何処か鬱蒼とした森の中。ただそこは水中に沈んでいるようで、細かい沢山の泡が筋を成すように上を目指して行く。それらに上から微かに差し込む光が反射して、まるで宝石のようにきらめいていた。幻想的であり、何処か不気味な、薄ら寒くも美しい光景。鬱蒼と茂る森の中の開けた一角に、一人の少女が佇んでいる。マヨナカテレビが映したのは、そんな何とも幻想的で不思議な映像だった。
まるでカメラに背中を向けるようにして立ち尽くす少女は、八高のものであろう制服を身に纏っていた。ミディアムヘアーの髪の両脇を一つにまとめ、後ろで結わえ、シュシュの白色が黒髪に栄える。僅かに俯いていたようで、顔を上げるのと同時に右手に携えていた鎌のような獲物も少し傾いた。
鎌と言うには刃が短い、そんな事を考えながら悠はテレビの画面を見つめた。槍とも鎌ともつかない何処か歪な刃に、ああ、あれはハルバードかもしれない。そう思うのと殆ど同時に、画面の中の少女が振り返る。金色の目をしていたが、その顔は何度か見た事のある千景の顔をしていた。千景は件のニュースのコメントをした時のように凍てた瞳のまま、何も言わずにハルバード──鎌のようになっている側に引いた事により確信する──を振りかぶる。そして躊躇いもなく、薙ぎ払うようにして振り下ろした。それがカメラに直撃したと思われるタイミングで、再びテレビの画面は真っ暗に沈黙したのだった。
今のは確かに真夜中テレビだった。それも、中に人がいる時の、だ。菊池の家の周辺を考えれば、どうやって入れられたのか思いつかない。自分たちが考えるよりも、犯人は切れる人物なのかと思うと、悠は頭が痛くなった。だが、その事を考えるよりも先に、彼女を助け出すのが最優先である。
そんな風に悶々と考えていると、けたたましい音でもって携帯が着信を告げた。一瞬にして思考が散らされ、はっとする。だがそれでも大して動じた様子も見せずに、悠は携帯の画面を確認した。電話の相手は予想通り陽介であり、それを確認してから彼は通話ボタンを押した。
『もしもし、悠? さっきのテレビ、見た?』
「見てた。あれ、菊池で間違いないと思う」
『マジでか……明日も雨だっけ? どうするよ』
「どっちにしろ助けに行くしかないだろ」
相手が千景だと分かっているだけ、マシなのだろう。しかし状況が悪い事には変わらない。陽介の言葉を聞いて、天気予報を見れば、明日は雨のち晴れ、明後日には晴れるようで、今週いっぱいは本格的に降り出さないようだった。霧が出るまでに大分時間はあったが、陽介も悠と同じ事を考えているのは聞くまでもない事だ。
『ですよね! そう言ってくれると思ってたぜ。てかさ、何か今までのマヨナカテレビと違くなかった? なんつーか……薄気味悪いっつーの?』
明るく言った後にそう聞かれて、悠はさっき見たマヨナカテレビを思い出した。陽介の言う通り、今までのマヨナカテレビは特番のような様相だったので、確かに少々毛色が違った気はする。少し考えてから、悠はこちらに来る前にプレイしたゲームと似ているのだと気が付いた。
「特番と言うよりは……アレだ、ホラーとかの雰囲気というか。……映画のワンシーンを見てるような気分だったな」
『ああ……! 確かに、あんなシーン有りそうだわ』
赤色の衣服を纏った少女が一人で薄暗い森の中を彷徨い歩く、直接的ではない、何か不安になるような怖さのゲームだ。暗喩が多過ぎて、悠には真意は分からなかったが、結局少女達が殺されているという事を思い出した事は理解出来た。あの雰囲気はそのゲームとよく似ている。
そう思った事をなんとか陽介に伝えれば、なるほどと言わんばかりに納得してくれる。それから陽介側の後ろの方が俄に騒がしくなって、何やらクマが喚いている声が聞こえてくる。どうやらクマが陽介に抗議をしているらしい。
『わーった、わーったって! ちょっとクマに替わ『もしもしー! あなたのクマクマー!』
言い終わるかの所で奪い取られたようで、上機嫌なクマの声が悠の耳を直撃した。はしゃいだようなその声量に、思わず悠は携帯から耳を遠ざける。
「ごめん、クマ。ちょっと声を小さくしてくれ。耳が痛い」
『それは失礼しましたクマ。で、クマもマヨナカテレビ見たクマよ!』
クマ曰く、原理は分からないが確かに向こう側の世界を映しているというのは分かったらしい。
『でもこんな風に映ってたクマねー。不思議クマー』
「なんでテレビに映るかはクマにも分からないんだな?」
『分からんくてすまんクマ。でも映ってるのは確かに向こう側の世界クマよ』
改めて確認しても、返ってくる答えは変わらない。雨の日の夜中にだけ映るマヨナカテレビは、噂の出元といい、理由といい、分からない事だらけだった。そんな現状で分かっているのは、既に人が向こう側に入ってしまっているという事だけだ。
『とにかく、もっと詳しい事となると向こう側に行ってみないと分からなさそうクマね。また新しい場所が出来てるかもしれないクマよ』
「そうだな。じゃあ、明日、また向こうに行ってみよう」
『りょーかいクマー』
何はともあれ、動かなければ始まらない。明日の予定を提案してクマの了解を得たところで、悠はそのままおやすみと言って通話を終了した。勝手に切ってしまったと、電話の向こう側が少々揉めたのは悠の知らない話である。
◆◇◆◇◆◇◆
その翌日の昼休み、特に招集した訳でもなく自主的にりせと完二が二年二組にやって来た。流石に教室で事件の話をする訳にも行かないので、悠たちは場所を屋上へと移す事にする。流石に人の耳の多い教室で、そんな話をするのは憚られたのである。幸いにも昨晩の雨は綺麗に止んでいて、弁当を広げる事が出来る程度には屋上の状態は良くなっていた。
「それで、あれって結局菊池先輩だったんスか?」
「間違いないと思う」
惣菜パンを齧りつつ聞く完二に、悠は昨晩の花村と同じ言葉を返す。真顔で頷いているがその手には箸が握られており、お手製の弁当を突ついているので全く様になっていないが。
「誰か詳しい天気予報、分かる奴いるか?」
「はいはい! えっとね、取り敢えず二週間くらいは霧が出そうな雨の続く日はないみたい」
口の中の焼きそばパンを飲み込んでから陽介がそう尋ねれば、りせが箸を握った手を勢いよく上げる。膝に乗せられた弁当箱が落ちないかはらはらしていた悠を置き去りに、りせは思い出しながら大分先までの予定を答えた。彼女が言うには時間的な猶予はそれなりにあるらしい。けれどそれにかまけて放置するのは、良心の呵責というものがある。
「なるほ、猶予は一応あるのね」
「それでも早く助けてあげよう」
「そうっスね」
膝の上に置いてある購買で買って来た各自の昼食を改めて持ち直しながら、千枝と雪子は神妙な顔をして頷き合った。赤と緑のカップ麺は未だ時間待ちである。それに完二も伏せ目がちに同意した。
「そうだよ、早く助けてあげようよ、ね!」
「知っててほっとくのも後味悪ぃもんな」
湿った空気を吹き飛ばすかのように、りせが努めて明るく声を張った。それに同意するように陽介も声を上げる。それに神妙な顔をしていた三人が顔を上げた所で、器用に箸を操って陽介から卵焼きを死守していた悠が満を持したとばかりに口を開く。
「俺は……今回の救出は時間との戦いだと思っている」
究めて慎重に切り出せば、他の特捜隊の面々が驚いたように悠に注目した。卵焼きを争っていた陽介が、何を言い出すんだとばかりに悠を見つめる。それはりせも同様で、自分に注目が集まった事を確信すると悠はわざと重々しい口調を作って、続きを口にする。
「みんな忘れているかも知れないが、もう期末まで一週間を切っている」
「!!」
今回の一件ですっかり忘れてしまっていた者も多いようだったが、悠は忘れてはいなかった。期末テストは来週からなのである。そして完全に忘れていた事は各々、特に陽介と千枝と完二を見れば一発だった。
「早く助け出さないと、菊池は全く勉強しない状態でテストを受けるはめになるかもしれない。それにもし救出が遅れれば、追試確定になるだろう。これは責任重大だぞ? それに、俺や天城はいいとして……里中と、特に陽介は勉強は大丈夫なのか?」
実際問題、攫われた方が悪いのかもしれない。だが即座に行動に移せるとしてそれを怠った結果、千景が追試組になった場合、人のいい面々が揃っている故に罪悪感も一入だろう。それを指摘し、且つ現実的な期末試験と言う問題も突きつけながら、悠は千枝と陽介を見た。
「わっ、忘れてた……」
「一気に現実に戻された気がするぜ……」
名指しされた二人は呆然としており、つい三日前までそろそろ期末だなどと話していた事すらすっかり抜けていたようである。中間の時の過程と結果を知っている悠は、特に陽介の必殺一夜漬けを目撃している故に、ちょっと真面目に勉強させないとという義務感のようなものを芽生えさせていた。学生の本分は勉学だとはよく言ったものである。
「俺と天城とクマを中心に助けに行くと言っても、どうせ勉強なんて手に付かないよとか言うんだろ? なら早く救助してさっさとテスト勉強に集中するべきだ」
そう言って大袈裟に溜め息を付く素振りを見せてやれば、千枝と陽介、ついでに完二とりせも露骨に明後日の方向を向く。それに大丈夫だと太鼓判を受けた雪子が、あははと乾いた笑いを漏らした。そんな仲間達を見回して、悠は本格的に頭痛がするような気がしてくる。
「とにかく。さっさと助け出して、その後はテスト勉強だな」
「……うーっス」
「うへぇ……」
「あはは」
「マジかよ……」
「はぁーい」
且つてこれ程までに絶望的な同意があっただろうか。完二は頭を掻きながら、千枝は苦い顔を隠しもせず。雪子は回りに乾いた笑いしか出ないようで、陽介に至ってはがっくりと項垂れている。正にガッカリ王子と言う通り名にこれ程相応しい様子はないのではないかと悠は呆れる。
「それはそうと、それ、もういいんじゃないか?」
行儀悪く悠が箸で千枝と雪子のカップ麺を示せば、二人は思い出したと言わんばかりに膝の上のカップ麺を見た。
「うっわ、忘れてた!」
「早く食べないと伸びちゃう!」
悲鳴を上げて蓋を開ける様子に苦笑しながら悠が二人を眺めていれば、りせがもじもじしながら口を開いた。
「先輩、あの、勉強教えてくれない……?」
まだ一緒に勉強出来るような仲の子がいないのだというりせに、悠は思わずほっこりする。
「構わない。というか、うん。菊池救出が終わったら、みんなで勉強会だな」
答えながら完二からのもの言いた気な視線を感じて、悠はそう宣言する。みんなで勉強をする機会を設ければ、陽介も少しは勉強するだろう。悪い事など一つもないではないかと悠は一人頷いた。露骨に嫌そうな顔をした陽介は見ない振りである。
◆◇◆◇◆◇◆
行き先は同じだと一緒になって教室を出た二ー二組は、そのままフードコートへと流れる事になった。更に校門を過ぎた所で、後ろから追いかけて来たりせと完二も合わせて結局集合してしまったのだが、その中で悠が小さく手を挙げて切り出した。
「どしたんだ、相棒?」
「悪いが少し確認したい事があるから、先にジュネスに向かっててくれないか」
「確認したい事?」
そんな相棒に真っ先に気付いた陽介が尋ねれば、寄る所があるのだと悠が答える。単純な興味から、りせが尋ねながら首を傾げた。
「そう。ちょっと菊池の家に寄ってくから先に行ってて……って、なに?」
悠が最後まで言い切るより先に、千枝が悠の制服の裾を引っ張る。それを不思議そうに見てから悠が尋ねた。
「あたしも行っていい?」
「長居するつもりもないから、俺一人の方が行って帰って来るだけで楽なんだけど」
本心から悠はそう思っているようで、納得出来る理由がないなら一人で行ってくると千枝に言う。
「じゃあ鳴上君は何しにいくの?」
「菊池の所在の確認」
立ち止まって見上げるように悠に尋ねた千枝に、合わせて悠も立ち止まる。同じく歩いていた他のメンバーも立ち止まって、二人を見た。
「それならあたしも行ったっていいじゃない」
「駄目ではないけど非効率的だ。だったら先にジュネスに行って貰って、俺が来るまでに少しでもテスト勉強してる方が里中の為だと思うんだけど」
本心からそう思っているらしい悠は不思議そうに里中を見た。その言葉に千枝は忘れかけていた期末試験を蒸し返されて言葉に詰まる。
「……それって来るなって言ってる?」
「そうは言ってないけど……」
困ったように千枝に言われて、同じように困ってしまった悠は横にいた陽介を見た。殴り合いの一件を経て、悠が実は感情の機微に疎く、故に推察と効率を重要視する事を陽介は知っている。だからそれを知っている陽介に、自分には判断出来なくなると助けを求めて来るのだが。
「なら連れてってやればいいんじゃねえの?」
「分かった。じゃあ里中、行こう」
「やった!」
笑いながら陽介がそう言えば、悠はそうかと納得したように頷きそれを肯定する。陽介は完璧超人のように見えていた悠の、そんな高校生らしい一面が面白く、親友と言う感じがして好ましかった。
千枝を連れて進路を変えた悠を見ながら、珍しいものを見たとばかりに雪子が呟く。
「鳴上くんが意見を曲げるのって珍しいね」
「先輩、意外と頑固っスもんね」
「折れ所が分かってないだけだって」
「へぇー、なんか意外」
すっかり頑固なイメージが定着していたらしい相棒の、ご意見番的な役割になれたことに、陽介はささやかな優越感を感じた。色んなものをもっといい加減に捉えられれば、もっと楽に生きられるんだろうなと思う反面、かっちりしているからこその悠だとも思うのだけれど。
リーダーの意外な一面と思うものを列挙していくという、何とも悠にとって二次被害的な事をしながら、陽介たちは一足先にジュネスのフードコートへと向かったのである。
他の面子と別れた悠と千枝は寄り道もせず、目的地である菊池宅を目指していた。それでも無言という訳でもなくそれなりに言葉は交わしては居たのだが、先ほどのやり取りからやはり多少は気まずくはある。故に話題を捜そうと、千枝は思いつくままに悠に尋ねる。
「鳴上君はなんで菊池さんちに寄ろうと思ったの?」
「所在の確認もだが、本当の所は情報収集が目的だな。菊池の家は俺の家の近所だから、それなりにジュネスまで距離がある訳だ。それにクマが鼻が利かないって言ってただろ? 手がかりが欲しいって言われるかもしれないから、先にそこを埋めておこうと思って」
「……なんというか、マメ?」
「かもしれない行動って大事だろ?」
効率重視な悠ならではな意見を聞いて、千枝は単純に感心した。しかしなかなか失礼な先読みである。
「確かにそうかも知れないけど、普通そこまで頭回んないよ」
「そんなものか」
言いながら悠は首を捻る。納得しているんだかしていないんだかなその返事に、千枝も苦笑するしかない。しかしそんなくだらない話をするうちに、一方的に感じていた気まずさも何処かに行ってしまったので結果オーライと言う奴だろう。そんな妙な方向に気の回る悠に、千枝はなんとなくで話を振った。
「ねえ、菊池さんってどんな人なの?」
「そんなに親しい訳ではないから、どんな人と聞かれても答えかねるな……」
漠然としたその問いに、悠は少しばかり途方に暮れたように語尾を濁す。それに千枝は食い下がった。
「実際会って話したの、鳴上君だけじゃん。なんかこう、ないの?」
「実際に話した訳じゃないが……そうだな、あまり人に話しかけられたくない印象が強かったかな」
「そうなの?」
相変わらずな漠然と、千枝は悠に問う。なんかこうって、と頭を悩ませながら苦心した悠の答えに、彼女は相変わらず分かったのか分からないのか首を傾げてみせる。それに頷きながら、悠は千景とのあの気まずい帰り道を思い出した。
悠の千景に対する印象は、まず“暗い”があった。話掛けれど視線は合わず。俯きがちで、どこか意思疎通を拒むような雰囲気を醸し出していたように思う。正直な話、堂島に頼まれなければ自分から関わろうと思わなかっただろう。そう思ってしまう程度には、彼女は“メンドクサイ”人種だと悠は感じた。だがそれをそのまま千枝に伝えるのはいかがなものか。寸での所で踏みとどまって、悠はまた頭を悩ませる。
「元々ああいう性格なのかは知らないが、もし変わってしまったというならそれは心配されるだろうレベルだった」
「ふ、ふーん?」
主語もなにもぶっ飛ばした主観を伝えれば、千枝も反応に困ったようにやっぱり分かったのか分からないのかな反応を返した。
そうこう言っているうちに目的地が見えて来て、この話題は一先ず打ち止めとなった。
相変わらず何処か騒がしい中、悠と千枝は菊池宅のインターホンを鳴らす。過日と同じように、ノイズ混じりのスピーカーを通した菊池夫人の声が聞こえて来る。
『はい──』
「菊池さんの友達の鳴上です。菊池さんが学校に来ていないようだったので伺ったのですが」
『……ええと、少し待ってくれる?』
声で悠が誰かは分かったようだったが、それとは別の戸惑いのようなものを感じ取れる言葉を残して夫人はインターホンを切った。長居するつもりはなかったので、悠はその対応に若干戸惑いつつも彼女を待つ。
「取り敢えず上がって頂戴」
それから直ぐに鍵の開く音と共に玄関が開かれ、悠と千枝は菊池邸の玄関へと招き入れられた。
「ええと、長居するのもご迷惑だと思うので、ここで構いません」
「ごめんなさいね、ちょっと聞かれるとまずいっていうか……ええと、千景の事よね?」
「……何かあったんですか?」
言いにくそうに視線を泳がせる菊池夫人に、思わずと言った風に千枝が尋ねる。すると夫人は千枝を見て、やっぱり少し困ったように口を開いた。
「千景ね、今ちょっといないのよ」
「もしかして、黙っていなくなっちゃったんですか?」
千枝の言葉に、夫人は観念したとばかりに息を吐いた。そして元々ぶらっといなくなる気質の子だったのだと前置きして、話し始める。
「ちょっと今うちの周り五月蝿いじゃない? だから下手に騒ぎ立てられるのもどうかと思って。家出ではないと思うけど……ほんとに一人になりたかったんじゃないかって。あんまり騒がれると帰り辛くなっちゃうでしょ?」
もう一日待ってみて帰らなかったら然るべき処置をとるつもりだと、そういい置いて菊池夫人は悠たちに言外に頼んだ。周りに言いふらさないで欲しいと。それに悠は明言を避けつつ頷いて返す。
「菊池さんと言えば、なんと言うか随分と大人しい印象を受けたんですが、元々ああいう子だったんですか?」
そのまま帰るのもなんだか気まずく、話題転換にと気になっていた事をそのまま悠は尋ねてみた。すると夫人は心底心配する様子で溜め息を吐いた為、悠は予想外に大きな地雷を踏んだ事を悟った。
「いいえ、もっと活発な子だったのよ……」
「そうなんですか……すみません、無神経でした」
素直に謝るのが吉だと、悠は小さく頭を下げる。それから此れ幸いと言わんばかりに、さっさとお暇させて貰う事にしたのである。
「しくじった」
菊池邸を後にしてしばらく歩いてから、悠がぽつりと呟いた。その心底そう思っていると察せられる声音に、千枝はフォローに回る事にする。
「しかたないよ! よくある事、よくある事だって」
悠の事であるから地雷だと分かっていて踏みに行ったのだろうとは思うが、夫人を傷付ける意図があった訳ではない筈である。悠の根は優しいのを千枝は知っている。
「……本当によくある事だから困るんだ」
溜め息と共に漏らされた悠の本音に、千枝は今度こそなんと声をかけていいのか分からなくなった。地味に凹んでいるらしい悠に、千枝は途方に暮れながら思う。こんな時、花村ならなんと声をかけるだろう。最近頓に仲良くなったのは知っている。そんな彼なら、どうにかして悠を励ますのだろう。励まされるばかりの関係に、千枝もまた不甲斐無さを強く感じたのだった。
それからジュネスへ向かう道中、一人内省会真っ最中の悠と、やっぱり一人内省会の千枝の間に会話などあるはずもなく。妙に気まずい沈黙はジュネスのフードコートへ着くまで続いたのだった。
「お前、今バイト中か。何時に終わるんだっけ?」
「五時には終わるクマよ」
フードコートで着ぐるみを着てマスコットをしていたクマに、陽介が尋ねる。すると後三十分程度で終わるとの返事が返って来た。
「んじゃ、悠と里中が来る頃には終わるか。頑張れよ」
「クマ、がんばるクマ!」
「クマさん、がんばってね」
それだけ言いおいて、陽介たちは何時もの定位置の席へと向かう。頑張ると張り切るクマに、手を振っていた雪子の横で、面白いものを見たと言わんばかりに完二が陽介に言う。
「逆に着せたんスね、着ぐるみ」
「マスコットに丁度いいだろ?」
それに対してウインクしながら名案だろと笑う陽介に、思い出したようにりせが尋ねた。
「それで、先輩たち戻って来るまでどうするの?」
「鳴上君が千枝に言ってたみたいに……勉強でも、する?」
遺憾なく優等生っぷりを発揮した雪子の提案に、男子組が露骨に顔を顰めた。それを見た雪子は困ったように笑う。そんな男子とは反対に、月曜から転入して直ぐに期末というある意味悲惨な境遇のりせが、真っ先に食い付いた。
「私はそれ凄くありがたいな! あ、でもちょっと飲み物欲しいかも。先輩たちは何がいいー?」
私と完二で買って来るよとりせが言えば、異論はなかったのか完二も二人のチョイスを待つ。
「じゃあ俺、リボンシトロンで」
「私はオレンジジュースがいいな」
「はーい、じゃあ行ってきまーす! 行くよ、完二!」
「あーもう、はいはい」
先日から延々と繰り返されていた完二って呼ぶなと言うのも、もう諦めたのだろう。呆れた様子で張り切って飲み物を買いに行くりせに引き連れられて、完二も彼女の後を追う。
「それじゃどうしよっか」
「天城は一年組の勉強見てやってくれよ。俺はちょっと調べもの」
「それは構わないけど……何調べるの?」
「菊池の事を、ちょっとな」
先に椅子に腰掛けて後輩組を待つ最中、雪子が陽介に持ちかけた。それに対して、陽介は相棒の提案を一部汲みつつ提案する。
「例の殺傷事件の、アレ?」
「そ。まとめサイトくらいあんだろってね。相当話題になったしな」
「手伝わなくて大丈夫?」
「ぐーぐる先生に聞きゃ一発だろうし、大丈夫だろ」
ちょっと声を潜めて聞いてくる雪子に、合わせて陽介の声も小さくなる。意図せずひそひそ話のような状況になった所に、両手に飲み物を持ったりせと完二が戻って来た。
「先輩、内緒話ですか?」
「花村先輩は里中先輩狙いだと思ってたっスけど違ったんスね」
「完二、お前とはよっく話し合う必要がありそうだな……」
しれっと爆弾を投げつけて来た完二に、陽介は目を細めて完二を睨め付けた。あの肉食獣狙いと思われているのはなかなか心外である。見た目が可愛くともあんなに凶暴な生き物を彼女にだなんて、そんな生傷の絶えない選択肢は、ない。
「この後どうするかって話してただけだよ。完二くんとりせちゃんの勉強を私が見るって話で纏まったの。がんばろう」
「げ……」
「花村先輩は?」
「俺はコイツで調べもの」
それをフォローするかのように雪子が言えば、完二が露骨に嫌そうな顔をする。いい機会だと分かってはいても、やはり勉強は嫌な様子だ。雪子の言葉の中に陽介の名前がない事に気付いたりせが、陽介に尋ねる。すると陽介は自分のスマホを軽く左右に振りながら、ウインクしてみせた。
「ずりーっスよ、花村先輩」
「つか巻き込んだ所為でお前らの点が低いとかなったら、俺よか悠のが気にすんだっつーの」
機微には疎い割に回りを気にする悠を思い出しながらそう言えば、世話になっている自覚があるだろう完二がそれ以上言い募る事はなかった。最もそれがブーメランだというのは、この際棚に上げる事にしたので割愛する。
三人が教科書を開いて勉強を始める中、陽介は一人スマホの検索画面と向き合う。「N県強盗殺人事件」で検索をかけて、そのあまりのヒット件数に「まとめ」と打ち込み絞り込み検索を行なった。そうして出て来たサイトのうち適当なものをタップし、そのサイトを斜め読みする。
(四人家族で、被害者は両親と子供二人。子供一人除いて全滅、助かった子供も全治二か月の重傷……これが菊池って訳か。こんな経験すりゃ殺したい程憎いってのも仕方ねーのかもなぁ……)
読めば読む程に気分が重くなってしまい、結局陽介は五分強で音を上げた。分かってはいたけれど、これは触られたくないと菊池が思っているのも仕方ないと陽介も思う。悠が自分と同じ目をしていたとか言っていたが、自分などより余程重たい事情だろう。
本当にテレビの中にいるとしたら、菊池は一体どんな自分と向き合っているのだろうか。助けなければと思う反面、彼女が本当の自分を受け入れられるのかを疑問に思った。今まではそうであったけれど、もし、もしも。受け入れられなかった場合はどうなるのだろうか。
そこまで考えた所で、離脱していた悠と千枝が戻って来た。
「悪い、遅くなった」
「あっ! ホントに勉強してたんだ」
声を掛けられた事で陽介は思考から浮上する。顔を上げて二人を見れば、千枝が驚いたように教科書を開いている三人を凝視している。
「気にすんなって。もうすぐクマのバイトが終わる筈だから、そしたら向こうに行こうぜ」
もう一度スマホの画面を見て、時間を確認すれば五時少し前だ。思った以上に思考に耽っていた事を自覚して、なんとなしに気まずいような気がして意識を逸らす。
「そうだな。で、陽介は何してたんだ?」
「俺はちょっとこれ、調べてたんだよ」
陽介の横に椅子を引っ張って来て腰を下ろした悠に、陽介は自分のスマホを渡す。それを受け取って、画面をスクロールしながら斜め読みしたらしい悠が苦笑する。
「考える事は同じだな」
「何、相棒も調べたの?」
「昨日の夜、寝る前に思い出して」
陽介にスマホを返しながらそう言えば、さっすが相棒! と陽介が笑う。
そうこうしているうちにバイトを上がったクマが合流し、そのままテレビの中へと出陣する事になった。
「ちょっと待って、捜してみるね」
そう言ってりせが自身のペルソナであるヒミコを顕現させ、その能力を使って辺りを探り出す。暫くそうして千景の気配を捜していたが、小さな溜め息と共にヒミコを消した。
「いるのは確かなんだけど……見つからない。何か手がかりみたいなのが分かれば、見つけられるかも……」
りせがそう申し訳なさそうにするのに、携帯を開きながら悠が口を開いた。
「N県一家殺傷事件の被害者で、その事件で両親と妹を亡くしている。妹とは双子だったそうだ。菊池自身は犯人と対面後に揉み合いになって、傷を負いながらも逃走に成功、近所の民家に駆け込んで通報したらしい。叔父さんが追いかけられるとパニックになるような事を言ってた気がするから、多分犯人に追いかけられているかもしれない。あと、これが原因でPTSDを患っていると思われる。この事件がきっかけで強い精神的ショックを受けて、現在口を訊けなくなっているそうだ」
調べて見聞きした事をすらすらと読み上げる悠に、一同は目を丸くする。
「す、すげー……」
完全に目を点にした千枝がよく分からないながらに感嘆の声を漏らす。周りで呆然としていた他の面子も、同じ心境だろう。我に返った陽介が、突っ込む。
「な、何見てんの?」
「メモ。自分でも訳がわからなくなったから、ちょっと整理ついでにまとめてみた。携帯のメモ機能って便利だよな」
「俺の相棒まじハイスペック……で、ぴーてぃーなんとかって?」
「心的外傷後ストレス障害の事だな。危うく死ぬような重傷を負うような出来事の後に起こる、心に加えられた傷が元に様々なストレス障害を引き起こす疾患だ」
花村に問われて淡々と説明した悠だったが、自分に向けられる視線の多くに「何言ってんだこいつ」的な理解出来ていないものを感じて、改めて少し考える。
「要約すると、強烈なトラウマを負っていて、事件の話題を避けたり、フラッシュバックを起こしてパニックになったりするってこと」
これ以上要約出来ないと思いながら周りを見れば、大体は理解した様子を示している。
「鳴上君、難しい言葉知ってるのね……」
「まあ、うん」
「そいや、趣味は読書とウィキペ漁りとか言ってたもんな」
「そっとしておけ」
感心したように言った雪子に曖昧な返事をすると、横から陽介が口を挟む。それに対して悠は憮然として呟いた。
「ともかく、分かってるのはこれ位なんだが。ここから推測すると『菊池は家族を亡くした事件により心を病む程ショックを受けている』。性格も随分変わってしまったようだ。あとは本人からしか話せない何かを抱えているらしいが、これは多分聞き出せないと思う」
「そう言えばそんな事、おばさん言ってたね」
あ、と思い出したように千枝が話を合わせると、悠はああと頷いた。
「しっかし準備万端クマねー……」
「ホントにスピード解決目指す気なんスね……」
事情を知らないクマはやっぱりセンセイは頼りになると分からないなりに喜んでいたが、昼休みのやり取りを思い出した完二は頼りになり過ぎると少々複雑な気分になる。有り難くはあるのだが。
「そっか……うん、じゃあもう一回、捜してみるね」
聞いた事を自分なりに吟味していたらしいりせが、再びヒミコを出して気配を探り出す。暫く探ってから、見つけたよ! と明るく報告をしたのだった。
改定後→二話位纏め&陽介側描写追加