GURPSなのとら   作:春の七草

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第四話『宝物』

序、

 旧暦と新暦の差。はたまた絶賛進行中らしい、地球温暖化の結果であろうか。

 ちっとも秋らしくない、ある立秋の頃の出来事である。

 

 昼食のあと、いまだ聞きなれないクロイワクツクツの鳴き声をBGMに。畳の上、複雑に折りたたまれた紙片を前で。僕はむむむと唸る羽目となっていた。

 

 「ねえ、無理はしなくてもいいのよ」

 

 横から金髪碧眼の幽霊さんが、こちらを気遣うように声をかけてくる。いわずもがな、神咲家の霊刀、十六夜の精である十六夜さんである。原作とは雰囲気が違うが、あっちは“特別な継承者克成長を見守ってきた年頃の娘さん”相手。現在は“継承者の病弱な孫娘”を相手にしているんだから違うのだろうと思われる。

 

 彼女が発したのはこちらを慮るかのような言葉ではあるが、その表情には困ったような笑いと、それを凌駕する憂慮の情念が示されている。いや、その気持ちはわからなくもない。僕自身前世で彼女のような立場に置かれれば、苦笑するし、その苦笑の対象を心配する。苦笑は嘲笑や悪意と同義では決してないはずだ。

 

 もっとも、その苦笑と憂慮の対象となっている僕としては、隣の盲目の刀精の助言通り諦めてしまう気にもなれない。前世では当たり前にできたことだし、幾つかの超スペックと引き換えに色々な機能が劣っているこの体でも、理屈の上では不可能ではない行動なのだから。

 ……隣で同じことをしている姉さんは特に問題なくできている、という事実も、僕を後に引けなくさせていた。姉さんと一緒に野山を駆け巡れ、と言われれば2秒で諦めるけど。屋内で行うこんなことでまでひどい後れをとるわけにはいかない。出来なくたって誰も何も言いやしないだろうけど。一応まがりにも何も、僕にだって意地というものがある。

 

 正方形の紙片を、直角二等辺三角形になる様に半分に折りたたむ。……この時点で三角形の角がひどい有様となっているのだけれど。まあ、許容範囲としよう。

 更にもう一度同じように折りたたみ、そうしてできた2つの三角形のうち、“手前”のそれを膨らませ、折りたたみ。正方形と直角二等辺三角形が連なる様を形作る。うまく正方形を作ることができず、随分ずれてしまったけれど。これも黙認しよう。僕は生物学的には4歳児だ。この頃の子供というのはさして器用というわけでもなく、また自らの体を十全に扱えるというわけでもない。仕方がないのだ。そう、仕方がない。

 横で1つ年上なだけの姉さんが問題なくこなしているという現実からは目をそむけておく。

 

 紙片をひっくり返し、残った三角形を折りたたんで、最初の紙片の4分の1の大きさの正方形を作る。すでにどう見ても1つの正方形ではなく、崩れに崩れた四角形が2つ重なっているだけという気がしなくもないけれど。ああ、ううむ。きっとこれもやむを得ないのだ。完成した状態はきっと悲惨なものとなるだろうけれど、子供の作ったものなどその程度のものなのだ。たぶん。

 

 もっとも、自己欺瞞でどうにかやれたのもそこまでだった。

 正方形の一角を持って上にあげ、開いてひし形を作る段になって、紙片からびりりと嫌な音がする。確認するまでもなく、既にわけのわからないくしゃくしゃでぼろぼろの状態となっていた紙切れは、まごうことなきゴミ屑へとクラスチェンジを果たしていた。己が非力だからと意識するあまり、力を入れすぎたのだ。いかに片手では牛乳パック1つ持ち上げられない僕といえども、一辺が10cmちょっとの紙片を破れる程度には腕力がある。力加減を誤れば、このような事態も当然生じ得るのだ。

 さすがに、この状態から元に戻すのは不可能だろう。いや、生前の僕ならセロハンテープと手先の器用さでなんとかできたとは思うけれど、この体では絶対に不可能だ。こんなもの、日本人なら誰だってできるのに。少佐なら片手で30秒だったはず。ちょっと、悲しくなる。

 

 姉さんが自分の作業の手を止めて、心配そうにこちらを見ている。十六夜さんが少し困った風に笑って、己の手元の紙切れを畳に置いた。盲目の存在が折ったとはとても信じられない見事な立体造形が、とんと片翼を畳に落とした。

 

 「続けるなら、もう少しゆっくりやってみたらどうかしら?」

 

 そう提言してくる十六夜さんに、僕は首肯した。否応もない。次はそうしよう。そう考えて、何枚目になるのかわからない新しい紙片を取り出し、折りたたみ始める。まずは折り目を付けるところから始めるべきか。

 姉さんはといえば、十六夜さんの作った立体をためすがめす確認しつつ、新しい紙片を用意していた。僕と違ってちゃんと作れていたからか、今度は別のものを折り始めているけれど。

 姉さんの傍らに目を向ければ、翼の先端や嘴がやや丸くなってはいるものの、裏地の白がほぼ見えていない、子供が作ったものとしては相当に奇麗なものが鎮座ましましていた。ちゃんとバランスをとって、両翼いずれも地についていないあたり、几帳面な姉さんらしいといえようか。

 

 それはまあ、それとして。

 手元の紙を見つめる。

 

 何をすればいいのかは完全に分かっている。

 さして難しいものではないし、前世では祖母の病気快癒を祈って一人で4桁近く折ったこともある。出来ないはずはない。ないのだ。

 どう折り目をつけ、どう折って、どう畳んで。あるいはどこをどう開けば目的の形になるのかなども、分かり切っている。だというのに。

 体が、腕が、指先が、思うように動いてくれない。必要なだけの力を出せなかったり、あるいは出しすぎて紙を破ってしまったり。適切な場所で指を止めることができず、はたまたそのはるか手前で紙に折り目をつけてしまったり。

 この体がそういうものだとは分かっているけれど。ひどくもどかしい。理由が分かっていたって、嘆きたくもなる。

 

 ああ、本当に、畜生。なんだって僕は。

 

 

 

 

 

 

 

 折り鶴一枚、折れないんだ。と―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第四話『宝物』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 ことの発端は、十六夜さんが折り紙を教えてくれると言い出したことだった。

 昼食後唐突に言われたので。一体何事かと思いもしたのだけれど。

 どうも勉強に剣術に、家事のやりかたに、退魔師として必要な基礎知識の習得にと。幼児のそれとしては学ぶことが多く忙しい姉さんの日常について、思うところがあったらしい。せめて息抜きにでもなればと、提案してくれたようだ。

 そこでの提案が折り紙なのは、外で遊ぶとなると僕が参加できないからだろう。あるいは、病床に伏していることが多い僕が、手慰みに折れるようにとの気遣いもあったのかもしれない。いずれにせよ、僕が足かせになっている気がしないでもないけれど。

 

 ともあれ。あらかじめ買ってきていたらしい真新しい折り紙を広げて、さあ色々折ってみましょうということになったのだが。この試みは最初の段階で躓くことと相成った。

 

 

 

 僕が、折り紙を折れなかったのだ。

 

 

 

 前述のとおり奇麗に折り紙を四つ折りにすることができないし、“袋を開いて折る”ような複雑な動作に至っては、出来以前にその折り方を完遂させることさえできない。僕という幼女が、途轍もなく不器用であるがために、この試みはうまくいかないのだ。

 

 勿論のこと。僕が折り紙さえまともに折れないのは、僕がGURPSのキャラクターとしてデザインされていることに起因する。原因は、僕が“恐ろしく低い敏捷度をもった”GURPSのキャラクターとしてデザインされているからなのだ。

 

 

 

 GURPSのキャラクターが折り紙を折る場合、問題となるのは<趣味技能/折り紙>とその対応能力である敏捷力である。

 折り紙で敏捷力……素早さ……が問題になるの? と思うかもしれないが。GURPSの敏捷力は手先の器用さなども司っているので、このような扱いとなるのだ。

 特に修正がない限り。GURPSのキャラクターは敏捷力が高く素早ければ手先も器用だし、敏捷力が低く鈍重であれば不器用なのである。

 

 そんな中で、僕の敏捷力は生命力同様、7である。これは機能を残した最低限の値であり、誰が見ても一目で分かるほど僕は動きが鈍く、不器用なのだ。……生命力について話すときも、同じようなことをいった気がするが。僕の生命力と敏捷力が同じ数値であるので、仕方のない話だろう。

 

 更にいうなればこの7という値でさえ僕が15歳になった以降のものであり、現時点においては子供であることによってさらに下方修正がかかる。

 

 結果として、いまの僕の敏捷力は2となる。

 GURPSの判定は6面ダイス3つを振って、その出目の合計が目標値を下回れば成功となる。6面ダイス3つを振って出る最も小さな値は3であるため、目標値2の判定はクリティカルしない限り(出目の合計が3か4出ない限り)何があっても絶対に成功しない。

 サイコロ3つの出目の合計が3か4になるのパターンは4つのみ。6面体ダイスを3つ振った場合の出目の組み合わせは6の3乗であるところの216だから。僕が敏捷力判定に成功する確率は216分の4、おおむね1.85%ということになる。

 敏捷力2とは、端的に言って悲惨の一言であり。その数値で持って表現される僕の器用さもまた絶望的なものなのだ。

 

 さらに問題がある。

 僕は<趣味技能/折り紙>という技能を持っていないのだ。折り紙に費やした時間からして、生前の僕はこの技能を多少は持っていたと思うのだけれど。転生したこの体は、そんな技能を習得していない。その割に折り鶴の折り方自体はちゃんと教えてもらうまでもなく覚えていたので、割とその辺りは適当なのかもしれないけれど。

 ともあれ。僕は<趣味技能/折り紙>を持っておらず、折り鶴を折るために適切な技能を行使することができない。

 

 ただし技能を習得していない場合でも、技能なし値というもので判定を行うことはできる。<趣味技能/折り紙>の技能なし値は敏捷力-4であるため、僕は判定値“-2”で折り鶴を折ることができる。

 実は判定値がマイナスでもルール上、クリティカルすれば成功してしまう(判定値が出目の合計未満である場合成功してはいけない、というルール上の文言がない)のだけれど。それにしたところで僕が折り紙を折る判定に成功する確率は、上記のとおり1.85%にすぎない。

 ゆえに僕は“折り紙を折る”という行動を行ってもも、さっぱりうまくいかないわけである。

 

 

 

 もっとも。では絶対に僕が折り鶴を折ることができないのかといえば、(著しく困難ではあるものの)そんなことはない。無論それは、成功率1.85%だから55回折れば理論上1回は成功する、などという頭の悪い方法ではない。

 確かに、普通にやっていては僕はいつまでたっても折り鶴を折ることができないだろう。敏捷力2、<趣味技能/折り紙>技能無しというキャラクターは、そのようなレベルの存在なのだから。

 

 しかしもし、それでも折り鶴を折りたければ。

 GURPSのルールの中で工夫し、色々と自分を有利な立場に置き、ルールを駆使することで。“困難ではあるものの、運が味方すればあるいは可能かもしれない“、といった程度の状態にまでは持っていくことが可能なのだ。

 

 

 

 

 

 自分でもなぜ折り紙一枚にそこまで力を入れねばならぬのか、と思わなくもないのだけれど。ある意味ではこれは必須の行動だと思う。

 なぜならば。折り紙を折る以外の行動についてでも、僕が敏捷力現在値2であるという、絶望的な現実はついて回るからだ。他の器用さを求められる行動で問題が起こる前に、工夫すれば折り鶴を折る程度の行動ならなんとかこなせるのだと、自分と家族に示す必要がある。

 

 

 

 僕は病弱だ。そして僕は不器用だ。

 ただそれだけならば。僕がただそれだけの、単なる子供であれば。そんなことは気にする必要のない話だと思う。当人がそれについてコンプレックスを持つかどうかは、当人の勝手だけれど。少なくとも自分自身をも含めた誰かによって糾弾されて良いような話ではない。

 

 だが僕は転生者で、自分がGURPSのキャラクターとしてデザインされていることを知っており、それらについて自分を有利に扱うことのできる立場にある。

 僕はただの子供として振るまって良い立場にないのだ。

 もちろん、姉さんも、両親も、和音婆様や亜弓さんも、そんなことは知らないのだけれど。少なくとも、この事実を僕自身は知っているのだ。都合によって他人に嘘をつくのはともかく、自分にまで嘘をついていては話にもならないだろう。

 

 

 

 僕は少なくとも自分自身は、自分がただの子供として振る舞ってはならない立場にあると知っている。

 

 

 

 ならば、僕には状況を改善させる義務がある。家族の負担を軽減させ、心配させる頻度をより低下させる責務がある。

 

 僕は転生者であることにより、“状況改善すべきだ”と考えられるだけの判断力があり。GURPS云々の知識によりどうすれば状況を改善できるのかその方策について腹案が、手段がある。

 単なる子供ではなく、問題について判断するだけの知性があり、更には改善のための手段まで持ち合わせている。その状態で何もしないのでは、怠惰以外の何物でもない。

 倒れたときに献身的に看病してくれる人が、心底気にしてくれる人が、異能を持って治療してくれる人が、僕の周りにはいるのだ。ただの子供ではない僕が怠惰に過ごすことなど、決して許される話ではない。

 

 だから僕は全霊をもって、状況を改善しなければならない。

 折り紙は、折り鶴を折る行動は、ただの遊びかもしれない。十六夜さんだって、そんなに深く考えてこのような提言をしてきたわけでもあるまい。

 それでも、その行動を内包する僕の環境を鑑みるならば。僕はこの数十センチ四方の紙切れを、全霊をもって完成した立体にする責務がある。聊か思いつめすぎという気もしなくも無いけれど。まあ、そういうことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二、

 僕が集中して折り紙と格闘しているためだろうか。手持無沙汰であると思しき十六夜さんは、千羽鶴について姉さんに説明していた。

 

 千羽鶴、千羽鶴か。

 前世で、僕も折ったことがある。祖母(和音婆様のことではなく、前世における僕の祖母のことだ)の快癒を祈ってのことだったか。結局、折り終わる前に祖母は退院してしまったので、力一杯無駄になったのだが。やはりあれは、一人で折るものではないと思う。まあ、実行するかどうかはさておき、知っておいた方が良い知識だとは思うけど。

 しかし十六夜さん。5歳児に病気快癒とか長寿とか言っても通じないと思います。十六夜さんの話に、真剣にうなずいている薫姉さんを見るのはなんだか癒されますけど。たぶん姉さんは、あなたの言ってることを理解できていません。

 

 

 

 ともあれ、自分の問題を解決しよう。

 

 敏捷力2、かつ<趣味技能/折り紙>を持たない僕というキャラクターは、どのようにすれば折り鶴を大過なく折ることができるだろうか?

 

 まず吟味するべきは、“行動の難易度”である。

 GURPSのキャラクターは、何も英雄たちだけではない。ごく普通の一般人も、キャラクターとして表現できるようになっている。というか、0CPの、なにも追加しないまっさらなキャラクターというのは。まともな技能も持っていないのになぜか安定した収入を得られるという実に不審な点を除けば。ごく普通の、平均的な、当り前の一般人を表現しているのだ。

 

 一般人のキャラクターは大体25CP~50CPであるとされている。一応まがりにもなにも“叙事詩の英雄並”であるとされる僕が309CP(おぎゃあと生まれたときより増えているのは、僕が転生してからの4年間で学んだものがあるからだ)であることから分かる通り、英雄と一般人との間にはかなりの隔絶がある。

 “叙事詩の英雄並”である僕でさえ、能力値18などといったものは1つしかもっていないのだ。一般人がそのような能力値を持つことはほぼ不可能であり、彼らの能力値はおおむね大体9~12ということになっている。

 

 この時点で大体想像がつくと思うけれど。GURPSの“一般人”が今まで説明したルールで折り鶴を折ろうとすると、ほぼ失敗することになる。平均的な敏捷力の持主、すなわち敏捷度10のキャラクターが折り鶴を折ろうとした場合、<趣味技能/折り紙>がなければ、(つまりその人生において折り紙を400時間以上折っていなければ)その判定値は6ということになる。その場合、成功率は約9.3%ということだ。

 しかし、通常人類とは。折り鶴を折ろうとして10回に1回しか成功しないほど不器用な存在であっただろうか? いくらなんでも、そんなことはないだろう。

 

 このおかしな状態は、GURPSにある前述した“行為の難易度”というものを無視しているために起きている。GURPSのルールは簡単なものには判定値にプラスの修正を、難しいものにはマイナスの修正をかけているのだ。

 

 折り鶴を折るという行為はそう難しいものではない。その行為はありきたりなもので、普通失敗しないだろう。

 日本人でないなら、うまくやれないかもしれないのではなかろうか? と思う方もいるかもしれないが。そうであるならそれは“日本文化に慣れていない”ことでマイナスの修正をかければいいので、ここでは論じない。

 ともあれ、普通失敗しない行動の難易度は“自動的”とされ、僕のように凄まじくその能力について劣っているのでもない限りは、ダイスを振る必要さえない。もしダイスを振るにせよ判定値に+10の修正がかけられる。

 +10の修正がかけられる場合、<趣味技能/折り紙>を持たず、敏捷力は10であるところの一般人は、折り鶴を判定値16で折ることができることになる。この場合の成功率は約98.2%であり、出来がいいか悪いかはともかく、普通の人はまず失敗せずに折り鶴を折れるということになる。

 

 難易度が“自動的”であるならば、僕であっても折り鶴を折るという行動を成功させる可能性は絶無ではなくなる。+10の修正により判定値は-2から8にまで跳ね上がり、その成功率は約26%ということになる。通常人類が98.2%で成功させることのできる行動を、僕は約26%、その4分の1程度の確率で成功させることができるということだ! 実にすばらしい。

 

 ……まあ、ともかく。

 確率のみを見るなれば。僕は4回試行すれば、出来はともかく折り鶴っぽいものを折ることには成功するということだ。

 今まで“何枚折っても成功しなかった”のは、単に僕の運が悪かったということなのだろう。まあ、まだ10枚もは折っていないはずだし、そこまで不自然な出来事でもない。

 

 

 

 その点についてぼやくつもりはない。確率とは、所詮そんなものだからだ。

 

 確率というものは往々にしてあてにならない。

 勝率98%超であるからとガンシップで弓兵に挑んだら、さくっと撃墜されたとか。4回マップを構築し直して、1回も自領に銅が湧かないとか。その手の異常事態はシド星では稀によくあることである。

 別の惑星であったとしても、無傷の盗賊がデュラハンの一撃で即死することだってある。逃走しようとしたラスボスがサクッと槍で刺殺され、ネズミの姿のまま高々と掲げられることだってある。

 

 確率の神様、ダイスの女神さまの御心など、凡百の輩の推し量れるところではない。

 神ならぬ人の身にできることはただ一つ。乱数のあらぶりようから少しでも身を守るため、失敗の可能性を削り、成功の可能性を僅かなりとでも上昇させることのみである。

 

 

 

 ええと、ともかく。

 

 現状における考察が正しいのならば、僕は成功率約26%の行動に連続して失敗したということになる(仮に7回連続で失敗したのなら、そのような事態が起こる確率は約12.2%である)。いろいろと思うところがないわけではないが、繰り言を連ねても状況は改善すまい。

 成功率からして、もう1回やってみればうまくいく可能性も期待できなくはない。しかし、ここは大事をとってもう少し成功率を上げるべく工夫を凝らすべきであろう。

 

 

 

 では、致命的に不器用な小娘が折り鶴をとりあえず形にするためには、これ以上どのような工夫が必要だろうか。

 

 

 

 

 

三、

 GURPSにおいて、超常能力や生得の能力を用いずに判定値を上昇させる方法は3つある。

 

 1つ、無理をすること。

 1つ、CPを消費すること。

 1つ、時間をかけること。

 の3つである。

 

 無理をすること、とは。文字どおり肉体に負荷をかけて無理をし、自分の限界以上の結果を引き出す行動のことである。

 例えば攻撃を回避するとか、重い物を持ち上げるとかいった行動をする場合に、疲労点を消費することでより良い状況を作り出せるのだ。前述の例であれば、回避率は多少(たぶん10%程度)上昇させられるし、持ち上げられる物体の限界重量も、1~2割ほど増やすことができる。

 

 ただし、この方法は“肉体を使った行動”にのみ適用されるルールである。折り紙を折ることも肉体を使った行動ではないかと言われれば、その通りだとは思うけれど。この場合の“肉体を使った行動”とはルールで明白に定められた一連の行動のことを指し、その一連の行動に技能判定自体が含まれていない。ために折り紙を折るためにこの“無理をすること”は利用できない。

 

 

 

 次に、CPを消費するという手段がある。

 これはキャラクターの能力を構成する“通貨”であるCPを消費して、成功を購入する手段である。充分なCPがあるなら致命的な失敗である“ファンブル”を、劇的な成功である“クリティカル”に無理やり変えてしまうことさえ可能である。

 イメージとしては、“剣で敵に斬りかかったら、空振りした揚句剣が手からすっぽ抜けてどこかへ飛んで行ってしまった“という事態を、”剣で敵に斬りかかったらうまいこと相手の防御をすり抜け、相手の首を斬り飛ばした“という状態に無理やり書きかえるようなものである。

 言うまでもなく、きわめて強力な手段である。……要求されるCPの大きさを考えれば、当然の効果と言えなくもないのだけど。

 

 ルール上では、この手段を今回の行動に適用することは可能である。

 が、現状において適用することは不可能である。

 なんとなれば、この場合の消費するCPとは、自分を構築している使用済みのCPではなく、未使用のCPを消費する必要であるからだ。そして僕は学習によって得られたCPをすべて自分自身の強化につぎ込んでおり、未使用CPは1点も持っていない。

 この状態は給料すべてを毎月奇麗に使い切りながら生きているようなもので、大いに問題のある状況なのだけど。僕自身のポンコツっぷりがあまりにひどく、それを一刻も早く改善しなければならないのでこのような状態となっている。

 

 

 

 と、いうわけで。“無理をすること”も“CPを消費すること”も僕がいま、折り鶴を折るためには利用できない。

 しかし、最後の一つである“時間をかける”という選択肢については可能と言ってもいいと思う。

 

 時間をかけるというオプションは、ゆっくり慎重に行動することでその行動のペナルティを下げたり、成功率を上げたりするものである。

 このオプションは“時間をかけたほうがうまくいく可能性が高い”もののみに適用される。例えば金庫を開けるとか、怪しげな古文書を解読するとかいった行動がそれに当たるだろう。

 折り紙とは、素早く折るよりゆっくり折った方が失敗しないであろう行動だ。ために、僕はこの時間をかけるというオプションを、折り紙を折るために利用することができる。

 このオプションで得られる最大のボーナスは、所要時間を30倍にまで伸ばした場合の+5である。+5のボーナスが加えられるのであれば。前述の難易度による+10のボーナスと合計し、僕は+15のボーナスを受けて折り鶴を折ることができる。

 

 僕の敏捷力が2、技能なし値で<趣味技能/折り紙>を判定するので-4のペナルティ。そこに難易度のボーナスである+10と、時間を通常の30倍かけることによるボーナスの+5を加えて判定を行うことになる。2+(-4)+10+5=13である。

 結果としていろいろ工夫した場合、僕の“折り鶴を折る”という行動の判定値は13となる。その場合の成功率は……えーと、83.8%だ。100回試行したとしても、失敗するのはたったの17回程度である。これならたぶん成功するだろう。普通に折り鶴を折る場合の3倍以上の成功率だ。

 

 ただし、折り鶴1枚を折るのに通常人類が5分かかるとするならば。僕はこの方法で折り鶴を折るのに150分、すなわち2時間30分かかることになる。昼食後に開始されたこの“遊び”であるが、すでに時刻は15時近い。

 呪文の勉強や、家事手伝い(精々洗濯物を畳んだり、食事の用意の間台所をちょろちょろする程度だが)だってある。今日中に折り鶴が完成するのかどうかはちょっと怪しいが……まあ、頑張ってみよう。だめだったら、明日続ければ良いのだし。

 

 ふと横を見れば、姉さんは相変わらず折り鶴を折っていた。さっきまでは別のものを折っていたような、と見てみれば、折りかけの三方が脇に置かれていた。何か心境の変化があったのだろうか。

 つらつらと成功率を計算している合間に聞いた限りでは。十六夜さんは他のものの折り方も姉さんに教授していたと思うのだけれど。

 その証拠にほら。ちょっと寂しそうに、十六夜さんが菖蒲を折っている。

 

 まあ、幼児というのは大分フリーダムなものである。姉さんは年齢から考えれば随分聞き分けの良い娘さんだし、素直に大人の言うことを聞くタイプ(と、いうか。都築真紀氏の描く子供はその傾向が強い気がする)でもあるようだけれど。やはり子供は子供である。そういうこともあるのだろう。

 

 ともあれ、自分の折り鶴を完成させなければならない。ゆっくり、慎重に、可能な限りの集中力を費やして。僕は眼下の紙片に注力していくのであった。

 

 

 

 

 

四、

 「うん? なんじゃ。まだやっとったのか」

 

 日も随分と傾き、空が見事な紫に染まってきたあたりで。今帰宅したらしい和音婆様がすと襖を開け、僕たちを覗きこんできた。

 

 正座して作業にいそしむ僕の前には、少々複雑な形を内包した菱形の紙片がある。出来はまあ、悪くはない。群青色のそれはあちこちから白色の内面をさらけ出したりはしておらず、四方の角も及第点を与えられる程度には鋭……くはないが、許容範囲ではある。今まで折ってきた物に比べれば充分な出来であろう。時間をかけただけのことはあるということだ。

 

 ……夕闇の濃くなってきたこの時間においてもまだ完成していないことから想像できるとおり、僕は時間をかけてもなお、1回で折り鶴を折ることができなかったのだけど。

 おやつの時間あたりから気合を入れて折り始めた紙片はくしゃくしゃのゴミ屑となって、さみしくゴミ箱の底を彩ることとなっている。今折っているのは時間をかけて折ろうとしたときから数えて、2代目だ。

 まあ。16.2%はそうなる可能性があったのだし、運命やダイスの女神さまに文句を言う気はないのだけれど。

 

 姉さんはといえば、まだ鶴を折っている。傍らには、山積みにした折り鶴の山。20羽ではきかないだろう。飽きもせずによくもまあ。おさな子の集中力って、凄いと思う。それにしても、そんなに折り鶴の造形が気に入ったのだろうか?

 

 金髪碧眼の幽霊さんはといえば、折り紙って、鶴以外も色々折れるのよ? と、寂しそうにつぶやきながら。細々と薔薇を折っていた。

 僕も姉さんも、折り鶴以外折らない現状に色々思うことがあるのだろう。背後に縦線を背負った十六夜さんに悪いなとは思うけれど。残念ならが彼女と一緒に様々なものを折っていくには、僕は不器用に過ぎる。

 それと十六夜さん。それを折れるのは凄いけど、どう考えても川崎ローズは幼児に教えるものではないと思います。というか、無茶ですって。

 

 

 

 結局、家の手伝いも、呪文の勉強もやらずに折り鶴を折り続けることとなってしまった。

 いや、明日やればいいやなどと思っていると、永遠に完成させられない気がして、やめられなかったのだ。今生における僕の意志力は、生前のそれをはるかに上回っているはず(訓練なしに拷問に耐えられるレベルである……無論、死ななければ)だけど。それを実感できる機会が少ないからか、どうも自分の精神性について信用することができない。

 もっとも。さすがに何もかもをほっぽり出す気にはなれなくて。半時間ほど前に、そろそろ乾いたであろう洗濯物を片づけに庭に出はしたのだ。が、先に来ていた亜弓さんに、やっていることがあるならそれを済ませなさいと追い返されてしまったのだ。重要度の格付けが何か間違っている気はしなくもないが、どうしてだろう。反駁しづらい物言いであった。

 

 

 

 和音婆様はといえば、十六夜さんを呼びに来ただけだったらしい。夕食時には中断するんじゃぞと言い置き、そのまま退室していった。ふよふよと引きずられていく十六夜さんがシュールである。

 

 集中しているのだろう。ああ、まだ完成していないのにと嘆く生前スペイン人だったらしい幽霊さんを、姉さんは一顧だにしていない。姉さん姉さんとつついたら気づいたらしく、いってらっしゃいと手を振って見せてはくれたけど。

 まあ、まだ小学生にもなっていない幼児のすることだ。薄情とは言えまい。どちらかといえば、そこまで真剣に1つのことに注力できる集中力を褒めるべきだろう。

 

 とはいえ流石にそれだけでは十六夜さんに悪いので。襖の向こうに半身を出し、また教えてくださいねと伝えておく。浮いたままするする引きずられれて行く刀精さんは、花が咲いたような笑顔で勿論よと返してくれた。気立てのよい人物(幽霊?)である。

 

 

 

 再び、目前の紙片を折りたたむことに没入して行く。菱形のそれをさらに鋭利なひし形にするべく折りたたむ。その上で、より鋭利な方をひらき、折り曲げ、首と尾を形作る。ここまで形作るために、何度も折り直したため、大分よれよれになっているのだけど。出来はともかく、ここまで来れば完成も目前である。

 首を折り曲げ嘴を形作り(随分歪で、裏地の白色がはみ出したものになったが)、尾の角度を調整し(うまく角度を決められず、何度も折りたたんだ挙句の悲惨なものであったが)、翼をたたんだ状態の鶴が形作られた。後は翼を開いて胴体を膨らませれば、それで完成である。

 

 普通なら考えられない場所まで妙な折り目が付き、皺くちゃのその両翼先端をつまみ、ゆっくりと翼を広げていく。

 えらく時間がかかってしまったが、これで完成である。安堵のため息をつき、紙製の翼を開くのに適量と思われるだけの力を入れる。

 

 

 

 

 

 びりりと、嫌な音がした。

 

 

 

 

 

 折り目を付けるのに何度も失敗し、紙自体の耐久度が落ちていたためか。それとも、僕が折り紙を広げるのに必要な力加減を間違ったためなのか。

 あとワンアクションで完成するはずであった折り鶴は、無残にも片翼を引きちぎられ、ぽとんと畳の上に落下した。空しく指先でゆれる青色の翼を視界の端に認識しつつ、胸中より湧き出でる途方もない虚無感をどうにか呑みこむ。

 

 いや。何度も言うように、わかってはいるのだ。僕はGURPSのキャラクターとしてデザインされており、現在における敏捷力は2だ。鈍重であるとされる牛だって敏捷力は8あるのである。生まれたばかりで、まだまともに体を動かせない子牛だって、敏捷力は3である。ふらふらと立ち上がる子牛と僕、どちらが素早いかといえば前者なのだ。そうであるのだから、別に僕が折り鶴を折れなくたって仕方がない。仕方がないのだ。

 確率的にも、判定値13に2回連続で失敗する可能性は2%強はあるのだ。このような事態も、絶無というわけではない。大体、確率というものが所詮机上のものでしかないのだという現実については、生前嫌というほど体験している。……ダイス運悪かったからなぁ。

 まあ、ともかく。ダイスの女神さまに文句を言っても仕方がない。僕は僕なりに、最善を尽くすしかないのである。

 

 そうは思っても、胸の中のもやもやしたものは収まらない。畜生、Fuck、Wahnsinn 、Putain、Блин, надоело!

 

 適当に覚えている限りの罵倒を内心吐き捨てつつ、新しい紙片を取り出していく。ここまで来たら意地でも完成させてやる。

 無理やり自分を奮い立たせ、もう何度目かわからない試行へと立ち向かう。

 

 

 

 ふと視線を感じて顔を上げれば、姉さんと目が合った。手元を見れば、彼女も未だ折り鶴を折っているらしい。いい加減、飽きないのだろうか? それとも、何か理由があるのだろうか?

 

 よもや僕がいつまでたっても作れないから、それに付き合っているのだろうか。そう思って聞いてみれば、違うと首を横に振られる。では何故かと問えば、いいから続けなさいとやけにお姉さんぶった答えが返ってくる。わけがわからないよ。

 

 首をひねりつつも、自分の作業に戻ることにする。時間的に考えて、今日中に完成させることは不可能だけど。出来るところまではやっておくべきだろう。

 もはや、意地でしかない気がしなくもないのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五、

 結局。今生において僕が初めて完成させた折り鶴なるものができたのは、翌々日、2日後のことだった。……いや、根をつめ集中しすぎたせいか、翌日は発熱して折り紙どころではなかったのだ。

 

 1羽折るために2時間半かけると決意してから、実に3羽目にしてようやく完成した折り鶴を前に、ふうと安どのため息が漏れる。折り鶴を折り始めてから約11時間、文字どおりの意味での“半日”をかけ、ようやく1羽の完成品ができたというわけだ。

 

 僕が折り紙の続きをやるというと喜んで隣に来てくれた十六夜さんは、我がことのように喜んでくれた。お世辞にも出来の良いとは言えないそれの翼に、嘴に、尾に指を這わせ、丁寧に折ったのがすごくわかるわと光のささぬ目を弓なりに細め、何度もうなずいている。どうにもくすぐったい事態である。……まあ、僕の内面の冷めた部分は。それくらいしか褒めるところがなかったというだけだろうと、平坦な声で伝えてくるのだけれど。人類最高2歩手前の意志力や知性というものも、場合によっては考えものである。

 それでも、彼女の言葉をうけたときのこそばゆさ、心地よさを否定することはできないが。

 

 でも十六夜さん。折り鶴が折れたなら次はといって、“みみずく”の折り方を教えられても困ります。川崎ローズよりは簡単ですけど、どっちにしたって僕には無理です。

 というか、それって80年代の今には存在しないんじゃ。とらハ2の時代設定があいまいだからって、未来予知すぎる。

 

 

 

 

 

 さて、姉さんはといえば。

 僕がひっくり返っていた丸1日も含め、暇な時はずっと折り鶴を折り続けていたらしい。台所から取ってきたのであろう。くしゃくしゃのビニール袋に保管された完成品は、3桁に近い。

 一体何が姉さんをそこまで折り鶴折りに駆り立てているのだろうかと、首をかしげていたのだけれど。

 その疑問は、僕が折り鶴を完成させた時点で氷解することとなった。

 

 僕の作った出来の悪い折り鶴に指を這わせる十六夜さんの隣で、ぴたりと姉さんが作業を中断させたのだ。

 何やら満足そうにうなずいて立ち上がった姉さんに、もう折らないんですかと問いかける。うん、もういいの。ちょっと針と糸を取ってくる。そう返される。

 何の事かと首を傾げていたら、姉さんがぽつりと呟いた。

 

 

 

 「千羽折らなくても、願いがかなったから。もういいの」

 

 

 

 同様に理由を想像できなかったらしい十六夜さんと目……もとい顔を合わせ。半秒と経たぬうちに僕は合点がいき、息をのんだ。十六夜さんも姉さんの行動の理由を理解したのだろう。あらあらと、驚き半分、微笑ましさ半分といった風情の表情で笑っている。

 

 ここまでくれば、姉さんが延々と鶴を折っていた理由については分かるだろう。

 つまるところ姉さんは、千羽鶴を折っていたのだ。

 

 

 

 “妹が折り鶴を折れますように”

 

 

 

 との願いを込めて。

 

 まあ、千羽鶴は病気快癒などを願って折るものであり、願い事なら何でもいいものというわけではない。姉さんは一昨日十六夜さんからその旨説明を受けていたのだし、分かっていないのも少々悲しいものがある。それにまだ100羽ちょっと折っただけであり、1000羽には程遠い。

 子供は往々にして瞠目すべき集中力を発揮する。が、ある時ふとしたことでそれが途切れてしまうといった事態も珍しくはない。仮に僕がずっと折り鶴を折れなかったとして、彼女が1000羽折るまで飽きずにいられたかは怪しいだろう。

 大体、折った鶴にしたところで、段々飽きてきてはいたようで。ちょっとずつ、出来が雑になっている。

 そもそも。超常能力が込められているわけでもない作成中の千羽鶴があったからといって、それが僕の行為判定に影響を与えるとは考えにくい。

 冷めた目で見るならば。姉さんの行動には無数の問題があり、的外れで、実効性に乏しいものだろうとは思う。千羽鶴というものの呪術的意味合いを無視した、見当はずれの行動をとっていたのだと思う。

 

 

 

 ただ、それでも。

 それにしたところで。

 

 5歳ちょっとの幼児が、1つ年下の妹の行動が上手くいくようにと。それも単に頑張れと言うとか、手伝うとかではなく。持続性の求められる“お祈り”をやってみせるというのは。

 ひどく微笑ましくて、“お祈り”される当人としてはどうにも気恥しい、おもはゆい気分のする話だと思う。

 “ありがとう”という、たった5つの音声を姉さんに対して発することが。理性以外のなにかが邪魔していて、ひどく難しかった。ぱたぱたと駆けていく姉さんの方を、まともに見ることができない。

 僕と姉さんを見てくすくすと、一定量の温度をもった笑いを見せている十六夜さんに、なにか皮肉の1つでも言ってやりたいのだけれど。そんな余裕がどこにもない。人類最高2歩手前の意志力や知性、悟性はどこにいったのやら。顔をあげることにさえ障害を感じるほどの感情の波が、僕を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六、

 さて。

 

 

 

 姉さんの作った千羽鶴モドキは、さして出来のいいものとはならなかった。

 

 姉さんは人並み以上に器用ではあるのだけれど。それでも幼児が、泥縄的に、一人で折った折り鶴を連ねるのだ。一羽一羽の出来は段々と劣化しているし、糸はきちんと胴体中央を貫いていない。あちらで右に傾き、こちらで左に傾きと、雑然とした有様で鶴が折り重なる事態となっている。

 そもそも、翼を開いた鶴を連ねているので、妙にこんもりとした状態になっている。千羽鶴は本来、翼は開かないまま連ねるものなのだから当然だ。

 ……5歳児が1人で作ったものとしては、破格の出来だとは思うのだけれど。

 

 とはいえ姉さん自身、自分の作品の出来については気に入らなかったらしい。思わずつつきたくなるような膨れ面をして、完成したその立体群をつまみ上げている。

 むむむと悩んでいるので、どうするのかと見ていれば。数秒も経たぬうちに完成したそれをぽいと放り出して、新しい折り紙を取り出していた。

 こちらを向いて何を言うのかと思えば。今度はもっと奇麗なのを作ってあげる、とのこと。

 もうなんというか。今放り出した物体については何もかも忘れ去ったかのような、晴れやかな笑顔であった。

 

 

 

 切り替えが早いような気はするけれど。

 

 この生のままの、むき出しの、飾らない精神活動。あるいは力一杯直進した揚句、何かにぶつかると間髪入れずに別の方向にすっ飛んで行く行動力というものは、このあたりの年齢特有のものなんじゃないかなぁと思う。

 と、いうか。姉さんって今、某野原し○のすけと同い年なんだよな。アレはちょっとませ過ぎの気がしなくもないけれど。かの人物のバイタリティを思い浮かべれば。今の姉さんの年齢あたりの元気さや思いつきへの突進力については、納得できる部分があるんじゃないかなと思う。……いくら奴と同い年とはいえ、姉さんがケツだけ星人とかやり出したら家族が泣くと思うけど。

 ともかく。

 それがいいのか悪いのかは置いておいて。段々と計画性とか、先のことを予測するだけの経験値とかを積んでいくにつれて。このような全力でどこかにすっ飛んで行くような心のあり方というのはなくなっていくのだろう。

 

 

 

 特に姉さんの場合、とらハ2でのあり方を見る限り。このあたりの特性について他者よりも顕著に喪失していくのだと思う。高校生となった姉さんが原作で見せていた属性はまずもって“生真面目”なものであった。

 

 先を見据え、自制し、日々できることについて重石を載せたかのような沈着な行動を選択していく。

 

 生真面目というものは、つまるところそのようなものであり。幼児性の発露そのものであるかのような切り替えの早さや即断性とは対極にあるものである。

 この先姉さんから、今見せているような幼児ならではの輝きというものはなくなっていくのだろう。代わりにもっと別の、計画性とか、他者から教えられた何物かを忠実に踏襲するとか、そのような美点が現れていくのだろう。

 とかく槍玉にあげられる“真面目”というものだが。別にそれが悪いものであるとは思えない。継続的に、何か良いものを黙々と行えるという特性は、大抵の人が持ち合わせていない美点ではないかなと思う。もちろん、そこに柔軟性や多様な価値観を受け入れられるだけの余裕が挿入されるならば、もっと良いのだろうけれど。だからと言って、一概に批判されて良いようなあり方ではない気がする。

 

 ゆえに姉さんがこの先、原作のような真面目人間一直線を歩んでいったとしても。それは取り立てて止められるべき道ではないだろう。

 ……身も蓋もないことを言えば。へらへら笑って余裕を見せながら習得するには。神咲一灯流という術理はあまりにも重いものであるはずだし。原作で雪乃母さんが若い頃一度家出をしたのも、流派継承に失敗したからだったはず。神咲一灯流は、継承失敗が家族関係崩壊の危機に直結するほど重く、困難な術理であるということなのだろう。

 例えば体力敏捷力共に18であるとか。そのような十二分な才能があるのであれば話は別なのだろうけど。僕よりはよっぽどマシとはいえ、姉さんにそこまでの身体能力があるようには見えないし。やっぱり姉さんは真面目に生きないと、後々苦労する羽目になると思う。

 

 

 

 もっとも、先のことは先のことである。

 今の姉さんは年相応の生命力やらなにやらを発揮した自由な精神を内包しているし、行動もそれに即したものである。

 今現在もほら。放り捨てた千羽鶴モドキのことなど完璧に忘れ去ったかのように、目前の折り鶴に注力している。切り替えの早さとか、集中力とかを、聊かどうかと思われるほどのレベルで発揮している。

 

 とはいえ、そのような美点があるとはいえ、このあたりの子供が“飽きっぽい”のもまた厳然たる事実である。更にいうなれば。姉さんは神咲一灯流の稽古だの、小学校入学が間近であるゆえの学業への傾注だの、はたまた旧家に生まれたが故の伝統的な“基本技能”についての学習だので、随分と忙しい。遊んでいられる時間は同年代の幼児に比べてひどく少なく。更にはその時間すべてを折り鶴に費やすには幼すぎる。姉さんはまだ、遊びたい盛りの子供なのだ。

 

 

 

 結果として。

 それから数日経とうと、数週間経とうと。あるいは半年経とうと。

 

 姉さんのいう“もっと奇麗なの”が完成することはついぞなかった。

 当人もそのことはさっくり忘れ去っているらしく、毎日稽古に、勉強に、あるいは他の遊びにと全力で駆け回っている。病床に伏した僕を看病しようとやってくることもあるが、その時の話題に千羽鶴が上ることはない。すっかり忘れ去っているのだろう。

 

 もちろん、別にかまいやしない話だ。今だ蝉の一生よりも短い時間しか生きていない少女が、一時的にでも、誰かの行動の成就を祈るためだけに時間を割いてみせたのだ。それで充分の話だと思う。

 幼児の、一過性の献身というものは。ただそれだけで価値あるものであり。持続するかどうかなどは論ずる必要がない。少なくとも僕はそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに僕はもう、もらうものを貰っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四六時中布団の上で魘されている僕の部屋には、和紙で作られた飾り箱がある。亜弓さんが、どこぞに仕事で行った際、土産にと買ってきてくれたものだ。残念ながら実に微妙な大きさである上に強度に問題があるため、本当に“飾って”あるだけになってしまったのだけれど。まあ、土産というものは往々にしてそんな扱いとなるものである。

 ただまあ、それはそれとして。その箱はそこに置いてあるだけで、ちらと視界に入るだけで、聊かの温かみを、僕の内奥に与えてくれる。

 

 何となれば。その華やかな色合いの紙製の直方体の内部には。

 

 

 

 

 

 姉さんが放り投げた揚句一顧だにしなかった。不揃いで段々と出来が荒くなっていく、色とりどりの立体で構成された。

 

 

 

 

 

 今生における、僕の“たからもの”が入っているのだから。

(続く)


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