GURPSなのとら   作:春の七草

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第八話『予感』

序、

 しゅうしゅうと、冷たく薬臭い空気が肺の中へと押し込められてくる。

 我が物ながら折れやしないかと不安になってくる細腕の内部に、得体の知れない何かが注ぎ込まれる。いまだぼやけた視界が捕らえた、僕へと突き刺されたチューブの数は1本や2本ではない。野生動物よりも鋭い聴覚は、ベッドの横にある心電図のものであろう。いささか不規則で、どこか弱弱しい電子音を、嫌味なほどクリアに伝えていた。

 

 自宅で血を吐いて倒れた僕が目を覚ました場所は、何度も通院したことのある大学病院の、集中治療室のようであった。異常なほど病弱であるとはいえ、霊術による治療を受けられるのが僕こと神咲舞奈である。継続的な状態管理が必要な患者のみが入れられる、この物々しい場所に放り込まれた経験は数えるほどしかない。

 ……まあ、逆に言えばそれだけの便宜を図ってもらえる身であるにも拘らず、“数えるほど”放り込まれたことがあるほど貧弱であるともいえるのだけれど。

 ともあれ。そのような環境にあって尚僕がここにいるということは。僕の現状は、病弱者のありさまと考えてなお危険な状態であるということなのだろう。

 

 《病気治療》の呪文を行使するべきか否か。

 

 半ば朦朧とした意識のまま悩む。

 無論、ただ僕の健康のことのみを考えるならば、使わないという選択肢はありえない。

 

 確かに。ここで僕が《病気治療》の呪文を用いればほぼ確実に僕は健康体となり、無数の点滴や呼吸器、はたまた胸にぺたぺたと貼られた心音感知用のパッドから解放される。看護婦さん達(そう。現在はいまだ保健婦助産婦看護婦法が改正される2002年より前の時期であり、時期的にまだ看護“婦”さんが存在する時代なのだ)は死に損ないの患者一人の世話から解放され、病院側としてもベッドが一つ空くことになる。姉さんだって、亜弓さんや十六夜さんだって、僕が死の淵に瀕しているよりは元気でいる方が心労が少なかろう。僕がこの場で《病気治療》の呪文を行使することは、一見良いこと尽くめのように思われる。

 

 が、以前和音婆様に僕が“霊術”を見せたときに刺された釘。即ち“周囲に通常の霊術であると誤魔化せるようになるまで人様の前で霊術を使ってはならない”という文言と、そこから推察されるGURPSの呪文を神咲家の人間(つまり僕、神咲家の次女たる神咲舞奈)が行使することによって引き起こされるデメリットが、僕に超常能力の使用を躊躇させる。

 

 この病院は神咲家の人々が退魔師という超常能力者の集団であるということを知った上で受け入れてくれる“事情の分かった”場所であるのだが。

 それは即ち、神咲家の霊術がどんなものであるかある程度知っているということをも意味するのだ。彼らは神咲家の霊術は通常その行使に際してぴかぴか光ったり、効果音が鳴ったり、お札が飛んだりと、“ハタから見て何かやっているのがわかる”術であると知っているのだ。

 にも拘らず、ここで僕がGURPSの呪文で自分の病気を治癒してしまったらどうなるだろうか。

 

 

 

 彼らの視点からは、以下のように見える可能性がある。

 ……奴ら神咲家の人間は、その超常能力の行使に際し、余人が見てその発動を認識できるやり口しか持っていないかのように振舞っていた。

 しかし見ろ。神咲家のあの病弱な小娘は、我々には感知できないやり方で超常の術を行使し、己の体を治して見せた。

 あんな小娘でさえ、こちらにその行使を気づかせることなく超常の術を使えるのだ。ならば他の神咲家の術者も当然、俺達に感知できないよう術を行使することが可能であるはずだ。

 にも拘らず、奴ら神咲家の連中が今まで態々俺達の前では光ったり、音を出したりして術を使っていたのは何故なのだ。

 或いはもしや、奴らは俺達に”自分達の術の行使は貴方が見ても分かるだけの特徴があるのですよ“とことさらに強調しておいて、裏ではこの神咲家の小娘がそうであるように、俺達にわからぬよう超常の術を行使していたのではないか。何か良からぬことに、その妖しの術を用いていたのではないか……。

 

 そう推測され、神咲家の人々が怪しまれ、場合によっては迫害される可能性さえあるのだ。

 誇大妄想と思うかもしれないが。例え現代においてであり、超常能力など持たない人々であっても、一旦“もしかしたら超常能力者かもしれない”とみなされれば最後、陰惨極まりない迫害を受けているのだ。幾つかの中東の国では今なお“魔法をかけられた場合の対処”について公的機関が対応していたり、或いは幾つかの国の法律で今尚魔術が禁止されていることを知れば、概ね想像がつくだろう。魔女狩りは、白色人種が必死にその被害者数を削りに削っている、歴史上の、過去の出来事ではない。今この瞬間にも起こっている可能性さえある、実にモダンな出来事なのだ。

 そうであるが故に。本物の超常能力者が人々に危険視された場合に受ける迫害とはひどく身近なものであり。更には古今東西の人間が遠慮なく叩きのめせる大義名分を得たときそうであったように、飛鳥了に踊らされた人々がやって見せたがごときに陰惨な暴力が“超常能力者”に振るわれることとなってもそれは当然の帰結といえよう。

 

 「地獄へ堕ちろ! 人間ども!」

 

 そう叫んで《火吹き》の呪文で人類を虐殺する気があるのでもない限り。他者にその効果を明白に確認される状況で呪文を行使するのは考え物であろう。

 

 別に僕は死にたいわけではないのだが。だからといって、神咲家の人々に極度の(極度の、だ。多少なら仕方がないということにするつもりである)迷惑をかけてまで生き延びたいとも思わない。彼らから受けた恩なくして、僕は今まで生きてこれなかったのだから当然である。……まあ、殊勝なことを考えてみたところで、今際の際になったら別の感想を抱くのかもしれないけれど。現状はそこまで切羽詰ってはいない。極端な話、現在罹患しているこの病のせいで僕が重篤な障害を得てしまったとしても、今後も呪文の学習と行使が可能であるならば、魔法によって治療することはできるのだ。あと数秒でこの世を去る羽目になるという話でもない限り、和音婆様の言いつけを破るか否かで悩む必要はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第八話『予感』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一、

 しかし、まあ。

 周囲を観察しつつ、考える。いやはや、随分と設備の良い病院である。未だ80年代半ばであるにも拘らず、超電導MRIがあったりする(勿論、現在近辺にあるわけではなく、以前ここに来たときに見たということであるわけだが)。うろ覚えだけれど確かこの時期、臨床実験中の装置じゃなかったか? 僕の腕に刺さった点滴だって、当然のように自動点滴装置が取り付けられている。……後者については何時開発されたものなのか知らないので、この時点で運用されているのは当然なのかもしれないけれど。

 施設そのものも新しいらしく、開放的で間取りも広い。ここは個室だけれど、その割りに随分と広く、ストレスを感じるようなものではない。

 病院の作りそのものだってそうだ。古い病院にありがちな低めの天井や、狭い通路。いかにも無理やり増改築しましたと言わんばかりの廊下のツギハギなども存在しない。随分都合よく近所によい場所があるものだなぁと思わせられる有様だ。

 

 

 

 とはいえ新しかろうと古かろうと、ここが病院という生と死の双方に大いに関わりのある“境目”の世界であることには違いない。当然幽霊怪異魑魅魍魎の類の出現頻度はその他の場所とは比べ物にならないほど高く、僕という特異点持ちがいることでその状態は更に悪化している。

 

 ここで意識を取り戻したのは半日ほど前のことであるが。そこから今までの12時間程度の間に、僕は千客万来とはまさにこのことかと言わんばかりの勢いで超常現象に出会う羽目となっている。

 窓の外を見れば、どこから伸びているのやら。ロープで首をつった男性がぶらぶらと揺れながらこちらを見ている。

 最初に様子を見に来た看護婦さんは、酷く顔色の悪い、というか半分顔が崩れている上に、半透明のご婦人であった。

 うとうとしているとき、ふと視線を感じて目を開ければ、僕と同じくらいの年齢だろうか。暗い目をした金髪碧眼の幼女が、ベッドの脇に立ったままじっとこちらを見下ろしている。

 当然のように、ベッドの下に何かがいる。……ごそごそされると邪魔である。出て行けとは言わないがおとなしくしていただきたい。

 

 人類としては例外的なまでに鋭い聴覚でもって、部屋の外、廊下、或いは階段。はたまた同じ階にあるらしいナースステーションでの会話を聞いてみた限りでは。どうやら運び込まれてから暫くの間、僕は大部屋の集中治療室にいたようであるのだが。

 当然のように僕目当てでやってきた怪異たちは、大部屋であるところの集中治療室で、同室の人々にも影響を及ぼしたようなのだ。

 その時点で同室であった人々にどの怪異が見えて、どの怪異は見えないのかまでは分からないが。うなされる人、容態の悪化する人、怪異をしっかり見てしまったらしくパニックに陥る人。僕が集中治療室に搬入されてからわずか半日程度のうちに。重篤な人間をしっかり管理看病していなければならない設備の内部は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたようなのだ。

 

 別に呪われたり齧られたりした人がいるわけでもなく、更に言うなら直接脅かされた人さえ僕以外にはいないようなのだけれど。流石に病院側としても怪異を呼び込む怪しげな幼女を放置しておくわけにはいかなかったらしい。

 そんなわけで。今現在僕は個室の集中治療室に入れられているようだ。部屋の外での会話を聞いた限りでは、個室と大部屋の差額は病院持ちであるとのこと。この病院は、本人に咎があるわけでもない問題によって、余分な負担を患者に求める気はないようだ。良心的である。いや、或いは僕の持つ不利な特徴と有利な特徴がせめぎ合った挙句の対応なのかもしれないが。

 

 

 

 そんなことをつらつらと考えていると、階下から言い争う声が聞こえてきた。周囲を慮って抑えた声量で言葉の応酬を重ねる二人の人間が、階段を上っている。いずれの声音も聞き知ったものであり、慣れ親しんだ人物のものだ。

 一人は亜弓さんだ。さっさと僕を病室から連れ出し家に連れ帰るのだと主張している。僕の治癒術の効能を知っているからこその判断だろう。僕の意識が戻っている以上、この神咲舞奈という病弱な小娘は、病室に入れておくよりも迅速に余人の目の届かないところに連れて行って治癒術を掛けさせた方が手早く健康体になれるのだから当然の判断である。

 とはいえ、彼女の主張は僕の魔術的能力を知らない人間からすれば暴論というレベルでさえない異常な主張である。ごく普通に判断するなれば。つい半日前にようやく意識を取り戻した、現在なお集中治療室に入っている幼児を退院させるなど正気の沙汰ではない。当然のこととして、大叔母の口論の相手はそれに反対していた。

 

 亜弓さんと言い合いをしている声の持ち主は、矢沢医師だ。若手の……なにやらちょっと特異な専門分野を持った人物である。いかなる理由があるのか、概ね大体僕がここに担ぎ込まれると、彼が対応してくれている。医師技能も診断技能も持ち合わせていないので、この煙草臭い人物がどの程度の腕前の医者なのかはいまいち判断できないのだが。周囲の評価を聞く限りでは優秀な人物であるようだ。僕自身、少なくとも医療ミスで殺されかけたことはないので、きっと信頼できるのではないかなと思う。

 

 ごくまっとうな判断力を有しているらしい彼は、僕を病室から出すことに反対している。実に妥当な判断である。彼らの話を聞く限り、僕は運び込まれてから昨晩までの間に複数回心肺停止状態となっていたらしい。医療現場の常識に造詣が深いわけではないが、普通そういった子供はそのまま入院させておくものだろう。

 一般的な常識に照らし合わせるのであれば、亜弓さんの言っていることは無茶苦茶であり到底容認されてよい主張ではない。毎回毎回診断の時に煙草の臭いが気になる件の男性医師の主張こそ認められてしかるべきである。

 

 

 

 ……あくまで、“一般的な常識”に照らし合わせた場合の話ではあるのだけど。

 

 

 

 「うむ、舞奈。目が覚めたようじゃな、帰るぞい」

 

 

 

 二人の口論は、僕の部屋にたどり着く直前には終わることとなった。がちゃりと個室の集中治療室の扉を開けた亜弓さんの言葉が放たれた時点では既に、矢沢医師は明らかに納得のいった風ではないが、亜弓さんの主張に口をはさむことはしなくなっていた。

 結局のところ、退魔師という“超常識的”な人々を止めるのに、“一般的な常識”を論拠に反論を構築したところで効果は薄いのだ。足場とする前提がそもそも異なるのだから当然である。これがごく普通の病院であったならばまた違った結果となったのかもしれないが、そもそもこの病院自体、僕たちが退魔師(やその卵)であることを知ったうえで受け入れているのだからなおさらである。

 

 

 

 「容体が悪化したり……いや、短期で劇的に改善されるのでもない限りすぐまた連れてきてください。舞奈ちゃんは本来は退院などもってのほかの状態なんですから」

 

 

 

 深刻な顔でそう亜弓さんに言い含める矢沢医師。本気でこちらを心配してくれているのだろう。現状では単なる有難迷惑だが、その善意は悪くとらえようのないものだ。

 うちのものがお世話になりましたと頭を下げる亜弓さんも、その点については同じ感想を抱いているのだろう。面倒がって会話を打ち切ることもせず、殊勝に頷いている。

 

 とはいえ、まさかこのまま病院にとどまるわけにもいかない。

 幾つかの点滴が取り付けられたまま車に乗せられた僕は、車が発進し、亜弓さんが外からの視線を遮る位置に移動してくれた時点で、すぐさま《病気治療》の呪文を自身にかけるのであった。

 

 

 

 

 

二、

 「まいな!」

 

 家について門をくぐれば、木刀を持った女の子が全力で突進してきた。……いや、単に数日前に意識不明となった妹の無事を歓迎する姉の抱擁なのだけど。体重や身体能力に酷い差があるので、全力でこられると僕にとっては攻撃技でしかない。案の定、受け止めきれずにひっくり返る羽目となった。舞った土埃の臭いが随分と新鮮に感じられる。……徒歩で外に出ることなんかまずないものなぁ。

 

 僕がひっくり返ったのが予想外だったのか、こちらに馬乗りになったままきょとんとしている姉さん。まあ、剣術でしっかり体を作っている6歳児と、先ほどまで半死人、たいていの場合は半病人をやっている5歳児の体重差など、幼子には想像しにくいのだろう。なんで妹はひっくり返ったんだろうかと不思議そうにしながらも、未だ大人に比べると少ない語彙でもってこちらの安否を気遣いつつ、上からどいてくれる。

 恐らく直前まで素振りをしていたのだろう。木刀を放らずにそのまま来たのは和音婆様の教育の賜物か。緊急時に手元に武器がないなどといった不測の事態を防ぐためにも、その辺りの躾は非常に厳しく施されているようだ。

 

 「これ、薫。妹をひっくり返すやつがあるか」

 

 亜弓さんが苦笑してたしなめると、しゅんとなってうつむく姉さん。こっちと顔を合わせた瞬間の“花が咲いたような笑顔”という形容の見本のような表情、続いて僕をひっくり返した時のきょとんとした表情、そして今の落ち込んでいますと言わんばかりの表情。いやはや、本当にくるくる表情を変化させるものである。見ていて飽きないとはこのことだ。

 

 

 

 玄関口で扉を開ける前に、ふと違和感を覚えて頭を上げる。もう夕方と言って良い刻限である。にも拘らず、家の中から生活音が聞こえない。いや、小さな軽い足音や、何かを引きずるような音などは聞こえるのだけれど。あれは座敷童や小人さん、或いは隙間女や天井の目が立てるものであって、うちの家族ではない。この時刻、この曜日に家に誰もいないというのは随分と珍しい話だ。

 胡乱気に亜弓さんの方を見れば、どうしたんじゃとこちらの意図をまったく察せぬ様で返される。

 一瞬何故気が付かないのかと不思議に思ったが、良く考えてみる間でもなく当然のことだった。通常人類は、よっぽどの大騒ぎが行われてでもいない限り、家の外から家の内部の人間の所在など分かるわけもないのだ。畢竟亜弓さんからすれば僕がいったい何に気付いて自分の方を見たのかなど想像がつくわけがない。

 

 「今日は皆出かけているんですね」

 「ん? そうじゃの。急用が重なっての」

 

 間の悪いことじゃが、お前さんの快気祝いは三人で、ということになるの。と続ける老退魔師。僕の快気祝いなんざやってたらキリがないのではないだろうか。いや、無論ありがたい話だとは思うのだけれど。

 

 

 

 それにしても。“急用が重なって”家に誰もいない、か―――――

 

 

 

 何か嫌な予感がする。別に未来予知の特徴を持っているわけでもなければ何れの種類の《神託》の呪文を習得しているわけでもないので、データー的な裏付けがあるわけではないのだが。何か……そう、何かわからないが、ひどく嫌な予感がする。

 超常能力によるわけではない“嫌な予感”である以上、そいつは勘と呼ばれるべきかもしれない。で、その勘とやらは、どこぞのローズバンク隊長が言うように僕自身の知識や経験の蓄積から導き出されているのだろうけれど。どうやってそれを思いついたのかが今一良く分からない。

 人類最高二歩手前のおつむがきちんと認識できない“勘”って一体なんだ。あまりにも茫漠としているから思いつけない? いや、それは考えにくい。クァチル・ウタウス一歩手前の知性がそこまで低性能だとは考えにくい。ではなぜ僕はこの“勘”を言語化できないのだ。外部からの要因? それとも僕自身の何らかの欠陥によるものなのか? うむむ、わからん。

 

 「これ、舞奈。何をぼさっとしておる。さっさと家に入りなさい」

 

 亜弓さんの、心持大きめの声にふと周りを見れば。いつの間にやら亜弓さんも姉さんも家に上がっている。どうやらまた“放心”の特徴が発動したらしい。思考に集中して、周りが見えなくなっていたようだ。この欠点を抱えることによって15CP分余分に強化された身の上とはいえ、難儀な話である。

 

 「さ、夕食を作るからお前さんたちも手伝いなさい。朝方、きびなご(小魚の一種。痛みが早いため、捕れる地方以外ではあまり見ない)のおすそわけがあったからの。天ぷらにするぞい」

 「おーばさま、うち釜揚げがいい!」

 「わしゃ青紫蘇か。大叔母じゃ、“おおおば”。……半分くらいはそうしようかの」

 「おおおおばさま! あ、でもお刺身(おさしん)も食べたい(たもごろちゃっ)」

 「うむ、うむ。今度は一つ多くないかの? 薫もちゃんとばらばらにせず捌けるようにならんとのう」

 「うち、そげな失敗(しくじい)はしないもん(しもはん)!」

 「だといいんじゃがのう」

 

 何とも実に微笑ましい“祖母と孫娘”っぽい会話をしながら亜弓さんと姉さんが台所へ向かっている。いや、二人は大叔母と曾姪孫の関係なのだが。祖母である和音婆様が遠慮なく木刀で孫をぶちのめした挙句、倒れた幼女に追撃をかますような人であるため、どうにもこうにもこういった心温まる光景は亜弓さんが作り出している場合が多い。別段、和音婆様が格別に冷血であるというわけではなく、神咲一灯流継承者としてやむを得ないからやっているのだろうけれど。当人にそういった事情を伝える気が希薄な上、姉さんもまだ幼いからなぁ。

 姉さんが親や姉妹などよりも少し遠い血縁との触れ合いを多く経験するためにも、久遠との戦いについては良く備えておいた方が良いのだろう。このまま何もしなければ、7~8年後の久遠との戦いで亜弓さんは消し炭になるのだから。

 

 そんなことを考えつつ、二人の後を追って家に入っていく。靴箱の下から隙間女が、玄関の床の間(俗称で、実際は単に床としか呼ばないらしいが、ともかく)に飾られた掛け軸の裏からは干からびた老人が。あちらの戸の影からは“がんばれー”とエールを送る小人さんたちが。

 あちらに、そちらに、こちらに。数多くの怪異が僕を見ているのが分かる。うん、“特異点”の不利な特徴も絶賛稼動中ということだ。

 当然のようにやって来た臓腑への痛みを《病気治療》で癒しつつ台所へ向かう。

 

 

 

 

 

三、

 取りあえず、うっかり死にかけた事態からは生還できた。倒れた瞬間周囲に家族がおり、ついでに恐らく救急車がこちらにやって来るのが素早かったおかげである。しかし別段、僕を襲うかの“異様に重篤な病に侵される頻度が高くなる”という原因不明の問題が解決されたわけではないのだ。どうにかこうにか何とか今回、僕は生き残れたというだけにすぎない。

 

 問題は解決されておらず、その根源についてもわかってはいない。

 

 僕は非常に大きな危地に見舞われていると言えよう。しかし何の解決策も見いだせていないのかと言えば、別段そういうわけでもない。ああ、いや。解決策というには実に不確かで、本当に期待していいのか怪しくて、実に実に不安な要素ではあるのだけれど。ともかく真っ暗闇の中ではなく、一筋の光明くらいはさしているのではないかなという状態である。

 

 そう、僕は“嫌な予感”を感じたのだ。

 

 そう感じた以上、事態はより悪化する可能性が高い。しかし現状が複数のどうしようもない原因によってもたらされているわけでもない限り、“嫌な予感”を感じた理由を解明できれば、事態そのものの解明に持ち込める可能性が高い。ヘビー級ボクサーのストレート・パンチは恐ろしいものだが、それに対して綺麗にカウンター・パンチを決められるのであればそれは反撃の糸口として期待できるものであろう。

 例え“事態の悪化”というものであったとしても、状況の変化という何らかのアクションは、事態の解明に繋がるいくばくかの情報を含んでいるものなのである。

 光明は、ある。絶無ではないはずだ。きっと。

 まあ、勿論。その“事態の悪化”によって僕が死ななければ、という大前提を潜り抜ける必要があるのだけれど。

 

 “嫌な予感”を感じたということは何らかの“状況が動く”兆候をとらえたということで、つまるところ事態の打開につながるなんらかのファクターを掴みとれる機会が訪れたということでもある。

 ならばあとは僕自身の機能のすべてを用いてその機会をものにすればよいというだけの話だ。特段、難しい話ではない。実際どうであるかはさておき、そう思っておくことにする。

 どこぞのフランス人が言うまでもなく、悲観主義は気分に依るものであり、楽観主義は意志において実現し得るものだ。そして別段僕の努力が介在しているわけではない僕の意志力は、カミサマによってデザインされたスペック上では、人類史上有数のものなのだ。

 僕の手にあるカードが少ないなら、それでどうにかするべく上手いこと算段を付けるしかないし、それについて虚無的な感想を抱くのは無益である。……現実的にどうであるのかはともかく、そう思っておくことにする。

 

 

 

 余談だが。案の定、姉さんの捌いたきびなごは残念な出来であった。……割合調理の簡単な小魚相手のこととはいえ、6歳児の魚を捌く腕に期待する方が間違っていると言えばその通りだが。

 ほぼ包丁を用いず、素手で捌けるこの小魚であるが。姉さんの作ったそれはばらばらの惨殺死体になってたり微妙に内臓が残っていたりと、食事とは生命をいただいているのだということを強く想起させる有様となっていたのである。

 

 「次は失敗(しくじい)せんもん!」

 

 そういう姉さんが妙に悔しそうなのは、一緒に手伝った僕が捌いたものが綺麗な出来であったからであろうか。折鶴さえまともに折れぬ不器用な娘がなぜ料理をまともにできるのか、と思うかもしれないが。実はGURPSのルールにおいて<折り紙>技能は敏捷力基準であるが、<調理>や<家事>技能は知力を基準としているのだ。厳密にルールを適用すると色々と例外的な要綱が出てくるのだが。この世界のゲームマスターはそこまで面倒は判定方法を取る気が無いらしい。

 そのため僕は花弁折りどころか山折り、谷折りの時点で作品を崩壊させかねないレベルで不器用であるにも拘らず、料理については(法的な面を無視すれば)今すぐその辺の食堂に就職して売り上げを伸ばせるレベルの腕前を持っていたりする。この僕こと神咲舞奈という生き物は、折り紙をまともに折れぬほど不器用なくせに料理はきちんとできるという、実にゲーム的で理不尽な存在であるということだ。

 

 上記のような事情があるため。姉さんと僕がそれぞれ半分ずつ刺身用のそれを捌いた結果の産物は、同じ皿の右半分と左半分。どちらを誰が担当したのか、明白にわかるさまとなっていたのである。ほおを膨らませて自分の捌いたものと僕の捌いたものを見比べる姉さんの表情は、思わず抱きしめたくなるほど愛らしいものであった。……まあ、現状で本当にやったら不貞腐れられるどころでは済まないので、やれなかったが。

 

 

 

 最後に、そんなことがあったからであろうか。

 以後、近所の漁師からキビナゴのおすそわけがあるたびに、うちがやる! と台所に突進する姉さんの姿が見られるようになる。

 一年もたたぬうちに、内臓や頭部の残骸のくっついた“小魚の死体の山”が、円形に綺麗に盛り付けられた美味しそうな刺身に様変わりしたのだから、実に大したものである。無論、そうなるまで少々苦み走った刺身を文句の一つも言わずに食べていた和音婆様たちも、その忍耐を賞賛されるべきなのだろうけれど。

<続く>

 




 随分と間が開いてしまいました。次はこのようなことが無いようにしたいものですが。
 脳内でお話を妄想することと、プロットを作ること、そして実際にお話として書きだすということには。アトラク・ナクアが架設中の吊り橋もびっくりな隔たりがあるような気がいたします。
 ともあれ、次は第九話でお会いいたしましょう。

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