GURPSなのとら   作:春の七草

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第十二話『正体』

序、

 幼子というのは往々にして、大人から見れば奇妙な精神性を発露するものである。

 例えばコップが倒れているのを見て“コップさんが疲れている”と表現したり、或いは見えない何物か、乃至ぬいぐるみなどの明らかな非生物を相手に会話をしたり。

 

 無論それらはおかしなことではない。未だ精神の未成熟な幼子は、生物と非生物の区別をつけるだけの分別を持っていない場合があるのだ。またイマジナリーフレンドとの会話は、こと子供がやっている場合には精神疾患のみがその原因というわけでもない。単に幼いだけのごく普通の子供であっても、現実と夢想の区別をつけられず、カミサマやコロちゃんとおしゃべりする可能性はあるのだ。

 子供の精神とは未だ発展途上にあり、大人からすると信じられない機能の未成熟さを残しているものなのである。

 

 精神が発展途上であるというのは、神咲舞奈の“外の人”についても同じことが言える。

 “中の人”である僕はともかくとして。その外面たる神咲家の次女は未だ五歳児であり、その脳は大人であれば決して増えないはずの神経系さえをも増大させている、絶賛成長中の存在なのだ。

 

 そんな彼女の持ち合わせていない特性の一つとしてあげられるのが、“他者の視点”であろう。つまるところ、“自分以外の他人が現在の状況をどう認識できているのか”を考慮する能力が欠落、乃至不足しているのだ。

 その“他者の視点”というのがどんなものなのかを例示するなれば。今日の昼の(そう、僕は病院から帰ってきたその日に小人さんに襲われているのだ)姉さんの振る舞いが適当であろう。

 自分ならこの程度の勢いで抱き着かれても倒れない。だから妹も大丈夫だろう。

 自身よりもはるかに貧弱な僕を相手にそう考え行動したからこそ、僕はひっくり返る羽目となったのだ。

 “相手の状況からならば現状がどう認識できるのか”という思考は大人にとっても多少高度なものであり、いまだ人間に近付いている最中の幼い子供にとっては難しい思考展開なのである。

 僕自身にせよ、“家人が家の中にいないことをトンデモ聴覚を持たない亜弓さんは気づけないだろう”という事態を想像できず、おかしな振る舞いをしていたことがあるわけだし。

 

 上述の問題こそが、僕が“小人さん”の正体に気が付けなかった理由である。

 僕は暗くてもどうにか物が見える。しかし姉さんは見えないはずなのに、小人さんと戦っていた。何故か。

 そんな疑問を“外の人”が抱くことができない、という点に“中の人”が気付けなかったからこそ、小人さんの正体が分からなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第十二話『正体』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 前述の疑問への回答を得ることは、“他者の視点”というものを鑑みた場合容易である。

 つまるところ、僕に無くて姉さんにある感知能力を吟味すればよいのである。僕には見えず、姉さんには見えるもの。そんなものは一つしかない。“霊力”だ。

 更に言うなれば、単に小人さんが霊的に光って見えているだけでは、まともに戦闘はできない。

 神咲邸は古い作りの武家屋敷であり、相応の広さがある。とはいえ、やはり日本家屋である。土地の有り余った異国の家屋と異なり、立ち回りが自在にできるほどの広さがあるわけではない。ただ小人さんが見えているだけでは、壁にぶつかり、敷居に躓き、まともに戦えまい。にも拘らず幼女剣士が戦えたということは。薫姉さんが壁や床(或いは壁を意識させるだけの量で床のみを)をある程度認識できるだけの光源乃至目印を小人さんが提供している、ということに他ならない。

 ……まあ、実際には僕が想定しえない別の事情で全く関係のない何某かの存在が、姉さんのみに見える超物理的な光源を与えていた、という可能性だってないわけではないのだけれど。今回は小人さんが霊的な光源を与えていたと考えた方が辻褄が合うのでそこまでは吟味しない。

 そしてこの小人さんが何らかの“光源か、或いは目印を提供している”という点。これは小人さんの正体を見定めるにあたって非常に重要な鍵となりえる情報であろう。

 

 もう一つ、小人さんの動きを“不合理”と称するのも“他者の視点”の欠落を示す証左と言えよう。

 確かに、僕にとっては小人さんの動きは不合理に見える。が、だからと言って彼らにとってまであの動きが不合理であるとは言い切れないはずだ。彼らは怪異。異界の理屈で動いているのだから当然である。

 彼らの動きを不合理と切り捨てるのは。裏口の前に立っている吸血鬼が、玄関前にいる人間を襲うために家の中を通って最短の直線コースを取らず、態々家の周りをぐるっと回って襲い掛かるのを不合理と笑うも同じである。招かれねば家屋に入れぬ件の怪異にしてみれば、移動可能な最短距離は直線コースではなく迂回コースとなるのは当然だろう。人間ならばまっすぐ家の中を突っ切ってこれるからと言って、怪異にとってもそうであるとは限らず。畢竟、小人さんがおかしなルートを通って僕たちを襲ってきたからと言って、それが彼らにとっても不合理な移動であるとは言えないのだ。

 

 更に言うなれば、“神咲邸の外を異空間とする”というのも“他者の視点”の欠落した見方だ。確かに、僕からすれば神咲邸の門の外は異空間となっているように見受けられる。しかし、本当にそうなのだろうか?

 他者の視点を意識してみよう。例えば、和音婆様や亜弓さんが神咲邸に戻ってきた場合、そこには何があるのだろうか?

 僕達ごと神咲邸が異空間に飛ばされているから、そこには取り残された怪異のひしめく更地がある? そんな大規模な異変を、小人さんは起こせるのか? 何か不自然ではないか?

 無論、そうでないとは言い切れない。が、基礎を含めれば駆逐艦一隻分に迫る重量を持つ武家屋敷とその周辺建造物を、僕たちと小人さん以外の怪異全てを通常世界に置き去りにしたまま異界にテレポーテーションさせているなどといったトンデモな事態が、本当に起こっているのだろうか? そこまでの細やかな融通の利く大規模テレポーテーションの実行というのは、小人さんがこれまでに示したスペックを鑑みれば、得意不得意を勘案してなお幾らなんでも不自然ではなかろうか。

 或いは、神咲姉妹が、“神咲邸に極めて近い隣り合った異次元”に取り込まれているだけという可能性はないだろうか? GURPSのルール的にはあり得る話であるし、そうであったとしてもやはり僕は“神咲邸に小人さんと相対しつつ二人ぼっちで取り残され、外は異界”という事態に放り込まれるはずなのだけれど。 更に言うなれば。僕の仮説が正しかった場合、はたから見ればそれはどう呼ばれるべき現象であるのか。

 

 この、小人さんが。

 床と壁に痕跡を残す、乃至壁を意識させるレベルで光源か痕跡を残す存在である可能性。

 ハタから見ると不合理だが、当人たちにとっては大変に合理的なルートを通っている可能性。

 僕達ごと屋敷をテレポーテーションさせたわけではなく、僕達だけを先ほどまでと同じような光景の場所に引きずり込んでいる可能性。

 

 上記三つの可能性が、僕に小人さんの正体を見極めさせたのだ。

 無論、実際にはその他にも僕自身の予測を補強する材料が無数にあったからこそ、いきなり小人さんの正体を確言して見せたのだけど。まあ、ともかく。

 

 上記三つを勘案するならば、小人さんの正体が鼠禍。即ち“天災レベルで大発生した鼠の怪異”であるという結論に至るのだ。

 さて、ではなぜそうなると言えるのだろうか。。

 

 

 

 

 

 

二、

 そも、鼠禍とはなんだろうか? その辺りから見ていく必要があるだろう。

 

 鼠禍―――――

 

 人口に膾炙しているとはとてもいえない(古語辞典でも載っていない場合がある)この単語は古語であり、天災の一種であるところの鼠による災いを意味する。

 

 鼠による被害が何故天災扱いなのか? と思うかもしれないが。

 例えば静岡県富士宮市北山にある“ネの神様”と呼ばれる神社の記録によれば。天保十二年前後に、鼠の大発生により近辺の地域すべてで農作物の収穫高が“ゼロになる”被害を受けたとされている。往時の大被害を“鼠の大群という祟るカミサマ”と見做し、祀って今後の被害を抑えようとして出来たのが件の神社なのだとか。

 或いは昭和十年に箱根連山で異常発生した時は、何を思ったのか皆で一斉に芦ノ湖へ飛び込み。その死体の浮いている様が“木の葉を掃き散らしたよう”であったとされている。小型生物の死体だけで面積7平方キロの水面に“木の葉を掃き散らしたよう”と形容されるだけの有様を作るのに、どれだけの数が必要かと考えれば。大量発生した鼠の規模が想像できようというものである。

 

 鼠禍についてのもっとも古い記録としては、恐らく『続日本紀』巻二十三の記述がそれにあたろう。宝亀七年に河内、摂津で大発生した鼠の集団は、五穀どころか草木まで食べ尽くし。当時の天皇が諸国の群神に奉幣の使者を出すまでの事態となった、という漢文である。また同時期、下総国で数キロにわたって鼠によって草木がすべて食い尽くされるといった事態さえ起こっているのだとか。

 

 現代、即ち昭和の御世に入っても(お前は何を言っているのだと思うかもしれないが、僕の生きる今はまだ昭和である)、昭和三十四年には1,200平方キロを超える森林が鼠によって破壊されているし、“現代”でも毎年推定500~600億円ほどの被害を農業に与え続けている。

 更に言うなれば、前述したすべては食害だけを問題にしたものであり、鼠の脅威の一部を示したに過ぎない。実際には彼らはペストを筆頭に様々な病を運ぶ恐るべき害獣である。欧州での黒死病の大流行を例に出すまでもなく、世界的にはこちらの方が問題であろう。なお、フィリピン政府は未だに“鼠だけを殺す病気”を開発した場合賞金10万ドルを与えると約束していたりする。

 

 近隣地域すべての収穫をゼロにしたり、死病をまき散らしたり、数キロ平方の湖に木の葉の如く死体を並べる数で動き回ったり。はたまた国家元首が直々に対応するほどの深刻な影響を与えるのが鼠による被害なのだ。古の人々にとって鼠の被害とはまさに天変地異の一種であり、日照りや長雨、津波などと同様、人の防ぐことのできない“天災”の顕現だったのである。

 

 

 

 斯様な大被害をもたらす鼠の群れであるが、人間とて馬鹿ではない。そこまでの被害をもたらす存在であるからこそ、彼らの振る舞いについては大いに研究され、探求され、知性の輝きの元にその有様は詳らかにされている。

 

 その明らかにされている習性の一つが“鼠の道”である。

 鼠は警戒心の強い動物であり、こと人家の内においては、何度も通り、複数回自分自身の感覚器官で安全と確認できた場所しか素早く通ろうとはしないのである。初めての場所、或いは未だ然程通ったことのない場所においては。鼠は驚くほどゆっくりとしか進もうとしない。一歩進んでは耳を欹て。一歩進んでは鼻を蠢かせ。あるかもしれぬ近隣の脅威に常に備え、襲い来る敵手からいつでも逃れられるよう緊張し、ほんのわずかずつ。さながら11フィート棒で石畳を叩きながら進む冒険者(マンチキン)の如く自らの安全圏を確立していくものなのだ。

 そうして警戒に警戒を重ね何度も通り、己の痕跡によって黒ずんだ道が“鼠の道”である。鼠が素早く移動するのは、この己自身の五感で明快に安全と確信できた通路のみであり。そうでない未知の場所においては件の小動物は驚くほど慎重に動くものなのである。

 更に言うなれば、いったんできたこの“鼠の道”は鼠にとって絶対のものだ。例えば人間が実験のためにえさ場までのもっと安全なルートを用意し、挙句の果てにこの“鼠の道”にべったりと嫌鼠剤(鼠よけの薬)を塗った紙の壁を立てておいたとしても。鼠は人間の用意したルートを通ろうとはしない。本来ならば決して近付かないはずの嫌鼠剤を塗られた紙の壁を態々ぶち抜いてまで自身の確立したルートを通ろうとする。鼠というと何やら賢くて機転の利く生命というイメージが抱かれやすいものであるが。実際の鼠は空恐ろしいまでに伝統墨守の頑固者なのである。

 

 さて、この“鼠の道”とそれにまつわる鼠の振る舞い。どこかで見たことが無いだろうか。

 そう、僕たちを襲う小人さんの振る舞いに見事に重なるのだ。

 彼らは一定の奇妙なルートを通る場合においては素早く動くが、例え瀕死の敵が目の前にいようとも、こちらのあずかり知らぬ何らかの事情があらば驚くほどゆっくりとしか動かない。相手が足手纏いを抱えてゆっくり逃げているにも拘らずそれよりも更に遅い動きでしか追跡しないかと思えば、まったく異なるルートから僕達を素早く襲撃する。更に言うなれば、彼ら小人さんは数か月前から神咲邸におり、多くのルートにおいて散々に“安全確認”を済ませるだけの時間がある。

 小人さんの移動が不合理? それはあくまで“僕から見た場合”の感想である。実際には彼ら小人さんは実に合理的に動いていたのだ。即ち安全であるとここ数か月で確信できたルートにおいては素早く動き、未知のルートについてはゆっくり警戒しながら動く。相手が未知のルートばかり通ってまともに追跡できなければ、距離的に酷いロスがあろうとも、安全確保のできたルートを使って大回りに追跡を続行する。

 彼らの動きを思い返してみればいい。部屋の真ん中に、小人さんが普段行かない場所に立つ僕を襲おうとした小人さんの一群は、始終ゆっくりとしか動いていなかったではないか。翻って部屋の壁際に立っていた小人さんの一群は、僕が部屋の“出入口”……即ち人間も小人さんもそこには行かざるを得ない場所……に立った瞬間、凄まじいスピードで襲い掛かって来たのではなかったか。

 小人さんはおかしな動きなどしていなかったのだ。彼らは彼らのルールの下で、最大限の効率でもって僕たちを襲撃していたのである。

 勿論、姉さんの見えていた“光源”とはこの霊的な鼠の怪異が発する“鼠の道”だ。一応確認のために姉さんに聞いてみたところ、“黒く発光する光源”が床のあちこちにあるので、家の中では別段行動に困らなかったとのこと。姉さんにとっては見えているのが当たり前のものであるため、何故態々そんなことを聞くのかと訝しがられてしまった。話すと長くなるので、説明はちょっと後にすることにしよう。僕の頭の中でぐちゃぐちゃやっているだけならどんなに長かろうと一瞬で済ませられるが、姉さんに説明するためには舌を回さねばならないのだ。生憎僕は魔法使いであってエスパーではないから、“完全同調(第三版GURPSサイオニクスで確認できる、テレパスが行える特殊な意思伝達手段。会話の十倍の速度でコミュニケーションをとることができる)”は使えないしなぁ。

 

 

 

 

 

三、

 なぜ鼠の怪異が“古い日本風の(或いは中国風の)衣服をまとった貴人と従者の小人さん一行”などという姿をしていたのかについては説明する必要はないだろう。石川鴻斎の夜窓鬼談や、或いは河内屋徳兵衛の絵本妖怪奇談などを見れば一目瞭然、そのままな描写の鼠の怪異が描かれている。鼠の怪異というものは斯様な姿をしているものなのである。……流石に、小人さんの見てくれから彼らの正体を見破るのは無理があると思うけれど。一定の時代の衣装をまとった小人さんの群れ、という情報では、余りに該当する怪異が多すぎる。とはいえ彼らの姿については正体が正体である以上なんらおかしなところはないということだ。

 

 小人さんが僕たちを異界に引きずり込むというのも、彼らが鼠の怪異であるということを勘案すれば特段おかしな話ではない。

 生前民俗学を修めていた僕個人としては東は茨城、西は岡山辺りまででしか確認できていないのだが、実際は全国で確認できるらしい一人で留守番する人に掛ける慣用句がその根拠となる。

 そう、すなわち。

 

 鼠にひかれないで―――――

 

 と、いうやつである。

 単純な意味としては、鼠に連れて行かれないでね、というものであり、転じて御留守番気を付けてね、という意味の言葉であるが。その語源を見ていくなれば。これは鼠が穀物を盗む場合、その体の小ささから少しずつしか盗めない。しかし何度も盗むので“いつの間にか”人間が認識できるほど多くの穀物が盗まれてしまう。結果として“いつの間にか”“人間が認識できるほど多量の”穀物が鼠のせいで消えてしまうという事態をその祖としている。

 “いつの間にか”、“たくさんの物が消えてしまう”というのは古の人々にとってはすなわち “神隠し”である。

 これにより鼠にひかれないで、という言葉は。鼠の振る舞いによって古人の認識に刻まれた一種の“神隠し”を表すものであり。そうであるがゆえに、鼠の怪異が“神隠し”を行うことは特段不思議なことではない。

 ために、小人さん達が神咲姉妹を“誰もいない”神咲邸に放り込むことが可能だったとしても特段不思議はないのである。何となれば。それは他者から見れば神咲姉妹を“神隠し”に会わせた事態に他ならないからである。

 

 

 

 「ん……舞奈の()ていることは(こちゃ)分かった」

 

 人類よりは宇宙戦艦(ジャパニメーションの、巨大ロボットが出てくると単なるやられ役に成り下がるそれではない。等光速宇宙船が本当に作中でカタツムリ呼ばわりされる、スペオペ世界でのそれ)と比べた方が手っ取り早いインチキ知性で要約し、姉さんに小人さんの正体を説明する。上記の台詞は僕の平明簡略なことこれ極まりない説明を聞いた、姉さんの反応である。

 

 「でも(しかし)、鼠禍という(ちゅう)のは大量発生した(ねずん)怪異(めん)のことを言うんでしょう(ゆんじゃんそ)? 何故舞奈は小人さんが大量発生した(ねずん)怪異(めん)ってわかったの?」

 

 続けて示された姉さんの疑問に、僕は笑って答える。実に明快な問いであったからだ。

 

 「ああ、それなら簡単です。」

 

 「8ヶ月ばかり前に、笹の一斉開花があったじゃないですか」

 

 ほら、野麦のパンがどうのとか、ラジオで言っていたでしょう? そう告げるが、姉さんは首をかしげるばかり。……やっぱり覚えていないか。まあ、仕方がない。

 ともかく。

 笹は200年周期で実をつける……実際、本当にそうかは怪しいらしいが、非常に長い周期で一斉に実を結ぶ植物だ。その実は小麦をも凌駕する高い栄養価を持ち合わせているうえに。中国の伝説にも語られ、戦中日本が実際に研究した挙句不味過ぎて開発がとん挫した多産米を(味についてはともかく量については)凌駕する実の多さを誇っている。一説によれば、可住面積三割を切るこの山がちなまほろばの地が“黄金の国”と呼ばれた所以は。逆に言えばその七割を占める山を彩る笹が実らせる“金色の”笹の実が演出したのだという話さえあるのだ。そこまで莫大な量と栄養価を兼ね備えた穀物が自然現象によって周期的に自然の恵みとしてもたらされるのであれば。鼠の集団たる怪異が件の植生の一斉開花によって活性化したとしても何の不思議もあるまい。

 と、いうか。この笹の一斉開花と鼠の大発生というのは基本的に周期が一致しており、他の要因で鼠が大発生することこそあれど。笹の一斉開花が起こったにもかかわらず鼠が大発生“しなかった”ということは日本史上において無いのである。ために鼠の妊娠期間その他を考慮して、八か月前に笹の一斉開花が起こったから今この時に鼠の大発生をモチーフとする怪異が猛威を振るうというのは至極当然のことであると言えるのである。

 

 「うん、舞奈の言うことは(ゆこちゃ)わかった。正しい(ただし)思う(おも)

 

 僕の説明に、姉さんは頷き。少し考えてから、更なる疑問を紡ぎだす。

 

 「でも、小人さんが鼠だという(ねずんだちゅう)なら、なんであんなに(あげん)頭が悪い(わり)の? うちたち(どん)が門に逃げる事なんか(にぐっことなんち)わかり切ってるのに、まだ門に来れないなん()おかしいよ

 それに(そいに)動物だっていう(だちゅう)なら、舞奈が消火器使った時点ですぐに逃げない(いっきにげん)のも変。あんな(あげな)おかしな匂い(かざ)してる(しちょっ)のに、なんで小人さんはすぐに(いっき)その(そん)場所から離れなかったの?」

 

 「それも明白です。彼らの判断が悪く、頭の巡りが悪いのは“幼かった”からですよ。彼らは亜成獣の怪異です」

 

 鼠は多量の食糧がある場合、一気にその数を増やす。即ちたくさん食べれば成獣はすぐに子を成し、その子は富栄養下では通常よりも未成熟な状態で子を成せる状態となる。素早く子を成せるようになるということは短いスパンで更なる子孫を作成できるということであり、これが鼠が沢山の食べ物がある場合に一気に増えるからくりである。

 が、当然短い年月で無理やり大人になるということは生物学的に無理があり、このような環境下で生殖可能なまでに育った鼠は通常よりも小柄なものとなる。実際に野生動物としての鼠の亜成獣が愚かであるかどうかはさておいて。呪術的に考えるなら、“幼いまま大人になった”ものというのは頭が悪くて当然と言えよう。それに食糧が一気に増えたことから始まって8ヶ月という期間(実際は小人さんは数か月前から神咲邸にいるので、想定される期間はもっと短い)は、鼠にとっても少々短いものに過ぎる。彼ら小人さんが、“短い期間で成長する大量発生した鼠の顕現”でない限り、今ここに鼠禍をその正体とする小人さんがいられるはずがないのである。

 

 ここまで説明すれば、彼らが集団で一つの妖怪であるというのも別段疑問を持たれるような事態ではあるまい。彼らは鼠禍という“天災”の顕現であり、何か個々の妖怪が寄り集まってあの集団になっているわけではないのだ。

 

 古い本に描かれた鼠の妖怪の姿については、今生における神咲家での英才教育で。

 ことわざや、鼠禍についての知識については、生前民俗学を専攻していた故に。

 鼠の道や、彼らの頑固な行動については、生前獣医志望の友人に連れられ、野次馬気分で見物した動物行動学の実験から。

 笹の一斉開花については、生前中学生辺りに、一度だけ読んだ書籍の内容から。

 

 あちらで聞きかじり、こちらで半目で見。そちらでたまたま見聞きし、遙か前にちらりと読み。

 それら僕の前世と今生での経験のあちらこちらに散らばったピースがインチキ知力の下一つとなり、小人さんの正体を明確にする。

 

 

 

 正体が明快ならば反撃の方法など瞬時に組み立て可能である。

 即座に二つばかり計画を立てては見たのだが。残念ながら戦力不足もいいところの神咲姉妹では、一方的な勝利など望むべくもなく。いずれも一長一短。手ひどい問題を抱えている。

 いずれにせよ主戦力たる姉さんがひどい目に合うわけであるが。さて、どちらにすべきであろうか。

<つづく>




 お久しぶりです。
 鼠禍の正体解説回でした。……短縮しすぎたせいで、回収不能になった伏線があるとか。
 まるごと消滅したエピソードが二つばかりあるとか、色々あるのですが。
 同じ文言が何度も出るという事態は多少は意識して減らしました。無論、読者の方々がその見解に同意してくださるかどうかは別問題ですが。

 今回は二話同時投稿です。
 第十三話で小人さんとの戦いに決着はつきます。
 ともあれ、第十三話でお会いいたしましょう。

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