イタリアのとある僻地にある葡萄畑。
その片隅の小さな一軒家。
ヴァスコ・ストラーダはそこにいた。
天界の監視を抜けて勝手に姿をくらました行為について、駒王町からその詳細を記した報告書が教会に送られた。
その報告書のおかげで、今回のストラーダの逐電に関してはほぼお咎め無しに近い処分となったのだ。
──もっとも、老人には何の喜びも安堵もなかった。
今は、午後八時を過ぎている。
窓の外には夜の
夕食と入浴を一時間前に済ませたストラーダは、机に向かい、書き物にいそしんでいた。
自分の剣術を自分なりに分析した、教本である。
ある程度書き貯めると、それをスキャナーに読み込ませ、パソコンに保存する。
紙媒体と電子媒体の両方で、後世に残しておくつもりだった。
「パソコンとは、何とも似つかわしくないものを……」
若い男の声がした。半分はからかっているが、もう半分は本気で驚いている──そんな声色だった。
ストラーダがおもむろに振り向けば、窓際に一人の男が立っている。背後の、閉めていたはずの窓は、開いていた。
学生服の上から、漢服を腰巻きのように巻き付けた、髪の黒い男だ。
曹操。
その名の通り、三国志の英雄『曹操孟徳』の血を引く男だ。
「年寄りを舐めてもらっては困る。新しい事を覚えるのに必要な時間だけは、たっぷりとあるのでな」
「これは失礼」
曹操は胸に手を当て、大袈裟な身振りで一礼した。
「それで、この老骨にどのようなご用向きだね?」
「特に何も──ちょっと世間話の相手が欲しかったのですよ。猊下は、お時間だけはたっぷりとあるようですし。日本旅行の土産話でもあればお聞かせ願いたく、推参つかまつった次第」
「君に話すような愉快な事など、何もなかったよ」
「はて、お弟子さんに会いに行ったと聞いてますが」
「うむ、会いに行った。倒しに行った。救いに行った──そして、何も出来ず、ただズタボロにされた。こうして今生きているのが不思議なくらいだ」
「あなたほどの勇者が、それほど一方的に負けたとは思えませんね」
お世辞ではなく、曹操の心からの言葉だった。
「負けたよ、負けた。真っ向からの力比べ、腕比べで、文句のつけようのない大敗を喫したのだ。さすがは、私の最高傑作だった……」
「しかし、その最高傑作もまた、敗れたのでしょう? 相手は赤龍帝ですか?」
「いや。彼等に協力していた民間人だ」
「──ほう」
曹操の声色が、かすかに変化した。
「君は、
「念道……極限まで高めた気は、物理法則をも超越した霊的なエネルギーに変化する。それを武道に応用した技術体系である……と、昔聞いた事があります」
「その念道を使う少年だよ。私の弟子を倒したのは……興味があるなら、会ってみるといい。彼は君と同じく、『受け継ぐ者』だ。それ故の強さがあり、また、それ故の苦悩もあろう。会えば、君にとっても何かしら得る物があるかも知れん」
「そうさせてもらいましょう。で、その念道使いの名は?」
「秋月連也」
「アキヅキ・レンヤ……」
曹操は口の中で名前を繰り返した。
「やはり足を運んだ甲斐がありました。面白い事を教えていただき、感謝いたします。ではこれにて失礼」
曹操は再度大袈裟な一礼をすると、窓から外へ出て、夜の闇に消えていった。
窓枠に残された靴跡を見ながらストラーダは、
(ドアから出入りしてほしかった……)
と思わずにはいられなかった……。
◆
とあるオープンカフェで、眼鏡を掛けた金髪の青年が、手にしたスマホの画面を眺めていた。
聖王剣『コールブランド』を所有する剣士、アーサー・ペンドラゴンである。
そこへ、別の男がやって来て、彼の前にコーヒーを置いた。
あの『西遊記』の孫悟空の子孫にあたる、美猴だ。アーサーの真向かいに座り、自分の分のコーヒーをズズッとすすると、アーサーに問い掛けた。
「さっきから何ニヤニヤしてんだ? エロ画像でも見てんのか?」
「いえ、妹からのメールをチェックしていたところです。駒王町で、ちょっとした祭りがあったようですね」
駒王町で起きたチームD×Dとオルランド眷属との戦いの顛末を纏めた、ルフェイからのメールを読んでいたのだ。
「あのオルランドが駒王町に現れて、そして敗れたとの事です」
「オルランドって、確かずっと前にお前が話してた聖剣使いだっけか。あのヴァスコ・ストラーダの弟子だったとかいう」
「ええ。彼は悪魔に転生し、さらに
アーサーはそう言って、小さな溜め息をついた。本当に残念そうに。
「お前も好きだねぇ……」
そんな仲間の様子に呆れつつも、美猴はグッと身を乗り出す。
「で? そいつをやっつけたのは誰なんだよ。赤龍帝か?」
「いいえ。ルフェイからのメールによると、D×Dに協力していた民間人だそうで」
「ほぉー、そんなスゲェーのがまだ野に潜んでたってのか?」
「そのようですね……なんでも、念道なる武術の使い手だとか」
「ねんどー? まだ残ってたのか?」
「おや、ご存知で?」
「昔じーさんから話を聞いた事があるだけだがな。自分が強くなる事しか頭にない偏屈の集まりだとか言ってたぜぃ?」
「偏屈という点に関しては、我々も他人の事はあまり言えませんがね──うん?」
横から不意にスマホを引ったくられて、アーサーが珍しく間の抜けた声を漏らした。
引ったくったのは、銀髪の少年だった。アーサーや美猴と同年代か、やや下に見える。
彼はスマホの画面をじっと覗き込んでいた。
十三の
「アキヅキ・レンヤ……か……」
ポツリとつぶやいた後、その口角がかすかに上がった。
◆
「うおっ!?」
昼休み。
秋月連也は弁当を食べている最中、突如背中に走ったゾワゾワとした感覚に、思わず変な声を上げた。
「どうした、連也」
同じ長机で弁当を食べていたゼノヴィアが、手を止めて声を掛ける。
「わ、わからん……何か、急に悪寒が……」
「風邪かい?」
「それなら、薬飲んで寝れば治るからまだマシなんだけどな……」
連也はそう言って、苦笑した。
二人は、室内の長方形に並べられた長机で昼食を取っていた。
ここは生徒会室である。他の役員たちは、それぞれ思い思いの場所で昼休みを過ごしている。
外国人犯罪者を逮捕したヒーローとしてマスコミに取り上げられてしまった連也は、学校でも注目の的となってしまったため、昼食も落ち着いて取れなくなってしまった。
そこへ、ゼノヴィアが生徒会室の使用を許したのである。
他の生徒会の面々も、異論はなかった。
そんな訳で、ここ数日はこの生徒会室が、連也の安らぎの場所になっていた。
同時に、修行の場所にもなっている。
弁当を食べ終わり、無言の『ご馳走さまでした』をすると、連也は立ち上がる。
その少し前に食べ終わっていたゼノヴィアが、尋ねる。
「今日もやるのか?」
「ああ、頼む」
「わかった」
ゼノヴィアはうなずくと、部屋の片隅で座禅を組む連也の背後に、膝立ちになった。
そして、両手で連也の頭頂部を押さえる。
連也は目を閉じて、体内の六つのチャクラを下から順に開放していった。
ゼノヴィアは押さえる手に、軽く力を込めた。
筋トレでも、鍛えたい部位を触ってもらう事で、その部分に意識を集中させる事が出来、効果が高まるという。
連也はそれをチャクラコントロールに適用させる事で、王冠のチャクラの再度の開放にチャレンジしているのだ。
未だに成功の兆しすら見えてこない。
やはり、
──偶然でも何でも、その歳で王冠のチャクラを開いたのは確かでしょ?
黒歌の言葉が、はからずも励みとなっていた。
彼女の言う通り、一度は開く事が出来たのは確かなのだ。もう一度出来ない理屈はあるまい。
かと言って王冠のチャクラにばかりかまけて他の事がおろそかになっては意味がないので、連也は昼休みの間、この生徒会室でゼノヴィアに手伝ってもらいながら練習するだけにとどめていた。
──そして、今日も徒労に終わった。
「ありがとさん」
連也は軽い口調で礼を言うと、立ち上がり、屈伸運動をやる。
ゼノヴィアは、自分の手を眺めていた。
「連也。本当に熱があるんじゃないか?」
「ん?」
「何だか、今日は手に熱を感じた。本当に風邪だったりしないか?」
ゼノヴィアは連也と向かい合うと、自分の前髪を手で掻き上げ、丸出しにした額を連也の額に重ねた。
意識せずとも呼吸が聞き取れるほどの至近距離に、女の子の顔がある。
ほんのわずかな身じろぎで、唇と唇が重なりそうだ。
ゼノヴィアの豊満な胸が、互いの着衣越しに連也の胸板に押し当てられている。
健全な男子高校生には、なかなか刺激的な状況であった。
(お、落ち着け……静まれ……!)
連也は己れにそう言い聞かせ、同時に、感情の力を司る中位のチャクラを開き、自身の劣情の高ぶりを抑制する。
そうでもしなければ、彼女の身体を力いっぱいに抱き締めてしまいかねなかった。
「ふむ、熱はないようだね……」
「ああ、実際何ともないしな」
離れたゼノヴィアに平然と答えつつ、連也は念道を授けてくれた亡き父に、胸の内で感謝するのだった……。
◆
放課後。
オカルト研究部がある旧校舎から、乾いた音が響いていた。木刀と木刀がぶつかり合う音だ。
連也が、木場祐斗と木刀で打ち合っているのである。
同じ剣士として、祐斗は連也の念道に興味があるらしい。手合わせを申し込んだら断られたので、『じゃあ僕の稽古の相手を務めてもらえないか?』と聞いたら、そういう事ならと了承してくれた。
祐斗の打ち込みは速く、鋭く、まるで稲妻だ。
それを連也は、涼しい顔で受け流していた。
たとえ一時的にでも、王冠のチャクラが開いた影響は確かにあるようだ。
連也の五感は鋭さを増し、集中力も高まっている。
祐斗もまだ本気ではないが、それでも彼の動きがゆっくりと、そして鮮明に見て取れた。
祐斗が、連也の顔めがけて、左右に激しく木刀を振る。見せ太刀──早い話が目眩ましのフェイントだ。
連也が一歩下がった隙に、フルスピードでその背後に回り込もうとした。
しかし回り込もうとして踏み出した一歩が地面に着く前に、突如身体が動かなくなった。不可視の力で、その場に縫い止められたかのようだった。
(これは、いったい……?)
連也が何かしたのか?
そう思って彼の方に目線をやると、彼の足が祐斗の影を踏んでいた。
しかし、おかしい。
影を踏めば、その踏んだ足に影が掛かるはずだ。
だが、連也の足には影が掛かってなかった。
「ほい、一本」
おどけた口調で、連也は祐斗の頭を木刀『飛龍』でコツンと軽く打った。
それから影を踏んでいた足を離すと、祐斗を束縛していた力が消えて、彼はたたらを踏んだ。
「参ったな……」
祐斗はぼやいた。
以前のストラーダと連也の試合を見た時も思ったが、まるで魔法だ。
おぼろげではあるが、念道の剣質は力や速さ、技巧にあるのではないのだと理解出来た。
思えば、公園で一誠に打ち込んだ抜き胴といい、ストラーダに使った技といい、物理的なスピードやパワーとはまったく別のものだった。
今日、実際に手合わせをして、祐斗はそれを確かめる事が出来た。
「ありがとう、秋月くん」
「まぁ、これくらいはお安い御用だ」
答えながら、連也は『飛龍』の切っ先を左の掌に当てて、押し込んだ。まるで手品のように、木刀は左手の中に消えた。
「……秋月くん。僕からも改めてお願いするよ。どうか君の念道を、僕たちに指導してくれないかな」
「断る」
連也は一ミリ秒の間も置かずに、答えた。
「グレモリー先輩にも兵藤にも同じ事言われたけどな。たとえお釈迦様が土下座してお願いしたって、答えは同じだ。
俺はまだ、他人様に教えられるレベルじゃない。
習った奴が、習った技を悪用しないと言う保証はないし、そんな事になったら責任が持てない。
だから俺は、誰にも念道を教えない」
「悪用、か……」
祐斗の脳裏に、一誠の顔が浮かんだ。
確かに彼なら悪用しかねないだろうと言う確信があり、自分でもちょっと哀しくなった。
「……君のその言い分はわかるよ。でも、今すぐという訳じゃない。君が念道を完成させた時でも構わない。僕たち悪魔は、半永久的に生きていられるからね」
「それでもお断りだ。念道は基本、一子相伝でな。俺の父さんには弟がいるんだけど、叔父さんは基本の基本を習った後、『才能がない』って事で修行はそこで終わったんだとさ」
「でも、君がその習わしに従う必要はないだろう? それじゃあ廃れていく一方じゃないか」
祐斗の声色が、かすかに暗くなった。
後継者を得られず、その伝統ある歴史に幕を下ろさざるを得なかった武術はたくさんある。
知ってからあまり時間は経ってないが、それでも、念道がそれ等の仲間入りをするのかと思うと、哀しくてたまらなかった。
「ま、しょーがないさ」
連也は軽く言って、肩をすくめる。
「こればっかりは、ラジオ体操みたいにみんなでイッチニーサンシとはいかないんだ……それに、念道は俺だけが受け継いでる訳じゃあない。秋月流念道剣は俺の代で終わっても、念道そのものはどこかで誰かが続けてくれてるはずさ」
そう言い捨てて、連也はズボンのポケットに手を突っ込み、去っていった。
◆
女子生徒から黄色い声を浴びせられながら学校を出た連也は、一人家路につく。
「連也」
その背中に呼び掛ける声があった。
連也が振り向くと、ゼノヴィアがいた。
「連也、一緒に帰ろう」
パタパタと駆け寄るなり、ゼノヴィアは彼の腕に自分の腕を絡め、しなだれかかってくる。
豊満な胸が、連也の腕をホールドした。
はぁ……。
連也は、疲れたように溜め息をついた。
「──何やってんですか、黒歌さん」
そう言われたゼノヴィアは、目をパチパチさせる。
「あれ? なんでわかったの?」
言いながら、ゼノヴィアの顔に霞が掛かり、それが解けると、黒歌の顔になった。
「この前抱きつかれた時と、感触が同じだったので」
「いやん♪ もうアタシの抱き心地覚えてくれたのね、嬉しい♪」
黒歌は自分の胸を更に押し付けながら、空いた手を連也の股間に這わせる。そしてその手を払いのけられた。
「そーいう意味じゃなくてですね」
「どんな意味でもいいわよ。ね、もっとアタシの
そう言って、片手で器用に自分の制服のシャツのボタンを外していくと、大きく前を開いた。
真っ白な二つの膨らみが、深い谷間を造り出している。
ブラジャーは、なかった。
「……あのですね。『あなたの身体が目当てです』って面と向かって言われると、男でも二の足踏んじゃうもんなんですよ」
「だってしょーがないでしょ、カラダ目当てなんだから……いいじゃない、カラダだけの関係。わかりやすいし、後腐れもないでしょ?」
言いながら、更にしつこく連也の股間に手を這わせようとする黒歌。
連也はその手を押さえて抵抗する。
と、その時──、
「フニャッ!?」
突如、金色に輝く鎖が伸びてきて、獲物を捕らえるアナコンダめいて黒歌の身体に巻き付いた。連也と密着しているにも関わらず、二人の間のほんのわずかな、有るか無いかの隙間を縫って。
「黒歌……私が生徒会長を務める駒王学園の制服を着て、天下の往来でソドムの市を開こうとはいい度胸だな」
現れたのは、本物のゼノヴィアだった。エクス・デュランダルの刀身を鎖に変化させたのだ。
「ニャハハ……お、お呼びじゃなかったみたいね……」
引きつった笑みを浮かべた黒歌は、ブルッと身震いすると、黒い子猫に化けて鎖の拘束から逃れ、そのまま逃走した。
「大丈夫か、連也」
「ああ、助かった……でもゼノヴィア、なんでここに?」
「今日は生徒会の仕事も早く終わったからね。またあのバッティングセンターに、一緒に行こうと思って」
「そういう事か……ま、生徒会長さんのお誘いを無下に断る訳にも行かないしな。お供するよ」
「ありがとう。じゃあ行こうか」
ゼノヴィアはニッコリと笑うと、エクス・デュランダルを異空間にしまい、連也と並んで歩き出した。