ストラーダが腰を下ろすと、その質量で一人用のソファがギシリと音を立てた。
まさに『要塞』と呼ぶにふさわしい偉容は、いつ見ても八十代後半の老体とは思えない。
思わず緊張してしまうリアスとソーナ。彼女たちの前で、老戦士はポツポツと語り始めた。
「以前から私は、エクソシストたちの中に私と太刀筋の似た者がいれば、率先して指導を行っていた。オルランドもその一人であり、私が手ずから鍛えた弟子たちの中では、間違いなく最高の剣士だった。聖剣使いの因子も生まれつき備えており、ドゥレンダナに選ばれた事もあって、私を超える逸材だと期待していた……お師さんと気さくに呼び掛けてくれるあやつを、実の息子のように思っていた……」
老人は遠くを見るような柔らかな眼差しで語る。過去を懐かしんでいるのだろう。
しかしその表情に、翳りが走った。
「十年以上前の事だ。とある小さな山村が、冒涜的な教義を掲げるカルト宗教に支配されてしまってな。その教祖がかつて教会から逐電した背教者だったとわかり、オルランドに討伐の命が下った。しかし無事に任務から戻った後、あやつは私の元を訪れて尋ねて来たのだ。『神は本当にいるのか?』と。
私はその一言で、全てを察した。
恐らくあの教祖は、何らかの理由によって主の
……私は元々、あやつを教会に縛り付けておくつもりはなかった。もっと広い世界で見聞を広め、教養を深めてほしかった。追放が決まったあの日、当座の金を渡し、『これからは自由に生きろ』と言って送り出したのだ……それが、まさかこのような事になっていようとは……!」
ストラーダは岩塊めいた拳をグググッと握り締める。
リアスもソーナも、返す言葉がなかった。
目の前の老人が、寄る年波など歯牙にも掛けない規格外の戦士である事は、身をもって知っている。その彼の直弟子であり、『最高の剣士だった』と言わしめる敵の存在に驚いていた。
しかも彼は今、『ドゥレンダナ』と言った。ギリシャ神話のトロイア戦争で活躍した英雄、ヘクトールの愛用した剣だと伝えられている聖剣である。その強度と破壊力は、エクスカリバーやデュランダルにも匹敵するという。敵の頭目は、そのドゥレンダナの使い手だというのか?
オルランドを転生させた上級悪魔やその眷属も、冥界が派遣した討伐隊も、ことごとくが殺されているため、なかなか情報が入って来なかった。その分、老人が語った内容は衝撃的であった。
場に重い沈黙が訪れる。
かと思えば、ストラーダがソファから不意に立ち上がった。
リアスとソーナの背筋に、怖気が走る。
まさにその瞬間こそ、オルランドによって駒王町を覆う結界が破壊され、消滅した瞬間であった。
ストラーダたちは聖剣ドゥレンダナの獰猛な波動を感じ取ったのである。
「……オルランド」
老人はポツリとつぶやき、部屋から飛び出していく。二人の少女も後を追った。
そして同時刻。
駒王学園のD×Dメンバーも、聖剣ドゥレンダナの波動を感知し、その正体を探るために学校を出ようとしていた。
彼等に先んじて、学園の敷地から出て行ったのは、秋月連也だった。
◆
駒王駅前のふれあい広場には、いくつかの屋台が並んでいる。
はぐれ悪魔の一団はそこに集まっていた。
屋台で買ったタコ焼きのパックを手にした少女ドゥレンダナが、中身を一つ爪楊枝で刺して、クルガンに無言で薦めているが、彼は困った風だった。
「い、いえ
しかし少女は、意に介さず口元に押し付けようとする。
「お、お許しくださいドゥレンダナ様。私はタコが苦手でして……」
「共食いになるからか?」
ドゥレンダナの背後で、オルランドがクスクスと笑う。
タコは『
オルランドはパックからタコ焼きを一つ、爪楊枝で取ると、パクリと食べた。そして、
「あんたも食うか? 美味いぞ」
言うなり、爪楊枝を指で左方向へと弾き飛ばす。
小さな飛矢となったそれを、人差し指と中指で挟み止めたのは、ストラーダだった。
「人様に尖った物を飛ばすではない。この悪タレめが」
「すまんな、お師さん。何せ俺はもう、悪魔なんでね」
オルランドはかつての師の前で、肩をすくめた。
その背後から、メテオラがおずおずと尋ねる。
「
「ああ、俺の聖剣使いとしての師匠。ヴァスコ・ストラーダだ」
その名前を聞き、ドゥレンダナを除く配下全員が震え上がった。
聖剣デュランダルの先代所有者であり、教会の戦士として悪魔に対して猛威を振るい続けた、生ける伝説。
そんな男が目の前にいるのだから、無理はなかった。
「……オルランド。貴様が今、冥界から指名手配を受けている事は聞いておる。悪い事は言わぬ。おとなしく縛につき、罪を償うがよい。お前ほどの戦士ならば、魔王庁も無下には扱わぬはずだ」
「久しぶりに会ったと思ったらお説教か? あんたも変わらんな。そんな月並みな台詞を言うためだけに、こんな極東の島国にまでやって来るとは、さてはリストラされて暇を持て余してるのか?」
「私には、お前を育てた責任がある。師としての責任がな」
「よく言うよ。自由に生きろと言って俺を追い出したのは、あんただろう? だから俺は、自由にやらせてもらっている。今になって文句を言うくらいなら俺を追放したりせず、あの時異端審問にかけて火炙りにでもしておけば良かったじゃあないか、ええ? ――何なら、今からやろうか?」
その一言で、両者の間の空気が一気に張り詰めた。
「……そのつもりで、私はこの国に来た。しかしここでは狭すぎる。場所を変えるぞ」
「その必要はないよ」
オルランドはスッと右手を高く掲げた。その掌に、光の玉が生まれる。
周囲でのどかな時間を思い思いに過ごしていた人たちが、その輝きに気付いた。
ストラーダがかつての弟子の意図を察して、制止の声を上げようとした。
しかしそれよりも早く、オルランドは手中の光を地面に叩きつける。
直後、轟音が響いた。
猛烈な熱を孕んだ爆風が周囲一帯を薙ぎ払う。並んでいた屋台も、民間人も、何もかもを。
「これで広くなった」
ふれあい広場を消し飛ばして更地にしたオルランドは、事も無げに言い放つ。
彼の眷属たちは……空中に逃れていた。そしてゆっくりと地面に降り立つ。
ストラーダは、うつむいている。今の爆発で吹き飛ばされて胸板にぶつかった
焼け焦げた、人間の手首だ。そのサイズからして、まだ小学校にも上がっていないだろう。丸っこい形の飛行機のオモチャを握ったまま、地面に転がっていた。
「オルランドぉぉぉおおおおッッ!!」
怒号を轟かせ、老戦士は虎のごとく弟子に躍りかかる!
怒りを込めて放たれた破城鎚のごとき右拳は――しかし、オルランドの右手一本で、軽々と受け止められた。
「おいおい。この期に及んで、まだ手加減してるのか?」
オルランドは溜め息をつく。
「それともまさか、全力で
そして無造作に、師の身体をゴミか何かのように放り投げる。年齢を感じさせない、筋肉の要塞めいた巨体を。
空高く投げ上げられたストラーダは、空中で身体を回転させてバランスを取り、難なく着地する。
「貴様……自分が何をしたかわかっておるのか!」
「あんたが『ここじゃ狭すぎる』って言ったんだろう? だから広くしてやったんじゃないか」
非はそちらにあると言わんばかりの態度に、ストラーダは憤怒に顔を歪め……その怒りの色もすぐに消えた。その目にはただ、哀しみだけがある。
「悪魔に転生しても、その優しさを失わずにいる者たちもいるというのに……お前は、そこまで堕ちたのか……ならば、もはや弟子とは思わぬ」
右手を前にかざすと、老戦士の足下に光の紋様が浮かび上がり、その中から青い刃を持つ剣が出現した。本来ならば大剣と呼ぶにふさわしい偉容だが、ストラーダがそれを握ると小さく見える。
「私のこの手で、貴様を断罪しよう」
「……いくらお師さんとはいえ、舐められたもんだな」
オルランドは嘆息しつつ、傍らに歩み寄った少女ドゥレンダナの腰に腕を回し、抱き寄せた。
「貴様、乙女を盾にするつもりか」
「何を寝惚けてるんだ。こいつは盾じゃあない、剣だ。俺の頼もしき
オルランドの腕の中で、少女の華奢な身体が光を放つ。純白の輝きに全身が包まれ、激しい光輝が収まった時、オルランドの手には赤紫色の刃を備えた大剣が握られていた。
ストラーダが手にするデュランダル・レプリカと、色以外は形も大きさも同じだった。
「ドゥレン……ダナ……?」
目の前で起きた変身劇に、ストラーダは我が目を疑う。それは紛う事なき聖剣ドゥレンダナ。しかし少女の姿に擬態する能力などなかったはず……。
「
「神より賜りし聖剣に、何という事を……」
「人間だけが神から授かれるはずの
冗談めかした事を言いながら、オルランドは無造作に距離を詰めた。
ドゥレンダナが上段から打ち下ろされる。
稲妻のような一撃を、ストラーダは模造品の聖剣で受け止めた。舗装されたアスファルトの地面に、衝撃でヒビが入る。
オルランドは次いで、左右から連続して斬りつける。老戦士はこれも軽々と防いでみせた――最初の内は。
オルランドの連撃は止まる様子を見せない。それどころか、子供が棒切れを振り回すような無造作な片手打ちだが、一打ごとにどんどん速く、強くなっていく。
七打目を防いだ時点で、ストラーダは早くも限界を感じた。次の一撃は、自分の処理能力を超えるスピードとパワーで繰り出されるだろう。
これ以上の消耗を強いられる前に、決着を付けなくてはならない。
地面を力一杯に蹴り、大きく後ろへ飛ぶ。オルランドの八打目は、空を切った。
「ぬぅうううんっ!」
ストラーダはデュランダル・レプリカで天を指し、そのパワーを解放した。聖なるオーラが白い奔流となって噴き上がる!
一瞬。
ほんの一瞬だけだが、老戦士は弟子と過ごした日々を思い出した。
お師さんと気さくに呼び掛けてくれる弟子と一緒にいる間は、自分の地位や、それに伴う権限と責任から解放されていたのではないだろうか……。
「おおおおぉぉぉおおおおッッ!!」
郷愁の想いを振り払うように、ストラーダは吼えた。
巨大な閃光と化した聖剣を、全力で振り下ろす。
オルランドのドゥレンダナも、同様に聖光の奔流を放った。
そして同じように、大上段からの打ち下ろしをぶつける。
二つの聖なる光刃がぶつかり合い、一瞬だけ拮抗してみせたが、すぐに一方が縦に裂かれて、雲散霧消した――デュランダル・レプリカの光刃が!
ドゥレンダナの光刃は勢いの減衰すら感じさせず、そのまま最後まで振り下ろされ、デュランダル・レプリカもろともストラーダの巨体を切り裂いた!
とっさに身を捻り、幹竹割りにされるのだけは避けてみせたのは、歴戦の勇者だからこそ成せる業だろう。
だがダメージは大きかった。右肩から左脇腹へと、胴体を斜めに横切って傷が走り、鮮血が滝のように溢れ出ていた。
ストラーダは、自らの血溜まりの中に膝をついた。
「歳は取りたくないもんだな、お師さん……ほんのわずかながら、やはりあんたは衰えていたよ」
オルランドが師の前に歩み寄る。
「そしてその剣も、しょせんレプリカにしか過ぎなかったな。衰えた力で振るう紛い物のナマクラで、俺と俺のドゥレンダナをどうにか出来ると、本当に思っていたのか?」
「貴様……何を……した……」
ストラーダは息も絶え絶えに、弟子を見上げる。
「人の話はちゃんと聞けよ。俺があんたに何かしたんじゃあない。あんたが寄る年波に勝てなかったと言ってるんだ」
「私の事では、ない……悪魔に転生すれば、確かに身体能力は強化される……ドゥレンダナも、
「完全に耄碌した訳じゃあないんだな」
オルランドは心当たりがあるのか、クスクスと笑った。
「だが、それをあんたに説明して、俺に何か得がある訳でもなし。謎解きはあの世でゆっくりとやればいいさ……神のいるあの世で、な」
ドゥレンダナが老戦士の首筋に振り下ろされた。
死を覚悟して目を閉じたストラーダだったが……、
「――?」
しかし、トドメの一太刀は来なかった。
目を開けて顔を上げると、信じられない光景があった。
自分の首筋目掛けて振り下ろされたドゥレンダナを、見知らぬ少年が受け止めていたのだ。
少年が手にする得物は、柄巻きを施した木刀。その刀身は白い光輝を放ち、金属製の刃に一ミリほども切り込まれる事なく、しっかりと受け止めていた!
「……ほう」
オルランドが感心したように声を漏らし、剣を引いて下がる。
「い、いかん……下がりたまえ、少年よ……君が太刀打ち出来る相手では……」
「うるさい」
少年は言い捨てて、たった今助けた老人を木刀で打った。無造作な片手打ちで、老人の巨体は体重など消えたかのように軽々と吹き飛ぶ。
飛んでいった先には、リアスとソーナが駆けつけていた。彼女たちがストラーダを受け止める。不思議な事に、少女たちの腕にはほんのわずかな衝撃すらなかった。まるで風船をキャッチしたかのような、軽い手応えだ。
そして重傷のはずのストラーダは――穏やかに寝息を立てていた。
出血は止まり、骨にまで到達していたはずの傷も半ば以上塞がっている。
オルランドが呆れたように言った。
「……応急処置にしても、荒っぽいな」
「怪我人は邪魔だからな。おとなしくさせてもらった」
秋月連也の声は、かすかに震えていた。
「
背後からのクルガンの言葉に、オルランドはピュウッと口笛を吹いた。
「俺の子分が世話になったというのは、君か」
「気にするな、
「ふふん……で、今度は俺の事も世話してくれるのかな?」
「お前だけじゃあない」
連也は木刀『飛龍』の切っ先で、オルランドとその背後の眷属たちを指した。
「――お前ら全員だ」
秋月連也の声は、かすかに震えていた。
激しい感情は念の純度を低下させる。そうはわかっていても抑えきれない、憤怒によって震えていた。