秋月連也は公園に一人立っていた。時間は朝の八時。
ただし平日の、である。
にも関わらず、連也は制服姿ではなかった。トレーナーとジーパン姿だ。
ここ
連也は公衆トイレを見上げた。ジャンゴは猫の姿でそこから下りてきたのだ。
軽く屈んでジャンプすると、少年の体はフワリと宙に浮き、五メートルは離れた公衆トイレの屋根の上に着地した。そして額に手をかざして、遠くを見回す。
彼の体内で練り上げられた『念』によって、視覚は物理的にも霊的にも強化される。視界に、ジャンゴの妖気の痕跡が点々と映し出された。
それを伝って、連也は建物の屋根から屋根へと跳び移って行く。『念』によって、自分の姿を万が一誰かに見られても、その誰かには認識出来ないようにしておいた。
学校には「自動車学校に行く」と連絡してある。実際自動車学校に通ってるし、もしも用事が早く済むようならば本当に行くつもりだ。
連也が学校をずる休みするほどのその『用事』とは、ジャンゴがどこから来たのかを調べる事だった。
出会い頭に人間に襲い掛かってきた狂暴な怪物。そんな者がどこから来たのか。別の土地なり異世界なりから来たのだとしたら、その侵入ルートを潰しておかなくてはなるまい。同じような狂暴な怪物が、そのルートから駒王町に侵入する前に。そして自分以外の誰かが被害に遭う前に。
(まったく、面倒な町に来たもんだ……)
連也は胸の奥でぼやく。
十四歳の時に念道の師である父が病死し、叔父夫婦に引き取られる形でこの駒王町にやって来たのだ。
しかしこの町は、思いの外物騒だった。時々、昨日のような怪物が現れるのだ。
遭遇する度に念道の力と技で撃退するのは、いい修行になる。
しかし、他の人間はそうはいかない。だからこうして、ルート潰しに勤しんでいる。
住宅街の民家の屋根で、連也は足を止めた。右手の民家のベランダに、女性物の下着が干されてある。やけに大きなサイズのブラジャーだ。Gカップ以上はあるだろう。しかし、連也の視線の先はそこではない。その民家のベランダの更に上、太陽発電のパネルのある瓦屋根だ。そこに、血の痕を見付けた。
跳び移り、調べる。血痕の横に、動物の毛も散らばっていた。形からして猫の物と思しき、動物の足も。
連也の眉間に皺が寄った。
◆
ここにもう一人、学校を休んでいる者がいる。
駒王学園高等部を卒業して大学に進学した、リアス・グレモリーだ。
住まいである兵藤邸の自室。そこで机の上に駒王町の地図を広げていた。そして赤マジックで、地図のあちこちに丸を付けていく。それはここ三年間で、討伐予定だったはぐれ悪魔の生命反応が消えた地点だった。
強靭な生命力を持つ悪魔が、出会い頭の事故で死ぬとは考えられない。恐らくは何者かによって倒されたのだろう。しかし自分たち以外に、この駒王町で悪魔と戦える者がいるという情報は入ってはいない。
――否。
一人だけ、心当たりがある事はある。
しかし、魔法少女コスチュームに押し込まれた筋肉の塊のような偉容を思い出すと、なるべくなら
「……なるほど」
マークは十をわずかに越える程度だったが、やってみた甲斐はあった。全てのマークが例外なく、ある区画に集中している。
謎の悪魔ハンターはその区画内か、そうでなくともその近辺に住んでいるはずだ。
そして、こうも一区画内に集中しているところを見ると、その討伐者は案外襲われたところを迎撃しているだけで、自分から悪魔狩りに勤しんでいるのではないかも知れない。
「今夜辺り、調べてみようかしら」
ポツリと呟いたところで、机の隅に置いていた携帯電話が鳴った。
相手は、グレモリー家のメイドでありリアスの義姉グレイフィア・ルキフグスだ。
話の内容は、近々討伐命令が下る予定だったはぐれ悪魔ジャンゴが、町内に侵入して間もなく生命反応をロストさせたという報告だった。
「そのロストした場所はわかる? ……
地図上のマークが、また一つ増えた。やはり同区画内だ。
『それと、もう一つご報告が』
「なぁに?」
『はぐれ悪魔ジャンゴは、他のはぐれ悪魔たちと徒党を組んで行動していました。彼等もまた、駒王町に侵入しているものと思われます。つい先程、その者たちの討伐命令が下りました事、ここにご報告いたします』
「ありがとうグレイフィア。ではグレモリー家の名において、速やかに実行します」
『今の皆様方に勝てる者などそうはいないでしょうが、それでもどうかお気をつけて。それでは、失礼いたします』
グレイフィアはそう言って電話を切った。
リアスは眷属全員の携帯電話に、今夜はぐれ悪魔の討伐に向かう旨をメールで送った。
◆
夕焼けで町並みが朱色に染まる頃、連也は屋根ではなく地上の道を普通に歩いていた。
昼過ぎになって、町外れの森の中で、彼の『念』はわずかな空間の歪みを探知した。しかしその歪みは発見してすぐに消えてしまった。
この事から、恐らくは別の場所から転送魔法のようなもので移動してきたのだろうと判断する。その魔法の痕跡すら消えてしまったのでは、連也一人でのこれ以上の探索は無理だ。諦めるしかなかった。
(しゃーない。後は管理人に任せるしかないよな……)
連也がこの町に来てから感じた事の一つが、『この町全体を管理している何者かがいる』という事だった。
今までに倒した怪物たちは誰かに追われていたらしく、中にはハッキリと「冥界からの追手か!?」と問い掛ける者もいた。
冥界と言うと死者の行く所という認識なのだが、どうやらあの手の怪物の住み処でもあるようだ。
連也は、駒王町に現れた怪物の全てを自分一人で倒してきたとは思ってない。にも関わらず被害が少ない。新聞やテレビのニュース番組に注目しても、殺人事件はおろか行方不明者の報すらほとんどないのだ。恐らく、自分以外にもあの手の怪物を退治している者がいるのだろう。
他にも根拠はある。
去年の夏頃から、町全体を覆うエネルギーの存在を感じるのだ。
それと前後して、近所の空き地に夜が明けたら家が建っていて、住人が以前からそこにいたかのように普通に生活していたりなどという事もあった。
顔も名前も知らないが、相当な、そして色々な力を持っているのだろう。
あとはその管理人に任せるしかない。
そう結論付けての帰宅だった。
春になったとはいえ、まだ日は短く、あっという間に辺りが暗くなっていく。
「あー、秋月くーん!」
考え事をしていたら、不意に声を掛けられた。
振り向くと、前髪をヘアバンドで留めて、額を丸出しにした少女がいた。
その傍らに、髪を赤いリボンでツインテールにした少女もいる。
どちらも駒王学園の制服を着ていた。
声を掛けてきた、額を丸出しにした方が片瀬。もう一人が村山。二人とも連也のクラスメートである。
「よう、今帰りか?」
「うん。秋月くん、今日は休んでたみたいだったけど、どうしたの?」
「朝から自動車学校行ってた」
「そうなんだ」
「ねぇ、途中まで一緒に帰ろうよ」
村山がそう言った。
探索を諦めたとはいえ、それでも昨日の今日だ。二人の身を案じて、連也はその誘いに応じた。
道すがらのお喋りは、主に片瀬と村山の、一誠たち三人組への愚痴だった。一年生の時から悩まされていたらしい。
「ホンッットに最低よアイツ等! 片瀬の綺麗な足があの変態どもの汚い目線で汚されてるのかと思うと腹立つったらありゃしない!」
「いくら村山の胸が大きくて綺麗で柔らかくて揉み心地最高だからって、ジロジロいやらしい目で見ていい訳じゃないんだから!」
「私たち、去年はアイツ等と同じクラスだったんだけどさ、普通同じクラスの子の着替えとか覗いたりする!? アイツ等罪悪感とか全然ないのよね! 片瀬の生足は私のものなのに!」
「兵藤なんて普段から村山の胸をジロジロ見てたのよ!? 信じられない! 私だけのおっぱいなのに!」
……愚痴の中身がだんだん不穏なものになり始めてきた。これ以上一緒にいると、聞いてはいけない事まで聞いてしまいそうで、さてどうしたものかと連也が思案し始めた頃、一同は遊歩道のある大きな公園に差し掛かった。
村山と片瀬は、この公園を突っ切るつもりらしい。しかし連也の家は別方向なので、ここで別れる事となった。
「じゃあね秋月くん」
「また明日ねー」
二人の少女は仲良く手を振って、外灯で煌々と照らされた遊歩道を歩いていく。
「ああ、また明日な」
連也も手を振り返すと、自宅の方へと歩き出した。
しかし、少しも歩かない内に、額に稲妻が走るような感覚に襲われた。念道修行によって身に付いた第六感の発動である。
連也は同級生を追って、公園へと掛けていった――。
◆
その頃、片瀬と村山は手を繋いで遊歩道を歩いていた。この道だけでなく、公園を抜けた先も外灯で明るくなっている。それに自分たちは部活帰りで竹刀も持っている。夜道を歩く事への恐怖はなかった。
だが、行き先を照らしてくれていた外灯の明かりが、不意に瞬き始めた。等間隔に設置された外灯全てが、だ。
後ろを向くと、後方の外灯も同様だった。一本二本ならともかく、十本以上の外灯が同時に寿命を迎えたりするものだろうか?
戸惑う内に、外灯は全て消えてしまい、周囲は闇に包まれた。
「何? 何?」
「やだ、どうなってるのよ……」
さっきまでの楽観的な気持ちまで、明かりと共に消え去った。二人の少女は互いを庇うように寄り添い合った。
辺りに霧が立ち込めてくる。赤紫色の霧が。
その霧に触れられた瞬間、片瀬の制服が、濡れたティッシュペーパーのように溶け始めた!
村山の制服も同様だ。
なす術もなく、制服も下着も溶け落ちて、二人は文字通り丸裸にされてしまった。
しかし、悲鳴はあげなかった。叫ぶ余裕すら、少女たちの心からは消えている。互いの裸身を隠すように、ただ抱き合って震えるだけ。
そんな二人の前に、三日月のかすかな月明かりの中、不気味な影が浮かび上がった。
四本の腕を持ち、胸元に生えたフジツボのような器官から、二人の衣服を溶かしたあの霧が噴射されていた。
「ふへへ……一度に二人か。なかなか可愛いじゃねえか……」
その化け物は、口からヨダレと一緒に人語を発した。蛙を思わせるギョロついた両目が、淫らな欲望でギラギラと輝いている。
「さぁて、どっちから味わうか……こっちだな!」
化け物は村山の肩を掴んで、片瀬から引き剥がす。そして二本の腕で少女の両手を封じ、もう二本の腕で丸出しにされた豊かな膨らみを、乱暴に揉み始めた。指がグニグニと食い込んで、引きちぎらんばかりの勢いだ。
「い、痛い! やめて、離して!」
「村山!」
片瀬は友人の危機に、自分が裸である事も忘れて、袋に入れたままの竹刀で化け物に打ち掛かった。
脳天に叩き込まれた健気な一撃は、しかし通用しなかった。袋が不自然なほど曲がって、中で竹刀が折れたのがわかった。
だが、この化け物には通じなかった。ただ、怒りを誘っただけだったのだ。
「慌てんじゃねえよ。後でテメェも可愛がってやらぁ!」
怒声と共に、片瀬は頬を張られて倒れる。一発のビンタで、脳震盪を起こして気を失った。
邪魔者を黙らせて、化け物――はぐれ悪魔のミドラは改めて村山の身体を弄び始めた。
強引に顔を向けさせて唇を吸おうとした時、闇の向こうから駆け寄る影を捉える。悪魔の視力で、それが木刀を持った少年であるとわかった。
「近付くんじゃねえぞクソガキ! こいつがどうなっ、て――!?」
村山を盾にした瞬間、少年は既に彼女を挟んですぐ正面にまで近付いていた。
そして木刀を迷わず村山の腹に突き入れる!
「ぐふぉあっ!?」
しかし声と共に息を吐き出して吹っ飛んだのはミドラ!
少年の木刀は村山の身体の数ミリ手前で消失し、背中側から現れて悪魔の腹に強烈な刺突をめり込ませていた!
化け物の拘束から解放されて倒れる村山の裸体を、連也は優しく抱き止めた。
少女は恐怖と恥辱に耐えきれず、既に気を失っている。
「……やってくれたな」
小さな呟きには、鋼鉄のような暗く冷たいものが込められていた。
「懺悔でもしとけ。お前の抜け出てきた地獄に、俺が送り返してやる……!」
「ほざけクソガキぃ!」
ミドラの胸のフジツボから、霧ではなく火炎が噴射される。
連也は村山を地面に横たわらせると、迫り来る炎に木刀をかざした。
火炎の熱と勢いは、木刀を容易く消し炭に出来るほどだ。しかし見よ、木刀は焼き尽くされるどころか、まるで綿飴のように炎をその刀身に絡め捕ってしまった! そして連也の一振りで、球状に絡め捕られた炎はミドラ目掛けて飛んでいき、直撃した。
爆発が起き、ミドラは更に後ろへと吹っ飛ぶ。
起き上がった時には、その顔には恐怖の色だけが浮かんでいた。
「な、何なんだ……何なんだよその木刀は……ま、まさか
人質の身体を避けて攻撃し、炎を撃ち返す不可思議な道具に、戦慄を覚えていた。
ミドラは背中を向けて逃げ出す。なけなしのプライドもかなぐり捨てて、己れの身の安全だけを考えて。
連也は木刀をゆっくりと振り上げた。敵との間合いは広がる一方だが、焦りはない。
「――はぁっ!」
気合いと共に、大上段からの木刀を一閃させる。
少年の体内で練りに練られた『念』が木刀からほとばしった。
それは刃とならず、白い光の柱となって、ミドラの脳天に落雷のように炸裂、頭部を胴体に半分以上もめり込ませた。
打撃と共に、悪魔の体内に破邪の『念』が隅々にまで浸透し、爆発するような勢いで黒い塵へと分解し、消滅させた。
同時に、消えていた外灯が全て再点灯する。
照らし出された二人の少女の裸体を、連也はすぐに調べた。と言っても、直接触れる必要はない。手から放つ『念』で、少女たちの肉体が汚されてはいない事がわかった。片瀬が倒れた拍子にいくつかの擦り傷をこしらえた程度である。
安堵の息を漏らした連也だったが、複数の気配を察知して、すぐに臨戦態勢を取る。
彼が一方的に知っている顔が、いくつかあった。
去年まで『二大お姉様』と呼ばれて慕われていた、二人の元上級生。
女子の話題を常に独占している金髪の美少年。
マスコットキャラ的な人気を誇る銀髪の小柄な少女。
その中に、最近ちょっと気になり始めている青髪の女の子がいた。
さっきまで同級生の愚痴の対象になっていた少年もいた。
その少年、兵藤一誠の視線は、倒れて気を失ったままの二人の少女に注がれていた。
去年まで同じクラスだった少女たち。そのあられもない姿に、一誠の顔が憤怒に歪んだ。
「テメェ……よくも……!」
一誠の左手に、真っ赤に輝く籠手が現れた。その籠手から放たれる閃光に包まれて、一誠は全身を装甲で瞬時に覆い尽くす。そして背中から噴炎を上げて、連也目掛けて飛翔した。
「よくも村山と片瀬をぉぉおおおっ!」
怒りに任せて繰り出される左ストレート!
それはむなしく空を切った。
かわし様に放った連也の抜き胴が、一誠の腹部にめり込む。
「がはっ……!」
体内を駆け巡る、熱を伴う衝撃。
一誠はそのまま意識を失い、脆くも地面に崩れ落ちた。