向日葵の少女   作:晴貴

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2話 日常だった日々に戻るため

 

 記憶の混乱がどうのこうの言われていた俺だが、三度目だという野川先生との診察以降は普通に記憶が定着している。いやまあどっか抜け落ちてるのかもしれないけど、思い出せる記憶はこの二週間で溜まってきた。

 そして同時に分かったこともいくつかある。

 

 まずは俺の名前、綾部(あやべ)勇気(ゆうき)。年齢は十九。

 それを聞いて何か記憶が蘇ったとかそういうことはなく、単になるほど、と納得しただけで終わった。やっぱり名前を聞いただけで記憶の一部が戻るとかいう都合のいい展開は起きないようだ。

 

 まあそれはしょうがない。そんでもって次に家族のこと。

 渋っていた野川先生をしつこく口説き落として聞き出した話によれば、どうやら俺は生後間もなく捨てられた孤児らしい。乳児院、孤児院と渡り歩いた末、昨年に高校を卒業したのだとか。端的に言うと天涯孤独ってやつだ。先生があんなに渋ってたのはこの事実をすぐに伝えるべきかどうかためらっていたからだろう。

 しかしその話を聞いた時の感想は「あー、そっちのパターンね」くらいのものだった。嫌な予感がしていて始めからある程度予測できていたからかもしれない。記憶喪失で実感が持てないというのも大きく関係していると思う。

 

 ちなみに今の俺は都内のアパートで独り暮らしをしているようだ。未成年なので部屋を借りるための保証人が必要であり、その欄に記されているのは俺がお世話になっていた孤児院の院長であるらしい。

 つい先日、面会謝絶が解除されてまずやってきたのがその院長だった。野川先生から話は聞いていたようで俺が孤児院にいた時の写真や思い出エピソードを聞かせてくれたけど俺の記憶の琴線にはかすりもしなかった。

 院長の顔を見てもピンとこないし、申し訳なさのあまり「何か思い出しそうな……うっ、頭が!」的なことをやったらえらく焦らせる羽目になってしまった。挙句野川先生やナースの皆さんまで呼ばれる始末。

 

 いや本当にすんません。もうやりませんから。

 その日はとりあえず誤魔化してベッドに潜り込んで事なきを得た。

 

 そんなこともありつつ、俺はリハビリに励む日々を送っている。最初は硬くなった膝関節を曲げるところから始まり、今は松葉杖を使いながらの歩行訓練中だ。足の筋力が相当落ちているせいで立ち上がることもキツイ。

 で、そんなリハビリも今日の分は終えて自分の病室に戻ると野川先生がやってきた。

 

「綾部君、調子はどうだい?」

 

「絶好調ですよ。明日には杖なしで歩けんじゃないですかね」

 

「はっはっはっ。それはいい」

 

「それでどうかしたんですか?」

 

「実は君に面会したいという人がいてね」

 

「はあ」

 

「その人は君が庇った女の子の関係者なんだよ。君が意識不明だった時からお見舞いに来てくれていた人でもある」

 

「そんな人が。あれ?でも俺って面会謝絶だったんじゃ?」

 

「それは君が記憶喪失だと分かったから取った措置だ」

 

 つまり意識不明だった時は外傷的に見舞いOK状態だったけど、いざ目が覚めたら記憶ぶっ飛んでるからこいつはやべぇってことで面会謝絶になった、と。

 まあ寝てるだけだと記憶喪失になってるなんて分かんないもんな。

 

「でだ、その関係者、武内さんから君の面会謝絶が解けたらぜひ会わせてもらいたいと言われていてね」

 

「まあ俺に拒否する理由はないですけど」

 

「それはつまり君が記憶喪失だということを武内さんに伝えるということだけど」

 

「別に構いませんよ」

 

 知人ならまだしも初対面の人なら記憶喪失でもあんま関係ないし。

 

「……そうか、分かったよ」

 

 俺の言葉にそう返した野川先生は、どっこいしょという言葉と共に腰を上げて病室から出て行った。

 その背中はやけに疲れて見えた。やっぱり医者って仕事は大変なんだろうな。

 変なことやって迷惑かけないようにしよう。

 

 

 

 

 

 スーツの内ポケットに忍ばせているスマートフォンが着信を報せる。

 取り出してみればディスプレイに映っていたのは最近よく足を運んでいる病院の先生からだった。もしや、と思い逸る気持ちを抑えて電話を取った。

 

「もしもし、武内です」

 

「野川だが今大丈夫かい?武内君」

 

「はい。それで、あの、もしかして……」

 

「ああ、君の考えている通りだ。綾部君の面会謝絶が解けたよ。本人も君との面会を了承してくれた」

 

「!それでは……」

 

「だけどその前に話しておかなければいけないことがある。今度私のところへ来てくれるかい?」

 

「分かりました。では……明後日の午前に伺っても大丈夫でしょうか?」

 

「待っているよ。ではまた」

 

「はい、失礼致します」

 

 通話は手短に終わる。スマートフォンを内ポケットに戻して、一度大きく深呼吸する。

 まずは安心した、というのが一番大きい。意識不明から面会謝絶になった時は危篤なのではと焦ったが、少なくとも危険な状態は脱したとみてよいのだろう。

 

 目を閉じ、あの日のことを思い出す。

 あれは二ヵ月以上前のことだ。私がプロデュースしているアイドルの一人から事故に遭ったという連絡が入った。

 言動にこそ出さないよう努めたが、自分自身かなり取り乱していたのを覚えている。電話口の彼女は震えた涙声で必死に言葉を繋いで状況を伝えようとしていた。

 

 私が慌てていたのもあって意思の疎通を取るのに時間を要したが、結果から言えば彼女は無傷だった。

 ではどうして彼女があそこまで動揺していたのか。それは車に()かれそうになったところを一人の青年に助けてもらい、さらにはその青年が自分の代わりとなって車に轢かれる瞬間を見てしまったからだった。

 

 私が事故の現場に急行すると顔を真っ青にして震えている彼女がいた。瞳はすでに泣き腫らして赤くなっていて、どう見ても普通ではなかった。間違っても仕事がどうこう言える状態ではない。

 その日の仕事にはすべてキャンセルを入れ、彼女を家まで送り届けた。

 

 それから二ヵ月が経過して彼女も普段の明るさを取り戻しつつあるが、さすがに以前の通りとは言い難い。今でもふとした時に、これまでしたことのないような(かげ)りのある表情を見せることが多くなった。

 本当の意味であの日のことを乗り越えるには彼女を救ってくれた相手、綾部勇気という青年との和解が必須なのだろう。

 彼に感謝を伝えたいというのももちろんあるが、これで彼女が和解する足がかりを作れれば。そう思っていた。

 しかしその考えがいかに浅はかで、そして自分本位のものであったと痛感する羽目になる。

 

 あの電話から二日後。仕事の合間を縫って私は綾部君が入院している病院を訪れた。そこで彼の担当医である野川先生の元へと向かう。

 

「お久しぶりです」

 

「よく来たね。そこにかけてくれ」

 

「はい。失礼します」

 

 ソファーに腰かけ野川先生と対面する。

 先生はどこか浮かない顔をしていた。まずは私の方から話を切り出す。

 

「……それでお話とは?」

 

「綾部君のことだ。彼が面会謝絶になっていた理由を話しておこうと思ってね」

 

「危険な状態にあったからではないのですか?」

 

「いや、面会謝絶になったのは意識が回復したからなんだよ」

 

「それはどういう……」

 

「綾部君は今、事故の影響で記憶を失っている」

 

「記憶喪失……!」

 

 かつてない衝撃に襲われる。ハンマーで頭を殴られたような、とはまさにこのことを言うのだろう。

 記憶喪失なんて創作物の中でしか見たことのない。そんな状態の彼に事故の話を振ったらどうなっていた事か……。

 

「……だから先生は彼と面会する前に私に会いに来なさいと」

 

「そういうことだ。いきなり彼に会って記憶喪失と言われても困っただろう?」

 

「それは、まあ……」

 

 困るどころの騒ぎではない。口下手な私がそんな状況に置かれてはしどろもどろで、まともに会話になるかも怪しいだろう。想像に難くない。

 だが、会わないわけにもいかないのだ。こうして心構えができただけでも非常にありがたい。

 

「この話を聞いてから彼と会うかどうか決めなさい……と言うつもりだったんだけどね。どうやら君の心は決まっているようだ」

 

「はい。たとえ私が責められることになろうと彼に会わなければなりません」

 

「そうか……だがまあそこまで気負う必要はないよ。綾部君なら間違っても君を責め立てるようなことはしないだろう」

 

 そう言って野川先生は笑った。

 

「それに彼はおぼろげだが事故の時のことを覚えているようだよ」

 

「!本当ですか?」

 

「ああ。とはいっても事故にあった時、そこに一人少女がいたような気がしたという話しぶりだったけど」

 

 ならば多少は話しやすい……かもしれない。

 そこは私の話術次第でしょう。自信がある、とは言えませんが……。

 

「おっと、もうこんな時間か。私は仕事に戻らないと」

 

「わざわざ時間を取って頂いてありがとうございました、野川先生」

 

 一礼して部屋から出る。その足で私は彼が入院している208号室へと向かった。

 病室の前に立ち、心を落ち着けるように二度、三度と深呼吸をする。通りかかった患者さんや看護師の方に怪訝な目を向けられましたが、今の私にそれを気にする余裕はない。

 意を決して、いざ扉をノックする。

 コンコン、という音の後に一拍の間を空けて中から「どうぞー」という声が返ってくる。

 

「失礼致します」

 

 中にいたのは起こしたベッドに背中を預けて腰かけた綾部君だった。

 眠っている顔は見ていましたが、改めて起きている時の表情を見ると爽やかな好青年、という表現がぴったりくる。職業病か、磨けば光るのではないか、という考えが浮かんできてしまう。

 それを振り切ってまずは挨拶をする。

 

「初めまして。私は武内と申します。この度はどうしても綾部さんにお礼を申し上げたく参りました」

 

 癖でつい名刺を差し出しながらそう言ってしまう。

 しかし綾部君は訝しむこともなくその名刺を受け取ってまじまじと見つめる。

 

「美城プロダクションのプロデューサー……芸能界関係の方ですか」

 

「はい。アイドルのプロデュースをメインにやっております」

 

「おお、なんかすごいっすね!」

 

 綾部君が屈託なく笑う。

 記憶喪失でありながらこうして笑える強さは、年下であっても尊敬できるものだ。

 

「でもこうして武内さんが来るってことは、もしかして俺が助けたっていう女の子はそっち関係の子だったり?」

 

 綾部君がいきなり核心を突いてくる。

 

「……はい」

 

「その子は大丈夫でした?」

 

「おかげ様で怪我はなく、活動には復帰できています」

 

「それは何よりです。でもそれって体の方は、って話ですよね?」

 

 さらに深く綾部君が踏み込んでくる。それはまさに私がしたかった話だった。

 彼女の傷付いた心を癒すには綾部君に許してもらう、というプロセスが不可欠だと私は考えている。だからこうして無事を確認しつつ彼女との取次を、とも思っていた。

 しかし綾部君が記憶喪失となるとまた話は変わってくる。面会謝絶が解けたと聞けば彼女はすぐにお見舞いへとくるでしょう。けれどそこで綾部君が事故の後遺症で記憶を失ったと知れば彼女は自分を責めるに違いない。

 そうなれば彼女の傷はますます深く……。

 

「……どうしてそうお思いに?」

 

「あー……なんかね、轢かれる直前に目が合ったような気がするんですよ」

 

「目が?」

 

「はい。まあ正確には轢かれる前かも定かじゃなくて記憶違いかもしれないんですけど、まるでこの世の終わりというか、絶望に染まったような瞳をしてたんで。だからその子のことが心配だったんですよ。体だけじゃなくて心の方も」

 

 そう語る彼の顔は本当に相手を心配しているのだと疑いようがないほど苦しげなもので。

 それは今回の事故で誰よりも自分が一番大変な状況でありながらも相手を心配する優しさを持っているのだという証だった。

 綾部勇気という青年は強さも優しさも持ち合わせている。人を助けるために危険を顧みずその身を挺したことからも、その名の通り勇気だって有しているのでしょう。

 

「だから武内さんがあの子のプロデューサーなら伝えてくれません?『俺は元気で怪我も大したことないから、君は落ち込まなくていいよ』って。アイドルって元気な笑顔でファンを楽しませるものなんでしょ?」

 

「……っ!」

 

「なんてちょっとキザすぎますかね?あははは」

 

 綾部君の言葉に熱いものが込み上げてきて鼻の奥がツンとする。

 こんな……こんなにできた若者がいるとは。

 彼だって苦しいはずだ。つらいはずだ。不安で、恐怖だって感じているはずだ。自分に関する一切のことを忘れてしまっているのだから。大人だって泣き出して、人に当たってしまっても不思議ではない。

 だというのにここまで相手のことを思いやれるなんて……!

 言葉に詰まってろくに返事ができなくなってしまう。

 

「い、いえ……そんなことは……」

 

「武内さん?大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫で……グス」

 

「大丈夫じゃないですよね?泣いてますよね!?」

 

 綾部君が狼狽(うろた)え始める。

 客観的にみれば初対面でお見舞いに現れた強面の大男が突然泣き出したのだからそうなるのも無理はない。感情を落ち着かせて綾部君に謝罪するのに一分以上かかってしまった。

 

「お見苦しいところをお見せしました……」

 

「いえ、いいっすけど本当に大丈夫ですか?」

 

「はい」

 

 正直あまり大丈夫ではないですが大人としてこれ以上情けない姿を晒すわけにはいかない。手遅れかもしれませんが……。

 

「あ、そうだ。武内さん」

 

「なんでしょうか?」

 

「武内さんがプロデュースしてるっていう子の名前を教えてくださいよ」

 

「名前を?」

 

「はい。これも何かの縁ですし、せっかくだからその子のファンになろうかなって」

 

 綾部君が、彼女のファンになる。

 それは本来であればあまりいい関係ではないのかもしれない。しかし不思議と綾部君であれば彼女の力になってくれるのではないか、と思えた。

 だから私は彼女の名前をすんなりと口にする。

 

「分かりました。綾部君が助けてくれた女の子の名前は高森(たかもり)藍子(あいこ)。美城プロダクションアイドル部門に所属しているグループ『インディゴ・ベル』のアイドルです」

 

 




ということでヒロインは世界一可愛いドラム缶こと高森藍子ちゃんです。
彼女のイメージが向日葵なのでこんなタイトルに。
他に何か良さげなの思いついたら変更するかもしれません。
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