カッ
カッ
早朝の河原に、乾いた音が不規則に響く。硬い木と木がぶつかり合う音だ。
見れば二つの影が交差している。一方は手に柄巻きを施した木刀を持っていた。もう一方は2メートル近い長さの棒を手にしている。その棒は先端から30cmの辺りに黒いビニールテープを巻き付けてある。そのテープで区切った先が槍の穂先に当たる。河原に響く音は、この木刀と槍がぶつかり合う音であった。
秋月連也と曹操である。
早朝とはいえ、もう7月になっている。連也は灰色の半袖シャツとジャージのズボン。曹操は黒で統一したタンクトップとカンフーパンツ。どちらも動きやすく、かつ涼しげな服装だった。
連也は曹操の槍捌きに舌を巻く思いだった。
突き。
薙ぎ払い。
打ち下ろし。
振り上げ。
どの方向からの攻撃も鋭く、文句のつけようのない速さと重さがある。
技の織り交ぜ方も巧みで、パターンも豊富だ。
特に驚くのが、薙ぎ払いの軌道である。普通は長柄物を振るう時、穂先の動きは弧を描いてしまう。しかし曹操の薙ぎ払いは、穂先が一直線に飛んでくる。力任せの攻撃ではなく、体移動も用いて、最短距離で迫ってくる。
加えて、中国武術独特のダイナミックな体捌きも加わって、次の動作を読みにくい。
更には、この軽妙にして正確な槍捌きを、隻眼の男がやっているという事実に、驚いていた。
隻眼では距離感が掴みづらくなるという。殴り合いや取っ組み合いの距離ならばさしたる問題もなかろうが、得物を取っての打ち合いではそうもいくまい。にも関わらず、曹操は常にこちらとの距離を正確に把握している。それだけ実戦経験を積み、槍の間合いを体に覚え込ませてきたのだろう。この男、ひょっとしたら盲目でも同じように戦えるのではないだろうか。
得物の違いはあれど、純粋な技術と言う点では、木場よりも上かも知れないと感じる。
曹操も連也の剣技に感心していた。
リーチで劣る剣が槍と相対すれば、まずはその攻撃を打ち払い、その隙に間合いを詰めようとするものだ。だがそのために、飛んできた槍を強く打ち払えば、その反動を利した薙ぎ払いで反撃される。
しかし連也は強く打ったりはせず、槍の勢いを削ぐだけにとどめていた。そして一歩ずつではあるが、ジリジリと間を詰めていく。
一撃で相手を挽き肉にも消し炭にも出来る異形異類と戦う事を目的としている曹操からすれば、こういう堅実な試合運びは好ましいスタイルだった。
曹操が連也の腹部目掛けて、槍を突いた。
連也、その突きを木刀で押さえつつ、半身になってかわす。
そのまま踏み込んで、ついに木刀の届く距離にまで近づいた。
すかさず繰り出される面打ち。
対して曹操、引いた槍を頭上に掲げて受け止めると、槍を翻して連也の木刀を押さえつけた。
──動かない。
両者、木石と化したかの如く、動かない。
互いに、重なっている得物を通して、相手の息遣いを、重心を、気配を、動きを、読み合っていた。
同時に、相手に読まれないように、己の気配を、意を、消している。
静寂が辺りを包み込み、数秒……連也が不意に、曹操に背を向けた。
体を回転させて、押さえ込まれていた木刀を槍から外して、勢いそのままに曹操の首筋を狙った片手打ち。
曹操もまた、連也の脇腹目掛けて、槍での薙ぎ払い。
そして、両者の攻撃は同時に、相手に触れる寸前で止められた。
「危ない危ない」
曹操が呑気な口調でつぶやき、笑った。
「止めなかったら、首を落とされていたな」
「俺の方こそ、止めなかったら真っ二つにされてました」
「では引き分けかな」
「そういう事にしといてくれると助かります」
「ならそうしようか」
曹操はそう言って、一歩下がった。
そして二人は、互いに礼をした。
男同士のやり取りを、少し離れた場所に設置されたベンチの上で、一匹の黒猫が退屈そうに眺めていた。
黒猫は大きく伸びをすると、ベンチから飛び降りてトコトコと歩き去る。
その尻尾は二股に分かれていた。
◆
普段曹操が兵藤邸で何をしているかというと、家事手伝いである。ゴミ出し、庭の草むしり、掃除や洗濯などだ。最初は申し訳なく思っていた静江も、『
そして、それ以外の空いた時間は、主に槍術の鍛練に費やしている。
今も黒のタンクトップとカンフーパンツ姿で庭に出て、槍術の型を繰り返し演じていた。
肌にしっとりと汗の粒が浮かぶ頃、一旦休憩に入った。タオルで汗を吹きながら、庭に設えてあるベンチに腰を下ろすと、傍らの木の上に向かって言った。
「出てこい、どら猫」
「誰がどら猫よ」
声がして、一匹の黒猫が枝から飛び降りた。
飛び降りながら宙でクルリと一回転すると、黒い着物を着崩した女の姿に変わる。
黒歌であった。
「店子の身の上でありながら手伝いもせずタダ飯を食う君が、どら猫でないなら何だと言うんだ。家計を圧迫せずに幸運を呼ぶだけ、招き猫の方がまだ価値があるぞ」
「喧嘩なら買うわよ?」
「おや、売ってるのは君の方じゃあないのか? ここ最近、俺にキツい眼差しを送っているじゃないか」
「そりゃあね。私のダーリンに付きまとう泥棒猫を警戒するなって方が無理でしょ」
「それは杞憂というものだ。俺は別に、彼をどうこうしようという訳じゃあない」
「ホントに? 英雄派に引き入れようとか思わない訳?」
「来てくれれば嬉しいが、それは彼の決める事だ。俺がどうこう言える問題じゃない。俺自身は、彼のそばでその
「それよ、そ・れ!」
黒歌が曹操を指差して言った。
「それとは、どれの事だ?」
「アンタが謦咳に接するとか、そんなしおらしい事言うのがキモいのよ。ホントは別に、何か企みがあるんじゃないの?」
「特に、何も──強いて言うなら、彼を通して、もう一度見つめ直したいのさ。人間の可能性をね」
「はぁ?」
曹操の言わんとする事が本当に理解出来ないらしく、黒歌はすっとんきょうな声を上げる。
「君も知っているだろう? 俺は一度、兵藤一誠に敗れた。移植したメデューサの眼にサマエルの血を撃ち込まれてね……そして俺は、愚かにもその敗北の理由を、自分が人間だったからだと考えてしまった」
「違うの?」
黒歌は首を傾げた。
サマエルの血には、転生悪魔の一誠ですら耐えられなかったのだ。肉体的には脆弱な、ただの人間でしかない曹操がくらえば、尚更である。
「全然違う」
曹操の声音に、力がこもった。
「俺が負けたのは、人間の力がどこまで通じるかという己の目的を見失い、目先の勝利にとらわれた弱さ故だ。人間であるが故の強さを忘れ、上辺だけの力を求めてしまったからだ──槍も、兵藤一誠を選んだのではなく、俺にその事を教えたかっただけなのかも知れないな」
最後の言葉は、黒歌には何の事かわからなかった。
「で、それがダーリンと何の関係がある訳?」
「俺は、怖いんだよ。もう一度兵藤一誠と戦う事が。こちらが十全な対策を取っても、土壇場で十一、十二の力を引き出し、訳のわからないおかしな奇跡を起こされる。雪辱を果たしたいという気持ちもあるが、結局奴の理不尽な力でまた敗北するんじゃないかと思うと、やはり恐ろしい」
「心をバキバキに折られちゃったって訳ね」
「バキバキどころかバッキバキだ」
──曹操は、冗談なのかそうでないのか判断に困る返答をした。
「だからね、秋月連也と共にいる事で、もう一度人間の可能性を見つめ直したいのさ。人間とはこんなにも凄い力を持っている、人間とは素晴らしい、そう思える事が出来れば、少しは何か変われるんじゃないかと思ってね。それだけさ」
曹操は立ち上がり、稽古を再開する。
黒歌はその姿をしばらくの間、唇を尖らせて不信げに見つめていたが、その後、結局どこかへ立ち去った。
◆
カッ
カッ
放課後の駒王学園旧校舎の裏庭で、木刀と木刀のぶつかり合う乾いた音が響く。
秋月連也と木場祐斗が稽古をしていた。
今は祐斗が仕掛ける側で、連也が受ける側である。
面と見せ掛けての小手、胴と見せ掛けての面、かと思えば面打ちの連続など、多彩な攻撃を高速で繰り出す。
連也はそれらを時に受け、時にいなしして、よく防いだ。
それが終わると攻守を入れ換え、今度は連也が攻める。
祐斗のようなスピードは望むべくもないが、予備動作を完全に消し去った打ち込みは、祐斗からすればいつの間にか攻撃が始まっているため、読みづらい。構えを見ればどんな攻撃が来るかは予測出来るが、その攻撃のタイミングが掴めないのだ。気が付くと木刀『飛龍』が面に、小手に、胴にと迫っている。
同じ
稽古を終えると、連也は祐斗に礼を言って去っていく。祐斗も礼を言い、その背中を見送った。
その一部始終を、兵藤一誠は部室の窓から面白くなさそうに眺めていた。
二人の動きを見て、改めて『才能』という言葉の重みを感じてしまった。
ヴァーリや曹操もだが、自分より遥かに少ない練習量で自分より遥かに早く上達していく。
その事実を悔しく思い、越えられない壁を感じて、時には挫けそうになる。
今もそうだった。
しかし不意に、サイラオーグの顔が脳裏をよぎる。才能のなさを極限の努力と不撓不屈の信念で補う男。
自分もまた、同じだ。己に足りないものがあると感じれば、貪欲にあらゆる視点から強さを探った。その結果として、今の自分がある。何も落ち込む事はない。歩き続ける亀は、ウサギだって追い越せるのだから。
(──でもなぁ)
それはそれとして、やはり彼等の才能を羨ましく思うのも、また事実であった……。
「どうしたんですか、イッセーさん」
背後のソファからアーシアが話し掛けてきた。
テーブルを挟んで向かい側では、小猫がドーナツをモグモグと食べている。
「ん? ああ、いや、何でもない」
「祐斗先輩と連也先輩の稽古を見てましたね」
小猫がドーナツをモグモグと食べながら言った。
「それで才能の違いを実感して落ち込んでいたんですね」
「んぐっ!」
冷静に図星を突かれて、一誠はうめいた。
「そうだったんですか? 元気を出してください、イッセーさん」
「そうですよ。少なくとも、イッセー先輩がそんな事で悩むのはナンセンスです」
「へ? どういう意味?」
「祐斗先輩も連也先輩も、基礎の積み重ねの量ならイッセー先輩よりも遥か上です。だからちょっとした事でも上達の切っ掛けに出来ます。でも剣術に関してはド素人のイッセー先輩に同じ事なんて出来る訳ないですし、出来たらおかしいんです。始めたタイミングが違うんですから。レースで例えるなら、イッセー先輩は祐斗先輩たちが最終コーナーに差し掛かった辺りでスタートしたようなものです。追い付けないのは当然です」
小猫はドーナツをモグモグと食べながら言った。
「小猫ちゃんの言う通りですよ。イッセーさんは一年前まで何も知らなかったんです。そのイッセーさんの何年も前からお稽古している祐斗さんや連也さんに追い付けないのは当たり前じゃないですか。これから頑張っていけばいいんですよ」
アーシアは一誠の両手を握り、優しく励ました。
◆
町内放送で5時を知らせる音楽が鳴り響く中、連也はまだ校内に残っていた。
屋上に忍び込み、一人座禅を組み、瞑想している。
胸中に湧き起こるのは、不安だった。
ここ最近、祐斗や曹操が稽古相手を務めてくれるようになって、改めて稽古相手の存在のありがたさを実感する。
だからこそ、不安になるのだ。父の死後の自分の歩みは、果たして正しいものだったのか。大事な時期に、知らず知らず致命的な過ちを犯してしまったりしていないか。
そんな不安である。
世の中、なるようにしかならない。ここ最近の激闘を生き延びて来れたのだから、自分の修行は間違ってはいないだろうと思う。思いたい。
だが、それでも、稽古相手の存在のありがたさを実感するが故に、その稽古相手なしで続けざるを得なかった己の修行が、かえって不安になってしまうのである。
「なんだ連也、まだいたのか」
不意に、背後から話し掛けられた。
振り向くと、ゼノヴィアがそこにいた。
「もう下校時間はとっくに過ぎてるんだぞ。用もないのに学校に残るのは良くないな」
ゼノヴィアは腰に両手を当てて、朗らかにたしなめた。
「ああ、ごめん。もう帰るよ」
連也は座禅を解いて立ち上がった。
「ならいいが……こんな所で、一人で何をしていたんだ? 念道の修行か?」
「だいたいそんな感じ」
努めて平静を装い答える連也だったが、ゼノヴィアはその声音に、わずかながら弱々しいものを感じ取った。
「何か悩み事か?」
「ん、いや……なんで?」
「何となくだ。良かったら話してくれないか? 困ってる生徒を助けるのは、生徒会長の務めだからね。それに、私も剣士としての自分の在り方で悩んだ事がある。多少なりとも君の力になれるかも知れないし、力になりたい」
「…………」
ゼノヴィアの真摯な言葉と眼差しに、連也はポツポツと、先程の不安を打ち明けた。
これは自分の問題であり、自分が解決していくべきものであり、他人に話すような事ではないと思っていたが、やはり心のどこかに、誰かにわかってもらいたいという気持ちがあったのだろう。いざ話し出すと、言葉が止まらなかった。
「そうだったのか……大丈夫だよ連也。君は間違ってない」
ゼノヴィアはそう言うなり、連也を優しく抱擁した。
「オルランドを倒した時のあの輝き、あれこそ君の努力が間違ってはいなかった何よりの証じゃないか。たとえ一時的、限定的なものであれ、あのような力を発揮出来るだけの下地が、確かに君の中で出来上がっているんだ。だからこれからも、自分を信じて鍛えていけばいい」
「そう、かな……」
「そうとも。土溜まりて山となり、水溜まりて淵となり、技溜まりて才となる。焦らず、丁寧に積み重ねていけばいい」
「……そうだな」
連也はゼノヴィアの肉体の柔らかさと温もりに、ちょっぴり上の空になりながらも、安心したようにうなずいた。
「ところでそれ、何かの引用か?」
「ああ。ストラーダ猊下のね。私も最近になって、ほんの少しだが意味を実感出来ているよ」
「……そうか。まぁ、あの人がそう言うんなら、頑張ってみるか」
「うん、その意気だ」
どうやら連也の気持ちも、前向きになれたようだ。安心したゼノヴィアは、何を思ったか少年の頬にチュッと口づけをした。
「…………へ?」
「駒王学園が誇るヒーローへの、生徒会長からの餞別だ」
「…………ア、アザマス」
「じゃあ私は他も見回らねばならないので、失礼するよ。君も気を付けて帰るんだぞ?」
「あ、ああ……」
連也は上の空で答えたが、ゼノヴィアが立ち去ってからもしばらくは、そこに立ち尽くしていたのだった。