思えば、三学期に行われた生徒会選挙がきっかけだったのかも知れない。
いろんな事を教えてくれた学校と、そこに通うみんなに恩返しがしたい。そんな想いを飾る事なく語ったゼノヴィア。
それまでは『よそのクラスにいる美人の外国人転入生』でしかなかった少女を、秋月連也はあの演説以降、少し気にし始めていたのだろう。
そしてバッティングセンターでの一時で、彼の心をゼノヴィアという少女が占める割合は、また少し大きくなったようだ。
朝、登校すると、時々彼女と出くわす事がある。
「やぁ連也。おはよう」
「おっす、ゼノヴィア」
そうやって挨拶を交わすだけの短いやり取りが、何だか妙に楽しかった。
同時に、この少女ともっと仲良くなりたいという欲求も湧いてくる。
そんなある日の事である。
いつもより早くに目が覚めた連也は、二度寝すると今度は寝過ごしてしまいそうなので、いつもより早く登校する事にした。
とは言え、うっかり教室に入れば日直の仕事を手伝わされそうだ。今日の日直の桐生藍華は、口先一つで相手を自分のペースに巻き込むのが妙に上手い。
どこか静かな所で時間を潰そうと、ちょうど良さそうな場所を探して早朝の校内を散策していると……。
「おい元浜、大丈夫だろうな?」
「心配するなイッセー。これまでのリサーチによると、朝練の時は見張りを置いてない」
「いや、それもあるけど……村山のおっぱいが大きくなってるってのはホントのホントに本当なんだろうな?」
「ふっ、俺のスカウターが間違ってた事が一度でもあったか?」
「それもそうだな……って、そもそも合ってるかどうか確認した事、まだ一回もなくね?」
そんな声が聞こえてきた。行ってみると剣道部の練習場があり、そこの壁に顔をくっつける二人の男子生徒。その傍らには見張り役なのか、坊主頭の男子生徒が周囲をうかがっていた。と言っても、早く交代したいのか、やたらチラチラと腕時計を見ている。役割を果たせているとは言えなかった。
今の会話から察するに彼等が何をしているのかは明らかだ。連也は呆れると同時に、胸の奥に込み上げてくるものを感じた。
制服の胸ポケットに挿していたボールペンを手に取り、眉間に近付ける。そして二、三秒ほど眼を閉じて精神を集中させた。手中のボールペンに、陽炎めいたゆらめきが宿る。
連也はそれを、三人組目掛けて投げつけた。その一投は、地面で重なり合った三人の影に突き刺さる。しかし一誠と元浜は覗きに熱中して、松田は時間ばかり気にしているので、誰も気が付かない。
「動くな! 警察だ!」
物陰に隠れたまま、連也は大声を出す。
「何よ、今の声!」
「えっ、警察!?」
練習場の中から女子たちの声がして、窓が開けられた。前髪をヘアバンドで留めて額を丸出しにした少女が顔を出し、三人組に気付いた。
「あんたたち何やってんのよ! みんな、またあの三馬鹿が覗いてる!」
その女子の報せに、窓の向こうの更衣室内でバタバタと物音がした。
そして少ししてから、ジャージ姿に竹刀装備の女子剣道部一同が飛び出してくる。
――奇妙な事だが、一誠たち三人はその間に逃げる事が出来たはずなのに、何故かその場にとどまっていた。
別に神妙にお縄につこうなどと思っているのではない。しかし、逃げようとする意思に反して足が――下半身が動かないのだ。見えない力でその場に縫い止められているかのように。
そうこうする内に女子たちに囲まれて、三人は散々に竹刀で叩かれる。情けない悲鳴が聞こえてきた。
「――?」
そんな中、一誠は地面に刺さったボールペンに気付いた。
(あんなとこにあんな物あったっけ?)
気になって眼を凝らすと、そのボールペンは陽炎のようなゆらめきをまとっている。そのゆらめきはやがて、蝋燭の炎が燃え尽きるかのようにフッと消えた。
「このエロ猿ども! 先生たちに突き出してやるから覚悟しなさいよね!」
「ひぃいい、勘弁してくれぇ~!」
「俺まだ覗いてねーのにぃ!」
「問答無用!」
女子たちは三人組の襟首なり足なりを掴んでズルズルと引き摺っていく。
さっきまで不可視の拘束を受けていた彼等の下半身は何事もなく動くようになっていた。
「――!」
引き摺られながら、一誠は物陰から様子をうかがう男子生徒の姿に気付いた。そして彼が、以前自分の逃走をおかしな能力で妨げた少年である事にも……。
◆
放課後。
「おい!」
校門を出た辺りで、連也は背後から呼び掛けられた。振り向くと、そこには一誠が立っている。
「何だよ。友達だと思われて噂されたら恥ずかしいから、話し掛けんな」
「何だとこの……! お前のせいで今朝は竹刀でぶっ叩かれるわ先生たちに説教されるわで散々だったんだぞ!」
「何の事だ?」
「とぼけんな! お前が隠れて見てたの知ってんだよ! この前だってお前のせいでゼノヴィアに蹴っ飛ばされるし、なんで俺の邪魔ばっかりするんだ!」
「そりゃお前等が問題ばっかり起こすからだろ。法治国家に生きる者としての、当然の正義感ってやつだよ――だいたいお前、何しに学校に来てんだよ。学生の本分は勉強って言うけどな、それが出来てりゃ後は何してもいいってもんじゃねえんだぞ? 少しは親の気持ちも考えろ」
「親は関係ないだろ!」
「あるよ。お前等のために、払わなくてもいい学費を払ってるのはお前等の親だろ。親の稼ぎを食い潰すような真似して、男として恥ずかしくねえのか? 学校に恩返ししたいからって理由で生徒会長やってるゼノヴィアに申し訳ないとか、そういう気持ちはねえのか?」
「――ゼノヴィア?」
いきなり出てきた名前に、一誠は反応した。
まるで知り合いか何かのような気安さが、今の言葉から感じられた。
「お前、ゼノヴィアとどういう関係なんだよ……」
「どうって……知り合いだよ」
「なんでお前とゼノヴィアが知り合いなんだよ!」
「別にいいだろ、同じ学校で同じ三年なんだから!」
段々面倒臭くなってきて、連也はそこで話を打ち切り、足早に去っていく。
「待て! まだ話は終わって、なぁっ!?」
追い掛けようとした一誠だったが、出来なかった。
連也の足取りはせいぜい急ぎ足といったところか。にも関わらず、彼の身体はグングンと遠くへ去っていく。移動スピードと足取りとの激しいギャップで、何とも異様な光景だった。周りの生徒たちは、しかしそんな不可思議な通行人を気にも止めない。
「な、何なんだアイツ……」
一誠は呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
◆
連也は移動スピードを歩調と同じレベルに落として、街中に出た。
コンビニでシュークリームを一個買い、そこからすぐ近くの公園のベンチに腰を下ろす。そしていざ食べようとした時――公衆トイレの屋根を越えて、一匹の猫が下りてきた。
連也は思わず固まってしまう。その猫は高い所からピョンと飛び降りたのではなく、フワリと滑空して来たのだ。その背中には、コウモリの羽が生えている。
猫は連也に気付いて振り向くと――、
「人間がいたのか、ぬかったぜ……!」
口許を歪ませて、男の声で人語を発した。
「まぁいい、ちょいと腹ごしらえさせてもらうか」
言うなり、小さな体躯が膨れ上がり、変形していく。頭に山羊のような捻れた角を生やした、身の丈四メートルはある巨体。全身をアルマジロに似た装甲で覆っている。
同時に、公園内の空気が張り詰めたものに変わっていた。空は青からおどろおどろしい紫に変色している。
「ぐへへ……周囲に結界を張り巡らせたからな。泣いても叫んでも、誰も助けになんて来やしねえぜ!」
「親切な解説ありがとう」
連也は動じる事なく返す。シュークリームをベンチの上に起き、立ち上がった。
「お礼に、面白いものを見せてやるよ。種も仕掛けもないぜ?」
パッと右手を開いて掲げ、それをズボンのポケットに突っ込む。
ゆっくりと引き抜かれた手には――柄巻きを施した木刀が握られていた!
「な、何だそりゃ……
怪物は一瞬たじろいだ。
はぐれ悪魔のジャンゴ。それが彼の名前だ。悪魔の棲む異世界『冥界』で罪を犯し、追っ手から逃げてきた先で異能力者に出会うとは思わなかった。しかし……、
「そんな棒っ切れが何だってんだ! ぶっ潰してやる!」
どんな能力や武器を持っていようと、使う前に倒してしまえば問題ない。ジャンゴは握り締めた右拳を振り上げて、連也の頭上に打ち下ろす!
しかし連也は、木刀をヒョイと上げて、その切っ先で、迫る剛拳を止めてしまった。
「何だと!?」
ジャンゴは驚き、拳を引こうとするが、離れない。右拳は木刀に接着剤でくっ付けられたかのように、全く離れない。
かと思えば、連也が木刀を横に軽く振っただけで、ジャンゴの巨体はボールか何かのように派手に投げ飛ばされてしまった。
「このガキ……何なんだよその棒っ切れは! やっぱり
「何の事かは知らないけど、こいつはただの木刀さ。先祖伝来の逸品ではあるけどね。俺のこの力は、訓練によって得たものだ」
「ふざけんな! テメェ等人間ごときが、鍛えたくらいでこんな力を使える訳がねえだろうが!」
「使えるんだよ。小さい頃からの積み重ねでね」
「ふざけんなぁぁあああ!」
ジャンゴは激昂した。ちっぽけな人間のガキに翻弄されるのが我慢ならず、怒りもあらわに連也に襲い掛かる。
「ふんっ!」
連也は両手で握った木刀を、鋭く突き出した。ジャンゴとの間にはまだ距離があったが、木刀から放たれた衝撃波が悪魔の腹にぶち当たり、突進を止めさせた。
「はぁっ!」
すかさず、虚空を下から上へと斬り上げる。木刀から白光がほとばしり、刃となってジャンゴの身体を正中線に沿って真っ二つに両断する!
斬割された身体が一瞬光ったかと思うと、黒い塵に分解されて、そのまま消滅した。
はぐれ悪魔の死と共に、空の色は元に戻った。結界が消えたのだ。
「悪く思うなよ……俺なんて放っといてさっさと逃げておけば良かったんだ」
連也は呟きながら、木刀の切っ先を制服の袖に入れて、そのまま押し込む。長さ一メートルはある木刀は袖の中にすっぽりと入り込んだが、袖は全く膨らんではいなかった。
どちらかといえば超能力に近いだろう。
ポケットから木刀を出したのは『
人間が持つ生体エネルギーである『気』を一定レベル以上にまで高めていくと、物理法則すら超越する霊的なエネルギー『念』へと変化する。
この『念』の力を、武道に応用して操る技……それが秋月連也の使う『念道』と呼ばれるものであった。
邪魔者を排除したところで、改めてスイーツタイムにしようと連也がベンチの方を向くと、そこには一匹のカラスが止まっていた。そしてシュークリームをくちばしにくわえて飛び去っていく。
「お、俺のシュークリームぅぅううううっ!」
捕まえようとする連也だったが、カラスはすぐに空の彼方へと消え去っていく。
「ふざけんな馬鹿ガラスぅぅううううっ! いつかとっ捕まえて唐揚げにして食ってやるからなぁぁぁあああああ!」
青空に向かって、連也は一人吠えるしかないのだった……。