GURPSなのとら   作:春の七草

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第十三話『微塵』

序、

 さて、敵の正体は分かった。あとは反撃して全滅させればそれでよい。

 が、その前にやらねばならぬことを済ませておこう。

 

 目を閉じ、自分自身の記憶の中から必要な情報群を引きずり出す。

 

 最初に、神咲邸内部の正確な形を思い出し、その内部で音がどのように反響するのかきちんと認識する。

 次に、僕が最初に小人さんの存在に気が付いた日から今日まで、神咲家で聞いた音全てを思い出す。

 更に、時系列に従って神咲邸内部における住人(と怪異)の位置情報を分かっている限りすべて引き出す。

 最後に当時の天候や周囲の状況を、それらによって発生が発生させる音を思い出す。

 

 さて、後はノイズキャンセリングを行うだけである。

 記憶から引き出した数か月分の音の中から、家人や小人さん以外の怪異が立てた音を彼らの位置情報や行動から想定し、その音を削除していく。勿論、僕自身は常に同じ場所にいるわけではない。僕自身と彼ら家人の位置関係によって消去すべき音の波は変わってくる。僕が自室に伏していて、姉さんが庭にいるならば。姉さんの発した音は廊下を伝わり、障子を震わせ、大気と畳(と布団)の両方から僕の耳へと入ってくるはずである。それは当然目の前にいる姉さんが立てる音とは異なったものとなっているはずであり、その点を考慮しなければ正確に音を削れない。

 更に天候によるものも削除する。新聞やテレビ、ラジオ放送の記憶を掘り出し、或いは単純に自分の見聞きした有様を思い出し、雨音、風の音、木々や虫、鳥のざわめく環境音を消去する。

 そうやって僕が如何なる音であるかしっかり認識できる音を片っ端から消していけば、ほら。いくつもの小さな足音が聞こえる。小人さんについての音波情報である。これを当時の自分の位置と神咲邸の構造を鑑みてあれやこれやと修正していけば、ここ数か月間、小人さんがどこを歩き、どこを走ったのかが委細漏らさず明らかとなる。

 更にこの小人さんの移動履歴を脳内に作り出した神咲邸の模型の中に張り付けて行けば。彼らの移動ルート“鼠の道”の脳内地図の完成である。

 

 素直に小人さんの立てた音だけを思い出してもルートは確認できるだろうと思うかもしれない。が、それは不可能だ。

 如何せん僕は《放心》の特徴を持っている上に完璧な記憶力を保証する《写真記憶》の特徴を持っていない。数ある怪異の一つが立てる小さな音などといった、あまりに細かいことについてはそもそも大雑把にしか覚えていないのだ。ために総体としての“自分が聞いた音”から自分が覚えている音を差し引いていくという手順を踏まなければ、聞いた音のどれが小人さんの足音であるか分からないのだ。

 

 

 

 門の前から玄関にまで戻り、実際に鼠の道が見えている姉さんに確認する。あちらの床に十字路がありますね? あっちは随分道が無い。こちらの道はL字型のものがふたつ重なるように配置されている。それでドアの前のあそこは……。

 ……聞いてみた限りでは、特段問題なさそうだ。

 

 取りあえず小人さんと相対するにあたって、一つ有効な武器ができたと言えるだろう。

 小人さん……鼠禍……はこのルートに大きく依存して移動を行うのだ。彼らの作りだした道が分かっているというのは、彼らに相対するにあたって大きなアドバンテージを得たということなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第十三話『微塵』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 さて、小人さんと戦うにあたって取りうる戦法は二つある。即ち彼らを打ち倒すに十分な剣力を得るか、一撃で何もかもを吹っ飛ばすかである。

 前者については、素直に姉さんに戦ってもらえばよい。

 ちょっとまて、お前はそれでさっき勝てそうにないと判断したのではないかと思われるかもしれないが、今は状況が違う。

 何せ脳内地図がある以上、僕自身の知性でもって相手の移動ルートも完全に見切ることができる。早い話、姉さんに適切な助言ができる。更に言うなれば、簡易的な清めの儀式(祝詞を唱えて台所にある塩と酒を撒く)で相手のルートを寸断し、おびき寄せたり、或いは移動ルートを制限することも可能だ。

 さらに言うなら敵の正体が分かっている以上、こちらは総力を持って戦うことができる。想定外の出来事があるかもしれないから、というのは考える必要が無いのだ。後先考えないならもう少しやりようはある。

 例えば日本語版GURPSの一つ、ルナル・サーガでストッキング男爵家の末裔が行っていた戦法辺りは有効だろう。即ち前衛……姉さんだ……に完全に防御を捨ててもらい、攻撃だけに集中してもらうのだ。GURPS的に言うなれば、常時全力攻撃のオプションを採用し、回避判定を放棄するということである。勿論そんなことをすれば今まで以上に姉さんは怪我をする羽目になるが、それは呪文で治せばよい。GURPSの治癒呪文の使い手がいるなれば、前衛は肺が潰れようが肋骨が粉微塵になろうが、或いは腸がぶらんぶらんとはみ出ていようが戦い続けることが可能なのだ。

 先ほど廊下で姉さんと小人さんの戦いを見たことで、小人さんと(実戦における)姉さんの戦闘能力は把握できている。小人さんの正体から想定される彼らの耐久力を鑑みるに。戦法を変え、ルートを限定し、適切な助言と回復魔法の乱発があれば。僕が治癒の術を姉さんに掛けられなくなるよりも前に、姉さんは小人さんをミンチに出来るだろう。……十中八九可能なはずだ。

 

 が、この戦法には二つの問題がある。

 一つは水物でどっちに転ぶか分からない近接戦闘で決着をつけねばならないという点だ。疲労している姉さんが足を滑らせすっころんだ挙句木刀を放り出してしまう、などといった事態が起きたらフォローは不可能だ。そうなれば姉さんは小人さんに殺到されるだろうし、僕は戦闘中、治癒魔法を放てるだけの案山子にすぎない。

 二つ目の問題は、姉さんの精神についてである。この戦法、只でさえ精神的に限界が近い姉さんに、臓腑を食い荒らされるレベルでずたずたにされながら戦えと求めねばならないのである。無論、この戦法を姉さんに承諾させることは可能だ。僕と姉さんの知力差と、説得に用いる技能の持つ特性を鑑みれば。この危機的状況にあって、僕はこの戦法以上に自殺的な行動であろうとも、姉さんに承諾させることができるだろう。

 が、可能であるからと言って実行に移すかどうかは別問題だ。

 そも、現状における僕の目的は神咲家に与えられた恩を返すことだ。生き残ったはいいが姉さんは廃人になりましたという事態はちょっといただけない。治癒系呪文を駆使すれば廃人の精神を再構築し直すことは可能ではあるのだけれど。生憎その呪文はまだ習得していない。数か月か、何年か。姉さんのSAN値がゼロのままというのは、僕自身が許容しかねる事態である。

 

 

 

 

 

二、

 では二つ目の戦法はどうかといえば、こちらも問題を抱えている。

 一撃で何もかもを吹っ飛ばす、即ち小人さんをおびき寄せて爆殺する心算であるわけだが。……おびき寄せるための囮が無い。

 

 移動ルートが分かっている以上、ルートを制限して小人さんを一定地区に追い込むことはさして難しくない。爆殺も簡単だ。折り紙を折るときにも吟味した技能なし値を用いれば、僕は特段その手の教育を受けていないにも拘らず、“専門の教官よって2400時間ばかりの教育を施された平均的なおつむのテロリスト”と同程度のトラップ作成能力を行使できる。ちょっと台所の物を弄って自動発火装置と、適切に大気と混ぜられたプロパンガスといったシチュエーションを演出するのは朝飯前だ。低位の怪異にすぎない小人さんがガス爆発に耐えられないことも間違いはない。

 

 問題は彼らの知覚能力だ。

 小人さん……鼠禍……はほぼ間違いなく嗅覚をその感覚器官の主力として用いている。

 え? 鼠って目がいいんじゃないの? と思う方もいるだろう。実際、呪術的には鼠は目が良いことになっている。鼠の糞や黒焼きにした死骸を用いて作る薬は、いずれも目に良いとされるものである。

 が、実際の動物としての鼠というものは特段目が良いわけではないのだ。彼らが危機回避に用いるのは基本的に嗅覚であり、大量発生した促成栽培の鼠の群れであるところの鼠禍は、勿論呪術的な相よりも動物としての相の方が強いのだ。消火器の煙を浴びた際に右往左往していたのも、煙幕によって視界が遮られたことが問題だったのではなく、同時に発生したあの酷い匂いに困惑していた可能性が高い。

 

 そしてこの匂いによって彼らが僕達を探知しているというのが問題だ。視覚を頼りに動いているなら誤魔化す方法は幾つかあるのだが、匂いは難しい。如何せん、一瞬そこにあって後には何も残さない視覚情報とは異なり、匂いは残るのだ。例えばおびき寄せようと今着ている服を囮にしたところで、彼らは騙されないだろう。その囮があった位置から、もっと強い匂いを持つ“僕たちの身体”が移動した履歴を、彼らは確認できてしまうのだから。

 勿論もっとも強い僕たちの匂いを持つ存在。即ち僕か姉さんを囮に使うというのは却下だ。爆殺するつもりである以上、僕の行う攻撃は間違いなく囮も巻き込むし、そうなっては囮をやった方は助からない。僕は死ぬ気はないし、姉さんを殺す気もない。

 

 或いは、もっと強い。……そう、“僕たち自身よりも強く”僕たちの匂いを発するものがあれば何とかなるのだが。

 しかしそんな不可思議なもの、この場にあるだろうか? 時間があればそんな物品を用意することは不可能ではないのだけれど。今すぐお手軽にとなると無理がある。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 あ、いや。待てよ。無くはないのか。うん、あるな。

 しかし僕だけでそれを調達するのは不可能だ。姉さんに手伝ってもらう必要がある。恐らく小人さんに自殺的突撃を敢行すること以上に渋るだろうが、どうにか説得するしかない。

 それに多分、妖怪の群れを相手に臓腑を喰いちぎられながら戦うよりは姉さんの負担も軽いと思われる。勿論、僕にかかる負担など度外視して良い。僕のインチキ精神は、小妖怪相手に少々異常な戦法を取った程度では、小揺るぎもしないのだし。

 

 作戦は決まった。採用するのは無論後者の戦法である。後は行動に移すだけだ。

 思考速度の差故に、鼠の道についての確認をしてから一切遅滞なく行動に移したように見えたからだろう。不思議そうに僕を見つめる姉さんに伝えることを吟味しつつ、僕は神咲邸の奥へと進んでいく。

 

 

 

 

 

三、

 一応何度か姉さんに確認を取りつつ、鼠の道の一部を清め、ルートを潰していく。

 当面、小人さんに襲われる心配はない。彼らの位置は足音でわかるし、鼠の道は既にいくつか潰しているのだ。彼らが僕達のところに追いつくには相当の時間が必要だろう。

 遭遇しないで済むやり口があるなら、そのまま逃げ続ければよいのではないか、と思うかもしれない。態々戦う必要なんてないじゃないかと。無論それも、一つの方策ではあるだろう。

 が、この場合それは悪手だ。何となれば、僕たちは絶賛神隠しに遭っている最中なのだ。どうにかして彼らを打ち倒し、術を解除しなければ通常空間に戻れないのである。無論、神咲邸での出来事である。時間を稼げば和音婆様あたりが救出に来てくれる可能性はあるのだが。この神隠しを起こしている空間と実際の空間で同じ時間が流れているとは限らない。外での三日がこちらでは三か月間、などといった時間流の乖離があった場合、流石に逃げきれない。

 なお、小人さんを殺害しても術が解除されない可能性は考えなくもないが。その場合は驚異のなくなった異空間で救出を待ちつつ食いつないでいけばいいのであまり気にしていない。呪術的な異空間であるためヨモツヘグイ(正しい用法ではないが、要するに異空間でそこの産物を食するというのが異空間そのものとのつながりを深める場合があるという意味で用いている)が心配だが……そこまで考えていられる余裕がない。CP総計が高くとも所詮は幼い幼女にすぎない僕では、そこまで踏み込んだ対策を立てるだけの手立てがないのだ。

 

 鼠の道の改変が終われば、次は罠の作成だ。台所で手早く済ませてしまう。ガスの匂いが時間と共に強くなっていくが、これで小人さんが警戒するということは無いだろう。そこまで頭が使えるならば、そもそも消火器が放った強い臭いを浴びた時点で右往左往などしていないはずだ。或いは、怪しい臭いを感じたら逃げるという野生動物の本能のようなものは、妖怪であることによって失われてしまっているのかもしれない。

 

 知力差と人生経験の差、それにGURPSのキャラクターとして使える幾つかのやり口を用いることで、嫌がる姉さんを協力させ、“囮”を作成する。他に方法が無いので仕方がないのだが、やはり姉さんの意に沿わぬやり口を強要するというのは気分の悪い話だ。作成を終え、真っ青な顔でへたり込む姉さんを横目に、必要な場所に“囮”を放り込む。

 

 準備は完了した。台所にゆっくりとガスが充満し始め、簡易的な自動発火装置は今か今かと炸裂の瞬間を待ち望んでいる。無論、小人さん達はこちらの居場所に気が付いている。彼らが鼠の道を通り、こちらに近付いてくる足音は既に聞こえているのだ。彼らは進んできている。僕達が改変し、特定のルートを通らせるよう細工した鼠の道を、だ。件の怪異群はこちらの思惑通りの時間をかけ、もっともガスと空気の混合率が適切な瞬間、仕掛けた“囮”に殺到することだろう。

 

 姉さんと共に台所の床下収納に潜り込む。僕達もまた僕たちの匂いという目印を発している。“囮”が機能しようとしまいと、台所から出てしまってはさすがに小人さんもおかしいと思うだろう。

 爆発というものは下から上に行くものだ。部屋のもっとも下方にある床下収納にいれば、被害は最低限に抑えられるはずである。……たぶん。

 

 ……本当に大丈夫なんだろうな、これ。

 

 幾らスペックがインチキじみていても、この戦いは事実上神咲舞奈の初陣だ。机上の学問が実戦でも通じるのかどうかなど分かったものではない。今のところ想定通りに物事は動いているが、だからと言って今後もその通りだという保証はない。精神力が超然とした振る舞いを可能にしてくれているとはいえ、中の人も外の人も不安を感じないわけではないのだ。

 

 いや、大丈夫だ。僕の論理的思考が問題ないと弾きだした以上、何の不安があるというのだ。情動にかまけるような余裕があるわけでもなし、震えるのは後にしろ―――――

 

 そう自分に言い聞かせ、姉さんと狭い空間で身を寄せ合う。姉さんは勿論のこと、不安におびえる余裕さえない。青白いを通り越して白い顔で、ずっと下を俯いている。こちらについても、どうにかフォローしなければならないのだけれど。当然のように今できることは何もない。大丈夫だという代わりに、何も言わずに彼女を抱きしめるくらいが精々である。……左腕しか動かないが。

 

 

 

 

 

四、

 「びょうきがんばれー、まいなーしねー」

 「びょうきがんばれー、かおるーしねー」

 

 病を言祝ぎ、僕たち姉妹を呪う声と共に、段々と小人さん達の小さな足音が近づいて来る。

 傍らの姉さんが震えているのは、先ほど水を被ったからだけではあるまい(少しでも匂いを抑えるための、涙ぐましい小細工だ)。現状で僕たちの位置が看破された場合、そこで“おしまい”である。床下収納は幼女二人が収まれば一杯一杯で、木刀を入れて置く余裕はなかった。大体、こんな狭い場所で小人さんの攻撃に対応できるわけもない。あくまでこの戦法は、次善の策など考えない爆殺にすべてを賭けた、一発勝負の代物である。

 

 「びょうきがんばれー、がんばれーびょうきー」

 「まいなしねー、しねーまいなー」

 

 呪詛と言祝ぎは適当に行っているのだろう。時たま、彼らの放つ術理は、姉さんのみ、或いは僕の身を狙って放たれる。姉さんのみに行った場合、こちらに何の被害もないのだが。僕の方に来てしまえばそうはいかない。すっと体が冷えていき、逆に肺だけがまるで煮え滾る湯につけられたかのように熱くなる。喉元へと走る苦味は、間違いなく血だ。何時もならそのままげほごほと吐血するのだが、今それをしては臭いで位置が分かってしまう。必死に血を呑み込み、その催吐作用にえづきながら、治癒術で病を癒す。僕の異変に気が付いたのだろう。姉さんがぎゅっと僕の左腕を握る。

 その振る舞いは隣の生き物を確認し、自らの恐怖を和らげるためか。守るべき相手の存在を確かめるためか。妹を守るというお姉ちゃんの決意の表出なのか。恐らく彼女自身、分かってはいないだろうし、或いはその何れでもない、極限状況に対する渾沌とした情念の表れにすぎない可能性さえある。いずれにせよ、爪が真っ白になるほど強く握りしめるそのさまは、姉さんの小さな体の内側に渦巻く、手ひどいストレスの存在を大いに想起させるものだ。

 

 「かおるーどこだー、まいなーしねー」

 「まいなーどこだー、かおるーしねー」

 

 呪詛に別の言葉が入り始める。小人さんは既に台所を視認できる場所まで近づいているのだ。匂いを辿ってやってきてみれば、目標たる僕たちが見当たらないのだから、彼らの反応も当然のものと言えよう。

 彼らが気付いたのは僕達か、それとも囮か。くそ、判断材料がない。何かほかに情報は……ああ、いや。落ち着け。今ここでグダグダ考える意味は無い。よしんばこの時点で囮が見破られていたとしても、僕たちに出来ることは何もないのだ。既に彼らは僕達に近付きすぎているし、こちらは丸腰だ。分かっている、分かっているんだ。いずれにせよ彼らに勝つためには乾坤一擲な勝負を仕掛けるしかない。チャンバラよりはましだと爆殺を目論んだのは僕自身だ。胸すわって進むしかない。畜生、葉隠覚悟の意志力は何点だ。真面目に考えれば絶対に僕の方が強い意志力を持っているはずなのに、このザマか。

 胸中より湧き上がる不安を押し殺し、少しでも暖かみを得ようと恐怖ではなく寒さに震える体を姉さんに押し付ける。床下収納の真っ暗闇の空間。まともに動くこともできぬその中で、姉妹揃って震え抱き合う。姉さんが僅かに鼻を鳴らし、腕を握っていない片手でぎゅっと僕の頭を抱きしめた。僕の振るえを恐怖の発露と認識したのか。泥と涙で汚れた顔が、僕の頬に擦り付けられる。

 無論、嫌悪など覚えようはずもない。ああ、そうだ。六歳児だってお姉ちゃんをやっているのだ。神咲舞奈が不安を抱いてどうするのか。どうするのか。そう念じてなお、腹の底で蜷局を巻く黒い不安は、しゅうしゅうと舌を鳴らして僕の理性に齧り付かんと様子をうかがっている。

 

 「かおるーいないぞー、まいなーころせー」

 「まいなーいないぞー、かおるーころせー」

 

 がんばれー、がんばれーと言っていた時と何一つ変わらない。能天気でどこか空虚な小人さんの唱和が、虫の音一つしない夜半の大気を小さく震わせる。既に彼らは台所の入り口にまでたどり着いている。あとは一直線に進んでくれれば囮にたどり着くわけだが。そのルートはものの見事に床下収納の上を通るものである。

 なんだってそんな馬鹿げた誘導をしているんだと思うかもしれないが。鼠の道はその成り立ちの都合上、僕達には消すことはできても新しく作ることはできないのだ。ために誘導ルートはどうやっても限定されたものとなり。彼らを爆殺に最適な場所に誘導するためには、どうしてもこんな間抜けなおびき寄せ方をせざるを得なかったのだ。

 

 ………………

 …………

 ……

 

 小人さんの声が止まる。足音が近づいて来る。なぜ黙った。なぜだ。

 いや、そうか。獣は得物を襲う際、声を出さない。或いは彼らも―――――

 

 姉さんが僕を抱きしめる力が強まる。どくりどくりと、僕のそれよりも遥に力強く脈打つ心臓の早鐘が、僕の皮膚を、筋肉を、肋骨を介して内臓にこだまする。baQa'! さっさと通り過ぎてくれ。不安に震える中の人。馬鹿げた意志力によって冷静極まりなく、悲鳴どころか嗚咽の一つも上げぬ外の人。高性能なキャラクターの中にいるのも考え物だ。六歳児と一緒に、或いはそれにさえ劣る臆病さでもって震える中の人。そんな奴のことは知ったことかと冷静なままの外の人。それら状況を極客観的に観測可能な……ああ、くそ。そいつは誰だ。僕は神咲舞奈だ。だが神咲舞奈とはいったいなんだ。

 そんな事態になってなお、その不安を僅かでも和らげようと、神咲舞奈は冷静に左手で姉さんの背中をさすっている。

 

 

 

 夜の帳の落ち切った時刻に相応しい、耳の痛くなるような静寂が取り戻される。

 小人さんの、近づく足音さえ止まったのだ。

 その位置は。

 

 

 

 床下収納の、僕たちの真上だ―――――

 

 

 

 

 

 「みーつけた」

 

 

 

 

 

五、

 薄板一枚隔てて告げられる能天気な死刑宣告。

 その声の意味するところを理解したのだろう。危うく悲鳴を上げそうになった姉さん。慌ててその口を手でふさぐ。

 ここまでか。絶望が鈎爪付きの手で僕の心臓をわしづかみにする。どっと脇や背中から冷たい汗が流れ、足の裏のあたりがギュッと縮まる感覚がする。心中悲鳴を上げる中の人。なおも打開策を考える外の人。

 

 一か八かここで、この位置関係で爆破を試みるか。いや、無意味だ。ここまで近ければ、共倒れか、どちらも生きているかの二択だ。いずれにせよ僕たちの敗けである。

 他に方策は。……ない。

 積んでいる。投了だ。どうしようもない。

 

 早鐘のようになる心音。これは姉さんの。恐怖に怯え、酷く早い。

 弱弱しい、落ち着いた心音。僕のだ。この期に及んで、神咲舞奈は冷静だ。が、だからと言ってできないものはできない。

 更に複数の心音。小人さんのそれか。一丁前に心臓もついているのか。大きさが大きさのため僕のそれよりもさらに小さいが、幾つもの音がバクバク、どくどくと……。

 

 

 

 いや、待て。

 音が遠い。

 奴らは僕たちのすぐそばにいるんじゃない。

 上だ、上にいるんだ。

 

 奴らは流し台の上、その上の棚に上っている。

 床下収納があまりに流し台に近いため、正確な位置が分からなかったのだ。彼ら小人さん達は、X軸、Y軸上ではほぼ僕達と重なる位置にいるが。Z軸上では上方にいる。

 みーつけた、か。成程、その通りだ。彼らは確かに見つけたのだ。より強い臭いを発する目標を。即ち僕が作った“囮”に引っ掛かったのだ。

 

 僕の考えが正しかったことはすぐさま証明された。がちゃりと、僕たちの上の方で、流し台の上の棚が開かれたのだ。

 奴らはこの部屋の上方に固まっている。僕達は床の更に下で蹲っている。爆発が起きた場合に受ける影響には雲泥の差があるのは道理である。

 ガスの充満速度から推定して台所内の空気は爆破に最適。彼我位置関係問題なし。更に言うなれば彼らは無防備に囮を見ている最中。

 これですべての条件はクリアされた。

 

 内心どこぞのシスコン悪逆皇帝の真似をしつつ、アルミ箔と針金で作った簡易的なスイッチを押す。

 コンロの傍で、ぱちりと火花が跳ねる。

 

 

 

 

 

六、

 耳を弄する轟音と共に、床板越しに背中を焦がす熱波を感じる。流石に、床下収納が揺れたりはしなかった。そこまでの爆発規模ではない。しかし、小人さんを爆殺するには十分なものだ。

 勿論、僕たちとて無事に済むわけもない。

 さして頑丈というわけでもない床板は当然のように爆発の衝撃で砕け、無数の破片が僕たち姉妹に降り注ぐ。

 姉さんを庇うわけにはいかない。この貧弱な身体でそんな真似をしたら絶対に助からない。姉さんの安全は姉さん自身の判断に任せ、まともに動けない狭い空間の中、必死に身を縮める。

 立て続けに、酷く重く、いかにもまずいものであると全身で感じられる衝撃が複数、背中に突き刺さる。体が宙を舞い、暫しの浮遊感の後地面にたたきつけられる。

 

 間髪入れずに治癒呪文を発動させようとするが、発動しない。恐らく既にルール上はHPがゼロになり、気絶したということなのだろう。気絶したはずの(或いは死んだはずの!)キャラクターが状況を認識出来たり喋ったり、挙句仲間と作戦会議をしたりするのはTRPGではよくあることである。多分喜びの野はともかく、大喜びの野やぬか喜びの野は割と現世の近所にあるのだろう。僕が呪文を発動できないのに意識はあるというのは別段おかしなことではない。

 

 まともに動かない体で周囲に目を走らせる。姉さんは……無事だ。ちょっと焦げてて血を流していて、意識も朦朧としているようだけれど、死んではいない。問題はないということだ。

 小人さんは全滅していた。ようやく死んだことで正体を現したらしい。黒こげになった小柄な鼠の死体が、あちこちに散乱している。

 周囲に感覚を向ければ、虫の声が、木々のざわめきが、人の声が聞こえる。

 太陽がまぶしい。やはり神隠しの空間と通常世界では時間の流れが違ったのだろう。……ついでに言うなれば、神隠しの空間で爆破しても通常空間に影響はあるようだ。台所にいるはずなのに、青空が見える。

 

 聞き知った声がして、誰かが近づいて来る。亜弓さんか。既に帰宅していたようだ。彼女が帰ってきているのであれば、治療について心配する必要は無かろう。

 

 敵は全滅した。

 僕も姉さんも生き残っている。

 通常空間に帰って来ることができた。

 

 詰まる所、僕たちの勝利だ。僕達は勝ったのだ。

 とはいえ、素直にそれを喜べるかといえばそれはまた別問題だ。

 

 特段強いわけでもない、大人が一人いれば(そしてその人物が怪異の襲撃という異常事態に際し至極冷静に活動できるなら)どうにでもなった相手に対してこのザマである。僕も、姉さんも、余りに弱すぎる。改善すべきところ、学ぶべきもの、得るべき経験は無数にあり、こんなところで勝利の余韻に浸っている暇はない。

 

 

 

 そしてもう一つ、僕が用いた“囮”にまつわる問題がある。

 彼ら小人さんが流し台の上の棚を開き、そこにこそ僕たちがいると匂いによって確信した、そのデコイ。小さな体でわらわらと寄り集まってどうにか開けた棚のその奥にあったものは。

 

 今なお大きな血管から血を流し、更にはずたずたに切り刻まれているがゆえに酷く強く僕の匂いを発し続ける。

 

 

 

 切断された、僕の右腕だ―――――

 

 

 

 そう。僕はへし折れ無理やり治療したがゆえに二度と使い物にならなくなった己の右腕を切り落とし、それを囮として棚に配置したのだ。小人さんが僕とそれを“嗅ぎ誤った”のもむべなるかな。間違いなく彼らは僕に向かって襲い掛かったのだ。彼らの行動に問題があったとすれば、僕の大部分は別の場所にあったという、ただその一点だけであろう。

 

 僕は初陣で右腕を失った。まずそれが問題である。

 

 更に問題はある。

 僕は貧弱だ。そうであるがゆえに、腕を切り落とすほどのダメージを受けてしまえば、或いはそれ以下のダメージでも気絶してしまう。当然気絶してしまえばその後の行動は行えず、腕を切り落とすまで、そして切り落とした後も意識が持続するよう何らかの対処を行わなければならない。

 《痛みどめ》の呪文でも修得していれば特段問題はなかったのだが。治癒呪文を最優先で取っている僕がそんな肉体操作系の呪文を覚えているわけもない。

 では何故僕は腕を切断しても気絶せず、その後も行動できたのか。

 それは勿論、姉さんに手伝ってもらったからだ。姉さんの癒しの霊術は傷を癒すことこそできないものの、意識をつなぐことはできる。彼女の使う治癒の霊術モドキを持続的にかけてもらうことで、僕は腕を切断しようと作業している間中、意識を保っていたのである。

 

 姉さんが受けた精神的衝撃はいかばかりの物であったか。

 この退魔師姉妹のお姉ちゃんは、夜半妖怪に襲われ神隠しに遭った孤立無援の極限状況で、己の腕を切り落とそうと何度も自らに包丁を振り下ろす妹に、“彼女が腕を切り落とせるように”治癒の術を使うことを求められたのだ。他に方法がない以上どうしようもなかったのだが。それにしたところで酷な体験であろう。この先の彼女の人格にどんな影響を与えるかという点において、大いに不安である。

 

 悪夢的な状況で妹の四肢切断を手伝った姉さんの精神。

 これが二つ目の問題である。

 

 問題は無数にあり。解決すべき課題は山積みだ。うち二つは“撲殺に適している”などと揶揄されるガープス・ベーシック完全版どころか、広辞苑並みの分厚さで僕をふてぶてしく見下ろす有様である。その他の課題だって、職場の教養並みに薄っぺらい物は一つたりとて存在しない。いずれにせよ昨今のTRPGにおける大型サプリメント程度には分量があるように見受けられる。更に言うなればその内容については、娯楽用ゲームのルールやデーターと比べるべくもない難解至極のものである。どうしろと。

 

 

 

 とはいえ、現状で僕に出来ることは何もない。

 僕は気絶状態で、呪文も使えず、大怪我を負っている。右腕はどこかその辺に黒焦げで転がっているのだろう。あれは無理だ。間黒男氏にだって繋ぎ直すことはできまい。魔法で生やすしかないということだ。なに、そこまでの難事でもない。ちょっと僕の全生命力の40倍の魔法的エネルギーを調達できれば何とかなる。まったく簡単だ。

 更に言うなれば、現状でこのまま意識が飛べば、僕は現在の怪我を魔法で癒すことなく意識不明の重体となる羽目になる。以前病気でそうなったこともあるが、幾ら僕が治癒呪文を使えようとも、その技を振るう暇もなく気絶してしまえば宝の持ち腐れなのだ。次に目を覚ますときはまた個室の集中治療室であろう。

 ……火葬場でないことを願うばかりだ。生憎ダブルタイフーンの持ち合わせはないので、脱出は不可能だし。

 

 ……段々意識が遠くなってきた。

 亜弓さんが僕を呼ぶ声が聞こえるが、どんどん小さくなっていく。

 

 いやはや、僕は何度気絶すれば気が済むんだろうか―――――

 

 そんな思考を最後に、僕の意識は物理と途切れ、闇の中へと落ちて行った。

<つづく>




 ようやく小人さんを爆殺できました。

 ともあれ、第十四話でお会いいたしましょう。
 インターミッションなお話ですので、さして時間がかかることなく書ける……といいなと思います。
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