夏休みに入ってから一週間が過ぎる頃、僕はイッセーくんに呼ばれて彼の別荘を訪れた。
イッセーくんはここで、連也くんとの決闘に備えて特訓をしている。その最中の呼び出しとなれば、用件は自ずと想像がつく。
「木場。秋月との試合に向けて、ちょっと稽古相手になってくれねえかな」
別荘のリビングに通された僕に、イッセーくんは予想通りの事を言ってきた。
気持ちを落ち着けるために、僕はレイヴェルが入れてくれたアイスティーを一口飲み、フーッと大きく息を吐いてから、努めて冷静に返事をする。
「それは出来ないな──二つの理由で」
「二つの理由って?」
「まず、連也くんは僕とは全く違うタイプの剣士だ。僕なんかじゃ、仮想秋月連也は務まらないよ──もっと言えば、連也くんの念道はオンリーワン過ぎて、たぶんアーサーやイリナさんどころか、僕の師匠でも無理かも知れない」
「そ、それはさすがに、秋月の野郎を持ち上げ過ぎじゃねえか?」
「僕を含めて、今名前を挙げた人たちに、相手の聖剣の因子や
そう言うと、イッセーくんは黙ってしまった。
「友人としてのせめてもの忠告だけど、単純なパワーやスピードだけで連也くんを推し測っているようなら、君は絶対に彼には勝てないよ。相手を全く見ずに、目をつむったまま戦うようなものだからね」
「……じゃ、じゃあ、もう一つの理由ってのは、何だよ?」
「単純に、僕個人の感情だよ。リアス姉さんからの伝聞でだけど、聞いたよ。連也くんが決闘を挑んだ経緯……」
「うっ……」
僕と目線を合わせて、イッセーくんは小さくうめいて、わずかに身を仰け反らせた……どうやら僕は、よほど怖い顔をしていたようだ。イッセーくんの後ろでレイヴェルが、ひきつった愛想笑いを浮かべながら、両手で何かを押さえるような仕草を何度も繰り返した。
──ブレーキブレーキ! 抑えて抑えて!
そう言いたいのだろう。
僕はアイスティーをもう二口飲んだ。
「イッセーくん。君はいつも僕の想像を超える事をしてきたけど、今ほど理解が追い付かなかった事はないよ。よくそんな厚かましい事を頼めたものだね……そもそも君に、ゼノヴィアを侮辱する権利も資格もないんだよ」
「なんでだよ! 眷属なのに俺以外の男の家に泊まるなんて──」
「そうさせたのは君じゃないか。今年に入ってから、ゼノヴィアに迷惑ばかり掛けている。アーシアに何度叱られてもやめようとしない……ゼノヴィアの気持ちが君から離れるのは、当然の結果だろう?」
もっと言うなら、そもそも去年からしてドライグがカウンセリングを必要とし、ついには一時的な幼児退行を引き起こすほど追い詰められていたのに、言動を改めなかった事にも、僕は憤りに近い感情を抱いている。
イッセーくんの性欲が強敵の撃破や状況の打破に繋がったのは確かだけど、それにしたって彼は自分を省みなさ過ぎだ。
今更だけど、僕があの時点で、殴ってでも言って聞かせるべきだったのかも知れない。リアス姉さんから話を聞いた時、僕は後悔の念と共に、自分の甘さに対する怒りを抱いたものだ。
「しょうがないだろ! 男の
「青春、ね……イッセーくん、これも友人としての心からの忠告だ。誰も、青春に背中を向けたまま生きていく事は出来ないよ。いつか、どこかで、その青春に裁かれる日が来るんだ。悪い事は言わないから、二学期からはおとなしくする事だね」
僕はそう言うと、アイスティーを飲み干し、「ごちそうさま」とだけ言って、別荘を出た。
レイヴェルが玄関まで送ってくれる。
「本日は申し訳ありませんでした、祐斗さん」
レイヴェルのその一言には、呼びつけた事の他に、先程のイッセーくんの発言に対する謝意もあるのだろう。
「……レイヴェル。君も姉さんからの伝聞で経緯は聞いていると思ったんだけどね」
「もちろんですわ。ですが、私はイッセー様のマネージャーですもの。私情は挟まず粛々と務めを果たすまでです──悪魔らしい利己的な事を言わせていただきますけれど、でないと私の評価に響くかも知れませんので」
「……そう」
生き方は人それぞれだ。その辺については、ああだこうだ口を挟むべきではないだろう。
「それともう一つ……万が一にもイッセー様に死なれては困ります。あれでもまだまだ冥界には必要な方ですから」
僕の耳元で、レイヴェルはそう囁いた。
確かに、今回の一件で連也くんはだいぶ頭に来たようだからね……彼がそんな人間ではないとわかっていても、念道の性質も鑑みれば心配になってしまうのも、わからなくもない。
とにかく、僕は今回、初めてイッセーくんに対して『負けてしまえ』という感情を抱いた。出来ればこれが最後であってほしい……。
レイヴェルに見送られて別荘を出た僕は、気晴らしの散策を兼ねて、山道を歩いて下りていく。
途中で、一台の黒塗りのリムジンとすれ違った。車体にはシトリー家の紋章が描かれている。
リムジンは、その先にはイッセーくんの別荘以外何もない山道を、静かに上っていった──。
◆
連也の修行内容に、特別なものはない。天然自然と一体化し、念を高め、それをコントロール出来るようにする。何か新しい技を編み出したりは、しない。そもそも念道の技は全て、日々の修練を通して自ずから生まれるものでしかない。そして先人から受け継いだその技を通して、念の制御を学ぶのだ。
そのために、洞窟に籠り座禅を組んだ。
山野を駆け回った。
曹操を相手に技の練習や型稽古を行った。
グレモリー眷属や生徒会、オカルト研究部の面々が、連也の身を案じて陣中見舞いに訪れたが、曹操が全てシャットアウトしてくれたので、連也は修行に専念出来た。
そうして決闘を三日後に控えたその日の事である。
連也と曹操は下山の支度をしていた。
と言っても、連也の荷物はリュックサックに詰めた着替えと、非常食のチョコレートくらいである。どちらかと言うと、曹操のキャンプ用具の片付けに時間を要した。
テントを畳むのを手伝っていた連也の手が、ふと止まった。
川下の方角の空をじっと見上げる。
曹操がどうしたのだろうかと訝しんで、同じ空を見上げると、翼を広げて、一人の悪魔が飛来してきた。
二人から少し離れた場所に着地したその悪魔は、駒王学園高等部の前生徒会長ソーナ・シトリーだった。
曹操の目が、スゥッと細められた。眼差しに、鋼鉄のような暗く冷たい光が宿る。
ソーナの顔を一目見た瞬間に、直感した。この女は、厄介事を運んで来たのだと。
「あ、どーも会長さん。お久しぶりです」
……連也もわからないはずはなかろうに、呑気な声で挨拶する。
「お久しぶりです、秋月くん。オルランドの一件ではお世話になりましたね」
「いやいや、困った時はお互い様ですよ」
「実は──」
「ストップだ」
遮るように、曹操が二人の間に割って入った。
同時に、
「彼は忙しいんだ。君に構ってる暇はない。一度だけ警告してやる。死にたくなければ、回れ右をして帰れ」
「…………事情は、リアスから聞いています。それを承知の上で、秋月くんにお願いがあるのです」
「警告はした」
曹操は冷たい声で言い、喉元に突きつけた聖槍を押し込んだ──つもりだった。
しかし、槍は一ミリも動かす事が出来なかった。
見れば連也が曹操の隣に立ち、彼の影を踏んづけている。
「まぁまぁ、落ち着いて。話だけでも聞いてあげましょう」
連也はのんびりとした声で、言った。
「それで、どうしたんですか?」
ソーナの方に向き直り、尋ねると、ソーナはポロポロと涙をこぼし始めた。
そんな彼女を、連也も曹操も、初めて見る。
「……ち、父を、助けて、ください」
嗚咽混じりに、ソーナは言った。
『眠りの病』。
悪魔たちはシンプルに、そう呼んでいる。
原因は不明。ある日突然昏睡状態となり、全く目を覚まさなくなる。食事も運動も、魔力の行使すら出来なくなるので、当然肉体は衰弱し、やがて死に至る。治療法もなく、ただ医療機関で人工的に生命を維持する以外に対処方法はない。
ソーナの父が、その『眠りの病』を発症したのだそうだ。まだ初期段階で、完全に昏睡状態となった訳ではないが、それでも明らかに異常なレベルで、睡眠時間が長くなった。
「最初はイッセーくんにお願いしようと思ったのですが、レイヴェルさんに門前払いされました……」
「だからと言ってこっちに来られても困る。医者でも悪魔でもない彼に、どうこう出来る問題じゃない」
曹操が吐き捨てるように言った。
彼なりに、ソーナの境遇を可哀想だとは思う。
眷属や家の者を一人も連れずに単独でやって来たのは、人数で圧力を掛けて強要するような真似はしたくないという、彼女なりの誠意なのだろうという事もわかる。
それでも曹操の本音としては、今の言葉が全てだった。
「匙から聞きました……秋月くんは、枯れた花を生き返らせ、壊れた時計も直す力があると……どうかその力で、父を助けてください……」
「わかりました、案内してください」
連也は、頼んだソーナすらビックリして一瞬我が耳を疑うくらい、あっさりと承諾した。
「い、いいのですか?」
「ええ。でも、今曹操さんが言ったように、俺は医者でもなけりゃ悪魔でもない。やれるだけの事はやりますけど、結果は保証出来ません。それでもいいなら」
「あ、ありがとうございます!」
ソーナは何度も何度も、背中が見えるくらい深々とお辞儀をした。
曹操は、ただ嘆息するのみである。
ソーナの開いた転移魔法陣で、二人はシトリー家の屋敷に移動した。
ソーナは二人を、父の寝室に案内する。
天蓋付きの大きなベッドで、五十代と思わしき男性が眠っている。
悪魔は魔力を使う事で若さを保つ事が出来るが、ソーナの父ムルマス*1・シトリーは、当主としての威厳を保つため、敢えて外見年齢を五十代に調整してあるのだ。
連也が映画やドラマでしか見た事がない医療機器が、その身体に取り付けられていた。
周囲には医療関係者が数人いてムルマスの様子を観察していたが、ソーナが人払いした。
「んじゃ、早速……人間の俺が触っても大丈夫ですよね?」
「はい。お願いします」
ソーナはまたもや、背中が見えるくらい深々とお辞儀をした。
チームD×Dの一員としてそれなりの修羅場を潜ってきた彼女だが、
連也は、まずは両手をムルマスの体の表面にかざした。
掌から念を放出し、浸透させ、彼の肉体の状態を調べる。
(何じゃこりゃ)
胸のうちでうめいた。
全身の細胞から感じ取れるはずの生命の圧が、ほとんど感じ取れない。
まるで人の形をした砂の塊に触れているような、奇妙な感覚だ。
(うーん……じゃあ、活力を注いでいけば、目を覚ますかな?)
物は試しだ。
連也は、ムルマスの胸元、心臓部に触れた。
そして念を心臓に注いでいく。破邪の力を抑えた、純粋な生体エネルギーとしての念だ。霊的な力を司る眉間のチャクラを開き、念エネルギーの質をそのように調節して、注入していった。
注入された念は、心臓から血流に乗って、全身を駆け巡っていく。
だが、それだけだった。ムルマスの細胞に浸透していく気配がない。
それでも一時間ほど、根気よく続けていくと、かすかだがエネルギーが染み込んでいくのが感じ取れた。
(こりゃ長丁場になるな……)
そう感じたが、焦りはない。
エネルギーの質の調整を誤ると、治すどころか死なせてしまう。
時間を掛けて、ゆっくりやっていくしかない。
三日後の決闘の事も今は頭の隅っこに追いやり、連也は作業に集中した。
◆
丸二日間、連也は寝食も忘れて念を浸透させる作業に没頭した。
その甲斐あって、ムルマスは目を覚ます。
「不思議だ……こんな清々しい目覚めは初めてだな。それどころか、全身に力がみなぎって……ははは、今なら
柄にもなく冗談まで飛ばす父の姿に、ソーナは感極まって、小さな子供のように抱きついて泣き出してしまった。
ひとしきり泣いて落ち着いたソーナから事情を聞いたムルマスは、ベッドから出て、連也と両手で握手を交わした。
「感謝いたします、若きお方。シトリー家の当主としても、ムルマス・シトリー個人としても……お礼に、私に出来る事があれば何でも仰ってください」
「じゃあ、一つだけ……今回の事、一生の秘密にしてください」
「秘密に? 何故です……勲章ものですぞ?」
「確証があってやった訳じゃないですし、本当に俺のやり方が正しかったのかもわかりません。なのに頼りにされても、はっきり言って困ります。今回は、生徒会長としてお世話になった先輩へのお礼としてやった事なので……」
「むう、しかし……」
「それだけじゃ気が済まないって言うんなら、俺に何か面倒事が起きた時、助けてもらえますか? その時まで保留という事で」
「ふむ、そう仰るなら、またその時に改めて……」
ムルマスは納得したようだ。
連也と曹操はソーナの転移魔法陣で、人間界に戻っていった。
◆
「お人好しもあそこまで行くと、呆れるな」
駒王町に戻り、ラーメン屋でラーメンをすすりながら、曹操は向かいの席の連也を睨んだ。
「怒らないでくださいよ。これも、決闘に備えてのコンディション調整なんだから」
「どこがだ。俺の目から見ても、明らかに消耗している……今日一日の休息で回復出来るのか?」
「…………」
連也は少し考え込んだ後、ニッコリ笑って、グッとサムズアップをした。
「……それは大丈夫、心配ないという意味か? ダメっぽいけどまぁ何とかなるさという意味か? 判断に困るリアクションはやめてくれ」
「まぁまぁ、気にしない気にしない……それに、コンディション調整の一環なのは本当ですよ? あそこで先輩のお願いを断ったりしたら、心にわだかまりが残って、試合で絶対俺の足を引っ張るだろうし……曹操さんにだから言いますけど……父さんの事、思い出しちゃって……父さんの真似、してみたかっただけです」
「…………そうか」
曹操はそれだけ言って、話を終えた。
過ぎてしまった時間は巻き戻せないのだ。問題は、どうやって連也を回復させるかである。
とは言え、自分の気功術で回復が間に合うか……英雄派の中にも回復系の能力者がいるが、今から彼等を総動員させていては間に合わない。そもそも、こんな個人的な事に協力してくれるかどうか……猫又姉妹の仙術は果たして適用出来るだろうか……。
「曹操さん、そんなに気にしないでください。一から十まで全部俺が、俺の意思で、俺のためにやった事です。確かにちょっと疲れたけど、おかげで修行の成果も確認出来ましたし」
「そう言われてはいそうですかと納得出来る訳ないだろう……だが、もうこれ以上は言うまい。勘定は俺が払っておくから、君は早く帰って休むといい」
「あざっす」
連也は味噌ラーメンの残りを平らげると、店を出ていく。
出入口を潜ったところで、かすかに体勢が揺らいだのを、曹操は見逃さなかった。
急いで勘定を済ませ、連也を追って店を出るが──、
「馬鹿な……」
連也の姿は、どこにも見当たらなかった。
歩調からして、支払いをしているわずかな時間で見失うはずがない。
(まさか……何者かが彼をさらったのか?)
しかし誰が?
心当たりは兵藤一誠くらいだが、彼には良い意味でも悪い意味でも、試合前に襲撃を掛けるような悪巧みは出来ない。
では、彼のマネージャーのレイヴェル・フェニックスか? やりかねないが、それでは仕える主君たる兵藤一誠の評価を下げる事にも繋がり兼ねないので、彼女も違うだろう。
他に連也を拉致しそうな相手と言えば……、
(まさか、ヴァーリ・ルシファーか?)
◆
「あれ?」
連也は間の抜けた声を上げた。
店を出た瞬間、外の明るさに軽い立ち眩みを起こして、一瞬ふらついたと思ったら、いつの間にか全く別の場所にいたのだ。
ゴツゴツとした岩が周囲に散見される、だだっ広い荒れ地であった。
空を見上げると、夏の濃い色合いの青空ではなく、ドロドロした紫色だ。
「冥界? なんで?」
「俺がここに転移させた」
ゴロゴロとした響きのある声が、何もない空間から聞こえてきた。
その声のした辺りの空間が陽炎めいて揺らめき、小型犬ほどの大きさの、一匹のドラゴンが現れる。
「貴様がアキヅキレンヤだな」
「アッハイ」
「聞いたぞ。たかが人間の分際で、偉大なる赤龍帝・兵藤一誠に決闘を挑む不届き者……果たして貴様ごときちっぽけな小僧にその資格があるかどうか、俺が見定めてくれよう!」
「ちっぽけな小僧って、あんた俺よりちっちゃいじゃん」
「そう思うか? ならばよーく見ているがいい!」
小型のドラゴンは言うなり、全身から目映い光を放つ。
その光が爆発的な勢いで膨張していき、消える。
後には、全長十メートルを越す巨大なドラゴンがそびえ立ち、眼を爛々と輝かせて、連也を見下ろしていた。
「我が名はボーヴァ! 元六大龍王『
「さっき資格がどうとか言ってなかったっけ?」
状況がわかっているのかわかってないのか、呑気にツッコミを入れる連也目掛けて、ボーヴァは口から隕石と見紛う巨大な火の玉を吐き出した。