「ねね、次の三連休皆予定ある?」
いつものように格納庫で昼食を摂っていた時だった。
大洗女子戦車道あんこうチームの面々を一望しながら、沙織がそう口火を切った。
「私は特に何も」
「戦車道ショップに行こうと思っていたくらいです」
「ゆかりんは別に曜日関係なくあそこ行ってるイメージだけど。麻子は?」
「昼まで寝てる。その後は……分からない」
すでに一時を回ろうとしているこの時間でも、麻子は眠そうに欠伸を噛み殺していた。昼食で空腹を満たした所為もあるだろうが。
沙織は華達の返事にうんと肯いて。最後にみほへ視線を向ける。
「ねね、みぽりんは?」
「私は、ちょっと実家に戻る事になってて」
申し訳無さそうに眉尻を下げるみほに、沙織はしょんぼりと肩を落とした。
「そっかー。残念。戦車道も無いから、皆でどこか出掛けようかなって思ったんだけど」
「ごめんね。全国大会に優勝してから、まだ戻れてなくて」
「あれから纏まったお休みありませんでしたからね」
全国大会優勝から半月ほど。優勝の余韻もようやく薄くなって、大洗女子戦車道チームも平常運転に戻りつつある。優花里の言ったように休みらしい休みも無く──鬼の副隊長こと、河嶋桃の厳しい練習方針──今度の三連休は久しぶりの正真正銘のオフだ。みほの実家は大洗からさらに離れているので、この連休は帰省に向いているだろう。
「でも、大丈夫なの?」
「何が?」
沙織の質問の意味が分からず、みほは小首を傾げる。
すると、沙織は言葉を濁らせた。
「えーと、その。みぽりん、お母さん達と色々あって」
「はい。優勝した時は、お姉さんは大丈夫そうでしたが」
「黒森峰の副隊長さんは、正直申し上げて、失礼な方でしたし」
優花里と華が口を揃える。
みほがかつての母校を離れた理由や、それに対する親類の態度等、大体の事情は沙織達も知っている。特に黒森峰の副隊長である逸見エリカのみほに対する侮辱的な言動は、沙織達に悪感情を持たせるには充分過ぎた。
親友達の気遣いに、みほは眼を細めて、首を横に振った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。一度戻ってこいって言ってくれたのはお母さんだし。お姉ちゃんの話だと、もう怒ってないっていうかなんというか。私の事……私の戦車道を認めてくれてるみたいだから。黒森峰には、さすがに顔は出せないと思うけど」
去年の黒森峰は、みほのフラッグ車放棄で敗北し、今年はみほが隊長を務める大洗女子に敗北している。この状態で母校を訪ねる勇気は、みほには無い。
「小学校の頃の友達も丁度帰省してるみたいだから、大丈夫」
「ならいいけど。何かあったら連絡してね。すぐに行くから」
「わ、私も及ばずながらお力になります!」
「私もですよ、みほさん」
沙織達が応援してくれる中、麻子だけが何も言う訳でもなく、デザートのシュークリームを食べていた。そんなマイペースな幼馴染に、沙織が水を向ける。
「ちょっと麻子。麻子からは何も無いワケ?」
「……私は口下手だからな」
「自分で言うか!」
「だが」
シュークリームを食べ終えて。口の周りについた生クリームを綺麗に拭き取った麻子は、静かに続けた。
「西住さんも、西住さんのお母さんも、言いたい事や伝えたい事はあると思う。恥ずかしかったり恐かったり、色々あると思うけど、ちゃんと言って、ちゃんと伝えておく事だ。じゃないと」
一度区切ると、麻子は少しだけうつむく。
「何かあった時、きっと、とっても、後悔するから」
その言葉は、昼食の終わりを告げるチャイムに飲み込まれた。
女なら父親に似て、男なら母親に似る。
どこから生まれた話かは知らないし、科学的な実証が得られているのかもしれないが、興味は無かった。
麻子は父親似だった。無口で無愛想で低血圧で、何でも卒なくこなしてしまう天才肌。
マイペース極まる猫のような父親と、口も悪く手も早く豪快な母親が、どうして恋して結婚できてしまったのか。麻子の回転の速い頭を持ってしても分からない。
ただ、小さな頃の記憶を思い出しても、父も母も仲が良かった。
毎日のように口喧嘩をして。
祖母──祖父は麻子が物心つく前に亡くなった──に毎日のように呆れられて。
そんな家族が好きだった。
特に性格がそっくりな父親の事は、大好きだった。
対して、口煩い母親の事は、ちょっと苦手だった。
勿論、好きなのだけれども。
できれば、もう少し優しくしてくれると嬉しい。
毎朝手荒に叩き起こされ、食欲も無いのに朝食を食べさせられ、迎えに来た沙織には眩い笑顔を向ける。これも、実はちょっと面白くない一面だった。
自分には、いつも怒っているのに。
朝が苦手なのは体質なのだから分かって欲しい。
そんな風に母親に不満を持っていた。
そしてそれを面と向かって言えるほど、麻子は素直ではなかったし、言わなくても分かって欲しいと甘えていた。父親は言葉にしなくても麻子の気持ちを理解してくれていたから。
でも、母親はずっと分かってくれなくて。
沙織には優しく接するのに、自分には辛辣なままで。
いつからか、そんなイライラが募りに募っていた。
そしてそれが爆発してしまった。
いつもと変わらない日。その日も、やっぱり母親は麻子を迎えに来た沙織には笑顔を向けていた。欠伸を噛み殺してのろのろと朝食を食べる麻子には、いつもの調子で厳しかった。
別にそれだけなら良かった。そろそろこの胸の不満を吐露してしまうべきだと思っていたくらいだったから。
学校から帰ってきてゴロゴロしようと思ったら、母親から夕食の手伝いをするように小言を頂戴した。
気が乗らなかったが、今日まで鬱積していた不満を口にしてしまおうと思い立った。
その日の夕食は、麻子が好きな母特製のコロッケ。不満をぶつけると決めた手前、少し気が引けてしまったが、母親が何気ない一言で、そんなささやかな罪悪感を吹き飛んだ。
「沙織ちゃんがうちの子だったら良かったのに」
もちろん本心ではなかったと、今なら分かる。その時の母親の表情は、今でも脳裏に焼きついているから。
優しい眼で苦笑を浮かべていたのだ。
手間のかかる子供を見守るような、そんな優しい気配に溢れた苦笑だった。
ほとんどやらせない夕食の支度を手伝わせたのは、不器用な母親なりに、麻子とコミュニケーションを取ろうとした結果だろう。そこで軽口のつもりで言ったのだ。
本心からそんな酷い事が言える母親ではない事くらい、当時の小さな麻子でも分かった。
それでも、まだ小学生の子供の心を傷つけるには、母親の言葉はあまりに鋭過ぎた。
一生懸命に作ったコロッケを床に叩きつけて、思いつく限りの罵詈雑言をぶつけた。
今日までずっと胸の内に溜め込んでいた不満を、沙織に優しくして、自分には厳しくする母親の姿勢を、酷い言葉でなじった。
言うだけ言って、麻子は逃げ出した。
そのまま沙織の家に転がり込んで、一泊させてもらって。
翌日には父親に手を引かれて家に戻ったけれど。
母親とは言葉を交わすどころか、眼すら合わせなかった。
母親が何度も謝ろうとして、声をかけたけれど。
意地になって、全部無視して。
そんな娘と母を仲直りさせようと、父が旅行を計画して。
父と母は、その準備の為の買い物に出て。
二度と帰って来なかった。
「やっぱり気になる?」
「何が?」
夕焼けに染まる帰り道で、沙織が麻子に言った。
みほや優花里、華達はそれぞれの家や寮に帰っている。
ここから先の帰路は、麻子と沙織の二人だけだ。
「みぽりんの事。麻子がああいう風に言うの、珍しいから」
そう言って、沙織が小さく笑う。
言われるまでもなく、確かに自分らしくなかったかもしれない。
唯一の肉親である祖母以外には、関心が薄い自覚もある。元々天才肌で同い年の子供達の中では浮いていたし、今も昔も友達と呼べる人間は本当に少ない。
戦車道を始める前は、沙織の他に片手で数えられるくらいの友達しかいなかった。
そう、戦車道──。
「戦車に乗るようになってから改善された事が、低血圧の他にあるからな」
「え。そうなの? なになに? もしかして痩せたとか? いやー麻子はむしろ太るべきでしょ。いやいや、まさか彼氏できたとか!?」
「……お前はそういうところを直さないから男ができないんだ」
「嘘!? 何かそういう難しい理論でもあるの!?」
麻子は呆れて溜息をつく。ある訳ないだろ、この恋愛脳め。耳年増で知識だけ身につけてしまうから、それが躊躇いになって一歩を踏み出せないのだと何故気付かない。
そんなに恋愛をしたいのなら、学園艦が港に寄る度に好みの男を見つけて声をかければいいのだ。ここは学園艦で、大洗は女子学園である。同世代の男子との出会いは限定されている環境だ。変化を求めるのなら、まずは環境を変えるべきなのである。河嶋桃のようなケースは奇跡なのだから。奇跡に期待してはいけない。
まぁ。そんな事を理論立てて説明したところで、沙織には届かないだろう。
彼女の場合、恋に恋をしている。手段と目的があべこべなのだから仕方が無い。
「それで、戦車に乗って何が改善されたの?」
興味津々に訊ねてくる沙織に、麻子は再び溜息。
「人間関係だ。お前以外にも、友達と呼べる人が増えた」
「ああ、そういう事か」
そういう事かと簡単に言うが、大洗戦車道チーム全員の携帯番号とメルアドを網羅しているのは、隊長であるみほを除けば沙織くらいのものだ。
あれだけの女子の大所帯で摩擦熱が起こらないのは、沙織が人間関係を円滑にしているからだ。それを無自覚でやっているのだから、親友ながら本当に恐れ入る。
天才とは、自分のようなつまらない人間の事ではない。
沙織のような暖かな人間の事だろうと麻子は思う。
そんな事を言えば、きっと沙織は怒るだろうから、絶対に言わないけれど。
「そど子ちゃんとも仲良いもんね」
「……あれでも三年だぞ。ちゃん付けはどうなんだ……?」
「そう? あのおかっぱすっごく可愛いじゃん。麻子もしたら? お揃いだよ?」
その図を一瞬想像した麻子は、首を横に振る。何というか、仲良くする自分とそど子なんて違和感の集合体だ。今のままで別に構わない。というか、今のままでいい。
「遠慮する。これ以上友達を増やすと面倒事が増えそうだから」
「ドライだなぁ」
「何故そこで嬉しそうに笑う?」
麻子は胡乱な眼で、喜色満面の幼馴染を見た。
「麻子に友達が増えて、麻子がそれを実感してて、それが嬉しいの。みぽりんの事、やっぱり心配?」
「……西住さんには、私のような思いはして欲しくないからな」
ぷいっと顔を背けた麻子は、すたすたと早歩きで沙織から離れた。沙織が慌てて追いかけてきて、表情を変える。夕焼けに照らされたその顔には、昔を懐かしむ色があった。
「少し不安だけど、みぽりんは大丈夫じゃないかな。お姉さんの、えーと、まほさんか。決勝戦が終わった後、みぽりんと話してる時のあの人の顔は、負けた筈なのに凄く嬉しそうだったから」
確かにそれはある。母親の方がみほに対して苛烈な姿勢なのかもしれない。
だからこそ心配なのだ。
「頑固な母親を持つと、子供は苦労する」
「それ、麻子が言う?」
「私だからだ。それと、頑固な子供を持つと、母親は苦労する」
母の軽口を許す事ができなくて、意地を張り続けた結果、母は父と一緒に事故で他界した。
葬儀の時、両親の死を理解して、謝れなかった事実を知った瞬間、麻子は号泣した。
あんなに泣いたのは、あの時だけだ。
子供らしくない子供が、子供のように大声を上げて、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして、ひたすら泣いた。ごめんなさいと繰り返しながら。
そんな麻子を最初に抱き締めてくれた幼馴染は、歩きながら、麻子の頭を撫でる。
あんな思いはもう沢山だ。誰にもして欲しくない。
特に世話になっているみほには。
西住家には西住家の事情がある。みほの母は、戦車道の家元である西住を護る人だ。
みほの事を認めてくれたとしても、これまでの事もあるし、ギクシャクするかもしれない。
「みぽりん、お母さんと仲直りできるといいね」
「うん」
そんな時は、沙織達と一緒に、みほと支えないといけないと思う。
そういうのは、あまり得意ではないのだが。
「ねね、今日麻子の家行ってもいい?」
「晩御飯作ってくれるなら。おばあも、沙織のご飯なら喜ぶ」
「オッケー! じゃ行こー!」
親友に背中を押されて、麻子は見慣れた道を走り始めた。