サイラオーグ・バアルは部屋の片隅に置かれた小さな机に、大柄な体を折るようにして着席していた。
机の上には書類の山があり、その一枚一枚に、彼は丁寧にスタンプを押していく。
スタンプはグレモリー家の紋章が刻まれていた。
先日ヴァーリ共々道路や壁に亀裂を走らせたペナルティとして、リアスに捺印の仕事を押し付けられたのだ。
鍛え上げた巨体を縮こまらせて、せっせとスタンプを押すその姿には、愛嬌と侘しさが同居していた。
チラリと横目で見やると、この労働を課した従姉妹の机には、より大量の書類が要塞の如くそびえている。あれでもかなり片付いた方らしい。
その書類の要塞の向こうで、リアス・グレモリーはスマホで誰かと話をしていた。
「……そう、それであなたの力を借りたいの。もちろんバイト代は弾むから、ね? ……ありがとう、それじゃあ明日の晩、お願いね。ゼノヴィアを迎えに行かせるから」
そこまで言うと、リアスは電話を切った。
「……電話の相手は、秋月連也か?」
サボると鞭が飛ぶので捺印する手は止めず、サイラオーグは尋ねた。
「ええ。はぐれ悪魔のシュベルトがこの近辺に逃げ込んで来たらしくて、討伐命令が下ったの」
リアスの返答に、サイラオーグの手が止まった。
「お前の言うシュベルトとは、あの『生まれながらの聖剣使い』か」
「そうよ。《
リアスは答えながらデスクの下から乗馬鞭を取り出す。サイラオーグは慌てて作業を再開した。
思い描いた聖剣を具現化させる
その力を以て成り上がろうと考えていたのだが、悪魔を殺す力を持つ悪魔である彼は、周囲から恐れられ、危険視された。
ついには領主である上級悪魔が自らやって来て彼を殺そうとしたため、抵抗。これを殺害。
以降、領主殺しの罪ではぐれ悪魔に認定され、追われる身となった男である。
「オルランド眷属のドルトーレも、純血悪魔でありながら《
「それで、秋月連也に加勢を頼んだという訳か」
「そういう事」
聖剣は物によって強弱に差はあれど、悪魔にとっては天敵である。どんなに弱い聖剣でも、かすり傷一つで大きなダメージとなる。
実際、兵藤一誠が紫藤イリナと決闘を行った時も、腹に受けた浅い一太刀で戦闘不能になっている。
悪魔にとって聖剣とは、それほどの物なのだ。
「でも、あの子を呼ぶのは、他にも三つの理由があるの」
「何だ?」
「一つ目はイッセーね。イッセーに連也くんの事を認めさせたいの。あの子ったら連也くんの事、妙に毛嫌いしてるんだもの。別に無理矢理仲良くしろと言うつもりはないけれど、嫌いだから何もかも認めないなんてダメよ。時には嫌いな人の力でも借りなくてはいけない事もある。相手の良いところや、自分にとって有益な部分は受け入れる。イッセーには、そういう事を学んでもらいたいの」
リアスは言いながら席を立ち、サイラオーグが捺印した書類の山を受け取る。
「それと、二つ目はもっと単純に、連也くんの援助がしたいだけ。可能な限り、あの子の助けになってあげたいのよ」
「惚れたか?」
バチッッ!!
サイラオーグの背中に、リアスの乗馬鞭が炸裂した。
「ふざけた事言ってると、ぶつわよ?」
──ぶつ前に言ってくれ、という至極真っ当な抗議は、あまりの痛さに出て来なかった。
「い、いいじゃないか……兵藤一誠とは違った魅力が、アイツにあるんだろう? 二人目の夫として迎えるのもありと思うがな……種族の違いなら、
「確かに連也くんの事は好きよ。でもそれは、祐斗やギャスパー、ミリキャスに対するのと同じ意味の好きなの」
「そうか……だが、それならそれで、眷属に迎え入れればいいだろう。
「無理よ」
リアスは肩をすくめた。
「何となくだけど……あの子は、きっと悪魔にはなりたがらないのではないかしら。念道は人間が生み出した、人間の技。連也くんはその念道を誇りに思い、念道に人生を捧げるつもりみたい……だからきっと、志半ばで倒れても、最期まで人間であろうとする……そんな気がするわ」
「そういうものか……」
「そういうものよ──ところで、次に勝手に手を休めたら剥ぐわよ?」
「は、剥ぐって、何をだ?」
いつの間にか止まっていた手を再びせっせと動かしながら、サイラオーグは尋ねる。
リアスは冷たい眼差しで答えた。
「
◆
上弦の月が、まるでこちらを見下ろす目のように見える夜だった。
兵藤一誠はイライラしていた。
はぐれ悪魔の討伐に、あのいけすかない秋月連也の力を借りるとリアスが言い出したからだ。
しかも主である自分の許可もなしに、ゼノヴィアを彼の迎えに行かせたからだ。
ゼノヴィアもゼノヴィアで、その命令に妙に素直に従うものだから、余計にイライラした。
集合場所は、はぐれ悪魔が潜伏している廃工場から少し離れた河川敷だ。ゼノヴィアの転移魔法陣で、ジャージ姿の秋月連也が彼女と一緒に現れた。
ゼノヴィアが連也の隣に立っているのも気に入らないが、逆隣に何故か黒歌がいて、腕まで組み、豊満な胸を押し付けているのを見て、一誠は怒鳴り散らしたくなった。
「こんばんは連也くん。今夜はよろしくね」
リアスがにこやかに語りかけ、連也もペコリとお辞儀で答える。
他の面々も、連也が来てくれて、どこか嬉しそうだ。その面子の中に、何故かサイラオーグもいた。
リアスが、連也に振り払われてもしつこくくっついてくる黒歌に尋ねた。
「ところで黒歌、どうしてあなたも?」
「だってぇ~、ダーリンが心配だしぃ~」
「誰がダーリンですか」
連也が言いながら、黒歌の尻尾を引っ張ると、黒歌は「ふぎゃっ!」と声を上げた。
「お揃いのようだな」
低い声が、響いた。橋の下だ。
一同が振り向くと、くたびれたマントを着た一人の男が立っていた。
焦げ茶色の短い髪で、年の頃は三十を少し過ぎたくらいか……もっとも、見た目は実際の年齢を知るのにはあまり参考にならない。
はぐれ悪魔にして、
「はぐれ悪魔シュベルトね。自分からノコノコとやって来るなんて、どういうつもりかしら。投降するつもりなら殊勝な心掛けね」
「
リアスに答えるシュベルトの右手から、白い光がほとばしった。
その光は形を変え、実体化する。
長さ30cmほどの柄に、左右に真っ直ぐ伸びた十字鍔。刀身は切っ先を備えた細身の両刃で、刃渡りは80cmほどか。
何の飾り気もない、簡素な作りの西洋剣である。
だが、その剣が現れた瞬間、連也を除く全員が怖気を震った。
「マジかよ……」
一誠が小さく呻いて、一歩後ずさった。心なしか、去年の夏に紫藤イリナに斬られた腹がうずく。
創造系の
《
だが、今シュベルトが目の前で創造した聖剣から感じる聖なる波動は、本物の聖剣と比べても何ら遜色のない物だった。事前情報がなければ、彼が本物の聖剣を取り出したのだとすら思っただろう。
祐斗が創造した聖剣の完成度を90くらいとすれば、シュベルトが創造した聖剣は99……いや、ひょっとすると100にまで達しているかも知れない。
シュベルトは聖剣を正眼に構えた。
「全員で来るか? それとも一人ずつか?」
「俺が」
連也が前に出た。
背中の襟口に右手を差し込み、引き抜くと、柄巻きを施した木刀『飛龍』が現れる。
破邪の念が高まり、白い光を放つ木刀を、連也もまた正眼に構えた。
──途端に、シュベルトが間合いを詰めて、鋭い突きを打った。
連也、これをサイドステップでかわす。
それを回し打ちの連撃が追い掛けた。
シュベルトの攻撃は鋭く、速い。連続攻撃のバリエーションも多く、
連也はそれを、文字通りの紙一重でかわしていた。端から見ているアーシアが、何度も『斬られた』と思って声を漏らすほどである。
不意に、連也の眉間に光点が灯った。
それは光輪となって回転しながら、輝きを強めていく。
霊的な力を司るチャクラを開放したのだ。
「虚仮脅しを!」
シュベルトは聖剣を下から斬り上げた。
バックステップでかわした連也の頬をかすめて、その聖剣が飛んでいった。すっぽ抜けたのではない。相手に向かって飛んでいくよう、わざと手放したのだ。
空になった両手には、すでに新たな聖剣が創造されて、握られていた。それをシュベルトは渾身の力で打ち下ろした。
これに対し連也、前に踏み込みつつ身を沈め、シュベルトの懐に飛び込んだ!
木刀が腹部に柄まで突き刺さる!
しかし、背中から飛び出るはずの切っ先は、全く顔を覗かせなかった。
一瞬の静寂。
連也が木刀を引き抜くと、シュベルトがゆっくりとその場に倒れた。
聖剣は二本とも、粒子状に分解されて消滅した。
「終わりました」
立ち上がった連也が、木刀を背中にしまいつつ言った。
アーシアが駆け寄り、シュベルトの傷の具合を見たが、そもそも傷などついてなかった。思わず安堵の息が漏れた。
次いで連也の方を振り向く。
「連也さんは、お怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫」
答える連也の声は、決闘の直後とは思えないくらいのんびりしていた。
そこへリアスがやって来る。
「お疲れ様。お見事ね、連也くん」
「ドーモ」
「だけど、どうして彼を殺さなかったの? あなたの力なら簡単なはずよ?」
「あれ? 殺しちゃまずいから、俺を呼んだんじゃないんですか?」
連也は小首を傾げた。
「あら、そんな事言ったかしら」
「言ってませんけど、殺してもいいんなら、先輩たちならいくらでもやりようはあるでしょ。それじゃまずいから、俺にやらせたんだと思ってましたよ」
その言葉に、リアスは満足げに微笑んだ。
生け捕りを厳命された訳ではない。
しかしシュベルトは、持って生まれた望んでもいない能力ゆえに迫害され、ただ己れを守ろうとした結果追われる身となった。
持って生まれた
無論、罪は罪として償わなくてはならないが、命を奪うほどではないとも思っていた。
連也を呼んだ理由の三つ目が、これであった。
「あー、ちなみにそいつの『セークリッドギヤー』ってやつ、一週間くらいは使えなくしてありますんで」
「……そんな事も出来るの?」
「みたいですね」
どこか他人事のような、呑気な返事であった。
王冠のチャクラは依然として開けないが、念の威力は日に日に高まり、しかしそのコントロールも比例して精度が上がっていく。悪魔を殺さず、その異能だけを封じるのも可能なほどに。
連也は、己れの確かな進歩を感じ取っていた……。
◆
一同はその場で解散した。
リアスは拘束したシュベルトを魔王庁へ引き渡しに行き、朱乃と祐斗がお供をした。
駒王町を共同管理する立場上、一誠もレイヴェルを連れて同行する。
他の者はロスヴァイセの転移魔法陣で、兵藤邸へと移動した。
連也は──夜風に当たりたくなったので、歩いて帰る事にした。
ゼノヴィアがそれに付き添った。
二人は肩を並べて、川沿いの夜道を歩く。
「今夜はありがとう、連也。私からも改めて礼を言わせてもらうよ」
「気にするなよ。困った時はお互い様だろ」
「そうか。それなら君も、困った事があったらいつでも我々を頼ってくれ。リアス様は君の事を好ましく思っているし、私だってそうだ。私に出来る事やしてほしい事があったら、何でも言ってくれ。君の頼みとあらば、何でもするぞ」
「……んー、じゃあその時が来たら、甘えさせてもらうかな」
ゼノヴィアが発した『何でもする』の一言に一瞬うずいた下心を抑え付け、連也は軽い口調で返した。
二人の足が同時に止まった。
前方に大きな人影がそびえ立っていた。
サイラオーグである。
「あれ? どうしました?」
「何か忘れ物か?」
「いや。秋月連也、お前を待っていた」
「俺?」
連也は自分を指差して、聞き返す。
「うむ。やはり、自分に嘘はつけん。この気持ちを抑えるなど、到底出来ん」
サイラオーグはおもむろに、ズボンが汚れるのも構わずその場に正座をした。
「これがこの国での最大の礼儀だと聞いた」
そして、両手を地面につける。
「秋月連也殿。どうか一手、お手合わせをお願いしたい」
サイラオーグはそう言って、深々と頭を下げた。
「どういうつもりだ」
問い詰めたのはゼノヴィアである。
「わかっている。彼が今、俺たち悪魔の一方的な事情で大変な状況なのは、俺も大いに理解している。リアスにも散々説教されたからな……だが今も言ったように、自分に嘘はつけん。先程のシュベルトとの戦いを見て、この想いはますます強くなり、もう抑える事など出来ん……この気持ち、まさしく愛だッッ!!」
「勢いだけで喋るの、やめた方がいいですよ」
冷静に言いつつも、連也は三歩後ずさった。
冷静に突っ込まれて、サイラオーグもちょっぴり恥ずかしくなって、それを誤魔化すように立ち上がった。
「おかしな事を言ってすまない。だが、俺は真剣だ。
秋月連也。リアスから聞いたが、お前の使う念道というのは、大元は“気”にあるのだろう?」
「ええ」
「俺もまた、根元を同じくする力“闘気”を操る。“念”と呼ばれる力、それを操る念道、どれほどのものなのか、後学のためにも是非確かめたいのだ。この身で」
サイラオーグは自分の胸に手を当てた後、グッと握り拳を突き出した。
「そして、この拳で」
「…………」
連也は溜め息をついた。
頭をガシガシと掻く。
「そこまで熱烈なラブコール送られたら、断りづらいなぁ……」
「では」
「今度の日曜日にでも。場所はそっちで都合つけてもらえます?」
「了解した。感謝する」
サイラオーグは嬉しそうに言うと、握手を求めた。
連也がそれに応じる。
やはり、大きな手をしていると感じた。