放課後。
最近ようやく落ち着き始めた女生徒の黄色い声を浴びながら、秋月連也は校舎を出た。
そこへ、聞き覚えのある怒号が響く。
「こらー、待てーっ!」
「今日という今日こそは引導を渡してやるーっ!」
クラスメートの仲良しコンビ、村山と片瀬だ。剣道着姿で木刀を手にして、同じ剣道部員らしき女子たちを引き連れて走っていた。
彼女たちに追われているのは、やはりと言うか何と言うか、兵藤一誠である。ちなみに悪友の松田と元浜は既に取り押さえられている。体力の差で、彼だけが未だに捕まっていないのだ。
「秋月くん、そいつ捕まえてーっ!」
「そいつまた覗いてたのーっ!」
「どけ秋月ーっ!」
村山、片瀬、一誠が次々に叫ぶ。
連也は追う者と追われる者、両方に応じた。
一歩下がって一誠に道を譲る。
そしてすれ違い様に、彼の影を踏んだ。
「うおっ!?」
途端に一誠は足が動かなくなり、勢い余って転んでしまう。起き上がろうにも、下半身が見えない力で押さえ付けられているかのように、動かなかった。
「覚悟ーっ!」
「天誅ーっ!」
追い付いた村山と片瀬が、一誠目掛けて木刀を振り下ろした。
連也、割って入り、二人の怒りの打ち込みを両の掌で受け止めた。
『──えっ!?』
二人は同時に、驚きの声を上げた。
連也が一誠をかばったのはもちろんだが、自分たちの、怒りに任せた割りと本気の打ち込みを簡単に止められた事にも驚いたのだ。しかも木刀を通して手中に伝わった感触は、驚くほど軽く、柔らかかった。全力で打ち込んだにも関わらず、まるでゆっくりと真綿の上に置いたかのようだった。
連也は上段から打ち下ろされた木刀を、踵を浮かせた状態で、まずは両手を伸ばして受け止めた。次に肘を軽く曲げる。そして膝も軽く曲げながら、浮かしていた踵を下ろし、全身をサスペンションにして衝撃を和らげたのだ。それでも完全には衝撃を殺しきれなかったが、それは体内の気脈を通して受け流し、地面に散らした。
「落ち着け。さすがに木刀はまずいって」
連也は小さな子供を諭すような優しい声で言った。
村山と片瀬はばつの悪そうな顔で、木刀を下ろした。彼女たちも、後ろの部員たちも、二重の意味で予想外な光景を目にして、怒りのボルテージが完全に下がってしまっている。
「そ、そうね……ごめんね、秋月くん」
「秋月くん、手、大丈夫?」
「へーきへーき。このバカは俺が職員室に連行しとくから、みんなは部活に戻りなよ」
「うん、ありがとー秋月くん」
「じゃあ、また明日ねー、秋月くん」
村山と片瀬は女子部員を引き連れて、去っていった。
それを見送った後、連也は依然地面に転がったままの一誠の両脇に腕を通し、立ち上がらせる。
「さぁ行くか。送ってってやるよ」
「あ、ああ……」
どうやったのかはわからないが、それでも転ばされた文句を言ってやろうと思った一誠だったが、彼も彼で剣道部員たちからかばってもらった事で、その怒りも冷めていた。
「あ、ありがとな秋月……」
「気にするなよ、
軽く答えながら、連也は一誠の肩に手を置き、歩き出した──校舎の中へと。
「お、おい秋月。こっちは校舎だぞ?」
「そうだよ」
「送ってってくれるんじゃなかったのかよ!」
「だから職員室に送るんだよ。さっき言ったろ」
言いながら連也は職員室へと向かう。
一誠は抵抗しようにも、身体を自分の意思で動かす事が出来ない。
肩に置かれた連也の手を通して、何やら暖かいものが全身に流れ込み、コントロールを失っていた。己れの意思とは無関係に、連也に伴われて職員室へと足が勝手に進んでいく。
「俺を助けてくれたんじゃなかったのかよ!」
「なんで? 村山さんたちが捕まえてって言ったから捕まえただけだぞ。お前は『どけ』としか言わなかったし」
「で、でも、さっき俺をかばってくれただろ!」
「うんにゃ」
「──へっ?」
連也があっさり否定したので、一誠は間の抜けた声を上げた。
「お前みたいなのでも怪我させたら犯罪だからな。二人の内申書にわずかにでも染みが出来たら、クラスメートとして忍びない」
「『みたいなの』って何だよ! ちっくしょぉぉぉおおおおっ! ほんの一瞬でもお前を良い奴だと思った俺が馬鹿だったぁぁあああっ!」
「気にするな、
前方に見えてきた職員室のドアを見つめながら、連也はそう言った。
◆
夜の9時。
一誠は一人、トボトボと家路につく。
悪友二人と一緒に職員室で説教をくらい、反省文を書かされ、更に校内の全てのトイレ掃除までやらされて、こんな時間にまでなってしまったのだ。
旧校舎のオカルト研究部部室に行ってみれば誰もおらず、どうやら誰一人として迎えに来るどころか待っててもくれなかったらしい。
「くそっ、なんで俺がこんな目に……」
一誠は唸るように呟いた。
この世界を守るために戦い、何度も命を懸けて戦って来た。そうやって守り抜いた平和を堪能してはいけないとでも言うのだろうか? ましてや、松田と元浜の二人と一緒にいられる最後の一年だというのに……。
(でもまぁ、しょーがねぇよな。悪魔の事バラす訳にもいかねえし……『俺が世界を救ったんだ、世界は俺に感謝しろー』とか言ったところで、みっともないしな……)
「まったく、ヒーローはつらいぜ」
そう口に出して、自分を慰めた。
──が、『ヒーロー』という単語で、いけすかない男の顔が思い浮かんでしまう。
秋月連也である。
(あいつはいいよなぁー、『愛と奇跡の子』だか何だか知らないけど、それでみんなにチヤホヤしてもらってさ……)
オルランド眷属との戦いから、もう二ヶ月が過ぎているというのに、未だに連也は学園の女子たちから黄色い声を浴びせられている。
オルランドを倒した実力と功績は認めるが、彼が英雄視されているのはあくまでも、悪魔の存在を公にしないための策でしかない。いわば造られた英雄、偽りのヒーローだ。そんな奴が女の子たちから持て囃されているのは、どうにも面白くなかった。
「つーか、何だよ『愛と奇跡の子』って……全然意味わかんねえし……何かの宗教かっつーの」
どうせ念道の技を人に見せて、一時期注目を集めていたのだろう。インチキ宗教の怪しい教祖のように。一誠はそう考えている。
以前リアスから、彼の名前とそのフレーズで検索してみるように言われたが、上級悪魔に昇格してから仕事も増えているのだ。とてもそんな時間はない。
それはともかくとして、秋月連也はとにかく気に入らない存在だった。
自分たちが必死の思いで戦い、我が身を引き裂かれるのも同然の犠牲を払ってようやく平和を勝ち取ったというのに、後からしゃしゃり出てきてその平穏な日常を掻き乱していく。
リアスや朱乃にゼノヴィア、黒歌のみならず、最近はアーシアまでもが、連也に対して好意的だ。みんな名字ではなく下の名前で呼ぶようになっている。
自分が苦労して築き上げたハーレムまで、連也によって崩壊させられているような気持ちになっていた。
(……いやいや、考えすぎだよな。桐生も言ってたじゃねーか、遊びに来た親戚の子供に優しくしてやってるようなもんだって……リアスだって、あくまでもあいつの力や腕前を買ってるだけだし……)
そう自分に言い聞かせ、ざわつく気持ちを何とか静めようとした。
しかし、なかなか出来ない。
特にゼノヴィアの態度がおかしいのだ。この前の日曜日は一人で出掛けていった。大抵は自分を誘惑してくるか、アーシアやイリナと一緒に遊びに行くかしているのに……。
「やっぱりおかしいよな……ゼノヴィアの奴、秋月の事好きになったりしてないよな……いやいや、そんなはずはない! でも、秋月はやっぱりどう考えても怪しい! あいつがゼノヴィアを狙ってるのは間違いない! くそっ、ふざけやがって! あんな奴にゼノヴィアは絶対に渡さねえ!」
「一人で大声を出すのはやめた方がいい」
「うぉわぁぁぁああああああっ!」
不意に話し掛けられて、一誠は奇声を上げた。
見れば曹操がいた。黒のタンクトップとカンフーパンツ姿だ。街灯に照らされて、肌にしっとりと汗が浮かんでいるのがわかった。
「な、何だお前かよ! おどかすな!」
「これは失礼」
曹操はヒョイッと肩をすくめた。
「君が一人でブツブツ呟いていた挙げ句、大声まで出すものだからね。息子が奇行で通報されたとあってはご両親も悲しむ。誰かに伝える予定のない思いは、基本的に胸の内にしまっておく事だ」
「ちぇっ、悪かったな……それより、こんな時間にこんな所でそんな格好して、何やってるんだよ」
「ロードワークに決まってるだろう」
「ロードワークだぁ!?」
意外すぎる返答に、一誠はまたも奇声を上げた。
「そんなに驚く事か?」
「驚くだろフツー!」
一誠は怒鳴るように答えた。
初めて戦った時から、この男の戦闘力の高さには舌を巻いた。聖槍という強力な武器と、それを十全に活用するセンスは脅威とすら言えた。そんな才能の塊のような男が、ロードワークなどという汗臭い事をやっているのだから、驚くのは当然だった。
「お前、そんな、ロードワークとか、そういうトレーニングとか……やってるのかよ!」
「当たり前だろう。鍛練なしに強くなれる訳がない──俺たちのような、ちっぽけな人間風情は尚更ね」
「そ、そうか……」
一誠はちょっぴりこの男を見直した。
同時に、『ちっぽけな人間風情』という言い方が引っ掛かった。
(まだあの時の事気にしてんのかな……人間の力を試すとか何とか言っといて、結局その人間である事が弱点になって負けたんだもんな……)
自分が負かしておいてなんだが、何か元気付ける言葉を言ってあげたくなった。
「なぁ曹操。そういう言い方はどうかと思うぜ? 人間はちっぽけなんかじゃねぇよ。悪魔や天使だってちっぽけじゃねえ。みんな生きてる、みんな同じなんだ。もちろん、お前だってちっぽけなんかじゃねぇぞ」
「…………」
曹操は一誠の言葉に、数秒ほど黙り込んだ。
そして、フッと笑うと、
「そうだな。そういう事にしておくよ」
と言った。
「な、何だよ! 俺は気休めで言ってる訳じゃなくて本気で」
「今夜はご母堂お手製のカレーだ。早く帰らないと猫姉妹がみんな食べてしまうぞ? ではお休み」
曹操はそう言い残して、タッタッと走り去っていく。
「な、何だよ、あの野郎! 人がせっかく慰めてやろうと思ってたのによ!」
ほんの一瞬でも曹操を見直した事を、一誠は後悔した。
◆
一誠と別れた後も、曹操は走り込みを続ける。
先程一誠が口にした言葉が、心に引っ掛かっていた。
種族の違いなど関係ない。命は皆平等だと言いたかったのだろう。
しかし、そんな言葉を平気で口にする自覚のなさと白々しさに、軽い苛立ちを覚えていた。店子という立場にあるので、大家の息子に対してあまりきつい事は言えないが──、
「化け物に言われてもな……」
嬉しくも何ともない。かえって馬鹿にされている気分にすらなった。
この駒王町を一瞬で更地にもクレーターにも変えられる男からすれば、確かに人間も悪魔も天使も、それ以外の異形異類も、皆同じにしか見えないだろう。
あるいは、元々『自分』と『それ以外』の二種類でしか考えられないのだろう。
思えば、京都で初めて戦った時も、元同属相手との戦いに対して、妙に迷いがなかった。悪魔に転生して、ようやく半年を過ぎたかどうかという時期だったにも関わらず、だ。
さっきの言葉は本心だったかも知れないが、それは結局のところ、個々を見ているのではなく、『自分以外の全て』という括りで捉えているだけなのではないか。
もっと言えば、
『どうでもいいから同じにしか見えないだけ』
だからこそ、あんな白々しい言葉が言えたのではないか……。
相手が大家の息子で、自分は店子であるが故に、さっきは適当に受け流したが、曹操には賛同し難い言葉にしか思えなかった。
一万年以上の寿命があり、魔力で若さを保てる生き物からすれば、百年も生きる事が出来ず、老いていくだけの人間など、ちっぽけにしか思えないはずなのだ。悪魔と人間にはそれだけ、根本的な部分で大きな隔たりがある。
兵藤一誠は、果たしてそれを、どれだけ自覚しているのだろうか……。
「しょせん化け物は化け物だな」
曹操の顔に、暗く冷たいものが満ちていた。
曹操は不意に、走るスピードを上げた。
ペース配分も何もない。
ただがむしゃらに走る。
そうしてめちゃくちゃに走り回る内に、連也に出会した。
「曹操さん……どうしたんです?」
右手にコンビニ袋を提げた連也は、曹操が走ってきた方角に目を凝らす。余りに凄い勢いで走るものだから、追われているのかと思ったのだ。
曹操は足を止め、息を整えた。
「やぁ、連也くん。君こそどうした。買い物か?」
「ええ、何か小腹が空いちゃって。曹操さんは、稽古ですか?」
「そんな大したものじゃない……ただ、何も考えたくない時にはこうしてロードワークなどをやっているのさ。体を動かしてれば、つまらない事を考える余裕もなくなるからね」
「お疲れ様です。アイスあるけど食べます?」
「いただこう」
二人は近くの公園のベンチに座り、並んで腰掛けた。
連也はコンビニ袋からソフトクリームを取り出した。
本当は道すがら一本食べて、帰ってからもう一本食べる予定だったが、何となくこの男に分けてあげたくなった。
二人は夜の
「ところで、さっき何も考えたくない時には~とか言ってましたけど、何かあったんですか?」
「いいや。だが君も、不意に昔の事を思い出したりするだろう? それも、なるべくなら思い出したくない事に限って……俺もそうさ。親の事を、思い出してしまってね」
「親、ですか」
「ああ」
曹操は
中国の山奥で生まれ育った事。
ある日、怪物に襲われたのが切っ掛けで《
そんな自分の身柄を確保しようとする者が現れた事。
両親が、彼等に自分を売った事。
逃げ出し、いろんな土地を放浪した後、故郷に帰ってみれば両親が自殺していた事。
曹操が行方をくらませた後も、様々な勢力が彼の情報を求めて両親に接触したのだ。両親は息子の情報と引き換えに大金を得て、贅沢の味を知った。その贅沢から抜け出せず、あちこちから借金をして、返済も滞り、激しい取り立てに追われた挙げ句、生家で首を吊ったのだ。
「自業自得だよ」
そう断ずる曹操の声は、かすかに震えていた。
「だいいち、仮に、俺があの時違う行動に出ていたとしても、結果は変わらなかったかも知れない。それでも、時々考えてしまうんだ──もっと普通に生まれて来れたなら、本当に何の力もない、ちっぽけで弱っちい人間に生まれていれば、父さんも母さんも死なずに済んだかも知れない、とね」
曹操はそこまで言って、ソフトクリームのコーンをモシャモシャと食べた。
「今更そんな事を考えたって、何もならない。だからそんな時は、とにかく体を動かして、考えないようにしているんだ」
「……なんか、すいません。話しづらそうな事聞いちゃって……」
何か困っているのなら力になろうかと思ったのだが、自分のそんな判断を連也は後悔した。
「気にしないでくれ。話そうと思ったのは、俺の意思だ」
「……俺は、母さんの事はよく知りません。写真でしか。小学校に上がる頃に、父さんと念道の修行を始めて……三年くらい前に、雪山で修行してた時に、雪崩に遭ったんです。その時父さんは俺をかばってくれて、二人で雪の中に生き埋めになった時、ありったけの念を俺の体に注いで、俺を守ってくれました」
「知ってる。それで『愛と奇跡の子』と呼ばれるようになったんだったね」
「念道の修行は本当に楽しかった。父さんの期待に応えたかった。でも、俺も時々考えるんです。念道の修行なんてつまんないからやーめたとか言っちゃえば、父さんも雪山での修行なんてやらなかったんじゃないかって。死なずに済んだんじゃないかって」
「連也くん」
曹操が、かすかに声に力を込めた。
「言ったろう。今更そんな事を考えたって、何もならないんだ──だけど、ありがとう。君も、話しづらそうな事を話してくれたね。これでおあいこだ」
「ですね」
「ちょっぴり、気持ちも楽になれたよ。俺は帰って寝るとしよう。お休み、ヒーロー」
「お休みなさい」
ベンチから立ち上がり、歩いて立ち去る曹操の背中を、連也はいつまでも眺めていた。
◆
翌日の昼休み。
生徒会室には、連也とゼノヴィアの二人だけだった。二人で隣り合って座り、黙々と弁当を食べている。
「なぁ、連也」
「ん?」
「君の念道で、イッセーの性欲を消す事は出来るか?」
「何だよ、いきなり」
「多少乱暴でも、学園の平和のためには抜本的な処置を取らねばならないと思ったんだ」
ゼノヴィアの声には、硬い決意の色があった。
昨夜遅くに帰ってきた一誠は、学校からの連絡を受けて激怒した両親から夕飯抜きの罰を受けたのだが、その時彼は思わず叫んだのだ。
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
それを聞いたゼノヴィアは、思わず殴りたくなった。兵藤夫妻がいなかったら殴っていただろうと、自分でも思っている。
この男をおとなしくさせるには、もっと大胆な行動が必要だとも感じた。
それで白羽の矢を立てたのが、先日喧嘩になりかけた自分と黒歌を鎮めた連也という訳だ。
「うーん……」
連也は問われて、考え込んだ。
「やってやれない事はないと思うけど……後が怖いな」
「大丈夫だ。我々が全力で君を守るよ」
「いや、報復とかじゃなくてさ。性欲を消したせいであいつの心に何か悪い影響が出ないかとか、性欲を消したせいで先輩たちやアルジェントさんとの関係が悪くなるんじゃないかとか、そっち系。あいつの事は好きじゃないけど、俺のせいでそういう展開になるのはちょっと忍びないからさ」
「ふむ……そう都合良くはいかないか……」
ゼノヴィアはハァ……と、ため息をついた。
「何か、ごめんな」
「いいんだ、気にしないでくれ」
謝る連也に、ゼノヴィアは朗らかに返した。
そして二人揃って生徒会室を出たところで、一誠と出会した。何やら書類の束を抱えている。さっき匙元士郎と鉢合わせた際に、生徒会室に運ぶよう頼まれたのだ。
「ちったぁ学園のために貢献しろ!」
と怒鳴られて。
訳もわからぬまま、それでもゼノヴィアにいい顔が出来るならと引き受けたのだが、そこに世界で一番見たくない顔があったので、一誠は露骨に嫌な顔をした。
「うわ……」
声も出た。
ゼノヴィアはかすかに眉をひそめつつ、尋ねた。
「何か用か、イッセー」
「ああ、匙にこれ持ってってくれって頼まれてな」
「そうか、ありがとう」
ゼノヴィアは差し出された書類の束を受け取り、室内の長机に置いた。
「それより秋月! お前、昨日はよくもやってくれたな!」
「まぁそう気にするなよ。昨日も言ったろ、
「ふざけんな! おかげで昨日は夜遅くまで残らされて反省文書かされるわトイレ掃除させられるわ散々だったんだぞ! しかも帰ったら帰ったで母さんに晩飯抜きにされるし!」
「勘当されなくて良かったな。そろそろ心を入れ換えて真面目に過ごせよ」
「うるせえ! 愛と奇跡の子だか何だか知らねえが、女の子にチヤホヤされてるからって調子に乗りやがって!」
「……別に調子になんか乗ってないし、お前の行動には何の関係もないと思うけどな」
連也はかすかに目を細めた。
「そうだぞイッセー。昨日の事は全て自業自得。身から出た錆だ。連也に八つ当たりするのはやめろ」
ゼノヴィアが一誠を諌める。
「八つ当たりなもんか! お前は何とも思わないのかよゼノヴィア! 俺たちは世界を守るために必死で戦ってもその事を人間界では公に出来ないのに、こいつはちょっと戦っただけで世間からヒーロー扱いされてるんだぞ! 事情はわかっててもやっぱり納得いかないだろ!」
「いや、別に」
「即答かよッッ!!!」
おかしい。
一誠はそう思った。
やはりゼノヴィアの態度がおかしい。どことなく冷たい。
これまでに蓄積された不満が、ここに来て爆発したのか、一誠は思っている事を全て吐き出した。
「だいたいこいつは前から気に入らなかったんだ! 俺は町を守りたい一心で頼んだのに念道教えてくれねえし! ゼノヴィアにはなれなれしいし! サイラオーグさんに勝ったのも気に入らねえ! ちょっと才能があるからっていい気になってあの人の血反吐を吐くような努力を踏みにじりやがって! そもそもお前はいっつも俺に対してえらそーにしやがって、何様のつもりだよ! 俺たちは今までつらい戦いを繰り返してきて、いろんなものを失ってここまで来たんだ! 何も失わずに平和な日本でヌクヌク育ってきたお前に、なんで俺が」
そこで、ゴッ! と硬い音がして、言葉が途切れた。
一誠は倒れていた。
鼻血が出ている。
殴られたのだ、連也に。
「おい」
連也は静かな声で、一誠に呼び掛けた。
「俺は、別に自分だけが苦労をしてきたとは思っちゃいない。でもな、楽をしてきたつもりもないし、何も失わずに生きてきた訳でもない。お前がどんな苦労をしてきたかは知らないけど、そんな風に言われる筋合いだけは、絶対にない」
そう言い捨てて、立ち去っていく。
ゼノヴィアは連也を追い掛けた。
一誠を助け起こすどころか、
「な、何なんだよ、あの野郎……!」
いきなり殴られて、一誠は連也への怒りと嫌悪感をますます深めるのだった。