GURPSなのとら   作:春の七草

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第七話『煩悶』

序、

 ……さて、ラジオニュース、お昼のコーナーです。

 鹿児島県各地で63年ぶりに、笹の一斉開花が観測されました。記録に残されたものよりも1~2ヶ月早咲きで、結実も同様に早めのものと見られます。笹の実は野麦とも呼ばれ、古来より救荒食として利用されてきました。

 当時を偲び、周知してもらう意味もあり……あり……ええと、なんだっけ。

 そうそう、……近隣自治体は笹の実から作ったパンを無料配布するイベントなどを企画している模様で、模様で、で、で……開催場所は……。

 ……うむむ。流石にこれ以上は。まあいいや、次だ、次。

 おんぐ、だくた、りんか、ねぶろっど、づぃん、ねぶろっど、づぃん、おんぐ、だくた、りんか、よぐ、そとーす、よぐ、そとーす、ふんぐるい、むぐるうなふ、くとぅぐあ、ふぉまるはうと、んがあ・ぐあ、なふるたぐん、くとぅるふ、るるいえ、うが、なぐる、ふたぐん……。

 

 

 

 僕の勉強部屋となりつつある神咲邸の一室。煩わしいことこの上ない眼鏡をかけ、書見台に乗せた書籍と格闘しつつ。僕は脳内で半年以上前のニュースの内容だの邪神礼讃だのの一節を、延々とリピートすることとなっていた。

 

 僕が転生に際して与えられた凄まじく高い知力は、例え“並列思考”の特徴を持たずとも2つの精神的活動を同時に行う程度の真似は可能である。

 ……少なくともGURPS SPACE SHIPSには操舵をしつつ火砲を扱う場合や、センサーで広域を索敵しつつ目前の敵艦をスキャンする場合にどんなペナルティがかかるのか設定されているのだ。特に専用の特徴を保持しておらずとも一定のペナルティさえ受ければ、GURPSのキャラクターが同時に複数のことを行うことは可能のはずである。例えば今行っているように、怪しげな口上を頭の中で繰り返しつつ書籍の内容を吟味するような行動に問題はない。ないはずだ。

 勿論そのような行為によって発生するペナルティは結構なものであり、一定以上知力が高くないと役には立たない。が、僕の知力は充分に高い。問題ないのだ。

 折角知力が高いという転生者としての特典を賦与されているのだ。それを利用しない手は無いということである。例えそのお高い知力とやらが何の努力もなくカミサマパワーによって賦与されたご都合主義能力であったとしても、だ。そも、才能というものは普通当人の努力によって得られたものではないのだし。

 

 

 

 さて、現状において行うべき事柄は2つある。

 1つは長期的な視野に基づいての“訓練”。

 もう1つは短期的な視野に基づいての“確認”だ。

 

 

 

 長期的な視野に基づいての“訓練”とは、“思考防御”の技能を習得するための訓練を指す。

 “思考防御”は表層思考において意味のない連続的な思考活動を行うことによって、自分の精神を読まれることを防ぐ技能である。この“意味のない連続的な思考活動”とは、詩でも、数式でも、カーレスを称える歌でも。はたまた前述のようなラジオニュースと呪文のごっちゃになったような滅茶苦茶なものでも構わない。ともかく何でもいいのでずっと考えていられるなら効果を発揮する。この技能を訓練する場合もやることは同じだ。僕の精神を読もうとする誰かさんの読心を邪魔できればいいのだから当然である。

 この技能があれば、魔法を使おうと超能力を用いようと、僕の精神を“読む”ことは困難となる。思考の表層に無意味な思考の連なりがすっと張り付いているのだから、心を読むのが難しいのは道理である。

 少なくとも、その手の超常能力で僕の心を読まんとすれば、まず僕の“思考防御”の技能との即決勝負(GURPSにおける判定方法の一つ。より技能……場合によっては能力値……レベルの高いほう、6面ダイス3個を振って出た出目の合計がより低い方が有利となる手っ取り早い勝敗決定方法)に勝つ必要が生じる。イメージとしては、某太陽系帝国大執政官殿の精神ブロックあたりをイメージしてもらえばいいと思う。まあ、あれはテレパシー能力によるものだけれど。

 この技能を用いている限り、超能力的なテレパシーだろうと妖術的な“さとり”だろうと、コンパクトにしてあげるよな人のギアスだろうと。僕の精神を読もうとすればまず表層のこの意味のない思考の羅列を突破する必要があるのだ。

 

 遠近問わず直接攻撃が得意なら、心を読む相手に“考えない”ことで対抗することも可能なのかもしれない。が、生憎搦め手による戦いがメインとなるGURPSの魔法使いには、そのようなやりかたは許されない。莫大な数の呪文を駆使し、相手を“無力化”する戦法をメインとするのがGURPSの魔法使いなのだ。ために自分の心を読まれてしまうというのは非常に深刻な事態だ。

 

 で、ある以上、超常能力による精神走査を警戒し、自分の心を雑念の波で覆うこの訓練は不可欠のものといえよう。今すぐに役に立つものではないが、今後のことを考えれば是非とも取っておかねばならない技能であり、訓練は早めにしておいた方が良い。何時僕の心を読むような存在と相対する羽目となるかなど、わかったものではないからだ。

 

 なお、流石に十六夜さんの授業を受けている時や自分で呪文の学習をしているときにまでこの訓練を行うことはできない。同時に複数の思考活動を成立させる“並列精神”の特徴があるわけではないので、ルール的な学習を2つ同時に行うことはできないからだ。あくまで、学習でない作業をと並列させているからこそ出来ることである。

 

 

 

 短期的な視野に基づいての“確認”については、今現在書見台に置かれた書籍を相手にやっていることがそれに当てはまる。

 一体如何なる要因が作用してのことであるのかはわからないのだが。僕は≪病気治療≫の呪文を習得してからこのかた、異常な頻度で病にかかる羽目と相成っている。幾ら≪病気治療≫の呪文習得により病弱であることによる負担が減ったとはいえ、この奇妙に病の発症が頻発する事態の原因を解明できなければ、日常生活を送るだけでも多量の問題が発生してしまう。

 

 この“異常な頻度で病にかかる”事態については、原因と推測される事情が2つある。

 1つ目は≪病気治療≫を習得した直後から、恐らくは特異点の特徴によってこちらを気にしだしたと思しき多量の怪異の存在である。隙間女、人面犬、小人さん、座敷わらし、奇怪な影や目玉やら。そういった連中のいずれかが僕に怪しげな術をかけるなどして病を頻発させている可能性がある。

 2つ目は僕がそもそもこの≪病気治癒≫の呪文を間違って覚えているという可能性だ。ゲームシステム的にはそんなことはありえないはずなのだが。現実的には≪病気治療≫の代わりに、似たような効果を発揮するが同時に病にかかる可能性も極端に上昇させる呪文、などといったものを習得してしまった可能性だって絶無とは言い切れない。

 

 ここ数日、僕が病弱であることを勘案してなお異常な頻度で病に罹っているという事態の理由としては、“怪異の仕業”と“呪文を間違って覚えた”の2つのうちいずれかではないかと考えているわけだが。困ったことにどちらも考えにくい状態である。

 

 怪異の仕業である可能性はないといってもいいだろう。如何せん、ここは神咲家。退魔師の家である。和音婆様にせよ亜弓さんにせよ当代随一と言って良いほどの腕前を持った術者であり、人様に直接害をなすような怪異や術に気がつかないとは考えにくい。

 確かに彼ら神咲家の人々は怪異を問答無用で祓うような人々ではない。原作でも親類縁者を殺されたにもかかわらず誤解の解けた御架月を受け入れているし、現代においてさえ数人の人間と肉親一人を惨殺した久遠を力を封印するだけに留めている。神咲家の術者は疑わしき怪異を皆殺しにするような“確実な”手段はとらないようである。

 勿論、だからと言って人に仇なす怪異を放置しておくようなこともしない。例え自分に助けを求めてくる幼稚園児の霊であったとしても。それを救う方法が斬ることしかなければ、放っておけば人々に害をなすならば、遠慮なく駆逐するようなのだけれど。

 

 ともかく。神咲家には多数の怪異がいるようであるが、あくまで彼らは“人に直接害を与えない”存在であるから放っておかれているのであって、“人に直接害を与える”であるならば和音婆様あたりが除霊しているはずなのだ。ためにこの神咲家で僕にちょっかいを掛けようとする怪異がいても、それは精々脅かそうとする程度のことであり、病に罹患させようなどといった術を用いているわけがないのである。

 

 ならば何故、僕は≪病気治療≫の呪文を習得してからこのかた、異常な頻度で病に罹っているのか。

 

 怪異の仕業でないのなら、習得した≪病気治療≫の呪文に問題があるとしか思えないのだけれど。いくら調べても習得した≪病気治療≫に問題は見当たらない。

 部屋の外から明らかに姉さんではない童女の視線を感じつつ、古文書の記述を反芻しているわけであるが。どう考えても、僕の習得した呪文に不備があるようには見受けられないのだ。

 大気中のマナを呪文行使のためのエネルギーとして消費する方策。消費したエネルギーによって世界そのものに干渉する術式。世界を構築する一部であるところの、対象の状態の認識方法。対象の正常な状態を呼び出すやりくち。対象の現状とあるべき状態を一致させる書き換え方。書き換えによって生ずる問題についての地味で退屈な無数の対処方法。

 いずれを見直してみても問題は見当たらない。僕が習得した≪病気治療≫……少なくとも、僕はそう認識しているもの……は完全に問題のない“病を治療する呪文”であり、おかしな副作用が出る余地はあり得ない。

 まあ、呪文の構成に関して理論立てて研究する“魔法理論”の技能を取っていないので、絶対にありえないと確言することはできないのだけれど。ただ、1つの呪文の習得に240時間以上の時間を費やした身として述べるのであれば、僕はこの呪文を間違って覚えている可能性はない。無いはずだ。

 

 僕が自身の肉体的素養を勘案してもなお、異常な頻度で病に罹患するというこの事態。その原因として考えられる2つの事情は、いずれも現状の説明をなすには説得力に不足がある。

 

 病を頻繁に発症する原因として怪異を挙げるのは正当とは言えない。彼らは神咲家に現われているのであり、その神咲家は幼子に危害を加えるような怪異を放っておくとは考えにくい。

 病を頻繁に発症する原因として僕が習得した呪文の不備を挙げることも難しい。いくら念入りに探したところで、僕が習得した≪病気治療≫の呪文に問題は見当たらない。

 

 

 

 しかし同時に、僕が明らかに不自然な頻度で病にかかり続けているのも否定しようのない事実である。

 僕は尋常一様でない病弱っぷりを晒す貧弱幼児であるわけだが。それにしたって限度というものがあるのだ。1日のうちに何度も≪病気治療≫の呪文を行使しなければならない状態は、明らかに自然のものではない。

 ≪病気治療≫を習得してから既に一週間が経とうとしている。自分一人で色々とこの奇怪な状況について説明をつけようとあれこれ模索してみたわけであるが。どうにもうまくいかない。

 

 ならば、どうすべきか。

 それはもちろん、決まっている。

 

 

 

 

 

 僕一人で解決できない問題であるのならば、他の人を頼ればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第七話『煩悶』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 「ううむ、そうじゃのう」

 

 床の間に寒椿を生けながら、姿勢のしっかりとした老婆が首を傾げる。掛け軸の前に置かれた花瓶は素焼きのものの一部に上薬をかけただけの特徴的な陶器、備前焼だ。濃い桃色の花弁が沈みきった原始的な土の色の上で、浮き上がるような存在感を見せている。

 

 現状で僕が抱えている問題。≪病気治療≫を覚えてからこのかた頻発する病について相談した相手は、十六夜さんでも和音婆様でも雪乃母さんでもなく大叔母の亜弓さんだった。

 

 理由は単純なもので、他に相談できる相手がいなかったからである。

 和音婆様は先日から警察と何らかの事件の捜査に行っており、家にいない。現継承者である和音婆様が退魔師の仕事で出ている以上、十六夜さんも一緒に出かけている。

 雪乃母さんは何をしているのかよくわからないが、ともかく出かけている。いつものことではあるのだけれど、彼女もまた忙しそうだ。退魔師の仕事だろうか? 僕については別にかまわないのだが、姉さんはあまり相手をして貰えず寂しそうである。

 一樹父さんは道場の関係で遠征中である。尤も父さんは神咲一“刀”流の師範であり、剣術はともかく霊術は使えない。当然、退魔師でもない。ほかのことについてならばともかく、怪異や術については相談のしようがない相手ではあるけれど。

 薫姉さんは元気に庭先で素振りをしているが、彼女に相談をしても仕方がない。6歳児としては相当に聡明な娘さんだとは思うけれど、それでもその年の子供に相談しても相手を困惑させるだけであろう。いや、真剣に考えてはくれるのだろうけど。

 

 

 

 選択の余地がなかったとはいえ、亜弓さんは今回の問題について相談を持ちかける対象として適切な相手ではあるはずだ。

 他の技能についてどうなのかはわからないが。少なくとも治癒術について神咲家の中でも優れた人物が亜弓さんでる可能性が高いからだ。

 まあそう判断した理由は、僕に治癒の霊術をかけてくれる人物が彼女であるから、というだけのものなのだけれど。

 とはいえ、まさか治癒術の苦手な人物に孫娘の治療を任せるとも考えにくいので、彼女は神咲家の人々の中で相対的に「癒し」の霊術を得意としているか、或いはまともに病気を治療できるレベルの「癒し」の霊術を使えるのが彼女だけなのではないかと思われる。

 ともかく。恐らく多分治癒術や怪異について彼女に相談を持ちかけることは、適切な判断であるはずだ。

 

 「お前さんの異常に病にかかり続くいちゅう事態が、怪異の仕業(さた)ある(あっと)か、霊術の不備である(あっと)か、と問われてものう」

 

 とりあえず、生け花は終わったのか。僕の話を聞き終わった彼女は、畳の上に正座する僕に向き合うように正座する。

 

 「まず、舞奈。お前さんの霊術に問題がある(あっと)かと言われても良くわからん。そもそも、普通の霊術を使かう(つこ)にはある程度の霊力が必要じゃが、お前さんの霊力は神咲家の人間としては低い(ひき)。常人並じゃ。雪乃より(よっか)低い(ひき)

 

 亜弓さんの言葉に僕は黙って頷いた。GURPSのキャラクターは、キャラクターシートに特記されていない部分に関しては、普通の人間と同じだ。“特殊な背景/とらハ世界の霊力を持つ”などといった特徴でも持っていれば話は別だが。そうでない限り僕の霊力は“常人並”で当然である。

 

 「わしらが使かうよう(つこよ)な普通の霊術はお前さんには使えん。……結界や呪符を用いた術なら、使えるはず(つこがなっはず)じゃが。そっちは大した霊力を用いないからの。

 お前さんが使かうような(つこがなっ)治癒の術は、古い時代(ふりじで)の、霊力に左右されん霊術じゃ。記録(きろっ)には残っているものの(のこっちょものの)、そん古い(ふり)霊術はわしらには使えん。

 お前さんが使って(つこて)いる術についての資料は読んでみたが、使えない以上術についての実感もなく、実際に術を使える相手にできる(つこがなっえてにでくっ)助言もない」

 

 案の定、亜弓さんたちが古い霊術であると認識しているGURPSの呪文は、GURPSのキャラクターではない亜弓さんたちには使えないようだ。その内容についても詳しいことはわからないと。

 逆に僕が神咲一灯流の技を使うこともできないということだ。例えば僕はどれだけ練習した上で十六夜さんを構えたとしても、真威楓陣刃を放つことはできない。或いは放てたとしても一般人が無理矢理放った程度の威力しか出せない。

 勿論一般人程度の霊力はあるので、この世界の一般人同様きちんと訓練を受ければ、超常的なエネルギーを自分ではなく周囲やガジェットから引き出す類の術は使えるようだけれど。

 

 ややこしい話だが、GURPSの超常能力ととらハ世界の霊力霊術は完全に別のものであるということだ。

 僕のようにGURPSの呪文が使えるからと言ってとらハ世界の霊能力者になれるわけではないし、神咲家の人々のようにとらハ世界の霊能力者であるからといってGURPSの呪文が使えたりはしない。

 更にややこしいことに、とらハ世界において霊能力者と一般人の垣根は曖昧だ。一般人にも霊力はあるし、神咲家の人々並に霊力が高い人間も存在する。実際に、とらハ2の主人公はルート次第では十六夜さんや御架月を継承することになる。つまり一般人である彼は、少なくとも退魔師として振る舞える程度には霊力が高いのだ。

 逆に神咲家、退魔師の人間であるからと言って霊力が高いとも限らない。例えば雪乃母さんの霊力は一般人よりは高いといった程度だし、父さんの霊力は常人並だ。

 そんな状態であるから、霊力が常人並に低くても使える霊術は存在する。結界や一部の除霊術、封印、探索系の術などである。勿論、使用者の霊力が低い以上別の何かから霊力を持ってくる必要があり、何らかの儀式や道具を用いる必要があるのだけれど。

 GURPSのキャラクターとして表現されている僕の場合、それら霊力が低くても使える術については、除霊や職業技能/退魔師といった技能を学習することで使えるようになるようだ。

 ただし十六夜さんから学んでいるものの、現状では実践を伴わない理論のみの状態である。技能レベルそのものは高くとも、どんな効果が出るのかは未知数だ。不安な話である。

 

 

 

 

 

二、

 亜弓さんの話は続いていく。

 

 「怪異については、少なくとも(すっのとも)わしらが感知出来る(でくっ)異常はない。

 誰か(だいか)を病に罹らせる術とはつまるところ(つまいのはて)呪い(まひね)”じゃが、どんなに(どげなに)微弱であろうともそんな(そげな)ものが屋内で使われてわしや和音が気づかんちゅうこちゃない。間違いなく(まっげなく)、お前さんを呪っている怪異はいない(いもはん)

 力の弱い(よえ)術ならば誰を狙った(ねろた)のかわからんちゅうこともあるが、そもそもこん屋敷(やしっ)で呪詛は使われておらん(つこわれちょらん)弱い呪い(よえまひね)でお前さんを害そうとしているということも(しちょっ、ちゅうことも)ないじゃろ」

 「遠方から呪われている可能性はありますか?」

 「それ(そい)もない。神咲邸の結界は、必要とあらば人間の出入りさえも(でいいせか)妨げる強固なものじゃ。下手に外部から呪詛しようものなら呪詛の反射(かやりの風)を喰らうのがオチよ。

 お前さんの習得した術の(ほい)に異常は……まあ、見つからんから聞いてきたのか」

 

 ええ、まあと頷く。困ったのうと老婆が思案気に首をかしげた。

 

 周りを見る。

 亜弓さんがいるからだろうか。戸棚の影からおっかなびっくり隙間女がこちらを覗いている。天井では逃げたものかどうかと半眼で悩む大きな眼球が張り付いている。障子の向こうにはこっそりと、がんばれーとこちらにエールを送る小人さんと、不思議そうにそれを眺める童女……座敷わらしなのだろうか……が。うん、実ににぎやかだ。

 特異点の効果だけではこうはなるまい。もともと神咲家が霊的に目立つ環境であることもこの状況を作り出す一因となっているのだろうか。

 そんな部屋の有様を見て亜弓さんが笑う。

 

 「好かれておるの」

 「そうなのでしょうか」

 「うむ。まあ気にかけているだけ(かけちょっだけ)かもしれない(しれもはん)し、そうであっても(あっで)悪さをしないという(あたをせんちゅう)ほど単純なものでもないのじゃが。少なくとも(すっのとも)彼ら(あいどん)は、お前さんを呪ってはおらんよ(いもはん)

 ほれ、そこの(そこん)小人どもなどはお前さんを言祝いで(ゆえで)いるではないか(あいもはんか)戸棚(ぜんだな)の間にいる輩は……まあ、お前さんが外に出るように(でっように)なったら追い散らすかのう(おいちらしもんそ)。外出は邪魔しそうじゃ」

 

 そう言って老退魔師がちらりと視線を向ければ、異様に細長い女怪異はびくりと身をすくめて影の中へと消えていった。亜弓さんと隙間女の間には、相当な実力差があるのだろうか。まあ、普段知らん顔して家にいることを許している以上、そうでなければおかしい気はするけれど。

 肺に激痛を感じ、半ば身を折るようにしながら≪病気治療≫の術をかけ、病を癒す。どの怪異の仕業であるかと見まわしてみるが、当然のように怪しげな動きをしているものはいない。勿論、部屋の外にいる怪異がやっていたら気付きようもないのだけれど。

 が、僕の異変に気づいた亜弓さんも油断なく周りを観察し、結局周囲のいずれの怪異にも視線を定めていない。やはり怪異のせいではないのか。

 

 「お前さんを呪っている輩は見当たらんの(見当たいもはんね)

 

 そう結論付ける亜弓さん。亜弓さんがそういうのだから、きっとその通りなのだろう。

 しかし、怪異のせいでもなく、呪文のせいでもないならば、僕の異常は一体何が原因なのか。

 考え込む僕に亜弓さんの言葉が続けられる。

 

 「そうじゃの。

 お前さんは、怪異や妖怪(めん)、霊の類を随分(あばてもなか)と惹きつける身であるの(あっと)間違いないことじゃの(まっげねごちゃっじゃの)。霊力の強さに関わりなく、そういった者は稀に(まねけん)いるものじゃ。特に、わしらのよな退魔師の家のものとしてはさして珍しい(めずらし)状態でもない。神咲の当代にはお前さんだけじゃが、昔はちょくちょくいたらしいしの」

 

 あるいは、それが原因やも知らぬ。

 ぽつりと放たれたその言葉に、僕は顔をあげた。

 

 「お前さんはひど病弱じゃ。物質的、霊的問わず、普通の人間よっかより小さい(ちんけ)干渉で体調を崩す(くやす)こともあるじゃろ。

 多く(うお)の怪異に囲まれて生きることで、余人では問題とならん、しかし体の弱い(よえ)お前さんにとっては問題となるよな体内の霊的な均衡の崩れが起こっているのかも知れん」

 

 なるほど。僕の極端に弱い身体と特異点の不利な特徴が、ハタ迷惑な化学反応をして見せたという事か。

 不利な特徴と不利な特徴が合わさって新たな問題が起こる、というのはGURPSのルール的にはなさそうな気がする。が、この世界はあくまで現実のものであり、GURPSのルールもある程度デフォルメされている可能性がある。……少なくとも、絶対にないとは言い切れない。

 

 しかしだ。もしそうだとすると非常にまずい。

 もし本当に亜弓さんの言う通り、僕の持つ特異点と退魔師の家という霊的な場所で過ごしているということ、それに病弱な諸々の特徴が連鎖した結果として異常な頻度で病に罹っているのであれば、対処法がないからだ。

 

 

 

 

 

三、

 現在行っている場当たり的な対処法、すなわち病気にかかるたびに≪病気治療≫の呪文を使い続けるという手段は、長期的には使えない。或いは有効な手段とは言いにくい。

 

 GURPSの呪文を行使する場合、(恐らくたぶん)必ず判定が発生する。僕が自分に呪文を使うのであればその成功率は約98.1%、ルール上の限界値である。失敗率は約1.85%。失敗し、それがファンブル(致命的失敗)である可能性は約0.46%である。

 意識するほどの失敗率かと首を傾げるかもしれないが、如何せん現状において僕は1日に数回、多ければ10回以上≪病気治療≫の呪文を使っているのだ。仮に1日に平均で8回≪病気治療≫の呪文を行使するのであれば、そのすべてが成功する確率は86.1%。10日間、合計80回の呪文行使がすべて成功する確率は約22.4%である。

 そして≪病気治療≫の呪文は、一度失敗した病気に対しもう一度行使することができない。つまるところ、現状のまま≪病気治療≫の連発のみで事態を乗り切ろうとした場合、僕は77%ほどの確率で、10日に1度は病に倒れることになる。そしてその病を自分の呪文で癒すことはできない。

 今までに比べれば随分と事態は改善されたといいたいところだけれど。この程度の状態改善のために≪病気治療≫の呪文を習得したわけではないし、ファンブルする可能性だって217回に1回程度はあるのだ。1日平均8回≪病気治療≫の呪文を行使し続けている場合、3週間に1回程度はファンブルするということだ。そしてファンブルの効果の中には効果を逆に発揮するとか、暫く呪文を忘れてしまうとか、或いは敵対的な悪魔を召喚してしまうというような深刻なものもある。

 3週間に1回程度、呪文で治すことのできない重篤な病に罹ったり、1週間ほど≪病気治療≫の呪文を忘れてしまったり。はたまた呪文能力と肉体的な強壮さ、知性、そして限りない悪意を持った超常存在を呼び出すような事態とは、ちょっと許容して良い事態ではないと思う。……まあ、ファンブルしたからといって必ずしもこのような重大な事態を引き起こすわけではないのだけれど。それにしたって問題なのは間違いない。

 

 現実的な行動と違い、明白な確率というものと密接に関係しているのがGURPSの呪文行使だ。継続的で連続的な行使は避けてしかるべきだろう。どんなに低い確率だって、継続して試行するならば、いつか現実に起きうるほどの確率を伴うようになるのだから。

 

 

 

 亜弓さんの予想が正しいのならば。神咲家にいなければ、霊的な場所に近づかなければ、この異常な病の頻発は納まるだろう。

 “神咲家から離れる”というのも一つの対処法だ。

 僕が病弱であることと神咲家のような霊的な場所にいることの2つが問題となって現在の状態となっているのならば、その2つの問題のうちの1つを除外することで己の安全性を高めるというのは当然の判断といえよう。

 が、この“神咲家から離れる”という選択肢は取る気にはなれない。それでは彼ら神咲家の人々の役に立つことができないではないか。ようやく彼らに恩を返すための下地ができ始めたというのに、自分からそれを捨て去ってどうするのか。

 

 病気や気絶に関する判定値が4(成功率は約1.85%だ)、HP2点の状態でも今まで生きてこれたのは、彼ら神咲家の人々の助力があったからだ。言わば神咲家の人々は、僕に対し継続的に命の恩人で“あり続けて”きてくれたのだ。そんな相手に対して何の対価も支払えないなど、冗談ではない。

 神咲家にいることなく彼らに恩を返す方法はあるだろうか? 無論知力が高いのだから金儲けに走ってもうまくいく可能性は高い。財貨で持って彼らに恩を返すことは決して非現実的なやり方ではないと思う。

 が、金で命は買えないのだ。少なくとも、僕は自分の命に金額を付ける気にはなれない。

 それに僕の場合金の力を使うより、素直に呪文を駆使した方が事態打開につながる可能性が高い。例えば重篤な病気などは最新の医療機器を用いるだけの財貨を得るより、19秒集中して呪文をかける方が手っ取り早いし、確実だ。

 大体、呪文ならば現代医療で治せないような病気でも治せるのだ。試していないので確言はできないが、僕の《病気治療》の呪文の技能レベルを勘案するなれば。僕は末期ガンだろうとエボラ出血熱だろうと一発で完治させられるはずである。

 既に今習得している呪文のみであってさえそのような有様なのだ。この先習得していく4桁にも登る種類の呪文の有用性については言うまでもないだろう。

 やはり神咲家にいて退魔師(或いはGURPSの魔法使い)として超常能力を磨いた方が、彼ら神咲家の人々の役に立てると思う。

 

 

 

 僕の呪文能力では対処できないし、確実な方法であるこの場所からいなくなるというものは容認できない。

 そんなわけで。現在起こっている問題が、亜弓さんの予想通り霊的な場所にいるからという原因を孕んでいる場合、僕には“対処法が無い”。しかし現実に直面している自体について“解決策はありません”で済ませるわけにもいかない。どうしたものか。

 

 

 

 「……奈、舞奈? どうしたんじゃ?」

 

 

 

 気がつけば、亜弓さんがこちらを心配そうに覗きこんでいる。はて、時間的には考え始めて数秒しかたっていないはずだけれど、と思いきや。どうも亜弓さんの発言には続きがあったらしい。話しかけているにもかかわらず突然反応がなくなったので、何事かと思ったそうな。

 僕の持つ不利な特徴のひとつ、“放心”の特徴が発動したのだろう。あまりにも気になることができてしまったので、それ以外について気が回らない状態となったのだ。

 突如として話を聞かなくなった非礼を詫び、もう一度お願いしますと頭を下げれば。亜弓さんは苦笑してもう一度繰り返してくれた。

 

 「お前さんの身に起きている(おきちょっそん)“病の頻発”が、お前さんが怪異に興味を持たれること、体が弱い(よえ)ことの相乗効果である(じゃい)じゃい場合、対処方法()は簡単じゃ。今度術者に“怪異の興味を逸らす”護符を作ってもらえば良い(よか)良。そいで(なん)もかもが良くなるか(ゆなっか)わからんが(わかりもはんが)今よりは(いまよっかは)良くなるじゃろう(ゆなっじゃんそ)

 ……ん? どうしたんじゃ(どげんしたと)、舞奈。頭なんぞ抱えて」

 

 どうやら最初から、亜弓さんには実現可能な腹案があったらしい。数秒とはいえ、深刻に悩んでいた自分が間抜けである。

 内心“何の対価も支払えないなど、冗談ではない”などと深刻ぶっていたことが、酷く恥ずかしい。素直にそのまま話を聞いていれば解決されるであろう事態について、何をやっているのか。

 所詮一部については超スペックの体を持っていたとしても、“中の人”が凡夫ではこの程度という事か。カミサマ転生の結果、身の丈に合った能力を貰ったなどとはとても言えたものではない有様である。

 

 

 

 

 

四、

 護符については今度賦与術者(亜弓さんは単に術者としか言っていなかったが、ともかくそのようなもの)に依頼して作ってもらうので、半年ほどはかかるだろうとのこと。完成すれば、現状のように多量の怪異に囲まれて過ごすことにはならないだろうと、それに伴い病の頻発という事態も改善されるだろうと、亜弓さんは言ってくれた。

 

 まあ、その護符がちゃんと亜弓さんの言う効果を発揮して見せたところで、僕の持つ“特異点”の効果は消えないだろうし、面倒事に巻き込まれる可能性は常にあるだろう。

 ただ、亜弓さんの言う通りこのあまりにも多い周りの怪異の大半は僕への興味を失うはずだ。……いくら“特異点”の効果があるとはいえ、常に周囲に怪異が存在する事態というのはおかしい。退魔師だらけな上に霊的に強力な拠点である神咲家にいるからこそ、ここまで極端な形で怪異と出会い続けているのだろう。

 

 

 

 話は終わったということで立ち上がれば、そのままぐらりと立ち眩みを覚える。平衡感覚を失い、ふと我に返れば背に畳の感触を覚えつつ、天井を見上げる羽目となっていた。世界はぐるぐると回転し、あちらの怪異、こちらの妖怪が興味深げに僕を覗き込んでいる。畜生、今度はどこがおかしくなったんだ? 胸に手を当てるだけの気力もわかず、助け起こしてくれた亜弓さんの腕にくたりと倒れこんだまま19秒集中。病を癒す。

 

 「なんにせよ、今日(きゅ)はもう寝ておれ。

 お前さんの得た術理は優れたものじゃが、それだけ(そしこ)で人間様の体を好きに出来る(でくっ)ものでもないじゃろ」

 あとで粥を持って行ってやるからの。大人しくしておれ―――」

 

 どこか呆れた風情でそう述べる亜弓さん。僕は同意と感謝を口にし、立ち上がり、自室へと足を向ける。確かに、これ以上動き回っていても仕方がない。数値的にはともかく、長時間の行動はそれ以外の点で僕自身の肉体を消耗させているはずだ。無理をした挙句翌日意識が無い、などといった状況になっては対処の方法がない。≪病気治療≫の呪文が有効なのは、あくまで僕の意識があり、呪文を行使できる場合のみなのだから。

 しかし、しかしだ。それにしても。

 

 人間様の体を好きにできる―――――か。

 

 確かに、今の僕にはそれは不可能だ。腕や足が折れたら≪接合≫が必要だし、消し飛ばされたなら≪再生≫が必要だ。生命力を賦活させるのは≪活力≫の呪文であるし、自在に変化しようと思えば≪大変身≫を修める必要があろう。ほかの何をするにせよ、そのためには各々異なった呪文が要求される。そしてそのいずれにせよ、僕はまだ習得していないのだ。

 

 僕はまだ学ばねばならない。

 僕はまだ強くならねばならない。

 

 そうだ、折角ある程度健康に動き回れるようになったはずなのに。こんなおかしな状況で躓いていいわけがない。1つでも多く、1時間でも早く呪文を習得しなければならない。1日でも多く学び、1CPでも多く技能を習得しなければならない。恩を返すのだ。与えられたものに応えるのだ。そうでなくして、何が転生者か。前世の記憶か。超常能力か。

 

 

 

 そうだ、僕は―――――

 

 

 

 「ぐ、えぁ……。うぁっ……」

 

 唐突に、肺腑の奥より焼け火箸でも押し当てられたかのような灼熱感が生ずる。足がもつれ、手をつくこともできぬまま板張りの床へと倒れ伏す。

 

 「う……げほっ、げほっ……」

 

 転倒による痛みをこらえて口を押さえれば、不健康な白い掌がべっとりと赤く塗装されていた。また病に罹患したのか? ちょっと待て、幾らなんでも間隔が短すぎる。さっき≪病気治療≫をかけてからまだ数分しかたっていないぞ。にも拘わらずこの様なのか?

 

 呪文のせいなのか?

 妖怪、怪異の仕業なのか?

 

 前者はともかく、後者は周囲を観察すれば何かわかるかもしれない。そう思って辺りを見回そうにも、体がまともに動かない。ただただ、肺腑が、喉が熱い。口腔にひどい苦みが広がり、視界が点滅する。

 

 ああ、いや。違う、馬鹿。そんな場合じゃない―――――

 

 早く≪病気治療≫をかけないと。この病は深刻なものだ。取り除かなければ、意識を保てないではないか。呪文、呪文、呪文だ。この際、習得した呪文が本当に正しいかなど気にしていられない。ともかく、今だけでも治さねば。集中して、周囲のマナを感じて……エネルギーを空間から引き……ああ、畜生。意識が……。

 だめだ、とても19秒も集中していられない。まず時間を得なければ。そうだ、相対的に詠唱の短い≪病気緩和≫の呪文を……。集中して……集中して……。

 

 「げほっ……げほっ……。かはっ……」

 

 己のどこにこれほどの力があったのかと思うほどの勢いで、体が痙攣する。駄目だ。呪文に集中できるような状態ではない。世界が回る。周囲が暗くなる。音が遠くなる。頬に感じる板の間の冷たささえ、彼方へと過ぎ去っていく。意識が、真っ黒な深淵へとどんどん遠ざかっていく。

 

 

 

 ……んば…………、が……ば……ー―――――

 

 

 

 ひどく遠くの、どこかから。奇怪な音の羅列を耳にしつつ。僕の意識は、深い深い闇の中へと引き込まれていくのだった。

<続く>




 神咲家の霊能力とGURPSの超常能力との関係性については筆者の捏造設定です。”除霊”や”職業技能/退魔師”が何処まで便利使いできるのかについてもかなり拡大解釈したものとなります。
 何故こんな解釈をしたのかといえば、偏に舞奈のCPを少なくするためです。如何せん、マンガやゲーム、エロゲの超常能力などをGURPSのルールで再現するとトンでもない量のCPを必要としてしまうので……。
 亜弓の方言をルビを使用して書いてみました。上手く表示できていれば良いのですが。
 次の話はもう少し早めに投稿できればいいなと考えております。
 それでは、これにて失礼いたします。

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