら回復する”という理不尽な怪異の襲撃を、先ほどの一撃の都合上俯せに倒れこんだまま、姉さんは強引に迎撃する。冷たい板の間に未だ成人より軟骨の多いその身を打ち付けた痛苦などおくびにも出さず、俯せから転がって仰向けになると同時に木刀を跳ね上げ、飛び込んできた小人さんの顔面をしたたかに打ち据えたのだ。

 更には残りの連中が襲い来る前に体操の跳ね起きの要領で立ち上がり(6歳児としては驚愕すべき運動能力であろう)、反動で姿勢を崩しつつも、横合いから襲い来る金属棒を持った小人さんをどうにか肘打ちで跳ね飛ばす。

 

 とはいえ、小人さん達もただやられるばかりではない。姉さんの肘打ちで吹き飛ばされると同時に彼らの棍棒が幼女の胸部に叩き込まれ、彼女の形の良い桜色の唇から明るいピンク色の血が吐き出される。胸のへこみ具合からして、胸骨を複数本と、内臓……恐らくは片肺……を潰されたのだろう。呼吸器官を破壊され、酸素を多く含んだ血液が口腔から噴き出たのだ。当然のように姉さんは立っていることさえできずに倒れこむ。現実的に考えるなれば、即死かどうかはともかく、数分以内に確実に死に至るであろう致命傷である。

 尤も、この場にGURPSの魔術師がいる現状においては、“そんなもの”が死因となりえるはずもない。

 僕が間髪入れずに放った《小治癒》の呪文が瞬時にへし折れた胸骨、つぶれた肺、失われた血液、千切れた無数の血管、その他もろもろの損傷を修復し、瞬きするよりも早く姉さんは健康体に逆戻りする。

 

 《小治癒》や《大治癒》で骨折は治せないのではないのか? と思うかもしれないが。実際のところGURPSの治癒呪文が問題にするのは“特定部位が使用不能になったか”であって“骨が折れたか”でも“内臓が破壊されたか”でもないのだ。ために腕や頭が吹き飛んだのならばともかく、胴体に受けたダメージについては取りあえず対象が生きてさえいればどんな状況であろうと瞬時に修復できるのだ。……何とも理不尽な現象であるが、ゲーム的な魔法を現実に当てはめる以上異常極まりない状況が現出するのはある意味仕方のない話と諦めるほかない。

 

 つらつらと益体の無いことを考えているうちにも、姉さんと小人さんたちの戦いは続いていく。

 追撃を受ける前に打撲によるダメージを修復された退魔師の卵は、今を好機と突っ込んできた怪異へと転がったまま鉄槌打ちを叩き込み、妖怪の血と反吐で白く柔らかな手を汚しながら、よろよろとどうにか立ち上がる。浅葱色の寝巻を朱に染めた幼子は、そのまま踏みつけで倒れた小人さんへ追撃を行おうとしていたようだが。さすがにそれは間に合わなかった。

 裸足で力いっぱい踏みしめた先が柔らかい怪異ではなく、クロマツの板であったためであろう。動きを硬直させる姉さんを尻目に、小型生物(?)ゆえの脆さで体の形を大きく崩した小人さんは、いたいよぅいたいよぅと鳴きながら集団へと逃げ帰る。

 手や足に大きなダメージを負い、はたから見ても分かるほどほかの小人さんとは異なるありさまとなっていたはずの逃げ帰った小怪異は。奇怪なことに群れの中に埋没するとあっという間に見えなくなり、一体彼らの集まりのどのあたりにいるのかさっぱり分からなくなってしまった。

 

 小人さん対姉さん……と、回復役兼足手纏いの僕……の戦いは、明白に僕たちの不利で進んでいる。

 え、薫姉さんは小人さん群とちゃんと戦えているようなのになぜ? と思うかもしれないが。姉さんは小人さんの攻撃全てを回避できているわけではない。彼女が受けたダメージを僕が即座に回復させているからこそ何とかなっているのだ。

 姉さんに呪文による援護が行われている間は問題なく戦えようが。それがなくなれば、必死に木刀を振るう幼女剣士は数秒で血だまりの中に沈む可能性が高い。そして如何にインチキじみた魔術的才覚を持つ神咲舞奈といえども、治癒呪文の連続行使によって発生するあらゆる問題を解決できるわけではない。

 

 簡潔に言うなれば。GURPSの治癒呪文は、24時間以内に同じ相手に行使する場合。行使回数に比例して呪文の成功率が低下してしまうのだ。

 下手な神格より高い僕の技量の都合上、通常のGURPSの魔術師のように5回を数えずして回復が覚束なくなることは無いのだが。如何せん敵の数は多く、姉さんの回避率は低く、その耐久力も低劣である。

 流石に僕ではあるまいし、姉さんは小人さんの打撃を受けても一撃で戦闘不能になったりは(たいていの場合)しないようなのだが。だからといって2回も3回も攻撃を受けてから回復させるほどの余裕があるわけでもない。

 結果として姉さんにかける治癒呪文の頻度は高くなり、加速度的に姉さんへ治癒呪文をかける難易度は上がっていく。この状況があまりに長く続けば、僕の神格並みの技量をもってしても姉さんを回復させることは困難となるだろう。

 

 問題はもう一つある。

 姉さんが散々に木刀で殴り倒しているにも拘らず、一匹たりとも敵怪異を殺害できていないのだ。今さっき姉さんがしたたかに打ち据え、外観を大きく崩すほどの損傷を与えた小人さんについても、“いつの間にか”すでに集団の中でどこにいるのかわからないほど傷が治っている。先ほど、姉さんが弾き飛ばした小人さん達と同じ現象だ。

 非常に困った事態である。怪異は往々にして死ねばその正体を現すので、姉さんが一体でもこの小怪異を殺害してくれれば、彼らの正体について大きな手掛かりを得られると思うのだが。なかなかどうしてうまくいかないものである。

 

 とはいえ、事態打開のヒントとなる現象がまったくないわけでもない。

 姉さんの攻撃が綺麗に決まった小人さんが群れに帰り、集団の中に埋没した時。人類最高2歩手前の観察力で見なければわからない程度ではあるが、微妙に“小人さんの集団“全体の規模が小さくなっているように見受けられたのだ。もしかしたら、この小人さんの群れ。個々の小人さんが負ったダメージを、曖昧模糊とした”小人さんの集団“という一群で肩代わりできるのかもしれない。

 GURPSのルールで無理やり表現するなれば。少々変則的な”群れの特徴“と、一定の”防護点“ををもったキャラクターといったところであろうか。彼らを倒したければ十分な打撃力を内包する剣力か、一撃で何もかもを吹っ飛ばすような何らかの範囲攻撃が必要であろう。無論、その何れもこの場に存在しないわけであるが。

 

 大体わかっていたことだが、まともに姉さんが戦って勝てる相手ではなさそうである。

 一人は戦闘訓練を受けているとはいえ、幼女二人が相対して未だ死人が出ていない敵手である。客観的に見ればさして強い怪異というわけでもないのであろうが。僕と姉さんという現有戦力にとっては致命的な相手であるのは間違いない。安易な戦闘で決着をつけるという手段は避けておくのが無難であろう。

 そろそろまともな成功が覚束なくなってきた《小治癒》ではなく、《大治癒》に運用呪文を切り替えつつ、僕はそう決断する。

 

 

 

 

 

三、

 決断した以上、後は行動あるのみである。

 

 姉さんと小人さんたちがチャンチャンばらばらやっている間にこっそり引きずってきた古式ゆかしい(前世ではもう製造されていないレベルのものだ)転倒式化学泡消火器ひっくり返し、周囲に煙と泡をぶちまける。もともとそういうものなのか、退魔師の家で使うために何か特殊なものでも入れてあったのかは寡聞にして知らない(と、いうか。この種の消火器自体一般家庭においてあるような代物ではないので、何か理由があるのだろう)のだが。鼻が曲がるとはまさにこのことと言わんばかりの酷い臭いと共に、白い煙がもうもうと立ちこめる。

 暗闇に加えてここまでの煙が発生してしまえば、暗視持ちだろうが人類の限界に近い視力があろうが周りなど見えようもない。案の定、姉さんも小人さんも相手の位置が分からないらしく、右往左往している。

 勿論僕も視覚で周囲の状況を確認することは不可能であるが。この状況を意識的に作り出したのが僕である以上、視界が塞がれる最後の瞬間、誰がどこにいてどんな状況であったのかはしっかりと把握している。更に言うなれば、音だってきちんと聞こえている以上、姉さんがどこにいるのかはその心音や息遣いからはっきりとわかる。

 つまるところ、消火器の泡と煙で周囲がおおわれたこのタイミングにおいては。神咲舞奈のみが彼我の位置関係をきちんと把握できているということであり。姉さんや小人さん達に先んじて移動のイニシアチブを掴むことができるというわけである。

 息を止め、突然の視界の悪化に戸惑う姉さんの手を引く。一瞬びくりと震えた豆だらけのその手は、しかしすぐさま僕の手を握り返し、ためらうことなく僕の先導に従っていく。

 

 「がんばれー、がんばれー。びょうきがんばれー」

 

 小人さんの合唱は、こちらに近付いたり、離れたりとふらふらするばかりだ。相も変わらず素早く動いたり、はたまた突然ひどくゆっくりと動いたりと、その移動の有様は奇妙奇天烈なものである。が、そうであっても聊か動きが悪いように思われるのは、放出された二酸化炭素による窒息効果故であろうか。ともあれ狙い通り、こちらの位置を見失ってくれたらしい。

 

 小人さんに気付かれぬよう黙って、ただ手を引く動きのみで姉さんを促す。化学泡消火器は周囲を冷やすと同時に二酸化炭素を放って消火を目論む装置である。ぼやぼやしているとこっちまで窒息してしまいかねない。

 幸い、姉さんはどこまでかはさておいて、こちらの意図を理解してくれたらしい。きちんと僕の先導する方向へとついてきてくれる。

 

 「がんばれー、がんばれー」

 「びょうきがんばれー、しねーまいなー。がんばれーびょうきー、かおるしねー」

 

 もはや病を言祝ぐだけではなく、明確にこちらに呪詛を放ってくる小人さん達を尻目に。

 僕たちは泡だらけの廊下を後にすることとなったのである。

 

 

 

 

 

四、

 弱弱しい月明かりと、それさえも頼もしく見えそうな脆弱な星明りのみを光源とした、神咲邸の庭先。

 魔除けの為であろう、柊、南天。まさか有事にでも備えているのか、桃、柿、松などの植わったその場所を、白い息を吐き出しつつ姉さんと駆け抜ける。

 消火剤をぶちまけて一時的に小人さんを撒いた僕たちは。息を乱し、寒空の中汗をかきつつも、神咲邸の門の前まで走ってきたのだ。

 

 目的は勿論、逃げるためである。

 400年以上続く退魔師の家であるところのこの神咲邸には、当然のこととして結界が張られている。以前十六夜さんも言っていたが、必要とあらば人間の出入りさえ拒む、非常に強力なものだ。この結界を利用し、自分たちが神咲邸から脱出した後結界を張り直せば、小人さんを神咲邸に閉じ込めることとなり、僕たちは安全に逃げ出すことができるというわけである。

 今までの状況を鑑みるに、僕と姉さんでは、小人さんをまともに倒すことは不可能であろう。が、特段僕たちで小人さんを倒さねばならぬ理由があるわけではないのだ。僕にせよ姉さんにせよ、未だ幼い退魔師の卵にすぎない。ここで見逃せば小人さんたちが数千の犠牲者を出すとでもいうなら逡巡するフリくらいはしないでもないのだが。そうでもない限りいったん撤退し、和音婆様辺りが帰ってきたところでその助力を願ったところで別にかまわないのである。小人さんたちが強敵であるのは、あくまで僕たちにとってであり、熟練の退魔師である和音婆様や亜弓さんにとってはさしたる脅威でもあるまい。

 勝てないのなら逃げればよい。実に明快である。

 

 ……まあ、特異点持ちで四六時中怪異妖怪に出会う病弱小娘が。寒空の中まともな防寒着もなく、今一どこがとは言い難い“安全な場所”まで逃げられるのか、という疑問はあるのだけれど。このまま勝ち目のないチャンバラをやっているよりは現実的な選択肢であろう。

 

 

 

 取りあえず、結界を開く作業に取り掛かる。亜弓さんから渡されたあんちょこは既に暗記してあるので不要だ。懐から取り出すこともなく、結界運用の作法へと取り組むことにする。

 結界操作のためには印を組んで呪文を唱える必要があるわけだが。生憎僕の腕は一本使用不能状態である。まともに印を組むことはできない。

 とはいえ、だからと言って結界を操作することができないわけではない。神咲家で育ち、学んできたこれまでの5年の間に、僕は<職業技能/退魔師>に2CP分振り分けることに成功している。常人ならば、一つの技能に2CP程度振り分けた程度では駆け出しとさえ呼べない素人でしかないのだが。無論この神咲舞奈の知力ならば話は別である。

 2CP振り分けたことによる僕の<職業技能/退魔師>のレベルは18。既に専門家ではなく達人と呼ばれてもおかしくない程度の技量に達しているのだ。

 そして当然のこととして。専門家や達人と呼ばれるに足る退魔師が自宅の結界を操作するのに、ちょっと一本手足が足りない程度の事態が障害となりえることは無い。印を組めずとも、呪文の詠唱に反閇……足運びを加えることで結界を操作する。ルール的には、成功判定にペナルティが課せられたものの、特段問題なく技能判定に成功したということなのだろう。

 

 呪文と反閇で必要な儀式を済ませて見せれば。邪魔にならぬよう僕の手を握ったりはせず、しかしやはり不安はあるのだろう、僕の寝巻の裾をぎゅっと握っていた姉さんが。何かに気づいたように門を見上げ、鍵の元へと走っていく。僕の行動によって、門の結界が解かれたのであろう。

 ……いや、僕は結界操作の方法は知っていても霊力を感知できないので、姉さんの反応を見ないと結界がどうなったかは分からないのだ。それでいいのかと思うかもしれないが、普通の人々だって電気信号を感知できないにも拘らず電気式の鍵を操作しているのだ。霊的な感知能力を持たない僕が霊的な結界を操作できたところで特段不思議はないのである。

 

 耳を澄ませれば、小人さんは未だ神咲邸内を右往左往しているらしい。未だこちらの位置を見抜けてはいないようだ。僕たち姉妹に勝ち目が薄く、そうであるがゆえに逃走を選ぶというのはさして難しい予測でもなかろうに、先回りするだけの知恵もないものと見受けられる。彼ら小人さんたちがあまり頭のよくない怪異であるというのは、僕たちにとって朗報であろう。

 今後の逃走ルートと、それを進むに必要な体力について考えると同時に、小人さんの能力についてもそう考察する。

 

 そうこうしているうちにかちゃりと金属音がした。背伸びをして門のねじ式の鍵と格闘していた姉さんが、ようやく鍵を外し終わったようだ。やれやれ、ようやくこちらを害そうとする怪異群から逃げることができる。内心ほっとため息をつく。姉さんも同じ思いなのだろう。走って来る間に散々躓いたせいで泥のついた顔からは、緊張の糸が緩んだ様がうかがえる。

 

 そして引き戸の門をがらりと開け、一歩外に踏み出そうとして。

 眼前の光景に、僕たちは茫然とすることとなった。

 

 神咲邸の門を開けた先。本来ならばそこには、閑散としたアスファルトの道路と、地主不明のススキ野が広がっているはずであった。野中の一軒家の周りとはまさにこのようなものであると言わんばかりの、田舎でもそうそう御目に罹れないであろう寂れた光景が広がっているはずであった。

 

 しかしどういうことであろうか。

 門の外、塀の向こう側、神咲邸の外には。

 

 

 

 

 

 “何もなかった”のである―――――

 

 

 

 

 

五、

 消火器を利用し、小人さんたちの目を欺いて(まあ、彼らの感覚器官が何をメインに僕たちを感知しているのかは寡聞にして知らないのだが。便宜的な表現というやつである)神咲邸の門まで逃げてきた僕たちこと神咲姉妹。一旦神咲邸の結界を門の部分においての解除し、件の自宅から離脱。然る後結界を張り直すことで追撃者たる小人さん達を神咲邸内部に閉じ込め、自分たちは安全な場所に逃げ出すことを目論んでいたわけであるが。そのたくらみはものの見事に破砕される羽目となった。

 

 何となれば。結界と、門の鍵を解除して開いた神咲邸の外。引き戸の門を開いたその先には“なにもなかった”からである。

 門の先には見慣れたアスファルトや薄野が存在せず。いやさ、それ以前に空や地面さえも存在せず。ただ曖昧模糊とした暗褐色の所謂“異空間”が広がるばかりだったのだ。

 となりで呆然としている姉さんを尻目に、小石を一つ拾って門の外に放り投げてみる。そのまま耳を澄ませてみるが……何も聞こえない。この門の外に広がる怪しげな空間には地面がないのか、或いはあっても大分下の方にあるということなのだろう。

 門を開けても僕たちが吸い出されたり窒息したりはしなかったので、不思議空間にありがちなことに何故か1気圧と呼吸可能な大気、地球上と同じ重力などは存在するようだが。正直現状で門の外に出るのは自殺行為であろう。気になって一応門の内側から空を見上げてみるが、神咲邸内から見る分にはごく普通に夜空が広がっている。首だけ出して門の外を見てみるに、そちら側では上空もまた暗褐色の異空間が広がっているのだが。

 

 ……まさか“神咲邸を含む空間“ごと異空間に転送でもされたのか? これも小人さんの仕業なのか? 家屋どころか敷地ごとのテレポーテーションとか、いったいどれだけのエネルギーがあればできるのだろうか?

 確かにGURPSの魔術には似たような真似のできる呪文が存在するのだけれど。莫大な、それこそ死者復活をも凌駕するエネルギーが無ければこんな真似は不可能だったはず。小人さんたちはそこまでパワフルな怪異なのか? それにしては幾らなんでも近接戦闘能力がお粗末に過ぎやしないか?

 まあ、結界を貼ったり周囲の空間をテレポーテーションさせたりする能力が高いからと言って、物理的な暴力に強いとは限らないのだろうけれど。それにしたって実にアンバランスである。わけがわからないよ。

 

 

 

 左手に痛みを感じてそちらを見れば、姉さんが僕の手を、自分の指が白くなるくらい強く握っていた。裾をつまんだり、普通に握っているだけでは不安だったのであろうか。流石に如何にインチキじみた脆弱さを誇る僕の腕とはいえ、六歳児の握力で折れたりはしないのだが。痛いものは痛い。

 姉さん、痛いですと言ってはみたが、反応がない。二度、三度とすこし大きめの声で言えば、退魔師の卵はっと今気が付いたかのようにこちらを見、ごめんと言って慌てて手を離そうとするが……離れない。

 

 強く強く握りしめているがゆえに真白く、つぶれた豆の上からまた豆のできた、細く繊細な五指。

 凄惨極まりない修練と、幼子のそれゆえのたおやかさが絶妙なバランスで両立されたそれは、持ち主たる姉さんの意志に反し、ピクリとも動かず。逆に不安におののくライナスが握りしめる毛布の如く。僕の腕を力いっぱい握りしめている。

 自分の体の奇妙な反応に驚いているのだろう。急いで左手で右手の指を一本一本引きはがそうとしているが、気が動転しているのか指が滑り、うまくいっていない。

 

 いや、まあ当然の反応であろう。

 如何せん、僕たちは門を開けて、結界の張り直しをすれば。追跡者たる小人さん達を神咲邸内に閉じ込め安全に逃げられると思っていたのだ。そして実際に小人さんの追撃から一時的にのがれ、門の前にたどり着き、更には結界と門を開けることにも成功していたのだ。

 つまるところ姉さんにせよ僕にせよ、生きるか死ぬかの恐るべき状態において、“もう少しでうまくいく”、“もう大丈夫だ”という心理に陥っていたのである。

 にも拘らず、いざ門を開けてみれば外は異空間。脱出は不可能である。“もう殺されそうになることは無い”、“もう大丈夫だ”と安心したところで、明快な絶望を突きつけられたのである。

 

 

 

 人間の精神は、一定の方向からの負荷には随分と強い。拷問だろうと極限的に劣悪な環境だろうと、虎よりなお恐ろしい苛政であろうと。人間は“馴れて”しまうからだ。

 どのくらいその“馴れ”が強壮無比の物かといえば。地獄の悪鬼も頭を抱えるレベルで業にまみれきったこの人類が数千年かけてなお、拷問の技術が進歩し続けていることからも分かるだろう。歴史をほんの少しでも学べば分かる通り、碌でもない真似をすることについては恐ろしく有能なこの人間様が、数十世紀かけてなお人の心の壊し方については習得しきっていないのだ。

 

 とはいえ、人間の心というのは案外簡単に壊す方法があるのも事実であり、そのやり口は尋問や拷問、或いは精神的な強度を推し量るために実際に利用されていたりする。

 端的に言ってしまえば、人間の精神は一度耐性の構築できた負荷には空恐ろしいまでの頑強さを示して見せるが。一度その心理的障壁を解除されてしまえば、その内側にある深奥の部分はあまりにも脆く、柔らかくできているのである。

 

 例えば拷問するにあたって散々に対象を甚振り、苦しめ、悶絶させ。数日間攻めに攻め抜いてみる。それでも対象は口を割らない。無論、その日数を増やしてみたところで状況は変わらない。口を割る前に対象が責め殺されるのがオチである。

 が、一度対象への拷問を止め、簡易的な治療を施し、シャワーを浴びせ、髭を剃ってさっぱりさせ。挙句の果てに豪華なディナーに招待する。拷問していた人間の上司がにこやかに現われ、いやすまなかったね。手違いだったんだ。こいつは侘びだ。気兼ねなく食べてくれたまえと、礼儀正しく食事を勧める。

 先ほどまでの壮烈な拷問から解き放たれ、さっぱりした対象が安心して食前酒に一口口をつけた時点で……拷問吏が荒々しく扉を開け、対象の腕をねじり上げる。安心し、弛緩し、ほっと一息をついていた対象に、さて、拷問を再開しようかと告げる。

 ……ほとんどの場合、対象はそれ以上の拷問を必要とせず口を割るそうだ。連日にわたって拷問に耐え抜き、それ以上拷問しても口を割る前に衰弱死するであろう程の。死に抗いたいという生物的欲求を意志によって完全に抑え込めるほどの猛者であっても。一度心理的障壁を解いてしまえば恐ろしく脆いのだという。人の心というのは、一度構築した耐性を失ってしまえば悲しいまでに無力なのだ。

 

 似たような事例としては。日本の警察が特高の時代から得意としているらしい拷も……もとい尋問方法である良い警官、悪い警官が挙げられよう。

 即ち尋問に際し怒鳴りつけ、脅しつける“悪い警官”と、それをとりなし対象に同情的な“良い警官”を配置し。対象が“良い警官”に対してある程度心理的に寄り添った時点で、今度はその“良い警官”が鬼の形相で怒鳴りつけ、脅しつけて対象に自白を迫る。これもまた心理的障壁の解除を利用した人の精神の壊し方と言えよう。

 

 はたまた軍隊の訓練。兵士となるべき人間の精神の強度を推し量るやり口の一つとして。

 極限の負荷を与える、しかし進まねばならぬ距離の明示された行軍訓練を施し。対象が死ぬ思いでその距離を踏破し、疲労困憊しながら教官の待つゴールにたどり着いた時点で。“お疲れ様。だが、悪いがこの訓練はまだ続くんだ。もう20kmばかり同じ条件で行軍してくれたまえ”そう告げる方策があるのだという。

 実際にはその行軍は教官が告げた内容とは裏腹に、あと2kmも歩けばおしまいであり。そこまでの長距離行軍を耐え抜いた人間にとっては、肉体の負荷のみを鑑みれば誤差の範疇にすぎぬ距離を歩けば合格になるものなのだが。一旦ゴールにたどり着いた、もう安心だと思った人間の中には。その2kmにさえ耐えきれず脱落するものが続発するそうだ。

 

 

 

 もう大丈夫、ここまでで安心だ。

 

 

 

 そう思ったあとに待ち受ける最悪の事態に対し、気力を奮い立たせ、精神を再構築して立ち向かっていくということは、外宇宙の怪物ほどの精神的頑健さを持っていない人類にとっては致命的なまでに困難なことなのである。

 如何に原作でインチキじみた鋼の精神を誇っていた姉さんとはいえ、この“もう安心だ、逃げられる”と思った先に待ち受けていた“逃走経路が異空間になっていた”という事態による心理的なダメージは尋常一様のものとはならないであろう。大体、原作の姉さんよりも目の前の僕の姉さんは幼いのだ。畢竟、その心は脆く、柔らかく、弱弱しい。この異常極まりない事態に際し、精神の均衡を保ちがたくなったからと言って誰が責められようか。

 

 

 

 

 

六、

 必死に僕の腕をつかんだ自分の手の指を引きはがそうとしている姉さんの額に、こつんと自分の額をぶつけて見せる。……本当は彼女の手に優しく自分の手を重ねて止めてやれればよかったのだけれど。生憎僕の右腕は奇天烈極まりないオブジェとなっており、使用不能である。

 ん、左腕はどうしたのかって? 絶賛姉さんに握りつぶされようとしているのがその左腕なんだよ。

 

 いや、まあ、ともかく。

 このままで僕は大丈夫です。姉さんが手を握ってくれていた方が僕も安心するから、無理に剥がさないでください。姉さんの顔についた泥がこちらにも引っ付くのを気にもせず、そう笑って見せれば。目前の健気な幼子はぎゅっとめをつむり、歯を食いしばり、目じりに溜まった涙を振り払うように首を振って。数秒もしないうちにきちんとその双眸を開いたうえで。

 ごめん、ありがとう。それで、この先どうするの? と、問うてきた。

 自分は大丈夫だ。それよりも今後どうするのが最善であるのか、知恵を貸してくれ。半ばばかり言外に、そう示して見せたのである。

 

 彼女の中から、今までに積み重なったストレスが消えてなくなったわけではあるまい。恐怖も、煩悶もあろう。転生者であり、前世と今世あわせて30年ばかり生きている僕よりも。目前の、たった6年しか生きていない“お姉ちゃん”にとって、現状ははるかに不安なものであろう。

 しかし、にも拘らず。眼前の六歳児はこの危地に際し、差しのべられた救済に完全に寄りかかることなく精神を再構築して見せ。次にとるべき手を問うて来たのだ。いやはや、ほんとにメンタルの強い娘さんである。

 概ね孤立無援のまま怪異に殺されようとしている現状において。唯一の味方である姉さんの精神が頑強であることは、実に歓迎すべき事態である。

 

 とはいえ、姉さんの精神にも限界が近いのは間違いない。あまりのんびり現状に対処していると、僕たちの肉体の無事以前に姉さんの精神の均衡が崩れてしまう。何とかしなければ。

 しかし、どうやって?

 まともにやりあっても勝てない以上何か別の工夫が必要であるわけだが。相手の正体が未だ持って不明なのだ。

 

 人様を病気にさせる。

 おつむの出来は宜しくない。

 その集団すべてでもって一つの妖怪である可能性が高い。

 移動に際してさっぱり理由の窺い知れない加速減速を行いつつ、突然の方向転換を行う。

 見てくれは小人さんの集団であり、恐らくは日本古代をルーツとしている可能性が高い。

 大型日本家屋を周辺の庭ごと異空間へテレポーテーション(……なのだろうか?)させる。

 

 彼ら小人さんは、上記のごとき特性を持った怪異であることが分かっているわけだが。

 いるのか? そんな妖怪。

 

 そもそも、知力18、達人並みの退魔師としての知識をおつむに詰め込んでいるはずの神咲舞奈が見破れない怪異の正体とはいったい何なのか。

 勿論、シャーロック・ホームズさえ分からないような密室殺人のトリックと同等のペナルティを与える高難易度の問題であれば、僕だって答えにたどり着けない可能性があるのだが。ここまで怪しげな特性を持ちつつ、そんな理不尽なまでにマイナーな妖怪って存在するんだろうか?

 

 せめて敵の正体が分かれば、対象のしようもあるのだが。

 

 

 

 

 

七、

 敵の正体が、小人さんが一体如何なる怪異であるか分からない。

 対手をやっとうで片付けられない以上、もっとも注視すべきその問題について頭を悩ませていれば。ごしごしと額を擦られる。いったい何事かと目を向ければ。姉さんが寝巻の裾で僕の額を拭いてくれていた。女の子が泥だらけのままじゃ駄目だとのこと。

 いや、姉さん。それを言うなら庭を走っている間に躓きまくっていた姉さんの方が泥だらけですし。そもそも僕の額に泥が付いたのだって姉さんと額を合わせたからなのですが。

 

 とはいえ、聊か不安になるほど真剣に僕の顔を拭いている姉さんにそれを言うわけにもいかない。

 十中八九、姉さんは“妹を守るお姉ちゃん”という役割を強く意識することで、自身の精神の平衡を保っているからだ。自分より弱く、脆い、己の眷属を守らねばと思うからこそ、この危地にあってどうにか自分の心を奮い立たせられているということである。

 無論僕は現状において人様の心が読めるわけでもなければ、専門家並みの心理学技能を持っているわけでもないのだが。僕の手や着衣の裾を握りしめることに少々偏執的なまでに執着したり。或いは今現在の聊か場にそぐわない“お姉ちゃんらしさ“を発揮したりする彼女の振る舞いを見ていれば、概ね想像できるというものである。

 別段姉さんにその手の振る舞いをされることが嫌なわけではないのだが。この幼い退魔師の卵が本格的に精神を壊す前にこの危機的状況を脱しなければならなく。そのためには敵手の正体を見破る必要があるのだ。自分の汚れをさっぱり気にせず妹の顔を拭いている姉さんに構っている暇などないわけ……で……。

 

 

 

 ……うん?

 

 

 

 いや、ちょっと待て。おかしいぞ。姉さんが泥だらけ?

 何故?

 決まっている、庭を走っている最中に姉さんがあっちに躓きこっちにぶつかりと、まともに走れなかったからだ。

 

 何故、姉さんはまともに走れなかった?

 これも当然の帰結だ。夜空の星月以外光源の無い、木々の茂った夜中の屋外を、明かりも持たずに走れば泥だらけにならない方がおかしい。無論、僕のように野生動物並みかそれ以上に五感が鋭ければ話は別だが。姉さんにそこまで鋭い感覚は無い。こけつまろびつ走った挙句泥だらけになるのは必定である。

 

 そう、そこまではおかしな話ではない。

 しかし、しかしだ。だったら何故、今まで姉さんは小人さんと。

 

 

 

 

 

 “明かりのついていない真夜中の屋内”で、的確に戦えていたのだ―――――

 

 

 

 

 

 光源がないのであれば、屋外よりも屋内が暗いのは必定である。そして屋外でまともに走れないほど周りが見えていない姉さんが、明かりの無い屋内で戦うために必要なだけの視界を確保できるわけがないのだ。畢竟、姉さんは屋内において、小人さんと戦うことなどできなかったはずだ。暗すぎて姉さんの視覚では小人さんを探知できないのだから当然である。

 にも拘らず、何故姉さんは今まで小人さんと立ち回ることができたのか。

 

 疑問が疑問のまま残ることは無かった。

 新たに見出された疑問に対し、人類最高二歩手前の知力が高速で回転し、間髪入れずに答えをはじき出す。

 同時に、今まで疑問と感じることができなかった幾つかの問題を認識し、それらについてまでも回答を得ることに成功する。更には、それら問題を認識できなかった理由についてまでも、あっとういう間に理解する。

 僕に賦与された知力は尋常一様のものではない。一旦歯車がかみ合えば、今までまったく光明の見いだせなかった問題に対してさえ、一瞬で回答を見出してしまえるのだ。

 

 そう、今この瞬間。“何故姉さんが暗闇の中小人さんと戦えたのか”という疑問に答えを得た瞬間。このチート知力持ちの転生者たる神咲舞奈は、“小人さんの正体”が分かったのだ。

 姉さんが暗闇の中小人さんと戦えた理由を解明するにあたって必要な要素が、“小人さんの正体は何であるか”という疑問に答えを見出すための要素と同一であったためである。

 無論、その要素があったところで普通の人間が同じように答えを出せたかと問われれば相当に怪しいのだが。少なくとも外宇宙の怪物並みの知力を持ったナマモノにとっては十分なヒントであったということである。

 

 

 

 ああ、畜生。そういうことか。

 

 

 

 僕は内心、歯噛みする。

 結局のところ問題は、今まで小人さんの正体を見極められなかったその理由は。この神咲舞奈という存在が”TRPGのキャラクター”と”中の人”を同時に演じているという点にあるのだ。

 自身を転生者であると認識している、三十路まで幾ばくも無い年齢で死んだ成人男性が。GURPSの高CPキャラクターであるところの極めて知力の高い、放心持ちの5歳児の中に存在しているというのが問題なのだ。

 

 成程。客観的に見るなれば、僕は天才という表現でもなお足りぬ馬鹿げた才覚の持ち主である。

 齢五つにして達人と呼ばれてもおかしくない退魔師としての技量を持ち、特段努力することなくプロ並みの調理の技術、口車、演技力、その他もろもろの莫大な特性を持ち合わせている。常人離れした記憶力や理解力、思考速度に至っては言うまでもないことであろう。

 神咲舞奈という幼女は、数多の天才少女の中にあってさえ異彩を放つ、極大の才能の塊である。

 

 が、それらを持っているのは、あくまでも“放心持ちの5歳児”だ。

 即ち興味を持って今邁進していること以外については日常生活に支障が出るレベルで興味を持つことができず、更には未だ発達段階にある幼子であるのだ。

 おまけにその欠陥天才幼児を動かしているのは、贔屓目に見ても精々“人より頭が良い”程度の社会に出たばかりの若僧である。老獪さや、経験の深さからくる問題に先回りしての対処など期待すべくもない白面郎である。

 

 敵の正体が分からない?

 

 当然だ。この僕が、神咲舞奈を構成する諸々の要素が未熟であるためだ。今まさに目の前に示された、余りにも馬鹿馬鹿しい、明快なことこの上ないヒントが無ければ永遠に答えにたどり着けなかったであろう。酷い欠陥をこの転生幼女たる僕が持ち合わせていたが故だ。

 

 

 

 しかし、既に問題はない。

 ヒントは示され、問題点は明明白白となり、それらへの解決策はすべて示された。

 注力している一点以外にはあまりにも興味を持てない、未だ幼い天才五歳児の知性の前に。あらゆる材料が、彼女の認識できる形で示されたのだ。

 

 そう、もはや問題はない。

 敵の、あの怪しげなふるまいをし続ける小人さんの正体は明確である。

 

 単機で複数惑星を所有する星系間国家一つを運営するに足る、超光速メガ・コンピューター(理論上最高速度を出せても等光速でしかない電気信号ではなく、その数万~数千万倍の速度で伝播する超光速信号を利用して計算を行う超巨大コンピューター)。その建造物並みの巨大さを誇る遠未来の超大型コンピューターに匹敵する馬鹿げた知性が、今まで認識した出来事と教授された知識を統合し、検索し、必要な要素を抽出し、答えを叩き出す。

 

 生前民俗学関係の授業で学んだ知識。獣医志望の友人の実験に付き合って見た光景。十数年前に一度だけ読んだ書籍の文言。

 生前の親戚に何度か言われた。経験上では西は岡山、東は茨城まで。実際は全国どこででも確認できるらしい、一人で留守番する人間に告げる古びた慣用句。

 十六夜さんに、和音婆様に、亜弓さんに。徹底的に詰め込まれた、今生における退魔師としての英才教育からなる怪異妖怪魑魅魍魎に対する知識。

 或いは今生において八か月前ばかりに、一度だけ聞いたラジオのアナウンスの内容。

 

 それらが混然一体となり、魔女の大釜も真っ青のカオスの権化たる神咲舞奈の知性の中で生成され。須臾どころか清浄の間に答えがはじき出される。

 

 

 

 「まいな?」

 

 

 

 僕の様子が変わったことを、不安に思ったのだろうか。姉さんが訝しげな表情で、僕の顔を覗き込んでくる。

 走って来る際にかいた汗。右腕を破壊されたときの、或いは姉さんが重篤な怪我を負った時に浴びた返り血。はたまた姉さんの寝巻の裾で拭かれたがゆえに広がった額の汚れ。

 本来は整っていて、見目の良いはずの。しかし今となってはさまざまな理由でぐちゃぐちゃの、己の持つ幼子の相貌。それを笑みの形に歪め、姉さんをまっすぐに見返す。

 僕の振る舞いに何を感じたのであろうか。訝しげに視線を返す姉さんに、不安になるほど弱弱しい肺腑と喉を用いて音声を届ける。

 

 「姉さん、敵の……小人さんの正体がわかりました」

 「まいな? 何(な)よ言(ゆ)てるの?」

 

 不審げに聞き返す原作ヒロインに、笑って言葉を続ける。

 ああ、そうだ。小人さんの正体はわかったのだ。何故彼らがおかしな加速減速、方向転換をするのか。何故彼らが病を呼び込むのか。何故彼らのおつむが足りないのか。何故彼らが、神咲邸の外を異空間とすることができたのか。

 すべて答えは判明しているのだ。明快で、明白で、すべての疑問は白日の下にさらされ、真実は僕の前には明らかであるのだ。

 

 「小人さんの正体が分かったんです。彼らは謎の怪異などではなく、明快な習性と弱点を持った、単なる弱弱しい小妖怪にすぎません」

 

 再度答えた僕の振る舞いに、姉さんが口をつぐんだ。答えの代わりに、目線と表情で続きを促す。

 自分自身よりも、妹の方が頭の回転が速いこと。自分が分からなくても、妹には分かることがあるということを、きちんと理解できているのだろう。そこで不貞腐れずに話を聞こうとする姿勢は、年齢云々に関わらず恐ろしく希少な美徳であろう。

 姉さんへの評価を上方修正しつつ、僕は言葉を続ける。

 そう。つまるところ、対手たる小怪異。小人さんの正体とは……。

 

 

 

 「彼ら。あの複数の小人さんからなる怪異の集団の正体は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「“鼠禍”です―――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、敵の正体ははっきりと分かったのだ。

 あとは、反撃するだけである。

<つづく>




 小人さんとの戦いは今回で決着の予定でだったのですが。
 思いのほか長引いてしまいました。たぶん、第十二話で小人さんとの決着はつくはずです。きっと。

 なお筆者の調べた限りでは、”鼠禍”という妖怪は存在しません。
 ではなぜ舞奈は小人さんを”鼠禍”と称したのか。などは次回で説明できればなと思います。
 それでは、第十二話でお会いいたしましょう。

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