日曜日の兵藤邸。
「はい連也くん、アーン♪」
姫島朱乃はテーブルを挟んで向かいに座る秋月連也に、フォークで掬ったケーキの切れ端を差し出す。
「……からかわないでくださいよ」
連也は言いつつも、頬がちょっぴり赤い。
朱乃はあらあらウフフと笑って受け流して──、
「アーン♪」
と、何事もなかったかのように強硬する。
連也は抗議しようとしたが、何となく『あ、こりゃダメだ』と感じて、諦めてその差し出された一口をパクッと食べた。
二人がこんな事をするに至った理由は、ついさっきの出来事にある。
駅前のデパートで買い物を済ませた朱乃が公園の前を通りかかると、聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
「この馬鹿ガラスぅー! 俺の唐揚げ返せぇーっ!」
見るとベンチのそばで、連也が空を見上げて叫んでいる。その空を一羽のカラスが飛んでいた。
事情を聞くと(聞かなくてもだいたいわかったが)、コンビニで買った唐揚げを食べようとしたのだが、飲み物を買うのを忘れていたので、ベンチの近くの自販機でお茶を買っていたら、その隙にカラスにその唐揚げを横取りされたらしい。
「あらあら、可哀想に……でも、あなたほどの方がカラスに気付かないなんてあるのかしら?」
「殺気とか敵意があれば気付きますけどね。先輩だって飯食う時に、テーブルの上の料理にそんなもの向けたりしないでしょ。アイツ等もそうですよ、そこに食える物があるから取って食ってるだけです」
「なるほど」
朱乃には、何となくだが理解出来た。
豊かに育ちすぎた胸のせいで、男のいやらしい視線には敏感になってしまっているため、連也の言う殺気や敵意というものがある程度わかるのである。
それはそれとして、唐揚げ一つで連也はずいぶんなしょぼくれようだ。何だか可哀想になってきた朱乃は、彼を強引に兵藤邸へと連れ込んだ。
先の買い物で、安さに釣られて衝動買いしたショートケーキの詰め合わせセット。一人で食べるには多いが、みんなで分けるには少ない量で困っていたのだ。それを連也にお裾分けして慰めてあげようという魂胆である。
という訳で、ダイニングで連也は食事という名の羞恥プレイを受けている次第である。
「やぁ連也、来ていたのか」
そこへ廊下から声がした。ゼノヴィアだ。
「や、やぁ」
高校生にもなってケーキをアーンしてもらってる恥ずかしい姿を見られて、連也は顔中がカーッと熱くなるのを感じた。
「あらあらウフフ。ちょうど良かったわ、ゼノヴィアちゃんもどうかしら? 一人で食べるには多いけどみんなで分けるには少なくて、ちょっと困ってたの。みんなには内緒で手伝ってくださる?」
「私で良ければ喜んで」
ゼノヴィアはそう答えて、連也の隣に座ると、箱の中からモンブランケーキを選んで取った。
「美味い……」
「そうでしょう? このお店のケーキ、私もお気に入りなの。だからつい中身も確認しないで安さに釣られて買ってしまって……」
「無理もありません。きっと私も同じ事をしてしまうでしょう」
朱乃とゼノヴィアのガールズトークが始まった事で、羞恥プレイが終わったものと思った連也は安堵した──が、
「ほら、君も食べてみるといい。アーン♪」
今度はゼノヴィアが、自分のモンブランケーキをフォークで掬って差し出してきた。
単にお裾分けしたいという気持ちからだったが、恥ずかしがって遠慮する連也を見ていると、何となく弄りたくなってきたのである。
朱乃がやってるのを見て、何となく自分自身にもよくわからない対抗心が芽生えたのもある。
朱乃は後輩の気持ちを知ってか知らずか、アーン攻撃を再開してきた。
(だ、誰か助けてくれ……)
珍しくそんな弱音を胸中で呟く連也に、更なる災難が降り掛かった。
「楽しそうじゃない、ダーリン」
いつの間にかやって来た黒歌が連也の背後から抱きつき、その豊満なバストを頭の上に乗せてきたのだ。
「あらあら、ダーリンだなんて……連也くんも隅に置けませんわね」
「一方的に言い寄られてるだけなんですけど……」
「そうです。このどら猫が、嫌がる連也に付きまとい、まとわりついているだけです」
そう言うゼノヴィアの口調には、若干のトゲがあった。
「何よ、彼女でもないただのお友達にウダウダ言われたくないんだけど?」
「それを言うなら貴様など、彼女でも何でもないどころか、ただのストーカーだろうが」
「……喧嘩なら買うわよ?」
黒歌とゼノヴィアの間の空気が、ピリピリと張り詰めてきた。
──パァンッ!
不意に、連也が手を叩いた。
ゼノヴィアと黒歌は一瞬、暖かい風のようなものが吹き抜けていくのを感じ、急激に心が穏やかになっていった。
「喧嘩はよせよ、腹が減るだけだぞ」
連也がそう言った。
精神的な力を司るチャクラを開放し、感情の昂りを鎮める念を柏手の音に乗せて放射したのだ。
「はぁーい」
「君がそう言うのなら」
黒歌とゼノヴィアはそれぞれ、そう言った。
連也は「ん」とうなずくと、自分の分のケーキをさっさと食べ、「ごちそうさまでした」と朱乃に言ってから、そそくさと退室する。
朱乃とゼノヴィアが彼を見送りに廊下に出たが、黒歌は箱の中にまだ一つだけ残っているチーズケーキを見付けて、そちらを平らげるのを優先した。
三人が玄関へ向かうと、そこに静江がいた。下駄箱の上に置いてある花瓶に、花を活けているようだ。花瓶の横に広げた新聞紙の上に、切り花がいくつも置かれていた。
しかし静江は浮かない顔をしている。
「おばさま、どうかなさいまして?」
朱乃が尋ねると、
「昨日買ってきたお花に、元気のない子がいて……どうしたものかしら」
静江は答えて、手にしていた白と桃色の百合を見せた。なるほど、「枯れた」とは言えないが、全体的に張りがなく、「元気がない」と言えた。
「ちょっと失礼」
連也がそう言って、静江の手からその二本の百合を抜き取った。
そして二本の茎の部分を右手でまとめて握り、深呼吸して目を閉じる。
何をするつもりなのかと三人が見守る中、不思議な事が起こった。
しおれ掛けていた百合の花が、徐々に広がり、元通りの張りを取り戻したのだ。
葉や茎にも、瑞々しさが戻ってきた。
「どうぞ」
連也は静江に百合を返すと、「お邪魔しました~」と言い残して、出ていった。
◆
月曜日。
連也はいつものように生徒会室で弁当を食べていた。
今日はゼノヴィアと匙、
匙の視界に、ふと隣に座る百鬼の、左手首の腕時計が映った。
匙はそれから、壁時計に視線を移して、そしてもう一度百鬼の腕時計を見直した。
「百鬼、腕時計止まってるぞ」
「え!?」
百鬼は言われて、腕時計と壁時計を見比べる。壁時計よりも腕時計の方が、二十分遅れている。秒針も全く動いてなかった。手首から外して、リューズ*1を触ってみるが、どこかで引っ掛けて針が止まった訳ではなさそうだ。
昨日買った物だが、最初から内蔵されていた電池の寿命が僅かだったのだろう。
「貸してみ」
連也が右手を差し出した。
「はあ」
百鬼はその差し出された手に、腕時計を置いた。
連也は腕時計を乗せた右手に左手を被せると、深呼吸して目を閉じる。
(まさか……)
ゼノヴィアの脳裏に、昨日の玄関での出来事が浮かび上がった。
連也は両手で腕時計を包んでから、十秒ほどで、その腕時計を百鬼に返した。
チッ、チッ、と秒針が動いている。
「一週間は持つから、その間に電池替えてもらうといいよ」
そう言って、連也は食事を再開した。
百鬼はリューズを引き出して時刻を合わせながら、目をキラキラさせて連也を見る。
「あの話、本当だったんですね……」
「何が?」
「この前うちのクラスの園芸部の子が言ってたんですよ。連也先輩が枯れた花を生き返らせたって……その時はちょっと信じられなかったけど、時計を直せるんなら、花だって治せますよね……」
「──そんな事あったっけ?」
あった。連也が覚えてないだけである。
先週の木曜日の昼休み、風通しの良い花壇に涼みに来た際、花壇に植えられていたヒマワリの花が一本しおれているのを見て不憫に思い、茎を握って、念を送り込んだのだ。するとしおれた花がみるみる内に元通りに開花したのである。それを百鬼のクラスメートが目撃していたのだ。
今百鬼の電池切れになった腕時計を直したのも、昨日百合の花を元通りに咲かせたのも、同様に念を送り込む事で為せる技である。
しかし連也にしてみれば、父が生きていた頃から出来た技だ。道端に落ちている空き缶やゴミを、すぐ近くのゴミ箱に捨てる程度の感覚なので、いつどこで使ったかなどいちいち覚えてないのである。
だが、それにしても彼はのんびりしていた。
その佇まいに、時計を直してもらった百鬼は言わずもがな、匙も、そしてゼノヴィアも、連也に対して尊敬の念を強くするのだった。
◆
「というような事があったのだが、君にも出来るのか?」
その日の夜、ゼノヴィアは曹操の部屋を訪れて昼休みの一幕を話し、質問した。
曹操はスマホで電子書籍を読んでいる最中だった。本のタイトルは彼が聖典とまで呼ぶ日本のファンタジー漫画『ドリームクエスト外伝・ダイノの大冒険』である。
「出来るよ」
スマホから目線を上げて、曹操は肯定したが、
「パワーソースの関係で、彼よりは時間が掛かるがね」
と付け加えた。
「パワーソース?」
「秋月連也が使ったのは恐らく気功術の一つ
「そうなのか……」
「彼に出来るかどうかはわからないし、たぶんやろうと思えば出来るだろうが、応用すれば体内に入れられた毒を傷口から、或いは汗と一緒に、排出することも出来る」
「なるほど、キコージュツとは奥が深いな……うん?」
そこまで聞いて、ふと疑問が浮かんだ。
「その、毒を体外に排出する技も、君は使えるのか?」
「まぁね」
「ならば何故、一誠にサマエルの血を撃ち込まれた時には使わなかったんだ?」
「その時はまだ会得してなかったからね。出来るようになったのはごく最近だ」
「そうだったのか……」
一誠の勝利は、時の利によるものだったようだ。
「兵藤一誠じゃあるまいし、必要な能力が必要な時に都合良く得られるものじゃないんだよ。配られたカードで勝負するしかないんだ。いつだって、誰だって──君のご主人様以外は、ね」
「まるで一誠が不正をしているような言い方だな。彼だって配られたカードで勝負しているぞ」
「…………ああ、そうだったな。失礼」
曹操はあっさりと引き下がった。
店子の身の上で、大家の息子を悪し様に言うのは憚られたからであり、同意した訳ではない。
(確かに配られたカードで勝負しているさ。ただ、常に相手よりも強い役が配られているだけだ)
そういう思いがあった。
「ところで、スズメは止まるようになったかい?」
「…………まだ、全然ダメだ」
「だろうな。前にも言ったが、ああいう細やかさは君向きではない。しかし気長にやれば、百年後くらいには出来るようになるさ」
「そうか……よし、頑張ってみるよ」
ゼノヴィアは明るい声で言った。
曹操は皮肉のつもりで言ったのだが、何せ悪魔の寿命は転生悪魔でも一万年以上なので、百年後ですら割りと近い将来なのだ。そこを失念していた。
(彼女も転生してまだ一年くらいだったはずだが……)
寿命に関してはまだまだ実感を伴わないと思っていたが、そうでもないようだ。順応性が高いのか、それとも単に気付かなかっただけなのか……さすがの曹操も判断に困った。
「用件はそれだけか?」
「うん? ああ、いや、もう一つ……」
「何だ?」
「君は、連也と仲が良いのだろう?」
「それほどでもないがね。毎朝、お互いの稽古に付き合ってるくらいだ。それで?」
「私は、もっと連也の事を知りたい。どうすれば良いだろう?」
「デートにでも誘ったらどうだ?」
「なるほど、わかった。ありがとう」
ゼノヴィアはそう言って、部屋を出ていった。
「…………どうしよう」
曹操は吐き出すように呟いた。
適当に言った言葉を、ゼノヴィアは真に受けてしまったようだ。
「まぁいいか」
連也とて若い男だ。可愛い女の子からデートに誘われて、喜びこそすれ苦痛ではあるまい。
曹操は必死で、自分にそう言い聞かせるのだった。
◆
思えば、曹操は冗談のつもりだったのかも知れない。ゼノヴィアは今でもそう思っている。
しかし、彼の言葉に天啓めいたものを感じたのは確かだ。
剣士としてではなく、もっと別の観点から彼と触れ合うのも良いかも知れない。
一誠の事が頭をよぎらなくもなかったが、そもそも彼はいつも、こちらからのアプローチにあたふたするだけで、自分からは何もしてこないのだ。今日だって、彼と予定があったのを強引にキャンセルした訳でも何でもない。約束がないのだから、日曜日を誰と過ごそうと問題はない。
そんな事を考えながら、ゼノヴィアは日曜日の昼下がり、復興が終わった駅前のふれあい広場で連也を待っていた。
少しして連也が、緊張した面持ちでやって来る。
二人は映画館へ、肩を並べて歩き出した。
デートコースはいたって平凡だ。
映画を見た後、ファミレスで食事をし、街のあちこちを見て回る。
だが、それだけの事が妙に楽しかった。
振り返れば、プライベートではどうやって一誠と良い雰囲気になるか、ひいてはどうやってリアスやアーシアを始め他の女性たちを出し抜くかを考えてばかりだった気がする。
だが、連也と一緒にいると、気持ちが凄く楽になった。
肩の力が抜けて、心なしか体も軽い。
連也も、最初こそ女の子とデートという事で緊張していたが、すぐにそれもなくなったようだ。
夕方になって、二人はバスに乗って街を出た。連也が、
「せっかくだし、俺のお気に入りの場所に連れてってやるよ」
と誘ったのだ。
隣町との境にある香車山の上にある駐車場に設置された、屋根付きのバス停で下りると、ゼノヴィアは連也に連れられて駐車場を抜けて、その奥の長い階段を上り始めた。
階段を上った先は広場になっており、その奥に展望台があった。
展望台に上がると、駒王町全体はおろかその周辺まで見渡す事が出来た。
「おお……絶景とはこの事だな……!」
ゼノヴィアは感動すら覚えた。夕焼けに照らされた下界の眺めは、それほどまでに美しかったのだ。
「こんな素敵な場所があったとは、知らなかったよ。教えてくれてありがとう、連也」
「どういたしまして。気に入ってもらえて良かった」
「連也は、どうだった? せっかくの日曜日に付き合わせてしまったが……」
「んー? 誘われた時はビックリしたけど、でも楽しかったよ。女の子とデートなんて初めてだったし。その初デートの相手がお前で良かったと思ってる」
「そうか……君がそう言ってくれるなら、私も一安心だ。また一緒に、ここに来よう」
「ああ」
二人は展望台からの眺めをしばし楽しむと、駐車場を出て、ちょうどやって来た駒王町行きのバスに乗った。
一番後ろの長椅子が空いていたので、そこに座る。
バスに揺られているうちに、ゼノヴィアは瞼が重くなるのを感じた。
「着いたら起こしてやるから、寝てていいぞ」
それに気付いた連也の言葉に甘えて、彼の肩にもたれ掛かる。
もう七月だというのに変な話だが、春の日差しを思わせる温もりを、少年の肉体から感じ取った。
(やっぱり、連也と一緒にいると、落ち着くな……)
そんな事を思いながら、ゼノヴィアは目を閉じた。
すぐに、穏やかな寝息が聞こえてくる。
まるで小さな子供のような、あどけない寝顔だ。
それを眺めていると、妙に気持ちが和む連也であった。